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Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
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喪中葉書に慟哭

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       若さと技術力の大切さを強調したい。若い人間のほうが頭がいい。
                  チェスの名人がみんな20代なのは偶然じゃない。
     
                                                      マーク・ザッカーバーグ

                                                                                          

   

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く  

  ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。
     尚、段行末尾の※は、以前取り上げたことがあるもので、改めて記載するもの。

   魯問――迷妄を解く- 『墨子』   

  ● 技術の巧拙とは

  公輸子、竹と木を削って、おもちゃのカササギをつくった。さっそく飛ばしてみると、三日
 間も飛んでいた。「
  わたしほど腕の立つ技術者はいないだろう」
 と公輸子は自慢した。それをきいて、墨子は、
 「カササギをどんなに精巧につくったところで、大工が車のクサビをつくるのには及ばない。
 大工は見ているまに、長さ三寸の木を削ってクサビを作る。しかもそのクサビは重さ五十石三
 石は百二十斤) の荷物に耐えられる。人を利する技術が"巧"であり、あなたのような人を利さ
 ぬ技術は”拙"なのだ」

  
   科学技術の目的 

  これと似た話は、『韓非子』にもある。『韓非子』では、カササギがトビ(鳶)になってお
 り、つくった人間は公愉子ではなく、墨子自身となっている。弟子がその技術をほめると、「
 いや、車の把手をつくる者にはかなわない。一尺たらずの材木しかつかわず、一日もかけない
 で仕上げてしまい、それでいて三十石の重荷をのせて、遠くまではこぶ力がある。しかも何年
 も長もちする。わたしのつくったトビは、三年もかけながら、一日飛んだだけでこわれてしま
 った」とこたえている。墨子がつくったのか、公輸子がつくったのか、どちらとも決めかねる
 が、技術に対する墨子の見方は、一貫している。

  公輸盤削竹、木做成鵲、做成了就讓它飛起來。三天不從天上落下來。公輸盤自己認為很精巧。墨
  子對公輸盤說。你做的鵲、不如匠人做的車軸上的銷子、一會兒削成一塊三寸的木頭、可以擔當五
  十石重的東西。所以、平常所做的事。有利于人、可稱作精巧。不利于人、就叫作拙劣了。

 



【我が家の焚書顛末記 Ⅳ】

1995年に買った本だが、デジタル化して廃棄した。昔からプロとして通用しないがあるてい
どまでならいけるぞと変な確信(自信)を若い頃は持っていた――練習量が全く違うから無理は
承知の上とわかっているが――楽譜を見ただけで知らない歌を歌えるほどにはなっていた。今は
ピアノは分け合って椅子をぶち投げ傷だらけとなり二束三文で売却してしまった。この歳になっ
ても、「デジタル作曲」アプリがあるもののその打ち込みが気に入らないので放置したままにあ
る。親父が元気なころ、即興でピアノを引いていると、珍しく部屋に来てか「まるでジャズピア
ノみたね」と感心ししばらくして自室に戻っていたことを思い出す。時間にも(また金銭的にも)
余裕ができたら電子ピアノ買って、作曲活動の夢を実現したいと思っている。ヘッドフォ-ンを
使えば家族や近所に迷惑をかけずに専念できる時代だ。運がよければ動画アップし1億回以上の
再生を実現してみるのも面白いかもしれない(歌えるなら、英語・中国語・日本語・スペイン語
の4国語で録画発信してみようか?)。

 




※ジャズピアノはユーチューブにはないね(拝金主義もここまでくると何だかゆとりがなくなってしまうのが
哀しいね。) ”I Want To Hold Your Hand - The Beatles - Glee version - Piano” で今回は代用。

 



【喪中葉書に慟哭】  
師走に入り喪中葉書の舞い込み枚数も増えるような年格好となっている。ところが、その一葉に目を通す
していると、胸にこみ上げ慟哭する。

            師走に入りお忙しい毎日をお過ごしの事と存じます
          本来ならば夫 山口和彦と共に年末年始のご挨拶を
          致すべきところ 今はもう叶いません
          日常の出来事や季節の行事に夫を想い 唯一無二の
          存在であった事を痛感する日々ですが 家族や親戚
          友人同僚の皆様など大勢の方に支えて頂きながら
          少しずつ歩みを進めております
          本年中に賜りましたご厚情に心から深く感謝
          致しますとともに お健やかなる新年をお迎えに
          なりますようお祈り申し上げます。

           平成二十七年十二月                             山口 智子


          添え書 仕事ではもちろん休みの日に一緒に過ごして
              い頂いた事、ごちそうになった事等よく話
              してくれました。お世話になり有り難うご
              ざいました。

思えば、山口和彦さは後輩であったが、聡明で、私の方からあれしろ、これしれといったことは
なかったが、わたしが考案した、佐賀は有田市の企業を見学しネット式の超音波洗浄(シャドウ
マスク製品の再洗)装置の開発装置を、庄田さん、西川さん、山口さんなどが黙っていても組み
立て稼働させてしまった。その時、優秀な人たちのチームの仕事とはこのように、静かに完結さ
れることに感心してたことを思い出した。遠いところでは、中国のシャドウマスク工場建設のス
パーバイズ設計会議で南京市に出張したことや、最近では大見忠広東北大教授が主宰する「大型
液晶ディスプレイプロジェクト(上図クリック)で一緒したことがあったが、その折り、わたし
を参画させるようにチーフの村岡祐介さんに働きかけたことを後で知ることになる。ところで、、
仕事とは辛いこともいっぱいあるが、奇跡のような体験も結構している。その時、ひとりでその
畏怖に感嘆することもあるが、仲間たちと分かち合いながら感嘆することもある。あるいは、偶
然に現場でご一緒した人たちとで問題を解決をして奇跡のような畏怖体験する場合もあった。
沢山の若者が私の周りに立ち寄りまた別の職場に移動したり、あるいは悩み自死した若者や(仕
事とは関係ないが村田さんも含まれる)、若くして夭折した竹中さん、野村さんらの仲間もいた。
そんなとき、もう少し丁寧に接しておけばよかったと悔やむ数ことが、今思えばは星の数ほどあ
ったように思う。そのひとりが山口和彦さんである。小雨降る中、わたし、村岡さん、三宅さん
と彼の四人で彦根城内の桜を見物しながら交わした杯が最後となった。

                                       合唱



  愛しき日々

        


    Benjamin David "Benny" Goodman       【ジャジーな風に吹かれてⅢ: ベニーグッドマン】  

● 『カーネギー・ホール・コンサート』 CBS   ベニー・グッドマン、カウント・ベイシー、テディ・ウィルソン、ライオネル・ハンプトン、ボ
ピー・ハケット、ジョニー・ホッジス、ハリー・カーネイ。クーティ・ウィリアムス、バック・
クレイトン、ハリー・ジェームス、レスター・ヤング、ヴァーノン・ブラウン、フレディ・グリ
ーン、ウォルター・ペイジ、ジーン・クルーパ、マーサ・ティルトンほか。その手はないよ/ワ
ン・オクロック・ジャンプ/身も心も/私の彼氏/ブルー・ムーン/素敵な貴方/サボイでスト
ンプ/天使は歌う/シング・シング・シングほか全23曲 1938.16 NY カーネギーホール Pd
ジョン・ハモンド。   貧しいユダヤ系ロシア移民の子としてシカゴのゲットー(貧民地区)に生を受けたペニー・グ
ッドマンことベンジャミン・デイヴィッド・グッドマンが十二歳でプロ・デビュー、二十代でニ
ューョークに進出、スター街道を「キング・オブ・スイング」まで上り詰めるサクセス・ストー
リーは、日本のTVでも繰り返し放映されている映画『ペニー・グッドマン物語』55年/ヴァ
レンタイン・デイヴィス監督作品/スティーブ・アレン主演)を通じてジャズ・ファンのみなら
ず多くの知るところとんる。『カーネギー・ホール・コンサート』は、文字どおり、38年1月
16日のカーネギー・ホールにおけるペニー・グ。ドマン・コンサートの全貌を二枚のCDに完
全収録。1891年にチャイコフスキーの指揮でこけらを落とした〈クラシックの殿堂〉カーネ
ギー・ホールがジャズを受け入れた初めてのコンサートとして歴史に名を残す。

この夜、ペニー・グッドマンは、T・ウィルソン、L・ハンプトン、G・クルーパからなる自身
のカルテットにデューク・エリントンやカウント・ベイシーのオーケストラからスター・プレイ
ヤーを加え人種の壁を超えたスペシャル・バンドを結成、編成を組み替えるなど趣向を凝らしな
がら一大スイングの饗宴を張った。翌朝のニュー・ヨーク・タイムス紙は「ペニー・グッドマン
がステージに登場すると聴衆はトスカニーニを迎えるような万雷の拍手で彼を迎えた」と報じた
という。内容に求心性を求めるリスナーには同時期録音の『キング・オブ・スイング』(CBS
)の方が好まれると思われるが、本CDは右記の内容と、29年に始まる世界大恐慌から完全に
回復好景気に沸く世相をも反映したものとして推す。なお、この録音は、ワンポイント・マイク
でディスクに収録、後年、グッドマンの娘により偶然発見され初めて公開されたという。


 Benny Goodman small group with  Benson & Hammond (1975)
 

   


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