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謹賀新年

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     老齢と老化とをいっしょくたにすることは避けなくてはならない。
                老化はほとんどどんな年齢でもわれわれに襲ってくる感情である,

                                                           イギリスの小説家 E・M・フォースター

 

                The identincation of old age with growing old must be avoided. Growing
                       old is an emotion which comes over us at any age.

                                                                                                                       
                                                                                                                        Edwarrd M. Forster
                                                                                                                 1. Jan. 1879 -7. Jun. 1970     
                              

                        「私自身は二十五歳と三十歳の間に老化現象が始まった‘一と現に彼は
                      言っている。どうやら老化とは生理年齢とは別の精神的なものと考えてよ
                      さそうである(岩田一男)。 

 

 

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 4  松岡 正剛 著  

 【目次】 

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

    専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山から町へ/乱想の凡夫として

    法然のパサージュ
    兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザトプリテラシーとオラリティ

    「選択」の波紋
    南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメージ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死 

 ● 専修念仏への道

                        浄土思想との出会い

  広大な敷地を誇る比叡山は、山内を西塔・東塔・横川というパつの地城に分けて
 いました。法然が移った黒谷の地はさきほども.言ったように、「別所」と呼ばれ
 るところで、とりわけ奥深い地域でした。
  黒谷は長らく「二十五三昧会」が聞かれていた土地でもありました。二十五三昧
 会というのは、恵心僧都源信らが寛和二年(九八六)に横川の首榜厳院で始めた根
 不断念仏をするのです。不断念仏とは、読んで字のごとく、昼夜分かたず念仏を称
 えることで、慈覚大師こと円仁が奨励した行なのですが、それを敢行した。そこに
 は貴族の慶滋保胤なども加わっています。保胤という人物は私が好きな『池亭記』
 や『日本往生極楽記』なども書いた文人で、が田寡作がコ理環記』の主人公として
 描きました。

  しかし、二十五三昧会に参加する人々はそもそも往生を求めて集まっているわけ
 ですから、一種の「死のマニュアル”に従叫するサロン的な結集でもあります。だ
 からその思想テキストはもっぱら源信の「往生要集」に求められました。
  青年法然も「往生要集」を耽読します。これがじつにうまく執筆編集されたテキ
 ストで、私も本当に感心してしまいます。なにより興味ぶかいのは、往生の方法と
 システムを「十門」によって心的パノラミックに、かつ劇的に説明しているところ
 です。

  十門とは何か。次に掲げてみます。 

    ①厭離穢土  ②欣求浄土  ③極楽証拠  ④正修念仏  ⑤助念方法
    ⑥別時念仏  ⑦念仏利益  ⑧念仏証拠  ⑨往生諸行  ⑩問答料簡  

  それぞれ何か書いてあるか、簡潔に紹介しますと、現世は穢れていて厭うもので
 あり(厭離穢土)、浄土は願うものである(欣求浄土)。その浄土のなかでは阿弥
 陀仏が君臨している西方極楽浄土がいちばんすぐれている(極楽証拠)。そのよう
 な浄土に往生する念仏方法としては身・口・意の三つをそなえた礼拝が必要である
 (正修念仏)。前半はこのようなアウトラインです。

  後半部では念仏方法を詳しく説明しています。たとえば、仏を観想するには、仏
 の相好を上から下に三二相に別々に観想する別相観、三二相をひとつのものとして
 見る総相観、額の白毫に意識を集中する白毫観がある。そのうえで、念仏は心に念
 ずるのがよくて口に称えるのはその補助だとか(助念方法)、ときどきは特定の日
 時に念仏をするべきだとか(別時念仏)、臨終のときには五色の糸を病人に握らせ
 るとよいとか、いろいろと実践的に書かれているのです。

  これらからもあきらかなように、「往生要集」は[往生の方法」としての念仏行
 をかなり重視したわけです。しかし、さきほどものべたように[念仏」とは広く「
 仏を念ずる」ことであって、『往生要集」で源但が勧めているのも、やはり心で仏
 を観想することなのです。これは「観仏」というものです。したがって、口に名号
 を称える称名念仏は、あくまで念仏一般の補助手段であって、当時の念仏行の中心
 にあるのはあくまで「観仏」でした。つまり源信が説いたのは心に念ずる観想を基
 本においた「観勝称劣」なのです。観仏が勝って称名は劣るというものなのです。

 仏教において念仏そのものはめずらしい勤行ではありません。比叡山の天台法華門
 においても、『摩詞止観』に説かれる四種三昧のうち、常行三昧の規則から導き出
 された念仏行がおこなわれていました。常行三昧堂が都の各所に作られ、多くの仏
 師たちによって阿弥陀仏や観音像がたくさん造仏されたのも、京都に定朝様式の阿
 弥陀さんが多いのも、そのためです。かなり}般的なものだった。しかし源信は、
 天台法華門の念仏行にはいささか浄土観が欠けていると考えて、中国浄土教の道紳
 や善導の『往生礼讃』とよばれる経文を参照して、浄土的な「念仏為本」の思想を
 打ち出したわけです。

  結果的に、『往生要集』は時ならぬ極楽往生ブームと地獄についての多様な妄想
 を生みだしました。「時ならぬ」というのは、折から末法到来の噂が広まっていた
 からです。

                                         末法を生きる

  すでにのべたように、永承七年(一〇五二)からすでに末法の世が始まっていま
 した。ちょうど藤原文化が絶頂を迎えた直後のことです。この末法元年にあたる年
  について、藤原資房は日記『春記』のなかで「長谷寺已に以て焼亡し了んぬ。(中
 略)末法の最年此の事あり」と記していますし、慈円も『愚管抄』で「末代悪世、
 武士ガ世ニナリハテゝ末法ニモイリニタレバ」と書いています。 
  
  ようするに、往生思想の流行も、念仏思想の地獄妄想の流行も、すべては末法到
 来の噂が広まったことに端を発しているというのです。これはあきらかに終末論で
 す。ただ、末法思想はキリスト教の終末論とはかなりちがっていて、一種の衰退史
 観なっていた。それが「三時説」と呼ばれるものです。 

  さきほども紹介しましたが、もう一度説明しておくと、ブッダの入滅から100
 0年は「正法」の時代で、ここには「教・行・証」のすべてが揃っているとされま
 す。その後、ブツダの教えを学ぶ修行者が続出する[像法」の時代が1000年続
 くのですが、なかなか『証」が得られない。さらに「末法」となると、もとの教え
 は残っているものの、本気で修行する者はしだいに少なくなり、仏教そのものの力
 も衰えて社会が千々に乱れるというのです。

  末法も一万年続くとされますから、べつだん焦らなくともよさそうですが、終末
 論というのはそれが提示されたとたんに不安が蔓延っていくものです。しかも、終
 末論がもたらすのは「個の死」ではなく[類の死」ですから、人々の意識の内奥を
 打撃します。さらに、社会は仏教の本来を失ってしだいに衰退していくという。こ
 れでは聞き捨てなりません。

  おりしも天災や飢饉が続いた時期のことでした。京都の五条橋の付近には、飢え
 に堪えかねて、あさましくも捨てられた子どもの生肉を食べる者がいたと伝えられ
 ていますし、鴨良明の『方丈記』には、「世の人、皆飢え死にければ、日を経つつ
 極まりゆくさま、少水の魚のたとえに叶えり」とまで書かれているほどです。まさ
 に「類の死」の拡張であり、タナトス(ギリシャ神話の死神)の氾濫でした。

  これでは、一切の苦しみと無縁だという浄土世界への憧れが暮っていくのも頷け
 ます。ちなみに、「浄土]というと阿弥陀如末がおわす西方極楽浄土を示すことが
 多いのですが、本来ならば、薬師如来、弥勒菩薩、釈迦如来も含めて、東西南北い
 ずれにも浄土が想定されていました。薬師如来の浄土は東方にあって、瑠瑞光浄土
 とよばれます。いずれにせよ、末法が到来するこの時期にはとりわけ西方極楽浄土
 が好まれました。阿弥陀仏の役割に注目が集まったからです。それゆえ阿弥陀来迎
 図が頻繁に描かれ、さまざまに阿弥陀堂が造立され、阿弥陀像が多く作られるよう
 になるのも、この時期のことなのです。 

  往生を希求してやまなかった藤原道長などは、自身が建てた阿弥陀堂の本尊と自
 分の体を五色の糸で結び、そのまま浄土に往生できるように願いながら没していっ
 たと言われます。まさに『往生要集』に書かれた方法と一致しています。道長の長
 男の頼通は、この世に浄土を再現するかの上うな豪華絢爛な堂宇を建立したくなり、
 それが宇治の平等院鳳凰堂として完成します。
  このように、多くの貴族が末法の到来に不安をおぼえ、極楽往生を祈念するよう
 になっていたのですが、その上うな時代背景もあって、源信の『往生要集』がさか
 んに読まれたわけでした。

  恵心院 (比叡山延暦寺横川兜率谷)

  それでは、法然はその『往生要集』を読んで何を学んだのか。むろんのことそこ
 から基本的な往生論と念仏論のすべてを会得したはずですが、どうもこれだけでは
 足りないと感じたようです。なぜならば『往生涯集』が書かれてから一五〇年以上、
 末法元年からすでに100年がたっているにもかかわらず、世の中はいっこうに変
 わらずに乱れていたからです。いや、それどころかますますひどくなっていた。日
 本列島を東へ西へ、陸奥へ西海へと騒擾させた源平争乱のさなか、社会状況はます
 ます悪化していたのです。

  まもなく平清盛が太政大臣として権勢をほしいままにして、後白河法皇すらもが
 幽閉されてしまいます。頼朝の鎌倉開府はまだ先のことですから、いったい武士や
 武門なるものがどういうものかもさっぱりわからない、奇怪で混沌たる時代だった
 のです。日本における武士の登場は、たとえるならば、一九九〇年代にイスラム過
 激派がニュースに登場してきたころに、その一団やその思想が何を意味するのか、
 欧米諸国がまったく見当つかなかったようなものです。そして見当がつかないまま
 に、保元の乱、養和の飢饉、さらには平家滅亡というふうに、案の定、予測できな
 いような大混乱が連続し、そこかしこに飢餓が広がっていったのです。

  法然が望んでいたのは、そんな末法の世に生きる戸惑う民衆を救済することでし
 た。けれども、南都や叡山が管轄する仏教の教説はあまりにも難解で、どこに「救
 い」があるのか見えにくい。多くの経典は「仏が自分のなかに見えるまで待て、そ
 れが悟りである」というのですが、それではもう間に合わないのです。「死」のブ
 ームがおこるような社会では人は何かにすがるしかないのではないか。はやくどこ
 かにある解決方法を探らなくてはならないのではないか。
 きっと経典のどこかに、この世を救う方法が書いてある箇所があるのではないか。
 もしそうならば自分がそれを見つけだしてみたい。そう、心を決めた法然は、一時
 的に比叡山を下りて、それまで以上にさまざまなテキストにあたるようになりまし
 た。

                                        法然の読書法

  ところで、口述した『選択本願念仏集」をのぞいて著作がほとんどなかったにも
 かかわらず、法然はたいへんな読書家であったことがわかっています。
  仏道に身をおく僧として経典を読むのは当然至極と言えばそれまでですが、どう
 もそれだけではない。私はそこに注日して、ひょっとすると専修念仏を確信したの
 は、膨大な読書のなかから最も重要なロジックやフレーズを抽出する読書法をもっ
 ていたからなのではないかと思うようになりました。法然の読書法には何か特別な
 方法があって、それが専修念仏に至った「法然の編集力」を読み解くうえでヒント
 になるのではないか。そう、思ったのです。

  法然の人滅後に成立した「法然上人行状絵図』では、上人が経典をひろげている
 面や、それをもとに問答したり説法したりする場面がよく目につきます。この絵
 巻は法然という仏教者の一代を編む目的で描かれたわけですから、上人にクローズ
 アップするのは当然なのですが、ふつうならもっと阿弥陀仏の姿を描いてもよさそ
 うなものです。ところが、周辺の人物か亡くなる場面や、のちに説明する「大原問
 答」の場面などの例外をのぞけば、阿弥陀仏が来迎したり、荘厳な阿弥陀如来像が
 安置されていたりする描写はそう多くない。「法然上人行状絵図』の作者たちには、
 法然がつねに経典を読んできた人物であることを印象付ける狙いがあったのだと思
 われます。

  いろいろ調べてみると、法然が子どものころから読書が大好きだったことがはっ
 きりしてきました。本人も読書量の多さにはけっこう自信があったらしく、次のよ
 うにのべています。

  われ、聖教を見ざる日なし、木怜の冠者花洛に乱入の時、ただ一日聖教を見ざ
  りき

                       (「法然上人行状絵図』巻五) 
             

  これは絵伝の詞書にある言葉ですが、法然が実際に語ったとされています。「木
 曾の冠者」とは木曾義仲のこと、「花洛」とは京都のことです。寿永二年(一一八
 三)に義仲が都に攻め込んできたその日一日だけをのぞいて、私は必ず聖教(経典)
 を読んでいたのだと述懐しているのです。一一八三年というと、すでに法然は比叡
 山を下りていましたから、読書に励んでいたのは修行時代にかぎった話ではありま
 せん。法然の人生はつねに読書とともにあったのです。

  すでにお話ししてきたように、知の最高峰である比叡山には、たくさんの経典が
 揃っていました。読書好きの法然は、根本経典である天台三大部や『無量寿経』『
 観無量寿経』「阿弥陀経」の浄土三部経をはじめとして、ありとあらゆる経典を読
 んだようです。弟子たちは法然が三年ほどで「三大部をわたハソたまいぬ」と記し
 ます。そうだとすると、驚くべきスピードです。

  また、先に紹介した『往生要集』などの比較的新しい文献にもしっかり目を通し
 ていましたし、黒谷に遁世していたころには一切経(大蔵経)を五回も読んだと伝
 えられています。一切経は、三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)とその注釈書までを含めた
 も のですから、それはもう気の遠くなるようなヴオリュームで、一度読むだけで
  もそうとう難儀します。そんなものを本当に五回も読んだのかを確かめる術はあり
 ませんが、法然がそこまで言うからには、きっと自分なりの読書法を開発して、実
 際に読んでいたと見るきでしょう。
  このように法然の読書歴とその量とそのスピードをたどってみると、次の言葉は
 まことに重要であるように思います。
 

  当世にひろく書を披見したることは、たれも覚えず。書を見るに、これはその
  事を詮にはいうよと、みることのありがたきことにて侍るに、われは書をとり
  て、一見をくわうるに、その事を釈したる書よなとみる徳の侍る也。詮はまず
  篇目を見て大意をとるなり。
                       (『法然上人行状絵図』巻五)

  自分のようにここまで本を読んでいる人を最近は聞いたことはない、しかも、自
 分には本をちょっと読むだけでその解釈ができるだけの徳があるのだ、とすこし誇
 らしげです。なぜそんなことが可能なのかというと、篇目を見るだけで全体がわか
 るからだと言っている。篇目とはすなわち章の題目のことですから、いまふうにい
 えば目次です。つまり法然は「目次だけでだいたいのことが理解できる」と言って
 いるのです。そんなことは可能でしょうか。

  可能です。じつは私もいくつもの読書法や読書術を自分なりに体得して、その一
 部を『多読術』(ちくまプリマー新書)やウエブ公開している「千夜千冊」に紹介
 しています。そのひとつに「目次読書法」というものがありまして、法然が「篇目
 を見て大意をとるなり」と言っているのは、ほぼこれにあたるのだと思います。目
 次というのは著者や編集者によって一冊のコンテンツを要約再構成したもので、そ
 の本のエキスが並んでいます。「目次読書法」はその目次をじっくり眺め、いろい
 ろのことを想像し、そのうえで本文に一気に入っていくという方法です。

  もし法然がそのように経典群を読んでいたのだとしたら、法然の時代での本の読
 み方として、とりわけ経典の読み方としては、たいへん画期的です。
  比叡山における経典読みの流儀は「点検型」の読書でした。テキストの一宇一句
 すべてを解釈・解義して、その内容について問答を重ねていました。経典を読むと
 いう行為に求められるのは、深く深くテキストに没入していくことであって、これ
 はこれで大切な読み方です。それゆえこれに対して「篇目を見て大意をとる」など
 という態度で読書しようものなら、場合によっては破門されかねません。

  もちろん天台の修行憎が篇目を弛なかったというわけではありません。しかし比
 叡山で重視されるのは、言うなればもっとべたな解釈であって、それにくらべると
 篇目というクリティカルかつエヅセンシヤルなボイントをあらかじめ拾い上げて進
 んでいこうとする法然の読み方は、本流ではなかったのです。叡山の伝続からいっ
 て、それは「易行」に等しいものでした。

  しかし、「目次読書法」を実践している私の立場から見ると、この読み方にはき
 わめて大きな二つのメリットがあります。まずもって読書スピードを格段に加速さ
 せるということ、そして、テキストを多重に読めるということです。
  すこしだけ解説しますと、そもそも目次というものにはニつの特別な編集的機能
 があります。

  まず第一に、その本に登場するキーワードを相互に関係させてマッピングする見
 取り図としての機能です。読書においては、一ページずつ読みすすめて次々と遭遇
 する情報が発するメッセージを受けとめることはむろん人嘔ですが、それに加えて
 「その情報がどのように位置づけられているか」あるいは「その情報にどんな編集
 意図が加えられているか」を察知することがもっと重要なのです。あらかじめ目次
 を読むことは、そうした情報編集の痕跡をホログラフィックに概観することでもあ
 るのです。

  第二に、目次にはその本の意味内容を縮約する機能があります。いささか穿った
 見方をすれば、小説をのぞいてその本に目次以上の内容が書いてあることはありま
 せん。ですから、本を読む前にはまず目次をト分に精読して、そこに書かれている
 キーワードを吹き出しのようなイメージで 頭の中に浮かべておく。そのうえで本
 文を読みすすめると、目の前のテキストと目次にあったキーワードを立体的に重ね
 あわせながら読むことができるのです。

  法然はたんなる多読の読書家ではなく、自分のなかに多重な網目をおこしながら
  本を読む人でした。その出発点は、必ず篇目にありました。のちに法然は膨大な教
  義や修行のなかから「念仏」ひとつを選び取るわけですが、それは「篇目を見て大
  意をとるなり」の読書法で鍛えられた、法然の縮約力やスクリーニングカによって
  いるところが大きかったのだと思います。こうした法然のきわだった編集力に「編
  集的縮約」という方法が躍如していたことは、のちに「選択本願念仏集」を論じる
  ときにふたたびふれることにします。

                                                            この項つづく  

 

 

【無線型ストリング計測システムとは】

固定価格買い取り制度(FIT)のプレミアム期間が終了し、太陽光発電所を20年間
安定して稼働させるためのO&M(運転保守管理)の必要性に、発電事業者の関心は移
っている。パナソニックシステムネットワークスは、この課題に対し、NTTファシリテ
ィーズとの実証実験を通し、「無線型ストリング計測システム」を開発。パナソニックシ
ステムネットワークスが開発。「太陽光発電向け無線型ストリング計測システム」とは、
O&Mの発電所監視においてストリング単位の計測を無線で行うもの。従来、監視にと
どまっていたが、メガソーラーなどの大規模な発電所では、管理する太陽電池モジュー
ル数が多くなり、不具合箇所発見の遅れや、現場での点検工数の負荷増大などが課題と
なっていまる(下の「不具合事例写真例参照)。このシステムでは、ストリング単位に
絞りこんで監視するため故障」した太陽電池モジュールの早期特定、影や雑草など外的
影響のスピーディな異常発見を可能にするもの。

● 発電効率の最大化に貢献

これまでのパワーコンディショナは発電診断の機能を持っており、「それで十分」と思い
がちだが、モジュール1枚の故障が起きた場合、その影響を発見することは難しい。
それに対しストリング単位であれば、その様な故障でも異常を感知することができる。
そのために、コスト面――イニシャルコストを抑えながら早期回収でき、さらに  機器
のコストだけでなく、現場施工や運用面も含めたトータルコストを抑えメリットを出す
ことが重要となる(下図参照)。その点、本システムは、各ストリング単位のデータ計
測子機から無線によりデータ収集するので、(1)太陽光発電所内へのケーブル敷設
も必要なく、(2)また、②計測子機には太陽電池モジュールから電源を供給するため
接続箱への収納や電源工事が省ける。(3)新設導入はもとより、既設への後付けに特
に施工性に威力を発揮し、コストダウンにもつながる。例えば、2MWの発電所で子機
設置台数300台強の現場なら、2~3人の作業で1~2日で取り付けを完了できる想
定している。 |


無線方式は、DECT(DigitalEnhanced Cordless Telecommu-nications)という、欧州電気通信標
準化機構(ETSI)が策定したグローバルスタンダードの無線通信方式を採用。通信飛距離が見通しで
約150メートルと広範囲をカバーでき、1.9GHz帯で、電波干渉を受けにくいことが特長。



(1)異常検知、(2)ストリング監視データ保存、(3)CSVデータ出力、(4)メー
ル送信。

 

 

   

 

元旦は晴天ということで、北野神社→彦根博物館→日牟禮八幡宮→水が浜→白山神社
(氏社)と参拝巡りに出かけた。井伊直政の甲冑とひこにゃんとの対面は参拝とは関
係ないが帰宅して、一息入れ飲んだスーパードライの缶ビールは、妙に爽やかにして
これど世界一のビールと感動は参拝日帰りツアーのおかげか。

井伊の赤備え
 

 

 


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