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帝國のロングマーチ Ⅴ

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       今の年寄りは、体のほうだけ成長というか、老いていって、寿命は延びていって、精神のほうは成長しないです。 
  

                                          

                                Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924-16 Mar, 2012     

 

 

● マエケン強烈なデビューで初勝利!!

 


● 折々の読書  『China 2049』23  


                                  秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」     

                                                    マイケル・ピルズベリー 著
                                                    野中香方子 訳 

ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイケル・ピルズベリーが
自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めたうえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラ
ソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の
世界情勢、日中関係そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となって
いる。 

 【目次】

  序 章 希望的観測
 第1章 中国の夢
 第2章 争う国々
 第3章 アプローチしたのは中国
 第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
 第5章 アメリカという巨大な悪魔
 第6章 中国のメッセージポリス
 第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
 第8章 資本主義者の欺瞞
 第9章 2049年の中国の世界秩序
 第10章 威嚇射撃
 第11章 戦国としてのアメリカ
 謝 辞
 解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
     森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)   

  第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン

                趁火打却(ちんかだこう)――火に趁(つけこ)んで却(押し込み)を打(はたら)く

                                                                     『兵法三十六計』第五計  

  実のところ、中国政府もよく知っていたように、アメリカはすでに、その出来事について繰り返し謝罪して
 いた。その月曜日、クリントン大統領自身が記者たちの前に現れて、再度、謝罪した。

  「謝罪します。この出来事を残念に思っています。けれども、悲劇的な過ちと、故意の民族浄化行為との間
 に明確な線引きをすることは非常に重要であり、アメリカはその線引きを今後も続けます(注26)」

  アメリカの情報コミュニティの反応は、サッサーと同じく当惑と驚きだった。ミスター・ホワイトから中国
 の行動についての予測を聞いていたにもかかわらず、わたしも同じ気持ちで、とりわけ中国の公式の反応の激
 しさには当惑させられた。共産党政府のプロパガンダ機関紙である人民日報は、大使館への爆撃を「野蛮な犯
 罪」と呼び、「アメリカ合衆国に率いられたNATO」は「凶悪犯罪者」だと断じた。第一面の長い記事は、
 アメリカは八つの点でナチス・ドイツと同じだと主張した,例えば、アメリカの「自己中心性と覇権を求める
 野心はまったく同じだ。(中略)世界のどの国家が、かつてナチス・ドイツが目指したように『地球の支配者』
 になろうとしているのかと尋ねれば、答えは一つ、つまり覇権主義を奉じるアメリカである(注27)。」

  10年前の大安門広場で民主主義を求めるデモのさなかに立てられた中国版自由の女神とは対照的に、この時、
 中国の学生は、アメリカを中傷するポスターを掲げた。中には、ピカソの1937年の反戦壁画「ゲルニカ」
 の巨大な複製に赤いペンキを散らせたものもあった。彼らはまた、段ボールで自由の女神像を作り、ピル・ク
 リントンの面をかぶせ、その手にはたいまつの代わりに血塗られた爆弾を握らせた(注28)。

  アメリカの情報コミュニティの面々は、中国の行動についてさまざまな結論を出していた。それを中国人の
 過度の敏感さ、ひいては被害妄想のせいにする人もいた。一方、それほど害のない騒動であるとし、他の問題
 についてアメリカの譲歩を引き出すのが目的だと見る人もいた。しかし、わたしが覚えているかぎり、中国に
 はさらに深い計算があり、やがてアメリカは対中戦略の見直しを強いられることになる、と予測する人はいな
 かった。つまり、ミスター・ホワイトの推測に基づく主張を信じようとする人はいなかったのである。

  2001年、アメリカの情報コミュニティは、1999年のベオグラード爆撃直後に中国共産党中央政治局
 が問いた緊急会議の、機密扱いの議事録を人手した(注29)。この議事録には、中国指導者の真のアメリカ観
 が露呈していた。会議のメンパーは、状況をどう理解し、どう対処するかについて意見を交わした。それを読
 むと、中国政府の偏執的な愛国主義に関するミスター・ホワイトの警告は、まだ控えめだったことがわかる。
 江沢民はこう述べた。

 「アメリカはこの出来事を利用して、国際危機や衝突、とりわけ突発的な事件に対する中国の反応の強さを調
 べようとしている」

  江は、空爆は「さらに大きな策略」の一部かもしれないと警告した。政治局常任委員会で二番目に高位の李
 鵬は宣言した。

 「同士よ!血塗られた大使館の事件は単独の問題ではなく、単なる中国人民への侮辱や挑戦でもない。これは
 入念に仕組まれた破壊工作だ。この出来事は、他の何よりも、アメリカが敵であることをわたしたちに思い出
 させる。ある者が言うような友人では決してない」

  副首相の李嵐清は次のように述べた。

 「将来、中国とアメリカとの直接的な衝突は避けられない!」

  彼は、クリントン大統領が「国際危機と衝突に対する中国の反応の強さ、人民の生の声と大衆の意見、それ
 に政府の意見を確かめ、中国がどんな手段に出るかを調べるために」「軌道を探る石として」爆撃を命じたと
 いう見方を提起した。
  議事録によると、アメリカを弁護する人はひとりもいなかったようだ。この爆撃は本当に事故かもしれない
 と考え、主張する人は皆無だった。クリントンを非難する前に数時問待ってみよう、アメリカ大使館前で学生
 による大規模なデモ活動を始める前にアメリカの見解を尋ねてみよう、と提案する人は誰もいなかった。19
 73年以来北京で築いてきた善意と信頼は、議事録のどこにも見当たらなかった。

  こうしたことが明らかになっても、中国に関するわたしたちの満足と楽観は揺らがなかった,中国にタカ派
 は確かに存在するが、その影響力は、より理性的で冷静な考え方をする人々によって排除できるし、実際、排
 除されるだろうとわたしたちはまだ考えていた。そして同僚たちは再度、信頼を築き、誤解を減らすための努
 力を始めた。まもなく、江沢民と「中国の友人たち」は、ところかまわず、「減少誤会、増加信任」(誤解を
 減らし、信頼を築く)という言葉を口にするようになった。それを見てわたしたちは、中国の「愛国教育」は
 無害らしいと結論づけた,結局、アメリカ人も同じことをしている。中国政府内の反欧米分子は厄介だが、中
 国トップの指導者は彼らには同調していない、とわたしたちは自らに言い聞かせた,

  米当局者の大半は、反米の兆候を完全に無視した。兆候の中には、もみ消されたものもあった。1990年
 代、わたしは(ワシントン首都圏内の)バージニア州レストンにあるCIA翻訳センターをよく訪れたが、そ
 の折に、中国指導者のアメリカに対する非難が報告書にほとんど見られないのはなぜかと翻訳者に尋ねた(注
 30)。米当局者の大半は、中国指導者の考えを追うのに、このセンターで翻訳した情報を頼っていたが、それ
 は中国語を読める人、そして多くの重要なニュアンスを把握できる人がほとんどいなかったからだ。

 「簡単なことです」と、翻訳者は答えた。
 「ナショナリズム的な書類は翻訳しないよう指示されているからです」

 わたしは当惑した。

 「どうして?」
 「本部の中国部門から、そんなことをすれば、ここワシントンの保守派と人権擁護左翼のどちらをもあおって、
 中国との関係を悪くするだけだからと言われました」

  その時ですら、わたしが中国の未来に対して抱いていた信頼は、多少、揺らぎはしても、消えはしなかった。
 ミスター・ホワイトと政治局会議の議事録から得た情報にもかかわらず、わたしは依然として中国懐疑派では
 なかったし、また、どの筋からの情報もこれは一時的な段階にすぎないと語っていた。中国は、経済はいまだ
 脆弱だが、必然的に民主化に向かっている。タカ派は70年代後半から80年代という高齢で、いずれ穏健派
 の改革者たちに取って代わられる。したがって、アメリカはしばらく我慢していればいいのだ、と。それほど
 多くの情報が皆、中国の情報機関によって操作されているというのは、あり得ないことのように思えた。

  言うまでもなく、わたしたちの楽観は、中国の内部情報を提供してくれるトップスパイのひとり、ミズ・グ
 リーンに支えられていた。彼女は、中国政府はアメリカにとって脅威ではなく、中国のさらに過激で危険な政
 治分子を監視するために共産党のリ-ダーシッブは不可欠だと、繰り返し語った。彼女の報告と中国指導者と
 のつながりは、2003年4月9日、彼女がFBIに逮捕されるまで、アメリカの当局者に影響しつづけた(
 注31)。中国にいるCIAの情報源が彼女の正体を暴露したらしい。彼女はFBIから受け取った170万ド
 ルを申告しなかったことを認め、自分が中国の当局者に語った秘密を明かすことに同意した。しかし、司法省
 が彼女をFBIの担当者のもとに拘束し、証人を喚問する権利を侵害したため、連邦裁判所判事は本件を棄却
 した。彼女は再び起訴されたが、協力を約束したため、3年の執行猶予ですんだ(注32)。

  この件を受けてFBI監察官は、偽情報を提供しかねない中国人情報源のファイルに赤旗(警告信号)を立
 てるシステムを作ることを推奨した。FBIで防諜活動を担当する副長官、デビッド・スザディは記者に、本
 件は「(FBIには)その情報源をよりしっかり管理し、彼らが提供する情報をチェックする」必要があるこ
 とに光をあてた、と語った(田淵)。ミズ・グリーンの偽情報に基づいてまとめた報告書の機密扱いをFBI
 が解くことは決してない。そしてそれが公開されるまで、世間の人々は、どちらがより悪いか(彼女が中国に
 秘密を漏らしたことか、それとも、中国のことを心配しなくてもいいとアメリカ人に思わせたことか)を知る
 ことはできない。現代版の「赤壁の戦い」を語るタカ派の言葉を無視する者は、このような間違いを犯しやす
 い。


注26.Transcript: Clinton opens youth violcncc summit、 May 10,1999,CNN,以下のサイトで入手可能。
     http://www.cnn.com/ALLPOLTICSICS/stories/1999/05/10/youth.violence.sumnlit/transcript.html.
注27. “Anlerica vs. Japan and Germany,”Jin Dexiang, 3, cited in Pillsbury, China Debates the Future Security, 99.
注28. Eckholm,“China Raises Then Lowers Tone in Anti-U.S.Protcsts at Embassv.” 
注29. だが、中国の外交政策決定にとって、中国の指導者たちがベオグラード爆撃をどう解釈するかを知ることのほうがも
            っと重要だった。ゆえに朱鎔基が、共産党の記録保管所から密かに持ち出した文書をもとに、自らも参加した秘密会
            議の詳細を、Zhu Rongji(1999),Publishcd in Chinese Law and Goverment 35, nos. 1-2(2002)で公表したのは、非常
            に啓発的だった。これらの文書は、中国の政策決定のトップにいる人々が1999年、特にベオグラードの中国大使館
            をアメリカが爆撃した時にどう考えたかを明らかにしている。ニューヨーク・タイムズ紙のある記事が論評するように、
            この文書の出現は情報を西側に漏らすことで党の歴史を書き換え、中国の将来を変えようとするパワフルな集団が
           共産党内部で育ちつつあることを示唆している。Craig S. Smith,“Tcll-AII Book Portrays Split in Lcadcrship of China,”
            New York Times, January 17,2002,以下のサイトで入手可能。
            http://www.nytimcs.corn/2002/01/17/world/tell-all-book-portrays-split-in-lcadcrship-of-china.html.
注30. その組織の当時の名称は Foreign Broadcast lnformation Center だった。Hoffman,Spy Within,54-55 によると、ラリ
            ー・チンは数年間、そこで働いていた,
注31. BiII Gertz,Enemies; How America's Foes Steal Our Vital Secrete -and How We We Let It Happen(Ncw York: Crown
            Forum, 2006), 52-53.
注32. 次を参照,Glenn P. Hastcdt,“Leung,Katrina(May 1, 1954-),”in Glcnn P. Hastcdt,cd.,Splies, Wiretaps, and Secret
            Opertions:An  Encyclopedia of American Espionage, Volume I(Santa Barbara,CA: ABC-CLIO, 2011). 468-69, Cha-
            rles Feldnlan and Stan Wilson, “AIleged Chinese Double Agent lndicted, ”CNN.com,May 9, 2003,以下のサイトで
            入手可能。http://wlvxv.cnn.conl/2003/LAW/05/08/double.agent.charges/; and  “A Review of the FBI’s Handling and
            ovcrsight of FBI Asset Katrina Leung (Unclassincd Executive Sunlmary).”SpcciaI Rcport. U.S.Departmcnt of Justice,
            Office of the lnspector General, May 2006. 以下のサイトで人手可能。
      http://www:justice.gov/oig/special/s0605/index.htm. 
注33. Gcrtz,Enemies,52-53.

  First Opium War


  第5章 アメリカという巨大な悪魔 

                                   夢中生有――夢中に有を生ず

                                     『兵法三十六計』第七計

  当時の米当局者は知らなかったことだが、1989年6月4日を境に、中国共産党指導者が国民に描いてみ
 せるアメリカのイメージは大きく変わった。共産党内部には常に、西洋から不当な扱いを受けているという根
 深い認識があったが、中国が西洋諸国と並ぶ超大国に発展するには西洋の力が不可欠だという、毛沢東の計算
 によってそれは和らげられていた(注1)。亡命者が後に明らかにしたところによると、その頃、最高レベル
 の指導者たちは、真の民主主義化さえ検討したそうだ。当時はジェームズ・マディスンの権力分散という考え
 までもが支持されていた。中国から密かに持ちだされた公文書から2001年までに明らかになったのは、
 小平と長老たちをパ二ックに陥れるために、タカ派がいかに事実を歪曲して伝えていたかということだ。

  本書の主張が根拠としているのは、近年増える一方の、「中国のタカ派が指導者たちを巧みに操り、アメリ
 カを凌駕すべき危険な覇権国と見なすように導いた」ことを裏づける証拠である。1989年、中国政府は、
 アメリカを危険な覇権国と見なす姿勢を明らかにし、アメリカ政府は悪魔のような存在だと国民に思わせるた
 めの組織的な活動を始めた。党公認のメディアが国内に流している情報は、中国がアメリカの前で装っている
 姿からは想像もつかないものだ。タカ派の主張ははっきりしている。覇権国アメリカは中国政府の転覆を目論
 んでおり、1980年代には実際に転覆を試みた、というものだ。中国タカ派はこの「愛国教育」と反米教育
 を推し進めようとしている。なぜなら、ライバルであるハト派が今なおアメリカに魅了されているからだ。

  実際、毛沢東がニクソンを招待した後の数年問、中国の大衆文化と国営メディアは、アメリカを注目すべき
 輝かしい存在として描いていた。しかし「天安門」の後、タカ派はそれを危険な過ちだったと断じ、政治局の
 指導者に方針転換をさせた。アメリカは異議を申し立てることもできたはずだが、黙っていた。というのも、
 アメリカの諜報機関の分析官と中国専門家は、自分たちが目の当たりにしているのは一時的な局面であり、マ
 ルクスを奉じ、中国が超大国になるという夢にしがみついている極端なタカ派が、恐竜のごとく死に絶えれば、
 そうした局面はたちどころに消えるだろうと楽観していたからだ。

  天安門の虐殺とほぼ同じ時期に、もう一つの地政学的大変動が起きた。タカ派の高官が毛沢東、魏(ソ連)
 に対抗するために呉(アメリカ)と同盟するよう進言してから20年が過ぎた1991年、ソビエト連邦は崩壊
 した。冷戦におけるアメリカの勝利(ベルリンの壁の崩壊、東ヨーロッパにおける民主主義国家の誕生、ソ連
 の完全な解体に象徴される)は、中国政府を揺るがした。それは、天安門事件以来強まっていた、中国指導者
 の反アメリカの妄想をさらに強めた。彼らの目に「天安門事件」は、戦国時代の言葉を借りれば、アメリカに
 よる「混水摸魚(こんすいぼぎょ)」(敵の内部を混乱させる戦略)」(『兵法三十六計』)の最初の一打の
 ように見えた。急進的なタカ派に言わせれば、中国共産党はアメリカのせいで崩壊しかけたが、その瀬戸際で、
 改革主義の趙紫陽やその他のアメリカの「味方」を政府から追放し、辛くも持ちこたえたのだった。

  1980年代に影響力を増してきた親米の改革論者を追放したことは、中国知識階級やアナリストのコミュ
 ニティに空席をつくったが、それは高位にいた親米論者をほぼ.掃しただけでなく、そうした人々の将来の出
 現を抑止することにもなった。こうして、かつては「超ナショナリスト」として敬遠されていたタカ派の妄言
 が、党の公の方針になった。
  中国政府はその後、事実上、中国とアメリカの歴史を徹底的に「改ざん]しはじめた。その時代もアメリカ
 は、中国の成長を支えつづけていたが、涅造された歴史では、アメリカはそのような表向きの姿とは別に、中
 国人に害を与えつづける悪魔のような側面を持つ国として描かれた。しかし、中国の指導者は、大衆文化には
 アメリカを攻撃させながら、アメリカの指導者の前では、それについて何も知らないようなそぷりをした。ア
 メリカの官僚や外交官は、中国の指導者から、わたしもよく聞かされたお題目を何度となく聞かされた。そう
 した反米姿勢は、保守強硬派の小さな派閥のものであり、「主流」の共産党指導各層の見方ではない、と。

  現在、中国の若い世代が知るアメリカの物語は、ほとんどのアメリカ人が知るものとはまったく異なる。彼
 らは、アメリカは170年にわたって中国を支配しようとしてきたと信じている。中国は、アメリカの国民的
 英雄であるアブラハム・リンカーン、ウッドロウ・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルトを、中国の官僚
 などを操り、中国を弱体化させようとした「邪悪な画策者」と呼ぶ。このねじ曲げられた歴史観は、両国の「
 協力」に対する現在の中国人の見方に影響し、多くの中国人は両国の協力を、中国の正当な世界的地位を破壊
 しようとアメリカが絶えず十字軍を派遣する中での、一時的な局面にすぎないと考えている(注2)。

注1.  ジミー・カーター政権下のNSCにおける中国の専門家で、後にスタンフォード大学の政治科学教授になったマイケル・
         オクセンバーグは、「中国の指導者は通常、外国勢力を信用できないものと見なしている。外国の指導者は中国の台
         頭を歓迎せず、その進歩を遅らせるか、妨害しようとしている、と彼らは考えている。さらに、多くの外国が機会さえあ
         れ ば中国を分割しようとしている、と恐れ、(中略)外国の影響を受けやすい周辺地域・海域に関する戦略マップを常
         に念頭に置いている」と記している。
         Michel Oksenberg,Taiwan, Tibet, and Hong Kong in Sino-American Relations (Stanford,CA: lnstitute for lntemational
         Studies、 1997).56.
注2 米中関係の歴史と進展に関する中国の解釈については、例えば、Qiao Mingshun,The First Page in Chinese-US Rela-
         tion(Beijing:Social Sciences Academic Press. 2000):Shi Yinhong and Lu Lei.“Thc U.S.Attitudc Toward China and China’s
         Entrancc to thc lntcmational Communitv: An Ovcrvicw of 150 Years Historv,” in Tao Wcnzhao and Liang Biyin, eds.,
         The United States and Modern and Contemporary China (Beijing:  CASS Press, 1996)を参照。


中国が170年にわたり侵略を企てているとしたのはアヘン戦争を起点に想定しているのではと考える。さて、人
口13億人を中国共産党が教育し煽ればどうなるか。マルクス思想を信奉すれどマルクスを逸脱した世界が待って
いると、本書はそのように警告している。さて、それを確認するために先を急ごう。

                                                                                        この項つづく

   ● 今夜の一曲

『北京の55日』(55 Days at Peking)は、63年に製作・公開された米国映画。清朝末期に義和団の乱が起こり、
首都北京に義和団が押し寄せて、外国人居留区が包囲されて11か国の居留民が籠城して55日間を戦った物語を
描いている。ジェームス・ディーン主演の「理由なき反抗」のニコラス・レイ監督で主演はチャールトン・ヘスト
ン、エヴァ・ガードナー、デヴィッド・ニーヴン。音楽は「真昼の決闘」や「OK牧場の決闘」などを手がけたディ
ミトリ・ティオムキン。また日本から伊丹十三が当時としては珍しく米国の超大作に出演して日本軍将校柴五郎を
演じている。オーケストラの演奏であるテーマを主題歌として“55 DAYS AT PEKING”は、ブラザーズ・フォア
日本で販売されヒットする。

 


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