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手のひらサイズの疾病検出装置

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      国家は共同の幻想である。
            風俗や宗教や法もまた共同の幻想である。
            国家成立の以前にあったさまざまな共同の幻想は、一つの中心に凝集していったにちがいない。


                                       

                               Takaaki Yoshimoto 25 Nov, 1924 - 16 Mar, 2012 


● 政局は夏の参院選へ:腰砕けか、新経済路線に転換か

政府は2日の繰り上げ閣議で、参院選の日程を6月22日公示、7月10日投開票と正式に決めた。こ
れに対し、英国のフィナンシャル・タイムズ紙は、安倍首相が20年度に向けた財政健全化目標を変え
ない方針を示したことに「どのように目標を達成できるのか不透明だ」と言及。安倍政権の経済政策「
アベノミクス」の「基本的な考え方は合理的」としながらも、実効的な成長戦略がなければ「デフレか
らの脱却は難しくなる」「補強が必要だ」という論評を記載、夏の選挙は「新経済路線」への転換をか
けた信任選挙となりそうだ。。

ここで、少し日本の経済成長と税をめぐる状況を顧みよう。リーマンショック直後の09年と16年に
おける世界の総生産(付加価値総額:GDP)と国内の総生産量の変動を観ると、19年は59兆92
09億米ドル、5兆351億米ドルに対し16年は73兆1709億米ドル、4兆1232億米ドルと
なり世界に対する日本の占める割合は、8.4%、5.6%である。それぞれの変動率を計算すると、
世界は22%像、日本は19%減、占める割合は、33%減。上図の名目GDPの推移をみると、比較
し、GDPデフレーターが過去最高の1994年と比べ名目GDPは20数年間、ほぼ横ばい、GDP
デフレーターに至っては、15~16%と低迷し続けている(データ出典先:IMF)。因みに、15
年の世界総生産量は約8000兆億円、株時価総額は約9000兆円、また、日本の家計資産残高は、
1741兆円、国民総資産(金融資産+非金融資産)は1京円の大台に乗ると見込まれている。

Japan’s sales tax delay raises questions about economy - FT.com June 1. 2016

GDPデフレターが低迷したままなのは、安部政権の緊縮財政と消費税増税の影響であるこれは明確で
あるが、これは当初から、麻生・谷垣と財務省主導派に羽交い締めにされ身動きできなくされてきた軌
跡でもある。消費税増税を柱とする社会保障・税 一体改革関連法を実行した野田民主党から民進党に改
組した岡田代表は、消費増税はやめて足りない分は赤字国債で穴埋めしようと党首討論で提案している
が、これは生前、「赤字国債をバンバン発行して不況を脱しよ!」と提案していた吉本隆明を思い出し
思わず苦笑するが、消費税増税の2、3年先送りなどという「インチング(微調整)」すのではなく、
「凍結」「減税」の方が政策転換の意思表示として遙かに効果があるのだか彼にとってはこれが限界な
のかも知れない。

尚、所得税(応能税)から消費税(応益税)に移行せよと、プラザ合意以降の好況期に産業構造を分析
し、最初に口にしたのも吉本隆明だったと記憶するが、当時、社共左派は低所得者層の逆進性を主張し
反対していたが、わたしは吉本の提案に賛同する。これは右肩上がりの経済状況で正当性を持つことで、
デフレ不況期には有効でなく、インフレターゲットの導入をすませている北欧などの例に学べば良かっ
たし、また、1990年以降のグローバリズムを批判せず鵜呑みにし格差拡大を放置――個人的にはリ
バタリアンや新自由主義を批判的に肯定(こんなややこしい言い方をするのは個人史に関わることで
全くの黒でも、全くの白でもなく部分的に肯定し行動してきたため――してしまう。これが、JR福知
山線脱線事故、福島第一原発事故のトリガーになったのではと考えている、それはそれとして、消費税
を国民福祉税や社会保障税として財務省が川護煕元首相、小沢一郎代表らに働きかけていた。いまでは、
地方分権推進策として、地方自治体への費税(応益税)の全面移譲と法人税の逆累進制の導入に、所得
税(応能税)の社会と安全保障費化を考えるようになる。さて、現実は複雑怪奇に見えて因果応報。社
会現象には必ず原因り、魑魅魍魎ではない。

※ ここのまとめは、このブログを閲覧していただければ粗方わかっていただけると考える。




● 手のひらサイズの高電界非対称波形イオン移動度分光分析

「息で肺がん早期発見へ」(『最新弥生工学の此岸』2016.05.31)でとりあげたのに何故かすっつと素
通りさせてしまったことに気づき、再度加筆する。測定原理は、イオン易動度分光測定式探知器(IMS:
Ion mobility spectrometer)と呼称されるもので、放射性ニッケル同位体元素のベーター線減を使用、大気
中の分子をイオン化させた物をドリフト領域を通過させることにより、移動時間とシグナル強度のグラ
フであるプラズマグラムを測定し、その易動度の差から分子の種類を同定する装置。爆発物探知機、麻
薬探知機、化学兵器探知機として用いら、複数の化学物質が混合している通常の大気に対して30秒程
度で検査することが可能であり即答性が高い。使用目的により空港などに設置して手荷物検査に活用す
る据え置き型の物からフィールド検査を行うための携帯型までいろいろな種類が市販されている。爆薬
、麻薬、化学兵器などの特定の目的に特化した装置ではプラズマグラム上の移動時間のデータベースを
用意しておくことで、爆薬や薬物の種類を自動的に同定して数種の特定化合物に対してアラームを鳴ら
すことのできるようにした操作が簡易化されたシステムが開発されている(詳細は願上/下図ダブクリ)。



具体的に、息に含まれる様々な気体の成分(ブレスマーカー)と疾患をあげる次のようになる。

(1)喘息(慢性閉塞肺疾患:COPD)  一酸化窒素
(2)糖尿病              アセトン/メチル硝酸塩
(3)肺癌               ホルムアルデヒド/アルカン
(4)嚢胞性線維症           硫化物/水素シアン化物
(5)肝疾患              メチルアミン
(6)腎不全                     アンモニア

放射性物質を扱うのが短所とはなるが、下図の特許事例のように、コンパクトで廉価で、1分以内で高
確率で微量濃度目的物(マーカー)が測定できるのがメリットである。パンデミックな伝染病の検疫に
使用できれば、グロバーリズムな、ボーダレスな時代には欠かせないアナライザになる。勿論、検出方
法はこれ以外に該当するものが開発されればこれにこしたことはない。


US 9134272 B2 Sensitive ion detection device and method for analysis of compounds as vapors in gases
ガス中の蒸気のような化合物の分析のための高感度のイオン検出装置及び方法

【要約】 

予備濃縮または分析粒子を捕捉せず、特に大気中で、キャリアガスに溶解または懸濁微量ガス状分子化
合物を検出するイオン移動度分光計(IMS)である。本件のIMSは、イオン化容積が5立方センチメー
トル以上で百立方センチメートル以下が好ましい。本件のより大きなサイズのイオナイザは、気相中の
試料化合物の微量(<1 ppb)の分析ができる。IMSの大容量イオン化及び反応領域を通して効率的な
イオン移動動の促進に、電場勾配をイオン化領域中、または両性のイオン化及び反応領域に設け、シス
テムはコロナ放電イオン源またはイオンが光イオン化により形成でき、放射性イオン源を用いて実施で
きる。サンプルガスは周囲空気にある場合、特定の実施形態では、特にサンプルガスがヒータ前の機器
へ入ると周囲より高い温度で処理され、加熱された試料ガスが加熱接触され機器から排出される。

  

 

 

【ちょっとだけ量子ドット工学講座 11】 

今回も京セラの量子ドット製造方法の基本設計に触れてみたい。下図の図1の構造・構成――p/n接
合された2つの半導体層5、7を光電変換層1として備え、2つの半導体層5、7のうち少なくとも一
方の半導体層7は、球状のナノ粒子9aを含む球状粒子層7Aと多面体状のナノ粒子9bを含む多面体
状粒子層7Bとを有す。半導体層7は、p/n接合面8に近い方に球状粒子層9Aを有する――で、キ
ャリアの収集能力が高く、光電変換効率を高めることができる光電変換装置を提供するというものであ
る。

 

もう少し補足する。省エネルギーかつ省資源でクリーンなエネルギー源として太陽電池の開発が盛んに
行われているが、太陽電池などの光電変換装置は、光起電力効果を利用し、光エネルギーを直接電力に
変換する電力機器。近年、理論的に60%以上の変換効率を可能にするという期待から、次世代の光電
変換装置として、半導体性のナノ粒子(量子ドット)を集積させた集積膜を光電変換層として用いる光
電変換装置が検討されていることは周知のとおり。 上図8(a)は、従来の光電変換装置の断面模式
図であり、(b)は(a)のエネルギー準位を示す模式図である。図8(a)(b)は、光電変換層
101に球形状のナノ粒子103を適用した例である。図8(a)(b)では、例として、半導体層
105をp型、半導体層107をn型としている。また、図8(b)において、符号EFはフェルミ準
位、BCは伝導帯のエネルギー準位、BVは価電子帯のエネルギー準位をそれぞれ表している。価電子
帯のエネルギー準位BVおよび伝導帯のエネルギー準位BCは、図8(b)に示すように、ナノ粒子
103を含んでいる半導体層107側が半導体層105側がよりも高くなるように変化している。しか
し、光電変換層101が同じ形状のナノ粒子103よって占められる場合には、ナノ粒子103の周囲
に結合した配位子成分(リガンド)104の厚みがほぼ均一になる。このため光電変換層101内に形
成されるエネルギー準位の光電変換層101の厚み方向への傾きがほとんど無く、キャリアの駆動力が
低くなっている。その結果、キャリアの収集効率が低く、光電変換効率を高められないという理屈にな
る。このため、エネルギーの傾斜をつくることで電子移動が平滑に行える構造・構成に設計したという
ものである。 

 

 

 

  

     レモネード

   何ヵ月かまえ、本棚を作るためにうちに壁のサイズを

   計りにきたとき、ジム・シアーズは、たった一人の子供を

   エルホァ川の増水でこれから亡くすことになる人のようには

   見えなかった。もじゃもじゃ頭の、きっぱりした男で、

   棚段や、棚受けや、オーク着色の種類の違いなんかについて

   話し合っているあいだ、ぽきぽきと指を鳴らし、生命力に

   溢れた様子だった。でもここは小さな町だ。ここでは世間はほんとうに

   狭いのだ。それから半年ばかりがたも、完成した本棚がうちに届けられ、

   設置されたあとで、ジムの父親であり、「息子の代役」を務めている

   ミスター・ハワード・シアーズがうちのペンキを塗るためにやってきた。

   「ジムは元気ですか?」と尋ねる。小さな町でのありきたりの

   挨拶という以上の意味はなく。すると波は言うI実はジムは昨年の春、

   川で息子のジム・ジュニアを亡くしたんですよと。そしてジムは

   そのことで自分を責めていた。「それから立ち直ることができないんです」と

   ミスター・シアーズは言う。「そのせいでなんだかアクマもちょいと

   いかれちまったみたいでね」と彼はつけくわえる。シャーウィソ・ウィリアムズの

   ロゴ入り帽子のひさしをぐいと引っ張りながら。

   ヘリコプターが息子の死体をトングのようなものでひっかけて、川から

   引っ張りあげる一部始終を、ジムはただそこに立ってじっと見物して

   いなくてはならなかった。「でかいキッチン・トングみたいなのを使ったんでさ、

   こともあろうにね。そいつがケトフルの先についてましてね。でも言うじゃ

   ありませんか。神はもっとも清らかなるものをおそばに召される

   のだってね」とミスター・シアーズは言う。「そこには私らにははかりがたい

   御意思がありなさるんでしょうな」「あなたはそれについてどう考えますか」

   と尋ねてみる。「私は考えたくなんかありませんな」と彼は言う。「神様の

   なさることに疑問を抱いてぱいかん。それは私らにはわがらんこと

   ですもの。私にわかるのは、あの子は今は神様の御もとにいるってことだけです」

   彼は話をつづける。気分転換になるのではないかという一徳の望みを

   抱いて、奥さんがジムを連れてヨーロッパ十三ヵ国を旅行したこと。でもそれも

   無駄だった。彼は沈み込んだままたった。「作戦失敗ってわけだ」とハワードは言う。

   ジムはパーキンソン病にかかってしまった。悪いことは重なるものだ。

   彼は今はヨーロッパから戻ってきている。でも彼はいまだに自分を責めている。

   その朝息子に、レモネードを入れた魔法瓶を車まで

   取りにいかせたことで。俺はなにもその日、レモネードなんて欲しかったわけじゃ

   ないんだ! ああ神様、俺はいったい何を考えていたんだろうと、父親ジムは

   何百回となく――いや何千回となく口にした。まだ耳を傾けてくれる人がいれば

   同じ話を擦り切れるまで繰り返した。だいたいその朝、レモネードなんてものを

   作らなければよかった! 俺はなんていう馬鹿だったんだろう。

   さらに言えば、その前の晩にセーフウェイで買レ物しなければよかった。

   オレンジとか林檎とかグレープフルーツとか、、ハナナとかが置いてある隣に

   あの黄色いレモンを入れた大箱なんかなかったらよかった。

   父親ジムが本当に買いたかったのは幾つかのオレンジと林檎であって、

   レモネード用のレモソなんかじゃなかった。レモンなんて

   いらないよ。彼はレモンが大嫌いだった――少なくとも

   今では大嫌いだ――でも息子のジムはレモネードに目がなかった。

   なにしろ大好物たった。レモネードが飲みたいよと子供が言ったのだ。




   「こういう風に考えてみよう」と父親ジムは言ったものだった。「そのレモソは

   どこか別の土地から来たものに違いない。そうだろう? たぶん

   イソペリアル・ヴァリーとか、どこかサクラメソトの近くから。そのあたりで

   レモンは作られている。そうだな?」人々はそこでレモンを植え、涙痕をし、

   あれこれ世話をする。やがてそれは摘み取り労働者の于で袋に入れられ、重さを

   量られ、箱に詰められ、鉄道だかトラックだかでこの神に見捨てられた上地に送られ、

   そこで一人の男がこともあろうに、子供を死なせちまうことに

   なるのさ! そのレモンの箱は息子のジムとそれほど歳も違わない少年たちの

   手でトラックから下ろされたことだろう。

   レモンは同じ子供たちの手によって木箱から出され、その真っ黄色な

   香ばしい匂いを放ったことだろう。そしてレモソはどこかの子供の手で洗われ

   スプレイをかけられただろう。その子供はまだ元気に生きていて

   今ものうのうと呼吸しながら何処かの通りを歩きまわっているはずだ。それから

   レモンはストアに運ばれて、火箱に入れられ、「最近フレッシュなレモネードを

   飲みましたか?」という客引き文句の下に置かれることになる。

   父親ジムのそのような論理をもっと進めていけば、それは原初の理由にまで

   たどり着くだろう。この大地に植えられた最初のレモンにまで。もしこの世に

   レモンというものがなければ、そしてセーフウェイ・ストアというものがなければ、

   まだジムの息子は生きていただろう。違うか? そしてハワード・

   シアーズにはまだちゃんと孫がいただろう。ごらんのとおり、この悲劇には

   たくさんの人が絡んでいる。農夫がいて、摘み取りの労働者がいて、

   トラック運転手がいて、大きなセーフウェイ・ストアがあって……そう、

   それからもちろん父親ジムも、責任の一端を進んで担うつもりだ。彼こそは

   いちばん罪の重い人物なのだ。でもハワード・シアしズによれば、彼はまだ
 
   痛手から立ち直れずにいた。でもねえ、いつまでもそんな風にしていちゃ

   いかんですよ。もちろん気持ちはわかります。でも、それにしてもです。

   さほど前のことではないが、父親ジムの奥さんはこの町にある

   小さな本工教室に夫を通わせることにした。今では彼は熊やアザラシや

   フクロウやワシや鴎やら、そういったものを彫ろうとしている。でもどれか

   ひとつの動物にうちこむということができない。だからいまだに何ひとつ

   完成させられないんですなとミスター・シアーズは憶測する。問題はですね、

   とハワード・シアーズぱ続ける、父親ジムが旋盤やら彫刻刀からふと顔を

   上げるたびに、子供の姿が目に浮かんじまうってことです。息子の

   死体が下流の水の中から現れ、上にのぼっていって-ちょうど魚を釣り上げる

   ときの要領ですよ!――くるくると輪を描いて回転しながら、モミの樹の遥か上にまで

   引っ張りあげられていくところがです。トングがその背中から突き出して

   いた。それからヘリは向きをかえて轟音と、げたぱたぱたというプロベラの

   音とともに上流に向かった。子供は川岸に並んだ捜索隊の人たちの

   頭上を通り越していった。その両手はがらんと広げられ、水滴をまわりに

   飛び散らせていた。子供はもう一度人々の頭上を通過した。前よりもっと近い

   ところを。そしてほどなく子供は父親の前に運ばれ、その足元にこの上なく

   優しくそっと置かれた。息子の死体が金属製のはさみみたいなもので

   川からつまみ上げられ、頭上でぐるぐると回転させられるところを一部始終

   目にしたばかりの、いまは死ぬ以外に何も望まぬ男の、そのまさに足元に。しかし

   死を得るのは清らかなものだけだ。そして彼は、その清らかさを思うのだ。

   彼の人生が清らかさを受けていたときのことを。いまは失われたその人生を彼がまだ

   清らかに受け取っていたときのことを。

                                 Lemonade

   ● 今夜の一曲


The String Sextet No. 1 in B-flat major, Op. 18, was composed in 1860 by Johannes Brahms. It was published
in 1862 by the firm of Fritz Simrock.

ブラームスは弦楽四重奏曲の分野では、ベートーヴェンの残した16曲の重圧により、40歳になるまで曲を発表
することができなかったが、弦楽六重奏曲においては、古典派の巨匠たちに同様の曲種がなかったという気安さ
から、若くしてこの第1番変ロ長調を残すことができた。またヴィオラやチェロを好み、重厚な響きを好んだブ
ラームスは、2本ずつにふえたヴィオラ・チェロの声部を自在に書くことにより、厚みのある響きや陰影豊かな
叙情性を表現することに成功しているという(Wikipedia)。

 

    

 


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