グローバルとはなにかというと、昔のものとか、今のものとか、新しい技術とか関係
なく、いいものをいいと、直感的に本質を見抜く力、これに尽きると思うんですね。
松山大耕 妙心寺退蔵院副住職
Daikou Matuyama 1978 -
※ 普遍性の獲得。
4日(日)から5日(月)にかけて、強い台風12号が九州北部に接近し上陸するおそれがある。西日本
を中心に、暴風に厳重な警戒が必要なほか、高波、低い土地の浸水、土砂災害、河川の増水や氾濫に
要警戒。3日午後11時には鹿児島県枕崎市の南の海上にあると見られ、1時間に約10キロメート
ルとゆっくりとした速度で北上、中心の気圧は965ヘクトパスカル、中心付近の最大瞬間風速は、
50メートル。
【石庭に隠されたメッセージ】
禅宗の奥義は、四つの特徴教義――「不立文字」「教外別伝」「直指人心」「見性成仏」から構成さ
れ、「心の名である」と言われ、本当のありのままの姿――ひとつの相にこだわらない無相。一処に
とどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼ぶ、ほとけの心のことを「禅」
という言葉で表現される(「禅とグローバリゼーション~本質を見抜く力~日本の価値観が世界で求
められるわけ」松山大耕 妙心寺退蔵院副住職, 2016.07/クロシング)。
これは、慶應義塾の社会人教育機関、慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)が主催する夕学五十
講(せきがくごじゅっこう)の講演での松山大耕講師の記事で、偶然にネットで遭遇し興味を惹く。
禅宗との関わりなく、お向のお家のが曹洞宗の門徒ぐらいで、社内研修での禅修行、座禅瞑想や東近
江市の臨済宗永源寺(京都では竜安寺:上図)程度。
松山大耕は、禅を漢字の構成から「シンプルであることを示す」とし、その実態は次に「座って半畳、
寝て一畳」であり、自分のプライベートスペースは、この畳一畳分だけ、そのなかで寝もし、坐禅も
し、おまけにプライバシーがない。また、例えば、朝早く、お祈りの時間があり、食事は静かにとる
ことはカソリックと似てるところがあると話し、龍安寺の石庭に移る。この庭は、綺麗だけでなく、
「教え」つまり、石庭のなかの15の庭石が縁側から見るが、どこに行っても15個全部見えない。
必ず1~2個隠れて見えないように設計されている。これは設計者の意図が解釈され、「15」とい
う数字の意味には「完全」を表すす。例えば七五三、全部足したら15になるという数字にまつわる
神秘性の表出が、本堂の周りの真砂は光を反射し照明の機能をもたせたという意図(=教え)がある
から美しだけでなく350年間保存継承されてきた解釈する。
次に、人間の能力は自身では測れず、自分たちがわからない限り、客観的な分析はできないので、自
分自身、心をおいた研究ができず、本当に客観的な学問だと思われていた数学や物理の分野でも、心
は今や大事な論題となってきている科学と禅宗に話題が移る。
● 「無意識の意識」の会得修行
座禅体験で1週間寝ないで極限状態で坐禅修行する意味を、伊藤穰一MITメディア・ラボ所長に温ね
ると2つ意味があると言い、1つ目が、「同じ体験をしないとその気持ちがわからない」「だから仏
陀と同じことをやるんだ」と体験が大事ということ。もう1つは、「無意識の意識」つまり、人間を
本当の無意識のレベルから正していかない限りダメでそのために、修業をやる意味があると教えられ
る。MITでも、「無意識の意識」というのはホットな話題の1つで、ある文章をレコーダーで被験者
の声で録音。同じく、日本人の同い年の男性百人に同じ文章を録音し、あとでその録音された声を聞
き、それが果たして自分の声なのか、人の声なのかを判断する実験を行ったところ、人の声を人の声
と判断できる場合もあるが、けっこうな割合で、人の声なのに「自分の声だ」と言ったり、自分の声
なのに「人の声だ」と言ったりするという報告がある。つまり、自分たちの記憶はあてにならという
ということを実証。そこで、比較対象として、同時に、手の甲にある特殊なセンサーを付けて、その
皮膚の反応を調べると、自分の声を聞いたときと人の声を聞いたときと百パーセント正しく判断して
る。つまり意識のレベルでは間違ってるのに、無意識のレベルだと完全に正しく判断できてていると
いう。
Kei Nishikori vs Nicolas Mahut: Online Live
人間が自分で意識できてると思っているのは、自分たちの能力のうちの、氷山一角でにすぎず、水面
下の大半の部分が無意識界。。人間がその極限までいくと、この無意識レベルが低下していく。人間
の本質を変えていかない限り、水面上の部分まで変わらない。そこで、テニスの錦織圭選手は、相手
のサーブを打ってから反応していては絶対にレシーブできないが、彼はサーブの来る場所がだいたい
わかる達人の域に達し、第六感でわかる。直感が働く。これは、トップアスリートのたちは完全に禅
の心理状態まで到達している。例えば、このように考えていくと、「グローバルとはなにか?」とい
うと、昔のものとか、今のものとか、新しい技術とか関係なく、いいものをいいと、直感的に本質を
見抜く力、これに尽きると語り、日本では、宗教が違うからといって争いとか揉めごとは一切起らず、
世界で見れば奇跡的なことで、日本人はもっとそれに誇りをもつべきで、世界はこの宗教観に非常に
関心を寄せいる現実があり、真剣にこれからの世界では日本の宗教界がリーダーシップを取れるんじ
ゃないかなと思っていると結ぶ。
「不立文字」と「悪人正気」。一見する二律背反、懐の深さを競い合うのが宗門の業なれど、「弥陀
仏の御ちかひのもとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへん
とはからはせたまひたるにより」(自然法爾章)も「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏の
いへになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆくときちからをもいれず、こ
ころをもつひやさずして、生死をはなれ仏となる」(正法眼蔵・生死)も仏法で一つとなり、「如来
は我なり、されど我は如来に非ず。如来、我となりて我を救いたもう」(曽我量深)と「悟上に得悟
する漢あり、迷中又迷の漢あり」(現成公案)で「他力」と「悟り」がクロスオーバーすることを、
拝観者への「龍安寺の石庭」のメッセージであり、、衆生の人類は、「無意識の意識」を探る時代、
言い換えれば、第5次産業の萌芽を告げているである、と。わたし(たち)は解したい。
【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】
● 又吉直樹 著 『火花』10
永福町でまた人が降りた。乗ってくる人はいなかった。開いたドアから流れてきた冷たい風が
足元に纏わりついた。動き出した窓に、僕と神谷さんの神妙な顔が映った。
「神谷さん、真樹さんと付き合ってるんですよね?」
僕は気持ちを変えようと、前から気になっていたことを聞いてみた。
「いや、家に住ませて貰ってるだけやで」
「そうなんですか」
初めて真樹さんに会ってから、神谷さんに呼ばれて真樹さんの家にお邪魔することが頻繁にあ
った。外で三人で食事をして一緒に帰ることも多かった。真樹さんは、神谷さんに対して献身的
だったし、僕にも優しくしてくれた。今日、知らない女性達と呑んでいる時にも、僕は真樹さん
のことが何度か頭を過ぎった。真樹さんと三人で呑む方が楽しい。僕が真樹さんを好きな理由の
一つは、神谷さんの才能を認めていることにあった。神谷さんがなんと言おうと、真樹さんは神
谷さんに心底惚れ込んでいる。ということが同じ空間にいてわかった。
「彼女さんやと思ってました」と僕が言うと、
「そうやんな」と冲谷さんは気のない返事をした。
「好きじゃないんですか?」
「お前と喋ってると学生時代思い出すわI
「僕、大学行ってたら、まだ四年生の歳ですからね」
「それは知らんけど。いや、家賃も入れてないし、こんなけ色々やって貰ってるから、ちゃんと
したいねんけど、俺なんかと本気で付き合ったら地獄やでI」
「そうですね」
「否定せいよ」と神谷さんは前を見たまま淡々と言った。
「あいつな、徳永君と行くんやったらIJaうて、いつも金持たしてくれんねん。だから、俺、
毎日お前と遊んでることになってる]
「一緒に住んでて、付き合うという話にならないんですか?]
「何回かなったな。ちゃんとした彼氏作り、って言うた」
終点の占祥寺を告げるアナウンスが流れる。電車は遠慮気味にブレーキ音を立てて速度を落と
す。
「真木さんは、なんて言うんですか?]
「わかったって」
「なんか、嫌です」
真樹さんは吉祥寺のキャバクラで働いていると聞いたことがある。神谷さんが転がり込んだタ
イミングで、カラオケのバイトを辞めて、改の仕事を始めたらしい。電車は吉祥寺に到着した。
渋谷よりも更に温度が低いような気がしたが、僕の身体が芯から冷えているだけかもしれなかっ
た。改札を抜けて北口へ出る。この街の風限は優しい。ようやく緊張感から解放される安堵が全
身に広がっていった。
「ハーモニカ横丁行こか?」
「仔きましょか」
路傍の吐鴻物さえも凍える、この街を行く人々は誰も僕達のことを知らない,僕達も街を行く
人のことを誰も知らない,
※
子供の頃からテレビで見ていた大師匠の訃報が報じられた。底抜けに明るくなくとも、早口で
なくとも、図抜けた声量がなくとも、誰にも真似出来ない漫才が実現出来ることを証明してくれ
た偉大な漫才師だった。もちろん、実際に漫才の世界に入ってみると、強烈な個性と印象でネタ
を引っ張るのではなく、純粋な話芸だけで漫才を成立させることがいかに難しいことであったか
思いしらされもした。だが、漫才とは二人で究極の面白い会話をするものであるという根本に立
ち戻らせてくれる、貴重な存在だった。
訃報を聞いてから、僕はいてもたってもいられなくなり、高円寺の自宅から程近い公園に相方
の山下を呼び出した。すぐにネタ合わせがしたくなったのだ。ネタを考えながら口で合わせる時
は新宿の喫茶店。実際に立って合わせる時は、この公園が多かった。相方は僕の衝動に同調する
タイプではなかったので、突然呼び出した理由には触れなかった。古い自転車のブレーキをキー
キー響かせ到着した時から相方の機嫌はよくなかった。暇さえあればネタ合わせをやりたい僕と
違い、相方は直近にライプがない時のネタ合わせは気が乗らないようだった。取りあえず、次の
オーディションでやる予定のネタを合わせてみたが、あまり上手く行かない。繰り返し何度もや
ってみたが、いつも以上に噛み合わない。お互いのテンポがまるで合っていないのだ。相方は僕
の言葉を聞いていない。耳で聞いていないから、トーンが合わない。僕は相方の言葉を聞いてか
ら次の言葉を話すので、一瞬の間が空いてしまう。日常の会話なら気にならない程度の間ではあ
るが、相方の話す速度の中では、その間が異様に際立ってしまう。
もっと僕の言葉を聞いてから反応するようにと相方に要求すると、「何回もやってるネタで、
聞いてくれって言われても」と返ってきた。反射的に殴りそうになった。こいつは何もわかって
ない。新ネタなどは毎日でも作れる。漫才はそういうことではないのだ。そんな感覚でやってい
るから、いつまで経っても僕達には自分達のリズムというものが見つからないのだ。ベンチに座
り、無言の時間が暫く続いた。陽が傾き始め、すぐ裏の純情商店街からは惣菜の匂いが漂ってき
ている。部活帰りの女学生達が笑いながら僕達の座るベンチの前を横切っていく。それぞれ、何
か細長い物体に黒い布を披せたものを持っている。あれは弓だろうか、あるいは薙刀か、いずれ
にせよ武器の類だろう。
「ネタ合わせ大事なんはわかるけど、俺にも予定はあるし急はやめてや」と相方が言った。
漫才をやるために上京して来た僕達に、漫才よりも優先するべきことなどないのにだ。
「ほな、来る前に言えや!」
珍しく怒声を上げた僕は、その叫んだ勢いのまま帰ろうと、咄嵯に立ち上がった瞬間、強烈な
力によってベンチヘと引き戻された。デニムのバックポケットに入れていた財布とベルトループ
に付けていたウォレットチェーンがベンチの溝に挟まっていたのだ。怒って帰ったはずの僕は、
元通り相方の横に収まっていた。相方が俯き笑いを噛み殺していた。
僕は、ゆっくりと両手を使い鎖が切れないように、ウオレットチェーンをベンチの溝から外し
た。その一部始終を相方に見られていた。そんな不惘で憐れな僕の横で、相方は作り物の平然面
を浮かべていた。
血が昇った頭を鎮めるためトイレに行った。僕達はネタのことになると揉めることが度々あっ
た。それは方向性の違いというよりも、意識の違いによるものだった。僕は.人で焦り過ぎてい
るのかもしれない。だが、紬‥谷さんは毎日のように大林さんとネタハnわせをしていた。その
姿勢を見ていると、それは若手芸人にとって常識的なことのように思われた。トイレを出て相方
の方には戻らず、仲谷さんに電話をかけた。
ネタハロわせをしていて、相方と揉めたことを簡潔に話した。ウォレットチェーンの件は敢え
て話さなかった。腹の立つ話が、面白い話になってしまう可能性があったからだ。感情的には後、
二、三日寝かさなければならない。
「殴ったろうかなと思ってるんです」
そう言葉にしてみると、実際に自分がそうしたいように思えてきた。僕達は殴り合いの喧嘩を
したことがなかった。それをすることによって、何かが変わるかもしれない。
「殴ったら解散やで。だから、手は出したらあかん」と神谷さんが優しい声で言った。
その神谷さんの後ろで、誰かの話し声と笑い声が幽かに響いている。
「腹立つんです」と僕は子供じみたことを言った。
神谷さんが何かを飲み、グラスをテーブルに置く音が聞こえた。
「ネタ合わせ終わったら、家おいで。一緒に飯食おうや。お前、一番好きな食べ物なんや?」と
神谷さんが言った。御馳走してくれるのだろう。
「焼き肉です」
僕は正直に答えた。
「違うやん。お前一番好きな食べ物なんや?」と神谷さんが同じ質問を繰り返した。現実的に家
で食べられる物を言えということだろうか。
「お前の一番好きな食べ物なんや? って聞いとんねん」
「鍋です」
そう僕が答えると、神谷さんは黙りこんでしまった。神谷さんの沈黙の奥から、大勢の笑い声
が響いている。
「な、鍋?」
ようやく、神谷さんが言葉を発した。
「はい、鍋です」
「あんた鍋食べんの?」
「いや、よう一緒に食べてますやん」
「えらい丈夫な歯しとんねやな」
「いや、違いますやん」「僕は歯が弱いからあかんけど、鉄の鍋と土鍋とどっちがいいの?」
「何を言うてますの」
神谷さんが急に馬鹿になってしまった。
「どちらが、囓りやすいの?」
「いや、鍋って、鍋そのものは食べないんですよ」
「お前、鍋食うって言うたやないか?」
「言いましたけど、鍋の中身を食べるんですよ」
「鍋の実かいな?]
「そうです」
「鍋の実?鍋の、どこ剥いたら実が出てくるの?」
「果物みたいに言わんといてください。だから、水炊きとかキムチ鍋とか、散々一緒にやってる
でしょ」
「つまり、鍋料理のこと言うてんの?]
「そうですよ。なんで急に阿呆になったんですか? しつこくて、ちょっと怖かったですよ」
「ほな、牛の牛肉買っとくわ」
「牛肉は牛です,阿呆やなあ」
僕が失礼な物の言い方をすると、神谷さんはクククと一人で笑い、
「難しいな、ほな今夜はジンギスカンにしよ」と言った。
「余計、難しいです」
「お前、あのジンギスカン用の鍋持ってるか?」
「持ってるわけないでしょ」
相変わらず、話し声と笑い声と大きな拍手が聞こえてきた。テレビを流しながら酒を存み、適
当に話していたのかもしれない。
電話を切り、話し込んでしまったことを後悔しながら、相方の所に戻った。神谷さんと話した
ことにより気持ちは充分過ぎるほど落ち着いていた。相方は携帯の画面を見つめ、ベンチで足を
組み、片方の汚れた黒のジャックパーセルを空中で揺らしていた。
相方は、突然「三つ謝るわ」と言った。相方に謝られたことなんて今までにない。
もちろん、僕も相方に謝ったことなどない。説明は難しいが、コンビというのは、そういう独
特の関係性なのだ。ましてや、僕達は中学からの同級生なのだから、少々揉めたぐらいで謝罪と
いう習慣はない。
「まず、一つはネタ台わせより大事な予定があるみたいに言うてもうたこと」
本当に、三つ謝るようだった。
「もう一つが、ネタ考えてるのはお前やのに、ありネタのこと言うてもうたこと」
しっかりと謝ってくれている。急に恥ずかしくなってきた。
「もう、一つが」
そう言ったまま相方は黙ってしまった。最初は感情が昂ぶって言葉にならないのかと思ったが、
表情を見る限り、そうではないようだ。同じ場所に繰り返し唾を叶いて地面を湿らせている。こ
れは、困った時によくやる相方の癖だった。なぜ、二つしか謝ることがないのに、三つ謝るなど
と言い出したのだろう。おそらく、何を言うのか途中で忘れてしまったのだろう。相方も、それ
なりに阿呆なのである。買い物袋を持った人達が純情商店街のざわめきを引き連れ公園を突っ切
っていく,僕達はベンチに腰掛けたまま、夜の気配に言葉を溶かし、あらゆることを有耶無耶に
して何事もなかったかのような顔でいた。
今夜は、スパークスの乞うご期待と言うことで、次回に。
この項つづく