世界自然遺産に登録されている小笠原諸島(東京都)沖に中国船とみられる不審船が押し
寄せているという。目的は高級サンゴの密漁とみられ、その数は日を追うごとに増加。夜
間には水平線に不審船の明かりが並び、島の近くまで接近する船もあるという。突然の「
赤い海賊」の出現に地元漁業にも影響が出ており、国境の島では不安が広がっているとい
う。これが政治的な意図をもつ行動なら即、国際紛争となる。それとも、一獲千金の「海
のゴールドラッシュ」ならぬ、「コーラルラッシュ」なる経済行為なら、国内法・国際法
を遵法するまでのこと。中国政府による無用な引きの延ばしは、自らを貶めるだけだ。
【脱ロスト・スコア論Ⅰ】
● たまには熟っくりと本を読もう
高橋洋一著 『「成長戦略」の罠―「失われた20年」
「民営化」「規制緩和」を巡って新旧(保革)勢力の対立が起きることは世の常であるが
痛みをともなわない社会政治の体制シフト策が見いだせればそれは上策だが、それも難し
そうだ。そのことをこの項で垣間見ていこう。
第2章 「第3の矢」成長戦略の罠
■ 失敗の責任を取らすに天下り
国会の場で追及されたとはいえ、結局「キバセン」問題の責任を行政側が取ること
はなかった。民間企業なら考えられないことである。
特殊法人が法律によって解散し、清算手続きをしたということは、民間企業の倒産
に等しい。会社が倒産すれば、経営者は負債を返済しなければならない。あるいは株
主から損害賠償請求される。しかし、基盤技術研究促進センターも、経産省も総務省
も、当時の首脳は何の責任も取らなかった。それどころか、別章で論じる「天下り」
を堂々とやってのける御仁までいたのである。
前に掲げた議事録で、計屋氏は「解散時の(センターの)役員は再就職したのかど
うか」「センターの出資先である会社の役員に天下りがいたのではないか」と質した
が、小川政府参考人は「(出資先の)研究各社の役員に公務員OBはいなかった」「
再就職も退職金も(民間なのだから)各社の手続きに従った」と巧みに答弁している。
しかし「キバセン」の最後に理事長を務めた人物は国土庁(現 国土交通省)審議
官からの天下りであり、センター解散後は財団法人日本品質保証機構の理事長に就い
た。その後、リース事業協会副会長も務めている。これを天下りと言わずに何と言え
ばよいのか。
ちなみに政府参考人として国会に出席した小川洋氏は福岡県出身で、京都大学法学
部卒業後、1973年に旧通産省に人省したバリバリのキャリア官僚である。特許庁
長官を最後に退官し(2005年)、三井住友海上火災保険の顧問に。天下り〃した
かと思うと、その1年後には内閣官房に返り咲き、知的財産戦略推進事務局長や内閣
広報官を歴任。そして今や、出身地・福岡の県知事である(2011年当選)。見事
にキャリア官僚を絵に描いたような人生を送られている。
■ だから官僚の"産業投資"は失敗する
「キバセン」以外にも、私が見聞した産業政策の失敗事例を挙げてみよう。
まず「第5世代コンピュータ」だ。通産省(当時)が1982年に立ち上げ、10年
の歳月をかけて行なわれた国家プロジェクトで、570億円が投入された。しかしア
プリケーションのないマシンしかできなかった。
日本独白のコンピュータ開発を標榜し、「述語論理による推論を高速実行する並列
推論マシンとそのオペレーティングシステムを構築する」というのが目標としてのお
題目だったが、結果は明らかな失敗である。にもかかわらず、政府は「当初の目標を
達成した」とか言ってのけた。
このような言い方には注意が必要である。そもそも当初の目標がはっきりせず、後
で言い訳している場合が多いからだ。公的資金が投入され、誰かの人件費になったの
は当然であるが、その成果が社会に有用でなければならない。
次に「シグマプロジェクト」である。ソフトウェア技術者の不足に対応することを
名目に、1985年に策定されたものだ。やはり主導したのは通産省で、外郭団体の
情報処理振興事業協会(IPA)が音頭をとり、1990年4月にコンピュータメー
カーやソフト会社50社が出資して事業会社「シグマシステム」を設立した。しかし、
わずか5年後の1995年には解散してしまった。方向性を見誤ってプロジェクトは
失敗し、最終的に役人された公的資金は250億円と言われている。
この手の話は、霞が関では氷山の一角でしかない。ここまでひどい例はそうないか
もしれないが、会計検査院が本腰を入れて調べても、すでにプロジェクトは終了した
後だ。「キバセン」の事例などはよくあるが、会計検査院が事後的に調べたものとし
てはレアケースなのである。
失敗が明らかなとき、官僚がどういうオペレー・ションをするかというと、前述し
たように「まだ成果が出ていません」という言い訳をする。そして責任者が表舞台か
らいなくなるのを待つ。予算査定や会計検査する側も官僚だから、怪しいと思いつつ
も、決定的な証拠がないこともあって、そのあたりは阿吽の呼吸で深く追及できない。
こうして、いよいよどうしようもなくなったときに処理される。しかし担当者はす
でにいなくなっているから、責任の所在はうやむやのままだ。もちろん検証されて反
省材料とすることもない。だから自分のお金で投資を行なわない役所に、責任を伴う
投資は無理なのだ。
「キバセン」も「第5世代コンピュータ」も「シグマプロジェクト」も、税金の壮大
な無駄遣いだった。
私の役人時代には、そうした話がたくさんあった。あるとき、プラズマテレビに補
助金をつけるという話が出たが、当時でも液晶テレビは猛烈なコストダウンの最中で
あったので、プラズマテレビを政策的に支援する理由を担当者に質問したところ、明
快な返事はなかった。「補助金をつけないと担当者の仕事がなくなる」ということだ
けを言っていたようだ。その後、プラズマテレビは、液晶テレビの大型化の前に衰退
している。技術の動向を官僚が読めないという典型的な事例である。
■ ネット関連の規制緩和に抵抗する官僚たち
見てきたように、第3の矢=成長戦略は「産業政策」(産業ターゲティング・ポリ
シー)ではなく、「民営化」や「規制緩和」に徹すべきなのである。なお「民営化」
は究極的な「規制緩和」とも言えるので、以下では「規制緩和」は「民営化」も含め
た意味で用いたい。もっとも、今の成長戦略に「民営化」が含まれていないので、
「規制緩和」とだけ言っても間違いではない。私としては、「規制緩和」(含め民営
化)とは皮肉の意味も込めている。
現政権には、相変わらず産業政策が好きな人が多いようで気になるところだ。私は
改訂前の「成長戦略」(日本再興戦略)をチェックしていて、このことに気づいた。
今では産業政策もそれなりに進化している、という意見もあるだろう。一例として
ベンチャー支援事業を挙げよう。
独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が、研究開発型ベ
ンチャーについて、人件費650万円や活動費1500万円を支給する起業家支援プ
ログラムが話題となっている。7月下旬から8月上旬まで全国各地で聞かれた説明会
は盛況だった。
このプログラムは、①事業構想を有する起業家候補(スタートアップイノベーター
)を公募し、そのビジネスプランの構築等の事業化可能性調査を行なうこと、②起業
家候補に対し、事業化支援人材(事業カタライザー)が必要な助言・指導等の支援を
行なうことから構成されている。
誰が起業家候補を選ぶのかがポイントであるが、それはNEDOである。一応、形
ばかりに外部の意見を聞き、事業化可能性調査は外注するし、事業カタライザーも外
部化しているが、あくまで起業家候補を決める主体はNEDO、つまり事実上官僚で
ある。
「起業家支援」という政策目的は理解できるとしても、その手段において官僚が補助
対象を選定し、補助金を交付するという方法がふさわしいだろうか。当然、官僚に起
業家支援をする目利きなど、できるはずがない――と言うと、「そのために事業化可
能性調査や助言は部化している」と反論されるだろうが、そうした重要部分で外部化
するくらいなら、もっと別の方法で起業家支援は可能だ。
たとえば起業家支援で資金拠出した場合、その一定割合(8割など)を税額控除す
るという方法がある。この場合、税額控除は一定割合なので、一部は自己負担となる。
つまり事業化が失敗したら、資金拠出者には損失が生じるのだ。事業化可能性調査や
助言は外部化するとしても、失敗の責任が自分にかかるわけなので、支援対象を選択
し判断する責任は、官僚よりも重くなるだろう。
つまり、こうしたメカニズムを使えば、官僚の選定よりもまともな者を選びうるわ
けだ。税額控除というのも公的資金の使い道であることには変わりない。ただし、責
任をとらない官僚による補助対象の選定や補助金の交付よりも、一部であれ自己負担
する民間によるほうが、国民にとって納得できるのではないだろうか。
こうした発想は、今の官僚にはあり得ない。というか、お金を国民から税金として
集め、それを国民に配分するのが官の役割と信じて疑わないから発想できない。税額
控除のように、官をぶI抜き・して民から民へ資金配分するのは官の否定になってし
まう。
ただし先進国では、税額控除も「租税歳出」という名称で、立派に政策になってい
る。官による配分はいつも正しいとは限らず、むしろ不正や無駄遣いの温床にもなり
得る。そうした官による資金配分の独占を打ち破るためにも、新しい発想が必要だ。
民間に研究開発型ベンチヤーを求めているが、むしろ斬新な発想が必要なのは、古い
タイプの産業政策に依存している政府のほうではないだろうか。
こうした今の産業政策例をみると、やはり規制緩和のほうがまともだ。
今の政権で行なわれている規制緩和の一例として、まず医薬品のインターネット販
売を取り上げてみよう。こうした「新しいもの」は、官僚の抵抗がいかはどなのかを
見るにはいい例である。
インターネットを使ったサービスや制度を実現するための規制緩和、およびweb
がなかった時代の古い規制を新しい時代に合わせることについての賛否によって、進
取度が分かるというものだ。具体例としても、インター不ットでの医薬品販売に限ら
ず、遠隔医療、行政への届け出、インターーネット選挙、遠隔教育などいろいろある。
インターネット関係のものを。受け入れがたいもの〃とするために、官僚がよく使
うのが「対面」という概念だ。
私は税務の電子申告を利用している。この実現に関して10年以上前の企画当時に若
干関わった経緯があるのだが、一歩ずつ、ゆっくりではあるが着実に進んできたと思
う。まだまだ改善の余地はあるが、今では前より税務申告は格段に楽になった。
税務の電子申告では本人確認を住基カードで行なうが、これは3年で更新しなけれ
ばならない。わざわざ更新期間を設けているのは「対面」を要求する一例である。最
初に住基カードを作製する際の「対面」は理解できる。しかし、住所など基本情報に
一切変更がなくても、私の住む地域では更新時にも「対面」が要求される。そこで更
新手続きのために役所に行ってみると、必要事項を職員が再人力するだけだった。と
ても「対面」が必要なこととは思えなかった。
役人が「対面」を求めるのは行政手続きだけではない。審議会はその典型だ。しか
し、最近はいろいろな動きがあり、たとえば産業競争力会議と規制改革会議で、テレ
ビ・電話会議の扱いが違っている。
産業競争力会議では、産業競争力会議運営要領に(議長は、必要があると認めると
きは、会議の開催場所とは別の場所にいる構成員に対し、情報通信機器を活用して会
議に出席させることができる》と明記されている。現実の会議運営としてもテレビ・
電話会議がまったく支障なく行なわれている。
一方、規制改革会議では、運営規則では特に明記されていない。もっとも2013
年1月24日の第1回会議には、長谷川幸洋委員が電話会議で参加したところが、続く
2月15日の第2回、岡素之議長(住友商事株式会社相談役)から、《規制改革会議で
は対面での議論を重視し、出張先等からの電話会議方式によるライブ参加は今後実施
しないこととし、御欠席の場合は事前に意見を書面で提出いただき、他の委員の発言
は後日公表する議事概要を御参照願う形とする》(議事録)という発言があった。若
干の質疑があり、電話会議方式は排除こそしないものの、原則として実施しないこと
が決まった。そして実際に2回目以降、欠席者は紙で意見を出している。
医薬品については、対面販売なら年齢、妊婦、病気の重篤感など、購入者の適合
性も現場のやり取りで判断はつくが、ネット販売では適応年齢以下の者が商品を購入
した事例もあり、圧倒的に危険性が高い――というロジックである。
しかし、一般用医薬品のネット販売を禁止する省令は、2013年1月に最高裁が
違憲判決を出している。さらにネット販売では「トレーサビリティ」も高く、購入者
が誰かを把握できるため、購入者に何か不具合が生じれば服用を中止させることが可
能になるという、「対面」にはないメリットもある。しかも、基本的に医薬品のネッ
ト販売は諸外国で認められている。
以上の経緯を経て、結果として2013年6月から、医薬品のインターネット販売
解禁が実現した……ということになっているが、実際には、「一部解禁」だ。
処方薬から大衆薬にスイッチした直後の品目など28品目については、引き続きイン
ターネット販売は禁止。さらに処方薬のインターネット販売も(スイッチ直後品目で
さえ禁止なのだから当然に)禁止とされた。
引き続き禁止されている理由は、合理的なものとは思われない。
リスクの高い医薬品については、薬剤師が「対面」で接して注意事項の確認などを
しないと危ない――ということなのだが、数多くの注意事項の確認は、本来、店先よ
りもインターネットで行なうほうが確実である。
「五感を用いた判断が必要だから」という議論も出てくる。だが具体的に「五感」で
何を判断するというのか、突き詰めていくと何だかよく分からない。
結局、明確な理由を欠いたまま、昔ながらの薬局が守られたのでないか、と考えざ
るを得ないのだ。
■ 電力の自由化はどこまで進んだか
次に、規制緩和の目玉である電力自由化はどうなのか。
安倍総理は「岩盤規制に切り込むドリルになる」との決意表明を何度も繰り返して
いる。総論で規制改革を唱えることは、そう難しくはないが、問題は各論である。
電力自由化は以下の3段階のうち、本書執筆時点では「第2弾」の段階だ。
●第1弾(2013年法案成立)
・広域的運営推進機関の設立(2015年目処)
・第2弾以降のプログラムを定める。
●第2弾(2014年法案提出)
・小売事業参入の全面自由化(2016年目処)
●第3弾(2015年法案提出予定)
・小売料金の全面自由化、発送電の法的分離(2018年~2020年目処)
第2弾の改正電気事業法は、これまで大口のみに限られていた小売自由化を、家庭
などを含めすべての小売市場に広げようというものだが、2014年6月11日に成立
した。
この方針自体は、まったくそのとおりだ。問題は、その効果がきちんと発現される
ようになっているかどうかである。
小売市場では、これまですでに電力量の62%が自由化済みだ。ところが、その自由
化の結果として競争状態が生じているかというと、まるでそんなことはない。
電カシステム改革専門委員会報告書(2013年2月)でも認められているとおり、
一連の改革の後、一般電気事業者による事実上の独占という市場構造は基本的に変わ
っていない」のが実情だ。新規参入後のシェアは、自由化された需要の3・6%(2
011年度時点)。地域を超えて他社管内で小売供給を行なった事例は1件である。
理由としては「送電網の開放」が不十分であることが大きい。
一般電気事業者が発電部門をほぽ独占的に支配し、同時に送電網も所有している状
態では、新規参入者に対して託送(たくそう)条件の制約などが課されがちだ。
「30分同時同量」に基づくペナルティといった、新規参入者に対して差別的に課され
る制約もある。これは電力の需要と供給を絶えず一致させるように、瞬間的な需要と
供給がずれても30分間の総量(kWh)で需給の辻棲を合わせるという、新規参入者に
対する規制だ。需給ギャップが3%以上になった場合には、電力会社にペナルティ料
金を払って調整してもらう必要があり、新電力にとっては事業を拡大するうえで障壁
になっている。
このように「送電網の開放」を十分行なわないまま自由化を進めても、これまでの
二の舞になりかねない。
だからこそ、発送電分離の議論が重要なのだが、これは次の課題として先送りされ
たままで、十分な分離がなされるのかどうかも不明である。逆に言えば、発送電分離
こそが、岩盤規制のキモになっていて、そこにドリルで穴を開けられるかどうかがポ
イントになっている。
なお電力自由化は、「脱原発」と「成長」をどのように両立させるかという命題の
カギでもある。原発コストが高いのは明らかなのだから、電力自由化で自ずと脱原発
になる。これは経済界でも受け入れられるロジックだ。しかも、電力自由化によって
エネルギーコストの低下となり、経済成長に寄与する。
ただし、電力自由化の結果、自然エネルギーが必然ではなく、環境を含めたコスト
の安いエネルギー源が選択されることもありえる。その場合、自然エネルギー指向は
電力自由化では必須アイテムでない。こうした意味から、電力自由化は単なる経済問
題を超えて、社会の仕組みをも変える潜在力を持っているのだ。
高橋洋一 著 『「成長戦略」の罠―「失われた20年」は、さらに続く』
なお、蛇足ながら、電力自由化を巡る抗争の項における「持続可能な自然エネルギーのコ
ストが高いという高橋の主張(先入観)だけは意見を異にすることは、このブログを読ん
でいただければ理解していただけるだろう。
でたらめな時代に立ち向かえ
正しさを間違えてしまう前に
強すぎる弱さとの戦いで
手も足も出なくても歌があるぜ
あれたち二人の瞳いくつでも未来が映る
行き着<場所は同じさ生き方が違うとしても
いつかのどこかじゃなくて聞いてくれここで命の声を
レールをつなぎルーツをたどリ生命線でワルツを踊れ
" 生命のワルツ "
作詞/作曲 菅原卓郎/滝善充
9mm Parabellum Bullet
※ " Bellum omnium contra omnes " / 万人の万人に対する戦い
トーマス.ホッブズの言葉。自然状態において自然権を行使することにより,「人は人に対
して狼となる」ので、自然状態は「万人の万人に対する戦い」の場にほかならないと考え
た。これを克服するために、社会契約によって各人が同時に自然権を放棄し、国家を形成
し、この保護のもとに平和と安全を達成するしかないとの社会契約説が展開される。
※ " Si vis pacem, para bellum " / 汝平和を欲さば、戦への備えをせよ
ラテン語の警句である(未詳)。通常、「peace through strength」つまり、「敵に攻撃され
る可能性の少ない強い社会」を意味すると解釈される。
※ "9mm Parabellum Bullet" は日本のロックバンド。2004年に結成。2007年よりUNIVERSAL
MUSIC JAPAN傘下のEMI RECORDSに所属。メンバーは菅原卓郎、滝善充、中村和彦、か
みじょうちひろの4人。バンド名の由来は「9mmパラベラム弾」より。