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再エネ先進国モンゴル

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     幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。   

                         トルストイ著 『アンナ・カレニーナ』

                                                                                                                                                                                                             Sep. 9,1828 - Nov. 20, 1910

 



【滋賀産鮎煮干しラーメン】

鮎ラーメン開発はこのブログのテーマ1つであったが、3年前?ほどから関東で 鮎ラーメンが販売され
ている模様(現地試食したことはない)。元々のモチーフは、滋賀の名産品(食品)といえば、鮒寿司
焼き鯖、近江牛、赤こんにゃく、日野菜漬、瀬田シジミ、糸きり餅、でっち羊羹、焼きサ鯖そうめん、
うばがもち、伊吹そば、バームクーヘン豚、三井寺力餅、鮎の佃煮、日野菜着け、ビワマス、赤丸かぶ、
北之庄かぶ、水口かんぴょう・・・ と地味である。小鮎や養殖鮎が生かせないかと考えた上での設定。そ
れが、他府県に先を越された格好としまりのない話になっている。そんな時、焼きあご塩らー麺「たか
はし」が火を付けたとされるあごに煮干しの話題が飛び込んでくる。飛び魚はわたしの好物で、10年
以上前に、6月の飛び魚の刺身を食べに屋久島に出かけたのだが天候が悪く実現しなかったほどで、幼
少のころ甲子園沖合の飛び魚の銀鱗を眺めていたものだが小さい頃からの好物。

  焼きあご塩らー麺 たかはし

そのあごだしは、九州では飛魚のことをあごと呼び、焼いて乾燥させたものをだしとして使う。一説で
は、「あごが外れるほどおいしい」ことからこの呼び名になったとも。長崎県など北九州を中心に獲れ
る魚なので、この地域では新鮮なものは刺身でも食べる。あごだしの用途は多岐に渡るが、麺類のつゆ
や和風料理に深みを与えると言われて重宝され、九州エリアでは最高級のだしとして、お正月に食べる
お雑煮などにも使われる。また、中華料理の隠し味に使われることもあり、現在では「あごだしラーメ
ンは絶品」と巷で話題。あごだしラーメンを食べた人の感想を見ると、かつお節・煮干し・ハマグリや
アサリなどの貝のだしを混ぜたような味という感想。昆布とかつお節のだしの味に慣れている人は、は
じめてあごだしを口にするとその味の違いに驚く。 焼きあごを使っただしの味は、「上品ですっきり
とした甘みがあり、深いコクと旨みを感じられる味」と言われている。その他の魚の煮干しとは違い、
おすましにも使えるほど臭みやにごりがないだしがとれるのが特徴だ。このように上品であっさりとし
た味わいでありながら旨みとコクは深いので、お吸い物やだし巻き、煮物などをワンランク上の味にし
てくれます。この他にも、鍋料理やラーメン、うどんのつゆや天つゆなど様々な料理に使えるだしなの
で、ストックしておくと便利だとか。



焼きあごや焼きあゆの煮干しのうまみ成分を分析したことも、データも見たこともないが、干し貝など
の味がする感想を見る限り、イノシン(5'-IMP)を主成分にグルタミン酸のほかに微量のコハク酸
が検出される可能性がある。小鮎(成長した鮎)を焼き煮出しで出汁を取り、、焼き豚や焼き鮎、干し
鮎を乗せ、糸切りネギを入れ、極少量のハーブスパイス(山椒の若芽など)やオリーブオイルを添える
と絶品の醤油系、豚骨系のご当地ラーメンが完成する。

    

焼豚も、豚肉スライスと鮎の魚肉をハサミロール上に巻き上げ、豚肉が硬化しないように加圧加熱し、
うま味を閉じ込め、焼肉のバリエーションを工夫しても面白いのではないだろうか。ところで、わたし
の身体が悪くなったら代わりに食事を作って欲しいと彼女が突然言うので、ひとつ返事で快諾する。料
理には、根拠がないが変な自信がある。 

 




【RE100倶楽部:再エネ先進国モンゴル】

9月9日、ソフトバンクの孫正義社長は、都内で講演し、モンゴルの風力発電所で作った電力を日本へ
送る構想について、事業性を調査したところ「技術的にできる。石炭火力よりもだいぶ安く(日本へ送
電でき)いけそうだ。採算あり」と手応えを語る。「2020年にはほんの少しでも、(日本とモンゴ
ルの電力網が)つながっていたい」と実現に向けて決意を語った(「モンゴルから日本への送電、「技
術的にできる」-ソフトバンク孫社長」日刊工業新聞 電子版 2016.09.10)。その孫正義社長が率いる
ソフト・バンクエナジー社は、9月28日、モンゴルの Clean Energy Asia LLC社が国際協力機構(JIC
A)と欧州復興開発銀行(EBRD)とともに、モンゴル国ウムヌゴビ県ツォグトツェツィー郡での出力規
模5万キロワット(50メガワット)の風力発電所建設プロジェクトにかかる融資契約を締結している。

再エネ発電は風力と太陽光として、送電は無線/有線が考えられるが地下ケーブル(できれば、送電損
失のない超伝導電線)で送電するとして、問題は蓄電方式。1つは、リチウムイオン電池やNAS蓄電
池などの蓄電池方式と水素貯蔵方式の2つが考えられるが、後者は、輸送基地が駆歩できれば、船舶で
消費地で輸送し燃料電池で再発電できる(下図の固体高分子型水電解水素発生装置はブログ掲載済み)。

 

折しも、9月29日、東芝、東北電力、岩谷産業の3社は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術
総合開発機構が公募した「水素社会構築技術開発事業/水素エネルギーシステム技術開発」に共同提案
し委託事業として採択を受けたことを発表。今回の事業は、福島県内を実証エリアとして、水素の貯蔵・
輸送・利活用までを含めた水素エネルギーシステムの構成と仕様を検討し、事業可能性を調査する。具
体的には、再生可能エネルギーを中心とした電気を活用し、福島県内に「世界最大規模」という最大1
万キロワット(=1メガワット)級の水素製造装置を設置する。そこで水素を製造し、電気系統の安定
運用に貢献するシステムを検討する。製造した水素は、水素発電装置により、電力系統の調整力とし
て活用するほか、液化して東北エリア内外へ供給することを想定する。新たな制御システムは、「水素
エネルギー運用システム」、「電力系統側制御システム」、「液体水素需要予測システム」の3つを協
調することで、水素製造量と水素発電量、水素ガス供給量の最適運用を目指す(なお、同事業の検討結
果は17年9月までにまとめる予定)もの。今、再エネ先進国をめざすモンゴルが熱い。アジアスーパ
ーグリッド構想が動き出す。 

【折々の読書 齢は歳々にたかく、栖は折々にせばし】    

   Jun. 26, 2016

 

● 朝日新聞「迫る2025ショック取材班」

          『日本で老いて死ぬということ』3 

  [目次]

   はじめに

   第1部 日本で老いて死ぬということ

  第1章 生きがいの喪失と回復
  第2章 難しい「平穏な在宅死」
  第3章 口から食べたい
  
  第2部 介護の現実~在宅・施設それぞれのリアル

   第4章 三人介護
  第5章 遠距離介護
  第6章 ダブルケア
  第7章 虐待を防ぐ
  第8章 在宅でみる 
  第9章 訪問看護師の力
  第10章 特養で看取る

  第3部 老いは地域社会で見守れるか

    第11章 地域で暮らす
  第12章 コミュニティ再生
  最終章 未来へつなぐ

  おわりに

  第1章 生きがいの喪失と回復

    役割得て回復

  生きがいを見いだし、うつから回復した人もいる。横浜市西区の男性(80)は2001年、協腹
 に痛みを覚えた。いくつかの病院を回ったが、異常は見つからない。「自律神経失調症」との診断
 だった。2003年、男性を診た精神科医の三木和平医師は「仮面うつ病一を疑った。
  男性は抗うつ薬を飲むと、痛みもとれてきた。2010年ごろに現役を引退した後は、地元の老
 人クラブの役員になり、地域の清掃活動などをしてきた。「退職後は不安だったが、老人クラブの
 仕事を阿て、心の支えになった」
  2015年4月には老人クラブの会長として、約70人の会員のトップに立った。すると数カ月後、
 いったん改善したうつが再発した。抗うつ薬を増量し、症状は改善した。三木医師は「老人クラブ
 に入ったことが、うつの改善に役立った一方で、会長になって心理的な負担が増えてしまった。適
 度な役割をもつことが大切だ」と話している。

    増える「孫離れうつ」

  高齢者のうつ病に詳しい北里大学北里研究所病院精神科の高橋恵医師によると、高齢者のうつ病
 は、大きく(1)以前にうつ病の既往歴があり、老年期に再発する(2)老年明に初めて発症する
 の2ケースに分かれる。(2)のきっかけで多いのが、失業や退職、配偶者の死などの「喪失体験」
 だ。
  ここ数年目立ってきたのが、「孫離れうつ」ともいえる現象だという。両親が共働きのため、孫
 の面倒を見ていた祖父母が、孫の成長とともに役割を失い、うつになるパターンだ,
  80代の男性患者は、両親の代わりに、孫の幼稚園への送り迎えをしていた。ちょうど仕事を退
 職して、孫の世話に生きがいを見いだしていた。ところが、孫が小学校に入ると、気分の落ち込み
 がひどくなり、高橋医師のもとを受診した。
  70代の女性患者は、娘と2凹帯住宅に住み、孫の世話をすることに生きがいを感じていた。だ
 が、中学生になると、「うざい!」「お前なんか出ていけ!」などと言われるようになり、うつ状
 態になった。

  一方、うつ病だった70代女性は、孫が大学生になったとき、同居するようになった。弁当を作る
 など、孫の世話をするという役割を得て、うつも回復してきたという。
  こうした「孫離れうつ」の予防について、高橋医師は「孫だけに気持ちを集中せず、スポーツを
 楽しんだり、地域社会と交流したり、興味を分散させた方がいい」と助→ぱする。
  さらに高橋医師は「今後、独居高齢者の増加とともに、『孤立うつ』が問題になるだろう」と警
 告する。「独居の患者さんで、健康風呂に通ったり、友達と一緒に住んだりするようになって、元
 気になったケースもある。抗うつ薬の適正な使用だけでなく、独居の人を地域で支える仕組みづく
 りが大凶になる」

  また高齢者の場a、若年層に比べ、精神科の受診につながりづらいことが多いようだ。神奈川県
 精神神経科診療所協会副会長を務める長谷川洋医師は「特に男性の方は、精神科に抵抗感があり、
 自ら受診しない傾向がある。また高齢者の場合、体の痛みや違和感などにうつ症状が出ることが多
 く、メンタルな病気とは思いにくい。体に痛みなどがあって、検査しても賢常がない場合は、精神
 科を受診してほしい]と話している。
  長谷川医師らは、高齢者のうつ病の特徴として、①身近な人や役割の喪失による発症が多い、②
 「老老介護」のストレスが引き金になりやすい、③体の痛み、めまいや耳鳴りなど身体症状に出る
 「仮面うつ病{が多い、④心配性で体の症状を気にしすぎる「心気的」な傾向が強いごj・不安や
 焦燥感が強い、⑥妄想を抱きやすい、⑦認知症と見分けるのが難しいこともある、などを挙げてい
 る。

   「生きがい感じる」が8割 60歳以上

   高齢者は、「生きがい」についてどう感じているのか。2014年版「高齢社会白書」によると、
 60歳以上の高齢者の約8割が「生きがいを感じている」と答えた。「十分に感じている」と「多
 少感じている」が、各4割だった。男女別にみると、男性が79・8%で、女性の83・2%に比
 べ低かった。
  また、ソニー生命は2013年に、50~79歳の男女1000人にインターネットで「シニアの生
 活意識調査」を実施した。「生きがい」と「やる気の源」について尋ねたところ、「(旅行など)
 趣味」(61・1%)がトップで、「パートナー(妻・夫・恋人)」(43・9%)、「夢・志」
 (27・3%)などの回答があった。「ペット」と答えた人も10・6%いて、ペットがシニア世
 代にとって大切な存在であることが浮き彫りになった。
  具体的な中身を尋ねると、「日本一周鉄道の旅」(70代女性)といった回答のほか、「語学の
 学習を通して視野を広げたい」(60代女性)など学びを深めたい志向、「介護ボランティアとして
 社会に貢献したい」(60代男性)といった思いが現れた。「人切に思うもの」を尋ねた結果、「社
 会貢献」と答えた人は10・1%。年代・性別にみると、60~70代男性が15・2%で、50
 代男性の6・O%に比べ、約9ポイント高かった。同社では「仕事の第一線を定年で退くに際して、
 社会貢献を考える機会を得ているのかもしれない」と分析している。


   ペットが生きがい

 「チロ、こっちこっち]。神奈川県横須賀市西部の山あいにある特別養護老人ホーム「さくらの里
 山科」。2015年12月、山ロ宜泰さん(82)が手押し車を押しながら、愛犬チロ(オス、9歳)
 の散歩をしていた。
  「山科」はペットとともに入居できる介護施設。約40人の入居者は、犬6匹、猫10匹と一緒に
 暮らす。入居者が連れてくるほか、殺処分されそうな犬や猫を施設が引き取っている。散歩やエサ
 やりは、介護職員やボランティアが担う。
  山口さんは、30年ほど前から、順にポピー、リョウ、チロという3匹の犬を飼ってきた,199
 5年、妻の節子さん(享年58)を難病で亡くした。ショックにうちひしがれる山口さんを元気づけ
 たのが、リョウだった。1日数回、散歩に連れ出すことで、つらい気持ちが少し紛れた。「もし、
 リョウがいなかったら、父は一日中、だれとも話さなかったかもしれない一と長女の泰子さん(54)
 は振り返る。

  2007年には、長男の達也さん(享年43)をがんで失った。しばらくして、リョウも亡くした。
 泰子さんは「また、ワンちゃんを飼った方がいい」と山口さんに勧めたが、「もう年なので、犬が
 残ったら困る一と承諾しなかった。
  半ば強引に知り合いのブリーダ’-のところに連れて行くと、山ロさんはチロに一目ぼれ。家族
 の一員になった。チロは社交的な性格で、みんなが寄ってくる。おかげで、近所に「散歩仲間」が
 たくさんできた。

  2015年5月、山ロさん自身を病魔が襲った。脳梗塞で倒れて入院。数カ月後、入院中の検査
 で咽頭がんが見つかった。手術は難しい状態で、医師から「余命半年」と言われた,痛みなどをと
 る緩和ケアに移行することを選択した。
  病院では、チロと離ればなれでつらそうだった。「ペットと一緒に住める介護施設はないか」。
 泰子さんは、病院などに聞いたが、「そういう施設はありません」。地域包括支援センターに問い
 合わせると、山科を紹介してくれた。

  いま、山口さんは穏やかな生活を送る。痛みもあるが、チロが癒やしてくれるという。「子ども
 以上の存在です。酒を飲みながら、チロとしやべって、テレビを見るのが一番の幸せ」。チロを抱
 きながら話した。
  業界団体の推計で、飼われている犬猫が2000万匹を超えるとされる日本で、ペットを生きが
 いに暮らす高齢者は多い。だが、自分で附話ができなくなるため、やむなく手放すケースもある。
 神奈川県の調査では、保健所が犬を引き取る理由の約3割は、飼い主が高齢などで病気になったり、
 亡くなったりすることだという。
  山科のように、ペットと暮らすことができる老人ホームは全国でも珍しい。若山三千彦施設長は
 「お年寄りに最期まで人生を楽しんで頂くというのが私たちの理念,ペットとともに、幸せな時間
 を過ごしてもらえれば」と話す。チロが残されても、山科で終生面倒をみるという。


  信仰が支えに

  宗教や歌を支えに生きるお年寄りたちは、少なくない。難病を患い2015年9月に亡くなった
 大沼美智子さん(享年71)と、夫の成彬さん(80)夫妻の心のよりどころになったのは、キリスト
 教と賛美歌だった。
 「Amazing gracc! How swcct thcsound!(素晴らしき神の恵み、なんと甘美な響きよ!)」。201
 5年7月の午後、房総半島を望む神奈川県横須賀市の団地にある大沼さん夫妻の自宅に、賛美歌「
 アメージング・グレース]の調べが響いた。音楽療法士の佐藤由美子さん(38)が、大沼さん夫妻
 のために、ギター片手に賛美歌を歌っていた。成彬さんが一緒に口ずさむ,2人が大好きなエルピ
 ス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー]も歌った。ベッドに横たわる美智子さんも、時々笑顔
 で口ずさんだ。

  成彬さんは、美智子さんが亡くなるまでの13年間、在宅で介護を続けてきた。介護疲れを心配し
 た在宅医の千場純医師(66)が、米国で音楽療法士として活躍した佐藤さんを呼んだのだ,201
 4年末から3度の機会を持った,「介護する側、される鯛ではなく、本来の夫婦関係に一瞬でも戻
 れたら、うれしい」。佐藤さんは言う。
  結婚して5年、美智予さんが27歳の時に「全身性エリテマトーデス」という難病を発症。徐々に
 全身が弱り、2000年ごろから歩けなくなってきた。成彬さんは2002年、介護のために中小
 企業診断士の仕事を辞めた,

  美智子さんはもともと熱心なクリスチャンだった。体の自由が利かなくなった後は、成彬さんが
 教会に付き添った。週1~2回、教会の友達が自宅に来て、聖書の勉強会を開いてくれた。聖書に
 線を引き、解釈などの書き込みをした。成彬さんは、そうした美智7.Jさんの信仰の強さに心を動
 かされ、自身も洗礼を受けた。
  2002年、腸に穴が開き緊急入院,その後、亡くなるまで入退院を11回繰り返した。201
 5年2月の入院後には体力が急速に衰え、ベッドに寝たままの生活になった。そんな中でも、愚痴
 を言ったり、荒れたりすることはなかった。「信仰の力でしょうね。死ぬことを全然怖がっていな
 かった」と成彬さんは話す。

  一方、介護を続ける成彬さんの心身は、限田作に近づいていた。「背中が痛い」と言う妻の背を、
 さすり続けた,数日おきに、人工肛門の交換もした。「地面を踏んでいない感覚で、フワフワして
 いた」。そんなとき、佐藤さんの音楽療法を受けた。
  2015年8月、美智子さんの容体が悪化し、市内の病院に入院。「悪魔がいる。怖い」とガタ
 ガタ震えた。「神様(のお迎え)は遅い」と珍しく不満を口にした。意識がもうろうとしてきた。
 本人は「絶対、家で死にたい」と言っていた。最後は、自宅に戻り息絶えた,穏やかな表情だった。

  成形さんは連れ合いを亡くして1カ月は、何をするのもいやだった。「家に帰って「ただいま」
 と言って、だれもいないとわかるとつらい」。そんなときは、美智子さんの遺影に語りかける。2
 015年夏に撮ったベッド上の写真と、新婚のとき鎌倉で撮ったかれんな写真に。
  同年10月から、教会で始めた不登校の子どもら向け「居場所カフエ」に関わるようになった。
 若者から「怖くて電命に乗れないから、教会まで行けない」と相談を受けると、「大丈夫だ。頑張
 って来い」と励ました。子どもがいない成彬さんは、時に優しく、時に厳しく助言する。
 「これも私にQえられた役割。神のおぼしめしだと思う」。愛する妻を失って半年,成彬さんは信
 仰を支えに、新たな道を歩み始めている。


障害者やターミナル高齢者のやまゆり圏殺人事件、大口病院事件などの報道に接すると不気味で、気味
悪さを感じてしまう今日この頃、前者では犯人がヒトラーの『我が闘争』の本を読んでいたとの情報も
あるが、よほど注意をしてかからない限り理解そして了解ができないぞ!と考え込んでしまう。この本
を読み進めるなかで、本と関連付けて、あるいは単独に思いついたことを書き認めていこう。

                                       この項つづく                                          

   ● 今夜の一冊     

 


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