秋日和 季節外れの 簾下 石蕗の花 悲しみ拭う
法事などの急な来客に差し出すお茶で、あたふたふたする失敗があり、T-fal 電気ケトル
( アントワネット プラス/ 0.6L)を急遽買いそろえが、ことのほか便利が良く、朝の
インスタントコーヒーや午後と夜のパウダー緑茶、ホットウィスキー用に重宝し、自室で
の缶詰作業環境がさらに強まった――快適で、エコで、ウォームビズに少しは貢献してい
るとは思うが。
なお、上図の新規考案によると、ケトル(1)は、容器(3)と、リッド(5)と、ロッ
クするためのロック装置で、容器に配設された第1ロック手段(11)とリッドに取り付
けられた第2ロック手段(12)を含め、第2ロック手段が第1ロック手段に係合するリ
ッドのロック位置と、リッドが解放されるロック解除位置との間で、リッドに対し可動の
この装置で構成し、さらに、リッドに配設した第2ロック手段を制御する部材(20)を
含め、制御部材は、第2ロック手段がロック位置にあるときにリッド内に組み込まれ、第
2ロック手段がロック解除位置にあるときにリッド上に突出しグリップすることで、容器
にリッドをロックするための装置を具え、リッドの美的魅力を向上した電気ケトルを提供
できるとある。
欲を言えば、吹き溢れ防止(内圧上昇で加熱を自動停止する)の完成度を上げることと、
もう少しだけ軽くしてもらえればという感想をもった。
【脱ロスト・スコア論 Ⅲ】
● たまには熟っくりと本を読もう
高橋洋一著 『「成長戦略」の罠―「失われた20年」
ここでは、日本の成長戦略で最大の欠陥は、『産業政策』にある。個別産業をターゲット
にする産業政策は、成功した例がなかった――例えば、官制の財テク事業の最終的な収支
尻は、2000年までの累積損失は約2兆円――と指摘し例示されていくことになるが、
読み手にとってはわくわくする件でもある。
第2章 「第3の矢」成長戦略の罠
■ 「公的資金の運用見直し」の落とし穴
政治家が、事務方であるはずの官僚に丸め込まれる、あるいはお任せしてしまうの
は、前章でも触れたが、この国に根強くはびこる「官僚の無謬性」という神話による
ところが大きい。日本の役人は優秀だから間違わない、間違うはずがないと、政治家
も国民もなかば洗脳されている。それが、"間違い"の元なのだ。
ふたたび成長戦略(「日本再興戦略」改訂版)を見てみよう。56、57ページに引用
した冒頭部分「鍵となる施策」から、官僚無謬性による「まやかし」を指摘しておき
たい。
《1.日本の「稼ぐ力」を取り戻す (1)企業が変わる
①企業統治(コーーポレートガバナンス)の強化
②公的・準公的資金の運用等の見直し》
とある。
傍線部分の主役が、「世界最大の機関投資家」とマスコミでもしばしば取り上げら
れたGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)である。「公的年金の運用見直し」
ということで、厚生労働省所管のGPTIFでの運用強化(積極運用)がなされよう
としているのだ。
総額129兆円とされるGPIFの運用資産は、国民の年金である。にもかかわら
ず、「運用見直し」ではGPIFとそれを取り巻く金融機関の利害だけが議論されて
いる。まったくもって国民不在である。
公的年金の運用はどうあるべきか。過去の例と海外の事例から考えてみよう。
まず、過去の経緯から検証する。GPIFは、サラリーマンの公的年金である厚生
年金の運用事業を行なう独立行政法人として2006年4月に設立された。その前身
は年金福祉事業団(年福事業団)という特殊法人だ。運用事業は「官の財テク」とし
て1986年度からスタートされ、2000年度まで財政投融資の中で行なわれてい
た。
1986年と言えば、NTT株が上場後に3倍の値をつけるなど、日本中が財テク
に走ってゆく時代相であった。この財テクブームに乗じて、政府も年金資金の有利運
用へと転じ、国会では厚生省(当時)年金局長が「1・5%利差稼ぎ」と豪語したほ
どである。2001年度から、現在のように厚生労働省の責任で資金運用される方式
になっているが、「官の財テク」としての性格は変わっていない。
スタート当時、年金資金を運用していた年金福祉事業団は、略称を「年福事業団」
と言って、厚生次官の天下り指定席だった。あり余るほどの巨額な資金を使うことか
ら「満腹事業団」と揶揄されていたことを、今でも私は覚えている。ちなみに、巨額
の年金資金をつぎ込み、各地でリゾート施設を建設しては不良債権化させた「グリー
ンピア事業」も、年福事業団の仕事だった。
2000年度までの財テク事業の最終的な収支尻は、累積損失約2兆円。「官の財
テク」では肝心の運用実績は上がらなかった。しかし、この失敗の責任については、
グリーンピア事業と同じで誰も取っていない。前述した「キバセン」(基盤技術研究
促進センター)の顛末と、構図はまったく同じである。
一方、海外における公的年金運用の実態はどうなっているのか。
そもそも、一般国民に対する公的年金を国として運用しているケースはあまり多な
い。2008年の経済財政諮問会議で、当時の舛添要一厚労相が世界の公的年金運用
について調査資料を提出したが、それによれば「積立金が多い国」の中でカナダ、ス
ウェーデンが「株式投資比率の高い国」として挙げられており、日本とアメリカは「
そうでない国」、イギリス、フランス、ドイツは「そもそも積立金が少ない国」とさ
れていた。
このとき、GPIFの積極運用を推進する有識者から、横槍のような声が出た。上
記の国々のほかに市場運用を行なっている国として、ノルウェー政府年金基金、オラ
ンダ公務員総合年金基金、アイルランド国民年金積立基金が挙げられたのだ。
アイルランド国民年金積立基金は規模が小さいが、ノルウェー政府年金基金とオラ
ンダ公務員総合年金基金はそれぞれ30兆円台とそれなりの規模である。もっとも、ノ
ルウェーは石油収入があり、そのための市場運用である。またオランダは公務員の年
金であり、一般国民の年金ではない。
さらに積極運用を推進する民間金融機関から、アメリカのカリフォルニア州職員退
職年金基金(カルパース)などの例が出された。カルパースは自主運用を行なってい
る。しかしその受給対象者の範囲は国ではなく州であり、その中でも州公務員の年金
である。
■ GPIFは不要である
結論を述べる。国が行なう事業として市場運用ほど不適切なものはない。サラリー
マンの公的年金を運用するGPIFだけの議論も胡散臭い。なぜなら、公務員の共済
年金では積極運用の話が出ないことと辻棲が合わないからだ。
ここで、私がかつて第一次安倍政権で内閣参事官を務めていたときに、具体的に考
えた代替案を示そう。大別すると、以下のA、B、2つのパターンに分けられる。
・A案一GPIFなし/金融機関なし
・B案一GPIFなし/金融機関あり
A案は、アメリカの公的年金で実際に行なわれているものだ。アメリカには「オス
ディ」(OASDI Old‐Age ,Survivors,and Disability Insurance)という制度があり、公的
年金の資産は全額、非市場性国債(物価連動債)の購入に充てられる。こうすると、
市場運用するためのGPIFのような組織は必要ではなく、担当者が万人いて、財務
省に非市場性国債の発行を依頼するだけで済む。
B案は、さらに選択肢が分かれる。払い込み保険料の一部(積立部分)を、
(1)全額国債運用
(2)半分国債/半分株式
(3)全額株式運用
の3コースに分け、それぞれ受託金融機関の組み合わせの中から、各国民にどれか
を選択させるものだ。
現状でもGPIFは運用を金融機関に丸投げしている。去る4月、7年ぶりに国内
株式の運用委託先を見直したそうだが、アクティブ運用(市場平均を上回る運用実績
を目指す運用)で新たに始める「スマートベータ型」という投資では、ゴールドマン・
サックス・アセット・マネジメント、野村ファンド・リサーチ・アンド・テクノロ
ジー、野村アセットマネジメントの3社を委託先に選定した。
したがってGPIFを "中抜き" して、Bのパターンをつくることは可能なのであ
る。GPIFを廃止して、多様な方法でやればよいだけの話だ。
現在、議論されている公的年金運用の改革案は、GPIFという官僚機構の全知全
能(無謬)を前提としている。それが「官僚無謬性神話によるまやかし」なのだ。
前に紹介したアメリカのOASDIは、1937年にスタートした。「老齢・遺族・
障害保険」と訳され、一定所得以上のサラリーマンや自営業者が加入する。前述した
ように物価連動債を買うだけで、運用=投資行為は行なわない。もし運用しようとし
たら、国民から文句が出るだろう。アメリカ人は「運用するくらいなら強制徴収をや
めてくれ。自分たちで運用する」と言う。日本のように、民に代わってお上がやって
あげる、などという論理は通らないのである。
そこで、かねて「官僚の無謬性」に否定的だった私は、政権内部にいたときに、G
PIFなしで済ませられるA、Bの2案を考えたのだ。まったく運用しないか、国民
が運用金融機関を選ぶか、の二者択一である。
しかし私が提示したこの案は、当時、猛反対に遭ってしまい、日の目を見ることは
なかった。「俺たち(官僚)の仕事がなくなってしまう」という愚にもつかない理由
からである。
一方、同じころ「GPIF拡充案」というのもあったのだが、私はそれに反対する
論陣を張り、結果的にこの拡充案は潰れた。喧嘩両成敗ではないけれども、私の「G
PIF不要案」が通らなかった代わりに「GPIF拡充案」も消えたのである。
ただGPIFそのものが消えたわけではなく、ご承知のように現在も成長戦略の一
つの柱として改革案が議論されている。恐ろしいのは、かつて「拡充案」を主張して
いたある人物が、今も「公的年金の運用見直し」の議論に深く関与していることだ。
この御仁は官僚ではないが、頭の中身が官僚なのだろう。
■ これまでの成長戦略で日本は「成長」したのか
本章の終わりに、「官僚による成長戦略」が、いかに虚妄にすぎないかを再度、述
べよう。
私は大恐慌研究の世界的な権威であるバリー・アイケングリーン(カリフォルニア
大学教授)のツイッターをフォローしているが、その中で注目した記述がある。
“Japan Rising? Shinzo Abe's Excellent Adventure"とあった。
アメリカの詩人、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローの一節「矢を空中に放
った。地面に落ちた。どこだか分からなかった」を引用しながら、「第3の矢」の難
しさを強調しつつも、成功を期待している。しかも、第3の矢では、不利になるのは
今の既得権者であると言っている。
アイケングリーン教授は、明らかに、第3の矢は「規制緩和」のことだと思い込ん
でいる。アベノミクスの第3の矢には「産業政策」と「規制緩和」の2種類があり、
産業政策で利益を得るのは既得権者、規制緩和で利益を失うのは既得権者であるとは
思いもしないのだろう。アメリカ人の彼には、「産業政策」は概念として存在しない
のではないか。
2001年以降を見てみると、日本ではどの政権も自らの政策方針を出している。
①小泉内閣 「骨太の方針」(2002年6月)
②安倍内閣 「成長力加速プログラム」(2007年4月)
③福田康夫内閣 「経済成長戦略」(2008年6月)
④麻生太郎内閣 「未来開拓戦略」(2009年4月)
⑤鳩山由紀夫内閣 「新成長戦略~輝きのある日本へ~」(2009年19一月)
⑥菅直人内閣 「新成長戦略~『元気な日本』復活のシナリオ~」(2010年6月)
⑦野田内閣 「日本再生戦略」(2012年7月)
⑧第二次安倍内閣 「日本再興戦略」(2013年6月)
このうち、1回目の小泉政権では「成長戦略」を強調していないが、その後は「成
長戦略」を標榜する政策が、実に7回も打ち出されてきた。まさに「成長戦略」のオ
ンパレードである。これで日本が「成長」できたのか。「未来を開拓」したり「元気
な日本が復活」したり「再生」したのだろうか。答えは言わずもがな、であろう。
むしろ成長戦略を強調しなかった小泉政権のほうが、他の政権より長期に成長した。
それは皮肉なものである。
成長戦略が策定されるたびに、マスコミでは淡い期待をにじませながら、日本の各
産業の将来が豊富なデータとともに描かれてきた。数字が並ぶから記事にするのは簡
単だ。しかし実際に成長をさせるのは難しい。私は、ノーベル経済学賞を受賞したポ
ール・クルーグマン教授(プリンストン大学)に、かつてこう言われたことがある。
「経済成長を確実にできる方法を発見すれば、ノーベル賞受賞は確実だね。だって、
世界中から貧困問題がなくなるじゃないか。経済学なんて学問もいらなくなってしま
うよ」
それでは経済学はまったく無力かというと、そうでもない。経済成長に資すること
は、およそ分かっているのだ。経済学上、大雑把にコンセンサスができているところ
では、競争政策、規制緩和(含む「民営化」。これは強調しておきたい!)、貿易自
由化、教育投資、技術開発、マクロ経済の安定などが成長に重要だということだろう。
もちろん、これをやれば確実に成長するというわけではないが、けっこう「打率」が
高いのだ。
日本の成長戦略で最大の欠陥は、何度も述べてきたように「産業政策」にある。個
別産業をターゲットにする産業政策は、成功した例がなかった。かつて高度成長時代
の産業政策が成功したというのも、神話にすぎないことは明らかになっている。
前著でも触れたが、竹内弘高教授(一橋大学)の研究によれば、日本の20の成功産
業について、政府の果たした役割は皆無だった。また、三輪芳朗教授(東京大学・当
時)の一連の研究では、高度成長期でさえ産業政策は有効でなかったとされている。
私は1986年から1988年まで公正取引委員会事務局に勤務し、当時の通産省
などの産業政策を、競争政策の観点から見ていた。そのとき、産業政策を分析し公正
取引委員会に説明した資料の一部を学術誌に公表するように上司から勧められた。
表題は「日本的産業政策はもはや過去の遺物だ」とした。相手の通産省などに配慮
して穏やかな表現になっているが、その当時、すでに産業政策が機能しなくなってい
ることをデータ分析から示したものだ。
今も強烈に印象に残っていることがある。通産省などの官僚とともにいくつかの業
界の人にヒアリングをしたり、実態調査をしたが、「業界の人」だと思っていたら、
実は通産省などの天下りOBだった。いわゆる「専務理事政策」である。
業界には事業者団体という「○○協会」がある。その理事長や理事は、たいてい業
界の人が非常勤で務めている。常勤の専務理事は、その業界の監督官庁からの天下り
なのだ。産業政策をするときには、「専務理事」が業界と役所との連絡調整などで活
躍するのである。
役所としては、産業政策が有効でなくても、専務理事ポストさえ確保できればいい
という印象を受けた。
この経験は経済学の分析とも一致していた。産業政策が有効でないのは、第一の理
由として政府が有望産業を選べるほど賢くないのである。
もし官僚に有望産業が本当に分かる能力があるのなら、役所の斡旋など受けず、そ
の "将来有望の業界" に自ら転職する人が多いはずだ。しかし、官僚のほとんどは天
下り斡旋を受けている。
第二の理由は、産業政策に伴う利権を求めて、民間企業がレントシーキング(特殊
利益追求)を行なうからだ。こうした活動は資源の浪費でしかない。
産業政策では、税制上措置や補助金だけが恩典ではない。事業者団体はしばしばカ
ルテル的行為の温床になっている。そうした競争制限的な行為も業者にとってはメリ
ットとなる。一方、そこに前述の「専務理事政策」が付け入る隙が生まれる。
霞が関が主導権を握り、さらに「専務理事政策」が堂々と行なえ、天下りもできる
のだから、官僚はほくそ笑んでいるに違いない。官僚は賢くはないが、ずる賢い。
高橋洋一 著 『「成長戦略」の罠―「失われた20年」は、さらに続く』
● 消費税増税の是非の議論をしている場合ではない?!
この項を、エコノミストの三橋貴明の動画(音声)を聴きながら記載していたが、今回の
コメントで、アベノミクスとは、"唯日本株価主義 だと言った見識に触れ、これは蓋し名
言だと感心していたが、それにしても、民主党政権も経済音痴だったが、やはり、自民党
政権も変わらないと思っていた矢先でもあり、ズバッと切り込んだ発言に清涼感を抱いた。
この先どのように展開して、感想が変わり、どのように結論するのか自分自身でもわから
ぬが、高橋洋一と三橋貴明(プラスα)との差異を注意深く確認し読み進めていくことに。
この項つづく