大数を明らかにする者は人を得、小計を審らかにする者は人を失う
『覇言』 / 管子
※ 明大數者得人,審小計者失人 / 「天下を得るにはまず人を得よ」より
触覚とは、圧覚や痛覚を含めた体性感覚全体を指し、他の感覚が目・鼻・口という特殊器官を
媒介とするのに対し、触覚は身体全体から感じる情報であり、そもそもひとまとめにして語る
のは難しいテーマだとされ、「好きな人に触られると嬉しいけど、嫌いな人に触られると不快
」といったように、感覚刺激は同じでも知覚(意味を持つ情報)レベルにおいては個人差・状
況差が大きい面もる。さらに、資生堂研究所の傳田光洋は、人類は体毛を失った分、それ以前
の進化の過程で有していた表皮の機能を取り戻していて、他の霊長類と異なる皮膚感覚を持つ
ややこしい存在てある指摘する。
このため触感は、他の感覚器官と比して最も研究が進んでいない分野といわれてきたが、最近
では感性工学、感性情報学、ハプティクス(触覚)テクノロジーといった領域などにおいて、
さまざまな研究や実験が試みられている。マーケティングへの応用には、特に店頭行動の研究
において顕著であり、触覚が製品評価の中核的要素になる商品(枕カバーなど)は接触機会を
拡大することが望ましいといった結果も出ているとか。また商品への接触動機は購買に大きな
影響を及ぼし、「物質主義者」「自信の低い人」「女性」において、その接触動機が強いとい
う。前出の傳田光洋は、最新刊『驚きの皮膚』のなかで、体毛を失ったことによる「皮膚感覚
の復活」が脳を拡大し、言語を生み、人間を人間にした可能性があることを、古今東西のさま
ざまな知見をもとに解き明かし、他者と私を分け隔てる人間最大の臓器がその「皮膚」で、皮
膚そのものが情報処理システムと主張している。
しかしながら、五感とVRのボーダレスに結びついた商品社会がすぐに出現するかといえば、
「暗黒VR史」ではないがメインストリームに躍り出るには時期尚早とう意見が支配的のよう
にも思えるが、ハプティクス・テクノロジーなどが着実に進化してくることは不可抗であろう。
その理解の手がかりとして、傳田光洋著『驚き皮膚』はこの晩秋の読書におすすめの一冊であ
る。
ちょっと、かったるいチュウードラ(午後10からTBS系「火曜日ドラマ」『逃げるは恥だ
が役に立つ』を結構よく観ている。と、言っても、途中から寝込んでしまい最後まで見終わる
ことはないのだが。圧巻はストーリとではなくその番組の主題歌を出演者が踊る"恋ダンス"な
のだ。そう、ヒット曲「ペンパイナッポーアッポーペン(PPAP)」――「浪速のモーツァ
ルト」ことキダ・タローは、“言葉”と“リズム”と“センス”が混ざり合った「わらべ歌的
なラップ」と称している――のように、いまやビジュアルセンスなしには歌も大ヒットしない
ことを証明するかのようなカジュアな現代舞踏(振り付け)曲全盛期である。と言うことは、
話題も沸騰している。回を重ねるごとに視聴率は上昇し、22日放送された第7話は同13.
6%をマーク。TBSのYouTube公式チャンネル上で10月13日に期間限定で公開された動
画が、同チャンネルで最高視聴回数(22日で3800万回)を記録しているが、無断で利用
して動画を制作しネット上にアップするという行為がダンスの振り付けや曲の著作権に抵触が
あると問題視されるようになっている。つまり、こうだ。
著作者が有する著作権の内容として、インターネットなどを通じて著作物を自動的に公衆
に送信し得る状態に置く権利(=送信可能化権)等があり(著作権法23条1項)、著作
物である本件ダンスの動画をYouTube などにアップする行為は、著作者の送信可能化権等
を侵害する。
ただし、この著作権法違反は著作者からの告訴がなければ罪に問うことができない類型の犯罪
(親告罪)とされていますので(著作権法123条1項)、著作者からの告訴がなされない限
り本件ダンスを踊っている動画をYouTube などにアップしているひと(たち)が罪に問われる
ことはない。そこで、22日、エンディングソング『恋』の作詞作曲者である星野源の所属レ
ーベル「スピードスターレコーズ」が公式ホームページで、同曲に合わせて踊る動画について、
一部の条件を満たせばYouTube 上に公開可能であると発表している(『逃げるは恥だが役に立
つ』の“恋ダンス”、一般人踊る動画の多数アップに違法指摘も」ニフティニュース 2016.11.
26)。
さて、『逃げるは恥だが役に立つ』(Szégyen a futás, de hasznos.:ハンガリーの諺『自分の得意
分野で勝負せよ』)に触れてみよう。この原作は、海野つなみの漫画作品。『Kiss』(講談社)
から、12年22号より連載され、単行本は16年10月現在既刊8巻。略称『逃げ恥』(に
げはじ)で契約結婚がテーマ。ストーリーは、大凡つぎのようなもの
大学院を出ながらも就職難で派遣社員になった森山みくり(TVでは新垣結衣が演じる)は、
いわゆる派遣切りに遭い、無職の身となってしまう。求職中の娘を見かねた父は、家事代行サ
ービスを利用していた元部下・津崎平匡(星野源)が折りよく代行の会社を替えようとしてい
たところを頼み込んで、週1回の仕事を取り付ける。気難しい性格で、あまり他人に構われる
ことを好まない彼だが、みくりとは適度な距離感を保って良好な関係を築くが、定年を機に田
舎へ引っ越すという願望を両親が叶えることになり、現状を維持したいみくりは津崎に「就職
としての結婚」を持ちかけ、その提案にメリットを感じた津崎は了承し、2人は契約結婚の道
を選ぶというもの。
作者の海野つなみは、過去の連載作品でネタのストックを一つずつ消化していたが、残ってい
るネタが少なくなり、残っているネタは、ミツバチを擬人化した近未来SFファンタジーという
もの。それは、神様である人間が住む神殿に仕える蜜の一族の話で、内容が過激であったため、
担当者と女性誌より青年誌向けだと話すが、普段の妄想で考えているネタを話している中で、
契約結婚が話題に上がり、そして、なんとなく本作の制作に至ったという。彼女にとって現代
ものは、09年まで連載していた『回転銀河』以来だが、それは『Kiss』本誌ではなく、増刊
での不定期連載であり、20代以上が読者層の『Kiss』で正統派な現代ものを連載するのは
『デイジー・ラック』以来、12年ぶりである。
また、彼女は、単行本3巻のあとがきに「演劇でいうエチュード(即興劇)みたいな感じで描
いているので、先のことはよくわかりません」と書いている。いつもは最後までプロットを練
ってから連載を始める為、そういった連載の仕方は作者にとって初の試みであるという。
営みの街が暮れたら色めき
風たちは運ぶわカラスと人々の群れ
意味なんかないさ暮らしがあるだけ
ただ腹を空かせて君のもとへ帰るんだ
物心ついたらすっと見上げて思うことが
この世にいる誰も2人から
胸の中にあるものいつか見えなくなるもの
それはそはにいることいつも思い出して
君の中にあるもの距離の中にあることを
恋をしたのあなたの指の交ざリ頬の香り
夫婦を越えてゆけ
醜いと魅めた思いは色づき
白鳥は運ぶわ当たり前を変えながら
恋せすにいられないな似た顔も虚構にも
愛が生まれるのは1人から
胸の中にあるものいつか見えなくなるもの
それはそはにいることいつも思い出して
君の中にあるもの距離の中にあることを
恋をしたのあなたの指の交ざリ頬の香り
夫婦を越えてゆけ
泣き顔も黙る夜も揺れる笑顔もいつまでもいつまでも
胸の中にあるものいつか見えなくなるもの
それはそはにいることいつも思い出して
君の中にあるもの距離の中にあることを
恋をしたのあなたの指の交ざリ頬の香り
夫婦を越えてゆけ
2人を越えてゆけ
1人を越えてゆけ
恋
作詞/作曲/歌 星野 源
星野 源(ほしの げん、81年1月28日 - )は、俳優、シンガーソングライター、文筆家
で、埼玉県蕨市出生、川口市出身。所属はアミューズ(音楽業)、大人計画(俳優業)。イン
ストゥルメンタルバンド「SAKEROCK」――サケロックは、インストゥルメンタルバンド。
リーダーである星野源が同じ自由の森学園高等学校出身のメンバーを集め、2000年に結成。
インディーズレーベルカクバクリズム所属。バンド名の由来は、マーティン・デニーの同名曲
から――のリーダーとして、主にギターとマリンバを担当。エッセイストやコラムニストとし
ての顔も持ち、複数の連載や刊行物を著しているマルチタレントの異色アーティストである。
この作品(原作・楽曲・舞踏・TVドラマ)は、プラトニック・ラブを装いつつ、付随する対
幻想を転倒せ、実体(肉体)的コミュニケーションを試みる生命エネルギーをテーマとした現
代日本社会を背景とした表現法を模索している。と言う意味で、新しい試みである、実に興味
深く、滑稽で面白い。
【我が家の焚書顛末記 26:中国思想 管子】
枢 言 ―― 名言抜粋 ――
理路整然とした論文も大事であるが、なにげなく述べられた短いことぱの中にも、見
逃すことのできないような深い意味がかくされていることがある。本篇は、管子の重要
な短言を集めたものである。「言々これ珠玉」といえるであろう。
ことば ------------------------------------------------------------------
「民と地とを先にするときは得、貴と驕とを先にするときは失う」
「これを量るに少多をもってせず、これを称るに軽重をもってせず、これを度るに短長
をもってせず」
「愛は憎しみの始め、徳は怨みの本なり」
「およそ国の亡ふるや、その長ずるものをもってなり。人の自ら失うや、その長ずると
ころのものをもってなり」
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三種類の国
国にはつぎの三那類がある。
一、他国を制圧する国。
二、他国に制圧される国。
三、他を制圧しないが制圧もされない国。
では、三頴類の国はどう違うのであろうか。
徳を広め義を重んじる。みだりに他国を批判しない。人口が多く軍隊も強い。国勢を
かさに他国に無理難題をふっかけない。天下の大事にあたって自国の利益を後回しにす
る。こんな国は必ず他国を制圧する。
徳も広めず義も重んじない。他国の批判ばかりする。人口も少なく軍隊も弱い。それ
でいて他国に無理難題をふっかける。同盟国の力を利用して自国の利益や名声をはかる。
こんな国は必ず他国に制圧される。
他国が進めぱ進み、他国が退けば退く。他国が軍備を拡張すればそれを見習い、他国
が軍備を縮小すればそれをまねる。このように万事他国に歩調を合わせれば、他国を制
圧することはできないが、そのかわり制圧されることもない。
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盛義尊,而不好加名於人,人眾兵強,而不以其國造難生患。天下有大事,而好以其國後,
如此者,制人者也。德不盛,義不尊,而好加名于人;人不眾,兵不強,而好以其國造難
生患;恃與國,幸名利,如此者,人之所制也。人進亦進,人退亦退;人勞亦勞,人佚亦
佚,進退勞佚,與人相苟,如此者,不能制人,人亦不能制也。
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覇 言 ―― 覇王論 ――
桓公は春秋五覇の一であり、かれを覇者に育てあげたのがほかならぬ管仲である。
「覇者」こそは管仲の政治理想のシンボルであり、その意味で、ここに展開される「覇
論」こそ、管仲政治学の真髄だといえよう。
ことば ---------------------------------------------------------------------
「覇王」の形は、点に象り地に則り、人を化し代を易う」
「国を豊かにする、これを覇と謂う。兼れて它国を正す、これを王と謂う」
「天下を争う者は、必ずまず人を争う]
「大数を明らかにする者は人を得、小計を審らかにする者は人を失う」
「国大にして而も政小なるものは、国、その政に従う。国小にして而も政大なるものは、
国、ますます大なり』
「国を観る者は、君を観、軍を観る者は、将を観る」
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覇王の条件
覇王とは、いかなる人物をいうのか。
天と焔の法則をみきわめ、人心掌握につとめて、新時代をもたらす、そして制度文物
を一新して、諸侯の序列を定め、天下全体を心服させる、これが覇王のとる態度である。
そのためにかれは、つねにつぎのように心がける。
すなわち、大国からは領土を削る。侵略を企てる国には、平和政策をとらせる。武力
が強大な国には、兵力を削減させる。弱小国には、援助を与える。紊乱乱をきわめる国
は併合し、暴虐非道なで主を追放する。為政者の責任だけを追及し、人民には累を及ぼ
さない。こうして、つねに天下の秩序を確立するように努力するから、天下に君臨する
ことができるのだ。
すなわら、覇王とは、まず一国を豊かにし、さらに他国にまでその威光を及ぼす人物
のことである。かれには、自分こそ天下に威光を及ぼすものであるという確信があるか
ら、徳を同じくし、道をともにする諸侯にたいして、国を奪ったり、君主風を吹かせた
りするようなことはしない。天下を争うさい、力ずくではなしに威光によって相手を心
服させる。これこそ、覇王ぞのとる手段なのだ。
覇王には、君主らるにふさわしい[道」のほかに、天の「時」が味方している。自国
は安泰で、隣国は乱れている、こんなときこそ、覇王にとっては絶好の機会なのである。
一国の存亡は、隣国と密接に関係している。隣国の不安定は、自国にとっては利益で
あり、それにつけこんで、隣国を滅ぼすこともできるのだ。事実、覇王は、天下の乱れ
に乗じて、これを有利にみちぴいた。
聖人が現われるのは、国が危機に迫られようとするときである。隣国の失政をすばや
く教訓としたからこそ、覇王は天下に君臨しえたのだ。失政を犯せぱ犯すほど、隣国を
有利にするという退屈を為政者は認識する必要がある。
春秋の五覇 春秋時代(前770~404年)は、周の王権がしだいに弱まり、数十の
王家、部族、つまり、諸侯が争ういわゆる古代封建制の時代である。そのなかで指導的
地位を扱りした者が覇者であり、すでに名実的な存在となっていた周王室は、それを認
めざるを得なかった。斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王夫差、越王勾践を「春秋の
呉覇」という(夫差と勾践のかわりに、宋の襄公、秦の穆公を加える説もある)。
管子の使えた斉の桓公は、紀元前651年、葵丘(河南省商丘県)で中原の諸侯を集
めた大会合を主催し、覇者としての地位を確立した。
管子が説くように、覇者は、単に"強い"というだけでなく、"天下の秩序を確立する"
能力をもっていなければならなかった。こうした事情を念頭におくとき、管子の説は、
生き生きと迫ってくる。
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霸王之形,象天則地,化人易代,創制天下。等列諸侯,賓屬四海,時匡天下,大國小之,
曲國正之,彊國弱之,重國輕之,亂國并之,暴王殘之,僇其罪,卑其列,維其民,然後
王之。夫豐國之謂霸,兼正之國之謂王,夫王者有所獨明,德共者不取也,道同者不王也。
夫爭天下者,以威易危暴,王之常也。君人者有道,霸王者有時,國修而鄰國無道。霸王
之資也。夫國之存也,鄰國有焉;國之亡也,鄰國有焉。鄰國有事,鄰國得焉,鄰國有事,
鄰國亡焉。天下有事,則聖王利也。國危,則聖人知矣。夫先王所以王者,資鄰國之舉不
當也。舉而不當,此鄰敵之所以得意也。
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「覇言」の「覇王の条件」での「隣国の不安定は、自国にとっては利益」という件りこそは
人権意識、民主主義の前確立の古代封建制の国家盛衰論で現代にあっては陳腐であることは
言をもたない。さて次回も「覇言」。
この項つづく 銅鼎(どうてい)