エナジーハーベスト(環境発電)は熱電変換素子とコントロールチップを経由し、再生可
能エネルギーを供給する。写真のデバイスは、オブジェクト間の温度差――例えば、自動
車のフェンダーやビルの壁と外気間)――を利用し発電・充電できるという優れもの。利
用シーンは野外や都市と無限にありそうだ。
【脱ロスト・スコア論 Ⅶ】
● たまには熟っくりと本を読もう
高橋洋一著 『「成長戦略」の罠―「失われた20年」』
■ 官も民も「身内の論理」――日本経済の先行きは暗い
成長戦略(「日本再興戦略」改訂版)の副題には「未来への挑戦」とあるが、日銀
にしろ財務省にしろ、霞が関官僚たちが「無謀性の神話」に支配されている限り、こ
の国に明るい未来はない。
話は飛ぶが、2014年6月20日、改正会社法が政府案どおり可決・成立した。2
015年4月から施行される。報道では「社外取締役の選任を促す法律」や「社外取
締役の起用を促進」などと持て囃されていたが、問題点がある。肝心の「社外取締役
の義稗づけ」が見送られたのである。
私は世界の情勢に鑑み、「独立した」社外取締役は当然と考えている。そのため法
案成立前の段階から、政府案に歯がゆい思いをしていた。結局、経済界でも「身内の
論理」に閉じこもる文化を打ち破れないのか、と残念で仕方がない。
公務員制度改革法でも、公募をできるだけ排除しつつ、しっかり天下りは確保する
という「身内の論理」で凝り固まっている。幹部公務員に外部者を入れにくいのは、
先進国で日本だけだ。
経済界でも官界でも、こうした「身内の論理」が横行したら、日本経済の先行きは
危ないだろう。
改正会社法と公務員制度改革法、一見すると別物で無関係な事象であるが、その根
っこには日本社会独特の「身内の論理」が横たわっている。「身内の論理」は家族の
間だけで通用すればいい。経済・社会に持ち込むことはないだろう。「身内の論理」
は、多様性の拒否であり、外部との競争もしたくないということにつながる。そうし
た保身根性からは、ろくなものが生まれないと私は信じている。
会社法改正議論の経緯を振り返ってみよう。ことの発端は民主党である。
民主党に政権交代した直後の2010年、当時の千葉景子法務大臣が法制審議会に
会社法改正を諮問し、《会社法制について、会社が社会的、経済的に重要な役割を果
たしていることに照らして会社を取り巻く幅広い利害関係者からの一層の信頼を確保
する観点から、企業統治のあり方や親子会社に関する規律等を見直す必要があると思
われるので、その要綱を示されたい》とした。
この「幅広い利害関係者」とは、労働組合が念頭にあると思うが、「独立」した人
にコーポレートガバナンスを任せるという世界の流れとは無縁だ。労働組合は企業に
とって「身内」なのか、民主党も「身内の論理」から抜け出られそうにない。
法制審議会会社法部会は2011年12月に「中間試案」を公表し「社外取締役の
1人以上の義稗づけ」を盛り込んだ。しかしその後、民主党政権最後の2012年9
月に出された答申からは「義務づけ」が除外された。
もちろん、これには民主党の体質だけでなく、経済界の反対があったことは言うま
でもない。
ただし、義務づけを主張する声もあり、《社外取締役が存しない場合には、社外取
締役を置くことが相当でない理由を事業報告の内容とするものとする》という規定が
盛り込まれた。また、導入を促すルールを証券取引所の規則に盛り込むよう要請する
ものとされた。
そして2012年末に自民党に政権交代すると、この問題は精力的に議論されるよ
うになる。
■ なぜ「社外取締役選任の義務づけ」が見送られたのか
自民党は野党時代の政策集で、社外取締役の導入促進、上場会社における複数独立
取締役義務化を合む「企業統治改革の推進」を掲げている。
2013年6月14日に閣議決定された「日本再興戦略」(改定前の「成長戦略」)に
も、《会社法を改正し、外部の視点から、社内のしがらみや利害関係に縛られず監督
できる社外取締役の導入を促進する(次期国会に提出)》と明記された。
ところが、2014年4月の国会に提出された改正案(「会社法の一部を改正する
法律案」)は、民主党時代の答申とほぼ同じ内容であった。社外取締役選任の義務づ
けが見送られ、《社外取締役が存しない場合には、社外取締役を置くことが相当でな
い理由を事業報告の内容とするものとする》という規定が残されたままである。
政権交代しても、民主党と同じ内容とはどういうことなのか。
「企業は労働組合を合めた関係者のもの」という位置づけの民主党と、「企業は経済
成長のエンジン」という自民党では、思想がまったく違うはずなのに。
こうした批判を想定してか、"言い訳”も用意されている。
①社外取締役を置かない場合は、株主総会での理由説明を義務づける。これはヨー
ロッパで採用されている“comply or explain"(従うか、さもなければ説明せよ)
ルールでもあるから問題ない
②監査役の代わりに「監査等委員会」を設置できる制度を新設した。委員会は3人
以上の取締役で構成し、その過半数を社外取締役とするので、社外取締役選任の
追い風になる
③社外取締役を置いても外国人投資家が増えるとは限らない
④日本では社外監査役が、諸外国における社外取締役の機能を一部果たしている
他にもあるが、私にはどれも"付け焼刃”にしか見えない。いずれも一面の事実で
はあるのだろう。それでも結局、日本企業の「身内の論理」を代弁したにすぎないか
らである。
①の「社外取締役を置かない場合の説明」は、証券取引所ルールでなされる。だが
取引所ルールは自主規制なので、厳格な意昧での「義務づけ」にはならない。会社法
で少なくとも1名の社外取締役選任を義務づける。そのうえで、取引所ルールは会社
法に加重し、複数の独立した社外取締役を求めることに使うべきだ。
ヨーロッパ諸国よりも株式市場のウエイトの高いイギリスとアメリカでは、独立し
た社外取締役がいるのは常識である。しかも、イギリスでは社外取締役の役員比率は
50%、アメリカは70%、韓国でも30%という。
日本取引所グループ(JPX。東京証券取引所グループと大阪証券取引所が合併し
て発足)の調査では、日本でも社外取締役がいる会社のほうが、利益率が高くなって
いる。
また④「社外監査役が、諸外国における社外取締役の機能を一部果たしている」と
いう理屈には、思わず吹き出してしまう。
取締役と監査役はともに役員だが、役割が違うではないか。たしかに最近は、監査
役の重要性が増してきたが、それでも限界がある。もちろん監査役にも取締役会への
出席義務があるのだが、成立要件にはなっていない。
■ なぜ "みすほスキャンダル"は防げなかったのか
こうした話は具体的に見ていったほうがよく分かる。
卑近な例として、みずほ銀行の暴力団融資問題を挙げよう。このスキャンダルは2
013年9月27日、金融庁がみずほ銀行に対して業務改善命令を出したことで発覚し
た。みずほ銀行はグループ傘下の信販会社オリコ(オリエントコーポレーション)を
通じ、暴力団員ら反社会的勢力に総額約2億円を融資していたが、2年もの間、何の
対策も講じずにいたというものである。
業務改善命令を受けた当初、みずほ銀行は「問題の情報は担当役員止まりでトップ
には届いていない」としていたが、10月8日に記者会見を開き、歴代頭取が知りなが
ら放置していたことを認めた。取締役会にも何回にもわたって関係資料が提出されて
いたという。
結果として、みずほ銀行は業務の一部停止など行政処分を受けることになり、持ち
株会社であるみずほフィナンシャルグループ(FG)の塚本隆史会長が引責辞任する
に至った。
この暴力団融資問題が露見した当時、みずほ銀行には2人の社外監査役がいた。1
人は元最高裁判事で、もう1人は弁護士出身である。
司法出身のその方々が、暴力団融資関係の資料が提出された取締役会に出席してい
たのかどうか。資料は何回も取締役会に提出されていたというのだから、まさか「見
なかった」というわけではないだろう。監査役であるがゆえ、経営には口出ししなか
ったのかもしれない。
なお余談だが、みずほ銀行は、みずほコーポレート銀行との合併後、元財務官僚を
社外監査役として受け入れている。それは金融庁から出された業務改善命令への対応
の一環だったのだろうが、期待された責務を全うできただろうか。
いずれにしても、社外監査役が経営の歯止めになっていなかった例である。みずほ
銀行の問題は、社外取締役の役割を再認識させてくれる。
やはり問題発覚時点での比較だが、3大メガバンク(三菱東京UFJ銀行、三井住
友銀行、みずほ銀行)のうち、社外取締役がいなかったのはみずほ銀行だけだ。
・三菱東京UFTJ銀行 社外3人(取締役17人)
・三井住友銀行 社外3人(取締役16人)
・みずほ銀行 社外0人(取締役8人)
※いずれも2013年10月時点
もっとも三井住友銀行の社外取締役3人は、それぞれ公認会計士、企業コンサル、
弁護士出身だから、全員が「独立した社外取締役」と言ってもいいだろうが、三菱東
京UFJ銀行のほうは、3人の出身が三菱信託銀行、東京海上火災、公認会計士。し
たがって「独立」と言えるのはI人だけである(東京海上火災は三菱グループ)。
念のため書き添えておくと、2014年6月25日現在で、みずほ銀行には取締役13
人中、2人の社外取締役がいる。また監査役5人中、3人は社外監査役だ。
■ 大企業の「系列」は官僚の「庭先掃除」に通じる
日本で「社外取締役」と言うと、おしなべてブ切成り名を遂げたし筒齢の方々ばか
りだ。これは日本の大企業の特徴である。社外取締役は仕方なく置くが、外部者から
は意見を求めない-やはり「身内の論理」が通っている。
もし、みずほ銀行に「身内」ではない独立した社外取締役が複数いれば、暴力団融
資についておそらく誰かが何らかの対応を促したであろう。
社外取締役に期待される機能は2つある。
まず、取締役会に外部の目が入ることで経営者らの不正を未然に防ぐ「ブレーキ役」
だ。もうひとつは、不採算事業の温存など経営判断の先送りを防ぎ、収益性を向上さ
せる「アクセル役」である。
ともに「身内の論理」の排除が求められる。
社外取締役の設置義務は、アベノミクス「第3の矢」のシンボルのひとつとして見
る向きもあったので、改正会社法で見送られたことは残念である。「第3の矢」は
「身内の論理」ではなく「オープン」がカギだからだ。
171ぺージで「庭先掃除」という霞が関用語を挙げ、官僚の "内向き" ぶりを指
摘した。これが「身内の論理」に通底する。すなわちクローズドであり、ドメスティ
ックであって、まるでグローバルでもオープンでもないのである。組織の保全が第一
義となるから、外部から"異物"を入れない。
日本の官僚制に接して外国人が驚くのは、事務次官になる人物がすべて生え抜きで
あるということだ。普通の先進国ではありえない。たとえばアメリカでは政権が替わ
れば公務員の顔ぶれも替わるし、企業でも社外取締役どころか、CEOなどトップで
さえ外部から連れてくる。他の先進国でも、事務次官の半分くらいは外部登用が当た
り前である。
官と民(財界)、双方に「身内の論理」という文化がある日本では、公務員の公募
制度や社外取締役など、とんでもない話になるのだろう。そして「身内の論理」は、
官と民の利害を一致させる機能さえある。それが天下りだ。
関連会社を従えた大企業は、「系列」という企業グループを形成し、取締役も系列
から選任する。そこに外部が入り込む余地はない。霞が関の "生え抜き人事" と同じ
である。自分たちの価値観と方法論を守るから、知らない人に来てもらいたくない。
何か文句を言われそうで嫌なのだ。
霞が関からの天下りが取締役にいる会社なら、そうした傾向はますます強まるに違
いない。もし純然たる社外取締役がやって来て、取締役会などで天下りと顔を合わせ
でもすれば、「なんであんな人(天下りのこと)がこの会社にいるの?」と必ず言わ
れる。
それはそうだろう。天下り(の取締役)は、その会社の業務について専門的な知見
があるわけではなく、役所とのパイプ役に過ぎない。そのうえ、さしたる勤務実態も
ない(週に2日の出勤など)のに高給を食み、専用単に乗っている……。「なぜ、こ
こにいるのですか」の世界だ。
ところが改正会社法により、「義務づけ」は見送られはしたものの、社外取締役設
置の "圧力" だけは生まれた。ここで、ある企業がひねり出した苦肉の策がすごい。
天下りを社外取締役にしてしまう――。
本来は "異物 "で、経営にズケズケ物言う存在であるはずの社外取締役に、「身内
の論理」でつながる元官僚を据えつけてしまえば、ひとつも文句は言わない。社外取
締役と天下りの合体とは、よく考えたものだ。
日本では公務員改革が停滞するとともに、「身内の論理」がまだ蔓延っている。そ
れがこの国の「成長」を阻害する。成長戦略を声高に唱えても、その成長には期待し
にくい。
■ STAP細胞論文騒動と官僚制
天下りに言及したついでに、今なお沈静化しない "騒動" を振り返ってみることに
する。小保方晴子氏(研究ユニットリーダー)のSTAP細胞論文と、理化学研究所
(理研)にまつわる一連の騒動だ。
そもそも理研とはどのようなところか。理研は、長岡半太郎、鈴木梅太郎、本多光
太郎、寺田寅彦、仁科芳雄、朝永振一郎、湯川秀樹などを輩出した日本屈指の研究機
関である。
設立は1917年と歴史も古く、1966年まで文京区駒込に研究所があり、その
後、埼玉県和光市に移転した。実は、私の出身校である都立小石川高校の隣だったの
で、理研研究所の移転跡を毎日見ており、理研の立派さを何度も聞かされた。
戦前、研究の商業化に成功して理研コンツェルンを形成し、大きな収益を上げ、そ
こから潤沢な研究資金を捻出できた。このため理研は「科学者たちの楽園」とも呼ば
れたのだ。戦後、一時は民間株式会社化もされたが、1958年に特殊法人化され、
2003年に独立行政法人になっている。
総務省の『特殊法人総覧』(平成24年度版)によれば、予算900僚円、職員数4
663人(常勤職員3409人、非常勤職員1254人)である。
2009年の民主党政権当時、理研はスパコンで問題視された。蓮筋氏の「一番で
なければダメですか」で有名になった事件だ。その当時、役員8人のうち4人が天下
り官僚であった。具体的には理事2人が科学技術庁、監事2人が農本省と財務省の出
身である。
今では、監事2人は民間出身者になったが、常勤理事2人は相変わらず科学技術庁
(現文部科学省)の官僚OBである。うち1人は、今回の騒動に対する理研の対応で
相当な役割を担ったと見られるコンプライアンス担当だ。
しかも、2人の官僚OBは「役員出向」と書かれている。これは国家公務員の「退
職管理基本方針」によって行なわれた「現役出向」のことで、別名「ウラ下り」と呼
ばれる。民主党の菅直人政権下で閣議決定された制度だ。官僚が退職して再就職する
とき、役所の斡旋がつくと「天下り」となって規制の対象になるが、「退職せずに現
役で出向」ならばお咎めなしという抜け穴である。
理研の官僚OBは、形式的には役所をいったん退職している。プロフィールを載せ
た理研のホームページに(退職(役員出向)》と書かれている。しかし、本当に退職
して退職金をもらうときには、「出向」している期間も通算されるのだ。だから形式
的な退職には意味がない。
理研の役員は、形式的には「天下り」ゼロである。しかし「現役出向」が2人いる
わけだ。役員に官僚の天下りがある場合、課長クラスにも同じように天下りや出向者
がいることが多い。私の知る限り、理研には文部科学省だけで三十数名の出向者がい
たはずだ。
官僚の世界では "上"を天下りポストにできると、その組織の中に官僚OBだけの
ミニ組織ができる。これが組織内でがん細胞のように増殖し、しばしば組織を内側か
ら蝕むのだ。
■ 「第4の矢」があった?!
さて「日本再興戦略」改訂版の閣議決定で「3本の矢」が出そろったはずのアベノ
ミクスだが、もう1本の矢があることをご存じだろうか。
閣議決定の直前、2014年5月28日の経済財政諮問会議でのことだ。甘利明経
済財政・再生相が「第3の矢」である成長戦略に続き、財政健全化を「第4の矢」と
位置づけたのである。私はこのことを知ったとき、とんでもない「矢」を放ってしま
ったものだと思った。
成長戦略は甘利経済財政相の分野だが、経産省の政策は「あまり」海外の評判がよ
ろしくない。
海外では「成長戦略」となると、デレギュレーション(規制緩和・撤廃)、プライ
バタイゼーション(民営化)、フリートレード(自由貿易)という英語にもある概念
で説明される。
しかし経産省お得意の「産業政策」=「産業ターゲティング・ポリシー」は「産業
選別」という意味で、なかなか海外では通用しにくい。このことは繰り返し述べてき
た。
特定産業の選別は依怯聶叙になるし、そもそも政府に成長産業を選び出す能力がな
いからである。英語で説明する際には、頭にわざわざ「ジャパニーズ」と形容詞をつ
ける。つまり揶揄されているのだ。
そこで出てきたのが「第4の矢」――財政健全化というわけである。
この裏側には、もちろん財務省がいる。財政制度等審議会がまとめる報告書の原案
について、各メディアが先行して報じた。財務官僚によるリスクである。
財政健全化の達成手法は、大別すると3つある。
①経済成長
②歳出カット
③増税
以上だが、財務省の言う「財政健全化」は、明らかに増税である。
まず財務官僚には、予算査定において官僚特有の「無謬性」があるので、歳出に無
駄があるとは認めない。このため、②の歳出カットはできないというのが基本的立場
である。
となると、①の経済成長か、③の増税のどちらかが選択肢だ。しかし以下の理由に
より、財政健全化の達成手法として、③増税になる。
①経済成長では、結果として増収になるのは分かっているはずだ。しかし予算をつ
くる過程では歳入増を見込みにくいので、まずは②歳出カットが求められる。それが
できないと財務官僚の責任になるが、回避したいのだ。
その点、③増税は、その是非と責任について、選挙があれば政治家に取らせること
ができるので、官僚としてはOKだ。しかも、予算の裁量粋が広がり、財務官僚の権
益が拡大する。
ここで注意すべきは、あくまで予算上の歳入が増えるだけで、実際の税収が増える
わけでないという点である。増税は経済活動を抑制し、その結果、税収は減少するこ
とが多い。直近のデータが物語っている。
しかし増税すれば、予算上の歳入は増える。マクロ経済の動きとは別に、形式計算
によって、増税(税率アップ)がそのまま歳入の税収増になっているからだ。
というわけで、財務省の財政健全化は増税になるしかない。
一応、経済財政諮問会議では、財政健全化を「第4の矢」としてぶち上げておきつ
つ、財政客報告書で「財政の健全化は増税」となる路線を敷いたわけである。この意
味で、経済財政諮問会議は、財務省の増税路線の走狗になっている。もっとも、財務
省の150年間の歴史を見ると、「財政の健全化は増税」という主張はほとんどない。
多くのときには「財政の健全化は経済成長」という、まともな主張をしている。
今の執行部が、歴史的に見ておかしな主張をしていることを指摘しておきたい。
■ なぜ「4本目の矢」は不要なのか
財政健全化を、わざわざ「第4の矢」として掲げるのは、まったくおかしい。首相
官邸を筆頭に「アベノミクスの3本の矢」と連呼しているのに、もう1本加わったら
国民も混乱するだろう。
「オッカムの剃刀」という言葉をご存じだろうか。「前提や仮定は、なるべく少な
くする」という考え方である。私は数学科出身なので、前提や仮定は相互に矛盾せず
最少にすることが当たり前だ。しかし経済財政諮問会議の議員は、経済の相互関係を
よく知らずに余計な「矢」を放っている。
どういうことか説明しよう。
実は「第4の矢」とされる財政健全化は、「第1の矢」である金融政策から導かれ
るのだ。この意味で、4本目は不要な「矢」である。また、財務省の目論む「増税」
なら、「オッカムの剃刀」によれば矛盾するものとして排除されなければいけない。
まず財政健全化を定義してみる。これは「債務残高対GDP比が、将来において発
散しないこと」と考えていい。その条件は前ページ上段の式のとおりである。
条件式の意味をおおざっぱに言うと――『基礎的財政収支について、成長率が金利
(国債金利)より高ければ多少の赤字でもよく、成長率と金利が等しければ均衡して
いること、成長率が金利より低ければ一定の黒字が必要になる。
そこで、成長率と金利の関係であるが、理論的にどちらが大きいとは言えない。2
000年以降のOECD35カ国のデータを見ると、平均はほぼゼロであり、プラスで
もマイナスでもほとんどがゼロの近辺になっている(上グラフ1)。
要するに、データから見れば成長率と金利が等しいと考えてよい。であれば、財政
の健全化のためには基礎的財政収支を均衡させればいいのだ。
バブル後の1991年からのデータを見ると、基礎的財政収支対GDP比は、1年
前の名目GDP成長率でほとんど決まってくる(上のグラフ2)。ちなみに両者の相
関係数は0.92と高い。1年のズレがあることから、因果関係と考えていいだろう。
■ 「成長」への道
ところが、増税は明らかに経済成長にマイナスである。消費税率3%の増税で経済
成長率は1%程度低下する。消費税は予算上の増収になるかもしれないが、所得税や
法人税が減少するのだ。その結果、税全体で増収になるのか減収になるのか分からな
い。
他方、金融緩和は名目GDPを伸ばす。2年前のマネーストック増加率は名目GD
P成長率と強い相関がある。ということは、金融緩和すると2年後の名目GDPは高
まるのだ。
この実証データは、2年間金融緩和して、その間には増税を行なわないほうが、名
目GDPを伸ばし、結果として財政再建の近道になることを示している。
ちなみに、財政健全化を達成するためには、8%程度のマネーストック増加率を維
持するように金融政策を行なえばよい、となる。
もちろん、個々の状況ではいろいろとファインチューニングが必要なこともあるが、
基本的には適切な金融政策によって安定成長路線を目指したほうがよいのである。
イギリスは財政再建のために、2011年から消費税を増税した。だが、景気は低
迷している。世界的に緊縮財政が見直されているが、日本の財務省だけは増税に固執
している。
「第1の矢」を放った日銀は、まともな金融政策をしたと世界から評価された。今度
は財務省の番だ。しかし「第4の矢」などとぶち上げないでもらいたい。10%へのさ
らなる消費税増税のアナウンスが流れるなか、私はあえて言う。急がは回れ、と。財
政健全化のためには増税ではなく経済成長が先だ。
なお、読者の中には「財政再建すら不要だ」という人もいるかもしれない。日頃の
財務省の増税主義を見ていると、そういった極論も発してみたくなるのかもしれない。
しかし、私は財政再建という目標は悪くないと思っている。いつものように世界各
国を見ても、財政再建は英語で説明可能で’“fiscal consolidation”と言う。しばしば
“No growth,no fiscal consolidation.”(成長なくして、財政再建なし)とも言われる。
日本では、財政再建=増税と思い込んでいるのが間違いなのだ。
もっとはっきり言えば、財政再建のためには、消費税増税をやめるのがいい。その
うえで法人税を減税するのがいい。このときのロジックは、前にも指摘したが、今の
政府の「国際競争力」のためではなく「二重課税の排除」だ。
これは税の理論にも合致している。そのために行なうべきことは、国民番号制と歳
入庁である。それらをきちんと整備すれば、負担を公平にしたうえで、実は税と社会
保険料で10兆円以上の歳入増があると試算されているのだ。そうであれば、今の法人
税を20%台、すなわち29%へ6%程度の減税などというシャビーな改正ではなく、10
%台にまで引き下げられる。
これは超バラマキだが、そうすれば必ずどこかの業界が伸びてくる。成長戦略でも
そうだ。あらかじめ特定の産業を選別するのではなく、バラマキの結果、伸びてきた
芽を見つける。その芽は、すでに「成長力」を持っていることになる。
成長のための「選択と集中」を断行できるのは、民間の企業経営者である。しかし
それでも失敗することが多い。まして官僚には、「選択と集中」をする能力など備わ
っていない。何か成長するのか、誰にも分からないのだ。
誰にも分からないものを、官僚に分かるはずなどない。官僚が賢くて全知全能とい
うのは嘘である。
国民にとって、アベノミクス「第3の矢」である成長戦略最大の陥介は、その嘘を
見破れないことだろう。
高橋洋一 著 『「成長戦略」の罠―「失われた20年」は、さらに続く』
さて、今夜で上がりとなるが、高橋の "成長論”は――これは超バラマキだが、そうすれ
ば必ずどこかの業界が伸びてくる。成長戦略でも そうだ。あらかじめ特定の産業を選別
するのではなく、バラマキの結果、伸びてきた芽を見つける。その芽は、すでに「成長力」
を持っていることになる――という。これはブログでも取り上げた『僕なら言うぞ』の故
吉本隆明と同じだ。これはわたしなり補足すれば、政府は、官僚介入をできる限り抑制し、
民間に開放し、インフレーターゲットなどの主要な指標を基準に市場調整を行なえば良い
ということになるが、新産業・事業育成で必要なものは積極的に産助すべしと考えている。
この項了