あすよりの淋しき胸を思ひやる 心に悲し夜の 雨の音 / 柳原白蓮
● アッ驚く、人工葉っぱ
この先、"地球温暖化による異常気象"はどうなるのだろうか? 世界各国で異常気象の被害が拡大し
ているようだ(「2014年08月14日:歴史的カリフォルニア干魃 サンフランシスコは散水規制」環
境工学研究所 WEEF)。そんなこと心配ない!と思わせる?発明が出てきた――ロンドンロイヤル
カレッジオブアートの一人の学生が、世界初の「人工の葉」を開発。蚕の繭を素材のベースにして
作られて、本物の植物の葉のように、水と二酸化炭素を吸収して酸素を吐き出し、光合成を行うこ
とができるので、美味しい空気を提供できるというのだ。技術工学領域でいうと、「有機エレクト
ロニクス―生物工学」ということになるから温暖化ガスの浄化になり、さらには、エネルギーとし
てとりだせば太陽電池にもなという21世紀初頭の大発明になる。これは凄い!
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Man Creates The First Ever Leaf That Turns Light and Water Into Oxygen
【遺伝子組み換え作物論 22】
第6章 バイテク産業の汚れた策略 その?
ナイジェリア
2004年5月、米国国際開発庁は、ナイジェリア政府と、ナイジェリアに本部を置く「国
際熱帯農業研究所(IITA)」と覚書を交わし、農業バイオ技術の研究開発のために210
万ドルの資金援助を約束した。米国国原開発庁の広報責任者ドーン・リベリオーヴァーはその
目的を説明する。
[この資金は、ナイジェリアの主要な入学や研究所で行なわれる、害虫や病気に抵抗性をもつ
遺伝子組み換えササゲ(マメ科相物∵やキャッサバイモ(南米原産・タピオカの原料にもなる)
の研究開発を支援するために使われる.。同時に、遺伝子組み換え生物に対する管理体制を整
え、国民がバイオテクノロジーを受け入れることを促すための知識を普及するために使われる」
言い換えれば、規制当局に甘い規則を導入させて、バイテク産業にとって都合のいい説明を国
民に受け入れさせようとしているのである。
さらに、NGO「GMウオッチ]は、これと同時期に起きた奇妙な出来事を指摘する。
「ナイジェリアがバイオテクノロジーの安全基準に関する指針を受け入れたすぐ後に、米国国
際開発庁は援助を実施した。しかも同時に、他のアフリカ諸国のモデルにするため "バイオセ
ーフティ法" の制定に向けた協議が、ナイジェリアと南アフリカとで開始されたのだ」
しかし、この法案も国民からは支持されていない。2004年7月、「全ナイジェリア消費者
同盟(AXCOMUこのランレ・オギーニは、「ナイジェリア政府は、農業バイオ技術の後進
を目的とした「覚書」を白紙撒回すべきである」と批判した。
「この覚書は十分に検討されていない。遺伝子組み換え作物は安全でないと指摘する様々な証
拠が出ている以上、もっと慎重でなければならない。そもそもナイジェリア政府は、バイテク
技術の推進よりも、伝統的な農業を再生・促進すべきだ。もっと適切な西洋科学を導入し、医
療訓度の普及を進めて、持続可能な研究にこそ力を入れるべきなのである」
インド
インドで最初に導入された遺伝子組み換え作物は、モンサント杜の害虫抵抗性「Bt綿」で
あり2001年から2003年にかけて商業栽培が始まった。商品名「ボルガード」と呼ばれ
るこの綿は、ハイテク産業による途上国への策略の実態をよくあらわしている。
「Bt綿」を問発したのは、モンサント杜のインドにおける子会社「マヒコ杜(マハラシュ
トラ・ハイブリッドーシード・カンパーニー]であり、1998年から2002年にかけて試
験栽培を行なった。
しかしアーンドラ・プラデーシュ州の「持続可能な農業センターCSA)」が発表した20
05年報告書では、次のように問題を指摘する。
「他の国なら、さらに2年間の試験栽培が必要なはずたった、そのうえ、他の畑と交雑しない
ための十分な間隔をとっておらず、商業栽培を前提としていたのに小さな畑で試験栽培が始ま
った」
法今に違反していたのはこの点だけではない。その後の野外での大規模な試験栽培を許可し
たのは、インド政府の担当省である「バイオテクノロジー省(DBT)」ではなく、「遺伝子
組み換え作物承認委員会(GEAC)」だったのである。しかも、試験栽培の実態は非公開で
あり、マヒコ社は「収穫量が増えてコストが低ドする]と宣伝したが、当局に提出された資料
には、その主張を裏づけるデータはなかった。
こうした怪しげな状況の中で実施された商業栽培には、多くの疑問がある。そもそも、イン
ドには犬坂根な農業研究機関が存在するのに、なぜ「マヒコ杜]が独自に試験栽培をすること
が許可されたのだろうか。当初の試験栽培の成績が悪かったため、栽培結果を精査すべきとい
う意見が多数あったにも関わらず、なぜその後の野外での試験栽培非公開にすることが許され
たのだろうか.モンサント杜の「Bt綿」は貧弱な品種であり、インドの在来種の方がはるか
に優れているとわかっていたはずなのに、なぜ「遺伝子組み換え作物承認委員会」は、商業栽
培に向けて野外での試験栽培を許可したのだろうか。インドの「環境保護法」は遺伝子組み換
え作物の栽培にあたって、規別当肩の設置を義務づけているのに、なぜその機関が存在しない
アーンドラ・フラデーシュ州とマハラシュトラ州で、商業栽培が認められたのだろうか。イン
ド政府の「遺伝子組み換え作物承認委員会]が2001年に、3種類の「Bt綿」商業栽培を
承認した会議には、なぜ二人の委員が欠席していたのだろうか。そもそも野外での試験栽培の
中止を求める裁判が進行中だったのに、なぜ商業栽培を承認したのだろうか。このように、数
々の疑惑があるのだ。
2003年8月には、インドでバイテク技術の先頭に立っていた科学者が、モンサント杜な
どのバイテク企業と、インドの政治家や官僚だちとの癒着に抗議した。インドにおけるバイテ
ク技術の指導的存在であるプシュパ・バーガバが、インドの農業を支配しようとする米国の隠
れた活動を批判したのである、彼は、米国の種子企業に刈する当局の点検や監督が不十分なこ
と、米国の神子企業がインドの種乙丿事業を支配しようとしていること、インド各地には安く
てよい種子が存在するのに、農民に提供することが妨害されていると批判した。さらに、彼は
次のように語っている。
「我々はモンサント杜を信用できない。彼らが、人々に誤解をゾえる情報を流し、特には法
に違反する行為をすることも広く知られているし、文書にも残っている。モンサント杜がBt
綿の試験栽培記録を改ざんした証拠もある。しかも、モンサント杜が小規模な試験栽培を実施
している段階で、遺伝子組み換え調査委員会(RCGM)が、一度も視察をしていないことも
法令に違反している」
2004年同月に、インドの長針開発に取り組むNGO「デカン開発協会」のP・V・サテ
ィーシュは次のように警告している。
「ハイテク能吏の強力なロビー活動によって、インドの遺伝子組み換え作物承認委員会の権限
は骨抜きにされた。可能な限り承認を迅速に進めるため、判断を業がに委任してきたのだ」ヴ
ァンダナーシヅァ博士も、「本末なら、こ旭伝y組み換え作物承認委員会の権限を強化すべき
だったのに、遂に権限を弱めてしまった」と述べている。
それでも結局、インドにおける最初の「Bt綿」が失敗に終わったことは、さまざまな証拠
が示している。遺伝r組み換え作物を推進してきたアーンドラ・ブラデーシュ州の公的な報告
書(2003年〜2004年)は、「モンサント社の種子は、在来種と比べて5から7分の1
の収穫量しかなかった」と指摘する。そのため同州政府は、モンサント杜の子会社「マヒコ社」
に対して、農民の損害を補償することを求めたのである。
「デカン開発協会]の報告書(2002年〜2003年)も、[Bt綿」は在来種に比べて約
半分の収推量しかなかった。利益が出たのは29%の農家だけで、82%の農家は利益が出な
かった」と指摘する。
国際環境NGO「グリーンピース」もカルナータカ州の三つの県を調査して、「Bt綿を導
入したことで、農薬と化学肥料の費用が増加し、農家の作業も増えた。種子の価格は在来種の
4倍だったのに、綿花の出来は小さく品質も悪かったため、Bt綿の市場価値は在来種よりも
低かった」と報告している。
モンサント杜の子会社「マヒコ社」も独白に統計数字を作成したが、「グリーンピース」の
研究者がその内容を点検したところ、農家は「マヒコ社」から収穫量を誇張して報告するよう
指導されており、その他にも虚偽の数値が数多く記載されていたことが判明している。
翌年の2003年から2004年にかけては、アーンドラ・プラデーシュ州の気候条件は綿
の生育にとって最良の条件だったにも関わらず、「Bt綿」は再び採算に合わなかっ(アーン
ドラ・ブラデーシュ州の元農業所長で、「生物多様性保護同盟(ΛPCIDDこのアブドゥル
ーオアヨームが行なった調査は、「Bt綿」の収益率は、在来種に比べて9%低かった」と報
告している。
そして今回もモンサント杜は、独自に報旨書を発表した。しかし、「生物多様性保護同盟」
の報告書は半月に一度、農民に会って調査したものだったが、モンサント杜の報告書は調査を
委託したマーケティング会社が、一度農民に会って聞き取っただけのものだった。ところが、
モンサント社の調査報告書によれば、殺虫剤の使用量が4分の1に減り、収穫量が12倍に増
え、利益率が百倍になったと主張していたのである。
インドではこの間に4000人以トの農民が自殺する悲劇が起きている。「2005年にア
ーンドラ・プラデーシユ州とヴィダルバ地域で自殺した農民の90%がBt綿を栽培していた。
遺伝子組み換え作物がインドの農民を殺す」とヴァンダナ・シヴァ博士は批判している。
フィリピン
フィリピンでは2001年12月に、国民には一切の情報を与えず、何の議論も行なわずに、
遺伝子組み換えトウモロコシの商業栽培を許可しか。そのため、環境保護同体や農民、カトリ
ック教会などが長期にわたってハンガー・ストライキを実施し、激しい抗議活動が広がった。
この時、認可に向けて圧力をかけだのが、遺伝子組み換え作物を開発していた「国際稲研究所
(IRRI)」たった。またそれを助けたのが「アグバイオーワールド則団」のブラカシュ会
長であり、彼は2002年6月にマニラで報道沖に向けて、「グリーンピースは、遺伝子組み
換え作物に反対する企業から資金援助を受けている可能性がある」と非難し(ただし企業名を
言うことは拒否した)、「遺伝子組み換え作物は、長期間の保存ができるので、農民は収穫後
の損失を減らせる」と主張した,(この主張はまったくの嘘だが、プラカシユ会長が訂正する
ことはなかった)、さらに彼は、「遺伝子組み換え作物は、貧しい農民の病気を回復させるこ
ともできる」と称賛し、フィリピン上院の保険委員会でも同様の証言を行なった。
フィリピンで遺伝子組み換えトウモロコシが承認された背景には、こうした不当な主張があ
ったのである、野党「バヤン・ムナ党」の下院議員サトゥール・オカンポは、次のように批判
する。
「遺伝子組み換え作物の審査過程は非公開で、政府はモンサント杜が提供した資料をもとに認
可した。遺伝子組み換えトウモロコシが環境や人間の健康にさまざまな影響をもたらす可能性
があると指摘する様々な科学的証拠については、一切、無視したのである」
フィリピンーマリキナ巾のグズマン市長も次のように批判する。
「報道によれば、モンサント社と、植物産業局(BPI)こは、審査結果の詳細を公開するこ
とは拒がした、彼らは常に。企業秘密を盾にして、国民に情報を隠しているのだ」
こうして、フィリピンで承認された遺伝子組み換えトウモロコシは、安全性審査を行なって
いなかったし、どの程度の害虫抵抗性があるのか、その調査結果も公開されなかった。試験栽
培は温室内でなく野外で行なわれたが、厳重に管理され、マルコス体削の時代に暗躍し、人権
侵害行為で告訴された悪名高き入物が警備にあたった。
そのため、モンサント社の試験栽培は様々な批判を浴びることになった.試験栽培を禁止す
る地方自治体の方針に違反していたこと、収穫量を水増しして報告したこと、フィリピンでは
ほとんどの農家が温室を利用できないのに、収穫呈を増やすため流説設備を使ったこと、害虫
が広がっていない地域に害虫抵抗性「Btトウモロコシ」を導入しようとしたことなどが問題
になった。
それでも、モンサント社は百袋の種子を購入した農協には、コンピュータを提供するといっ
た強引な手法を使って販売を進めた。フィリピンのNGO「農業開発のための農民と科学者の
パートナーシッブ(MASIPAGごが発行した報古書『食料と健康と希望を売る?モンサン
ト社の背後にある真実』(2003年6月)は、次のように実態を報告している。
「モンサント社は、ある州では.20人から50人もの販売員を雇い、彼らには"技術者"の肩
書を与えた。怪しげな種子を販売するために、科学の名を使って信用させようとしたのである」
「モンサント社は、実績を上げた販売業者には気前よくふるまい、科学者、ジャーナリスト、
宗教指導者、地方や州の役人にも多額の金を使った。さらには、政府に対しても種子代金の半
額を補助することを要請した。さらに、どんな手段も利用するのがモンサント社である。”植
物育種研究所(IPB)の研究員も今ではモンサント杜に勤務している。この植物育種研究所
は、コメ以外の作物の育種改良では、フィリピンで第一級の研究所である。パイオニア社やカ
ーギル社とも共同で害虫抵抗性「Brトウモロコシ」の試験栽培を行なっているため、科学者
の間で議論を呼んでいる。
そして、この試験栽培の責任者だった人物も最近、モンサント社に転結したと報じられた」
ところが2003年5月に、モンサント社は米国国際開発庁が出資して設立したロビー団体『
アジャイルAglle)と一緒に告訴された。フィリピン最大の貧しい農民団体「フィリピン
農民運動(KMP)が"反遺伝子組み換え作物法案"を下院に提出しようとする活動を妨害され
た」と主張して訴えたのだ。農民団体「KMP」の代表ラファエル・マリアーノは、次のよう
に抗議する。
「"総合的な安全性審査を行なっていない遺伝子組み換え作物については、認可・試験栽培・生
産を中止すべきyと決めた法案3381や、下院決議238と922があるにも関わらず、2
001年10月以降、下院では遺伝子組み換え作物の問題についてまったく審議されなくなっ
た。モンサント杜とロビー団体。アジャイルヽが必死に法案の町決を阻止してきたのだ。すべ
ての遺伝子組み換え作物と食品に表示を義務づける法案1647‘も、モンサント杜の関係者
や。アジャイルの働きかけによって、働きかけで阻止されている」
ちなみにロビー団体「アジャイル」は1998年以降、フィリピン農政省の中に事務所を置
いている。
そして、フィリピンで積極的に活動するもう一つのロビー団体が、悪名高い「国際アグリバ
イオ事業団(ISAAA)」である。彼らは、地方の農民を利用して遺伝介組み換え作物の、
素晴らしさ゜をマスコミに語らせ、いつもの誇大な宣伝活動によって害虫抵抗性トウモロコシ
をフィリピンに普及してきた。
「フィリピン縁の党」のロベルトーベイルゾラは、彼らの販売方法について語る。
「モンサント杜の害虫抵抗性トウモロコシ810は、遺伝子組み換え作物であることを表示せ
ず、単に、DK818YG°という新たな商品名で、フィリピン全国に販売している。農民は、
自分が遺伝子組み換え作物を栽培しており、それがマスコミや社会で大きな論争となった害虫
抵抗性作物であると知ることはほとんどない。フィリピン政府がモンサント社や種子販売会社
から遺伝子組み換え作物を購入し、疑いをもたない農民に、最初は無償や補助金をつけて提供
することもよくある。
こうして、モンサント杜は国民の税金を使い、政府の技術者や農業専門家、政策担当者と共
謀し密かに誤った情報を流して、フィリピンでも害虫抵抗性トウモロコシの生産を拡人してい
るのだ」
リーズ、アンディ 著 『遺伝子組み換え食品の真実』
この項つづく
君が涙のときには僕はポプラの枝になる
孤独な人につけこむようなことは言えなくて
君を泣かせたあいつの正体を僕は知ってた
ひきとめた僕を君は振りはらった遠い夜
ここにいるよ愛はまだ
ここにいるよいつまでも
空と君とのあいだには今日も冷たい雨が降る
君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる※
※リフレイン
作詞/作曲 中島みゆき
『空と君のあいだに』
絢香(1987.12.18.-)は、大阪府守口市出身の女性シンガーソングライター。夫は俳優の水嶋ヒロ。
高校1年生の冬、学校の「自分の曲を作ろう」という授業で初めて曲を作った。ただメロディを作
るだけのものであったが、カバー曲を歌うのとは違う感覚が生じた。「自分の曲を届けたい」とい
う気持ちが芽生えてきたが、ちゃんとした曲の作り方やその広げ方が分からなかった。そんなとき
に知人の紹介で西尾芳彦が塾長を務める「音楽塾ヴォイス」(福岡市にある音楽スクール)の存在
を知る]。2004年の春(高校2年生)、「音楽塾ヴォイス」に通い始める。毎週末に大阪-福岡間を
往復し、西尾による指導のもとで、楽曲創作活動を本格的に開始。また、高校も第一経済大学付属
高等学校(現第一薬科大学付属高等学校)に転学。この曲は、2013年2月20日、活動再開後最初のシ
ングル「beautiful/ちいさな足跡」を発売の後、9月4日、初のカバーアルバム『遊音倶楽部 〜1st
grade〜』に収められた一曲である。NHKの朝ドラ「花子とアン」で歩を亡くした母の気持ち詠っ
た葉山蓮子(柳原白蓮)の短歌に惹かれこの曲を聴くことにした。長雨とテレビドラマ―短歌―歌
謡曲が万華鏡のように織りなすマルチメディアな夜となる。