正月、三月、四月 / 魯の隠公即位のいきさつ
※ 「元年、春、王の正月」とは周王の暦の正月という意味である。即位し
たのに、その記述がないのは、摂政だからである。「三月、隠公は邾
(ちう)の儀父(ぎほ)と蔑(べつ)(魯の地)において盟約を結んだ
」とあるが、邾の儀父とは邾子の克(こく:名)のことである。邾国は
子爵を授けられたのであるが、この時はまだ周王からその沙汰を受けて
いなかったため、子爵とは書かれていない。また名を記さずに儀父と字
を書いたのは、その人に敬意を表わすためであった。
隠公は摂政の位につくと、郭国に友好関係を求めようと恚った。そこ
で蔑の盟約を結んだのである。夏四月、魯の大夫の費伯が軍を率いて郎
(魯の邑:まち)に城壁を築いた。『春秋」に記録されていないのは、
君命によってしたものではないからである。
※ 鄭の荘公小覇の時代:『左伝』は魯国の年代記『春秋経』の"解説書"で
あり、第十三代の隠公以下、魯国の君主の統治年代に従って記されてい
る。原形は煩雑で理解しにくいので、本訳書は事件単位に整理して編集、
原形式を示すため、巻頭の隠公元年、隠公二年の条だけは全文をかかげ
ている。原形は、まず『春秋経』の文をかかげ、この説明、補足として
『伝』の文が記されている。ただし、隠公元年の冒頭は、魯の隠公が即
位するに至ったいきさつを説明したもので、元年以前にさかのぽるから、
経文のまえにおかれている。
※ 春秋の歴史は、黄河下流の平原地帯、すなわち、今の河南省と山東省西
部を舞台として展開。数ある諸国のうち、大国として挙げられるのは、
宋・衛・斉・魯・陣・蔡・鄭の七国で、中でも建国のいちばんおそかっ
た鄭が最も強盛である。西周の末年に建国した鄭は、新しい商業政策を
採用してめきめきと国力を伸張した。三代目の当主、荘公(BC743~701)
は、弟共叔段の内乱を克服した後、老獪な遠交近攻策(斉・宋と結んで
宋・衛を東西から挟撃する)を用い、陣・宋・北戎・許など近隣の諸国
を次々に撃破し、はては、周王を迎え討ってこれを敗った。そして斉の
桓公の副業に一歩先んじて、小覇すなわち小型の覇者となるのに成功し
た。
● オーシャンクリーンアップ:太平洋のプラスチック除去事業で、2,170万ドル調達
今月3日、オーシャンクリーンアップは、事業資金の寄付金 2,170万ドルを調達したことを公表。同
事業は、昨年11月以来、2170万ドルの寄付に成功する。この最新の資金調達ラウンドにより、2013年
以降の同事業の総資金は3150万ドルに達した。この新しい貢献により、今年後半に太平洋でクリーン
アップ技術の大規模な実験を開始する。過去4年間で、海洋流を利用しプラスチックを捕捉/濃縮す
るプラスチック捕獲技術を開発。これにより、太平洋の海洋ごみを理論上清掃時間を数千年から数年
に短縮できることになる。 海洋クリーンアップは、2017年後半に太平洋水域で初めてのクリーンアッ
プシステムの実験を開始する。
May. 5, 2017
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オーシャンクリーンアップは、世界中の海洋漂流プラスチックゴミ捕獲除去システムを開発。 発端
は、ボーン・スラット(Boban Slat)が18歳の時に発案し、2013年に「The Ocean Cleanup」 を設立、
現在、約65人のエンジニアと研究者を雇用する非営利団体。 財団はオランダのデルフトに本部を
置き、人工の海岸線のように機能する長い浮遊障壁のネットワークで、自然の海流を集中させること
で捕獲・回収した海洋プラスチックを貴重な原材料にするプロセスを開発している。本格的な展開に
備え海洋マッピングを行いながら、2016年6月に北海で百メートル幅の試作機(α機)を製作しテス
トを繰り返し改良してきた。今回のステップアップ実験は2017年後半に予定されている。
グーグルのサンルーフが世界を覆う日 革命は成就される。
【RE100倶楽部:太陽光発電篇】
● 米国 グリッドパリティ到達で今後5年で倍増も
3月9日、米GTMリサーチ社と太陽光発電産業協会(SEIA)は、米国の太陽光発電市場は2016年に
過去最高の伸びを記録し、2015年の2倍近くの発電設備が接続された。その結果、これまでで初めて
他のどのエネルギー源よりも多くの発電容量が接続された。今後も5年間で現在の3倍近くまで成長
を続けると「U.S. ソーラーマーケット・インサイト(Solar Market Insight)2016」で発表。米太陽光市
場の成長を支える要因の一つは、価格の下落である。米国の太陽光発電システムの平均価格は2016年
に約20%下落した。GTM 社 が同調査を開始して以来、最も大きな下落率という。この価格下落が
後押し、2016年には 14.8GW が導入され記録的な成長となっている(上/下図参照)。同報告書では、
2017年に13.2GWの太陽光発電が導入されると見込む。2016年からは10%の下落となるものの2015
年の導入量からはまだ75%も多いとしている。 導入量の落ち込みは、メガソーラー(大規模太陽
光発電所)の市場でみ起きる。かつてないほど多くの件数となったメガソーラーのプロジェクトが
2015年後半に接続された後となる。これらのプロジェクトは元々、投資税額控除(ITC)の当初の失
効期限となる2016年末までの完成を予定していた駆け込み需要によるもの。ITCは2019年までの延長
を米議会が2015年12月に可決しており、2019年以降は控除される比率が30%から10%まで段階的
に引き下げられる。
市場成長に曲折のあったメガソーラー市場とは対照的に、住宅用など分散型の太陽光発電の市場は、
今後の2~3年間、概ね継続的に成長すると見込む。システムコストが急速に下落しており、多くの
州で「グリッドパリティ」の状況が実現する。一方、ネットメータリングの価格改訂など、この分野
でもリスク要因があるため、引き続き留意が必要とGTMリサーチは話す。2016年に22州がそれぞれ、
100MW 以上の太陽光発電を導入した。100MW 越えの州は、2010年のわずか2州から大幅に増加して
いる。成長が顕著なのが、ジョージア、ミネソタ、サウスカロライナ、ユタの4州である。同社は、
住宅太陽光の市場セグメントが2017年に9%成長すると見込み、従来住宅太陽光の市場のほぼ半分を
占めていたカリフォルニア州は、2017年に失速するとみる一方で、調査対象の40州のうち36州が、
年間ベースで成長する。米国の太陽光市場で特徴的なセグメントが、「コミュニティソーラー」である。
コミュニティソーラーの市場は、2015~16年の間に4倍近く成長した。この分野の太陽光が特に伸び
ているのが、ミネソタとマサチューセッツの両州である。同社は、非住宅太陽光の市場では2018年に
コミュニティソーラーが300%を占めると予測。2019年までに、米国の太陽光発電市場ではすべて
の市場セグメントが成長を回復すると見込み、1GW以上の太陽光を導入した州は、現在の9州から
2022年までに24州に増えると予測している。
May 4, 2017
● グーグルのサンルーフ事業 ドイツの7百万世帯分を見積もる
グーグルのサンルーフ事業部は、ドイツの7百万世帯に太陽発電推定量を見積もる。これにより太陽
光発電に切り替え可能であるとする。現在ドイツの家庭の40%が同事業により解析が完了している。
使い方は簡単、ユーザのアドレスを入力し「 E.ONソーラー電卓」を使うと自動的に経費削減額が表示
される。勿論、このサービスは無料で、すでに米国では50州が網羅されている。
● インドの「神々の果実」が 太陽電池コスト大幅削減 ?!
ジャムン(ムラサキフトモモの果実)は、南アジアの先住民で 、安い値段で手に入る。 ジャムンの
木はおよそ百フィートの高さで百年間の樹齢で、その木の黒い果実はその高い栄養価のため薬用とし
常用されてきたが、この果実の顔料アントシアニンは、太陽光発電に使用できるかもしれないという。
サパタティ研究所のグループは、これが色素増感太陽電池(DSSC)の増感剤として使用したところ
この天然色素で発電することを確かめる。また、その製造コストは、従来のソーラーパネルの40%
削減できるのではないかと考えている。さらに、このようなアントシアニンはブルーベリー、ラズベ
リー、チェリー、クランベリーにも含まれその応用は広い。但し、今回の実験での発電効率は0.5%
程度で従来のソーラーそれは15%以上のため課題は残る(上下図参照)。
【デジタル地震予測倶楽部:プライベート電子観測点完備する】
● 依然、南関東地域警戒レベル5
22.招待はまだちゃんと生きています
翌日は月曜日だった。目が覚めたとき、ディジタル時計は6:35を表示していた。私はベッ
ドの上に身を起こし、その数時間前、真夜中のスタジオで起こった出来事を頭の中に再現した。
そこで鳴らされていた鈴、ミニチュアの騎士団長、検とのあいだに持たれた奇妙な会話。それら
のすべては夢だったのだと私は思いたかった。とても長いリアルな夢を私は見たのだ。それだけ
のことなのだと。そして明るい朝の光の下では、実際にそれは夢の中で起こった出来事としか思
えなかった。私は出来事のあらゆる部分を克明に記憶していたが、それら細部についてひとつひ
とつ検証すればするほど、何もかもが現実から何光年も離れた世界の出来事のように見えた。
しかし、それをただの夢だと思い込もうとどれだけ努めても、それが夢ではないことは私には
わかっていた。これはあるいは現実でないかもしれない、しかし夢でもないのだ、と。何である
のかはわからないが、それはとにかく夢ではない。夢とは別のなりたちの何かなのだ。
私はベッドから出て、雨田典彦の『騎士団長殺し』を包んでおいた和紙を取り、その絵をスタ
ジオに持って行った。そしてそこの壁に吊し、スツールに腰掛けて長いあいだその絵を正面から
見つめた。騎士団長が昨夜言ったとおり、絵には何ひとつ変わりはなかった。騎士団長がそこか
ら抜け出して、この世界に現れたわけではないのだ。絵の中では騎士団長は相変わらず胸に剣を
突き立てられ、心臓から血を流して死にかけていた。私は宙を見上げ、悶いた口を歪めていた。
苦悶の呻きを発しているのかもしれない。彼の髪型も、着ている衣服も、手にしている長剣も、
黒い奇妙な靴も、昨夜ここに現れた騎士団長の姿そのままだった。いや、話の順序から言えば
――時系列的に言えば――もちろんあの騎士団長の方が、絵の中の騎士団長の風体を精密に真似
たわけなのだが。
雨田典彦が日本画の筆と顔料で描きあげた架空の人物が、そのまま実体をとって現実(あるい
は現実に似たもの)の中に現れ、意志を持って立体的に動きまわるというのは、まさに驚くべき
ことだった。しかしじっと絵を見ているうちにだんだん、それが決して無理なことではないよう
に、私には思えてきた。おそらくそれだけ、雨田典彦の筆致が鮮やかに生きているということな
のだろう。現実と非現実、平面と立体、実体と表象のはざまが、見ればみるほど不明確になって
くるのだ。ファン・ゴッホの描く郵便配達夫の姿が、決してリアルではないのに、見ればみるほ
ど鮮やかに息づいて見えるのと同じだ。彼の描くカラスが、ただの荒っぽい黒い絵に過ぎないの
に、本当に空を飛んでいるように見えるのと同じだ。『騎士団長殺し』という絵を眺めながら、
私はあらためて雨田典彦の画家としての才能と力量に敬服しないわけにはいかなかった。おそら
くあの騎士団長も(というか、あのイデアも)、この徐の素晴らしさ、力強さを認めたからこそ、
雨中の騎士団長の姿かたちを「借用する」ことにしたのだろう。ヤドカリができるだけ美しい丈
夫な貝を住まいとして選ぶように。
雨田典彦の『騎士団長殺し』を十分ばかり眺めてから、台所に行ってコーヒーをつくり、ラジ
オの定時ニュースを聞きながら簡単な朝食をとった。意味のあるニュースはひとつもなかった。
というか今では日々のすべてのニュースは、私にとってほとんど意味のないものになっていた。
しかしとりあえず、毎朝ラジオの七時のニュースに耳を傾けることを、私は生活の一部にしてい
た。たとえば地球が今まさに破滅の割にあるというのに、私だけがそれを知らないでいるとなれ
ば、それはやはり少し困ったことになるかもしれない。
朝食を済ませ、地球がそれなりの問題を抱えながらも、まだ律儀に回転を続けていることをと
りあえず確認してから、コーヒーを入れたマグカップを手にスタジオに戻った。窓のカーテンを
開け、新しい空気を部屋に入れた。そしてキャンバスの前に立ち、自分自身の圃作に取りかかっ
た。「騎士団長」の出現が現実であろうがなかろうが、免色の夕食に彼が出席しようがするまい
が、私としてはとにかく自分のなすべき仕事を進めていくしかない。
私は意識を集中し、白いスバル・フォレスターに乗った中年男の姿を眼前に浮かび上がらせた。
ファミリー・レストランの彼のテーブルの士にはスバルのマークがついた車のキーが置かれ、皿
にはトーストとスクランブル・エッグとソーセージが盛られていた。ケチャップ(赤)とマスタ
ード(黄色)の容器がそのそばにあった。ナイフとフォークはテーブルに並べられていた。料理
はまだ手をつけられていない。すべての事物に朝の光が投げかけられていた。私が通り過ぎると
き、男は日焼けした顔を上げて私をじっと見上げた。
おまえがどこで何をしていたかおれにはちやんとわかっているぞ、と彼は告げていた。その目
に宿っている重い冷徹な光には、見覚えがあった。それはたぶん私がどこか他の場所で目にした
ことのある光だった。しかしそれがどこでだったか、いつだったか、私には思い出せなかった。
彼の要かたちと、その無言の語りかけを私は絵のかたちに仕上げていった。まず昨日木炭を使
って描いた骨格から、パンの切れ端を消しゴム代わりに使って、余分な徐をひとつひとつ取り去
っていった。そして削げるだけ削いだあとで、あとに残された黒い徐に、再び必要とされる黒い
徐を加筆していった。その作業に一時間半ほどを要した。その結果キャンバスの上に出現したの
はまさに、白いスバル・フオレスターに乗った中年男が(言うなれば)ミイラ化した姿だった。
肉が削ぎ落とされ、皮膚がビーフジャーキーのように乾燥し、ひとまわり縮んだ姿たった。木炭
の租く黒い徐だけで、それは表されていた。もちろんただの下描きに過ぎない。しかし私の頭の
中には来るべき絵画のかたちがしっかりと像を結びつつあった。
「なかなか見事であるじゃないか」と騎士団長が言った。
後ろを振り向くと、そこに騎士団長がいた。彼は窓際の棚の上に腰掛けて、こちらを見ていた。
背中から差し込む朝の光が、彼の身体の輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。やはり同じ白
い古代の衣裳を着て、短い身の丈に合った長剣を腰に差していた。夢じゃないのだ、もちろん、
と私は思った。
「あたしは夢なんかじゃあらないよ、もちろん」と騎士団長はやはり私の心を読み取ったように
言った。「というか、あたしはむしろ覚醒に近い存在だ」
私は黙っていた。スツールの上から騎士団長の身体の輪郭をただ眺めていた。
「ゆうべも述べたと思うが、このような明るい時刻に形体化するというのは、なかなかに疲弊す
るものなのだ」と騎士団長は言った。「しかし諸君が絵を描いているところを、コ皮じっくり拝
見させてもらいたかった。で、勝手ながら、さっきから作業をまじまじと見物させてもらってい
た。気を悪くはしなかったかね?」
それに対してもやはり返事のしようがなかった。気を悪くするにせよしないにせよ、生身の人
間がイデアを相手にどのような理を説けるものだろうか。
騎士団長は私の返事を待たずに(あるいは私が頭で考えたことをそのまま返事として受け取っ
て)、自分の諸を続けた。「なかなかよく描けておるじやないか。その男の本質がじわじわと浮か
びだしてくるようだ」
「あなたはこの男のことを何か知っているのですか?」と私は驚いて尋ねた。
「もちろん」と騎士団長は言った。「もちろん知っておるよ」
「それでは、この人物について何か教えてもらえますか? この人がいかなる人間で、何をして
いて、今どうしているのか」
「どうだろう」と騎士団長は軽く首を傾げ、むずかしい表情を顔に浮かべて言った。むずかしい
顔をすると、彼はどことなく小鬼のように見えた。あるいは古いギャング映画に出てくるエドワ
ード・G・ロビンソンのように見えた。ひょっとしたら騎士団長は実際に、その表情をエドワー
ド・G・ロビンソンから「借用」したのかもしれない。それはあり得ないことではなかった。
「世の中には、諸君が知らないままでいた方がよろしいことがある」と騎士団長はエドワード・
G・ロビンソンのような表情を顔に浮かべたまま言った。
雨田政彦がこのあいだ言ったことと同じだ、と私は思った。人にはできることなら知らないで
いた方がいいこともある。
「つまり、ぼくが知らないでいた方がいいことは教えてもらえないということですね」と私は言
った。「なぜならば、あたしにわざわざ敢えてもらわなくとも、ほんとうのところ諸君はそれを
既に知っておるからだ」
私は黙っていた。