荘公、九年 管鮑の交わり / 鄭の荘公小覇の時代
※ 殺された斉の襄公には、二人の弟がいた。糾と小白である。糾
は管仲、召忽の二重臣が奉じて魯へ、小白は鮑叔牙(ほうしゅ
くが)が率じて菖へ亡命していた。襄公のあとをこの二人のど
ちらが継ぐか・・・・・・。
※ 公孫無知は前々から大夫の雍廩(ようりん)を虐待していた。
九年春のこと、雍廩は公孫無知を殺す。夏、わが魯の荘公は斉
に兵を向け、公子糾を即位させようとしたが、一足先に小白(
しょうはく:後の桓公)が莒から帰って即位した。秋、わが魯
軍は乾時の地で斉軍と戟った。戦いはわが軍の敗北に終わり、
荘公は自らの兵車を棄て、駅から駅へ馬車を乗りつぎ、ほうほ
うのていで逃げ帰った。荘公の御者泰子(しんし)と戎右の梁
子とは荘公の旗印を立ててわき道に敵をさそい、荘公を逃がし
た。そのために二人は捕虜となった。斉の鮑叔牙は、軍を率い
てわが国に至り、申し入れを行なった。「貴国に滞在する公子
糾は、わが君の庶兄、わが国で手を下すわけにはいかぬから、
貴国で処置されたい。しかし、管仲(夷吾)はわが君の仇敵で
ある。わが方で存分に処分したいので、引き渡しを願いたい」
魯は子糾を生竇(せいとく:魯の地、山東省荷沢県の牝)で殺
した。召忽はこれに殉じて死んだが、管仲は、「わたしを斉に
引き渡してもらいたい」といった。鮑叔牙は管仲の身柄を受け
とって帰国したが、堂阜の地、山東省蒙陰県の西北)まで来る
と、管仲の縛めを解いた。
帰国すると、飽叙牙は桓公に進言した。
「管夷吾は高傒(こうけい殿(高敬伸、当時斉の宰相の地位に
あった)よりも、政治の才があります。宰相に取りたててしか
るべきかと存じます」
桓公はこの意見に従った。
【DIY日誌:シロアリ駆除法のテストⅡ】
4月21日に第1回目の試作機をテストの不具合5項目――❶天板厚み不足、❷と出ノズル口径変更、
❸注水ノズル口径変更、❹ノズル材質変更、❺逆止弁追加などの改良を加え2度目のテスト再開。2
種類の防虫剤・防燻剤で、テストを行い完了。第3回目の拡大テストを今週末に計画する。尚、シロ
アリなどの害虫駆除の最新技術概要は下記のとおり。
害虫駆除、特にシロアリは木造家屋に対して甚大な損害を与えるため、その駆除剤および駆除方法
に関して世界中で研究開発されてきた。シロアリの駆除方法としては、❶有機リン剤、❷カーバメー
ト剤、❸ピレスロイド剤などの溶液型薬剤を侵入箇所に注入して殺虫する方法、❹または臭化メチル
などで燻煙を行い殺虫する方法がある。✪これらの薬剤散布型処理法に代わるものとして、遅効性の
殺虫有効成分を餌に混入してシロアリに摂食させ、その駆除を行う✪❺ベイト法がある。
従来の駆除技術は基本的には加害された木材の外側から大量に薬剤を投入して殺虫するというもので
あり、シックハウス症候群などの健康被害や環境汚染につながっている。また、シロアリのコロニー
の一部でも残存すると、別の箇所に被害を拡大してしまうという問題がある。最も重大な問題は、駆
除に要する工賃がかかりすぎる点である。頻繁に実施されているのは❹臭化メチルを用いた燻蒸法で
あるが、臭化メチルはオゾン層破壊の原因物質であり、近年使用を規制しようとする動きが強まって
いる。しかし、シロアリと同様に社会生活を営むアリの駆除法としては毒物にアリの嗜好物を混入し
て餌として与え、巣に持ち帰らせて全集団を捕殺する方法が有効だが、しかしシロアリは営巣してい
る木材自体を摂食するため、毒餌剤を用いて巣の外部から巣の内部に薬剤を運搬させるベイト法は必
ずしも効果的ではない。特にヤマトシロアリ属シロアリではベイト法によって巣を根絶することは難
しい。
そこで、ベイト法よりもさらに効率よく活性成分を害虫に摂取させる方法として、➏害虫の基本的社
会行動である卵運搬本能を利用した「擬似卵運搬による害虫駆除法」がある。この方法における害虫
はシロアリであった。しかしながらこの方法では、シロアリの卵から抽出した粗抽出成分を用いて
シロアリに擬似卵を運搬させることは可能であったが、シロアリの卵認識フェロモンは同定されなか
った。卵認識フェロモンが同定されて大量かつ安価に生産が可能とならないかぎり、このような方法
は害虫がシロアリである場合、外部から薬剤を浸透させることが困難で、シロアリはコロニーの一部
でも残存すると、移動して被害を拡大させる。棲息する木材自体を食べ生活するため、毒餌剤の導入
が非効果的である。➐害虫、特にシロアリの卵認識フェロモンでシロアリの卵認識フェロモンが抗菌
タンパク質の一種リゾチームムを含有する卵を認識し、巣内の育室に運搬し、保護することを利用し、
害虫の卵を模した基材にリゾチーム、その塩、その生物学的フラグメントまたは関連ペプチド、活性
成分を含有させた擬似卵法――大量/安価に製造でき、害虫、特にシロアリの駆除や防除を効果的、
かつ簡便、安価に行う方法――も開発されている。
【RE100倶楽部:電気自動車篇】
● 化石燃料車は、石油や自動車産業の「死のスパイラル」で8年後に消滅
8年以内にガソリンやディーゼル車、バス、トラックは消滅する。陸送市場全体が電化に切り替わり
石油産業の崩壊する1世紀になるだろう(スタンフォード大学の経済学者トニー・セバによる未来予
測)。彼の報告書によれば、原油の長期価格は1バレルあたり25米ドルに低下。シェールと深水掘
削はその経済的基盤は限界に突入し、ロシア、サウジアラビア、ナイジェリア、ベネズエラらの産油
国は困窮する。これはフォード、ゼネラルモーターズ、ドイツの自動車産業にとっても脅威となる。
残酷な電気自動車への選択と集中のおかげで低収益市場のセルフドライブのサービス会社の脅威にさ
らされる。「次世代の車は車輪搭載コンピュータ」、グーグル、アップル、フォックスコーンの企業
に取って代わられる。つまり、デトロイト、ヴォルフスブルク、トヨタシティでなく、自動動作のあ
るシリコンバレーに移る。また、セバ教授によると、この技術変化は気候政策ではなく、技術そのも
のにより、市場から圧力は、政府が望むと望まぬと関係なく激しく変化するものであるという。
電気自動車用蓄電池の範囲が二百マイル(約322キロメートル)を超え、電気自動車価格が3万ド
ル(約330万円)に下落すると、この「転換点」は2~3年後に到着するだろう。22年までにロ
ーエンドのモデルは2万ドル(約220万円)に下落、その後、雪崩を打ち、デジタル革命渦に飲み
込まれる――25年までに、新車は全て新車、新型トラクター、新型バン、車輪を動かすものは全世
界で電気になると指摘する。私たちは、歴史の中で最も速く、最も深刻で、最も重大な結果をもたら
す輸送の断絶の時代に遭遇――人々が完全に運転をやめ、燃費の限界費用がほぼゼロ、予想寿命が百
万マイル(約161万キロメートル)と、化石燃料車より10倍安い自己駆動電気自動車への大量切
り替えが起きる。そこでは古物収集家だけが化石燃料車を運転する時代でもある。また同時に24年
までにディーラーはなくなり。 ガソリンスタンド、スペア、内燃機関の部品販売/修理店を見つけ
ることが難しくなる。これは大規模石油産業、大型自動車産業の双子の「死の渦巻き」でもある。
Tony Seba's Book
✪将来の予測されるエネルギーミックスを表示、状態にカーソルを置き クリックすると、百%クリ
ーンで再生可能なエネルギーへの移行のメリットを示すインタラクティブな体験ができます。
✪Hover over state to see future projected energy mix. Click to launch an interactive experience
showcasing the benefits of a transition to 100% clean, renewable energy.
The Solutions Project
【産機・電気自動車・家電を制すモーター制御講座】
● モータ制御設計を連続系理論から適切にデジタル化へ展開する手法
さて、産業機器や鉄道車両から家電や電気自動車まで、モーターのデジタル制御技術が幅広い分野で
使われ、制御回路やモーターに掛けられるコストダウン要求喫緊課題。モーターのデジタル制御のス
キルに磨きをかけトップを疾走するための肝はいかに。以下、参考記載。
☑ コストダウンや生産能力向上要求に応えるには、モーター制御の原理原則を理解し、適切なデジ
タル化手法を把握することが重要。
☑ 連続系理論でのモーター制御設計の基本の理解➲マイコンの演算能力は高く、デジタル化を意識
しなくても性能発揮できる時代、性能追求はインバーター動特性も踏まえること➲SiCなどパワ
ーデバイス実用時代を意識し、高速・高周波で動作するインバーター性能の良さを生かすの制御
方法を考える。
☑ センサーレスベクトル制御、誘導機、PMモーター・DCブラシレスモーターの駆動基本原理から
実践までの要点を身に付ける。➲マイコン、PGA(field-programmable gate array)は)を用いたモー
ターのデジタル制御手法、➲SiCなど最新パワー半導体をモーター駆動要点の習得。
【RE100倶楽部:蓄電池篇】
● 三菱ふそう電気トラック「eCanter」向け急速充電設備 川崎工場で開設式
5月10日、三菱ふそうトラック・バスは日、同社の川崎工場に電気トラック向けの急速充電設備
「EV Power Charger(EVパワーチャージャー)」を設置。これは9月に発表し量産を予定している電
気トラック「eCanter」を前に、電気トラックの利用者向けに環境を整えるため。一般道に面してお
り、24時間利用可能になる予定。川崎工場の周囲の公道に面した2カ所で、それぞれ4台の急速充
電器を備える。JRの線路側に設置したFUSO EVチャージャーでは、4台のうちの1台が国内のCHA
deMOと欧州のComboの両方式に対応する充電器となり、Combo方式の車両が来ても充電できる。こ
れまでの充電器と異なるのは、3トン積みの電気トラック「eCANTER」に対応するスペースを備え
ていること。国内で販売されるeCanterはCHAdeMO方式だが、既存の乗用車を想定した充電設備では、
車両スペースの関係で対応できないところもある。装備する急速充電器は全台とも50kW充電に対応
するタイプで、トラックの仕様により充電地容量は異なるとしながらも、20%程度の残容量で入っ
てきたeCANTERが40~550分間で80%まで充電できるという目安を打ち出す。EV Power Charger
は、対応する認証カードを持っていれば利用が可能。9月に発表予定のeCANTERだけでなく、他社のE
V(電気自動車)やPHV(プラグインハイブリッド)でも区別することなく利用できる。なお、川崎
工場では太陽光発電施設を導入。最大出力680kWで、CO2ゼロでの充電環境が整っている。
29.そこに含まれているかもしれない不自然な要素
その二日のあいだ、私はスタジオにおかれた二枚の絵を交互に眺めて時を送った。雨田典彦の
『騎士団長殺し』と、私が描いた白いスバル・フォレスターの男の絵だ。『騎士団長殺し』は
今はスタジオの白い壁にかけられていた。『白いスバル・フォレスターの男』は裏向きにされ
て部屋の隅に置かれていた(眺めるときにだけ、私はそれをイーゼルの上に戻した)。その二
枚の絵を眺める以外は、ただ時間を潰すために本を読んだり、音楽を聴いたり、料理を作った
り、掃除をしたり、庭の雑草を抜いたり、うちのまわりを散歩したりしていた。絵筆をとる気
持ちにはなれなかった。騎士団長も姿を見せることなく、沈黙を守っていた。
近所の山道を散策しながら、秋川まりえの家がどこかから見えないものか探してみたのだが、
私が歩きまわった限りではそれらしい家は目につかなかった。免色の家から見たところでは、
直線距離にすればけっこう近くにあるはずなのだが、地形の関係で視界が遮られているのだろ
う。林の中を散歩しながら、私は知らず知らずスズメバチに気を配っていた。
二日間その二枚の絵を交互にじっくりと眺めて、あらためてわかったのは、私の抱いた感覚
は決して間違っていなかったということだった。『騎士団長殺し』はそこに秘められた「暗号」
の解読を求めていたし、『白いスバル・フオレスターの男』はそれ以上その両面に作者(つま
り私のことだ)が手を加えないことを求めていた。どちらの訴えもきわめて強力なものであり
――少なくとも私にはそう感じられた 私はただそれらの要求に従うほかなかった。私は『白
いスバル・フォレスターの男』を現状のまま放置し(しかしその要求の根拠をなんとか理解し
ようとつとめ)、また『騎士団長殺し』の中に、その絵が真に意図するところを読み取るうと
つとめた。しかしどちらの結も胡桃の殼のような堅い謎に包まれており、私の握力ではどうし
てもその殼を砕くことができなかった。
もし秋川まりえの案件がなかったら、私はあるいはいつまでも際限なくその二枚の絵を交互
に眺めて日々を送っていたかもしれない。しかし二日目の夜に免色から電話がかかってきて、
おかげでその呪縛はいったん中断されることになった。
「それで、結論は出ましたか?」と免色は一通りの挨拶が済んだあとで私に尋ねた。もちろん
彼は、私が秋川まりえの肖像画を描くことになるかどうかについて尋ねているのだ。
「基本的には、その話はお引き受けしたいと思います」と私は返答した。「ただしひとつ条件
が
あります」
「どんなことでしょう?」
「それがどのような絵になるのか、ぼくにはまだ予想がつきません。実際の秋川まりえを前に
して絵筆をとって、そこから作品のスタイルが決定されていきます。アイデアがうまく働かな
い場こは、絵は完成しないかもしれません。あるいは完成してもぼくの気に入らないかもしれ
ない。
あるいは免色さんの気に入らないかもしれません。だからこの絵は免色さんの依頼を受けて、
あるいは示唆を受けて描くのではなく、あくまでぼくが自発的に描くのだということにしていた
だきたいのです」
一息置いてから免色は探りを入れるように言った。「つまり、もしあなたができあがった作品
に納得できなければ、それはどうあっても私の手には渡らない。おっしやりたいのはそういうこ
とですか?」
「そういう可能性もあるかもしれません。いずれにせよ、できあがった絵をどうするか、それは
ぼくの判断に一任してもらいたいのです。それが条件になります」
免色はそれについてしばらく考えていた。それから言った。「イエスと言う以外に、私の答え
はないようですね。その条件を呑まなければ、あなたは絵を描かないということであれば」
「申し訳ありませんが」
「その意図はつまり、私からの依頼、あるいは示唆という枠組みを外すことによって、芸術的に
より自由でいたいということなのですか? それとも金銭的な要素が絡んでくることが負担であ
るからですか?」
「そのどちらも少しずつあると思います。でも重要なことは、気持ちの面でより自然になりたい
ということなのです」
「自然になりたい?」
「この仕事から不自然な要素をできるだけ取り除きたいということです」
「ということは」と免色は言った。彼の声が少しだけ堅くなったようだった。「私が今回、秋川
まりえの肖像画を描くことをあなたにお願いしたことに、何かしら不自然な要素が含まれている
と感じておられるのでしょうか?」
あたかも水にザルを浮かべんとするようなものだ、と騎士団長は言った。穴ぼこだらけのもの
を水に浮かべることは、なにびとにもかなわない。
私は言った。「ぼくが言いたいのは、今回のこの件に関しては、ぼくと免色さんとのあいだに
利害の絡まない、いねば対等な関係を係っておきたいのだということです。対等な関係というの
は、失礼な物言いかもしれませんが」
「いやべつに失礼じやありません。人と人とが対等な関係を保つのは当たり前のことです。思っ
たことをなんでも言ってくださってけっこうです」
「つまりぼくとしては、免色さんはそもそもこの話には絡んでいないものとして、あくまで自発
的な行為として、秋川まりえの肖像を描きたいんです。そうしないと正しいアイデアが湧いてこ
ないかもしれません。そういうことが有形無形の樹になるかもしれません」
免色は少し考えてから言った。「なるほど、よくわかりました。依頼という枠はとりあえずな
かったことにしましょう。報酬の作もどうか忘れてください。金銭のことを早々に持ち出したの
は、たしかに私の勇み足だった。できあがった絵をどのようにするかについては、できあがった
ものを見せていただいた時点で、あらためて話し合うことにしましょう。いずれにせよ、もちろ
ん創作者であるあなたの意志をなにより尊重します。しかし私の言ったもうひとつのお願いにつ
いてはいかがでしょう? 覚えておられますか?」
「うちのスタジオでぼくが秋川まりえをモデルにして絵を描いているときに、免色さんがふらり
と訪ねてこられるということですね?」
「そうです」
私は少し考えてから言った。「それについてはとくに問題はないと思いますよ。あなたはぼく
が懇意にしている、近所に住んでいる人で、日曜日の朝に散歩がてらふらりとうちにやってきた。
そしてそこでみんなで軽い世間話みたいなことをする。それはぜんぜん不自然な成り行きじやな
いでしょう」
免色はそれを問いて少しほっとした上うだった。「その上うにはからっていただけると、たい
へんありかたい。そのことであなたに迷惑をおかけしたりする上うなことは決してありません。
秋川まりえは今度の日曜日の朝からおたくにうかがう、そしてあなたは彼女の肖像画を描く、そ
ういうことで話を具体的に進めてもらってよろしいでしょうか? 実質的には松嶋さんが仲介者
となり、あなたと秋川家の間の調整をすることになりますが」
「それでけっこうです。話を進めてもらってください。日曜日の朝十時に、お二人にうちに未て
いただき、まりえさんに絵のモデルになってもらいます。十二時には間違いなく作業を終える上
うにします。それが何週か続くことになります。たぶん五週か六週か、そんなものでしょう」
「細かいことが決定したら、あらためてお知らせします」
それで我々が話し合わなくてはならない用件は終了した。免色はそのあとでふと思い出した上
うに付け加えた。
「そう、そういえばウィーン時代の雨田典彦さんのことですが、あれからまた多少の事実がわか
りました。彼が関与したとされるナチ高官の暗殺未遂事件は、アンシュルスの直後に起こったと
前にも申し上げましたが、正確には一九三八年の秋の初めだったようです。つまりアンシュルス
の半年ほど後のことです。アンシュルスについてはだいたいの事情をご存じですね」
「それほど詳しくは知りませんが」
「一九三八年の三月十二日に、ドイツ国防軍は国境を突破して一方的にオーストリアに侵入し、
あっという間にウィーンを掌握します。そしてミクラス大統領を脅迫して、オーストリア・ナチ
党の指導者ザイス=インタブアルトを首相に任命させます。ヒットラーがウィーンに入ったのは
その二日後です。そして四月十日には国民投票がおこなわれます。ドイツとの合併を国民が望む
か否かを問う投票です。いちおう自由な秘密投票ということになっていますが、いろいろと込み
入った細工があり、実際には合併反対の票を投ずるにはかなりの勇気が必要であったようです。
結果は合併賛成の票が九十九・七五パーセントを占めました。そのようにしてオーストリアとい
う国家は完全に消滅し、その領土はドイツの一地方に成り下がってしまったのです。あなたはウ
ィーンに行かれたことはありますか?」
この項つづく