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坂道を愛した男

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         荘公八、九年、斉の無知の乱 / 鄭の荘公小覇の時代                    

                            

       ※ 冬十有一月契米、斉の無知、その君諸児(襄公)を弑(しい)する。

                   

       ※ 破った約束:斉の襄公が、連称、管至父という二人の大夫に葵丘の
         守備を命じた。瓜の熟するころ(七月)二人は出発した。「来年、
         瓜が実るころには交替させる」との約束であった。約束どおり一年
         間守備をつとめたが、何の音沙汰もない。交替を願い出たが許され
         なかった。二人は謀反を決意した。襄公の父、僖公には夷仲年(い
         ぬちゅうねん)という実の弟がいた。その夷仲年の子の公孫無知(
         こうそそんむち)は先君の僖公に可愛がられ、衣服、食禄、すべて
         にわたって太子(つまり襄公)と同じ待遇を受けていた。が、僖が
         没し襄公の代になると、待遇は一変した。連称、管至父の二人は、
         この無知を擁立して謀反しようと企てた。ちょうど、連称の従妹が
         後宮に仕えていたが、襄公に寵愛されていなかった。無知はこの女
         に「首尾よくいったら、おまえを正夫人にしてやる」と約束して、
         襄公の動静を伺わせた。

         冬十二月、襄公は姑棼(こふん)(斉の地、今の山東省博興県)に
         出かけ、ついでに貝丘(ばいきゅう)まで足をのばして狩りを催し
         た。獲物を追っている襄公の前に突如一頭の大猪がとび出した。

         「あっ、彭生※さまだ」
         「馬鹿をいえ」

          襄公は従者※をどなりつけ、その猪を射た。
          すると猪は、人間のように二本足で立ちあがって啼いた。ギョッと
         したひょうしに襄公は車からころげ落ち、足に怪我をし屨(くつ)
         をなくした。

         帰ってから襄公は、狩に同行した費という小者に屨を出せといった
         が、費は屨を拾って来ていなかった。費は肌から血が流れるまで、
                  鞭で叩かれた。たまらず逃げ出した費が、門のところまで来たとき、
                  おりから宮廷に侵入して来た連称らの反乱軍にばったり出あった。
                  かれらは費をおどして縛りあげようとした。だが、費が、[わたし
                  が何で手向いいたしましょう。これが何よりの証拠です」と、肌を
                  ぬいで背中の血を見せたので、かれらは、すっかり心を許した。そ
         こで費は、「わたしが案内いたしましょう」と言って、一足先に奥
         に入った。そして、襄公に急を告げて物かげにかくし、外にとって
         返して反乱軍に立ち向い、力つきて内庭で最期を遂げた。襄公の側
         にひかえていた者は次々と殺された。石之紛如(せきしふんじょ)
         は階の下で戦死、ついで反乱軍は宮廷の災になだれこみ、襄公の身
         代りとして座についていた孟陽を殺した。

         しかしすぐに、「これは偽者だ」とまちがいに気づき、襄公をさが
         しもとめた。襄公は戸のかげにかくれていたが、戸の下から足がの
         ぞいていたのが運のつき、とらわれて殺されてしまった。こうして
         連称らの反乱軍は無知を擁立したのである。そもそも、襄公が位に
         ついていらい、斉の政治は混乱におちいっていた。大夫の鮑叔牙は、
         「人民のあつかいが、こんなにいいかげんでは、いまに反乱が起こ
         るだろう」と言って、公子小白(役の桓公)を奉じ、菖(きょ)の
         国へ逃げ去った。いよいよ反乱が起きたとき、管夷吾(管仲)と召
         忽とは、公子糾を奉じて、わが魯へ亡命して来た。

       ※ 彭生:桓公十八年、斉の襄公に殺された斉の公子。「襄公をうらん
                  で幽霊が現われた」と従者はいったのである。おそらくこの従者は、
                  反乱派の一味で、襄公をおどしたと解される。

 

    

 読書録:村上春樹著  『騎士団長殺し 第Ⅰ部』      

   28.フランツ・カフカは坂道を愛していた

  その目の夕方、私は小田原駅近くの絵画教室で子供たちの絵の指導をしていた。その日の課題
 は人物のクロッキーだった。二人でペアを組んで、前もって教室側が用意した中から好きな筆記
 具を選び(木炭か、何種類かの柔らかな鉛筆)、交代でスケッチブックにお互いの絵を描く。制
 限時間は一枚につき十五分(キッチン・タイマーを使って正確に時間をはかる)。あまり消しゴ
 ムを使わないようにする。できるだけ一枚の紙だけですませるようにする。

  そして一人ひとりが前に出て、自分の描いた絵をみんなに見せ、子供たちが自由にその感想を
 言い合う。少人数の教室だから、雰囲気は和気蕩々としている。そのあとで私が前に立って、ク
 ロッキーの簡単なコツのようなものを教える。デッサンとクロッキーとはどう違うのか、その違
 いをおおまかに説明する。デッサンはいわば絵画の設計図のようなものであり、そこにはある程
 度の正確さが必要とされる。それに比べると、クロッキーは自由な第一印象のようなものだ。印
 象を頭の中に浮かばせ、その印象が消えてしまわないうちに、それにおおよその輪郭を与えてい
 く。クロッキーでは正確さよりは、バランスとスピードが大事な要素になる。名のある両家でも、
 クロッキーがあまりうまくない人はけっこうたくさんいる。私はクロッキーを昔から得意として
 いた。

  私は最後に、子供たちの中からモデルを一人選び、白いチョークを使って黒板に、その姿かた
 ちを描いて見せる。実例を示すわけだ。「すげえ」「速ええ」「そっくりじやん」と子供たちは
 感心して言う。子供たちを素直に感心させることも、教師の大切な職務のひとつになる。
  そのあとで今度はパートナーを換えて、みんなにクロッキーをさせるわけだが、子供たちは二
 度目の方が格段にうまくなっている。知識を吸収する速度が速いのだ。教える方が感心してしま
 うくらい。もちろん上手な子もいれば、あまりうまくない子もいる。でもそれはかまわない。私
 か子供たちに教えているのは、実際的な絵の描き方よりは、むしろものの見方なのだから。

  この日私は実例を描くときに、秋川まりえをモデルに指定した(もちろん意図してのことだ)。
 彼女の上半身を黒板に簡単に描く。正確にはクロッキーとは言えないが、成り立ちは同じような
 ものだ。三分ほどで手早く仕上げる。私はその授業を利用して、秋川まりえをどのように結にで
 きるかをテストしてみたわけだ。そしてその結果、彼女が結のモデルとしてなかなかユニークな、
 そして豊かな可能性を秘めていることを私は発見した。

  それまでは秋川まりえをとくに意識して見たことはなかったのだが、圃作の対象として注意深
 く眺めると、彼女は私か漠然と認識していたよりずっと興味深い容貌を具えていた。ただ単に顔
 立ちがきれいに整っているというのではない。美しい少女ではあるが、よく見るとそこにはどこ
 となくアンバランスなところがあった。そしてそのいくらか不安定な表情の奥には、何かしら勢
 いのあるものが身を潜めているようだった。まるで丈の高い草むらに潜んだ敏捷な獣のように。

  そのような印象をうまく形にできればと思う。しかし三分のあいだに、黒板の上にチョークで
 そこまで表現するのは至難の業だ。というか、ほとんど不可能だ。それにはもっと時間をかけて
 彼女の顔を丁寧に観察し、いろんな要素をうまく俯分けしていく必要がある。そしてこの少女の
 ことをもっとよく知らなくてはならない。

  私は黒板に描いた彼女の絵を消さずにとっておいた。そして子供たちが帰ってしまったあと、
 一人でしばらく教室に残って、腕組みしながらそのチョーク画を眺めていた。そして彼女の顔立
 ちに、免色に似たところがあるかどうか見定めようとした。しかしなんとも判断できなかった。
 似ているといえばよく似ているようだし、似ていないといえばまるで似ていない。ただもし似て
 いるところをひとつだけあげろと言われれば、それは目になるだろう。二人の目の表情には、と
 くにその一瞬の独特なきらめき方には、どこかしら共通するものがあるように感じられた。

  澄んだ泉の深い底をじっと覗き込むと、そこに発光しているかたまりのようなものが見えるこ
 とがある。よくよく覗き込まないと見えない。しかもそのかたまりはすぐに揺らいで形を失って
 しまう。真剣に覗き込めば覗き込むほど、それは目の錯覚かもしれないという疑いが生まれる。
 でもそこには間違いなく何か光っているものがある。たくさんの人をモデルにして絵を描いてい
 ると、ときどきそういう「発光」を感じさせる人々がいる。数からいえばごく少数だ。でもその
 少女は――そしてまた免色も――その数少ない人々のうちの一人だった。

  受付をやっている中年の女性が、片付けのために教室に入ってきて私の隣に立ち、感心したよ
 うにその絵を眺めた。
 「これは秋川まりえちやんよね」と彼女は一目見て言った。「すごくよく描けている。まるで今
 にも勤き出しそうに見えるわ。消しちやうのはもったいないみたい」
 「ありがとう」と私は言った。そして机から立ち上がり、黒板消しを使ってその絵をきれいに消
 した。

  騎士団長はその翌日(士曜日)ようやく私の前に姿を見せた。火曜日の夜、免色の家での夕食
 会で目にして以来初めての出現――彼自身の表現を借りれば「形体化」ということになる――だ
 った。食品の買い物から帰ってきて、夕方に居間で本を読んでいると、スタジオの方から鈴の鳴
 る音が聞こえてきた。スタジオに行ってみると、騎士団長は棚に腰をかけて、鈴を耳元で軽く振
 っていた。まるでその微妙な響き具合を確かめるみたいに。私の姿を目にすると、彼は鈴を振る
 のをやめた。

 「久しぶりですね」と私は言った。
 「久しぶりも何もあらない」と騎士団長は素っ気なく答えた。「イデアというものは百年、千年
 単位で世界中あちこちを行き来しているのだ。一日や二日は時間のうちにはいらんぜ」
 「免色さんの夕食会はいかがでした?」
 「ああ、ああ、あれはそれなりに興味深い夕食会だった。もちろん料理は食べられないが、しか
 るべく目の保養をさせてもらった。そして免色くんは、なかなかに関心をそそられる人物であっ
 た。いろいろなことを先の先の方まで考えている男だ。そしてまたあれこれを、内部にしこたま
 抱え込んでいる男でもある」
 「彼にひとつ頼み事をもちかけられました」
 「ああ、そうだな」と騎士団長は手にした古い鈴を眺めながら、さして興味なさそうに言った。
 「その諸は隣でしかと問いておったよ。しかしそいつは、あたしにはあまり関わりのないものご
 とである。あくまで諸君と免色くんとのあいだの実際的な、いうなれば現世的なものごとだ」
 「ひとつ質問していいですか?」と私は言った。

  騎士団長は手のひらで顎の服をごしごしとこすった。「ああ、かまわんぜ。あたしに答えられ
 るかどうかはわからんが」
 「雨田典彦の『騎士団長殺し』という絵についてです。もちろんその絵のことはご存じですよ
 ね? なにしろあなたはその両面の中から、登場人物の姿かたちを借用したわけだから。あの絵
 はどうやら、一九三八年にウィーンで実際に起こった暗殺未遂事件をモチーフとしているようで
 す。そしてその事件には雨田具彦さん自身が問わっているという諸です。そのことについてあな
 たは何かをご存じではありませんか?」

  騎士団長はしばらく腕組みをして考えていた。それから目を細め、目を開いた。
 
 「歴史の中には、そのまま暗闇の中に置いておった方がよろしいこともうんとある。正しい知識
 が人を豊かにするとは限らんぜ。客観が主観を凌駕するとは限らんぜ。事実が妄想を吹き消すと
 は限らんぜ」
 「一般論としてはそうかもしれません。しかしあの絵は見るものに何かを強く訴えかけてきます。
 雨田典彦は、彼が知っているとても大事な、しかし公に明らかにはできないものごとを、個人的
 に暗号化することを目的として、あの絵を描いたのではないかという気がするのです。人物と舞
 台設定を別の時代に置き換え、彼が新しく身につけた日本画という手法を用いることによって、
 彼はいわば隠喩としての告白を行っているように感じられます。彼はそのためだけに洋画を捨て
 て、日本画に転向したのではないかという気さえするほどです」
 「絵に語らせておけばよろしいじやないか」と騎士団長は静かな声で言った。「もしその絵が何
 かを語りたがっておるのであれば、絵にそのまま語らせておけばよろしい。隠喩は隠喩のままに、
 暗号は暗号のままに、ザルはザルのままにしておけばよろしい。それで何の不都合があるだろう
 か?」

  なぜ急にザルがそこに出てくるのかよくわからなかったが、そのままにしておいた。
  私は言った。「不都合があるというのではありません。ぼくはただ、あの絵を雨田典彦に描か
 せたバックグラウンドのようなものが知りたいだけなのです。なぜならあの絵は何かを求めてい
 るからです。あの絵は間違いなく、何かを具体的な目的として描かれた絵なんです」

  騎士団長は何かを思い出すように、しばらくまた手のひらで顎髭を撫でていた。そして言った。

 「フランツ・カフカは坂道を愛していた。あらゆる坂に心を惹かれた。急な坂道の途中に建って
 いる家屋を眺めるのが好きだった。道ばたに座って、何時間もただじっとそういう家を眺めてお
 ったぜ。飽きもせずに、首を曲げたりまっすぐにしたりしながらな。なにかと変なやつだった。
 そういうことは知っておったか?」

 Description of a Struggle

  フランツ・カフカと坂道?

 「いいえ、知りませんでした」と
  私は言った。そんな話は間いたこともない。
 「で、そういうことを知ったところで、彼の残した作品への理解がちっとでも深まるものかね、
 なあ?」

  私はその質問には答えなかった。「じやあ、あなたはフランツ・カフカのことも知っていたの
 ですか、個人的に?」
 「向こうはもちろん、あたしのことなんぞ個人的には知らんがね」と騎士団長は言った。そして
 何かを思い出したようにくすくす笑った。騎士団長が声を出して笑うのを見だのは、それが初め
 てだったかもしれない。フランツ・カフカには何かくすくす笑うべき要素があったのだろうか?

 それから騎士団長は表情を元に戻して続けた。

 「真実とはすなはち表象のことであり、表象とはすなはち真実のことだ。そこにある表象をその
 ままぐいと呑み込んでしまうのがいちばんなのだ。そこには理屈も事実も、豚のへそもアリの金
 玉も、なんにもあらない。人がそれ以外の方法を用いて理解の道を辿ろうとするのは、あたかも
 水にザルを浮かべんとするようなものだ。悪いことはいわない。よした方がよろしいぜ。免色く
 んがやっておるのも、気の毒だが、いねばそれに類することだ」
 「つまり何をしたところで所詮、無駄な試みだということですか?」
 「穴ぼこだらけのものを水に浮かべることは、なにびとにもかなわない」
 「正確には、免色さんはいったい何をやるうとしているのですか?」

  騎士団長は軽く肩をすくめた。そして両眉の間に、若い頃のマーロン・ブランドを思わせるチ
 ャーミングな皺を寄せた。騎士団長がエリア・カザンの映画『波止場』を見たことがあるとはと
 ても思えなかったけれど、その皺の寄せ方は本当にマーロン・ブランドにそっくりだった。彼の
 外見や相貌の引用源がどのような領域まで及んでいるのか、私には測り知ることができなかった。
  彼は言った。「雨田典彦の『騎士団長殺し』について、あたしが諸君に説いてあげられること
 はとても少ない。なぜならその本質は寓意にあり、比喩にあるからだ。寓意や比喩は言葉で説明
 されるべきものではない。呑み込まれるべきものだ」



  そして騎士団長は小指の先でぽりぽりと耳のうしろを振いた。まるで描が雨の降り出す前に耳
 のうしろを掻くみたいに。

 「しかしひとつだけ諸君に教えてあげよう。あくまでささやかなことだが、明日の夜に電話がか
 かってくるであろう。免色くんからの電話だが、そいつにはよくよく考えてから返答する方がよ
 ろしいぜ。どれだけ考えたところで、きみの回答は結果的にちっとも変わらんだろうが、それに
 してもよくよく考えた方がよろしい」
 「そしてこちらがよくよく考えているということを、相手にわからせることもまた大事だ、とい
 うことですね。ひとつの素振りとして」
 「そう、そういうことだ。ファースト・オファーはまず断るというのがビジネスの基本的鉄則だ。
 覚えておいて損はあらない」と言って騎士団長はまたくすくす笑った。今日の騎士団長の機嫌は
 なかなか悪くないようだった。「ところで諸は変わるが、クリトリスというのはさわっていて面
 白いものなのかね?」
 「面白いからさわる、というものではないような気はしますが」と私は正直に意見を述べた。
 「はたで見ていてもよくわがらん」
 「ぼくにもよくわからないような気がします」と私は言った。イデアにも、何もかもがわかると
 いうわけではないのだ。
 「とにかくあたしはそろそろ消える」と騎士団長は言った。「ほかにちょっと行くところもある
 からな。あまり暇があらない」
  それから騎士団長は消えた。チェシヤ猫が消えるみたいにじわじわと段階的に。私は台所に行
 って、一人で簡単に夕食をつくって食べた。そしてイデアにどんな「ちょっと行くところ」があ
 るのか、少し考えてみた。しかしもちろん見当もつかなかった。


  騎士団長が予言したように、翌日の夜の八時過ぎに免色から電話があった。
  私はまず最初に先日の夕食の礼を言った。とても素晴らしい料理でした。いいえ、なんでもあ
 りません。こちらこそ楽しい時間を持たせていただきました、と免色は言った。それから私は、
 肖像画の礼金を約束よりも多く払ってもらったことについても、感謝の言葉を口にした。いや、
 それくらいは当然のことです、あれほど見事な絵を描いていただいたわけですから、どうか気に
 なさらないでください、と免色はあくまで謙虚に言った。そんな儀礼的なやりとりがひととおり
 終わったあとに、しばしの沈黙があった。

 「ところで、秋川まりえのことですが」と免色は天候の話でもするように、なんでもなさそうに
 切り出した。「覚えておられますよね、先日、彼女をモデルにして絵を描いていただきたいとい
 うお願いをしたことを?」
 「もちろんよく覚えています」
 「そのような申し出を昨日、秋川まりえにしたところ――というか実際には、絵画教室の主宰者
 である松嶋さんが彼女の叔母さんに、そのようなことは可能かどうか打診をしたわけですが――
 秋川まりえはモデルをつとめることに同意したということでした」

 「なるほど」と私は言った。
 「ですから、もしあなたに彼女の肖像画を描いていただけるとなったら、準備は万端整ったとい
 うことになります」
 「しかし免色さん、この話にあなたが一枚噛んでくることを松嶋さんはとくに不審には思わない
 のでしょうか?」
 「私はそういう点についてはとても注意深く行動しています。心配なさらないでください。私は
 あなたの、いねばパトロンのような役割を果たしている、という風に彼は解釈しています。その
 ことであなたが気を悪くされなければいいのですが……」
 「それはべつにかまいません」と私は言った。「でも秋川まりえがよく承知しましたね。無口で
 おとなしい、いかにも内気そうな子に見えたんですが」
 「実を言いますと、叔母さんの方はこの話に最初のうち、あまり乗り気ではなかったようです。
 絵描きのモデルになるなんて、だいたいろくなことにはならないだろうと。画家であるあなたに
 対して失礼な言い方になりますが」
 「いや、それが世間の普通の考え方です」
 「しかしまりえ自身が、絵のモデルになることにかなり積極的だったという話です。あなたに描
 いてもらえるのなら、喜んでモデルの彼をつとめたいと。そして叔母さんの方がむしろ彼女に説
 得されたみたいです」
  なぜだろう? 私が彼女の姿を黒板に描いたことが、あるいは何らかのかたちで関係している
 のかもしれない。でもそのことは免色にはあえて言わなかった。

 「話の展開としては理想的じやありませんか?」と免色は言った。

  私はそのことについて考えを巡らせた。それが本当に理想的な話の展開なのだろうか? 免色
 は私が何か意見を述べるのを、電話口で持っているようだった。
 「どういう話の筋書きになっているのか、もう少し詳しく教えていただけますか?」
  免色は言った。「筋書きはシンプルなものです。あなたは画作のためのモデルを探していた。
 そして絵画教室で教えている秋川まりえという少女は、そのモデルとしてうってつけだった。だ
 から主宰者である松嶋さんを通じて、保護者である叔母さんにその打診をした。そういう流れで
 す。松嶋さんが、あなたの人柄や才能について個人的に保証しました。申し分のない人柄で、熱
 心な先生であり、画家としての才能も豊かで将来を嘱望されていると。私の存在はとこにも出て
 きません。出てこないようにきちんと念を押しておきました。もちろん着衣のままのモデルで、
 叔母さんが付き添ってきます。お昼までには終わらせてください。それが先方の出してきた条件
 です。いかがですか?」

  私は騎士団長の忠告(ファースト・オファーはまず断るものだ)に従って、相手の話のペース
 にいったんそこで歯止めをかけることにした。
 「条件的にはとくに問題はないとぼくは思います。ただ秋川まりえの肖像画を描くかどうか、そ
 のこと自体についてもう少し考える余裕をいただけませんか?」
 「もちろんです」と免色は落ち着いた声で言った。「心ゆくまで考えてください。決して急かし
 ているわけではありません。言うまでもなく絵を描くのはあなたですし、あなたがそういう気持
 ちにならなければ、話は始まりません。ただ私としては、準備は万端整っているということを、
 いちおうお知らせしておきたかっただけです。それからもうひとつ、これはおそらく余計なこと
 かもしれませんが、今回あなたにお願いしたことについてのお礼は、十分にさせていただきたい
 と考えています」

  とても話の進行が速い、と私は思った。すべてが感心してしまうほど迅速に手際よく展開して
 いる。まるでボールが坂道を転がっていくみたいに……。私は坂道の途中に腰を下ろして、その
 ボールを眺めているフランツ・カフカの姿を想像した。私は慎重にならなくてはならない。
 「二日ほど余裕をいただけますか?」と私は言った。「二日後にはお返事できると思います」
 「けっこうです。二日後にまたお電話をさしあげます」と免色は言った。

  そして私たちは電話を切った。
  しかし正直なところをいえば、その回答をするのにわざわざ二日をおく必要なんてなかったの
 だ。私の心はとっくに決まっていたのだから。私は秋川まりえの肖像画を描きたくてたまらなく
 なっていた。たとえ誰に制止されたとしても、私はその仕事を引き受けていたことだろう。あえ
 て二日間の猶予をとったのはただ、相手のペースにそっくり呑み込まれたくないという理由から
 だった。ここでいったん時間をとってゆっくり深呼吸をした方がいいと本能が――そしてまた騎
 士団長が私に教えていた。

  あたかも水にザルを浮かべんとするようなものだ、と騎士団長は言った。穴ぼこだらけのもの
 を水に 浮かべることは、なにびとにもかなわない。
  彼は何かを、来たるべき何かを、私に暗示していたのだ。

 Franz Kafka’s Prague – Prague Castle

それにしても、寓意、隠喩のオンパレードだし、「カフカの愛した坂道」ひとつとっても、それを
ひもとくだけでも膨大な時間を必要とするだろう。まして騎士団長の方言、例えば「あらないよ」
(存在と無)の背景ひとつ考えるだけでも、サルトル、プラトン、仏教の唯識論などと拡散して行
くのを制止するのに一苦労。ここは軽く、軽く上滑りして行く他なし。


                                      この項つづく

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