僖公二十二年~三年:泓の戦い-宋襄の仁 / 晋の文公制覇の時代
※ 斉は管仲・桓公相継いで没したあと、内乱によって国力は
衰退した。中原の覇権はその後八年間、宙にさまよう。宋
の襄(じょう)公(-650~-637)はこれを奪取しようと
企てたが、泓(おう)水一戦にその野望は夢と消えた。宋
は障壁のない大平原の中央に位して地の利を得ず、また経
済力の裏付けもなかったのである。
一方、今日の山西省の山地に拠る晋は猷公(-675~-651)
の時代から北方に着々と勢力を築いていたが、十九年の亡
命を終えて帰国した文公(-636~‐628)が即位するや、
国運は興隆の一途をたどる。すなわち文公は翌年には周の
襄王を擁立し、さらに楚と城濮に戦って大勝し、一躍天下
の覇王となった。十九年の労苦のたまものというべきであ
ろう。
※ 斉では名宰相管仲につづいて桓公が死に、そのあとはおき
まりの有家騒動。宋の襄公は、みずから兵を率いて斉の乱
を鎮定し、孝公を立てるのに成功した。これに自信を得て、
かれは斉の桓公についで天下に則をとなえようとの幻想を
抱き、公子目夷(もくい)の諌めを聞かず、二十一年春、
諸侯と鹿上に盟(ちか)った。秋また盂(う)に会して、
その不遜を怒った楚のためにいったんは捕えられたが、な
お懲りず、ここに楚と正式に戦火を交えるに至る。
宋襄の仁
【RE100倶楽部:太陽光発電篇】
● ステラ社より工期が早く、コスト1/3が売りのルーフトップ登場
ちょっと訂正しなければならない。今月25日に掲載したこの連載の『第25回 エネルギーフリー
社会を語ろう!』の「ソーラーパネルの最終課題」で、「オールソーラーシステムの中核であるソー
ラーパネルの課題を考えてみて、✪都市部のビルディングの外壁(❶窓ガラスは解決済み)が最後の
課題になる。この場合、❷住宅用のソーラールーフは解決済み扱いとなる。(中略)✪さらに、意匠
性が問題となる、例えば、ペロブスカイトハイブリット太陽電池、あるいは化合物半導体太陽電池は、
❶耐久性、❷変換効率、❸意匠性にいずれも問題がある。例えば、表面や背面に質感や色彩を加工を
加えると❷は低下もしくは犠牲する必要があり、変換効率としては加工後も20%は維持したい」と
書いたが、「フォワードラボのソーラールーフは、テスラよりも生産性が高く、コストが安いことを
約束します」(原題:"Forward Labs solar roof promises higher production, lower cost than Tesla's,", May
26, 2017, TreeHugger)で、米国はカルフォルニア州バロアルトにあるフォワード・ラボ社のスタート
アップで開発された「分散型ルーフトップソーラーシステム」の下図のような特徴を掲載。
❶ 耐久性強化ガラス:ルーフィング業界で最高耐久性の設計。 雹(ひょう)打撃に耐えることが
できる他社にない仕様
❷ 光学的色彩マント:ルーフトップの色は強化ガラス下のフィルム層で形成するが、太陽電池の変
換効率を維持しながら、どのような色にでもルーフトップを演出
❸ 単結晶シリコン太陽電池:単結晶シリコンセルは、変換効率業界トップ。 長寿命で耐久性が高
く、優れた耐熱性や防水性、早い投資回収率などが特徴
❹ ロールフォーミング加工亜鉛メッキ金属パネル:ルーフトップ太陽電池をロール成形金属で組み
込ことでコンパクト化を実現することで単位面積あたりの発電量が高い仕様
❺ 見えないラック:ルーフトップの収納ラックをパネルの下に押し込ことでラックを隠すことで美
し外観を演出
このブログ連載で、意匠性を問題にしたことを反省というか、すでに果敢に著戦している企業の存在
を知ることになり驚きをもって「筆禍」を改める?こととなる。
さて、このパネルには8種類の色が用意されており、上図❷の「光学クロマチッククローク層」で実
現し、同社はどのようなな色の屋根にも対応可能とし、また、変換効率では、競合他社製品が平方フ
ィート当たり11ワット(約118ワット/平方メートル)に比べて19ワット(204ワット/平
方メートル)と大きく、テスラの同等電力量換算で、33%コストが易い。また、同社の ウェブサ
イトによると、屋根工事で非ソーラー部の工費は8.5ドル/平方フィート、ルーフトップは約3.2
5ドル/ワット、そして工期は2、3日である。すでに複数のベータ版がインストールされており、
18年に最初ルーフトップの予約注文向の返金可能ま千ドルを担保預金する。また、同社はルーフト
ップ設置時に発生するアスファルトのリサイクル業者との提携を考えている。まぁ、いずれにしても
わたし(たち)が考えている進化の流れの差異に影響はない。
31.あるいはそれは完璧すぎたのかもしれない
その週は、とくに何ごとも起こらなかった。騎士団長も姿を見せなかったし、年上の人妻のガ
ールフレンドも連絡をしてこなかった。とても静かな一週間だった。私のまわりで秋が徐々に深
まっていっただけだった。空か目に見えて高くなり、空気が誼み渡り、雲が刷毛で引いたような
美しい白い筋を描いた。
私は秋川まりえの三枚のデッサンを何度も手にとって眺めた。それぞれの姿勢と、それぞれの
角度。とても興味深く、また示唆に富んでいる。しかしその中からどれかひとつを具体的な下絵
として選ぶつもりは、私には最初からなかった。私がその三枚のデッサンを描いた目的は、彼女
自身にも言ったように、秋川まりえという少女のありようを私が全休として理解し、認識するこ
とにあった。彼女という存在をいったん私の内側に取り込んでしまうこと。
私は彼女を描いた三枚のデッサンを何度も何度も繰り返し眺めた。そして意識を集中し、彼女
の姿を拡の申に具体的に立ち上げていった。そうしているうちに、私の中で秋川まりえの姿と、
妹のコミの姿とがひとつに入り混じっていく感覚があった。それが適切なことなのかどうか、私
には判断を下せなかった。でもその二人のほとんど同年齢の少女たちの魂は既にどこかで――た
ぶん私の入り込んでいけない奥深い場所でII1響き合い、結びついてしまったようだった。私
にはもうその二つの魂を解きほぐすことができなくなっていた。
その週の木曜日に妻からの手紙が届いた。それは三月に私が家を出て以来、彼女から初めて受
け取る連絡だった。よく見慣れた美しい律儀な字で宛名と、差出人の名前が封筒に書かれていた。
彼女はまだ私の姓を名乗っていた。あるいは正式に離婚が成立するまでは、夫の姓を名乗ってい
た方が何かと便利なのかもしれない。
鋏を使ってきれいに封を切った。中には氷山の上に立つシロクマの写真がついたカードが入っ
ていた。そしてカードには私が離婚届に署名捺印して、すぐに送り連してくれたことに対する礼
が簡単に書かれていた。
お元気ですか? 私の方はなんとかこともなく暮らしています。
まだ同じところに住んでいます。書類をとても早く返送してくれて
ありがとう。感謝します。手続きの進展があったら、あらためて連
絡します。
あなたがうちに置いていったもので、もし何か入り用なものがあ
ったら教えてください。宅配使でそちらに届けるようにします。い
ずれにせよ、私たちそれぞれの新しい生活がうまく連ぶことを願っ
ています。
柚
私はその手紙を何度も読み返した。そして文面の裏に隠された気持ちのようなものを少しでも
読み取ろうとつとめた。しかしその短い文面からは、どのような言外の気持ちも意図も読み取れ
なかった。彼女はそこに明示されたメッセージを、ただそのまま私に伝達しようとしているだけ
みたいだった。
私にもうひとつよくわからないのは、なぜ離婚届の書類を用意するのにそんなに長く時間がか
かったのかということだけだった。作業としては、それほど面倒なものではないはずだ。そして
彼女としては一刻も早く、私との関係を解消したかったはずだ。それなのに私が家を出てからも
う半年が経っている。そのあいだ彼女はいったい何をしていたのだろう? 何を考えていたのだ
ろう?
私はそれからカードのシロクマの写真をじっくり眺めた。しかしそこにもまた何の意図も読み
取れなかった。どうして北極のシロクマなのだろう? おそらくたまたま手元にシロクマの力ー
ドがあったから、それを使ったのだろう。たぶんそんなところだろうと私は推測した。それとも
小さな氷山の上に立ったシロクマは、行く先もしれず、海流の赴くままどこかに流されていく私
の身の上を暗示しているのだろうか? いや、たぶんそれは私のうがちすぎだろう。
私は封筒に入れたそのカードを机のいちばん上の抽斗に放り込んだ。抽斗を閉めてしまうと、
ものごとが一段階前に進められたという微かな感触があった。かちんという音がして、目盛りが
ひとつ上がったみたいだった。私が自分でそれを進めたわけではない。誰かが、何かが、私のか
わりに新しい段階を用意してくれて、私はただそのプログラムに従って勣いているだけだ。
それから私は日曜日に自分か秋川まりえに、離婚後の生活について目にしたことを思いだした。
今までこれが自分の道だと思って普通に歩いてきたのに、急にその道が足元からすとんと消え
てなくなって、何もない空間を方角もわからないまま、手応えもないまま、ただてくてく進んで
いるみたいな、そんな感じだよ。
行方の知れない海流だろうが、道なき道だろうが、どちらだってかまわない。同じようなもの
だ。
いずれにしてもただの比喩に過ぎない。私はなにしろこうして実物を手にしているのだ。そ
の実物の中に現実に呑み込まれてしまっているのだ。その上どうして比喩なんてものが必要とさ
れるだろう?
私はできることなら手紙を書いて、自分か今置かれている状況をユズにこと細かに説明したか
った。「なんとかこともなく暮らしています」みたいな漠然としたことは、私にはとても書けそ
うにない。それどころか、ことかありすぎるというのが偽らざる気持ちだった。でもここに暮ら
し始めてから、私の身のまわりで起こった一部始終について書き始めたら、間違いなく収拾がつ
かなくなるだろう。またなにより困った問題は、ここでいったい何か起こっているのかを、私白
身うまく説明できない点にあった。少なくとも整合的で論理的な文脈では、とても「説明」なん
てできない。
だから私はユズには手紙の返事を書かないことにした。いったん手紙を書くなら、起こったこ
とをすべてそっくりそのまま(論理も整合性も無視して)書き連ねるか、まったく何も書かない
か、どちらかしかない。そして私は何も書かないことの方を選んだ。たしかにある意味では、私
は流されゆく氷山に取り残された孤独なシロクマなのだ。郵便ポストなんて見渡す限りどこにも
ない。シロクマには手紙の出しようもないではないか。
私はユズと出会って、交際し始めた頃のことをよく覚えている。
最初のデートで一緒に食事をして、そこでいろんな話をし、彼女は私に対して好意を抱いてく
れたようだった。また会ってもいいと彼女は言った。私と彼女とのあいだには最初から理屈抜き
で心の通じ合うところがあった。簡単にいえば相性がいいということなのだろう。
でも彼女と実際に恋人の関係になるまでにはしばらく時間がかかった。その当時のユズには、
二年前から交際している相手がいたからだ。しかし彼女はその相手に、揺らぎない深い愛情を抱
いているというわけではなかった。
「とてもハンサムな人なの。少しばかり退屈なところはあるけど、それはそれとして」と彼女は
言った。
とてもハンサムだけど退屈な男……私の周囲にはそういうタイプの人間は一人もいなかったの
で、そんな人となりを頭で想像することができなかった。私に思い浮かべられるのは、とてもお
いしそうに作られた昧の足りない料理みたいなものだった。でもそんな料理を誰かが喜ぶものだ
ろうか?
彼女は打ち明けるように言った。「私はね、昔からハンサムな人にとても弱いの。顔立ちのき
れいな男の人を前にすると、理性みたいなのがうまく働かなくなってしまう。問題があるとわか
っていても抵抗がきかない。どうしてもそういうのが治らないの。それが私のいちばんの弱点か
心しれない」
「宿痾」と私は言った。
彼女は肯いた。「そうね、そういうことか心しれない。治しよう心ないろくでもない疾患。宿
痾」
「いずれにせよ、それはぼくにとってあまり追い風になりそうもない情報だな」と私は言った。
顔立ちの良さは残念ながら、私という人間の有力なセールスポイントにはなっていない。
彼女はあえてそれを否定はしなかった。ただ楽しそうに口を開けて笑っただけだった。彼女は
私と一緒にいて、少なくとも退屈はしていないようだった。話ははずんだし、よく笑った。
だから私は我慢強く、彼女がそのハンサムな恋人とうまくいかなくなるのを待っていた(彼は
ただハンサムなばかりではなく、一流の大学を出て、一流の商社に勤めて高い給料をもらってい
た。きっとユズの父親と気があったことだろう)。そのあいだ彼女といろんな話をし、いろんな
ところに行った。そして我々はお互いのことをよりよく理解するようになった。キスはしたし、
抱き合うこともあったが、セックスはしなかった。複数の相手と同時に性的な関係を持つことを、
彼女は好まなかったからだ。「そういうところでは、私はわりに古風なの」と彼女は言った。だ
から私には待つしかなかった。
そういう期間が半年ばかり続いたと思う。私にとってはかなり長い期間だった。何もかも投げ
出したくなることもあった。でもなんとか耐えきることができた。彼女はきっとそのうちに自分
のものになるという、それなりに強い確信があったからだ。
それからようやく、彼女はつきあっていたハンサムな男性と最終的に破局を迎え(破局を迎え
たのだと思う。彼女はその経緯については何ひとつ語らなかったから、私としてはただ推測する
しかないわけだが)、あまりハンサムとはいえない、おまけに生活力にも乏しい私を恋人として
選択してくれた。それから少しして、正式に結婚しようと我々は心を決めた。
彼女と最初に性交したときのことをよく覚えている。我々は地方の小さな温泉に行って、そこ
で記念すべき最初の夜を迎えた。すべてはとてもうまく選んだ。ほとんど完璧といってもいいく
らいだった。あるいはそれはいささか完璧すぎたのかもしれない。彼女の肌は柔らかくて白く、
滑らかだった。少しぬめりのある温泉の湯と、秋の初めの月光の白さも、その美しさや滑らかさ
に寄与していたのかもしれない。裸のユズの身体を抱き、初めてその中に入ると、彼女は私の耳
元で小さな声をあげ、私の背中を細い指先で強く押さえた。そのときも秋の虫たちが賑やかに鳴
いていた。涼しげな渓流の音も聞こえた。この女を手放すようなことは絶対にするまいと、私は
そのときに堅く心に誓った。それは私にとって、それまでの人生における最も輝かしい瞬間であ
ったかもしれない。ユズをようやく自分のものにできたこと。
彼女の短い手紙を受け取ったあと、私はずいぶん長くユズのことを考えていた。最初に彼女と
出会った当時のこと、最初に彼女と交わった秋の夜のこと。そしてユズに対する私の気持ちが、
最初の頃から現在に至るまで、基本的には何ひとつ変わっていないこと。私は今だって彼女を手
放したくはなかった。それははっきりしている。離婚届に署名捺印はしたけれど、そんなことと
は関係なく。しかし私が何をどう思ったところで、彼女はいつの間にか私から離れていってしま
片鱗も見届けられないようなところに。
彼女はとこかで私の知らないあいだに、新しいハンサムな恋人を見つけたのだろう。そして例
ったのだ。遠いところに――たぶんずいぶん遠くに。どれほど高性能の双眼鏡を使っても、その
によって、理性みたいなのがうまく働かなくなってしまったのだ。彼女が私とセックスをするこ
とを拒むようになったとき、私はそのことに気づくべきだった。彼女は同時に複数の相于とは性
的な関係を持だない。少し考えればすぐにわかることなのに。
宿痾(しゅくあ)、と私は思った。治癒の見込みのないろくでもない病。理屈の通用しない体
質的傾向。
その夜(雨の降る木曜日の夜だ)、私は長く暗い夢を見た。
私は宮城県の海岸沿いの小さな町で、白いスバル・フォレスターのハンドルを握っていた(そ
れは今では私の所有する車になっていた)。私は古い黒い革ジャンパーを着て、YONEXのマ
ークがついた黒いゴルフ・キャップをかよっていた。私は背が高く、黒く日焼けし、白髪混じり
の髪は短くごわごわしていた。つまり私が「白いスバル・フォレスターの男」だったのだ。私は
妻とその情事の相手の男が乗っている小型車(赤いプジョー205)のあとを、ひそかに追って
いった。海岸沿いの国道だ。そして二人が町外れの派手なラブホテルに入るのを見届けた。そし
て翌日、私は妻を追い詰め、その白く細い首をバスローブの紐で絞めた。私は肉体労働に慣れた、
腕力の強い男だった。そして渾身の力を込めて妻の首を絞めあげながら、何ごとかを大声で叫ん
でいた。自分か何を叫んでいるのか、自分でもよく聴き取れなかった。それは意味をなさない、
純粋な怒りの叫びだった。これまで経験したことのない激しい怒りが、私の心と身体を支配して
いた。私は叫びながら宙に白い唾を飛ばしていた。
新しい空気を肺に入れようと必死に喘ぎながら、妻のこめかみが細かく痙撃しているのが見え
た。目の中で桃色の舌が丸まり、もつれるのが見えた。青い静脈があぷり出しの地図のように肌
に浮き上がっていった。私は自分の汗のにおいを嗅いだ。これまで嗅いだことのない不快なにお
いが、私の身体からまるで温泉の湯気のように立ちのぼっていた。毛深い獣の体臭を思わせるに
おいだ。
わたしを絵にするんじやない、と私は自分自身に向かって命じていた。私は壁にかかった鏡の
中の自分に向かって、激しく人差し指を突き立てていた。私をこれ以上絵にするんじやない!
そこで私ははっと夢から覚めた。
そして私は自分かそのとき、あの海辺の町のラブホテルのベッドで、何をいちばん恐れていた
のかに思い当たった。私は白分かその女(名前も知らない若い女)を最後の瞬間に本当に絞め殺
してしまうのではないかと、心の底で恐れていたのだ。「ふりをするだけでいいの」と彼女は言
った。しかしそれだけでは済まないかもしれなかった。ふりだけでは終わらないかもしれなかっ
た。そしてそのふりだけでは終わらない要因は、私白身の中にあった。
ぼくもぼくのことが理解できればと思う。でもそれは簡単なことじゃない。
それは私が秋川まりえに向かって口にした言葉だった。私はタオルで身体の汗を拭きながらそ
のことを思い出した。
金曜日の朝には雨は上がり、空はきれいに晴れあがっていた。私はうまく眠れなかった昨夜の
気持ちの高ぶりを鎮めるために、昼前に一時間ばかり近所を散歩した。雑木林の中に入り、祠の
裏手にまわって、久しぷりに穴の様子を点検してみた。十一月に入って、風が確実に冷ややかさ
を増していた。地面には湿った落ち葉が敷き詰められていた。穴はいつものとおり何枚かの板で
しっかり塞がれていた。その板の上にも色とりどりの落ち葉が積もり、重しの石が並べられてい
た。しかしその石の並び方は、前に目にしたときとは少しばかり違っているような気がした。だ
いたいは同じなのだが、少しだけ配置が違っているみたいだ。
でもそのことをそれほど深く気にはしなかった。私と免色のほかには、ここまでわざわざ足を
運ぶ人間はいないはずだ。蓋を一枚だけ外して中を覗いてみたが、中には誰もいなかった。梯子
も前と同じように壁に立てかけてあった。その暗い石室はいつものように、私の足元に深く然し
て存在し続けていた。私は穴にもう一度蓋を被せ、その士に元通りに石を並べた。
Samuel Willenberg (Feb.16,1923 – Feb.19, 2016)
騎士団長がもう二週間近く私の前に姿を見せていないことも、とくに気にはしなかった。本人
が言っていたように、イデアにもいろいろと用事があるのだ。時間や空間を超えた用事が。
そしてやがて次の日曜日がやってきた。その日にはいろんなことが起こった。それはとても慌
ただしい日曜日になった。
32.彼の専門的技能は大いに重宝された
我々が話をしていると、また別の男が近づいてきた。ワルシャワ出身のプロの画家だった。中
背で鷲鼻で、青白い肌の顔に見事に真っ黒な口ひげをはやしていた。(中略)その特徴的な風貌
は遠くからでもすぐに目についたし、彼の職業的地位が高いこと(収容所にあって彼の専門的技
能は大いに重宝された)は実に明白だった。誰からも一目置かれていた。彼はしばしば私に、自
分のやっている仕事について長々しく話をした。
「わたしはドイツ兵たちのために色彩画を描いている。肖像画なんかをな。連中は親戚やら奥さ
んやら、母親やら子どもたちやらの写真を持ってくる。誰もが肉親を描いた絵を欲しがるんだ。
親衛隊員たちは、自分たちの家族のことを感情豊かに、愛情を込めてわたしに説明する。その目
の色や髪の色なんかを。そしてわたしはぼやけた白黒の素人写真をもとに、彼らの家族の肖像画
を描くのさ。でもな、誰がなんと言おうと、わたしが描きたいのはドイツ人たちの家族なんかじ
やない。わたしは〈隔離病棟〉に積み上げられた子供たちを、白黒の絵にしたいんだ。やつらが
殺戮した人々の肖像画を描き、それを自宅に持って帰らせ、壁に飾らせたいんだよ。ちくしょう
どもめ!」
画家(アーチスト)はこのときとりわけひどく神経を高ぶらせた。
サムエル・ヴィレンベルク『トレブリンカの反乱』
(註)〈隔離病棟〉とはトレブリンカ強制収容所における処刑施設の別称。
Last Treblinka death camp survivor Samuel Willenberg dies - BBC News
〈第1部終わり〉
取り敢えず。取り敢えず第1部を精読した(と思う)。頭の中で整理するのはこれからだが、本日、第
2部が届いた。
この項つづく
✪
ことしは、異常気象なので、JAの野菜館の野菜も出来が悪いと台所でぼやく彼女。その通りなのだが
それでも、肥料など手入れの効果でルージュピエールドゥロンサールは出来栄えがよい、それだけでは
ない、オリーブの3本のうち、実を結びそうなのが2本とこれもきみの御蔭だと感謝する。しかし、体
調は双方とも良くない。特に最近は海外のニュースの翻訳に追われ精神も不安定。些細なことで口論す
るとも増える。それにしても折角の写真の電線・通信線で台無しだ。まだまだこの国は貧相だと思い、
記録するためシャッターを切る(写真左は葦のシェイド)。思うことが多くてパンパン状態が続く。日
曜は文字通り安息日にしようと誓う。