僖公二十四年:晋の文公、本国に帰る / 晋の文公制覇の時代
※ 義人・介之推(かいしすい): 文公は、亡命に同行した臣下たち
の論功行賞を行なった。おのおのが自分の功績を申告したが、介之
推だけは何も申し出ず、賞からもれた。かれは慨嘆して言った。
「猷公のご子息は全部で九人おられにが、いまではわが君(文公、重
耳)ひとりになった。恵公(夷吾)、懐公(卓子)は、臣下もなつ
かず、国の内外から見放されていたが、それでもわが国は滅びなか
った。これは天の思召しであろう。天がわが国を滅ぼそうとされな
い以上、わが国にはりっぱなあるじが必要だ。わが君をおいて誰が
その役目をはたせよう。こう考えれば、わが君を即位させだのは、
ほかならぬ天の意志なのだ。
それなのに、それがあたかも自分の手柄でもあるかのようにいう連
中がいるのは、あきれかえったものだ。他人の財産を盗めば泥棒と
呼ばれる。まして、天の功績を盗むとは、何と呼んでいいものか。
このように、臣下たちは罪を罪と思わず、君王たるお方はその罪に
対し賞をあたえる、上も下も盲ばかり、こんな世の中に往めようか」
かれの母がそれを聞いて言った。「それにしても、言うだけは言っ
た方がよい。このまま死んでしまったら、おまえの功績は誰にも知
られぬままじゃ」「いや、ひとを批判しながら、ひとと同じことを
したら、罪はいっそう重くなります。わたしは、わが君にこうした
苦言を呈したからには、これ以上、禄を食むわけにはまいりません」
「では、おまえの考えだけでも知らせておいたらどうかね」
「言葉は身の飾りにすぎません。隠遁する身に、どうして飾りがいり
ましょう。身を飾るのは、立身出世が目当ての連中がすることです」
「そこまで覚悟ができているのなら、すきなようにするがいい。わた
しもいっしょに身をかくそう」そして、母子ふたりは隠遁生活を送
って天寿を全うした。文公は、介之推の行方を求めたが、ついに見
つけられなかった。そこで、緜上(めんじょう)の地をかれを祭る
ための祭田とした。
「これによって、わたしの過ちを明らかにし、かつ、かくも高潔な人
物がいたことを、後世にまで伝えたい」と、文公は言った。
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』
36.試合のルールについてぜんぜん語り合わない
しかし騎士団長はいったいどこに消えてしまったのだろう? 私は林の中の道を歩きながらそ
のことを考えた。かれこれ二週間以上彼の姿を見かけていない。不思議なことに、彼がそれほど
長く姿を見せないことを、私はいくらか淋しく感じていた。たとえよくわけのわからない存在で
あるにせよ、ずいぶん奇妙なしゃべり方をするにせよ、私の性行為を勝手にどこかから見物して
いるにせよ、小さな剣を帯びた小柄な騎士団長に対して、私はいつしか親近感に似た感情を抱く
ようになっていた。騎士団長の身に悪いことが起こっていなければいいのだが、と願った。
家に戻るとスタジオに入り、いつもの古い木製のスツールに座って(それはおそらく雨田典彦
が仕事をするときに座っていたはずのスツールだ)、壁にかけた『騎士団長殺し』を長いあいだ
見つめた。私は何をすればいいのかわからないとき、よくそうやってその絵をいつ果てるともな
く眺めたものだ。いくら見ても見飽きることのない絵だった。その一幅の日本画は、本来どこか
の美術館のもっとも重要な所有作品のひとつとなってしかるべきなのだ。しかし実際にはこの挟
いスタジオの簡素な壁にかけられ、私一人だけのものになっている。それ以前は誰の目にも触れ
ず、屋坦畏に隠されていた。
この絵は何かをうったえかけている、と秋川まりえは言った。まるで鳥が狭い檻から外の世界
に出たがっているみたいに。
その絵を見れば見るほど、まりえの口にしたことは正鵠を射ていると私には思えた。そのとお
りだ。たしかに何かがそこから、その囚われた場所から外に出ようと必死にもがいているように
見える。それは自由と、より広い空間を希求している。その絵画を力強いものにしているのはお
そらく、そこにある強い意志なのだ。具体的に鳥が何を意味するのか、檻が何を意味するのか、
そこまではわからないにせよ。
私はその日、何かが無性に描きたかった。私の中で「何かを描きたい」という気持ちが次第に
高まっていくのが感じられた。まるで夕刻の潮がひたひたと満ちてくるみたいに。しかし秋川ま
りえの肖像に取りかかる気持ちにはなれなかった。それはまだ早すぎる。来週の日曜日まで持と
う。そしてまた『白いスバル・フォレスターの男』をもうコ一度イーゼルの上に載せようという
気持ちにもなれなかった。そこには――秋川まりえが指摘するように――何か危険な力を持つも
のが潜在している。
秋川まりえを描くつもりで、新しい中目のキャンバスがイーゼルの上に用意されていた。私は
その前のスツールに腰を下ろし、そこにある空白を長いあいだじっと眺めていた。でもそこに描
くべきイメージは湧いてこなかった。空白はいつまでたっても空白のままだった。いったい何を
描けばいいのだろう? でもしばらく考えているうちに、自分が今何を描きたがっているのかに
ようやく思い当たった。
私はキャンバスの前を離れ、大型のスケッチブックを取り出した。そしてスタジオの床に座っ
て壁にもたれ、あぐらをかき、鉛筆を使ってそこに石室の絵を描いていった。いつもの2Bでは
なく、HBを使った。雑木林の中の、石塚の下から現れたあの不思議な穴だ。私はさっき見てき
たばかりのその光景を順に再現し、できるだけ詳細にスケッチしていった。奇妙なほど緻密に積
み上げられたその石壁を描いた。穴のまわりの地面を描き、そこに美しい模様のように張りつい
ている濡れた落ち葉を描いた。穴を隠すように覆っていたススキの茂みは重機のキャタピラに踏
みつぶされ、倒れ伏していた。
その絵を描いているあいだ私は、自分かその雑木林の中の穴と一体化していくような奇妙な感
覚に再び襲われた。その穴は確かに自らが描かれることを求めているようだった。正確に緻密に
描かれることを。そして私はその求めを受け止めるべく、ほとんど無意識に手を動かしていた。
そのあいだに私が感じていたのは央雑物のない、ほとんど純粋な造形の喜びだった。どれほど時
間が経過したのか、ふと気がつくと私はスケッチブックの画面を黒い鉛筆の線で埋め尽くしてい
た。
私は台所に行って、冷たい水をグラスに何杯か飲み、コーヒーを温めてマグカップに注ぎ、そ
のカップを手にスタジオに戻った。スケッチブックの聞いたページをイーゼルの上に載せ、スツ
ールに腰掛け、少し離れたところからそのスケッチをあらためて眺めた。そこにはあの林の中の
丸い穴がどこまでも正確に、リアルに再現されていた。その穴は本当に生命を持っているように
見えた。というか実物の穴より、より生きているように見えた。私はスツールから降りて、近く
に寄ってそれを眺め、また違う角度からそれを眺めた。そしてそれが女性の性器を連想させるこ
とに気づいた。キャタピラに踏みつよされたススキの茂みは陰毛そっくりに見える。
私は一人で首を振った。そして苦笑しないわけにはいかなかった。まったく絵に描いたような
フロイト的解釈だ。まるでそのへんの頭でっかちの評論家みたいな言いぐさじやないか。「あた
かも孤独な女性性器を想起させるような、この地面に聞かれた暗い穴は、作者の無意識の領域か
ら浮かび上がってきた記憶と欲望の表象として機能しているように見受けられる」とか。くだら
ない。
しかしそれでも、その林の中の丸い不思議な穴が女性性器と結びついているという思いは、私
の頭を去らなかった。だから少しあとで電話のベルが鳴り出したとき、その音を間いただけで、
人妻のガールフレンドからの電話だと予測がついた。
そして実際にそれは彼女からの電話だった。
「ねえ、急に時間があいちやったんだけど、これからそちらに行っていいかしら?」
私は時計に目をやった。「かまわないよ。お昼ご飯でも一緒に食べよう」
「何か簡単に食べられそうなものを買っていく」と彼女は言った。
「それはいいな。朝からずっと仕事をしていたもので、何も用意してないんだ」
彼女は電話を切った。私は寝室に行ってベッドをきれいにセットし、床に散らかっていた衣服
を拾い上げ、畳んでタンスの抽斗にしまった。流し台の中にあった朝食の食器を流って片付けた。
それから居間に行って、いつものようにリヒアルト・シュトラウスの『薔薇の騎士』(ゲオル
グ・ショルティ指揮)のレコードをターンテーブルに載せ、ソファの上で本を読みながら、ガー
ルフレンドがやって来るのを待った。そして秋川笙子はいったいどんな本を読んでいたのだろう
と、ふと思った。彼女はいったいどのような種類の本にあれほど熱中できるのだろう?
Georg Solti
ガールフレンドは十二時十五分にやってきた。彼女の赤いミニが家の前に停まり、食料品店の
紙袋を抱えた彼女が車から降りてきた。雨はまだ音もなく降り続いていたが、彼女は傘をささな
かった。黄色いビニールのレインコートを着て、そのフードを順にかぶり、足早に歩いてやって
きた。私は玄関のドアを開け、紙袋を受け取り、そのまま台所に待って行った。レインコートを
脱ぐと、彼女はその下に鮮やかな草色のタートルネックのセーターを着ていた。そのセーターの
下で、彼女の二つの乳房はきれいな盛り上がりを見せていた。秋川笙子の胸ほど大きくはないが、
程良い大きさだった。
「朝からずっと仕事をしていたの?」
「そうだよ」と私は言った。「でも誰かに頼まれた仕事じやない。自分で何かが描きたくなって、
思いついたことを気楽に描いていたんだ」
「徒然なるままに」
「まあね」と私は言った。
「おなかはすいた?」
「いや、それほどでもない」
「よかった」とと彼女は言った。
「じやあ昼ご飯を食べるのはあとにしない?」
「いいよ、もちろん」と私は言った。
「どうして今日はこんなに意欲的に盛り上がっているのかしら?」と彼女はベッドの中で、少し
後で私に尋ねた。
「どうしてだろうね」と私は言った。朝から夢中になって、地面に開いた直径ニメートル弱の奇
妙な穴の絵を描いていたからかもしれない。描いているうちに、それが女性器のように思えてき
て、それで性的な欲望が少なからず刺激されたみたいだ……いくらなんでもそんなことは言えな
「しばらく君に会っていなかったし、そのせいで君を強く求めていたんだと思う」と私はより穏
やかな表現を選んで口にした。
「そう言ってくれると嬉しい」と彼女は私の胸を指先でそっと撫でながら言った。「でも本当は、
もっと若い女の子が抱きたいとか思っているんじやないの?」
「そんなことは思わないよ」と私は言った。
「本当に?」
「考えたこともない」と私は言った。そして実際にそのとおりだった。私は彼女との性的な交わ
りを、それ自体として純粋に楽しんでいたし、彼女のほかの誰かにそういうものを求めたいとは
思いもしなかった(もちろんユズとのあいだのその行為は、まったく別の成り立ちのものだった)。
それでも私は、現在秋川まりえの肖像を描いていることを、彼女には言わないでおくことにし
た。十三歳の美しい少女をモデルにして絵を描いていることは、彼女の嫉妬心を激妙に刺激する
ことになるかもしれないと思ったからだ。たとえどのような年齢であれ、すべての女性にとって
すべての年齢は、とりもなおさず微妙な年齢なのだ。四十一歳であれ、十三歳であれ、彼女たち
は常に微妙な年齢と向き合っているのだ。それは私がこれまでのささやかな女性経験から身をも
って学んだ敦訓のひとつたった。
「でもね、男女の仲って、なんだか不思議なものだと思わない?」と彼女は言った。
「不思議って、どんな風に?」
「つまり私たちはこんな風につきあっている。ついこのあいだ知り合ったばかりなのに、こうし
てお互いすっかり裸になって抱き合っている。とても無防備に、恥じらいなく。そういうのって、
考えてみれば不思議じゃない?」
「不思議かもしれない」と私は静かに同意した。
「ねえ、これをゲームだとして考えてみて。純粋なゲームではないにせよ、ある種のゲームみた
いなものだと。そう考えないことにはうまく話の筋が通らないから」
「考えてみる」と私は言った。
「で、ゲームにはルールが必要よね?」
「必要だと思う」
「野球にもサッカーにも、分厚いルールブックがあって、いろんな細かい規則がそこにいちいち
文章化されていて、審判や選手たちはそれを覚え込まなくちやならない。そうしないことには試
合が成立しない。そうよね?」
「そのとおりだ」
彼女はそこでしばらく時間を置いた。そのイメージが私の順にしっかり根付くのを待った。
「それで、私が言いたいのは、私たちはこのゲームのルールについて、一度でもきちんと話しあ
ったことがあったかしら、ということなの。あったかな?」
私は少し考えてから言った。「たぶん、なかったと思う」
「でも現実的に、私たちはある種の仮想のルールブックに沿って、このゲームを進めている。そ
うよね?」
「そう言われれば、そうかもしれない」
「それはつまりこういうことじやないかと思うの」と彼女は言った。
「私は私の知っているルールに従ってゲームを進めている。そしてあなたはあなたの知っている
ルールに従ってゲームを進めている。そして私たちはおたがいのルールを本能的に尊重している。
そして二人のルールがぶつかりあって、面倒な混乱を来さない限り、そのゲームは支障なく進行
していく。そういうことじやないかな?」
私はそれについてしばらく考えた。
「そうかもしれない。ぼくらはお互いのルールを基本的に尊重している」
「でもそれと同時に、私は思うんだけど、それは尊重とか信頼というよりは、むしろ礼儀の問題
じやないかしら」
「礼儀の問題?」と私は彼女の言葉を反復した。
「礼儀は大事よ」
「たしかにそうかもしれない」と私は認めた。
「でもそれが――信頼なり尊重なり礼儀なりが――うまく機能しなくなり、お互いのルールがぶ
つかりあって、ゲームがスムーズに進められないようになると、私たちは試合を中断して、新た
な共通ルールを定めなくてはならなくなる。あるいはそのまま試合を止めて、競技場から立ち去
らなくてはならない。そしてそのどちらを選ぶかは、言うまでもなく大事な問題になる」
それがまさに私の結婚生活において起こったことだ、と私は思った。私はそのまま試合を中止して、競
技場から静かに立ち去ることになった。三月の冷ややかな雨の降る日曜日の午後に。
「それで君は」と私は言った。「ぼくらが試合のルールについて、ここであらためて語り合うこ
とを求めているの?」
彼女は首を振った。「いいえ、あなたは何もわかっていない。私が求めているのは、試合のル
ールについて何ひとつぜんぜん語り合わないことよ。だからこそ、私はこうしてあなたの前で
剥き出しになれるの。それでかまわないかしら?」
「ぼくはかまわないけれど」と私は言った。
「とりあえずの信頼と尊重。そしてとくに礼儀」
「そしてとくに礼儀」と私は繰り返した。
彼女は手を伸ばして、私の身体の一部を握りしめた。
「また堅くなっているみたい」と彼女は私の耳元でささやくように言った。
「今日が月曜日だからかもしれない」と私は言った。
「曜日が何かこれと関係あるわけ?」
「朝から雨が降り続いているからかもしれない。冬が近づいているせいかもしれない。渡り鳥が
姿を見せ始めたからかもしれない。茸が豊作だからかもしれない。水がコップにまだ十六分の一
も残っているからかもしれない。君の草色のセーターの胸のかたちが刺激的だったからかもしれ
ない」
それを聞いて彼女はくすくす笑った。どうやら私の答えが気に入ったようだった。
1938 - 1939
夕方に免色から電話がかかってきた。彼は前日の日曜日の礼を言った。
礼を言われるほどのことは何もしていない、と私は言った。実際の話、私はただ彼を二人に紹
介しただけなのだ。そこから何かどのように発展していくのか、それは私の関与するところでは
ないし、そういう意味では私はただの部外者に過ぎなかった。というか、いつまでも部外者のま
まにとどめておいてもらいたかった(そう都合よく話は進まないだろうという予感はあったにせ
よ)。
「実は今日こうしてお電話しだのは、雨田典彦さんの件についてなんです」、免色は挨拶を終え
るとそう切り出した。「あれからまた少し情報が入ってきたもので」
July 7, 1937
彼はまだその調査を続けさせているのだ。実際に足を使って調査をしているのが誰であるにせ
よ、それだけ綿密な仕事をさせるには相当な費用がかかるに違いない。免色は白分か必要だと感
じるものごとには、惜しまず金をつぎ込める男なのだ。しかし雨田典彦のウィーン時代の体験が、
彼にとってなぜ必要性を持っているのか、それがどれはどの必要性なのか、私には見当がつかな
かった。
「これは雨田さんのウィーン時代のエピソードには直接関係しないことかもしれません」と免色
は言った。「しかし時期的に重なりあっていることですし、雨田さん個人にとってはおそらくき
わめて重要な意味を持っていたはずです。ですからいちおうお話ししておいた方がいいだろうと
思ったのです」
「時期的に重なりあっている?」
「前にもお話ししたように、雨田典彦は一九三九年の初めにウィーンをあとにして、日本に戻る
ことになります。形式上は強制送還ということになっていますが、実質的にはゲシュタポからの
雨田典彦の〈救出〉でした。日本の外務省とナチス・ドイツの外務省とが秘密裏に協議して、雨
田典彦は罪に問わず、国外に追放するにとどめるという結論に遂したのです。暗殺未遂事件は
一九三八年に持ち上がっているわけですが、その伏線はその年に起こった一連の重要な事件にあ
ります。アンシュルス(独襖合併)とクリスタル・ナハト(水晶の夜)です。アンシュルスは三
月に、クリスタル・ナハトは十一月に起こっています。その二つの出来事によって、アドルフ・
ヒットラーの暴力的な意図は誰の目にも明確になります。そしてオーストリアもその暴力装置に
しっかりと組み込まれていきます。抜き差しならないほど深く。その流れをなんとか阻止しよう
という地下抵抗運動が学生たちを中心にして生まれ、そしてその年に雨田典彦は暗殺未遂事件に
関与して逮捕されます。その前後の経緯については理解していただけましたね」
「おおよそ理解できていると思います」と私は言った。
「歴史はお好きですか?」
「それほど詳しくはありませんが、歴史の本を読かのは好きです」と私は言った。
「日本の歴史に目を向けても、その前後にはいくつかの重要な事件が持ち上がっています。
「いくつかの致命的な、破局に向けて後戻りすることのできない出来事が。思い当たることはあ
りますか?」
March 15, 1939
私は頭の中に長いあいだ埋もれたままになっている歴史の知識を洗い直してみた。一九三八年、
つまり昭和十三年にいったい何か起こっただろう? ヨーロッパではスペイン内乱が激化してい
る。ドイツのコンドル軍団がゲルニカに無差別爆撃をくわえたのもたしかその頃だ。日本で?’
「盧溝橋事件があったのはその年でしたっけ?」と私は言った。
「それは前の年です」と免色は言った。「一九三七年七月七日に盧溝橋事件が起こり、それをき
っかけに日本と中国の戦争が本格化していきます。そしてその年の十二月にはそこから派生した
重要な出来事が起こります」
その年の十二月に何かあったか?
「南京入城」と私は言った。
「そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本車が激しい戦闘の来に南京市内を占拠し、そこで
大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人かおり、戦闘が終わったあとの殺人があり
ました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害して
しまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありま
すが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがた
い事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しか
し四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」
もちろん私にはそんなことはわからない。
Nov. 25, 1936
私は尋ねた。「十二月に南京が陥落し、多くの人が殺された。しかしそのことが雨田典彦さん
のウィーンでの事件に何か関係しているのですか?」
「今からその話をします」と免色は言った。「一九三六年十一月には日独防共協定が成立し、そ
の結果日本とドイツは歴然とした同盟関係に入っていきますが、ウィーンと南京とでは現実的に
かなりの距離がありますし、現地では日中戦争について、おそらくそれほど詳しい報道もされな
かったでしょう。しかし実を言うと、その南京攻略戦には雨田典彦の弟の継彦が一兵卒として参
加していました。徴兵されて実戦部隊に加わっていたわけです。役は当時二十歳で、東京音楽学
校、つまり今の東京啓太音楽学部の現役の学生でした。ピアノの勉強をしていたんです」
「それは不思議ですね。ぼくの知る限りにおいては、当時はまだ現役の学生は徴兵免除をされて
いたはずですが」と私は言った。
「ええ、おっしやるとおりです。現役の大学生は卒業するまでは徴兵を猶予されていました。な
のにどうして雨田帚該が徴兵されて中国に送られることになったのか、その理由はわかりません。
しかし何はともあれ、彼は一九三七年の六月に徴兵され、翌年の六月まで、陸軍二等兵として熊
本第六師団に所属しています。往んでいたのは東京ですが、戸籍は熊本になっていたので、第六
師団に編入されました。その記録は文書に残っています。そして基礎訓練を受けたあと中国人陸
に派遣され、十二月の南京攻略戦に参加しました。翌年六月の除隊後は学校に復帰しています」
私は黙って話の続きを待った。
「しかし除隊し、復学して間もなく、雨田康彦は自らの命を絶っています。自宅の屋根裏部屋で
剃刀を使って、手首を切って死んでいるのが、家族によって発見されました。夏の終わり頃のこ
とでした」
屋根裏で手首を切った?
人妻ガールフレンドとの床談義から一気に雨田康彦の絶命まで、陰惨な流血が滴る第二次世界大戦の
背景にギアーチェンジし展開。次回がさらに楽しみである。
この項つづく
【RE100倶楽部:ソーラーペイント篇】
● 太陽塗料は水蒸気から無限のエネルギーを生産
6月に入り、晴れているのに、冷たい風が吹くという異常気候が毎日のように続く昨今。さて「発電
する超高層ビルディング」(2017.06.065)では数兆円という市場規模が想定されるのソーラータイル
事業について素描したが(勿論、ゼロ廃棄物×太陽光発電をセットを前提)、今回は豪州はメルボル
ン市のあるRMIT大学の研究グループが開発した硫黄リッチな非晶質モリブデン硫化物を触媒とした
光励起ペイントで空気中の水分を電気分解して水素を取り出すというペイント開発が公表された(上
下図ダブクリ参照)。
DOI: 10.1021/acsnano.7b01632
この技術はネタはすでに特許出願されている類の情報だが、空気中の水分を使って無電解分解生成さ
せるのが最大のうたい文句。曰く「硫黄に富む硫化モリブデンは、優れた触媒特性を利用し、無機配
位ポリマー態。硫黄に富んだMoSx(x = 32/3)とその水蒸気との相互作用の表面水依存特性(MoSx)は
高吸湿性半導体で、Moあたり0.9H2O分子に可逆的に結合。表面水の存在は、半導体の特性に大きな影
響を与え、材料の光励起エネルギーを1桁以上変換、ドライ状態から湿潤状態に移行。さらに、MoSx
ベースの水分の導電率は、湿度が30%増加すると2桁を超え変換されること発見。この化合物を酸化
チタン粒子と混合することで、太陽光と湿った空気から水素燃料を生成光触媒が吸湿性に完全依存す
る無電解水分離型光触媒を開発。この触媒は、ガラスのような絶縁基材上にコーティングすることが
できるインクとして配合され、水蒸気からの効率的な水素および酸素の発生をもたらす。この概念は、
将来の太陽光発電のために広く採用される可能性を秘めている」(Torben Daeneke博士)とのこと。
また、同研究グループのKourosh Kalantar-zadeh教授は、酸化チタンは、壁用塗料にすでに普及している白
色顔料。新しい材料を追加すると、レンガの壁をエネルギー収穫と燃料生産の不動産に変えることができ、ろ
過処理した水が不溶で、空気中に水蒸気があ留限り、僻地の水域圏ても、水素、酸素が生成でき、燃料電池
と組み合わせれば発電し、燃焼させれば発熱するということであり、後は「効率よく発電・発熱する手段」の開
発が俎上する。基本は「太陽と水」というわけで、「エネルギーフリー社会」が実現を語ったというわけである。
これは愉快だ。
※ 関連参考特許
♞ 特開2015-142882 水素生成触媒 久保田 博 2015年08月日
♞ US 9637827 B2 Methods of preventing corrosion of surfaces by application of energy storage-conversion
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