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「年金問題」は嘘ばかり ?

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       僖公二十七・八年:城濮(じょうぼく)の戦い / 晋の文公制覇の時代   

                            

    ※ 晋に救援を求む:この年も暮れ、冬となった。楚の成王は味方の諸侯とと
            もに宋に攻撃を加えた。宋の公孫固は急速晋に赴き、晋の文公に救援を求
            めた。文公に臣下たちが次々と意見を具申する。先軫(せんしん)は言っ
      た。「宋の難局を救って、宋公の恩に報いると同時に、諸国にわが国の力
      を示し、天下に覇をとなえる好機かと存じます」孤偃(こえん:子犯)は
      言った。「楚は最近、曹を支配下におき、衛と縁組みを整えたところです。
      いま、わが国が曹と衛とを攻撃すれば、楚はこの二国の救援にむかわざる
      を得ません。こうなればしめたもの、宋はもちろん、かねて楚におびやか
      されていた斉も、危急を逃れることができましょう」この意見に従って行
      動を起こすべく文公は被廬(ひろ)枝炭に全軍を招集し、戦時編成を行な
      った。総指揮官の人選が問題となったとき、趙衰(ちょうし)が意見を述
      べた。

     「郤穀(けいこく)が適任です。わたしはかれのことはよく存じております
      が、礼楽、詩書を心からたっとぶ人物です。詩書は義の宝庫、礼楽は徳の
      手本、そして徳と義とは利を生みだす根本であります。『まず心おきなく
      意見を述べさせ、それを実行させてみよ。そして功績があれば、車と衣を
      あたえてこれに報いよ』――この『書経』の教えどおり、このさい部員に
      任務をあたえてみてはいかがでしょう」。

      この進言がとりあげられ、郤穀は中軍の将に任命された。郤湊(げきしん)
      がその副将となった。上軍の将には孤偃が任命されたが、かれは兄の孤毛
      (こもう)にその位をゆずり、みずからは副将となった。下車の将には、
      趙衰をあてようとしたが、趙衰が欒枝(らんし)と先軫とを推したので、
      欒枝を下車の将、先軫をその副将とした。文公が乗る兵車は、荀林父(じ
      ゆんりんほ)が御をつとめ、魏犨(ぎしゅう)が車右(しゃう)をつとめ
      ることになった。
       
     〈宋公の恩〉文公は亡命中、宋の襄公から馬を贈られた。
     〈車右〉丘車の中央に御者、左に射手、右に武器をもった"車右”が乗った。

   June 19, 2017

● テラヘルツレーザー照射で波長変換効率50%増

今月19日、京都大学らの研究グループはビスマスとコバルトを含むセラミックスにテラヘルツ光(
波長がサブミリメートルの遠赤外光)を照射すると非線形光学特性が5割以上増強する現象を発見し
たことを公表。非線型光学材料の性能指数を制御する新しい手法であり、室温かつ非接触、超高速で
の新しい非線形光学材料の性能指数向上や巨大データの高速処理に必要な超高速光電子デバイス開発
への応用が期待されている。

これまで、極性材料には、その反転対称性の破れた独自の結晶構造に由来する「二次の非線形感受率」
が存在し、入射した光の周波数の2倍(波長が半分)の光を発生できるが、この現象は「第二次高調
波発生(SHG)」と呼ばれ、レーザーにおける波長変換技術などに利用される。発生するSHG強度が
大きい、つまり性能指数が高い非線形光学材料の開発は重要な課題となっていた。

今回実験に用いた物質は、ビスマスとコバルトからなる酸化物セラミックス結晶(BiCoO3)。コバル
トを中に含む酸素4面体の頂点方向が同一方向を向いて3次元的に連なり、全体でマクロな極性構造を
持つ。これは、誘電体材料で知られるPbTiO3結晶と同型で、実際に巨大な自発分極が観測されている。
この物質は、極性構造に起因する二次の非線形感受率が存在するため、SHG効果を容易に観測できる。

研究グループは、この試料に対して尖頭値が約1MV/cmの電界強度を持つテラヘルツ光パルスを照射
するとSHG強度が瞬時に増強、最大電界強度0.8MV/cmのときにSHG強度が5割以上増えることを観測。
これは、テラヘルツ光が結晶の歪みを引き起こし、二次の非線形感受率を増大させたためで、試料の
非線形光学応答の性能指数が劇的に増大したことを示す。さらに、SHG強度変化のスピードは、照射
したテラヘルツ波の波形に追随しており、1ピコ秒以内に変化して元の状態に戻る。このような巨大
かつ高速の非線形光学応答の変化はこれまで全く見られなかったが、✪室温かつ非接触での新しい非
線形光学材料の性能指数を向上する技術や、✪テラヘルツ電磁波で制御される超高速データ処理の新
たな超高速光電子デバイス開発につながると期待される。✪また、強誘電材料が持つ、他の有用な性
質(アクチュエーターやキャパシタなど)も、テラヘルツ光の照射によって機能向上できる可能性を
強く示唆するとのこと(下図ダブクリ参照)。これは楽しみだ。


DOI::https://doi.org/10.1103/PhysRevApplied.7.064016 

       

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   

    37.どんなものごとにも明るい側面がある

  戦地からの手紙はもちろん厳しい検閲を受けていたが、親しい兄弟ということもあり、その抑
 制された文面から、検は弟の心の動きを読み取ることができた。上手に偽装された文脈から、本
 来の文意をおおよそ推測し、理解できた。弟の部隊が上海から南京に至る各地で激しい戦闘をく
 ぐり抜け、その途中で夥しい殺人行為・略奪行為が繰り返されたことも。そしてまた神経の繊細
 な弟が、そのような幾多の血なまぐさい体験を通して深い心の傷を負ったらしい。

  彼の部隊が占領した南京市内のあるキリスト教会には素晴らしいパイプ・オルガンがあったと、
 弟は手紙に書いていた。オルガンはまったく無傷で残っていた。しかしそれに続くオルガンにつ
 いての長い描写は、彼間宮の手によって墨で黒く塗りつぶされていた(なぜキリスト教会のオル
 ガンの描写が軍事機密になるのか? この部隊に関していえば、担当検閲官の検閲基準はかなり
 不可思議なものだった。当然塗りつよされるべき危険な箇所が往々にして見逃され、とくに塗り
 つぶす必要もないようなところが真っ黒に抹消されていることがよくあった)。だからその教会
 のオルガンを弟が演奏することができたのかどうかも、わからないままに終わっていた。
 「継彦叔父は一九三八年の六月に一年間の兵役を終え、すぐに復学の手続きをしたが、実際には
 復学することもないまま、実家の屋根裏部屋で自死を遂げた。髭剃り用の剃刀をきれいに研いで、
 それで手首を切ったんだ。ピアニストが手首を自ら切るには、よほどの決意が必要だったに違い
 ない。もし助かったとしてもおそらくもうピアノは弾けないだろうからね。見つかったとき屋根
 裏は血の海になっていた。彼が自殺したことは世間にはひた隠しにされた。表向きには心臓病か
 何かで死んだことにされた。

  継彦叔父が戦争体験で深く傷ついて、神経をずたずたに破壊され、それが原因で自らの兪を絶
 ったことは誰の目にも明らかだった。なにしろピアノを美しく弾くこと以外に何ひとつ考えてこ
 なかった二十歳の青年が、あの死屍累々の南京戦に叔り込まれたわけだからな。今ならトラウマ
 ってことになるんだろうが、当時は徹底した軍国主義社会だから、そんな用語も概念もありやし
 ない。ただ性格が弱い、根性がない、愛国心に欠けているというだけで片付けられてしまう。当
 時の日本ではそんな『弱さ』は理解もされなければ、受け入れられもしなかった。ただ家族の恥
 として闇に葬られるだけだ」
 「遺書のようなものはなかったのか?」
 「遺書はあった」と雨田は言った。「かなり長い遺書が自室の机の抽斗に残されていたというこ
 とだ。遺書というよりはほとんど手記に近いものだったらしい。そこには継彦叔父が戦争中に体
 験したことが綿々と書き綴られていた。その遺書を読んだのは叔父の両親(つまりおれの祖父母)
 と長兄とうちの父親、その四人だけだ。ウィーンから戻った父親がそれを読んだあと、遺書は四
 人の見ている前で焼き捨てられた」

  私は何も言わずに語の続きを待った。

 「父親はその遺書の内容については堅く目を閉ざしていた」と政彦は続けた。「すべては家庭の
 暗い秘密として封印され比喩的に言うならば重しをつけて深い海の底に沈められた。しかし一度
 だけ酔っ払ったときに、父親はおれにそのおおまかな内容を話してくれた。まだそのとき小学生
 だったんだが、そのとき初めて自殺をした叔父がいたことをおれは知った。父親がその話をして
 くれたのが、本当に酔っぱらって口が緩んだからなのか、それともいつかはおれに話し伝えてお
 かなくてはならないと思ったからなのか、そのへんは不明だ」

  サラダの皿が下げられ、アカザエビの入ったスパゲティーが遺ばれてきた。
  政彦はフォークを手にして、それを真剣な目でしばらく眺めていた。特殊な用途のためにつく
 られた工具を点検するみたいに。それから言った。「なあ、これは正直言って、あまり飯を食い
 ながら話したくなるような話題じゃないんだ」
 「じゃあ、何かべつの話をしよう」と私は言った。
 「どんな話をする?」
 「できるだけ遺書から遺い話をしよう」

  我々はスパゲティーを食べながらゴルフの話をした。私はもちろんゴルフなんてやったことが
 ない。周りにゴルフをする人間はI人心いない。ルールだってほとんど知らない。しかし政彦は
 仕事上のつきあいがあり、最近よくゴルフをするようになった。運動不足を解消する目的もあっ
 た。金をかけて道具を買い揃え、週末になるとゴルフ場に週うようになった。
 「おまえはきっと知らないだろうが、ゴルフっていうのはとことん奇妙なゲームなんだ。あんな
 に変てこなスポーツってまずないね。他のどんなスポーツにもぜんぜん似ていない。というかス
 ポーツと呼ぶことさえ、かなり無理があるんじゃないかとおれは考えている。しかし不思議なこ
 とに、いったんその奇妙さに馴れちまうと、もう帰り遺が見えなくなる」

  彼はその競技の奇妙さについて能弁に話った。様々な風変わりなエピソードを披露してくれた。
 政彦は心ともと話の上手な男だったから、私は彼の話しぶりを楽しみながら食事をした。久しぷ
 りに二人で笑った。
  スパゲティーの皿が下げられ、コーヒーが遺ばれてくると(政彦はコーヒーを断って、白ワイ
 ンのおかおりを注文したが)、政彦は話題を元に戻した。
 「遺書の話だったな」。口調が急にあらたまった。「うちの父親が話してくれたところでは、そ
 こには康彦叔父が捕虜の首を切らされた話が記されていた。とても生々しく克明に。もちろん兵
 卒は軍刀なんて持っちゃいない。これまで日本刀なんて手にしたこともない。なにしろピアニス
 トだからね。複雑な楽譜は読めても、人斬り包丁の使い方なんて何ひとつ知らない。しかし上官
 に日本刀を手渡されて、これで捕虜の首を切れと命令されるんだ。捕虜といっても軍服を着てい
 るわけじゃないし、武器を所持していたわけじゃない。歳だってかなりくっている。本人も自分
 は兵隊なんかじゃないと言っている。ただそのへんにいる男たちを適当に捕まえてきて、縛り上
 げて殺すだけだ。掌を調べて、ごつごつとしたタコができていればそれは農夫だ。場合によって
 は放してやる。しかし柔らかな手をしているものがいれば、軍服を説ぎ捨てて市民に紛れて逃れ
 ようとしている正規兵だと見なし、問答無用で殺してしまう。殺し方は銃剣で刺すか、軍刀で首
 をはねるか、そのどちらかだ。機関銃部隊が近くにいれば、一列に並べてばたばたとまとめて撃
 ち殺してもらうが、普通の歩兵部隊だと弾丸がもったいないから(弾丸の補給は遅れ気味だから)、
 だいたい刃物を使う。屍体はまとめて揚子江に流す。揚子江にはたくさんナマズがいて、それを
 片端から食べてくれる。真偽のほどはわからないが話によれば、そのおかげで当時の揚子江には
 子馬くらいの大きさに肥えたナマズがいたそうだ。

  叔父は上官の将校に軍刀を渡され、捕虜の首を切らされた。陸軍士官学校を出たばかりの若い
 少尉だ。叔父はもちろんそんなことはしたくなかった。しかし上官の命令に逆らったら、これは
 大変なことになってしまう。制裁を受けるくらいじや収まらない。帝国陸軍にあっては、上官の
 命令は即ち天皇陛下の命令だからな。叔父は震える手でなんとか刀を振るったが、力がある方じ
  ゃないし、おまけに大量生産の安物の軍刀だ。人間の首がそんな簡単にすっぱり切り落とせるわ
  けがない。うまくとどめは殺せないし、あたりは血だらけになるし、捕虜は苦痛のためにのたう
 ちまわるし、実に悲惨な光景が展開されることになった」

  政彦は首を振り、私は黙ってコーヒーを飲んでいた。

 「叔父はそのあとで吐いた。吐くものが胃の中になくなって胃液を吐いて、胃液もなくなると空
 気を吐いた。そうして、まわりの兵隊たちに嘲られた。情けないやつだと、上官に軍靴で腹を思
 い切り蹴飛ばされた。誰も同情なんてしてくれなかった。結局彼は全部で三度も捕虜の首を切ら
 されたんだ。練習のために、馴れるまでそれをやらされたんだ。それは兵隊としての通過儀礼の
 ようなものだった。そういう修羅場を経験することによって一人前の兵隊になっていくんだと言
 われた。しかし叔父はそもそも最初から一人前の兵隊になれるわけがなかったんだ。そういう風
 にはつくられていなかったからな。ショパンとドビュツシーを美しく弾くために生まれてきた男
 だ。人の首を刎ねるために生まれてきた人間じゃない」

 「人の首を刎ねるために生まれてきた人間が、どこかにいるのか?」

  政彦はまた首を振った。「そんなことはおれにはわがらんよ。しかし人の首を刎ねるのに馴れ
 ることができる人間は少なからずいるはずだ。人は多くのものごとに馴れていくものだ。とくに
 極限に近い状態に置かれれば、意外なほどあっさり馴れてしまうかもしれない」
 「あるいはその行為に意義や正当性を与えられれば」
 「そのとおりだ」と政彦は言った。「そして大抵の行為には、それなりの意義や正当性は与えら
 れる。おれにも正直言って自信はない。いったん軍隊みたいな暴力的なシステムの中に放り込ま
 れ、上官から命令を与えられたら、どんなに筋の通らない命令であれ、非人間的な命令であれ、
 それに対してはっきりノーと言えるほどおれは強くないかもしれない」

  私は自分自身について考えてみた。もし同じような状況に置かれたら、私はどのように行動す
 るだろう? それから、宮城県の港町で一夜を共にした不思議な女のことをふと思い出した。性
 行為の最中に私にバスローブの紐を手渡し、これで思い切り首を絞めてくれと言った若い女を。
 両手に握ったそのタオル地の紐の感触を、私が忘れることはたぶんないだろう。

 「継彦叔父はその上官の命令に逆らえなかった」と政彦は言った。「それだけの勇気も実行力も、
 叔父は持ち合わせていなかった。しかしその後、剃刀を研ぎ上げて自分の命を絶つことによって、
 自分なりの決着をつけることはできた。そういう意味では、叔父は決して弱い人間ではなかった
 とおれは考えている。自らの命を絶つことが、叔父にとっては人間性を回復するための唯一の方
 法だったんだ」
 「そして継彦さんの死は、ウィーン留学中のお父さんに大きなショックを与えた」
 「言うまでもなく」と政彦は言った。

 「お父さんはウィーン時代に政治的な事件に巻き込まれて、日本に送還されたという話を聞いた
 んだが、その事件は弟さんの自殺と何か関連しているのだろうか?」
 
  政彦は腕組みし、むずかしい顔をした。「そこまではわからない。なにしろ父親はそのウィー
 ンの事件については、一度も口にしなかったからね」
 「君のお父さんと恋仲になった娘が抵抗組織のメンバーで、その関係で暗殺未遂事件に関わるこ
 とになったという話を聞いたけれど」
 「ああ、おれが聞いた話では、父親が恋仲になったのはウィーンの大学に通っていたオーストリ
 ア人の娘で、二人は結婚の約束までしていたらしい。暗殺計画が露見して彼女は逮捕され、マウ
 トハウゼン強制収容所に送られたということだ。たぶんそこで命を落としただろう。うちの父親
 もやはりゲシュタポに逮捕され、一九三九年の初頭に〈好ましくない外国人〉として日本に強制
 送還された。もちろんこれも父親から直接聞いたことではなく、親戚のものから聞かされた語だ
 が、かなりの信憑性はある」
 「お父さんが事件について何も語らなかったのは、どこかから口止めされていたからだろうか?」
 「ああ、それはあるだろう。父親は国外強制退去になるとき、事件について何も語らないように、
 日独双方の当局から厳しく釘を刺されていたはずだ。おそらく口をつぐんでいることが、彼が一
 命を取りとめるための重要な条件になっていたのだろう。そして父親白身もその事件については、
 何も語りたくなかったようだ。だからこそ戦争が終わって口止めするものがいなくなっても、や
 はり同じように口を堅く閉ざしていた」

  政彦はそこで少し間を置いた。それから続けた。

 「ただうちの父親が、ウィーンにおける反ナチの地下抵抗組織に加わったことについては、たし
 かに継彦叔父の自殺がひとつの動機になっていたかもしれない。ミュンヘン会談でとりあえず戦
 争は避けられたが、ベルリンと東京の枢軸は強化され、世界はますます危険な方向に向かってい
 た。そういう流れにどこかで歯止めをかけなくてはと、父親は強く思っていたはずだ。父は何よ
 り自由を重んじる人だ。ファシズムや軍国主義とはまったく肌が合わない。弟の死は彼にとって
 間違いなく大きな意味を持っていたと思う」
 「それ以上のことはわからない?」
 「うちの父親は自分の人生について他人に語るということをしない人だった。新聞や雑誌のイン
 タビューも受けなかったし、自らについて何かを書き残したりもしなかった。むしろ地面につい
 た自分の足跡を、笥を使って注意深く消しながら、後ろ向きに歩いているような人だった」

  私は言った。「そしてお父さんはウィーンから日本に戻ってきて、それから戦争が終わるまで、
 作品をいっさい発表することなく深く沈黙を守っていた」

 「ああ、八年ばかり父は沈黙を守っていた。一九三九年から四七年にかけて。そのあいだ画壇み
 たいなところからはできるだけ遠く離れていたようだ。そういう場所がもともと嫌いだったし、
 多くの画家が嬉々として戦争称揚の国策絵画を描いていたことも、父には気に入らなかった。幸
 いなことに実家は裕福だったから、生活の心配をする必要はなかった。ありかたいことに、戦争
 中兵隊にとられることもなかった。しかし何はともあれ戦後の混乱が一段落して再び画壇に姿を
 見せたときには、雨田典彦は完全な日本画家に変身していた。以前のスタイルをきれいさっぱり
 捨て去り、まったく新しい画法を身につけていた」

 「そしてあとは伝説になっている」

 「そういうことだ。あとは伝説になっている」と政彦は言った。そして手で空中の何かを軽く払
 うような動作をした。まるで伝説が綿ぼこりのようにそのへんに浮かんでいて、それが正常な呼
 吸の邪魔をしているみたいに。
  私は言った。「しかしその話を聞いていると、ウィーンでの留学時代に経験したことが、お父
 さんのその後の人生に何か大きな影を落としているように思える。それがどんな事柄であったに
 せよ」

  政彦は肯いた。「ああ、おれも確かにそう感じているよ。ウィーン滞在中に起こった出来事が
 父の進路を大きく変えてしまった。その暗殺計画の挫折には、きっと暗澹(あんたん)としたい
 くつかの事実 が含まれていたんだろうな。簡単には口にはできないようなすさまじいことが」
 「でもその具体的な細部まではわからない」
 「それはわからない。昔からわからなかったし、今ではもっとわからない。今じゃ、本人にさえ
 よくわかっていないはずだ」
  そうだろうか、と私はふと思った。人はときとして覚えていたはずのことを忘れ、忘れていた
 はずのことを思い出すものだ。とくに迫り来る死と向きあっているようなときには。
  政彦は二杯目の白ワインを飲み終え、腕時計に目をやった。そして軽く眉を寄せた。

 「そろそろ会社に戻った方がよさそうだな」
 「何かぼくに話があったんじゃないのか?」と私はふと思い出して尋ねた。
  彼は思い出したようにテーブルの上を軽くとんとんと叩いた。「ああそうだ。おまえに話さな
 くちゃならないことがあったんだ。しかしうちの父親の話で終わってしまった。次の機会にあら
 ためて話すよ。まあ、一刻を争うことでもないし」
  私は席を立つ前に彼の顔をあらためて見た。そして質問した。「どうしてそこまでぼくに打ち
 明けてくれるんだ? 家庭の微妙な秘密みたいなことまで」

  政彦はテーブルの上に両手を広げて置き、それについて少し考えていた。それから耳たぶを掻
 いた。
 「そうだな、まずひとつに、おれも一人でそういう〈家庭の秘密〉みたいなのを抱え込んでいる
 ことにいささか疲れてきたのかもしれない。誰かに話してみたかったのかもしれない。できるだ
 け口の堅そうな、現実的な利害関係のない誰かにな。そういう意味ではおまえは理想的な聞き手
 だ。そしてまた実を言うと、お札にはおまえに少しばかり個人的な負い目があってね、その借り
 を何らかのかたちで返しておきたかった」
 「個人的な負い目?」と私は驚いて言った。「負い目ってなんだ?」

  政彦は目を細めた。「実はその話をしようと思っていたんだ。でも今日はもう時間がなくなっ
 てしまった。次の予定が入っているものでね。もう一度どこかでゆっくり話し合う機会をつくろ
 う」
  レストランの勘定は政彦が払った。「気にしなくていい。それくらいの融通はきく」と彼は言
 った。私はありかたくご馳走になった。
  それから私はカローラ・ワゴンを運転して小田原に戻った。家の前にその埃だらけの車を駐め
 たとき、太陽は既に西の山の端に近くなっていた。たくさんのカラスたちが鳴きながら、谷の向
 こうのねぐらに向かっていた。

以上、この章を読み終え、個人的な戦争体験の見聞録のようなものを重ね合わせてしばらく考え込み、
戦後生きながらえた日本軍兵士および家族たちのその後の心象の変化などを想像する。さて、次回は
第38章「あれではとてもイルカにはなれない」へ移る。
                                                           この項つづく 

● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり

「本当に年金をもらえるのだろうか」――あなたは、そんな心配をしていないでしょう。実際に、そ
ういう心配をしている人はたくさんいます。様々なメディアが「将来、年金制度が維持できると思い
ますか」などという世論調査をすると、八割から九割の人が「不安を感じる」と答えることが多いよ
うです。では、本当に現在の日本の年金制度は「危ない」のでしょうか。 それを考える前提として、
こういう問いかけをしたら、皆さんはどのようにお答えになるでしょうか?とこのように本書の序章
で問いかける。しかし、それは「誤り」だと、著者は明快に喝破する。そもそも「年金」とは「保険
」であり、その性質さえ知っていれば、すべてわかるし、ダマされることはないのだ、と。東大の数
学科をでて大蔵省に入省、大蔵省の中で年金のことがわかる数少ない人材の一人。それゆえ、厚生省
と対決した。そんな経験を交え、年金の本質に明確に迫る。で、なぜいま財務省や厚労省は「消費税
を上げなければ年金は危ない」「資金運用しなければ未来はない」などと危機を煽るのか。そこに中
央官僚の「利権」があるからと論断し、俗論を撃つ。そうわかって見ていくと、これまで見落として
いたことが顕わになり未来が明るくなるというのだ。このブログでも彼の出版物や発言を取り上げて
きたが、そのきっかけとなったのは、脱「ロスト・ダブルスコア」(=脱デフレ論)をブログ掲載し
ていたことに由来する。ダイヤモンド・オンラインで連載中の「高橋洋一の俗論を撃つ!」の表題を
下記に列記しただけでもするだけでも面白そうなことがわかるというものだ
いものの)。

・豊洲移転中止は絶対あり得ない!地下水「基準」問題の真相(2017.3.23)
・報道されなかったスティグリッツ教授「日本への提言」の中身(2017.4.6)
・日銀政策委員、リフレ派増員で民主党色は一掃された(2017.4.20)
・「統合政府」で考えれば、政府の財政再建試算は3年早まる(2017.4.29)
・教育投資の財源は「こども保険」より「教育国債」の筋がいい(2017.5.12)
・「教育国債」反対の財政学者は借金ばかりを見るから間違える(2017.5.18)
・加計問題「前川発言」は規制緩和に抵抗して負けた文科省の遠吠えだ(2017.6.1)
・加計学園の認可は「総理の意向」の前に勝負がついていた(2017.6.15)

さて、本題に戻ろう。

                    序章 「年金が危ない」はまさに「打ち出の小槌」

  ここで、少し「いじわる」な見方をしてみましょう  「年金が危ない」ということを強調す
 ることで「得になる」人は誰か? ということです。
  まず、財務省や厚労省も「年金が危ない」という主張がまかり通っていたほうが「お得」です。
 財務省は消費税の増税を目指していますが、増税を実現するためには「社会保障」への不安が高
 まっているに越したことはありません。一方、厚労省にとっては、「年金」は大きな利権や天下
 り先の源泉になっています。もし、「安心」などと必要以 上に唱えてしまったら、その「うま
 み」を削られかねません。
  金融機関も「年金が危ない」という常識が世の中で通用していたほうが仕事がしやすくなりま
 す。たしかに、公的な年金はあくまで「基礎的」な部分であって、老後への備えはそれぞれに進
 めておく必要かおりますが、しかし、「公的年金が危ない」と多くの人が思ってくれていたら、
 投資や年金保険などの様々な商品は、さらに売りやすくなります,となると、金融機関系のエコ
 ノミストたちもまたも、その利害から完全に自由に
 なることは難しいことでしょう,
  新聞や雑誌、ウェブなどといったメディアでは、年金のように暮らしのお金に直結するテーマ
 については、ファイナンシャル≒フランナーが記事を執筆することも多いですが、彼らも「年金
 は危ない」と多くの人に思っていてもらったほうが好都合です。ファイナンシャル≒フランナー
 は暮らしの資金設計をしてくれる方々ですが、やはり、何らかの不安があったほうが、相談者は
 増えるはずです,

  政治家だちからすれば、年金は「不安をあおりたてて票を稼げる」、もってこいの材料です,
 国政選挙のときなどに有権者にアンケートをとると、どれほどその時に安全保 障的な事件や、
 政治改革などが話題になっていても、一番の関心は「年金」だったりします。しかも、広く一般
 に「年金不安」が叫ばれていますから、特に野党としては政府与党を攻撃するために、もっとも
 使いやすく効果的なカードになるのです。
  もちろんメディアにとっても、年金は「おいしい」話題です。年金は、将来のことでもありま
 すし、自分の老後の生活に直接大きく関わることです。それゆえ、多くの人びとが高い関心を持
 っています。しかも日本では、「少予昌齢化」はすでに常識になっていますから、少し不安をあ
 おれば、視聴者や読者はビンビン反応します。視聴率を椋いだり、新聞や本を売ったりしなけれ
 ばいけないメディアにとっては、まさに、今菓げたような財務省、厚労省、金融機関、ファイナ
 ンシャル≒フランナー、さらに野党政治家 の「年金が危ない」などといった主張は、まさに「
 打ち出の小槌」です。それを論拠に 「年金の危機」を打ち上げさえすれば、多くの人びとに買
 ってもらえたり視聴してもらえたりするのですから,

  こう見てくると、情報発信側の多くの人びとにとっては、「年金危機をあおったほうが得」に
 なる構図かおることが見えてきます,
  もちろん、だからといって、それぞれが悪意に基づいて勤いているとは思いません。
 しかし、そういう背景があれば、ややもすれば必要以上に「危ない」「破綻」などという解釈や
 表現ばかりが多くなる可能性があります。たとえ悪意がなくとも結果的に、年金問題にまつわる
 言説の多くが「嘘ばかり」という状況にもなりかねないのです。

                
             序章 年金について「三つのポイント」を知っていることが大切

  こういう状況ですから、きちんとした知識を持っていないと、メディアの情報に惑わされて、
 不安ばかり強くなってしまいます。年金について正しい知識を身につけなければ、結果として、
 「大きな損」すらしかねません。何より、必要以上の不安に苛まれつつ日々を送るなど、実にバ
 カげています。
  そうはいっても、「年金は難しい」と思って、知識を持つことをあきらめてしまう人もいるこ
 とでしょう,しかし、年金の仕組みはそれほど難しいものではありません。
  制度が入り組んで複雑化していることは事実ですが、本来は、きわめてシンプルな仕組みです。
 ポイントさえ押さえておけば、年金については誰でも理解できます。おかしな情報に惑わされな
 いために、年金についての基本的なことを知っておきましょう。
  細部にこだわってしまうと、年金のことがわからなくなりますので、本書では、細かい話や難
 しい話はできるだけ省いて、根幹の部分をお伝えできればと思っています。「年金ってこんな仕
 組みなのか」という「勘所」をつかんでおくことが一番大事です。年金については、次の三つを
 知っているだけでかなりの部分を押さえられます。

  ☑ 年金は「保険」である
  ☑「四〇年間払った保険料」と「二〇年間で受け取る年金」の額がほぼ同じ
  ☑「ねんきん定期便」は国からのレシート

                                     この項つづく

   


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