成公16年( -575) 鄢陵(えんりょう)の戦い / 晋の復覇刻の時代
※ 申叔時の予言:晋軍出撃の報に接して、鄭は急遽楚に使者を送り援軍を求めた。
訪楚を予定していた大夫の眺句耳もこれに同行した。楚は鄭救援を決定し、司
馬の子反を中軍の将、令尹の子重を左軍の将、右尹子辛(公子壬夫)を右軍の
将として、軍を編成した。申を通るとき、子反はその地に隠栖していた元の大
夫の申叙時(しんしゆくじ)を訪れ、戦の見通しをたずねた。
「わが軍の前途をどうお考えになりますか」
「わたくしは、徳(賞)、刑、祥(祭)、義、礼、信、この六つが戦いの武器
だと思います。徳によって人民に恩恵をあたえ、刑によって悪をただし、祥に
よって神に仕え、義によって利を興し、礼によって時を得、信によって連緊を
強める。この働きを正しく用いることが大切なのです。そうすれば人民の生活
は豊かになり、道徳観念が確立します。経済は活発になり、秩序が整います。
また、耕作の時期が正しくなり、作物は順調に成長します。こうなれば、上下
関係は安定し、すべては順調に運び、人民はその分をわきまえるようになりま
す。
”王の下、人民の 分わきまえぬ者はなし”
という詩(周頌、思文)は、まさにこの境地をうたったものです。
為政者がこのようにつとめれば、神も福をあたえ、災害を下そうとはされない
でしょう。人民の生活は豊かになり、性質は従順になって、よろこんで上から
の指図にしたがうにちがいありません。命令には全力をつくし、命をかけて危
険にたちむかうことでしょう。こうなってはじめて勝利を得ることができるの
です。
ところが、いまの楚はどうでしょうか。国内では人民の生活に気を配らず、国
外では孤立している。斉との同盟をふみにじり、誓約を裏切っている。農繁期
にある人民を無理に戦いにかりたてて、疲れさせている。そのため、人民は国
家にたいし信頼を持ちえず、いつ罰を受けるかとびくびくしながら菖すありさ
ま、これでは命をかけようとするはずがありません。
というわけで、とても勝利を得る見込みがあるとは巾せませんが、まあ、しっ
かりやってください。ふたたびあなたにお目にかかれるとは思えませんが ・・・」
一方、衛の眺句耳は使者よりも一足先に楚から帰国した。子副が楚軍の様子を
たずねると、かれは、 「とても当てにはできません。行車は速すぎるし、隊
列は道が悪いとたちまち乱れます。あんなに速く行軍したのでは、考える余
裕がありません。あの統制ぶりでは崩壊は時間の問題です。あんな軍隊では、
どうして戦うことができましょう。とても役には立ちますまい」
♞ さらに,自動車(トラック)の電化を促進!
● ハイブリッドトラックの架線充電高速道路の実証実験
ドイツは貨物の二酸化炭素排出量を削減するためにアウトバーンを一部電化する。シーメンス社とドイツのヘ
セツは、アウトバーンの架線充電高速道路を10キロメートル敷設。ハイブリッドトラックは、高速道路の充
電架線に接続、電気高速道路を離れるとディーゼル電源に切り替えるというもの。シーメンス社のeハイウェ
イイニシアティブは装備エネルギー効率を2倍に高め、高速道路の設計によりあらゆるトラックに対応できる。
今後30年間で貨物輸送量は200%増加すると予想されており、地球温暖化対策は必至である。昨年はスト
ックホルムでeハイウェイが開設され、現在は、シーメンス社が別のシステムをカルフォルニアで実証実県中
である。
ところで、わたし(たち)は望むべきは高架線方式ではなく、非接触電磁誘電方式を採用することを希望する。
【ZW倶楽部とRE100倶楽部の提携 Ⅲ】
今回も「ペロブスカイトハイブリッド太陽電池の高い変換効率の謎を解明」(再生可能エネルギー)、「イ
リジウム触媒1つで、水素の貯蔵・放出」(水素エネルギー)、「音波を用いて銅から磁気の流れを生み出す
ことに成功」(レアーメタルフリー)の3つの最新技術研究成果を掲載する。特にペロブスカイトハイブリッ
ド太陽電池の研究成果は、ソーラータイリング事業と深く関係している。
● ペロブスカイトハイブリッド太陽電池の高い変換効率の謎を解明
8月10日、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構などの研究グループは、太陽電池の素材としてシリコン
系ではなく、ペロブスカイト半導体と呼ばれる有機-無機ハイブリッド系材料に注目しペロブスカイト半導体
の特徴は、光エネルギーが熱として逃げてしまう割合が小さい点と、高い変換効率にあるが、なぜそうなるの
かは不明だったが、ペロブスカイト半導体の中の有機分子中の電気双極子が独特の運動をしていることと、励
起エネルギーの低い音響フォノンのみが熱伝導に寄与していることが、その原因であることを突き止めたこと
を公表。
現在開発が進む太陽電池の多くには、シリコンでできた半導体が使われているが、シリコン樹脂を作るにはか
なりの電力が必要です。また、太陽電池自体に起因する問題として、シリコン系太陽電池のエネルギー効率向
上が限界に近づきつつあること、波長が異なる太陽光をすべて電気エネルギーに変換することが難しいこと、
変換する際に一部の光エネルギーが熱となって逃げてしまう問題がある。このため研究チームは、中性子非弾
性・準弾性散乱実験装置を用いて、MAPbI3の原子運動を調べ、❶MAPbI3の中に含まれる有機分子の中に存在
する正負の電荷が対となった電気双極子が独特の運動をしていること、❷この物質で熱を伝えているのは「光
学フォノン」ではなく励起エネルギーがとても小さい「音響フォノン」であり、その伝搬速度が遅く、かつ寿
命が短いため、熱伝導が極めて低く抑えられていることがわかった。❸さらにMAPbI3では、半導体が光を吸収
することで生成される「電荷キャリヤー」という状態が、再結合により消滅するまでにきわめて長い距離を移
動できるという、太陽電池素材として有利な性質をもっており、低い熱伝導がこのキャリヤーの長い寿命を支
えていることも解明した。
● イリジウム触媒1つで、水素の貯蔵・放出
7月31日、京都大学らの研究グループは、イリジウム触媒を用いた水素の有機ハイドライド貯蔵手法を開発し
たことを公表。「ジメチルピラジン」という窒素を含んだ複素環式化合物を水素と反応させ、「ジメチルピペ
ラジン」という物質として水素を蓄える。同一のイリジウム触媒を用い、脱水素化反応によって水素を取り出
すことも可能。この2つの反応を比較的穏やかな条件で達成することにも成功する。 今回研究グループが利
用した窒素を含む複素環式化合物は、炭素環式化合物と比較して脱水素化反応に必要な温度が低くて済むとい
う利点があるため、有機ハイドライドとして有望だが、これまで研究されてきた手法では、水素を貯蔵すると
きと取り出すときに異なる触媒を用いなければならず、加がて水素貯蔵の際に50気圧程度以上の高圧水素と大
量の溶媒を用いる必要があり実用化ネックとなっていた(詳細、上図ダブクリ参照)。
今回開発した水素貯蔵システムでは、有機ハイドライド分子と溶媒の合計100g当たり、3.8gの水素を貯蔵でき、
溶媒を用いない場合は4.1gを貯蔵できる。研究グループは、これらの数値は、これまでに報告されていた窒素
を含む有機化合物を用いた水素貯蔵システムに比べれば格段に低い数値だが、実用的な水素貯蔵システムへと
発展させるためには100g当たり5gを超えるような貯蔵量を持つ新しい有機ハイドライド分子を探索するととも
に、より高活性な触媒を開発する必要がある。
Aug. 18, 2017
● 音波を用いて銅から磁気の流れを生み出すことに成功
8月18日、慶應義塾大学らの研究グループは、銅に音波を注入することによって電子の持つ磁気の流れ「スピ
ン流」を生み出すことに成功しましたことを公表。これにより、❶銅に音波を注入して磁気の流れ「スピン流
」を生成し、❷生成したスピン流によって磁石の磁気量を変化させることに成功し、❸磁石や貴金属を必要と
しない画期的な磁気デバイス実現の道を拓ける。
今回、1秒間に10億回以上の速さで原子が回転するレイリー波と呼ばれる音波を銅に注入、スピンの方向が周
期的に変化する「交流スピン流」を生み出し、磁石の磁気量を大きく変化させることに成功。上図(a)に示す
ようなSAWフィルター素子※5を作製し、レイリー波を生成するアンテナ1と、伝搬したレイリー波を検出するア
ンテナ2の間に銅と磁気を持つニッケル・鉄合金を重ねて貼り付ける。レイリー波が銅に注入されると、銅原子
が高速に回転し、ニッケル・鉄合金の方向に流れるスピン流が生成(図(b))。このスピン流は、ニッケル・鉄
合金の磁気量を変化させる能力を持ちます。この時、レイリー波のエネルギーの一部は、磁気量の変化に利用
されるため、注入されたレイリー波の振幅が小さくなる(図(c))。磁場を用いてレイリー波と磁気量の変化の
周波数を一致させたとき、レイリー波の振幅が大きく変化する現象を発見しました(図(d))。この現象は、銅
を取り除いたり、銅とニッケル・鉄合金の間にスピン流を通さない酸化シリコンを挟むと、ほとんど消失した。。
今回、交流スピン流の生成に用いたSAWフィルター素子は、スマートフォンなどの携帯情報通信端末に広く搭
載。実証された新しいスピン流生成法は、このSAWフィルター素子を用いてスピン流を生成し、携帯端末内で情
報記録やデジタル情報処理を行う磁気デバイスの機能動作を省電力に制御できる可能性を提供し、従来のスピ
ン流生成法とは異なり、磁石や貴金属を必要とせず、磁気デバイスの高性能化・省電力化だけでなく、安価な
レアメタルフリー技術として大きく貢献される。
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』
第47章 今日は金曜日だったかな?
免色はしばらくのおいた考えを巡らせていた。それからきっぱりと言った。「そのことについ
ては、二人でしっかり口を閉ざしていましょう。それしかありません。あなたはこの家のスタジ
オの床でそれをみつけたのです。それで押し連すしかない」
「誰かが秋川笙子さんのところに行ってあげるべきなのかもしれない」と私は言った。「彼女は
一人きりで家にいて、戸惑っています。どうしていいかわからず混乱しています。まりえの父親
とはまだ連絡がつかない。彼女には支えてあげる人が必要じやないでしょうか?」
免色はそのことについてもしばらく真剣な顔で考えていたが、やがて首を振った。「でも私が
今からそこに行くわけにはいきません。私はそういう立場にはないし、彼女のお兄さんがいつ帰
ってくるかもしれない。そして私は彼と面識はまったくありませんし、もし
免色はそこで言葉を切って、そのまま黙り込んだ。
私もそれについては何も言わなかった。
免色は指先でソファの肘掛けを軽く叩きながら、長いあいだ一人で何かを考えていた。考えて
いるうちに、頬が心持ち赤らんだように見えた。
「しばらくこのまま、お宅にいさせていただいてかまいませんか?」と免色は少し後で私に尋ね
た。「何か秋川さんから連絡が入るかもしれませんし」
「もちろんそうしてください」と私は言った。「ぼくもすぐには眠れそうにありません。好きな
だけここにいらしてください。泊まっていかれてもちっともかまいません。寝支度は調えますか
ら」
そうさせてもらうかもしれない、と免色は言った。
「コーヒーはいかがですか?」と私は尋ねた。
「ありかたくいただきます」と免色は言った。
私は台所に行って豆を挽き、コーヒーメーカーをセットした。コーヒーができると、それを居
間に運んでいった。そして二人でそれを飲んだ。
「そろそろ暖炉に火を人社主しよう」と私は言った。真夜中を過ぎて部屋はさっきより二股と冷
え込んでいた。もう十二月に入っている。暖炉に火を入れてもおかしくない頃合いだ。
私は前もって居間の隅に積んでおいた薪を暖炉の中に人社た。そして紙とマッチを使って火を
つけた。薪はよく乾燥していたらしく、すぐに全休に火がまわった。この家に来てから、その暖
炉を使うのは初めてだったので、煙突の換気がうまく機能するものかどうか不安だったが(暖炉
はすぐにでも使えるはずだと雨田政彦は言っていたが、実際に使ってみるまではそんなことはわ
からない。鳥が巣を作って煙突を塞いでしまうこともある)、煙はうまく上に抜けてくれた。私
と免色は暖炉の前に椅子を置いて、そこで身体を温めた。
「薪の火というのはいいものです」と免色は言った。
Boskovsky & Kraus (1955)
私は彼にウィスキーを勧めようかと思ったが、思い直してやめた。今夜はたぶん素面でいた方
がよさそうだ。これからまた車を運転することだってあるかもしれない。我々は暖炉の前に座っ
て、揺れ勧く生きた炎を眺めながら音楽を聴いた。免色はベートーヴェンのヴァイオリン・ソナ
タのレコードを選んでターンテーブルに載せた。ゲオルク・クーレンカンプのヴァイオリンと、
ブィルヘルム・ケンプのピアノ、冬の初めに暖炉の火を眺めながら聴くにはうってつけの音楽だ
った。しかしどこかで独りぼっちで、寒さに震えているかもしれない秋川まりえのことを思うと、
それほど落ち着いた気持ちにはなれなかった。
三十分後に秋川笙子から電話がかかってきた。兄の秋川良信が少し前にようやく帰宅して、彼
が警察に電話をしてくれたということだった。これから警官が事情を聞くために家にやってくる
(秋川家はなんといっても富裕な地元の旧家だ。誘拐の可能性を考えて警察はすぐに飛んでくる
だろう)。まりえからまだ連絡はないし、携帯電話にかけても相変わらず応答はない。心当たり
の先には――それはどの数ではないにせよ――すべて連絡を入れてみたが、まりえの行方はやは
りまったくわからない。
「まりえさんが無事でいてくれるといいのですが」と私は言った。もし何か進展があったらいつ
でも電話をしてほしいと言って、私は電話を切った。
Thielemann · Berliner Philharmoniker
それから我々はまた暖炉の前に座り、古典音楽を聴いた。リヒアルト・シュトラウスのオーボ
エ協奏曲だった。それもレコード棚から免色が選んだ。そんな曲を聴いたのは初めてだった。
我々はほとんど口をきくこともなく、その音楽に耳を傾け、暖炉の炎を眺めながらそれぞれの思
いに浸っていた。
時計が一時半をまわった頃、私は急にひどく眠くなってきた。目を開いていることがだんだん
むずかしくなってきた。私は苦から早寝早起きの生活に慣れていて、夜更かしが苦手だ。
「あなたはどうか眠ってください」と免色は私の顔を見て言った。「秋川さんから何か連絡があ
るかもしれませんから、私はもうしばらくここで起きています。私はあまり眠る必要はないんで
す。眠らずにいるのは苦痛ではありません。苦からそうでした。だから私のことは気にしないで
ください。暖炉の火は絶やさないようにします。こうして音楽を聴きながら、一人で火を眺めて
います。かまいませんか?」
もちろんかまわないと私は言った。そして台所の外にある納屋の軒下からもう丁抱え薪を持っ
てきて、暖炉の前に積み上げた。それだけあれば、朝まで火は十分保たれるはずだった。
「申し訳ないけれど、少し眠らせてください」と私は免色に言った。
「どうかゆっくり眠ってください」と彼は言った。「交代で眠りましよう。私はたぶん明け方に
少しだけ眠ると思います。そのときはこのソファで眠りますから、毛布か何かを貸していただけ
ますか?」
私は雨田政彦が使ったのと同じ毛布と、軽い羽毛布団と枕とを持ってきて、ソファの上に寝支
度を調えた。免色は礼を言った。
「もしよかったらウィスキーがありますが?」と私は念のために尋ねた。
免色はきっぱり首を振った。「いや、今夜はお酒は飲まないでいた方がよさそうだ。何かある
かわかりませんから」
「もしお腹が滅ったら、台所の冷蔵庫の中のものを自由に召し上がってください。大したものは
ありませんが、チーズとクラッカーくらいはあります」
「ありがとう」と免色は言った。
私は彼を居間に残して自分の部屋に引き上げた。そしてパジャマに着替え、ベッドに潜り込ん
だ。枕元の明かりを消して、眠るうとした。しかしなかなか寝付けなかった。ひどく眠いのだが、
頭の中で小さな虫が高速で羽ばたきしているような感触かおり、どうしても眠ることができなか
った。そういうことがたまにある。あきらめて明かりをつけ、身体を起こした。
「どうだい、うまく眠れないだろう?」と騎士団長が言った。
私は部屋の中を見渡した。窓の敷居のところに騎士団長が腰掛けていた。いつもと同じ白い装
束に身を包んでいた。先の尖った奇妙な靴を履き、ミニチュアの刺を帯びていた。髪はきちんと
結われていた。相変わらず、雨田典彦の絵の中で刺殺されていた騎士団長とまったく同じ格好だ
った。
「眠れないですね」と私は言った。
「いろんなことが起こりよるからな」と騎士団長は言った。「人はみな、なかなか心安らかに眠
られない」
「お見かけするのはひさしぷりですね」と私は言った。
「前にも言ったように、ひさしぶりもごぶさたも、イデアにはうまく解せない」
「でもちょうどよかった。あなたに尋ねたいことがあったんです」
「どんなことだろう?」
「秋川まりえが今日の朝から行方がわからなくなり、みんなで探しています。彼女はいったいど
こに行ったのですか?」
騎士団長はしばらく首を傾げていた。それからおもむろに口を間いた。
「知ってのとおり、人間界は時間と空間と蓋然性という三つの要素で規定されておる。イデアた
るものは、その三つの要素のどれからも自立したものでなくてはならない。であるから、あたし
がそれらに関与することは能わないのだ」
「言っていることがよく理解できませんが、要するに行き先はわからないということですか?」
騎士団長はそれには返事をしなかった。
「それとも知ってはいるけれど教えられないということですか?」
騎士団長はむずかしい顔をして目を細めた。「責任回避するわけではあらないが、イデアにも
いろいろと制約があるのだよ」
私は背筋を伸ばし、騎士団長をまっすぐ見た。
「いいですか、ぼくは秋川まりえを教わなくてはなりません。彼女はとこかで助けを求めている
はずです。どこだかわからないけれど、簡単には出られないところに、たぶん迷い込んでしまっ
たのでしょう。そういう気がする。でもどこに行ってどうすればいいのか、今のところ見当もつ
きません。でも今回の彼女の失踪には、あの雑木林の中の穴が何らかのかたちで関係していると
思うんです。筋道立てて説明はできないけれど、ぼくにはそれがわかる。そしてあなたは長いあ
いだあの穴の中に閉じ込められていました。どうしてそんなところに閉じ込められることになっ
たのか、その事情は知りません。しかしとにかくぼくと免色さんが、重い石の塚を重機を使って
どかせて、穴の目を関いた。そしてあなたを外に出してあげた。そうですね? そのおかげで、
あなたは今では時間と空間を好きに移動できるようになった。姿を消したり現したりも好きなよ
うにできる。ぼくとガールフレンドのセックスも存分に見物した。そういうことですよね?」
「まあ、だいたい合っておるよ」
「どうすれば秋川まりえを救い出せるか、その方法を具体的に教えてくれとまでは言いません。
イデアの世界にはいろいろと制約があるみたいだから、そこまで無理は言いません。でもヒント
のひとつくらいはくれてもいいんじやありませんか9切心はあってもいいでしょう」
A Priori
騎士団長は深いため息をついた。
「遠回しにはのめかしてくれるだけでいいんです。今すぐ民族浄化をなくせとか、地球温暖化を
止めろとか、アフリカ象を救えとか、そんな大がかりなことを求めているわけじやありません。
ぼくとしては挟くて暗いところに閉じ込められているかもしれない十三歳の少女を、この普通の
世界に取り戻したいのです。それだけです」
騎士団長は長いあいだ腕組みをしてじっと考え込んでいた。彼の中に何か迷いが生じているみ
たいに見えた。
「よろしい」と彼は言った。「そこまで言うなら、仕方あるまい。諸君にひとつだけヒントをあ
げよう。しかしその結果、いくつかの犠牲が出るかもしれないが、それでもかまわんかね?」
「どんな犠牲ですか?」
「それはまだなんとも言えない。しかし犠牲は避けがたく出るだろう。比喩的に言うならば、血
は流されなくてはならない。そういうことだ。それがいかなる犠牲であるかは、後目になればお
いおい判明しよう。あるいは誰かが身を棄てねばならん、ということになるやもしれない」
「それでもかまいません。ヒントを与えてください」
「よろしい」と騎士団長は言った。「今日は金曜目だったかな?」
私は枕元の時計に目をやった。「ええ、今日はまだ金曜日です。いや、遠う、もう既に土曜日
になっています」
Spanish Armada
第48章 スペイン人たちはアイルランドの沖合を航海する方法を知らず
目を覚ましたのは午前五時過ぎで、あたりはまだ真っ暗だった。私はパジャマの上からカーデ
ィガンを羽織り、居間に様子を見に行った。免色はソファの上で眠っていた。暖炉の火は消えて
いたが、おそらくついさっきまで起きていたのだろう、部屋はまだ暖かかった。積み上げておい
た薪はずっと少なくなっていた。免色は身体に布団をかけて横向きになり、とても静かに眠って
いた。寝息ひとつたてていない。眠り方までどこまでも端正なのだ。部屋の空気でさえ、彼の眠
りを妨げないように息をひそめているようだった。
私は彼をそのまま寝かせておいて、台所に行ってコーヒーをつくった。トーストも焼て食堂の
椅子に座り、バターを塗ったトーストをかじり、コーヒーを飲みながら読みかけの本を読んだ。
スペインの「無敵艦隊」についての本たった。エリザベス女王とフェリペニ世とのあいだで繰り
広げられた、国運を賭けた激しい戦い。どうして私がこの今、十六世紀後半の英国沖での海戦に
ついての書物を読まなくてはならないのか、その理由はよくわからなかったが、読み始めると面
白くて、ずいぶん熱心に読んだ。雨田典彦の書棚でみつけた古い本だ。
一般的な定説としては、戦術を間違えた無敵艦隊はイングランドの艦隊に海戦で大敗し、それ
によって世界の歴史は大きく流れを変えた、ということになっているが、実際にはスペイン軍の
こうむった被害のおおかたは、正面切っての戦いによるものではなく(双方の大砲の弾はさんざ
ん撃ち合ったわりには、ほとんど相手に当たらなかった)、難破によるものだった。地中海の穏
やかな海に馴れたスペイン人たちは、難所の多いアイルランドの沖合をうまく航海する方法を知
らず、そのために暗礁に乗り士げて多くの船を沈没させてしまったのだ。
私が食堂のテーブルの前で、二杯のブラック・コーヒーを飲みながら、スペイン海車の気の毒
な運命を辿っているあいだに、東の空かゆっくり白んできた。土曜日の朝だ。
今日の午前中にかかってくる電話で、誰かが諸君を何かに誘う。それを断ってはならない。
私は頭の中で、騎士団長の言ったことを反復した。そして電話機に口をやった。それは沈黙を
守っていた。おそらく電話はかかってくるのだろう。騎士団長は墟はつかない。私はそのベルが
鴫るのをただじっと待っているしかない。
私は秋川まりえのことを考えた。叔母に電話をかけて彼女の安否を確かめたかったが、まだ朝
が早すぎた。電話をかけるのは少なくとも七時ごろまでは待った方がいいだろう。それにもしま
りえの行方が判明したら、彼女はきっとここに連絡してくるはずだ。払が心配していることを知
っているから。連絡がないのは、進展がないということなのだろう。だから私は食堂の椅子に座
って、無敵艦隊についての本を読み続け、読むのに疲れると、電話機をただじっと眺めた。でも
電話機は相変らず沈黙を守っていた。
ここにきて"イデア"とは、つまりものの「姿」や「形」をさして、イドス(図形)とは異なり、「ものごとの
真の姿」をさし、真の認識のは「想起」(アナムネーシス)であり、古代ギリシアでは学問一般を意味し、近
代における諸科学の分化・独立により、新カント派・論理実証主義・現象学など諸科学の基礎づけを目ざす学
問、生の哲学、実存主義など世界/人生の根本原理を追及する学問のる「死の練習」の愛知(philosophia)で
あり、経験的(アプリオリ)認識に先立つ先天的、自明的な認識や上位概念として定立するものだと騎士団長
は言おうとしている。それはまた仏教の唯識論と通底するところでもある。と、再確認。
この項続く
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