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彦根梨を食べる

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         成公16年( -575) 鄢陵(えんりょう)の戦い   / 晋の復覇刻の時代 

                                  

       ※  国君への礼:晋の郤至(げきし)は楚の共王の軍勢に三たび遭遇したが、共王
       を見るたびに、かれは冑を脱いですみやかに軍をひいた。共王は郤至のもとに
       工尹襄を使者として送った。工尹襄は弓を贈って共王の言葉を伝えた。「戦い
       のさなか、あざやかな赤で身をかためたお姿、さだめし君子とお見受けした。
       いつも挨拶をしてくださるが、わたしをご存知のお方と推察し、お怪我でもな
       いかと、お見舞い申しあげる次第」 郤至は鎧を脱いで使者に対面し、この言
       葉を受けた。「わたくしはいま鎧胃に身をかためて主君の戦に加わっている身
       です。ありかたいお言葉に接しながら、拝礼するわけにもいかぬことを残念に
       思います。お使いの方に粛礼(立ったまま少し手を下げる礼) するにとどめ
       て失礼いたします」。郤至は使者に丁寧に粛礼して帰した。晋の韓厥(かんけ
       つ)が敗走する鄭の成王迫撃していた。御者の杜溷羅(とこんら)が、「もう
       少しです。相手の御者は後にばかり気をとられて肝心な馬に気を配る余裕さえ
       ありません。この分ではきっと追いつけます」 と言ったが、韓厥は、いや国
       君をはずかしめるようなことを二度までしてはならなと言って、成圧を迫うの
       をやめてしまった。また、郤至も成王を追ったことがある。車右の茀翰胡(ふ
       つかんこ)が言った。

       「先に待伏せの兵を置いてください。わたしはあの車に追いついて乗りこみ、
       捕虜にしてまいります」しかし、郤至は、「国君に傷を負わせれば、いつかは
       刑に処せられよう」といって追うのをやめた。成王の御者の石首(せきしゆ)
       は、「むかし、熒(けい)の戦い(閔公二年)のとき、衛の懿(い)公は旗を
       おろさなかったばかりに敗れた」と言って、旗を弓袋のなかにしまった。車右
       の唐苟(とうこう)は石首に言った。「主君のそばを離れないでくれ、大変な
       敗け戦だ。わたしよりもあなたのほうが俊敏だから、主君を守ってほしい。わ
       たしは踏み止まろう」、唐萄は車から降り、防戦して死んだ。

        〈二度まで〉 韓厥は㮤の戦い(成公二年)で斉の頃公(身代り)を捕えた
        ことがある。

         

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』      

    第48章 スペイン人たちはアイルランドの沖合を航海する方法を知らず

    どう言っていいのかわからなかったので、私は黙っていた。 

      「私のこれまでの人生はすべて間違っていたのかもしれない。そう思うことがあります。私はと
      こかでやり方を間違えたのかもしれない。そして無意味なことばかりやってきたのかもしれない。
      だからこそ前にも言ったように、私はあなたを見ていてよくうらやましく感じるのです]
     「たとえばどんなところを?」と私は尋ねた。
     「あなたには望んでも手に入らないものを望むだけの力があります。でも私はこの人生において、
      望めば于に入るものしか望むことができなかった」

       彼はおそらく秋川まりえのことを詰しているのだろう。秋川まりえこそが、彼にとっての「望
   んでも手に入らないもの」なのだ。しかしそれについて何かを述べることは、私にはできなかっ
   た。
    免色はゆっくり自分の車に乗り込み、わざわざ窓を開けて払に一礼し、エンジンをかけて去っ
   ていった。私は車が姿を消してしまうのを最後まで見届けてから家の中に入った。時刻は八時を
   まわっていた。
    電話のベルが鴫ったのは朝の十時過ぎだった。かけてきたのは雨田政彦たった。
   「急な話なんだが」と雨田は言った。「これから伊豆まで父親に会いに行く。よかったら一緒に
   行かないか? うちの親父父仮に会いたいって、このあいだ言ってただろう?]
 
    明日の御膳中にかかってくる電話で、誰かが諸君を何かに誘う。それを断ってばならない。

   「うん、大丈夫、行けると思う。連れて行ってくれ」と私は言った。
   「今、透明高速に乗ったところだ。港北パーキング・エリアから電話をかけている。そちらには
   たぶんあと一時問のうちに首けると思う。そこでおまえをピックアップして、それから伊豆高原
   まで行く」
   「急に行くことになったのか?」
   「ああ、療養所から電話がかかってきてな。どうもあまり容態がよくないらしい。だから様子を
   見に行く。ちょうど今日は何事もなかったから」
   「ほくなんかが一緒に行ってもかまわないのか? そういう大事なときに、家族でもないのに」
   「かまわないよ。気にすることはない。おれの他には訪れる親威もいないんだ。人が争いほどに
   ぎやかでいい」と雨田は言った。そしてそのまま電話を切った。

    私は受話器を置いてから、部屋の中をぐるりと見渡した。騎士団長がどこかにいるかもしれな
   いと思って。しかし騎士団長の姿は見えなかった。彼は予言だけを残してどこかに消えてしまっ
   たようだった。おそらくイデアとして、時間と空間と蓋然性のない領域をうろうろとしているの
   だろう。しかし確かに午前中に電話はかかってきたし、私は何かに誘われたわけだ。これまでの
   ところ、彼の予言はあたっている。秋川まりえの行方がわからないまま、家を留守にするのは気
   がかりだったが、仕方ない。「たとえどんな事情があろうと、その誘いを断ってはならない」と
   いうのが騎士団長の指示だった。秋川笙子のことはとりあえず免色に任せておけばいいだろう。
   彼にはそれだけの責任がある。



    私は居間の安楽椅子に座り、雨田政彦がやってくるのを持ちながら、無敵艦隊についての本の
   続きを読んだ。沖合で難破した船を捨てて、アイルランドの海岸に命からがらたどり着いたスペ
   イン人たちは、ほとんどが地元民の手にかかって殺された。沿岸に仕む貧しい人々は彼らの持ち
   物を奪うために、みんなで兵士や水夫たちを殺した。スペイン人たちは同じカソリック教徒とし
   て、アイルランド人が自分たちを援助してくれるだろうと期待したのだが、そううまくはいかな
   かった。宗数的連帯感よりは飢えの方がずっと切実だった。イングランド上陸後に、英国人の有
   力者たちを買収するために用意した豊かな軍資金を載せた船も、沖合にあえなく沈んでしまった。
   その財宝の行方は誰も知らない。
    雨田政彦の運転する旧型の黒いボルボがうちの前に停まったのは、十一時少し前たった。私は
   深い海の底に沈んだ大量のスペイン金貨のことを考えながら、革ジャンパーを着て外に出て行っ
      た。
 
    雨田が選んだのは、箱根ターンパイクから伊豆スカイラインに入り、天城高原から伊豆高原に
   下りるというルートだった。週末は下の道は混むから、これがいちばん運いんだ、と彼は言った
   が、それでも道路は行楽客の車で混み合っていた。まだ紅葉のシーズンは終わっていなかったし、
   道の運転仁不慣れな週末ドライバーも多く、予想したより時間をくった。



   「お父さんの具合はそんなによくないのか?」と払は尋ねた。
   「いずれにせよ、あまり長くはあるまいな」と淡々とした声で雨田は註った。「はっきり言って、
   時間の間題なんだ。いわゆる老衰に近い状態になっている。食べることもうまくできなくなって             
   いるし、やがていつかは誤嚥性の肺炎を起こすことになるかもしれない。しかし本人の意志で、
   流動食とか点滴とかはしてくれるなということになっている。要するに、自分で飯が食べられな
   くなったら、あとは静かに死なせてくれということだよ。まだ意識のはっきりしているうちに、
   弁護士を通して文書のかたちにされていて、本人の署名もある。だから延命措置みたいなものは
   一切とらない。いつ亡くなってもおかしくはない」
   「だからいつも、いざという時にそなえて待機している」
   「そういうことだ」
   「大変だな」
   「まあ、人がひとり死ぬってのはかなり大仕事だからな。文句は言えないよ」

 ABC - The Look Of Love (1982)

    旧式のボルボにはまだカセットデッキがついていた。一山のカセットテープがもの入れに入っ
   ていたが、雨田は内容も確かめず、手探りで適当な丁不を選んで、デッキに突っ込んだ。198
   0年代のヒットソングが入っているテープだった。デュラン・デュランとか、ヒューイ・ルイス
   とか。ABCの「ルック・オブ・ラブ」がかかったところで、私は雨田に言った。

   「この車の中は進化が止まっているみたいだ」
   「おれはCDみたいなものが好きじゃないんだ。ぴかぴかしすぎているし、軒につるしてカラス
   を追い払うのにはいいかもしれないが、音楽を聴くためのものじゃない。音がきんきんしている
   し、ミキシングも不自然だ。A面とB面に分かれていないのも面白くない。カセットの音楽が聴
   きたくて、それでまだこの車に乗っているんだ。新車にはカセットデッキはついてないものな。
   おかげでみんなにあきれられている。でも仕方ない。エアチェックのコレクションがうちにたっ
   ぶりあるし、それを無駄にしたくはない」
   「しかし、この人生でもう一度、ABCの『ルック・オブ・ラブ』を聴くことになるとは思わな
   かったな」
   
    雨田は怪訝そうな顔で私を見た。「良い曲じゃないか」と彼は言った。
    我々は1980年代にFMラジオから流れていたいろんな音楽の話をしながら、箱根の出の中
   を抜けた。角を曲がるごとに、富士山が青々と間近に見えた。
   「変わった親子だ」と私は言った。「父親はLPしか聴かないし、息子はカセットテープに固執
   している」
   「遅れ加減についちゃ、おまえだってどっこいどっこいだよ。というか、おまえの方がむしろ遅
   れている。おまえは携帯電話だって持ってないだろう? インターネットもほとんど使わないだ
   ろう? おれはちやんと携帯も持ち歩いているし、わからないことがあればすぐにグーグルで調
   べる。会社ではマックを使ってデザインまでしている。おれのほうが社会的にずっと進んでいる}
   そこで曲はバーティー・ヒギンズの「キー・ラーゴ」に変わった。社会的に進んだ人間にして
   はなかなか味わいのある選曲だ。 

   「最近、誰かとつきあっているのか?」と私は話題を変えて雨田に尋ねた。
   「女のことか?」と雨田は言った。
   「そうだよ」

    雨田は肩を小さくすくめた。「あまり順調とはいえない。例によってな。おまけに最近、ある
   奇妙なことに気がついて、そのおかげでいろんなことがますます円滑に進まなくなった」
   「ある奇妙なこと?」
   「あのさ、女の顔って左右で違うんだ。そのことは知っていたか?」                                     
   「人の顔というのはまったく左右対称にはできていない」と私は言った。「乳房だって、睾丸だ
   って左右で大きさやかたちが異なっている。絵を描く人間ならそれくらいは誰でも知っている。
   人間の姿かたちは左右非対称だし、だからこそ面白いんだ」
    雨田は前の道路から目を離さずに、何度か首を振った。「もちろんそれくらいのことはおれも
   知っているさ。しかし今おれが言っているのは、それとはちょっと違うことなんだ。姿かたちと
   いうよりは、むしろ人格的なことだ」
 
    私は話の続きを待った。

   「ニケ月ほど前のことだが、おれはつきあっていた女の写真を撮った。ディジタル・カメラで、
   顔の正面からのアップを撮った。で、それを仕事用のコンピュータの大きな画面に映し出した。
   そしてどうしてかはわからないけど、真ん中から分けて、顔を半分ずつ見たんだよ。右半分を消   
   して左半分だけを見て、それから左半分だけを消して右半分だけを見て……だいたいの感じはわ
   かるか?」

   「わかるよ」

   「それで気がついたんだが、よく見るとその女は、右半分と左半分とではなんだか別人みたいに
   見えるんだよ。映画の『バットマン』に出てきた、左右でまったく顔の違う悪党がいただろう。
   トウーフェイスっていったっけな?」

   「その映画は見ていない」と私は言った。

   「見るといい。なかなか面白い映画だ。で、とにかくそのことに気がついて、おれはちょっと怖
   くなった。それからよせばいいのに、右側と左側だけでそれぞれにひとつの顔を合成してみたん
   だ。顔を半分にわけて、片側を反転させてさ。そうやって右側だけでひとつの顔を作り、左側だ
   けでひとつの顔を作る。コンピュータだとそういうことは簡単にできる。そうしたら、そこには
   まったく人格の違うとしか思えない二人の女ができあがった。驚いたね。要するに一人の女の中
   には、実は二人の女が潜んでいるんだよ。そんな風に考えたことはあるか?」



   「ないよ」と私は言った。

   「おれはそのあと何人かの女の顔で同じことを試してみた。正面から撮った写真を集めて、コン
   ピュータで同じように左右別々に合成してみた。その結果よくわかったんだ。女って多少の差こ
   そあれ、だいたいみんな左右の顔が違っているってことが。そしていったんそれに気がつくと、
   女というもの全般がわからなくなってきた。たとえばセックスをしていても、自分か今抱いてい
   る相手が、右側の彼女なのか左側の彼女なのかわからない。もし自分か今、右側の彼女とセック
   スしているのだとしたら、左側の彼女はとこにいて、何をしてどんなことを考えているんだろう、
   もしそれが左側であるなら、右側の彼女は今どこにいて、どんなことを考えているんだろう、そ
   んな風に考え始めると話がとてもややこしくなる。そういうのってわかるか?」

   「よくわからないけど、話がややこしくなりそうだということは理解できる]
   「ややこしくなるんだよ、実際に」
   「男の顔は試してみた?」と私は尋ねた。
   「試してみたよ。でも男の顔ではあまりそういうことは起こらない。それがドラスティックに起
   こるのはだいたいが女の顔に限られるんだ]

                                      この項つづく

  

 

 

            

 ● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり    

    第6章 「歳入庁」をつくれば多くの問題が一挙に解決する 

           第5節 所得捕捉率よりさらに捕捉率が低い年金保険料

     クロヨン、トーゴーサンといわれるようにサラリーマン以外の所得の捕捉率は低く、
    所得税の徴収漏れかおりますが、それよりもさらに捕捉率が低く、徴収漏れが大きいと
    推測されるのは、年金保険料です。
     どのくらい徴収漏れがあるのかは、実際にはわかりません。データがないので誰にも
    わからない金額です。税金よりも捕捉率は低いと思われますので、何百億円というレベ        
    ルの単位ではなく、数兆円という単位だろうと私は推測しています。
     何しろ、社会保険庁は、過去の年金記録のデータをきちんと管理できていませんでし
    た。消えた年金問題では、基礎年金番号に統合されていない記録が約5000万件もあ
    ることが発覚しています。過去データの不備かおるため、過去の徴収漏れを調査するこ
    とは難しい状態なのです,

     税務署が税務調査をするときには、過去データとの比較をします。前年の税務データ
    がないと今年との違いがわからないため、脱税かどうかを判断するのが難しくなりま
    す。税務署員が調査に行って、「去年はどうですか」といっても、納税者は去年のデー
    タを隠すかもしれません。税務署が前年のデータを持っていないと調べようかおりませ
    ん。
     年金の場合は、過去のデータの管理が不十分ですから、比較対象がなく、十分な調査
    ができません。調査に入っても、ごまかされてしまうかもしれません。年金保険料は、
    かなりの額の徴収漏れがあると見るべきでしょう。
     日本年金機構は、保険料の徴収には力を入れますが、「所得を捕捉しよう」という意
    識はあまりありません。しかし、厚生年金保険料には報酬比例部分かおりますから、所
    得をきちんと捕捉しないと、正しい徴収はできません。

     所得捕捉という点では、税務署のほうがはるかに力を入れていますので、税務署と一
    体になった「歳入庁」にしたほうが、徴収漏れは減るはずです。
     税務署は、源泉徴収されているものに問しては、比較的調査が簡単です。たとえば、
    私たち本を書いている人間は、出版社から印税を受け取りますが、所得税を源泉された
    銀行口座ブ証券口座とマイナンバーのリンクに関して「プライバシーの侵害」といって
        いる人は、税金を払いたくない口実に使っているのでしょう。それでも、この先、所得
        捕捉は確実に高まっていきます。

     マイナンバーに、「基礎年金番号」「納税番号」「銀行口座」がリンクすれば、税金
    と社会保険料は一体化してきます。そうなると、二つの役所が別々に徴収するのは合理
    的ではなくなり、ますます「歳入庁」の必要性が高まっていくことでしょう。
     今、お話ししてきたように、「歳入庁」ができれば、様々なことがより合理的になり
    ます。しかし、壁になるのは「消費税はやりたい。歳入庁はやりたくない」と思ってい
    る財務省です,そこをいかに突破するか。
     この問題は、本来的にいえば、年金問題に不安を覚えている多くの人が、真っ先に怒
    りをぶつける対象にすべきものだと思うのですが……。  
 

     第7章 年全商品の選び方は、「税金」と「手数料」がポイント

        第1節 老後は、若いころよりも「格差」が大きくなる

     年金制度の真実については、これまで本書をお読みいただいて、かなり、おわかりい
    ただけたのではないかと思います。わかってしまえば、そう難しい話ではありません。
    もらえる公的年金の金額も、概賂見当がつくはずです。
     そうなると、問題は個人として、老後にどう備えるかという話になります。本章で
    は、そのことについて、私なりの考えを述べてみたいと思います。
     これは歳を取れば、皆さん実感されることだと思いますが、人間は、歳をとればとる
    ほど格差が開いていきます。  

      学生のうちは、まだ働いていませんから、差はありません。就職したばかりのころ
    も、どの職業でも初任給はあまり変わりませんので、ほとんど差はないでしょう。
     ところが、社会に出て30年、40年経つとものすごく大きな差が出てきます。私は
    60歳を超えていますが、周りを見ると、大企業で役員になっている人は、とても高額
    の給料をもらっています。秘書がついて、車とお抱え運転手がついた生活を送っている
    人もいます。おそらくそういう人たちは、老後になっても悠々自適でしょう。公的年金
    など、本当はまったく必要ではないはずです,

     有名大学を出て、大企業に入っても、役員になれずに50歳を過ぎて、外に出された
    人もいます。再就職先がなくて嘱託でアルバイトのようにして食いつないでいる人もい
    ます。ビジネスの世界では、揉み手をしながら「いやあ、お目が高い」といえるような
    人でないと務まらないことかあります。学歴が高くて大企業に入った人でも、妙なプラ
    イドの高さが邪魔をしてビジネス界ではうまくいかず、会社を退職したものの50歳を
    過ぎて、再就職がままならない人は珍しくありません。そういう人は、老後は年金をも
    らわないと生活していけないでしょう。

     大企業で定年を迎えた人の中でも、部長止まり、課長止まりという人が多いはずで
    す。そういう方も、年金がないとなかなか老後の生活は厳しいはずです。
     公務員になった人の場合は、官僚になって局長くらいまで務めて、何度か天下ってい
    る人は、かなりのお金をもらっています。おそらく、年金をもらわなくても悠々自適で
    生活していけるでしょう,
     私の場合は、役所を辞めて、天下りせずに自分でやっています。秘書も車もつきませ
    んが、定年はありませんので、何歳まででも働けます。収入は自分次第。けっこう自由
    で気楽です,
     前にも述べましたが、いつまでも働けるというのは、とても大事なことだと、晟近し
    みじみと実感しています。これほどありかたいことはありません。個人的なレベルで考
    えても、「老後に働ける」ということが、今後ますます重要になっていくでしょう。
     話を戻しますが、同じ大学を出ていても、60歳くらいになると、このようにものす
    ごく差がついています。年収の差も桁違いです,

     では、どうしてそれほどの差がついてしまったのか。私の見るかぎり、「運」としか
    いいようかおりません,同じ学校を出ているのですから、もともとは、それほど差はな
    いと思いますが、30年、40年経つとものすごく迫ってきてしまいます。
     60底くらいになって同窓会に出た人は、あまりにも格差が大きくなっていることに
    驚くはずです。年金などまったく必要としていない人もいれば、年金がなければ絶対に
    生活していけない人もいます。

     しかし、若いときには、自分が将来どちら側の人間になるかはまったくわかりませ
    ん。豊かな高齢者になるのか、貧しい高齢者になるのか。
    貧しいほうの高齢者になった場合に備えて、最低限の生活費を得られるように保険を
    掛けておくことが必要になります。簡単にいえば、それが「年金保険」です。
     さらにいえば、自分が河底まで長生きするかもわかりません。それなりにお金を持っ
    ている人でも、長生きするとお金が足りなくなってくるかもしれません。
     将来のことは誰にもわからないので、将来の生活に備えて、皆が国の年金保険に入る
    ことになっているのです,
     ただし、現役時代に支払う保険料が低く抑えられていますから、公的年金で受け取れ
    る年金額は多くはありません。「ミニマム」と考えておいたほうがいいでしょう。「ミ
    ニマム」よりも豊かな生活をしようと恩ったら、自分で老後に備えておくことが必要で
    す,


                    第2節 将来に備えて、個人でやるべきことは?

     では、個人としては、どんな対策をしておいたほうがいいでしょうか。
     年金には「公的年金」と「私的年金」がありますので、まず、両者の違いを簡単にお
    さらいしておきましょう,
     様々な私的年金の商品が販売されていますが、私的年金は、貯蓄性が高く、保険機能
    はきわめて小さいという特微かあります。
     もし、保険機能を大きくするのであれば、掛け捨てにしなければなりません。「60
    歳になったら年金をもらえますよ。でも、60歳前に亡くなったら掛け捨てですよ」と
    いう仕組みにすれば、保険機能が大きくなり、なおかつ、60歳を過ぎたときに比較的
    大きな金額の年金を受け取れます。

     しかし、私的年金の場合、掛け捨ての商品をつくると売れません。ですから、貯蓄性
    の高い商品として設計されます。60歳前に亡くなっても、遺族には支払った保険料の
    かなりの部分が戻ってきます。損をすることはあまりない保険です。そのかわりに、6
    0歳を過ぎて受け取るときに得をする部分も少なくなります。
     私的年金は、掛け捨ての部分が少ないですから、保険の機能は小さくなっていて、将
    来もらえる保障額はあまり大きな額にはなりません。
     一方、公的年金は、基本的には掛け捨ての発想です。60歳前に亡くなった場合は、
    生活費が必要なくなりますから、そういう人には支払わない考え方です(遺族年金は少
    し支払われます)。そのかわりに、百歳まで生きても、百歳まで生きても、決まった額
    の年金をもらえます。総額にするとかなり大きな額となり、支払った保険料の額をはる
    かに超えます。

     公的年金の場合は、基本的に「掛け捨て」であるために、保険機能はかなり高くなっ
    ています。一方、民間の私的年金は、掛け捨ての部分が少ないため保険機能は小さいけ
    れども、貯蓄性は高い商品です。
     そういう意味では、民間の個人年金の場合は、「資産運用」の性格が強いものです。
     公的年金のほうは、早く亡くなってしまったらもらえないわけですから、「資産運用」
    とはまったく性質が異なっています。

    《公的年金と私的年金の特徴1》

     ・公的年金――保険機能高い――貯蓄機能低い
     ・私的年金――保険機能低い――貯蓄機能高い

     公的年金はインフレヘッジという面でも、有利です,
     私的年金は、自分が積み立てた保険料を将来受け取る「積立方式」ですから、運用が
    重要になります。運用で積立金が増えていかないと、インフレになったときに、大幅に
    目減りしている可能性があります。
     公的年金は、現役世代の保険料が老齢世代の給付に充てられる「賦課方式」です。保
    険料も給付もインフレに連動する仕組みになっていますので、インフレになってもヘッ    
    ジされています。

    《公的年金と私的年金の特徴2》

     ・公的年金――インフレに強い
     ・私的年金――インフレに弱い(運用次第)

     両者の違いをきちんと認識しておきましょう。    

ここで書かれていることは、実にもっともなことで、これまでの自己のリアリティをもってすれば、寧ろ、
この不公正さ、不合理さの源泉の是正作業が、様々な社会階層、政治的階層の思惑によりバイアスとして
かかり、不作為的に放置され続けてきた理由を縷々語り補完することは容易いし、素人なりの是正ビジョ
ンも開示できるだろう。それはさておき、第7章の残こすとこ6節で読み切りとなる。 

                                         この項つづく  

        

  
           
息子が並び直ぐにソールドアウトした彦根梨を食べる。
美味い!
そういえば、彦根林檎はどうなったのかな。
施餓鬼供養で祭壇に献果されていましたよ。
それは気づかなかった。

  


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