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Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
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思えば叶う

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         成公16年( -575) 鄢陵(えんりょう)の戦い   / 晋の復覇刻の時代 

                                  

       ※  弓の名人養由基: 戦いの始まる前日、楚の陣内である。共王の前に、潘尫の子・
       潘党と養由基の二人が進み出た。かれらは幾重にもかさねたよろいを的に矢を
       射て見せた。矢はそれぞれ七枚のよろいを射抜いていた。潘党は得々として言
       った。「わが軍にはわれわれ二人がついておりますゆえ、明日の戦いは決して
       ご心配なさらぬよう」。だが、共王はよろこぶどころか、かれを叱りとばした。
       「弓で戦さに勝てると言うのか。恥ずかしいと思え。明朝の戦いで弓を使わね
       ばならぬようなら、もうそれまでだ」。その日、晋軍の陣内では、呂錡が夢を
       見た。

        ――かれは月に向かって矢を射た。矢は見事月に命中したのである。だが、
       二三歩うしろにさがったたん、かれは泥の中に落ちこんでしまった。目がさめ
       ると、かれはこの夢を占ってもらった。占師はこう言った。「百は姫姓の国(
       周王室と旧姓である)、たとえるならば太陽です。したがって、この場合、月
       は楚を意味します。あなたが夢でうちあてたのは楚王にちがいありません。そ
       のあと、あなたが記に落ちこんだのは、あなた自身も命を落とすという意味で
       す」

       実際の戦闘ではこうであった。
       呂錡が放った矢は、共王の目に命中した。共王はすぐさま養由基を呼んで矢を
       二本あたえ、呂錡を射るように命じた。養由基がねらいうつと、矢は呂錡の後
       頭部に突きささり、呂錡は弓袋の上にうつぶせに倒れた。養由基は、失一本を
       余して、共王に復命した。

       《養由基》 かれが弓の名人あったことは『孟子』その他にも見える。
 



  

 No.56

【ZW倶楽部とRE100倶楽部の提携 Ⅵ】

♞ 重水でミドリムシの光合成能力を解析【オールバイオマス篇】

8月24日、九州大学の研究グループは、重水を使って、藻類の一種であるミドリムシの光合成能力を
調べる方法を開発したことを公表。ところで、ミドリムシは光合成で、水と二酸化炭素から糖類生産し
ストレス環境下で、この糖類をパラミロン顆粒として備蓄、さらにバイオ燃料にも使える油脂に転換す
る。光合成能力の高いミドリムシ個体を探し出すことができれば、再エネ燃料の実用化に寄与する。こ
のグループでは、光合成の原料となる水の代わりに、重水素水(重水)を使い、光合成で重水素をミド
リムシに取り込ませ。ラマン分光法を用いた顕微鏡観察し、重水素標識された個体の発見に成功する。
現在開発中の超高速細胞分取装置と組み合わせることで、バイオ燃料を高効率に生産する「スーパーミ
ドリムシ」を探し出せると期待されているが、これが実現すれば、食糧・エネルギー・燃料分野の課題
がすべて解決できるほどのインパクトをもち、数十兆円規模のオールバイオマスシステム事業の創業に
つながるかも。

 Aug. 24, 2017

・Monitoring photosynthetic activity in microalgal cells by Raman spectroscopy with deuterium oxide as a tracking  
  probe ,ChemBioChem, 10.1002/cbic.201700314

❏ 関連特許事例:特開2017-42137 細胞分取装置

【概要】

細胞材料は、他の材料と異なり、細胞ごとの個体差が大きいため、細胞生物学および細胞工学において、
その個体差を理解し、操作・選別することの重要性が高まり、単一細胞分析技術によって個々の細胞の
特性を判別し、判別した細胞を個々に分取することが可能となっている。代表的な単一細胞分析技術と
しては、蛍光標識細胞分取がある。また、ガラス等の基板にマイクロ流路を設けたマイクロチップを用
い、標識された細胞を含む液体をマイクロ流路に流し、細胞特性に応じて流路変更分取する技術も知ら
れている。例えば、標識された細胞を含む液体をマイクロチャネル内に流し、マイクロバブルの圧力に
より、選択された細胞を別の流路に押し出して分取する細胞選別装置が提案されている。

より確実に、より効率よく標的細胞を分取することが可能な細胞分取装置の提案にあっては、基板と、
基板に形成され、流れ方向に沿って細胞15が1つずつ並んだ細胞列16を含む液体が上流から下流に
向け流通し、一面が開放した開放面を備えた細胞分取領域13を有する流路12と、細胞分取領域13
の液体14に、開放面の逆側から開放面に向けた圧力波20を与え、第1の標的細胞15aを細胞列
16から分離し、開放面に向けて移動させる第1の圧力波付与機構と、細胞分取領域13の開放面側に
配置され、第1の標的細胞15aを含む液滴を受け取る第1の収液槽24を備えている(下図2参照)。

【符号の説明】

10,10A,10B,10C,10D,10E,10F,10G,10H    細胞分取装置  11  基板  11a   一端
11b    他端  12  流路  13   細胞分取領域  14  液体  15   細胞  15a   第1の標的細胞
16      細胞列  20    圧力波  22   第1の圧力波付与機構  22A フェムト秒レーザー光 22B 
ナノ秒レーザー光  23   対物レンズ  24,24A   第1の収液槽  26   収液室  28  金属膜
32   干渉軽減素子  33   干渉軽減領域  34   圧力波吸収部  38   表面弾性波デバイス
40   分離補助素子  44   収液流路  46   流体  48   受容開口  CB  キャビテーションバブル
PW   圧力波

【図面の簡単な説明】

【図1】第1実施形態に係る細胞分取装置の構成を説明する斜視図
【図2】第1実施形態に係る細胞分取装置のX-X断面における模式図
【図3】フェムト秒レーザー光の照射により液体中の細胞が分離されるメカニズムを説明する図
【図4】第1実施形態の変形例(1)の細胞分取装置の流れに沿った縦方向の断面における模式図

 

 Aug. 24, 2017

♞ 画期的な分子記憶装置、百倍の高密度化【電子記憶装置篇】

8月24日、マンチェスター大学の研究グループは、-213℃ で個々の分子で磁気ヒステリシスが実現可
能であること検証したことを公表。これは、単分子磁石によるデータの保存が以前考えられたものより
も実現可能であり、理論的には現在の技術よりも百倍高い密度を与えることができるという。スーパー
コンピュータの小型で高エネルギー効率化の必要性が高まり、より高密度のデータストレージが最も重
要な技術課題の1つになっている。同研究グループは、単分子磁石として知られているクラスの分子で
データを保存できることを証明(下図ダブクリ参照)。❶これは、磁気ヒステリシス、任意のデータス
トレージの前提条件である高価な液体ヘリウム(-269°C)ではなく、安価な液体窒素を使用し冷却モリ
効果を発揮する。❷また、分子データ容量は非常に大きい、例えば、アップルの最新のiPhone 7  が、最
大記憶容量が256 GBであるのに対し、50ペンスコインサイズのスペースに25,000 GB  の情報が保存でき
る。単一分子磁石は、任意のデータ記憶の要件である磁気記憶効果を示し、ランタニド原子を含む分子
は、これまでの最高温度でこの現象を示している。ランタニドは、スマートフォン、タブレット、ラッ
プトップなどのあらゆる日常的な電子デバイスで使用される希土類金属。研究グループは、ランタノイ
ド元素ジスプロシウムを用いてその結果を達成。単一分子の磁気ヒステリシスはバイナリデータ記憶装
置能力を意味し、単一分子を使用すると、理論的には現在のテクノロジよりも百倍もの高密度データが
得られる。


このような分子レベルのデータ記憶装置が実用化すれば、より少ないエネルギーで、ダウンサイジング
したデータセンタ――例えば、現在、Googleは世界中に15のデータセンタが存在し、毎秒平均4000万
件の検索処理、1日あたり35億件/1年あたり1.2兆件の検索が行われている。そのすべてのデータ
処理に、昨年7月、Googleには各データセンタに約250万台のサーバーが稼働、その数は逓増傾向に
あり、その消費されるエネルギーは、世界の温室効果ガス総排出量の2%を占める――が誕生すること
になる。

 ● 今宵の一枚の写真

8月26日、単独無寄港でヨットによる世界一周を果たした立尾征男さん(76歳)、が母港にしてき
た堺市の堺出島漁港に戻って来た。約5万5千キロ、394日間に及ぶ航海は波乱の連続で、南インド
洋で食料が尽きかけ「コンビニでパンを買う夢ばかり見た」と話す。全長約9メートルのヨット「EO
LIA号」で入港し、約30人のヨット仲間らに迎えられた。偉業は2001年に続き2度目、「一言
で言うと疲れました」と挨拶。昨年7月5日に小笠原初等のの父島を出航、今月2日に帰港。当初は向
かい風の多い難コースの西回りを目指したが、、南下途中のソロモン諸島でサメが船尾にぶつかり、自
動操舵装置の部品を海中なくす。そこで普通なら中止するが、なんとかあり合わせの部品で修理し、東
回りに変えて航海を続ける。最も苦労したのは、南アフリカ沖から豪州へ向けての約2カ月に及ぶ南イ
ンド洋。2、3時間続く嵐が断続的に襲われ、マストを支えるワイヤが切れ、食料が1カ月分足らなく
なるった。疑似餌でマグロを25匹釣って食べ、大きさは80センチ級。1匹で5日はもったと語る。
「太平洋一人ぼっち」で衝撃を受けたわたしたちは、76歳にして世界一周を成し遂げた立尾征男さんの勇気
に感服する。「人間、思え叶うものだ!」励まされているようだ。

                                                                 


  ● 今日の朝食

干しぶどうのパンのバタートースト、トマトとルッコラのゴマダレドレシングとコーヒ、そして万歩計。そろそろ、自分で朝食をつくろうと想っているが、当面、許可されないので、イメージクッ
キングを始める。

  ● 今夜の一曲

名月赤城山

  男ごころに男が惚れて
  意気が解け合う赤城山
  澄んだ夜空のまんまる月に
  浮世横笛誰が吹く 

  意地の筋金 度胸のよさも
  いつか落目の三度笠
  云われまいぞえ やくざの果と
  悟る草鞋(わらじ)に散る落葉 

  渡る雁(かり)がね 乱れて啼いて
  明日はいずこのねぐらやら
  心しみじみ吹く横笛に
  またも騒ぐか夜半の風

                                 作詞 :  矢  島   寵  児
                                                                  作曲 : 菊  池    博
                                                                   唄  : 東海林   太  郎
                                                                                                            

日本ポリドール蓄音機株式会社(現:ユニバーサルミュージック (日本))で吹込んだ「赤城の子守歌」
が、1934年2月に新譜で発売され、空前のヒットとなった。その年には「国境の町」も大ヒットし、歌
手としての地位を確立した。その後ポリドール専属となり、澄んだバリトンを活かして「むらさき小唄」
「名月赤城山」「麦と兵隊」「旅笠道中」「すみだ川」「湖底の故郷」などのヒット歌謡で東海林太郎
時代を到来させた。また、「谷間のともしび」など外国民謡においても豊かな歌唱力を示した。大戦中
はテイチクへ移籍し、「あゝ草枕幾度ぞ」や「琵琶湖哀歌」、「戦友の遺骨を抱いて」などを吹き込ん
でいる。

戦後は、戦前のヒット曲が軍国主義に繋がるとして国粋的なヤクザものが禁止され、また進駐軍からも
監視され、不遇の時代が続いた。1946年、ポリドール復帰第一作が「さらば赤城よ」。1949年、キング
レコードへ復帰。1953年、日本マーキュリーレコードへ移籍。その後、次第に地方公演で人気を回復し
1957年、東京浅草国際劇場で「東海林太郎歌謡生活25周年記念公演」を開催。1963年に任意団体(当時)
日本歌手協会初代会長に就任。空前のなつかしの歌声ブームのなか東海林太郎の人気が復活し、懐メロ
番組に出演するなどして脚光を浴びる。1972年9月26日午後2時30分頃、立川市内の知人宅で、調子の悪
そうな歩き方を心配したマネージャーに「大丈夫ですか」と問われ、「眠いだけだよ」と横になり、そ
のまま意識不明となり、翌日午前には立川中央病院へ入院。次男、妹の手を握り、数人のファンに見守
られ、10月4日午前8時50分に脳内出血のため死去した。享年73。葬儀は史上初めての「音楽葬」だった
という(Wikipedia)。

♪ 男ごころに男が惚れて~浮世横笛誰が吹く~の、この印象的な歌詞が心に響く名曲だと想う。

   


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