成公16年( -575) 鄢陵(えんりょう)の戦い / 晋の復覇刻の時代
※ 楚の子反、楚を敗る:その日の戦闘が終わると、楚の子反は軍吏にさっそく次
の戦闘の準備を命じた。負傷者の手当て、欠員の補充、武器の修理、車馬の手
入れ、翌早朝の食事の準備、すべてはとどこおりなくすんだ。この動きを察知
した晋軍は、苗賁皇(びょうふんこう)が一計を案じた。かれは、「車を整え、
兵員を補い、馬には草をあたえよ。武器の点検、布陣、整列も完全にせよ。明
朝はすみやかに朝食をすませ、戦いの祈りをささげよ。明日はまた戦うのだ」
と、陣中に触れを出したうえで、楚の捕虜を釈放した。楚の共王は晋軍が戦闘
態勢をとったことを知ると、対策を講ずるため、子反の陣に使いを出して、よ
びつけた。ところが、召使いの穀陽が、酒を飲ませたため、子反は酔いつぶれ
て動けなくなってしまった。共王は、「ああ、これでわが楚が敗れるのか、こ
れも天命なのであろう。敗けときまった以上、長居は無用だ」 と言って、その
夜のうちに 鄢陵(えんりょう)から撤退した。
晋軍は楚の陣に進駐し、三日分の食禄を獲得した。范文子は、愿公の馬前に立
って言った。「ご経験も浅く、傑出した臣下ももたぬ殿が、このような勝利を
収められたのは何ゆえでしょうか。よくお考えの上、くれぐれも自制なされる
ように。”天命はいつも味方するとはかぎらない”という言葉が『伺書』にご
ざいます。天運は徳ある者に移るという意味でございます」
● 読書録:高橋洋一 著「年金問題」は嘘ばかり
第7章 年全商品の選び方は、「税金」と「手数料」がポイント
第5節 高利回り商品でも、「手数料」が高ければ元も子もない
もう一つ、見逃されがちなのは、手数料です。税制上の恩典を受けられても、手数料
をたくさん取られたら意味かおりません。多くの金融商品は、販売会社の格好の手数料
稼ぎになっています。
なかなか気づきにくいのは、一般の保険の手数料の高さです。
死亡保険(生命保険)の場合、死亡などの事故が発生したときに多額の保険金を受け
取れますが、何も起こらなければ、掛け捨てになります。多額の保険金を受け取れるの
は、何事もなく満期を迎える人が多いからです。保険金の額が高いので、気がつかない
人が多いのですが、このような保険商品は保険会社がかなりの手数料を取っています。
具体的な数字は書きませんが、その手数料率を知ったら驚く人が多いと恩います。そう
した保険商品は、保険のおばちゃんといわれる販売員を養うためになるのかと勘違いし
てしまいそうです。
ちなみに保険商品には、大きく分けると、掛け捨て保険と、貯蓄型保険の二つがあり
ます。
《手数料》
投資信託 < 貯蓄型保険(投資信託十掛け捨て保険) < 掛け捨て保険
最近になって、金融庁は、貯蓄型保険の手数料の開示を求めるようになりました。貯
蓄型保険は、銀行窓口などで販売され、保険会社が銀行に手数料を支払っています。金
融庁の開示要求に対して、手数料を開示されたくない地銀協は強硬に反対しました。そ
れでも金融庁の意向によって、開示の方向に進んでいます。
私は、金融庁の人と会ったときに、「貯蓄型保険の手数料の開示をさせるなら、掛け
捨て保険の手数料も開示させるべきではないですか」といったところ、相手は黙ってし
まいました。「貯蓄型保険は、掛け捨て保険と投資信託のハイブリッド商品ではないのですか
?」と開いたら、その点は認めました。それならば、掛け捨て保険だけ手数料を開示し
ないのはおかしな話です。
すべての商品の手数料を開示させたほうがいいのですが、掛け捨て保険だけは、手数
料が高すぎて開示できないようです。
今後、様々な金融商品の手数料が開示されていくはずです。手数料に敏感になること
が、自分の資産を守ることにつながります,3%の手数料だとすると、3%以上の利回
りの商品でなければメリットかおりません。
ですから、私が金融商品を検討する際のポイントは、「税制上の恩典」と「手数料」
なのです。この二つだけで判断してもいいとさえ、私は思っています。
第6節 税制の恩典が大きい「確定拠出年金」は、「手数料」次第
私は、大蔵省に入ったときに、振り出しが証券局でした。証券局の新人が担当する仕
事の中に、一般顧客からの苦情処埋かありました。とはいえ、もちろん当局に「こんな
に儲かりました」といってくる人はいませんので、クレームばかりの偏った情報なので
すが、それでも多くのことを知りました。
投資信託の手数料稼ぎの回転売買の実態もわかりましたし、保険商品が非常に高い手
数料を取っていることも知りました。証券会社や保険会社の手数料稼ぎの商品はたくさ
んあります。
多くの苦情を受けましたので、そのときのトラウマなのか、私は金融商品に対して
は辛口です,辛口の私がお奨めできる数少ない商品が、先ほど述べた「個人型確定拠出年金」
です。税制の恩典かおり、販売金融機関に支払う運営管理手数料んあります,
多くの苦情を受けましたので、そのときのトラクマなのか、私は金融商品に対しては
辛口です,
辛口の私がお奨めできる数少ない商品が、先ほど述べた「個人型確定拠出年金」です。
税制の恩典かおり、販売金融機関に支払う運営管理手数料が安いというメリットがあり
ます。
手数料をあまり取れないので、金融機関は確定拠出年金をそれほど積極的に販売して
きませんでした。しかし、2017年1月から、加入できる人が、公務員や主婦に拡大
されたため、金融機関が積極的に販売するようになりました。金融機関は、低金利時代
の収益確保が難しくなっています。確定拠出年金の資産は原則として六〇歳まで引き出
せないため、安定収入になると考えて、金融機関が積極的に販売しはじめたのです。
確定拠出年金は税制の恩典かおる商品ですが、販売会社選びと商品選びは慎重にしな
いといけません,
加入する際には、まず「運営管理機関」を選びます。「運営管理機関」は、商品の提
示や記録の管理などを行なう金融機関です。運用するのは別の金融機関で、「商品提供
機関」と呼ばれます。
加入者は、「運営管理機関」から提示された商品の中から選んで、毎月自分の掛け金
を「商品提供機関」の商品で運用します。ハイリスク・ハイリターンの商品を選んでも
いいですし、利回りは低くても元本割れしない安全な商品を選ぶこともできます。
気をつけるべき点は、「商品提供機関」に支払う手数料(信託報酬)です。信託報酬
が年率0.4%も取られるような投資信託ばかり提示するところを選ばないようにしま
しょう。せっかくの税金の恩典が、高い手数料で元も子もなくなります。
《確定拠出年金の手数料》
「運営管理機関」への手数料十「商品提供機関」への手数料(信託報酬)
もう一つ気をつけなければいけないことは、確定拠出年金を入りロに、別の商品も売
りつけてくる可能性かおる点です。旅行、宿泊、買い物を優待価格でできるようにした
り、残高が一定以上などの場合に口座管理手数料を無料にしたりするなど、いろいろな
特典を付けてくるところがあります。そういうところは、エサで釣って別の商品を売ろ
うとしていないか、よく見極める必要があります。相手は、変額保険のような手数料の
高い商品や、税制の恩典のない投資信託を売りたいと恩っているのかもしれません。
業者選びと商品選びは、慎重に行ないましょう。
Oct. 19, 2014
第7節 「物価連動国債」でインフレヘッジを
公的年金は、賦課方式でやっていますから、インフレヘッジされていますが、積立方
式の場合は、インフレヘッジが重要になります。個人で確定拠出年金に入る場合も、イ
ンフレ率よりも高い運用をしてもらわないと、受け取るときに目減りしていることかあ
ります。
インフレヘッジという面で一番良い商品は、「物価連動国債」です。物価と運動し
ている国債ですから、完全にインフレヘッジされます。
ところが、現在は、物価連動国債を個人が購入することはできません。もし物価連動
国債を個人向けに売り出したら、年金に入る人がいなくなって困るのかもしれません。
私は、物価連動国債を個人が買えるようにすべきだと考えています。そうすれば、運
用利回りが心配な民間の年金保険に入る必要がなくなります。しかし、保険会社や信託
銀行が反対するので、財務省は個人向けに売り出そうとしません。
物価連動国債は、投資信託で買えるようになっていますが、投信を買う時点で手数料
を取られますから、この仕組みではあまり国民のためになりません。
私が、国債課の担当であれば、ネット上ですぐに売り出したいくらいです。ネットで
直接国民に売り出せば、あいだに入る証券会社も銀行もいらなくなります。これだけI
T技術が進んでいるのですから、直接国民に売るシステムを設計できるはずです。
金融機関を通さず、国が直接国民に物価連動国債を販売できるようにすれば、多くの
国民がインフレを心配せずに、老後に備えることができるようになるでしょう。
ちなみに、私は物価連動国債の生みの親です。2000代のはじめ、経済財政諮問会
議を担当していたときに、竹中平蔵大臣に強く進言して提言書に入れてもらいました。
そのとき、財務省から抵抗が強くて、個人販売まで織り込めませんでした。この意味
で今でも個人販売が認められていないのは残念です。
Floating rate government bond
第8節 次善の策として「変動利付国債」もある
物価連動国債を買えれば一番いいのですが、次善の策として、「変動利付国債」とい
うものがあります。満期が10年ですが、最低金利が決まっていて、半年ごとに金利が
変動します。この商品も、役人時代に制度設計で関わっています。
変動利付国債の金利はだいたい短期金利と連動します。現在は短期金利がマイナスで
すから、本当はマイナスに連動しなければいけないのですが、晨低金利が0.05%に
固定されています。マイナス金利の現在は、この商品が一番お得です。
おそらく商品設計したときに、まさかマイナス金利になるとは思ってもいなかったの
でしょう。そのため、最低金利がプラスになっています。
短期金利とほぼ連動しますから、金利が上昇すると、この国債の金利が上がります。
インフレをあまり心配する必要のない商品です。マイナス金利になったときにも、金
利がつきますので、ありかたい商品です。これは、今のようにマイナス金利環境では他
の商品に比べてかなりのアドバンテージです。財務省の持ち出しになっているのだと思
いますが、あまり販売額は大きくないですから、何とかなっているのでしょう。
将来に対して備えるときに、一番難しいのはインフレヘッジです。株式を買ってイン
フレヘッジする方法もありますが、どの銘柄の株を買うかを考えなければいけません。
投資信託商品を選ぶのも大変です。
何も考えずに一番簡単にインフレヘッジできるのが物価連動国債、その次が変動利付
国債です。国債は一度買ったら金融機関の口座に置いておくだけです。口座手数料はた
いした額ではありませんから、10年間そのまま置きっ放しにすれば、自動的にインフ
レヘッジされるはずです。
《インフレに強い商品》
・物価連動国債 (投資信託商品)
・変動利付国債
金融商品は、商品の特徴をよく知ることが大切です。特徴を知って、自分が求める保
障に向いた金融商品を選ばなくてはいけません。年金の場合は、インフレヘッジという
点も重要になります。
安全性の高い「公的年金」をベースにしながら、民間商品の特徴をうまく組み合わせ
て、老後のために備えておきましょう。加えていうならば、どうやって老後にも働ける
かということも考えておくべきでしょう。それが自分自身のゆとりある暮らしと健康の
ためであるように思えてなりません。
最後にもう一度繰り返しますが、年金は、長生きしたときのために掛けておく「保険」
です。きちんと保険を掛けておけば、安心して長生きすることができます。
自分自身、そして家族のための人生です。変な「思惑」に乗った情報に踊らされて思
わぬ「損」をこうむらないよう、ぜひ真実を知る努力を続けてください。
まとめて書評しようと考えていたが、「年金の制度/運用」の原理・原則については異論ないので加
筆することはないので、同著者の『戦後経済史は嘘ばかり』に移る
この項了
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』
第48章 スペイン人たちはアイルランドの沖合を航海する方法を知らず
雨田はそれについてしばらく考えていた。「その意味はへたとえ凡庸ではあっても、代わりは
きかない〉 ってことか?」
「そういう言い方もできるかもしれない」
雨田はしばらく黙ってハンドルを握っていた。それから言った。
「それはともかく、おまえちいっぺんそういうのを試してみてくれないか?」
「ぼくは知っての通り、肖像画を長いあいだ描き続けてきた。だから人の顔の成り立ちにかけて
は詳しい方だと思う。専門家といっていいだろう。しかし顔の右側と左側で人格に相違があるな
んて、これまで考えたこともないよ]
「でも、おまえが描いてきたのはほとんど男の肖像画だろう?」
たしかに雨田の言うとおりだ。私はこれまで女性の肖像画制作の依頼を受けたことは一度もな
い。なぜかはわからないが、払の描いた肖像画はすべて男性のものだった。唯一の例外は秋川ま
りえだが、彼女は女性というよりはむしろ子供に近いかもしれない。それにその作品はまだ完成
していない。
「男と女とは違うんだよ、ぜんぜん」と雨田は言った。
「ひとつ試きたいんだけど」と私は言った。「女性はほとんどが、顔の左側と右側とで表す人格
が違っていると君は言う」
「そうだ。それがおれの導き出した結論だ」
「それで君は、どちらかの顔の側面をもう一方より、より好きになるということかおるのか?
あるいはどちらかの頑の側面をより好きになれないということが?」
それについて雨田はしばらく考え込んでいた。それから言った。「いや、そんな風にはならな
い。どちらかをより好きになって、どちらかをより好きになれないとか、そういうレベルのこと
じゃないんだ。どちらが明るい詣でどちらが暗い側だとか、どちらがよりきれいでどちらがより
きれいじゃないとか、そんなことでもない。問題は、打と左で違っているということだけなんだ。
違っているという事実そのものが、おれを混乱させ、ある場合にはおびえさせるんだよ」
「そういうのって、ぼくの耳には強迫神経症の一種のように聞こえてしまうな」と私は言った。
「おれの耳にもそのように聞こえる」と雨田は言った。「自分で話していて、そう聞こえる。で
もな、ほんとうにそうなんだよ。一度自分で試してみてくれ」
試してみる、と私は言った。でもそんなことを試してみるつもりはなかった。ただでさえ多く
のトラブルを抱え込んでいるのだ。これ以上ややこしい目にあいたくない。
それから我々は雨田具彦について話をした。ウィーン時代の雨田具彦について。
「父はリヒアルト・シュトラウスがベートーヴェンの交響曲を指揮するのを聴いたことがあると
言っていた」と雨田は言った。「オーケストラはウィーン・フィルだ、もちろん。とてつもなく
素晴らしい演奏だったそうだ。それはおれが父親の口からじかに聞いた、数少ないウィーン時代
のエピソードのひとつだ」
「ほかにはウィーンでの生活についてどんな話を聞いた?」
「どうでもいいような話ばかりだ。食べ物のこと、酒のこと、そして音楽のこと。父親はなにし
ろ音楽が好きだったからな。それ以外のことは何もしやべらなかった。絵の話や政治の話はまっ
たく出なかったよ、女の出てくる話もな」
雨田はそのまましばらく黙っていたが、やがて続けた。
「誰かが父の伝記を書くといいのかもしれない。きっと面白い本になることだろう。でもな、現
実にはうちの父親の伝記なんて誰にも書けやしないよ。なにしろ個人情報みたいなものがほとん
ど存在しないんだから。父親は友だちもつくらず、家族なんか放ったらかしにして、ただただ一
人で山の上にこもって仕事をしてきた。かろうじてつきあいがあったのは馴染みの画商くらいだ。
ほとんど誰とも口をきかなかった。手紙ひとつ書かなかった。だから伝記を書こうにも、書くべ
き材料ってものがろくすっぽないんだ。その一生は空白部分が多いというよりは、ほとんど空白
だらけと言った方が近いかもしれない。身よりは穴ぼこの方がずっと多いチーズみたいなもんだ」
「あとには作品だけが残されている」
「そう、作品の他にはほとんど何も残されていない。おそらくそれが父の望んだことだ」
「きみも残されたもののひとつだよ」と私は言った。
「おれが?」と言って雨田は驚いたように私の顔を見た。でもすぐに視線を前方の路上幌尻した。
「たしかにそうだな。言われてみればそのとおりだ。このおれも父があとに残したもののひとつ
だ。あまり出来は良くないが」
「でも代わりはきかない」
「そのとおりだ。たとえ凡庸でも代わりはきかない」と雨田は言った。「ときどきおれは思うん
だ。むしろおまえが雨田典彦の息子だったらよかったんじやないかって。そうすれば、いろんな
ことがすんなりと運んだかもしれない」
「よしてくれよ」と私は笑って言った。「雨田典彦の息子役は誰にもつとまりっこないよ」
「たぶんな」と雨田は言った。「でもおまえならそれなりにうまく精神的な引き継ぎみたいなこ
とはできたんじやないのかな。そういう資格は、おれよりはむしろおまえの方に典わっているん
じやないか――おれとしてはただ素直にそんな感じがするんだよ」
そう言われて、私は『騎士団長殺し』の絵のことをふと思い出した。ひょっとしてあの絵は、
私が雨田典彦から引き継いだものなのだろうか? 彼が私をあの坦坦畏部屋に導いて、その絵を
見つけさせたのだろうか? 彼はその絵を通して、私に何かを求めているのだろうか?
カーステレオからはデボラ・ハリーの「フレンチ・キッスイン・イン・ザ・USA」が流れて
いた。我々の会話のバックグラウンドにはずいぶん不似合いな音楽だった。
「父親が雨田典彦だというのは、きっとずいぶんきついことなんだろうな」と私は思い切って尋
ねてみた。
「ちらりともな。おまえにはDNAを半分やったんだから、そのほかにやるものはない。あとの
ことは自分でなんとかしろ、みたいな感じなんだ。でもな、人間と人間との関係というのは、そ
んなDNAだけのことじゃないんだ。そうだろ? 何もおれの人生の導き手になってくれとまで
は言わない。そこまでは求めないよ。しかし父親と息子の会話みたいなものが少しはあってもよ
かったはずだ。白分かかつてどんなことを経験してきたか、どんな思いを抱いて生きてきたか、
たとえ僅かな切れっ端でもいい、教えてくれてもよかったはずだ」
私は黙って彼の話を間いていた。
彼は長い信号で止まっているあいだ、レイバンの濃いサングラスを外してハンカチで拭いた。
そして私の方を向いて言った。「おれの印象からすると、父親は何か個人的な重い秘密を隠して
いて、それを自分一人で抱え込んだまま、この世界からゆっくり退出しようとしている。心の奥
には頑丈な金庫みたいなものがあって、そこにはいくつかの秘密が納められている。彼はその金
庫に鍵をかけ、その鍵を捨てるか、あるいはどこかに隠すかしてしまったんだ。どこだったか自
分でももう思い出せないところにな」
そして一九三八年のウィーンで何か起こったのか、それは誰にもわからない謎として闇の中に
葬られてしまう。でも『騎士団長殺し』という絵が、ひょっとしたらその「隠された鍵」になる
のかもしれない。そういう思いがふと頭に浮かんだ。だからこそ彼は人生の最後に、おそらくは
生き霊となり、山の上までその絵を確認しにやってきたのではないか。
私は首を曲げて後部座席に目をやった。そこに騎士団長がちょこんと腰掛けているかもしれな
いという気がして。しかし後部座席には誰もいなかった。
「どうかしたのか?」と雨田が私の視線を追って尋ねた。
「どうもしない」と私は言った。
信号が青になり、彼はアクセル・ペダルを踏んだ。
この項つづく