成公16年( -575) 鄢陵(えんりょう)の戦い / 晋の復覇刻の時代
※ 君の師を亡えり、あえてその死を忘れんや:鄢陵を引きあげた楚軍が 領内の
瑕(か)に着いたとき、共王は子反に使いをやって、こう伝えさせた。「かつ
て子玉 が大敗を喫したときは、主君は同行していなかった(「城濮の戦い」)。
だが、今度はちがう。おまえの失敗と思うことはない。行動をともにしたわた
しに責任がある」。子反はこれを聞くと再拝稽梢首して言った。「殿がわたく
しに死を賜われば、そのほうがうれしゅうございます。何と申しましても、わ
たくしの部下が逃げ腰になったことが今度の敗戦のもとです。責任はこのわた
くしにございます」。子重は子反に使いをやってこう言わせた。「むかし、大
敗を契した将軍がどのように責任をとったか、ご承知のはず(城濮の戦いに敗
れ、子玉は自殺。しかるべくお考えになるよう」。子反は答えた。「むかしの
将軍がどうであったにしろ、あなたのお考えになっているとおりだと思います。
主君の軍を失ったからには、わたくしは死んで責任をとるつもりです」。楚王
は子反の死を止めようとしたが、時すでにおそく、子反は自ら命を絶っていた。
【エネルギータイリング事業篇】
♞ 最新ピエゾタイル技術:世界最高性能の窒化ガリウム圧電薄膜
【概要】
8月31日、 産業技術総合研究所などの研究グループは、低コストで成膜温度の低いRFスパッタ法を
用いた、単結晶と同等の圧電性能を示す窒化ガリウム(GaN)薄膜を作製できる方法を見いだした。さ
らに、スカンジウム(Sc)添加で圧電性能が飛躍的に向上することを実証し、GaNとしては現在、世界
最高性能の圧電薄膜を開発したことを公表。この開発成果の特徴は、❶金属配向層上に成長させること
で、良質な窒化ガリウム配向薄膜をRFスパッタ法で作製、❷スカンジウムの添加により圧電性能が飛
躍的に向上、❸センサーやエナジーハーベスターとしての応用の他、製造技術への波及効果にも期待さ
れている。
GaNはLEDやパワーエレクトロニクスへの利用で知られているが、窒化アルミニウム(AlN)と同様
に機械的特性に優れた圧電体でもあり、通信用高周波フィルタ、センサー、エナジーハーベスターなど
への利用も期待されている。さまざまな応用が期待される一方で、GaNはAlNに比べて圧電薄膜の作製
が難しく、RFスパッタ法では圧電体として利用できる十分に良質な配向薄膜を作製できなかった。
今回、ハフニウム(Hf)またはモリブデン(Mo)の金属配向層の上にGaNの結晶を成長させることで、良
質なGaN配向薄膜を作製できた。この薄膜は単結晶並みの圧電定数d33(約3.5 pC/N)を示した。
さらに、Scを添加するとd33が約4倍の14.5 pC/Nまで増加した。今回の成果により、GaNの圧電体とし
ての応用が広がるだけではなく、GaN薄膜の製造技術への波及効果も期待できるとのこと。
【従来の製造方法】
従来の圧電薄膜の薄膜形成法は、スパッタリング法や、CVD法等があるが、スパッタリング法で製造する(下図
3)。また、3元スパッタリング装置また下図4に示す1元スパッタリング装置でスパッタリング処理する。 図3のス
パッタリング装置は、Alの第1のターゲット2と、Mgの第2のターゲット3と、Hfの第3のターゲット4とを用い、窒
素(N2)ガスとアルゴン(Ar)ガスの混合雰囲気下で3元スパッタリング法で、基板1に成膜していた。なお、第1
のターゲット2としてAlNのターゲットを用いる。3元スパッタリング法では、第1,第2及び第3のターゲットパワー
の比率を変えることでAl、Mg及びHfの含有量を調節する。
さらに、図4に示すスパッタリング装置は、Al、Mg及びHfの合金の合金ターゲット5で、N2ガスとArガスの混合
雰囲気下で1元スパッタリング法で成膜。1元スパッタリング法は、予めAl、Mg及びHfの含有量が異なる合金タ
ーゲット5を用意、Al、Mg及びHfの含有量の調節を行う。なお、合金ターゲット5は、真空溶解法や、焼結法など
を用いて作製する。または、Alのターゲットの上にMgやHfの金属片を置いたり、Alのターゲットに凹み穴をあけ
てMgやHfの金属片を埋め込んだもの可。また、Al、Mg及びHfの合金の合金ターゲット5を用いる1元スパッタ
リング法では、6インチや8インチといった大型のウエハ上へ、均一な膜厚分布と圧電性分布で成膜可能である。
Sc含有AlNでは、Sc及びAlの合金のターゲットが用いるが、高価なため、Al、Mg及びHfの合金の合金ターゲ
ット5を用いることで大幅に製品価格を下げている。なお、スパッタリングは、基板1の温度としては、室温~45
0℃で行っていた。
※ 特開2015-233042 圧電薄膜及びその製造方法、並びに圧電素子
【符号の説明】
1 基板 2 第1のターゲット 3 第2のターゲット 4 第3のターゲット 5 合金ターゲット 11 圧電マイクロ
フォン 12 筒状の支持体 13 圧電薄膜 14 第1の電極 15 第2の電極 16 シリコン酸化膜 17,18
第1,第2の接続電極 17a ビアホール電極部 21 幅広がり振動子 22a,22b 支持部 23 振動板
24a,24b 連結部 31 厚み縦振動子 32 基板 33 音響反射層 33a,33c,33 相対的に低い音響イ
ンピーダンス層 33b,33d 相対的に高い音響インピーダンス層
【今回の製造法】
今回の製造技術は、GaNと結晶学的に相性のよいハフニウム(Hf)やモリブデン(Mo)の配向層を、あらか
じめシリコン基板上で成長させて、その上に、比較的低温で成膜できるRFスパッタ法でGaNの配向薄膜
を成長させる。X線ロッキングカーブ法で配向薄膜の結晶学的な品質を評価した結果を図1に示す。ロ
ッキングカーブの半値幅(赤い矢印)が小さい方が配向薄膜の品質が良いことを示すが、シリコン基板
上に直接成長させた薄膜より、HfやMoの配向層上に成長させた薄膜の方が配向性が良いことが分かった。
このGaN配向薄膜の圧電定数d33は、MOCVD法などで作製された単結晶GaNの発表されている値と同等
であり(図2、約3.5 pC/N)、良質な薄膜を作製できたことがわかる。今回開発した技術では、MOCVD
法に比べて低い温度でGaN薄膜を作製できるため、コスト削減のほか、これまでGaN成膜後の複雑な工程
が必要だった金属電極の作製も容易になる。また、比較的低温で作製できるので、他のデバイスや製品
へGaN圧電体の製造にも使用できることを確認。
さらに、これが重要なポイントであるが、AlNの圧電性能を飛躍的に高めることで知られているスカン
ジウム(Sc) ※ の添加をGaNで試みている。AlNは結晶のある一方向に圧電性を示すが、Scを添加する
と結晶構造が変化、その方向にイオンが動きやすくなり、圧電性が向上する。と考えられているが今回
の配向層を利用し、同結晶構造をもつGaNにScを添加した圧電薄膜を作製。その結果、圧電定数d33が著
しく向上、無添加のGaNの4倍である約14 pC/Nを示す。これまでの作製技術では、Scのような異種元素
添加で配向薄膜ができなかった。今後、この方法はGaN 圧電体の研究開発が促進されるとみている。
さらに、GaN圧電薄膜を用いてBAW型高周波フィルターを試作し、共振特性を調べると、Sc無添加の薄
膜もScを添加した薄膜も良好な共振特性を示し、添加した薄膜の電気機械結合係数k2は約6%と、無添
加の3倍の高くなった。今回作製したSc添加GaNの圧電定数d33や電気機械結合係数k2は、現在のところ
GaN系としては世界最高値である。
※ X線ロッキングカーブ法とは
※ (Sc)とは
鉱物の産地である「スカンジナビア」を意味するラテン語「Scandia」にちなんで「スカンジウム(Sca-
ndium)」と命名。の地球における存在量は鉛(Pb)と同程度で、それほど多くはなく、Pbとは異なり、
これを濃縮する地質学的過程が存在しないため、Scは地殻全体に広く分散して、何百種類もの鉱物に少
量ずつ含まれ、珍重されてきた。ノルウェーのIvelandで採れる暗緑色のトルトベイト石(Sc2Si2O7)の
標本などは、1950年代、その価値が同じ重さの金(Au)に匹敵。Scを必要とする生物は見つかっていな
いが、茶の葉には異常濃縮し、その原因として茶の木が成長に必要なアルミニウム(Al)を吸収する際、
化学的に類似したScを区別せず一緒に取り込むとされる。ScはAl–Sc合金としての用途が評価される。
Alに0.5%量のScを加えると、軽量という利点を維持しながら強度を著しく高め、合金化によって融点が
800°Cも上昇、Alでは困難な溶接が可能となる。ロシアでは、ジェット戦闘機ミグの複数の部品にこの
合金が使われている。
読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』
第49章 それと同じ数だけの死が満ちている
途中で雨田が用を足したいと言って、道路沿いにあるファミリー・レストランに車を停めた。
我々は窓際のテーブルに案内され、コーヒーを注文した。ちょうど昼時だったので、私はロース
トビーフのサンドイッチもあわせて頼んだ。雨田も同じものを頼んだ。それから雨田は席を立っ
て洗面所に行った。彼が席を離れているあいだ、私はぼんやりとガラス窓の外を眺めていた。駐
車場は車で混み合っていた。おおかたが家族連れだ。駐車場にはミニヴァンの数が目立った。ミ
ニヴァンはどれもこれも同じように見える。あまりおいしくないビスケットの入った缶みたいだ。
人々は駐車場の先にある展望台から、小さなディジタル・カメラや携帯電話で、正面に大きく見
える富士山の写真を撮っていた。おそらく愚かしい偏見なのだろうが、人々が電話機を使って写
真を撮るという行為に、私はどうしても馴れることができなかった。写真機を使って電話をかけ
るという行為には、もっと馴染めなかった。
私がそんな光景を見るともなく見ていると、一台の白いスバル・フォレスターが道路から駐車
場に入ってきた。私はそれほど車種に詳しいわけではないが(そしてスバル・フォレスターは決
して特徴的な格好をした車とは言えないが)、それがあの「白いスバル・フォレスターの男」が
乗っていたのと同じ車種であることは一目でわかった。その車は空いたスペースを深しながら、
混み合った駐車場の通路をゆっくりと進み、ひとつを見つけるとそこに素早く頭から車を入れた。
バックドアに装着されたタイヤ・ケースにはたしかに「SUBARUFORESTER」とい
う大きなロゴがついていた。どうやら宮城県の海沿いの町で私が目にしたのと同じモデルのよう
だ。ナンバー・プレートまでは読み取れなかったが、それは見れば見るほど、私が今年の春にあ
の小さな港町で目にしたのと同じ車のように見えた。車種が同じというだけではない。まったく
同一の車のように。
私の視覚的記憶は人並み外れて正確だし、しかも長続きする。そしてその車の汚れ具合や、ち
ょっとした個別的な特徴は、私の記憶の中にあるあの車に酷似していた。息が詰まりそうな気が
した。私は目をこらして、そこから誰が降りてくるのかを見届けようとした。しかしそのときに
ちょうど大型観光バスが駐車場に入ってきて、私の視界をふさいでしまった。車が混み合ってい
て、バスはなかなか前に進めないようだった。私は席を立ち、店の外に出た。そして立ち往生し
ている観光バスを回り込むようにして、白いスバル・フォレスターが停められた方に歩いて行っ
た。しかしその車にはもう誰も乗っていなかった。車を運転していた人間は、車を降りてどこか
に行ってしまったのだ。レストランの中に入ったのかもしれないし、あるいは展望台に写真を握
りに行ったのかもしれない。私はそこに立って、あたりを注意深く見回してみたが、「白いスバ
ル・フォレスターの男」の姿はとこにも見当たらなかった。もちろんその男が車を運転していた
とは限らないわけだが。
それから私は車のナンバーを確かめてみた。やはり宮城ナンバーだった。そしてリアバンパー
にはカジキマグロの絵を描いたステッカーが貼ってあった。あのときに見たのと同じ車だ。間違
いない。あの男がここにやってきたのだ。背筋が凍りつくような感覚があった。私は彼を見つけ
ようとした。私はもう一度その男の順を見たかった。そして私か彼の肖像画を完成させられない
でいる理由を確かめたかった。私は彼の中の何かを見落としているのかもしれない。私はとにか
くそのナンバーの数字を順に刻み込んだ。何かの彼に立つかもしれない。何の彼にも立たないか
もしれない。
私はしばらくのあいだ駐車場を歩き回り、それらしい男の姿を探し求めた。展望台にも足を違
んでみた。しかし「白いスバル・フオレスターの男」の姿は見当たらなかった。短い白髪混じり
の髪、よく日焼けした中年の男。背は高い方だ。前回見たときにはくたびれた黒い革ジャンパー
を着て、ヨネックスのロゴの入ったゴルフ・キャップをかぶっていた。私はそのとき男の順をメ
モ帳に簡単にスケッチし、それを向かいの席に座った若い女に見せた。「ずいぶん絵が上手なの
ね」、女はそれを見て感心したように言った。
外にそれらしい男がいないことを確かめてから、私はファミリー・レストランの中に入り、店
の内部を一周してみた。しかし男の姿はとこにも見当たらなかった。レストランはほとんど満員
になっていた。雨田は既に席仁戻ってコーヒーを飲んでいた。サンドイッチはまだ違ばれてきて
いなかった。
「どこに行ってたんだよ?」と雨田は私に尋ねた。
「窓の外を見ていたら、知っている人を見かけたような気がしたんだ。だから外に探しにいって
いた」
「見つかった?」
「いや、見つからなかった。思い運いかもしれない」と私は言った。
私はそのあともずっと、駐車している白いスバル・フオレスターから目を離さなかった。運転
していた男が戻ってくるかもしれないと思って。しかしその男が車に戻ってきたからといって、
私はそこでいったい何をすればいいのだろう? 彼のところに行って話しかければいいのか。た
しか今年の春、宮城県の海沿いの小さな町で、二度ばかりお目にかかりましたね、と。そうでし
たか、でも私はあなたのことは覚えていません、と彼は言うかもしれない。たぶんそう言うだろ。
なぜあなたはぼくのあとを追ってくるのですか? と私は問う。いったい何のことでしょう、
私はあなたのあとを追ってなんかいませんよ、と彼は答えるだろう。どうして私が知りもしない
あなたのあとを追わなくてはならないのですか? そこで会話は終わってしまう。
でもいずれにせよ、運転者はスバル・フオレスターに戻ってこなかった。その白いずんぐりと
した車は、駐車場の中で無言のうちにオーナーの帰りを待っていた。私と雨田がサンドイッチを
食べ終え、コーヒーを飲み終えても、まだ男は姿を見せなかった。
「さあ、そろそろ行こうぜ。あまり時間がない」と雨田は腕時計に目をやり、私に言った。そし
てテーブルの上のサングラスを取り上げた。
我々は立ち上がり、勘定を払い外に出た。そしてボルボに乗り込み、混み合った駐車場をあと
にした。私としてはそこに残って「白いスバル・フオレスターの男」が戻ってくるのを待ちたか
ったが、今はそれよりも雨田の父親に面会することの方が優先事項だった。どのような事情があ
ろうとその誘いを断ってばならないと、騎士団長に釘を刺されていた。
その上うにして、「白いスバル・フォレスターの男」が私の前にもう一度姿を見せたという事
実だけがあとに残った。彼は私がここにいることを知っており、自分ちまたここにいるという事
実を、私に見せつけ上うとしているのだ。私にはその意図が理解できた。彼がここにやってきた
のは、ただの偶然ではない。観光バスが前に立ちはだかって彼の姿を隠してしまったのも、もち
ろん偶然ではない。
雨田典彦の入っている施設までは、伊豆スカイラインを降りてからしばらく、くねくねと曲が
った長い山道を道んで行かなくてはならなかった。新たに聞かれた別荘地があり、洒落たコーヒ
ーハウスかおり、ログハウスのペンションがあり、地元でとれた野菜の直売所があり、観光客向
けの小さな博物館があった。そのあいだ私は道路のカーブにあわせて、ドアについたグリップを
握りしめながら、「白いスバル・フォレスターの男」のことを考えていた。彼の肖像画を完成さ
せることを、何かが阻んでいるのだ。たぶん私は、その絵を完成させるためにどうしても必要な
要素をひとつ、見つけることができずにいるのだ。パズルの大事なピースをひとつなくしてしま
ったみたいに。それはこれまでにはなかったことだった。私が誰かの肖像画を描こうとするとき、
私はそのために必要な部品を、前もってすべて集めておく。しかしその「白いスバル・フォレス
ターの男」に聞してはそれができなかった。おそらく「白いスバル・フォレスターの男」本人が
それを阻止しているのだろう。彼は何らかの理由で、自分か絵に描かれることを望んでいないの
だ。あるいは強く拒否しているのだ。
ボルボはある地点で道路を外れ、大きく聞かれた鉄の門扉の中に入った。門にはとても小さな
看板しか出ていなかった。よほど気をつけていなければ、入り口を見落としてしまいそうだ。お
そらくこの施設は、自らの存在を広く世間に宣伝する必要を感じていないのだろう。門の脇には
制服を看た警備員のブースがあり、政彦はそこで自分の名前と、面会相手の名前を告げた。警備
員がどこかに電話をかけ、身元を確認した。そのまま奥に進んでいくと、僻蒼とした林の中に入
っていった。樹木のほとんどは背の高い常緑樹で、それが作り出す影はいかにもひやりとしてい
た。きれいに舗装されたアスファルトの坂道をしばらく上ると、平らな車寄せに出た。車寄せは
ロータリーになっていて、その中央には丸い花壇がつくられていた。なだらかな丘のように盛り
上げられた花壇は、大きな花キャベツで囲まれ、真ん中には鮮やかな色合いの赤い花が咲いてい
た。すべてがよく手入れされていた。
雨田はロータリーの奥にある来客用の駐車場に入り、そこに車を止めた。駐車場には二台の車
が先に停まっていた。ホンダの白いミニヴァンと、アウディの紺色のセダンだった。どちらもぴ
かぴかの新車で、その二台のあいだに停めると、旧型ボルボは年老いた使役馬のように見えた。
しかし雨田はそんなことはまったく気にしていないようだった(それよりはカセットテープでバ
ナナラマを聴けることの方が大事なのだ)。駐車場からは眼下に太平洋が見下ろせた。海面は初
冬の陽光を浴びて、鈍い色合いに光っていた。その中で中型の漁船が何隻か操業していた。沖の
方に小さな小高い島が見え、その先に真鶴半島が見えた。時計の針は一時四十五分を指していた。
我々は車を降りて、歩いて建物の入り口に向かった。建物は比較的最近建てられたものらしか
った。全体的に清潔でスマートではあったが、とくに個性の感じられないコンクリートの建物だ。
デザイン面から見る限り、この建物の設計を担当した建築家の想像力は、それほど活発なもので
はなかったようだ。あるいは依頼主が建物の用途を考慮して、できるだけシンプルで保守的な設
計を求めたのかもしれない。ほぼ真四角な三階建ての建物で、すべてが直線で成り立っていた。
設計はたぶんまっすぐな定規丁寧で足りたはずだ。一階部分にはガラスが多く使用され、できる
だけ明るい印象を与えようとしている。斜面に張り出した大きな木製のバルコニーもあって、そ
こには1ダースばかりデッキチェアが並べられていたが、季節はもう冬に入っていたから、いく
ら空か気持ちよく晴れ上がっているとはいえ、外に出て日光浴をしている人の姿は見当たらなか
った。床から天井まで立ち上がったガラス壁で囲まれたカフェテリアの部分には、何人かの人々
の姿が見えた。五人か六人、みんな年老いた人々のようだった。車いすに座っている人も二人ば
かりいた。何をしているかまではわからない。たぶん壁についた大型のテレビ両面を見ているの
だろう。みんなで揃ってとんぼ返りを打っているのでないことだけはたしかだった。
この項つづく