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僕たちの愛の詩

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           襄公21年(‐553)~定公4年( -506)   /  中原休戦の時代  
                                                              

                               

        ※  崔杼(さいちょ)、棠姜(とうきょう)を娶る:斉の棠公(棠の代官の意、斉君
        ではない)の妻は東郭偃(とうかくえん)の姉、そして、弟の東郭偃は大夫崔杼
        の家臣であった。棠公が亡くなったとき、崔杼は東郭偃を御者として弔問に出か
        けた。弔問の席上で故人の妻棠姜を一目見るや、崔杼はその美貌に心を奪われ、
        ぜひこの女を妻にしたいと思った。そこで、東郭偃に、仲をとりもってほしいと
        頼んだが、東郭偃は、「同姓は娶らぬ、これは昔からのしきたりでございます。
        殿の祖先は丁公、わたしの家は桓公の出もとをただせば同じ姜姓です。おやめに
        なるのがよろしいと思います」と言って断わった。しかし崔杼はあきらめきれず、
        筮竹(ぜいちく)で占って見ると困(こん)☱☲の卦変じて大過☱☴の卦となる
        と出た,凶である。ところが、おかかえの史官たちは、目をそろえて言った。「
        吉でございます」。大夫の陳文子(名は無須)にその卦を見せると、陳文子は、
        「これは夫が風となり、妻を吹き落とすという卦で、夫妻がたがいに傷つけあう
        凶兆です。娶るべきではありません。しかも卦のことばに。”石に困しみ、蒺棃
        (しつり)に拠る。その宮に入りて、その妻を見ず。凶なり”(困の六三の辞)
        とあります。”石に囚しむ”とは、石ころ道に難渋する、すなわち、行っても無
        駄骨折りということです。”蒺棃に拠る”とは、棘にすがれば手を傷つける。す
        なわち頼みとするもののためにかえって傷つくということです。また”その宮に
        入りて、その妻を見ず、凶なり”とは、進退窮して家に帰って見れば、妻も逃げ
        てしまっていて、行きどころがまったくなくなるということです」。しかし、崔
        杼は、「なあに、相手は後家だ。凶だ凶だといったところで、みんな死んだ亭主
        が引き受けてくれたはず、とっくに帳消しになってるよ」と言って、棠姜を妻に
        した。
 
        〈夫が風……〉 困と大過に共通の上卦☱が、女を表わし、困の下卦☵は男を、
        を表わす。男が風と変じて、上卦の女を吹き落とすと解したのである。この卦は
        二年後に、陳文子の解釈どおり事実となって現れる。 

高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』 

     序章 経済の歩みを正しく知らねば、未来は見通せない

                「ウソの経済常識」を信じ込んでいませんか?
  
       (1)高度成長は通産省の指導のおかげ
       (2)1ドル=360円時代は為替に介大していない
       (3)狂乱物価の原因は石油ショックだった
       (4)「フラザ合意」以降、アメリカの圧力で政府が円高誘導するようになった
       (5)バブル期はものすごいインフレ状態だった

           ☑ 高度成長は通産省の指導のおかげ ?             ➲  ✕
           ☑  1ドル=360円時代は為替に介大していない ? ➲  ✕


           ☑  狂乱物価の原因は石油ショックだった           ➲  ✕ 

    「狂乱物価」とは、1973年から2、3年にわたって、物価が2ケタの上昇率で高騰   
    したことをいいます。1974年には消費者物価指数が前年比23・2%も上昇しまし
    た。20%の物価上昇といえば、前年には1000円だったものが、たった1年で12
    00円になることを意味します。これは大変なことで、同年の実質国内総生産(GDP)
    成長率は、戦後初めてマイナスとなりました。それまで猛烈な勢いで続いてきた高度経
    済成長は、ここに終わりを迎えることとなったのです。
    なぜ、このような「狂乱物価」が起きたのか。1973年10月に起きた石油ショック
    と結びつけて考える人が、かなりいらっしやるようですが、これは理由の1つにすぎま
    せん。
     実は、その前からすでに物価は急上昇していたのです。ちょうど固定相場制から変動
    相場制に移り変わる時期で、為替維持のためにマネーが大量に市中に供給されていたた
    め、物価が上がったことが主因でした。石油ショックはそれを強めてしまっただけにす   
    ぎません。狂乱物価は、主として貨幣現象によって起こったものです。

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   「石油ショックで急激なインフレが起こった」はウソ

     戦後経済を見るときに、日本人が一番誤解している点は、「石油ショックで急激なイ
    ンフレが起こった」というものです,これは事実とはまったく違っています。
    第一次石油ショックは、1973年10月に、中東アラブ諸国とイスラエルの問で第
    四次中東戦争が勃発したことから始まっています。アラブ石油輸出国機構(OAPEC)
    は、イスラエル寄りの欧米や日本向けの輸出を制限して、さらにペルシア湾岸産油国が
    段階的に原油価格を4倍に引き上げました。この原油価格の高騰は世界経済に影響を与
    え、日本経済にも大きな打撃を与えました。

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当時は、 既に、1973年からの列島改造ブームによる地価急騰で、急速なインフレーションが発生
していたが、第一次オイルショック(原油価格上昇、ただし、輸入量はにより相次いで発生した便乗値
上げ等により、さらにインフレーションが加速されることとなった。総合卸売物価は1973年で11.
56%、1974年で31.4%上昇し、消費者物価指数は1973年で11.7%、1974年で23.
2%上昇、1974年の実質GDPは-0.2%となる。春闘での賃上げ率は1973年で30% 19
74年で33%上昇。狂乱物価は、スミソニアン協定で設定された限度ぎりぎりの円安水準に為替レー
トを維持するため金融緩和を持続したことがインフレをもたらしたとされている。このなかで、石油輸
入量に変化はみられず、「狂乱物価」の❶原油価格上昇、❷地価急騰。❸円安誘導為替政策、❹大衆/
市場の心理的混乱(パニック:買い占め、売り惜しみ)の寄与度を算出で検証できのだろうとわたし(
たち)は考えるが、その印象は、石油が手にはいらず、木材・石炭の時代に後退した社会を一瞬といえ
ど抱いたこの国の「大衆の動転」を忘れることはないだろう(希望する就職先が「ガソリンスタンド店
」だったりして)。

 

       ☑  バブル期はものすごいインフレ状態だった  ➲  ✕  

     1985年の「プラザ合意」で、日本は「円高を呑まされた」と信じている人も、よ
    く見かけます。この時期、アメリカはレーガン大統領の下、「レーガノミクス」と呼ば
    れる経済政策を打っていましたが、対日貿易赤字があまりにも大きかったため、国際的
    に圧力をかけて円高・ドル安に「誘導した」というのです。
     「円高になった」というのは、事実としてその通りです。しかし、「誘導した」とい
    うのは、実は間道いです。1973年2月から制度上は変動相場制になりましたが、そ
    の裏で大蔵省(現財務省)は「ダーティ・フロート」と呼ばれる為替介入を続けていま
    した。プラザ合意までは裏の介入で円安誘導されていた状態だったのです。
     プラザ合意以降、そうした介入をやめて、為替レートを市場に任せるようになりまし
    た。「本当の変動相場制」にしたのです。プラザ合意以降に円高誘導したのではなく、
    それまでこっそりやっていた「円安誘導するための裏の介入をやめた」だけです。市場
    に委ねる形となり、均衡レートまで円高が進んでいきました。

  
    「バブル期はどんどん物価が上がった。すごいインフレ状態だった」というイメージを
    持っている人も多いことでしょう,たしかに、バブル世代の人々が、なぜか自慢げに語
    る当時の武勇伝(「こんなに金を使えた」「接待に次ぐ接待で天変だった」「予算は青
    天井」などなど)を聞くと、その話は、あたかも真実であるかのように響きます。
     しかし、そんなイメージとはかなり違うかもしれませんが、バブル期とされる198
    年~1990年の一般物価の物価上昇率は、実は、O・1~3・1%です。ごく健全な
    物価上昇率であって、「ものすごいインフレ状態」とは、とてもいえない数字です。バ
    ブル期に異様に高騰していたのは、株式と土地などの資産価格だけだったのです。
    「一般物価」と「資産価格」を切り龍して考える必要があります。バブル期の実態は
    「資産バブル」でした。

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            バブル期は、株と土地以外は「超フツーの経済」だった

    1980年代後半ので、ハブル期」ほど誤解されているものはないと思います。バブル
    期には何でも価格が上がり、著しいインフレが起こっていたかのように思っている人が
    たくさんいます,
    しかし、現実は追います。価格が上がっていたのは土地や株式など一部の資産価格だ
    けです。一般物価はそれほど上がっていませんでした,
    「バブル期はものすごく経済の調子がよく、経済成長率も非常に高かった」という認識
    も誤りです。当時の経済成長率は、先進国水準ではごく平均的なものでした。
    実際の数字を見てみましょう。
     1987年から1990までの経済状況は次のようになっていました(表2)

 

     実質GDP成長率は4・2~6・2%であり、それほど高いわけではありません。毎
    年のように10%を超えていた1960年代の高度成長期とは比べものになりません。
     物価上昇率もO・1~3・1%ですから、健全な物価上昇の範囲内に収まっています。
    1974年の狂乱物価のときには、年平均23・2%の物価上昇率でしたから、こちら
    も比べものになりません, 今から振り返って見ると、とても健全な経済であり、いわ
    ば「フツーの経済」です。
     バブル期はネガティブに見られることが多いのですが、マクロ経済指標では異常な要
    素は見当たりません。

     一般物価を見る限り、狂乱物価でもなくバブルでもありませんでした。
    では、何かフ、ハブル」だったのか。異常に高騰していたのは、株価と不動産価格です。
    日経平均株価は一九八六年には1万5000円程度でした。1987年10月19日に
    ブラックマンデーかおり一時株価を下げましたが、その後、株価は急騰していきました。
     1989年12月19日の大納会の日には3万8957円の史上最高値をつけていま
    す。年が明けると一転して株価は下がり始めます。1990年末にかけて2万3000
    円程度まで一気に下がり、1992年初めには2万円を割り込みました。2年ほどで最
    高値から半分になってしまいました。この間に高値で株をつかんだ人は大きな含み損を
    抱えることになりました,

     土地の価格も異常に上がりました。上地の価格は、株価より1~2年遅れて1991
    年ごろにピークを迎えています,
     都心では地土げや土地転がしなどが横行し、都会の小さな土地が高値で取引されまし
    た。狭小な上地は一定規模の大きさにまとめて転売され、転売に次ぐ転売で異常なほど
    に値を土げていきました。その土地を担保に金融機関は融資をしました。その資金が不
    動産市場に流れ込むというスパイラル状態でした。
     バブルがはじけて以降は、土地の価格が下落して土地は担保価値を失いました。金融
    機関は融資の回収を急いだものの、回収しきれずに多額の不良債権を抱えることになり
    ました。

     このように株と不動産に関しては、異常な状態でした。その一方で、GDP成長率、
    物価上昇率、失業率などマクロ経済のほうは至って健全でした。
     片方は極めて異常で、もう一方は健全な状態です。この状況を当時の日銀は正しく分
    析することができませんでした。両者を分けずにまとめて1つの経済状態と考えてしま
    ったのです。そのため、インフレではないにもかかわらず不要な引き締めをすることに
    なり、以後、それを正当化するための施策が続くことになるのです。

       ------------------------------------------------------------------------------

     冒頭で述べたように、過去の事象について間違った認識を持っていると、それに影響
    されて、現在の状況を正しく見ることができなくなります。ビジネスをされている方は、
    経済情勢について正しく状況判断できないと、方向性や意思決定を間違えることかあり
    ます,正しい認識を持っておくことはとても大切です。
     とりわけ日本では、そのことは十分すぎるほど十分に気をつけて、自分自身で知的武
    装をしておかねばなりません。なぜなら、この国では不思議なことに、間違ったことを
    主張したり、当たらない予測を繰り返しているエコノミストや経済学者が、いつまでも
    淘汰されずに主張を繰り返していく傾向があるからです。  

                                -中 略-

     とはいっても、経済学を今からマスターするのは大変だ、という方も多いかもしれま
    せん,であるならば、せめて、正しい「経済の歴史」は知っておくべきなのです。「ど
    うして経済が、こういうふうに動いてきたのか」ということを正しく押さえていれば、
    今の経済の動きを見ていても、少なくとも「どこか変だ」とか「このエコノミストの発
    言は、どうもウソではないか」と気づくことができるようになるからです。
     しかしながら、日本ではこの点でも、決して恵まれた環境ではありません。というの
    も、冒頭から見てきたように、あまりにもズレだ常識――言葉を選ばずにいえば「間違
    いだらけの常識」――が広く流布しているからです。  

                                     この項つづく

 

          

 

読書録:村上春樹著『騎士団長殺し 第Ⅱ部 遷ろうメタファー編』   

    第49章 それと同じ数だけの死が満ちている 

  雨田は正面玄関から入り、受付デスクに座っていた若い女性と何かを話していた。きれいな長
 い黒髪の、愛想の良さそうな丸顔の女性だった。紺色の制服のブレザーコートを着て、胸に名札
 をつけていた。二人は顔見知りらしく、しばらく親しげに話をしていた。私は少し離れたところ
 に立って、二人の話が終わるのを待っていた。玄関には大きな花瓶が置かれ、専門家がアレンジ
 したらしい鮮やかな色合いの生花が豪華に溢れていた。話が一段落すると、雨田はデスクに置か
 れた訪問客のリストに、ボールペンで自分の名前を書き込み、腕時計に目をやってから、現在の
 時刻を記入した。それからデスクを離れて私のところにやってきた。

 「父親の容態はなんとか落ち着いているみたいだ」と雨田はズボンのポケットに両手を突っ込ん
 だまま言った。「朝からずっと咳が止まらなくて、呼吸がうまくできなくなり、そのまま肺炎に
 連むんじやないかと心配されていたんだが、少し前に治まって、今はぐっすり眠っているらしい。
 とにかく部屋に行ってみよう」
 「ぼくも一緒に行ってかまわないのかな?」
 「もちろん」と雨田は言った。「会っていってくれ。そのためにわざわざここまで米たんじやな
 いか」

  私は彼と一緒にエレベーターに乗って、三階まで上がった。廊下もやはりシンプルで保守的な
 廊下だった。装飾はとこまでも厳しく抑えられていた。ただ廊下の白い長い壁には申し訳のよう
 に、油絵が何点かかかっていた。どれも海岸の景色を描いた風景画だった。一人の画家が、ひと
 つの海岸のいろんな部分をいろんな角度から描いた連作らしかった。あまり上等な緒とは言い難
 かったが、少なくとも緒の典は惜しみなく豊富に使用されていたし、その画風がミニマリズムー
 辺倒の建築様式に対抗する景重な一石を投じていることについては、それなりに評価してもいい
 という気がした。床はつるつるのリノリウムでできていて、私の靴のゴム底がきゆっきゆっとい
 う派手な音を立てた。車いすに座った、白髪の小柄な老女が男性介護士に押されて、廊下をこち
 らに向かってやってきた。彼女は大きく目を見開いてまっすぐ前を見たまま、我々とすれ連って
 も、ちらりともこちらに目を向けなかった。まるで前方の空間の一点に浮かんだ大事なしるしを
 見失うまいと心を決めているみたいに。



  雨田典彦の部屋は、廊下のいちばん奥にある広い個室だった。ドアには名札がかかっていたが、
 名前は書かれていなかった。たぶんプライバシーを守るためだろう。雨田具彦はなんといっても
 有名人なのだ。部屋はホテルのセ々へ I スイートほどの広さがあり、ベッドのほかに、こぢ
 んまりとした応接セットがあった。ベッドの足下には車いすが畳んで置いてあった。南東に向い
 た大きなガラス窓からは、太平洋が一望できた。遮るものが何ひとつない、見事な眺望だった。
 もしホテルであれば、この眺めだけでかなり高い料金がとれる部屋だ。部屋の壁には絵はかかっ
 ていなかった。鏡がひとつ、丸形の時計がひとつかかっているだけだ。テーブルには紫色の切り
 花のいけられた中くらいの大きさの花瓶が置いてあった。部屋の空気には匂いがなかった。老い
 た病人の匂いも、薬品の匂いも、花の匂いも、日焼けしたカーテンの匂いも、何の匂いもなかっ
 た。まったく匂いのないこと――それがその部屋に関して、私かもっとも驚かされたことだった。
 自分の嗅覚に何か問題が生じたのかと思ってしまったほどだった。どうすればここまで匂いをな
 くすことができるのだろう?

  雨田典彦は窓のすぐそばに置かれたベツドの上で、見事な眺望とは無関係に熟睡していた。仰
 向けになり、天井に顔を向け、しっかりと両目を閉じていた。長く伸びた白い眉毛が、まるで自
 然の天蓋のように、その老いた瞼を覆い隠していた。額には深い皺が刻み込まれていた。布団が
 首までかけられていたが、呼吸をしているのかいないのか、目で見ているだけでは判断がつかな
 かった。もし呼吸をしているとしても、それはおそるしくささやかな浅い呼吸であるはずだ。

  その老人が少し前の真夜中に、スタジオを訪れていた謎の人物と同じ人であることは一目でわ
 かった。その夜、私は移りゆく月光の中で、彼の姿をほんの短く目にしただけだったが、頭の格
 好や白髪の伸び方からして、それは間違いなく雨田典彦その人だった。私はそのことを知っても
 とくに驚きはしなかった。最初から明らかなことだったのだ。
 「ずいぶんぐっすり眠っている」と雨田は私の方を向いて言った。「自然に目覚めるのを待つし
 かない。もし目覚めればだけど」
 「でも、とりあえず容態が落ち着いたみたいでよかったじやないか」と私は言った。そして壁に
 かかった時計に目をやった。時計の針は二時五分前を指していた。私はふと免色のことを思った。
 彼は秋川笙子に電話をかけただろうか? 事態は何か展開を見せたのだろうか? しかし今のと
 ころ、私は雨田典彦の存在に意識を集中させなくてはならない。

  私と雨田は応接セットの椅子に向かい合って座り、廊下の自動販売機で買った缶コーヒーを飲
 みながら、雨田典彦が目覚めるのを待った。そのあいだに雨田はユズの話をした。彼女の妊娠の
 状態は今のところ一段落して、落ち着いていること。出産予定はたぶん一月の前半。彼女のハン
 サムなボーイフレンドも子供が誕生するのをとても心待ちにしていること。

 「ただ問題は――つまり彼にとっての問題はということだが――彼女が彼と結婚するつもりがな  
 いらしいってことなんだ」と雨田は言った。
 「結婚しない?」、彼の言っていることが私にはうまく呑み込めなかった。
 私は言った。「つまり、ユズはシングル・マザーになるということなのか?」
 「ユズは子供を産もうとしている。でも正式に彼とは結婚はしたくない、同居もしたくない、子
 供の親権をゆくゆく共有するつもりもまったくない……どうやらそういうことらしい。それで彼
 はずいぶん混乱している。彼女とおまえとの離婚が成立したら、すぐにでも彼女と正式に結婚す
 るつもりでいたんだが、それを断られたことで」

  私はしばらく考えてみた。でも考えれば考えるほど、頭が更に混乱した。
 「どうも解せないな。ユズは子供がほしくないって、ずっと言っていたんだ。ぼくがそろそろ子
 供をつくらないかと言っても、まだ早すぎるとしか言わなかった。なのに今になって、どうして
 それほど積極的に子供をほしがるんだろう?」
 「妊娠するつもりはなかったが、いったん妊娠してみたら、今度はすごく子供が産みたくなって
 きたのかもしれない。女性にはそういうことってあるぜ」
 「でもユズー人で子供を育てていくのは、現実的に不便なことが多すぎる。今の仕事を続けるの
 もむずかしくなるかもしれない。なぜその相手と結婚したくないのだろう? だってそもそもが
 その男の子供なんだろう?」
 「どうしてだか、その男にもそれがわからない。自分たちの関係はとてもうまくいっていると、 
 彼は信じていた。子供の父親になれることも喜んでいたし。だから混乱している。しかし相談さ
 れても、おれにもわからん」

 「君からユズに直接訊いてみないのか?」と私は尋ねた。

  雨田はむずかしい顔をした。「正直なところ、おれは今回の件には、なるたけ深入りしないよ
 うに心がけているんだ。おれはユズのことも好きだし、相手の男は仕事場の同僚だ。そしてもち
 ろんおまえとは長いつきあいだ。立場がむずかしいんだよ。関われば関わるほど、何をどうして
 いいかわからなくなる」

  私は黙っていた。



 「おまえたちは仲の良い夫婦だと思って、ずっと安心して見ていたんだけどな」と雨田は困った
 ように言った。
 「それは前にも聞いたよ」
 「言ったかもしれない」と雨田は言った。「でもとにかくそれは本当のことだ」

  それからしばらく我々は黙って壁の時計を眺めたり、窓の外に広がる海を眺めたりしていた。
 雨田典彦はベッドに仰向けになったまま、身動きひとつせず昏々と眠り続けていた。あまりにぴ
 たりと静止しているので、まだ生きているのかどうか、心配になるほどだった。しかし私以外の
 誰も心配していないところをみると、それが普通なのだろう。

  雨田典彦の眠っている姿を見ながら、私はウィーンに留学していた若い日の彼の姿を頭に思い
 浮かべようとしてみた。しかしもちろんうまく想像できなかった。私か今ここで目の前にしてい
 るのは、緩慢にしかし着実に肉体的消滅へと向かっている、深い皺だらけの白髪の老人だった。
 人として生まれたもの誰しもが、例外なくいつか死にみまわれることになるし、彼は今まさにそ
 のポイントを迎えようとしていた。

 「おまえからユズに連絡してみるつもりはないのか?」と雨田が私に尋ねた。

  私は首を振った。「今のところはない」
 「一度、いろんなことを二人で話し合ってみるといいと思うんだが。なんというか、膝を交え
 て」
 「ぼくらは弁護士を通して既に正式に離婚手続きをとったんだ。ユズがそれを求めてきた。そし
 て彼女はもうすぐほかの男の子供を出産しようとしている。彼女がその相手と結婚するかしない
 かはあくまで彼女の問題だ。ぼくが口を出す筋合いのことじゃない。いろんなことって、膝を交
 えていったい何を話せばいいんだ?」
 「何か起こっているのか、知りたくはないのか?」

  私は首を振った。「知らなくてもいいことは、とくに知りたいとは思わない。ぼくだって傷つ
 いてないわけじゃないんだ」
 「もちろん」と雨田は言った。

  でも自分が傷ついているのかいないのか、正直なところ私にはときどきそれさえよくわからな
 くなった。自分に本当に傷つく資格かおるのかどうか、それがうまく見極められなかったからだ。
 もちろん資格があろうがなかろうが、人は傷つくべきときには自然に傷つくものなのだが。

 「その男はおれの仕事仲間なんだが」と雨田は少しあとで言った。「真面目なやつだし、仕事も
 そこそこできるし、性格もいい」
 「おまけにハンサムだ」
 「うん、顔立ちも晴らしくいい。だから女性には人気かおる。まあ当然だよな。うらやましいく
 らいもてる。ところがそいつには昔から、みんなが首を傾げざるを得ないような傾向があった」
 
  私は黙って雨田の話を聞いていた。

  彼は続けた。「ちょっと理解を超えた女を交際相手として選ぶんだ。誰だってよりどりみどり
 のはずなのに、なぜかいつもよくわけのわからない女にはまっちまう。いや、もちろんユズのこ
 とじゃないよ。彼女はあいつか選んだたぷん最初のまっとうな女性だ。その前はどれもこれも最
 悪だった。どうしてだかわからないんだが」

  彼は記憶を辿り、首を軽く振った。

 「何年か前に結婚直前までいったことがあった。式場も予釣し、招待状も印刷し、新婚旅行もフ
 ィジーだかどこかに行くことになっていた。休暇も取り、飛行機の切符も買っていた。でもな、
 相手の女というのがそれはもうとびっきり不器量だったんだ。紹介されたんだが、一目見てあっ
 と驚くほど不細工な女だった。もちろん外見だけで人は判断できないけど、おれの見たところ性
 格だってそれほど褒められたものじゃなかった。でも彼の方はなぜかぞっこんたった。とにかく
 あまりにも釣り合いがとれない。まわりの人間も、目にこそ出さないけれどみんなそう思ってい
 た。ところが結婚式の直前になって、女が出し抜けに結婚を断ってきた。つまり女の方が逃げち
 まったんだ。幸か不幸か、というところだが、しかしあれには仰天したね」
 「何か理由はあったのか?」
 「理由は間いていない。あまりにも気の毒だったから、そんなこと訊けなかった。でも彼にもた
 ぶんその理由はわからないんじゃないかな。その女はただ逃げたんだよ。彼と結婚したくなくて。
 たぶん何かしら思うところがあったんだろう」
 「それで、その話のポイントは何なんだ?」と私は尋ねた。
 「この話のポイントは」と雨田は言った。「おまえとユズとのあいだには、まだやり直せる可能
 性があるかもしれないってことだよ。もちろんおまえが望めばだけどさ」
 「でもユズはその男の子供を産もうとしている」
 「それはたしかにひとつの問題になるかもしれない」

 それからまた我々は黙り込んだ。



                                     この項つづく

 


 ● 今夜の一曲

 

Where do I begin?
To tell the story of how greater love can be
The sweet love story that is older than the sea
The simple truth about the love she brings to me
Where do I start?

With her first hello
She gave a meaning to this empty world of mine
They'll never be another love, another time
She came into my life and made the living fine
She fills my heart

She fills my heart
With very special things
With angel songs
With wild imaginings
She fills my soul
With so much love

 



これまでに僕たちが紡いできた愛の詩が何であったのか振り返ることがある。そう君と。


 


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