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カサブランカの一人鍋

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      ボギーボ半-あんたの時代はよかった  

         男がピカピカの気障でいられた   


                                              『カサブランカ・ダンディー』 

 

                                                                                     

 

 

【一人鍋とほっとトリスの季節】

ことしは暖冬か、紅葉の色はぱっとしなかぅた。ご近所でいただく冬野菜――大根には
”ス”(鬆)――大根の細胞と細胞の間にできた気泡が原因で、大根の根にすき間や穴
が空いてスポンジ状になってしまう現象――が入っていたり、カブラ(蕪)もすかすか
した食感だし、白菜はもすかすかして弾力がなく色彩も黄色っぽく味も悪い。原因は夏
の暑さだ。酢が入ればおろしか漬け物ににする方法があるが、そのまま、一人鍋おでん
や浅漬けや古漬けにして使用している。一人鍋は通販で南部鉄の一人用鍋を購入したの
がはじまり、西洋料理のココット料理にも使えるが、そのことは置いておいて、いただ
い大根やゆで卵、コンニャク、厚揚げ、すじ肉など入れ一旦多き鍋で作り置きしておき
それを移し替え、再煮込みしていただく。白菜などは、そんまま適当に切り豆腐、豚肉
春菊、(菊菜)、椎茸、などを入れ煮込む(春菊は煮込み過ぎないと)、野菜と豚のエ
キスがほどよく混和し薄味のおいしいスープとなる。これにポン酢と大根おろしを加え
いただくと厚揚げや豆腐の高温をほどよく和らげてくれるから辛み加わり美味しくいた
だける。

もうひとつは大根の浅漬けを細切りして納豆と和えて、朝食にご飯のお供にいただくの
だが、納豆の独特の匂いと粘々(ナットウキナーゼ)が後口に嫌みな食感として残るの
がいやで、朝は家では口にすることはなく夜のお酒の肴として食べていたことはブログ
掲載してきたが、粘々感はなく発酵による乳酸と塩味が、すっきりとした食感が爽快と
何倍でもご飯がいただける。これは最近にはない大きな発見で、お勧めしたいレシピだ。
そう言うことで、暑い夏、暖冬による野菜や酪農製品類の高騰と野菜の品質低下の対策
を書いてみたが、気象変動(気候変動)による農産物の価格が変動することに耳にイカ
が、いやタコができそうだが、理工思考が染みついた私はいつまでこんなことを繰り返
しているだと思う。勿論、稲の白化対策など地道な育種開発がなされていることも知っ
ているが、可動式吸排気口を確保した、ガラスハウスやビニル(ポリフィルム)ハウス
で栽培し、地下水をくみ上げ例の”霧のいけうち”ではないが少量の地下水を噴霧し冷
却――同時に水分の散布も兼用できるだろうが――するか液化二酸化炭素など熱媒体と
したヒートポンプなどで冷やせばよいと考えてしまう。ここでも勿論、設備コスト、稼
働コストの問題がネックになることも理解できる。適正規模と市場のこと、育種開発・
品種改良も、さらには、暑いだけではなく寒い場合もしておかなければならないだろう。
加えて干魃や大雨などのことも考慮して設計する必要があるが、同じ過ちを繰り返すこ
となど、農業の素人であるがわたしには耐えられないことだ。

ホウレンソウは寒締め栽培で抗酸化能が高まる

米 Effect of low temperature on flavonoids, oxygen radical absorbance capacity value-s
and major components of winter sweet spinach (Spinacia oleracea L.). Journal of the
Science of Food and Agriculture, 95 (10), 2095-2104.



冬場に入り、「トリス〈クラシック〉」のお湯割りの美味しさにとりつかれた
。アルコールは37%だがこれをティファーレで3~4倍にほどに薄めて飲む
というもの。それだけで飽きたらず、ここに、クローブ(丁子)パウダーを少
量加える、あるいは、甘みが欲しい時は、グラニュー糖、ブラウンシュガー、ココナツ
オイル、蜂蜜を加える、因みに、クローブはお医者さん鎮痛剤、老化防止(抗酸化作
用)などが期待できるが、甘く濃厚な香りとしびれるような刺激的な香りが合うこと
を発見した(入れすぎては要注意)。



doi:10.1038

Published17 July 2015

※ Nanowires boost solar fuel cell efficiency tenfold 
http://www.futuretimeline.net/blog/2015/07/20-2.htm#.VoKJuYfUhD8


【2015年から未来を見つめる】 

 ● ドイツ 再生エネ30%達成 風力激増

14年には再生可能エネルギーが電力源の首位となり、15年には総発電量に占める比
率が30%にまで高まった。立役者は風力、それも陸上風力だ。残る課題は褐炭の削減。
今月21日、ドイツ連邦水道エネルギー連合会(BDEW)は、エネルギー源ごとの発電
量を公開(上図)。ドイツは計画的にエネルギー源の構成を変えている。まず、総電力
需要を抑制する。次に原子力発電の比率を引き下げて22年までに全廃する。この穴を
埋めるのが再生可能エネルギー。下図に主要な5つの再生可能エネルギーによる発電量
の変化を示した。図から明らかなように、風力の急激な成長が際立つ。なお、太陽光や
バイオマスの導入量は計画を達成済みであり、今後の導入量の数値目標はない。政策の
誘導があまりなくても、導入に経済的なメリットがあるために増えていく見通し立って
いる。

 

※ 21. Dezember 2015, Berlin BDEW veröffentlicht erste Zahlen zum Erzeugungsmix 2015:

とはいえ、褐炭はドイツ国内に大量に埋蔵されているからだ。褐炭は地表に近い位置に
あり、採掘コストが低い。このため、褐炭を年間18億トン採掘している(11年時点)。世
界シェアは11.9%であり、世界第2の褐炭王国。従って、エネルギー産業としても規模が
大きい。しかし、褐炭は瀝青炭などと比較するとエネルギー資源として品質が低い。1
キロワット時の電力を生み出す際、天然ガスと比較して約2倍の二酸化炭素を生み出す
ため二酸化炭素排出の観点からは、第一に削減したいエネルギー源となり、削減の合意
形成が課題となる。 

● 米国の再生エネ百パーセント計画提案 スタンフォード大学

ドイツのG7サミット今週で、世界の指導者たちは、しかし、化石燃料を段階的に削減す
ることに合意した。その中で、米国はこの目標を達成することができるという。 実際、スタン
フォード大学が率いる新しい研究では、米国の50州のそれぞれが、50年までに、上図のよう
に移行達成できることを説明している。

 

 
● 2015年 地球のオーバーシュートディ?


● 2015年は予測通りエルニーニョの初期段階に突入

 

      ● 今夜の一曲

男性が生き辛くなっているような被害妄想か?誇大妄想か?この言葉が不意に宇浮かぶ。とり
あえずは、些細なこととネグレットし、寝ることにしよう。

 

    ききわけのない女の頬を

    ひとつふたつはりたおして

    背中を向けて煙草をすえば

    それで何もいうことはない

    うれしい頃のピアノのメロディー

    苦しい顔できかなレふ帽して

    男と女は流れのままに

    パントマイムを演じていたよ
 
    ※

      ボギーボ半-あんたの時代はよかった
 
      男がピカピカの気障でいられた

      ボギーボ半-あんたの時代はよかった

      男がピカピカの気障でいられた

      ※ Refrain

                   『カサブランカ・ダンディー』

              唄 沢田健二 作詞 :阿久悠 作曲 :大野克夫

 

   Here's Looking At You, Kid

 


2015年から未来を見つめる Ⅱ

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     文学は、確立された道徳や社会の革新的なマニフェストのようなものである。

                               中国の文学者 郭 沫若


        Literature should be a kind of revolutionary manifesto against established
        morality and established society.

     また、次のような言葉も残している。

        Nothing is more heart-breaking than the demise of decency.


     ロシアマルクス主義の影響を受けた文学者、権力闘争に翻弄された
     政治家のひとりであった。日本で留学、九州帝大医学部を卒業し5・
     30事件で左傾化し中国共産党に加入、一時日本に亡命もしている。


                                                            
                                     Guo Moruo November 16, 1892 – June 12, 1978       

 

 

  

【2015年から未来を見つめる Ⅱ】 

● 地球オーバーシュートの日からの警告

地球オーバーシュートの日は、地球の自然の年間需要は、その年に再生することができるものを超えた日
付で決めている。グローバル・フットプリント・ネットワークのデータによれば人類は、8ヶ月足らずで
使い切っている(=人為的な二酸化炭素排出量の増加量)。地球オーバーシュートの日は徐々に年間で前
方にシフトさせてきた。――たとえば、2000年は10月に、昨年は8月19日、そして、15年今年
は8月19日に発生した。

 
Earth Overshoot Day 2015, FutureTimeline.net

勿論、賢明な読者諸氏は、この生態系の浪費のコストは森林破壊、干ばつ、新鮮な水不足、土壌浸食、生
物多様性の損失や大気中の二酸化炭素の蓄積の形で、日によって、より明らかになってきていことにお気
付きのことでしょう。現在の気候モデルが正しければ、後者はかなり、前者を増幅させるはずですだと。
「一人で人類のカーボンフットプリントを超える世界が生態オーバーシュートした1973年以来、倍増
する。12月の締約国の国連会議で予想される気候変動協定(COP21)では、どおようにして産業革命前
のレベル以上の2℃の範囲内で、地球温暖化を維持するか議論されている。

この共通の目標は、直接国の生態足跡に影響を与え、気候変動に関する国連の国際パネル(IPCC)の推奨
に従い、70年に、より化石燃料を段階的な逓減政策の実施国が必要となる。世界の炭素排出量は IPCC
の提案したシナリオに合わせて、30年までに現在のレベルより少なくとも30%低減されていると仮定
すると、地球オーバーシュートの日は、グローバル・フットプリント・ネットワークによると、30年9
月16日(現在のレートで膨張し続けるフットプリントの残りを想定)にカレンダーに戻って移動するこ
とができる。これは不可能ではなく、デンマークはこのレートで最後の二十年にわたってその排出量を削
減している――900年代以降、それは33%の二酸化炭素排出量を削減 (フットプリントの残りの部分
を変更していない間)世界が同じことを行っていた。、地球オーバーシュートの日は、今年110月3日に
逆シフトしている。


これは、デンマークは、すでに持続可能なエコロジカル・フットプリントを達成したことを意味しない。
誰もが5月8日に地球オーバーシュート日を移動するデンマークのように住んでいたならば人類はほぼ3
惑星の資源を必要とするであろう。これとは対照的に、いつものようにビジネスは、地球オーバーシュー
トの日は6月末にカレンダー上に移動すると、30年までに2つの惑星と同等のリソースを使用して意味
する。持続可能性は、ターゲットは明確だ。誰もが1惑星の手段内で、よく生きること。これは、私たち
の惑星のリソース予算の範囲内で生活することである。

 

11th December 2015

● ドイツで核融合炉テストを開始

ヘリウムプラズマ試験に初めて成功。北東ドイツのWendelsteinの7-X融合装置。水素プラズマを用いた試
験が16年に開始される。尚、上図(上)のヴェンデルシュタイン7-X融合装置のヴェンデルシュタイ
ン7-Xコイル系(青)とプラズマ(黄色)のスキーム。磁力線が黄色で示したプラズマ表面に緑色で強
調表示する(プラズマ物理学のマックスプランク研究所)。

 

● ライオンズは絶滅危惧種リストに追加

絶滅危惧種と脅したとして、野生のライオンの個体数の驚くべき下落を受け、米国魚類野生生物局は、二
つのライオンの亜種がリスト追加された。保護行動がなければ、アフリカのライオンは、35年までに半
減すると予測されている。  

   

12th December 2015

● フォード20年までに電気自動車に45億米ドル投資

             

    

● 量子ドット・ナノサイズを制すれば世界の産業を制す

先回、オランダのアイントホーフェン工科大学らの研究グループが開発したガリウムリンナノワイヤ太陽燃料電池
水電解デバイスを紹介したようにナノサイズの表面加工技術(ブログでは「ネオコン」と呼称)、あるいはカーボンナ
ノチューブ、あるいはナノグフェンなどを含めたマテリアルや半導体、量子ドット、電子デバイスの量産化時代に突
入する。持続可能で、薄くて、軽く、強靱で、フレキシブル、なにより高性能で廉価な新しい商品が怒濤のように生
み出されてくる。そのため、正月返上してもこなしきれないほどの仕事がわたし(たち)を待っている。来年は「孫悟
空」のごとく「如意金箍棒」「觔斗雲」「七十二般」を駆使しここは乗り切るとしよう。                                 

 

    

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く  

  ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。

 

 

   非儒 - 『墨子』   

 ● 景公に敬遠された孔子

  また、孔子が斉に行って景公に会ったときのことである。景公はたいへん感激して、孔子を尼踪の
 地に封じようと思い、晏子に相談した。晏子はこたえた。
 「いけません。いったい儒家は、したり顔をしてお高くかまえていますから、人民の指導はまかせら
 れません。音楽によって人を堕落させますから、政治もまかせられません。宿命論を口実に、何をや
 ってもむだだといって、仕事をなまけますから、職務につけることもできません。服喪の期間を長く
 し、際限もなく悲しみ、死者ばかりを大切にしますから、人民をいつくしむこともできません。もっ
 たいぶった服装、もったいぶったふるまい、とても人々の模範になりません。

  孔子は外面をやたらに飾りたてて世人を感わし、歌と踊りの鳴り物入りで弟子を集め、えらそうな
 顔をして、朝廷の礼を細かに定め、人々の歩き方までとやかくいいます。これではいくら博学でも、
 天下の事をまかせることはできません。いくら考え深くとも、人民を救うことはできません。かれの
 学問は、どんなに年月をかけても学びきれないほど多岐にわたっています。かれの礼は、どんなに体
 力があっても守りきれないほど煩雑です。かれの音楽は、いくら金があってもまかないきれないほど
 派手なものです。こうしてかれは、邪術をかざり立てて国君を感わし、盛んに音楽を演奏して人民を
 堕落させようとしています。かれの説く道は、天下に通用するものではないし、かれの学問は、人々
 を導くものではありません。

  こんな人物を取り立てて、斉国の風俗を改めようとされるのですか。とんでもないことです。国を
 導き人民をひきいることはできません」

 「なるほど」

  そこで景公は、孔子を封ずることはやめて礼遇するにとどめ、しばしば会いはしたが、道について
 教えを乞おうとはしなかった。 
  景公と晏子の二人を憎んだ孔子は、鴎夷子皮という男を、奸臣田常のもとに送りこみ、さらに南部
 恵子に自分の計画を打ち明けて、魯に帰った。

  その後まもなく、斉が魯を討つという噂をきくと、孔子は、
 「子貢よ、大事を行なうには今がチャンスだ」
  といって弟子の子貢を斉に送り、鴟夷子皮を通じて田常に会わせ、呉を討つようにそそのかした。
  さらに、その計画を高氏、国氏、鮑氏、晏氏ら斉の重臣に打ち明けて、田常の謀叛の邪魔をしない
 ように工作し、一方では越をそそのかし、呉を攻撃させた。それから三年のうちに、斉と呉は、戦い
 のため国土は荒れはて、死体は山をなして積みかさなった。この責任は、すべて孔子が負うべきであ
 る。


 〈田常の謀叛〉 田常は斉の簡公に仕えた人。孔子が田常の謀叛に荷担したらしいことは、『荘子』
    盗蹟編でも匂わせている。「田成子常、君を殺し国を窃みて、孔子幣(むくりもの)を受く」
   しかし『論語』では全く逆である。「陣成子(田常)、簡公を弑(しい)す。孔子沐浴して朝す。
   哀公に告げて曰く、陳恆、その君を弑せり。詔う、これを討たん」
    これについて、郭沫若は、「もしわたしたちが公平な批判者となろうとするならば、むしろ墨
   子と荘子とを信じても、孔子門下の後輩たちのいうことなど信じない方がよい」(『十批判書』)
   といっている。
    

  孔某之齐见景公、景公说、欲封之以尼溪,以告晏子。晏子曰。不可、夫儒,浩居而自顺者也、不可以
  教下。好乐而淫人、不可使亲治。立命而怠事、不可使守职。宗丧循哀、不可使慈民。机服勉容、不可
  使导众。孔某盛容修饰以蛊世、弦歌鼓舞以聚徒、繁登降之礼以示仪、务趋翔之节以观众。博学不可使
  议世、劳思不可以补民。累寿不能尽其学、当年不能行其礼、积财不能赡其乐。繁饰邪术、以营世君。
  盛为声、以淫遇民、其道不可以期世、其学不可以导众、今君封之。以利齐俗、非所以导国先众。公曰。
  善。于是厚其礼,留其封、敬见而不问其道、孔某乃恚、怒于景公与晏子。乃树鸱夷子皮于田常之门、
  告南郭惠子以所欲为、归于鲁、有顷、间齐将伐鲁、告子贡曰。赐乎、举大事于今之时矣。乃遣子贡之
  齐、因南郭惠子以见田常、劝之伐吴、以教高、国、鲍、晏、使毋得害田常之乱。劝越伐吴、三年之内、
  齐、吴破国之难、伏尸以言术数、孔某之诛也。

 

                                   

 

謹賀新年

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     老齢と老化とをいっしょくたにすることは避けなくてはならない。
                老化はほとんどどんな年齢でもわれわれに襲ってくる感情である,

                                                           イギリスの小説家 E・M・フォースター

 

                The identincation of old age with growing old must be avoided. Growing
                       old is an emotion which comes over us at any age.

                                                                                                                       
                                                                                                                        Edwarrd M. Forster
                                                                                                                 1. Jan. 1879 -7. Jun. 1970     
                              

                        「私自身は二十五歳と三十歳の間に老化現象が始まった‘一と現に彼は
                      言っている。どうやら老化とは生理年齢とは別の精神的なものと考えてよ
                      さそうである(岩田一男)。 

 

 

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 4  松岡 正剛 著  

 【目次】 

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

    専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山から町へ/乱想の凡夫として

    法然のパサージュ
    兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザトプリテラシーとオラリティ

    「選択」の波紋
    南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメージ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死 

 ● 専修念仏への道

                        浄土思想との出会い

  広大な敷地を誇る比叡山は、山内を西塔・東塔・横川というパつの地城に分けて
 いました。法然が移った黒谷の地はさきほども.言ったように、「別所」と呼ばれ
 るところで、とりわけ奥深い地域でした。
  黒谷は長らく「二十五三昧会」が聞かれていた土地でもありました。二十五三昧
 会というのは、恵心僧都源信らが寛和二年(九八六)に横川の首榜厳院で始めた根
 不断念仏をするのです。不断念仏とは、読んで字のごとく、昼夜分かたず念仏を称
 えることで、慈覚大師こと円仁が奨励した行なのですが、それを敢行した。そこに
 は貴族の慶滋保胤なども加わっています。保胤という人物は私が好きな『池亭記』
 や『日本往生極楽記』なども書いた文人で、が田寡作がコ理環記』の主人公として
 描きました。

  しかし、二十五三昧会に参加する人々はそもそも往生を求めて集まっているわけ
 ですから、一種の「死のマニュアル”に従叫するサロン的な結集でもあります。だ
 からその思想テキストはもっぱら源信の「往生要集」に求められました。
  青年法然も「往生要集」を耽読します。これがじつにうまく執筆編集されたテキ
 ストで、私も本当に感心してしまいます。なにより興味ぶかいのは、往生の方法と
 システムを「十門」によって心的パノラミックに、かつ劇的に説明しているところ
 です。

  十門とは何か。次に掲げてみます。 

    ①厭離穢土  ②欣求浄土  ③極楽証拠  ④正修念仏  ⑤助念方法
    ⑥別時念仏  ⑦念仏利益  ⑧念仏証拠  ⑨往生諸行  ⑩問答料簡  

  それぞれ何か書いてあるか、簡潔に紹介しますと、現世は穢れていて厭うもので
 あり(厭離穢土)、浄土は願うものである(欣求浄土)。その浄土のなかでは阿弥
 陀仏が君臨している西方極楽浄土がいちばんすぐれている(極楽証拠)。そのよう
 な浄土に往生する念仏方法としては身・口・意の三つをそなえた礼拝が必要である
 (正修念仏)。前半はこのようなアウトラインです。

  後半部では念仏方法を詳しく説明しています。たとえば、仏を観想するには、仏
 の相好を上から下に三二相に別々に観想する別相観、三二相をひとつのものとして
 見る総相観、額の白毫に意識を集中する白毫観がある。そのうえで、念仏は心に念
 ずるのがよくて口に称えるのはその補助だとか(助念方法)、ときどきは特定の日
 時に念仏をするべきだとか(別時念仏)、臨終のときには五色の糸を病人に握らせ
 るとよいとか、いろいろと実践的に書かれているのです。

  これらからもあきらかなように、「往生要集」は[往生の方法」としての念仏行
 をかなり重視したわけです。しかし、さきほどものべたように[念仏」とは広く「
 仏を念ずる」ことであって、『往生要集」で源但が勧めているのも、やはり心で仏
 を観想することなのです。これは「観仏」というものです。したがって、口に名号
 を称える称名念仏は、あくまで念仏一般の補助手段であって、当時の念仏行の中心
 にあるのはあくまで「観仏」でした。つまり源信が説いたのは心に念ずる観想を基
 本においた「観勝称劣」なのです。観仏が勝って称名は劣るというものなのです。

 仏教において念仏そのものはめずらしい勤行ではありません。比叡山の天台法華門
 においても、『摩詞止観』に説かれる四種三昧のうち、常行三昧の規則から導き出
 された念仏行がおこなわれていました。常行三昧堂が都の各所に作られ、多くの仏
 師たちによって阿弥陀仏や観音像がたくさん造仏されたのも、京都に定朝様式の阿
 弥陀さんが多いのも、そのためです。かなり}般的なものだった。しかし源信は、
 天台法華門の念仏行にはいささか浄土観が欠けていると考えて、中国浄土教の道紳
 や善導の『往生礼讃』とよばれる経文を参照して、浄土的な「念仏為本」の思想を
 打ち出したわけです。

  結果的に、『往生要集』は時ならぬ極楽往生ブームと地獄についての多様な妄想
 を生みだしました。「時ならぬ」というのは、折から末法到来の噂が広まっていた
 からです。

                                         末法を生きる

  すでにのべたように、永承七年(一〇五二)からすでに末法の世が始まっていま
 した。ちょうど藤原文化が絶頂を迎えた直後のことです。この末法元年にあたる年
  について、藤原資房は日記『春記』のなかで「長谷寺已に以て焼亡し了んぬ。(中
 略)末法の最年此の事あり」と記していますし、慈円も『愚管抄』で「末代悪世、
 武士ガ世ニナリハテゝ末法ニモイリニタレバ」と書いています。 
  
  ようするに、往生思想の流行も、念仏思想の地獄妄想の流行も、すべては末法到
 来の噂が広まったことに端を発しているというのです。これはあきらかに終末論で
 す。ただ、末法思想はキリスト教の終末論とはかなりちがっていて、一種の衰退史
 観なっていた。それが「三時説」と呼ばれるものです。 

  さきほども紹介しましたが、もう一度説明しておくと、ブッダの入滅から100
 0年は「正法」の時代で、ここには「教・行・証」のすべてが揃っているとされま
 す。その後、ブツダの教えを学ぶ修行者が続出する[像法」の時代が1000年続
 くのですが、なかなか『証」が得られない。さらに「末法」となると、もとの教え
 は残っているものの、本気で修行する者はしだいに少なくなり、仏教そのものの力
 も衰えて社会が千々に乱れるというのです。

  末法も一万年続くとされますから、べつだん焦らなくともよさそうですが、終末
 論というのはそれが提示されたとたんに不安が蔓延っていくものです。しかも、終
 末論がもたらすのは「個の死」ではなく[類の死」ですから、人々の意識の内奥を
 打撃します。さらに、社会は仏教の本来を失ってしだいに衰退していくという。こ
 れでは聞き捨てなりません。

  おりしも天災や飢饉が続いた時期のことでした。京都の五条橋の付近には、飢え
 に堪えかねて、あさましくも捨てられた子どもの生肉を食べる者がいたと伝えられ
 ていますし、鴨良明の『方丈記』には、「世の人、皆飢え死にければ、日を経つつ
 極まりゆくさま、少水の魚のたとえに叶えり」とまで書かれているほどです。まさ
 に「類の死」の拡張であり、タナトス(ギリシャ神話の死神)の氾濫でした。

  これでは、一切の苦しみと無縁だという浄土世界への憧れが暮っていくのも頷け
 ます。ちなみに、「浄土]というと阿弥陀如末がおわす西方極楽浄土を示すことが
 多いのですが、本来ならば、薬師如来、弥勒菩薩、釈迦如来も含めて、東西南北い
 ずれにも浄土が想定されていました。薬師如来の浄土は東方にあって、瑠瑞光浄土
 とよばれます。いずれにせよ、末法が到来するこの時期にはとりわけ西方極楽浄土
 が好まれました。阿弥陀仏の役割に注目が集まったからです。それゆえ阿弥陀来迎
 図が頻繁に描かれ、さまざまに阿弥陀堂が造立され、阿弥陀像が多く作られるよう
 になるのも、この時期のことなのです。 

  往生を希求してやまなかった藤原道長などは、自身が建てた阿弥陀堂の本尊と自
 分の体を五色の糸で結び、そのまま浄土に往生できるように願いながら没していっ
 たと言われます。まさに『往生要集』に書かれた方法と一致しています。道長の長
 男の頼通は、この世に浄土を再現するかの上うな豪華絢爛な堂宇を建立したくなり、
 それが宇治の平等院鳳凰堂として完成します。
  このように、多くの貴族が末法の到来に不安をおぼえ、極楽往生を祈念するよう
 になっていたのですが、その上うな時代背景もあって、源信の『往生要集』がさか
 んに読まれたわけでした。

  恵心院 (比叡山延暦寺横川兜率谷)

  それでは、法然はその『往生要集』を読んで何を学んだのか。むろんのことそこ
 から基本的な往生論と念仏論のすべてを会得したはずですが、どうもこれだけでは
 足りないと感じたようです。なぜならば『往生涯集』が書かれてから一五〇年以上、
 末法元年からすでに100年がたっているにもかかわらず、世の中はいっこうに変
 わらずに乱れていたからです。いや、それどころかますますひどくなっていた。日
 本列島を東へ西へ、陸奥へ西海へと騒擾させた源平争乱のさなか、社会状況はます
 ます悪化していたのです。

  まもなく平清盛が太政大臣として権勢をほしいままにして、後白河法皇すらもが
 幽閉されてしまいます。頼朝の鎌倉開府はまだ先のことですから、いったい武士や
 武門なるものがどういうものかもさっぱりわからない、奇怪で混沌たる時代だった
 のです。日本における武士の登場は、たとえるならば、一九九〇年代にイスラム過
 激派がニュースに登場してきたころに、その一団やその思想が何を意味するのか、
 欧米諸国がまったく見当つかなかったようなものです。そして見当がつかないまま
 に、保元の乱、養和の飢饉、さらには平家滅亡というふうに、案の定、予測できな
 いような大混乱が連続し、そこかしこに飢餓が広がっていったのです。

  法然が望んでいたのは、そんな末法の世に生きる戸惑う民衆を救済することでし
 た。けれども、南都や叡山が管轄する仏教の教説はあまりにも難解で、どこに「救
 い」があるのか見えにくい。多くの経典は「仏が自分のなかに見えるまで待て、そ
 れが悟りである」というのですが、それではもう間に合わないのです。「死」のブ
 ームがおこるような社会では人は何かにすがるしかないのではないか。はやくどこ
 かにある解決方法を探らなくてはならないのではないか。
 きっと経典のどこかに、この世を救う方法が書いてある箇所があるのではないか。
 もしそうならば自分がそれを見つけだしてみたい。そう、心を決めた法然は、一時
 的に比叡山を下りて、それまで以上にさまざまなテキストにあたるようになりまし
 た。

                                        法然の読書法

  ところで、口述した『選択本願念仏集」をのぞいて著作がほとんどなかったにも
 かかわらず、法然はたいへんな読書家であったことがわかっています。
  仏道に身をおく僧として経典を読むのは当然至極と言えばそれまでですが、どう
 もそれだけではない。私はそこに注日して、ひょっとすると専修念仏を確信したの
 は、膨大な読書のなかから最も重要なロジックやフレーズを抽出する読書法をもっ
 ていたからなのではないかと思うようになりました。法然の読書法には何か特別な
 方法があって、それが専修念仏に至った「法然の編集力」を読み解くうえでヒント
 になるのではないか。そう、思ったのです。

  法然の人滅後に成立した「法然上人行状絵図』では、上人が経典をひろげている
 面や、それをもとに問答したり説法したりする場面がよく目につきます。この絵
 巻は法然という仏教者の一代を編む目的で描かれたわけですから、上人にクローズ
 アップするのは当然なのですが、ふつうならもっと阿弥陀仏の姿を描いてもよさそ
 うなものです。ところが、周辺の人物か亡くなる場面や、のちに説明する「大原問
 答」の場面などの例外をのぞけば、阿弥陀仏が来迎したり、荘厳な阿弥陀如来像が
 安置されていたりする描写はそう多くない。「法然上人行状絵図』の作者たちには、
 法然がつねに経典を読んできた人物であることを印象付ける狙いがあったのだと思
 われます。

  いろいろ調べてみると、法然が子どものころから読書が大好きだったことがはっ
 きりしてきました。本人も読書量の多さにはけっこう自信があったらしく、次のよ
 うにのべています。

  われ、聖教を見ざる日なし、木怜の冠者花洛に乱入の時、ただ一日聖教を見ざ
  りき

                       (「法然上人行状絵図』巻五) 
             

  これは絵伝の詞書にある言葉ですが、法然が実際に語ったとされています。「木
 曾の冠者」とは木曾義仲のこと、「花洛」とは京都のことです。寿永二年(一一八
 三)に義仲が都に攻め込んできたその日一日だけをのぞいて、私は必ず聖教(経典)
 を読んでいたのだと述懐しているのです。一一八三年というと、すでに法然は比叡
 山を下りていましたから、読書に励んでいたのは修行時代にかぎった話ではありま
 せん。法然の人生はつねに読書とともにあったのです。

  すでにお話ししてきたように、知の最高峰である比叡山には、たくさんの経典が
 揃っていました。読書好きの法然は、根本経典である天台三大部や『無量寿経』『
 観無量寿経』「阿弥陀経」の浄土三部経をはじめとして、ありとあらゆる経典を読
 んだようです。弟子たちは法然が三年ほどで「三大部をわたハソたまいぬ」と記し
 ます。そうだとすると、驚くべきスピードです。

  また、先に紹介した『往生要集』などの比較的新しい文献にもしっかり目を通し
 ていましたし、黒谷に遁世していたころには一切経(大蔵経)を五回も読んだと伝
 えられています。一切経は、三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)とその注釈書までを含めた
 も のですから、それはもう気の遠くなるようなヴオリュームで、一度読むだけで
  もそうとう難儀します。そんなものを本当に五回も読んだのかを確かめる術はあり
 ませんが、法然がそこまで言うからには、きっと自分なりの読書法を開発して、実
 際に読んでいたと見るきでしょう。
  このように法然の読書歴とその量とそのスピードをたどってみると、次の言葉は
 まことに重要であるように思います。
 

  当世にひろく書を披見したることは、たれも覚えず。書を見るに、これはその
  事を詮にはいうよと、みることのありがたきことにて侍るに、われは書をとり
  て、一見をくわうるに、その事を釈したる書よなとみる徳の侍る也。詮はまず
  篇目を見て大意をとるなり。
                       (『法然上人行状絵図』巻五)

  自分のようにここまで本を読んでいる人を最近は聞いたことはない、しかも、自
 分には本をちょっと読むだけでその解釈ができるだけの徳があるのだ、とすこし誇
 らしげです。なぜそんなことが可能なのかというと、篇目を見るだけで全体がわか
 るからだと言っている。篇目とはすなわち章の題目のことですから、いまふうにい
 えば目次です。つまり法然は「目次だけでだいたいのことが理解できる」と言って
 いるのです。そんなことは可能でしょうか。

  可能です。じつは私もいくつもの読書法や読書術を自分なりに体得して、その一
 部を『多読術』(ちくまプリマー新書)やウエブ公開している「千夜千冊」に紹介
 しています。そのひとつに「目次読書法」というものがありまして、法然が「篇目
 を見て大意をとるなり」と言っているのは、ほぼこれにあたるのだと思います。目
 次というのは著者や編集者によって一冊のコンテンツを要約再構成したもので、そ
 の本のエキスが並んでいます。「目次読書法」はその目次をじっくり眺め、いろい
 ろのことを想像し、そのうえで本文に一気に入っていくという方法です。

  もし法然がそのように経典群を読んでいたのだとしたら、法然の時代での本の読
 み方として、とりわけ経典の読み方としては、たいへん画期的です。
  比叡山における経典読みの流儀は「点検型」の読書でした。テキストの一宇一句
 すべてを解釈・解義して、その内容について問答を重ねていました。経典を読むと
 いう行為に求められるのは、深く深くテキストに没入していくことであって、これ
 はこれで大切な読み方です。それゆえこれに対して「篇目を見て大意をとる」など
 という態度で読書しようものなら、場合によっては破門されかねません。

  もちろん天台の修行憎が篇目を弛なかったというわけではありません。しかし比
 叡山で重視されるのは、言うなればもっとべたな解釈であって、それにくらべると
 篇目というクリティカルかつエヅセンシヤルなボイントをあらかじめ拾い上げて進
 んでいこうとする法然の読み方は、本流ではなかったのです。叡山の伝続からいっ
 て、それは「易行」に等しいものでした。

  しかし、「目次読書法」を実践している私の立場から見ると、この読み方にはき
 わめて大きな二つのメリットがあります。まずもって読書スピードを格段に加速さ
 せるということ、そして、テキストを多重に読めるということです。
  すこしだけ解説しますと、そもそも目次というものにはニつの特別な編集的機能
 があります。

  まず第一に、その本に登場するキーワードを相互に関係させてマッピングする見
 取り図としての機能です。読書においては、一ページずつ読みすすめて次々と遭遇
 する情報が発するメッセージを受けとめることはむろん人嘔ですが、それに加えて
 「その情報がどのように位置づけられているか」あるいは「その情報にどんな編集
 意図が加えられているか」を察知することがもっと重要なのです。あらかじめ目次
 を読むことは、そうした情報編集の痕跡をホログラフィックに概観することでもあ
 るのです。

  第二に、目次にはその本の意味内容を縮約する機能があります。いささか穿った
 見方をすれば、小説をのぞいてその本に目次以上の内容が書いてあることはありま
 せん。ですから、本を読む前にはまず目次をト分に精読して、そこに書かれている
 キーワードを吹き出しのようなイメージで 頭の中に浮かべておく。そのうえで本
 文を読みすすめると、目の前のテキストと目次にあったキーワードを立体的に重ね
 あわせながら読むことができるのです。

  法然はたんなる多読の読書家ではなく、自分のなかに多重な網目をおこしながら
  本を読む人でした。その出発点は、必ず篇目にありました。のちに法然は膨大な教
  義や修行のなかから「念仏」ひとつを選び取るわけですが、それは「篇目を見て大
  意をとるなり」の読書法で鍛えられた、法然の縮約力やスクリーニングカによって
  いるところが大きかったのだと思います。こうした法然のきわだった編集力に「編
  集的縮約」という方法が躍如していたことは、のちに「選択本願念仏集」を論じる
  ときにふたたびふれることにします。

                                                            この項つづく  

 

 

【無線型ストリング計測システムとは】

固定価格買い取り制度(FIT)のプレミアム期間が終了し、太陽光発電所を20年間
安定して稼働させるためのO&M(運転保守管理)の必要性に、発電事業者の関心は移
っている。パナソニックシステムネットワークスは、この課題に対し、NTTファシリテ
ィーズとの実証実験を通し、「無線型ストリング計測システム」を開発。パナソニックシ
ステムネットワークスが開発。「太陽光発電向け無線型ストリング計測システム」とは、
O&Mの発電所監視においてストリング単位の計測を無線で行うもの。従来、監視にと
どまっていたが、メガソーラーなどの大規模な発電所では、管理する太陽電池モジュー
ル数が多くなり、不具合箇所発見の遅れや、現場での点検工数の負荷増大などが課題と
なっていまる(下の「不具合事例写真例参照)。このシステムでは、ストリング単位に
絞りこんで監視するため故障」した太陽電池モジュールの早期特定、影や雑草など外的
影響のスピーディな異常発見を可能にするもの。

● 発電効率の最大化に貢献

これまでのパワーコンディショナは発電診断の機能を持っており、「それで十分」と思い
がちだが、モジュール1枚の故障が起きた場合、その影響を発見することは難しい。
それに対しストリング単位であれば、その様な故障でも異常を感知することができる。
そのために、コスト面――イニシャルコストを抑えながら早期回収でき、さらに  機器
のコストだけでなく、現場施工や運用面も含めたトータルコストを抑えメリットを出す
ことが重要となる(下図参照)。その点、本システムは、各ストリング単位のデータ計
測子機から無線によりデータ収集するので、(1)太陽光発電所内へのケーブル敷設
も必要なく、(2)また、②計測子機には太陽電池モジュールから電源を供給するため
接続箱への収納や電源工事が省ける。(3)新設導入はもとより、既設への後付けに特
に施工性に威力を発揮し、コストダウンにもつながる。例えば、2MWの発電所で子機
設置台数300台強の現場なら、2~3人の作業で1~2日で取り付けを完了できる想
定している。 |


無線方式は、DECT(DigitalEnhanced Cordless Telecommu-nications)という、欧州電気通信標
準化機構(ETSI)が策定したグローバルスタンダードの無線通信方式を採用。通信飛距離が見通しで
約150メートルと広範囲をカバーでき、1.9GHz帯で、電波干渉を受けにくいことが特長。



(1)異常検知、(2)ストリング監視データ保存、(3)CSVデータ出力、(4)メー
ル送信。

 

 

   

 

元旦は晴天ということで、北野神社→彦根博物館→日牟禮八幡宮→水が浜→白山神社
(氏社)と参拝巡りに出かけた。井伊直政の甲冑とひこにゃんとの対面は参拝とは関
係ないが帰宅して、一息入れ飲んだスーパードライの缶ビールは、妙に爽やかにして
これど世界一のビールと感動は参拝日帰りツアーのおかげか。

井伊の赤備え
 

 

 

現代の錬金術士達

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   わたしたちの最大の弱点はあきらめることにある。   トーマス・エジソン

 

                                                                                                   

 
                                                                                                                                Thomas Alva Edison
                                                                                                                    February 11, 1847 – October 18, 1931

 

● 現代の錬金術:新元素発見

新しい元素を発見したということで昨年末の27日話題となっている。それによる
と、理研仁科加速器研究センタの森田准主任研究員らの研究グループが、8月12
日、3個目の113番元素の同位体「278113(質量数278)」の合成を確認――04
年、05年に続く発見――したとのこと、前の2個とは異なる新しい崩壊経路をた
どったことが大きな意味をもっという。これまで観測してきた2個の113番元素
は、連続4回のアルファ崩壊を起こし、その後2つの原子核に分裂(自発核分裂)。
ところが、今回はさらに2回、合計6回の連続したアルファ崩壊を起こしたというの
だが、もう少し詳しく説明することによると、今回、3個目の113番元素の確認に成
功しただけでなく、6回のアルファ崩壊により既知の原子核であるボーリウム、ド
ブニウム、ローレンシウム、メンデレビウムに時系列的に到達し、ドブニウムがア
ルファ崩壊する様子も観測している――うぅ~ん、脳が疲れているときにこんなこ
と理解しようとしても、完全にギブアップ状態――というのだが、先に進もう。

  元素の起源を探る

それで、新元素の合成を証明するためには、その元素が崩壊した後、既知の原子核
に到達することが証明条件となるため、多くの観測数が求められ、研究グループは、
2個目の合成を確認した時、国際機関に113番元素発見の優先権(日本の)を主
張したが認められなかった。また、4回目のアルファ崩壊でできた原子番号105
のドブニウム(262Db)は、自発核分裂かアルファ崩壊することが分かっていました
が、2個とも自発核分裂しか観測できなかった経緯や、今回の合成にたどり着くた
めに、実に7年もかかっていて、実験開始からこれまで、元素合成のために原子を
衝突させた回数は百兆回を超えていたというから、そちらの方が話題となりそうだ
が、元素の存在限界を見極めるため、各国が周期表の拡大を目指して超重元素の探
索研究競争が展開されているという。そして、理化学研究所では、未知の核種の崩
壊の解析が、超重元素の構造の理解に貴重な知見をもたらため、未報告である11
9番以上の原子番号を持った新元素の探索に挑戦し、超重元素探索の研究分野をリ
ードしていきたいという。

   原子番号113が合成される様子

 


原子番号が大きいほど陽子同士の電気的な反発が大きくなり、不安定になって核分
裂を起こしやすくなります。自然界にウランより重い原子が存在しないのは、それ
以上の原子番号の原子核は地球の寿命より短い時間で崩壊し、安定な別の原子核に
変化していくため、ウランより重い超重元素の合成は、原子番号が大きくなるほど
困難だという理屈だ。80年代後半から超重元素合成の準備研究を始め、03年、
原子番号30の亜鉛(70Zn)のビームを原子番号83のビスマス(209Bi)に照射し、
新元素である113番元素を合成する実験を開始。ここでは、優先権の認定は省略。

知りたいのは、どのようにして「錬金」したか?だ。研究グループは、理研仁科加
速器研究センタの重イオン線形加速器(RILAC:ライラック(下図))で亜鉛(70
Zn)ビームを光速の10%に加速し、平均すると毎秒2.8×1012個もの亜鉛原子
を、標的とする厚さ約0.5μmのビスマス(209Bi)に照射して融合反応を引き起こ
したが、この照射では、亜鉛とビスマスの衝突で発生する熱がビスマスを溶かして
しまうため、直径30cmの円板にビスマスを取り付けて(上写真)、毎分3,000 ~
4,000  回転。融合反応でできる超重元素核はビームと同じ方向に放出されるため、
ビームと目的核(278113)をいかに効率よく分離するかが実験の成否を決める。研
究グループが開発した気体充填型反跳分離器(GARIS:ガリス(下図))は、ビーム


そのもの(70Zn)や、ビームによって弾き出される標的核(209Bi)、目的としな
い核反応生成物などを除去し、278113を含む超重元素核のイオンだけをGARISの下流
に設置した位置感応型半導体検出器(PSD: Position Sensitive Semiconductor Detector)
に導く(下図)。 

 

12年8月12日、3個目の278113の合成に成功し、これまでの4回のアルファ崩
壊に続き2回のアルファ崩壊を観測、最後は原子番号101のメンデレビウム(質
量数254の254Md)になったことを確認。ここで、とくに4回目のアルファ崩壊でで
きる262Dbは、約33%の確率で自発核分裂し、約67%の確率でアルファ崩壊する
ことが知られている。これまでの2個の278113は262Dbの自発核分裂で、今回確認し
た3個目の278113はアルファ崩壊し、どちらの現象も確認できた(下図)。さらに、
5回目と6回目のアルファ崩壊では、崩壊を始める時間とそのとき放出される崩壊
エネルギーが、89年~99年に報告された262Dbと258Lrの崩壊にそれぞれよく一
致した。これらは、理研が合成してきた3個の原子核が、確かに278113であったと
いう証拠を与える。また、3個の278113の崩壊の様子から、113番元素の平均寿命は
2ミリ秒であることも分かった。




● 113番元素合成の立役者たち

まず、世界最高のビーム強度を誇る線形加速器ライラック(RILAC)。1秒間に2.
4兆個もの亜鉛原子を光速の10%まで加速、ビスマスの標的に照射する。もしビー
ム量が10分の1だったら?113番元素を3つ作るのに百年を要し発見は出来な
い。このビームは、強力過ぎて、厚さ1万分の5mmのビスマス標的に穴を開ける。
そこで、同じ場所にビームを当て続けないよう、標的を円盤上に並べ毎分3千回転
以上で回すことで解決する(下図クリック)。113番元素が合成できるのはも稀で、
折角出来ても、大量の亜鉛ビームに混じってしまう。その中から113番元素だけを
選り分けるのが気体充填型反跳分離器(GARIS)。あたかも浜辺の砂の中から一粒の
ダイヤモンドを探し出すようなもの。あれっ!このフレーズ仏教の「一握の砂」に
似ている。

さて、GARISは電磁石で粒子の進路を曲げて選り分ける。粒子の質量と電荷によっ
て曲がり方が決まるので、標的で作られた113番元素の質量は一種類、電荷はバラバ
ラなので、曲がり方もバラバラ。これでは貴重な113番元素を集められない――電子
が113個付いてれば電荷0価、電子が110個(3個取れている)なら+3価―――そこで
重要なのが ARIS 詰めてあるヘリウムガス。113番元素がガス中を進む際、ヘリウ
ムと衝突を繰り返しながら電子のやり取りをし続ける。この変化し続ける電荷の平
均値が一定の値に定まる(平均平衡電荷:この実験では+11.9価)。113番元素
はこの値で決められる一定の軌道上を生成当初の電荷とは関係なく進み、もれなく
検出器に集めることに成功する。

ここまできて、すごいことが理解できた。鍵語は「量子ビーム」、。量子ビームは
原子や分子のようなナノレベルでモノを観る・創る・治すことができる先端技術。
現代の錬金士とは「量子を操る技」をもつ匠たちのこと、それじゃわたし(たち)
「ネオコンバーテック」の仲間ではないかと腑に落とす。

 

 

 

最新光水分解工学

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    分を越えぬ生活ほど感動的な威厳のあるものはなく、
        また、これほどりっぱな独立もない。

                    アメリカ30代大統領 カルビン・クーリッジ (『自叙伝』)

        
         Therc is no dignity quite so impressive,and no
        independence quite so important, as living within
                     your means.

       ※ no・・・so・・・as・・・「・・・ほどそんなに・・・な・・・・はない」

                                                   
                                         John Calvin Coolidge, Jr                                                                               
                                        July 4, 1872 – January 5, 1933
                                    

    ハーディング大統領の下で副大統領を勤めた が、清廉をもって知られ、ハーディング
   の急死後、大統領に昇任、再選。自由放任主義を貫き、アメリカ繁栄の最盛期を作った。

 

 

  
【最新光水分解工学】

  

「量子ドット・ナノサイズを制すれば世界の産業を制す」(『2015年から未来を見
つめる Ⅱ』)で紹介したオランダのアイントホーフェン工科大学らの研究グループが
開発したガリウムリンナノワイヤ太陽燃料電池水電解デバイスのレポートを元に米国と
日本の関連特許を調べった。欧米での「太陽光燃料電池(Solar fuel cell)」の呼称を日
本で用いられている「水分解用光触媒電極」「水分解用光電極」を考慮して「光水分解
工学」と仮称することとした。アイントホーフェン工科大学らの研究は、太陽光エネル
ギーで光電気化学水素製造し、クリーンで持続可能な燃料ができ、高価な平坦なⅢ /Ⅴ
族材料系は最高の効率をもつことがわかっているが、ウルツ鉱型ガリウムリンをナノワ
イヤ化させることで少ない材料で代用できる。これは理想的なバンドエッジをもち、太
陽光吸収を最大化させ完全な水分解できる。p型のウルツ鉱リン化ガリウムナノワイヤー
の光電面で水電解を行い、電気抵抗を低減させ、光吸収を高め、表面を多段的白金堆積
させ、高電流密度で、開回路電位が達成できることを実証したが、下図の本田技研工業
の米国特許では、プロトン伝導隔膜を通して対極側に炭素含有溶液――アルコール、ア
ルデヒド、アルカン、アルケン、アルキン――を供給し、貴金属、卑金属、またはカル
コゲナイド含有する材料触媒などで有機化合物を合成する特許である。つまり水素、酸
素ガスを製造するものでは方法である。

 
これに対し下記のような関連特許が日本でも公開されている。

・特開2015-179768  水分解用光触媒電極
・特開2015-200016  水分解用光電極
・特許5456785    ガス生成装置およびガス生成方法
・特許5517805    可視光応答型光触媒、水分解光触媒、水素生成デバイス及び水分
          解方法
・特許5540554     光触媒装置及びガス発生装置
・特許5490042    水分解用光触媒及びそれを含む水分解用光電極

特許の大半は電極の組成――照射光の吸収帯を広げるなどで効率向上など――であり、構造・構成に
関するものは下図の本田技研工業の「特許5540554  光触媒装置及びガス発生装置」の1件である。
実用化から普及(市場形成)に移行にあともう少しかかるだろうか(残件扱い)。

 
特許5540554  光触媒装置及びガス発生装置

 

 

 

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 5  松岡 正剛 著  

 

【目次】 

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

    専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山から町へ/乱想の凡夫として

    法然のパサージュ
    兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザトプリテラシーとオラリティ

    「選択」の波紋
    南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメージ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死 

 

 ● 専修念仏への道

                         専修念仏の確信

  では、話を法然の生涯に戻しますが、叡山を下りた二十四歳のが年法然は求法の
 ために都の各所をまわり、嵯峨清涼寺の釈迦堂に参拝したり、南都に学匠たちを訪
 れます。
  この時期、救いの答えを求めて多くの未見のテキストにあたった法然ですが、な
 かでも永観の『往生拾因』に強く惹かれました。国宝の「山越阿弥陀図」にでも有
 名な京都の永観堂は、この僧の名にちなんでいます。私も子どものころにしばしば
 永観堂で遊んだものです。永観堂は通称で正しくは禅林寺というのですが、ここは
 浄土宗西山脈西谷流のセンターとなった寺院でした。

  永観という人は文章博士の源国経の子で、十一歳のときにその禅林寺の深観の弟
 子になって修行して、のちには東大寺の別当職にまでなっています。私も著作を読
 んでみましたが、なかなかの編集力の持ち主でした。とくに中国の浄土教を発展さ
 せた善導や道綽の教えを拾っているポイントがたいへんに鋭い。法然もそこにイン
 スパイアされたのでしょう。
  ことに法然が永続の『往生拾因』のなかで気にかけたのぱ「一心専念」という一
 節でした。そこには善導が著した『観経疏』についての要点が説明されていたので
 す。『観経疏』というのは、浄土三部経のひとつ『観無量寿経』の注釈書で、正式
 には「観無量寿経疏」という著作です。永観の解説によれば一心に阿弥陀仏の名を
 念ずれば必ず往生できる、そしてその念仏方法は「もし口称せば即ち一心に専らか
 の仏を称し、もし讃歎供養せば即ち一心に専ら讃歎し供養す」というものでした。
  
  法然が目を聞かれたのは、ここで解説されている念仏の捉え方が、それまで読ん
 だテキストとはずいぶん異なるものだったということでした。たとえば源信の『往
 生要集』が強調していた「観勝称劣」とはちがって、口称念仏の重要性を阿弥陀仏
 の願いとダイレクトにつなげていた。その点が画期的だったのです。
  法然はかなりはっとしたはずです。けれども、永観の孫引きだけではまだ納得で
 きません。南都の学匠たちへのインタヴューから戻った法然は、善導の原本テキス
 トをさがし求め、ついに宇治平等院の経蔵(あるいは黒谷青龍寺の経蔵か)で『観
 経疏』に出逢います。
 こうして『観経疏』を初読・二読した法然は、しだいに胸中で何かが嘉くのを感じ
 たようです。そして所伝によれば、ついに三読目に忽然とします。次に引用する箇
 所が決定的でした。

   一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問わず、念念に捨
  てざる者、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に。

                         (『観経疏』「散善義」)

  ここには、いかなるときでも念仏を昨えることが、往生への正しい道であり、そ
 れは阿弥陀仏の本願に準じていることだ、とμいてあるのです。
  法然は狂喜し、いよいよ決断します。『選択本願念仏集』には、このときの様子
 が次のように書かれています。

   静かに以んばかれば、善導の観経疏は、これ西方の指南、行者の目足なり。
  しかればすなわち西方の行人、必ずすべからく珍敬すべし。(中略}
   ここにおいて貧道、昔この典を披閲して、ほぼ素意を識る。たちどころに余
  行を舎めて、ここに念仏に帰す,

                          (『選択本願念仏集』)

  この「たちどころに余行を舎めて、ここに念仏に帰す」という決断こそが、日本
 の仏教史を大きく変えた法然の「選択」でした。
  先に引用した『観経疏』の記述はごくごく短いものですが、法然がここまでたど
 り着いたのはむろん偶然ではありません。一貫して「救い」の方法を求めていた法
 然は、どんな経典にもその根拠となるロジックやフレーズを探っていました。法然
 は、浄土三部経・一切経・天台三人部から源信・永観・善導にいたるまで、大半の
 テキストを同じ”注意のカーソル”で読みこんでいたのです。かくして膨大な読書
 経験は法然の編集的縮約力によって網目の結び目のように残され、逆にその結び目
 を重ねあわせながら眼前のテキストを読むことをくりかえすことによって、核心へ
 と近づいていきました。いわば、これまでの全読書が篇目のような役目をはたして、
 多重に読みこむことかできたのだと思います。

  散善義   観経正宗分散善義 巻第四

  法然にとって『観経疏』のわずか数行は数行ではなかったのです。その数行はそ
 れまでの全読激‥過程の集約であり、それゆえ極光のように光を放つ思想結晶だっ
 たのです。気の遠くなるような読書も、「篇目を見て大意をとる」という読書法の
 開発も、それに裏付けられた縮約力も、すべてはいまや「南無阿弥陀仏」と称える
 ためにあった。そのように思いたくなる、法然の決着でした。

  称名念仏による往生を法然に確信させた『観経疏』の文は、「散改善義」のなか
 に収められていました。この「散善」という言葉にも法然の革新性を見ることがで
 きますから、すこし補足したいと思います。
  もともと『観無量寿経』は、古代インドのマガダ国の王子の阿闍世が提婆達多(
 ディーヴアゲッタ)にそそのかされて父玉を段害したという悲劇を描いた経典とし
 て行名で、ここから古澤平作の「阿闍世コンプレックス」という概念がとられて、
 フロイトのエディプス・コンプレックスの東洋版あるいは日本版として話題になっ
 たくらいに、そのドラマ性が強い経典なので、私はその注釈書もそういう延長だと
 思っていたのです。

  ところが善導の『観経疏』は、ポストモダン思想のテキスト解釈に匹敵するほど
 徹底したもので、善導以前にどのように「観無縫寿経」が説明されていたかという
 ことを、次々に論破しているのです。四部構成で、とくに定善義と散善義の章が圧
 巻です。
  どういうことを言っているか。結論だけ紹介しますと、われわれには、静まった
 心で善をつむ「定善」と、乱れた心のままで善をつむ「定善」とがあるというので
 す。もちろん天台などは「定善」を是とするわけですが、法然が着目したのは「敗
 善」のほうでした。現実に乱れた社会に生きる民衆、とるにたりない自分のような
 凡夫にとっては、「散善」である念仏のほうがいい、いや、それこそが重要だと見
 たのです。これもまた法然の決定的な着眼点でした。

  こういった見方は、それまでの日本仏教にはまったくなかったものです。ごくご
 く簡単に仏教史を追えば、日本の仏教はまず氏族仏教として、次には鎮護国家のた
 めの護国仏教として確立します。「律令のような仏教」です。一方、平安初期の最
 澄や空海の仏教はニューシステムとしての仏教、いわば「王法に対応する仏法」で
 す。世界の複雑さを包尽した独特の宗教的総合性をもっているという意味において
 たいそうシステム的でした。緻密で圧倒的なものです。

  しかし、日本仏教はそこからさらに移り変わっていった。それが時代の要請だっ
 たのです。これまでもくりかえしてきたように、永承七年(一〇五二)を初年とし
 て末法の時代が始まったことに加えて、源平争乱と飢餓の拡大が社会に乱逆と混沌
 をもたらしていた。これでは王法にも仏法にも、むろんのこと社会のオーダーを決
 める律令にも、一挙に総合システムをかぶせるわけにはいかなくなったのです。平
 安末期の社会には「類の死」とともに「個の死」か迫リていましたから、国家や貴
 族、ましてやいま勃興しつつある武士たちには、律令も玉法も仏法も知ったことで
 はない。そんなこと、いっさい関係がないのです。

  かくてここに期待されたのが「自分で選んだ仏教」あるいは「みんなで選べる仏
 教」というものでした。けれども誰もが僧侶のように修行できるわけではないし、
 学僧のように仏教の教義が理解できるはずもありません。多くの民衆はえ字も読め
 ないし、往生の意義もわからない。でも、法然白身はその面倒な経輿の大饗に目を
 通し、厳しい修行もやってきたわけです。それならその法然が選んであげればいい
 のではないか。法然の「選択」がみんなのヒントになればいいのではないか。

  おそらくはこんなふうな判断にちとづいて、選べる仏教にとしての専修念仏によ
 る仏教を断固として「選択‘したのではないかと思います。それでどうなったのか
 といえば、法然に始まった選択型仏教の潮流はとどまることを知らず、のちの道元
 や日蓮もそのことに気がつくわけですから、これはまさにニューウェーブでした。
 一人の念仏が、一人の座禅が、一人の題目がそれぞれ「選んだ仏教」になるという
 ことの、スタートだったのです。

  法然が「観経疏」から「散善」としての念仏を選ぴとったことには、おそらくは
 以上のような背景があったにちがいありません。とはいえ、法然は短絡的に念仏に
 走ったわけではありません。考えに考えたすえに、阿弥陀仏の本願を信じる称名念
 仏を選んだのです。

                               この項つづく 

    ● 今夜の一品

世界初、エプソンは「PaperLab」、古紙を新品にして再利用するオフィス製紙システム
を発表。キャッチコピーは「紙の未来を変える」。 

 

 

ナショナルトレッキング

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    あきらめないこと。どんな事態に直面してもあきらめないこと。
                  結局、私のしたことは、それだけのことだったのかもしれない。

                                         冒険家 植村直己

 

                                                                                 
                                                                             1941.02.12 - 1984.02.13?

 

【治療と再生の革命 Ⅰ】 


● 慢性腰痛対策

治療しても効果がなく、一度治ってもぶり返すなど長引く「慢性腰痛」に苦しむ人は14
00万人と推定されている。最先端の治療現場では、「脳」のある働きを改善し、慢性腰
痛を克服する対策が、大きな成果をあげているという。例えば腰痛への不安を解消する映
像を見たり、恐怖心を克服する運動をするなどの対策を取るだけで、改善する人たちもい
る。専門的な心理療法で、極めて重い症状の患者の腰痛が改善するケースも出始めている
というのだ。わたしの場合は、デスクワーク中心のため、一旦沈静していたものが、長時
間ドライブや山登りなどトレッキング、あるいは、室内トレーニングなどで、それがトリ
ガーとなり再発することがしばしばあるので、そこに、精神的なストレス蓄積も加わり再
発するとは考えにくい――その寄与割合は低い――と思っている。だから、この今、コル
セットをしながら入力しているが、数日、あるいは一週間後には治っているだろう、しか
し、突然再発することになることも覚悟している。

 

● ミニ肝臓の衝撃

 iPS細胞から大きさが数ミリの“ミニ肝臓”を大量に作り出す装置を、横浜市立大学な
どの研究グループが2年前に開発した。重い肝臓病の子どもにこの「ミニ肝臓」を移植す
る臨床研究を19年にも始める。アイソレーターと呼ばれる滅菌された作業台にベルトコ
ンベアが設置され、iPS細胞から作った肝臓の細胞が入ったシャーレや培養液などが次
々と手元に送られてきて、研究者が効率的に作業をできるようになっている。1か月ほど
で最大数ミリの“ミニ肝臓”を作り出すことができるということで、研究者の手作業を一
部自動化し作製効率を100倍以上に高めることができる。自動車の工場のように、ロボ
ットの手助けで大量にミニ肝臓を作り出すことができるとしてた。2年前は直径5ミリで
あったが、昨年にはこの”ミニ肝臓”は25分の1の直径2百マイクロメートルまでダウ
ンサイジング(『デジタル革命渦論』でいうところの第2則)され、注射などで体内に挿
入できるまでになっているため、「細胞シート」(下図参照)のように切開する必要がなく
なる。

 

「山中伸弥教授が語るiPS細胞研究の今」(NHK)によるとこの細胞を作るには、(1)細
胞同士を接着する細胞、(2)血管のもとになる細胞、(3)肝臓にもとになるの3つを
合わせ3日培養すると自己組織化が作動きできあがる工程を必要とし、さらに、その前段
で正常なiPS細胞から未分化細胞を除去する工程も必要でありこれらをクリアしてできあが
るというもの。特に後者において悪性リンパ種治療薬「プレンツキシマブ ベトチン」(「
CD30を標的とした腫瘍原性未分化iPS細胞の除去効果についての検討」寒川 延子 大阪大
学 心臓血管外科)による除去の成功などの上で達成されている。

 

● 腸内フローラの衝撃

これも2年前の「腸内フローラ 解明!驚異の細菌パワー! 」(NHK)で放送されたも
のだが、肥満になるとがんのリスクが高くなる、と言われていた。それがなぜなのか、わ
かっていなかった。普通体型のひとと、肥満体型のひととでは“腸内細菌”に違いがある
ということがわかってきた。普通体型のひとにはない「クロストリジウム・アリアケ」と
いう菌(日本の有明にある病院で発見)が肥満体型になると全腸内細菌の10%以上を占め
ていた。アリアケ菌は、「デオキシコール酸」(DCA)というものを作り出す。これが、活
性酸素を作り、細胞の老化を促し、老化した細胞がガン化を促進なるというメカニズム。
また、このデオキシコール酸は大量に脂質を摂ることで作られ、低脂肪食を心がけること
も重要。 



ところで「腸内フローラ」といは、腸内細菌類のことを意味するが、わたしたちの腸には
約3万種類、千兆個に及ぶ細菌類がすみ。重さにすると1.5から2キログラムにもなり、
体を構成している細胞が60兆個ですから、実にその16倍近くの生き物がわたしたちの
おなかの中にすんでいることになる。腸の長さは約110メートル。それを広げるとテニス
コート1面分にもなるという。そこに、まるでお花畑のように腸内細菌が生息する。腸内
細菌類のことを「腸内フローラ」と言うが、「フローラ」とは元々はお花畑を意味する。
細菌類が作る集落が色鮮やかで、形がとてもきれいだからそう呼ばれる。

このように、がんや糖尿病などの病気から、肥満やお肌のシワなどの体質、さらには、そ
の影響は脳にまで及び、うつ病とも関係しているのではないかと考えられきている。腸は
第二の脳、いや脳こそが腸機能が分化して脳ができたとも言えるかもしれない。

 

今夜は、NHKBSの新春で刺激され、「治療と再生の医療の現状」を考えてみた。これはシリーズ
として掲載し不定期掲載する。尚、バイオマスインダストリー協会を脱会している。

 

  

【ナショナルトレッキング】 

母の他界と喪に服すこともあり百名山の登山は控えていたが、今年から再開させようと考
えている。ところで、琵琶湖を囲む滋賀県の山を一周ルートを開発しよう考えていた。そ
のトレッキングをコアとしてパラグライダーとカヤックをいれ、それを競技(スポーツ)
や遊覧(野外観察や娯楽)としてルールを決め「ナショナルトレッキング」アプリとして
開発するというもので、「先ず隗より始めよ」と。そなんなことことを考えていたら、毎
日新聞オンラインの元旦の記事で「なるドリ ナショナルサイクルルートってなあに?」が
昨夜目にとまった。偶然だ。それによると、国土交通省が検討している、周辺の風景や名
所を楽しみながら、安全かつ快適に自転車で走れる魅力的なルートを認定する新制度が検
討しているという。自転車は自転車。まずは仲間づくりからだ。

 


彼女が、急に多賀大社にお参りしたいと言い出した。理由を聞くと、素朴な味の糸切り餅
を食べたいからだというので、昼のうどんを平らげ出かけることに。少し味が変わったみた
いという(思い出の方が美味しいみたいだ)。わたしは夕食時、「水餃子と豚白菜豆腐一人
鍋」と一緒にたべたが、いつものと変わらないのだがと、そう 話した。

  

認知症とデジタル革命

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      求めない すると 比べなくなる      /        加島 祥造   『求めない』

 

                                                                                                             荒地派
                                                1923.01.12 - 2015.12.25 
                                                ※ 左から 鮎川信夫、加島祥造、吉本孝明

 

  2016.01.06

【治療と再生の革命 Ⅱ】 

● 認知症対策

16年2月27日、国立循環器病研究センタが、脳梗塞再発予防薬として広く用いられて
いる抗血小板薬「シロスタゾール」が認知症の進行予防にも有効であることを公表し
ている。もし、自分が認知症ではないか?と考えると不安に陥る経験は誰にでも起き
る(と推測)。迷惑をかけたくない!と思うことで連鎖するのだ(と推測)。いま大
丈夫だと思っていてもいつ発症するかもわからない不安がときまとう。他人事ではな
いと、認知症対策の最前線をにわか学習する。

○ アルツハイマー型認知症:シロスタゾールに効果

認知症は現在日本で既に4百万人を超え、8百万人に――世界中で2千万人以上の人
々が認知症に苦しみ、40年までに8千万人を超える――までに膨れあがるというの
だ。(上写真クリック)この共同研究の成果は、アルツハイマー型認知症の認知症症
状の進行抑制に用いられるドネペジル塩酸塩という薬剤を内服している洲本伊月病院
の患者を対象に、シロスタゾール内服者と非内服者年間の認知機能低下率をミニメン
タルステート検査(MMSE
)により比較したところ、シロスタゾールを内服していた
患者では年間の認知機能低下が有意に抑制されていることが分かっている。シロスタ
ゾールを内服していた患者では、特に記憶の再生や自分の置かれている状況を正確に
把握する能力の低下が阻止され、これらの機能は特にアルツハイマー病の早期で障害
されやすい認知領域であることから、研究グループは、シロスタゾールがアルツハイ
マー病のような神経変性症にも有効だとする。



シロスタゾールは、脳梗塞の予防に広く用いられる抗血小板薬(「血液サラサラ薬」。
シロスタゾールは、血栓形成を抑制すると共に、血管を拡張させ脳血流を上昇させる
作用がアミロイドβの沈着堆積を妨げていると考えられている。

※ アルツハイマー病の初期症状のためにドネペジル塩酸塩を内服している患者のう
  ち、12か月以上の間隔で2回以上ミニメンタルステート検査(MMSE)と呼ばれる
  質問形式による認知機能評価を受けた患者を、シロスタゾールを6カ月以上追加
  投与された患者34例と追加投与されなかった患者36例に分類し、認知機能の変化
  を解析。すると、シロスタゾール投与群では認知機能の年間低下率は非投与群と
  比較して約80%抑制されており、また認知機能検査の評価項目の中でもアルツハ
  イマー型認知症の初期に機能低下が起こりやすい「時間の見当識」「場所の見当
  識」「遅延再生」の3項目での認知機能低下が有意に抑制された。 

   プレタール[シロスタゾール]作用機序

○ 歩行速度で認知症のリスクがわかる!

認知症の予防のカギとして注目されているのは、“MCI”(軽度認知障害)。認知
症の一歩手前の段階で、MCIの人は、必ず認知症になるわけではないことも判明し
たとし、認知症の段階ではなく、MCIの段階で見つけられれば“予防の道”へ進む
ことができると放送されている(「NHKスペシャル シリーズ認知症革命」2015.11.
14)。MCI、認知症にすすんでいくと意外なことに歩く速度が遅くなる。ある速度
よりも遅くなると、MCIや認知症のリスクが高くなり、その歩行速度は 秒速80
センチメートル(時速 2.9キロメートル)かどうか 見定める方法は (1)横断
歩道は秒速百センチメートルで渡れるようになっているものが多い。信号を以前は渡
りきれていたのが、渡りきれなくなると要注意の歩行速度。 (2)駅まで歩く時間が
以前よりも遅くなったなど。



それでは、対策は?というと、(1)早歩きなどの有酸素運動と筋肉トレーニングを
行う→ 「ちょい足しウオーキング」。歩幅を5センチ広げると体にかかる負荷が増え
心拍数の目安は120程度をめどとする。 (2)塩分の摂取量を控える。(3)フィ
ンランドでは神経衰弱のようなゲームなどを行い(囲碁や将棋など))認知トレーニ
ングを行うことで改善予防に実績を上げている。(4)血圧などの管理や生活習慣病
予防。

尚、「NHKスペシャル シリーズ認知症革命」の第二回では、「認知症になっても、
その人らしく穏やかな人生を生きていく」ためのヒントを探っている。“ユマニチュ
ード”と呼ばれるフランス生まれのケアを導入する動きが広がっている。「見つめる
」「話しかける」「触れる」「立つ」を基本に、“病人”ではなく、あくまで“人間”
として接することで認知症の人との間に信頼関係が生まれ、周辺症状が劇的に改善す
ると事例が紹介されていた。

   NHK認知症キャンペーン「ユマニチュードって何?」

この他、13年5月7日に報告された「アルツハイマー病脳における糖尿病関連遺伝
子の発現異常」(九州大学・生体防御医学研究所教授中別府雄作ら)、つまり、糖尿
病がアルツハイマー病の危険因子となるメカニズム――記憶を司ると言われる海馬で、
エネルギー源である「糖」をうまく使えなくなる、糖を使うときに欠かせないホルモ
ン・インスリンに関わる遺伝子が変化し、脳内インスリンの働きが低下――が明らか
にされているが、米国で鼻からインスリンを噴霧し、脳へインスリンを送り込み、イ
ンスリンの働きを改善させること臨床試験が進められている。

   doi:10.1038/nrendo.2015.173

【治療と再生の革命 Ⅰ】 の慢性腰痛対策(『ナショナルトレッキング』2016.01.04)
で書き足らなかったことで、DLPFC――背外側前頭前皮質(前頭前野背外側部;複雑
な認知行動、人格の発現、適切な社会的行動の調節に関わっているとされていて脳の
中で最も進化した部位、一つの仕事に集中する能力の源泉である)――が萎縮(衰え
る)すると、うつ患者の場合、機能が正常に働いていないことが判ってきている。予
防は痛みへの強い恐怖心脳の中で生まれるとDLPFCにストレスがかかり、次第に活動
が衰えていく。その対策として、腰を反らせる姿勢を3秒/回繰り返えすだけで克服
できるという方法がある(※ http://www.nhk.or.jp/kenko/nspyotsu/a02.html)。

 

 

 

 

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 6  松岡 正剛 著  

 【目次】 

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

    専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山から町へ/乱想の凡夫として

    法然のパサージュ
    兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザトプリテラシーとオラリティ

    「選択」の波紋
    南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメージ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死 

 

 ● 専修念仏への道

                           山から町へ

   専修念仏を選びきろうと決意した法然は、いよいよ比叡山を後にします。山に
 とどまることに限界を感じたとともに、なんとしてでも民衆に「救い」の道を示す
 ためにはじっとしていられなかったからでしょうし、さらには、膨大な経典にいつ
 までも縛られているより、自身が結果的に発見した『観経疏』散華義の極光をもと
 とに新たな言動を試みてみたくて町へと下りたのでしょう。
  かといって、「山にを離れた法然が突如として反体制的になって、延暦寺を揶揄
 したり批判したというわけではありません。しがらみから自由になった憎が好き勝
 手やりたいことをして、たとえば破戒憎などとよばれるなんてことはよくあること
 で、また法然がそういうことだったのならばある意味でわかりやすいのですが、そ
 うではなかったのです。法然は一貫して既存の仏教勢力や念仏以外のけを毀損する
 意図をもちまったせんでした。あくまで、「救い」の方法を深化させるために山を
 下りたのであって、必ずしもドロッブアウトしかわけではないのです。

  こうして法然は東山の吉水に庵をかまえて説法をはじめます。説法の噂はすこし
 ずつ広まります。「念仏さえ称えれば誰でも往生できる」という、かつての仏教史
 ではありえなかった教えを民衆たちが耳にしはじめたのです。その舞台が吉水であ
 ったこと、すなわち「山」ではなくて「町」のなかであったことはとてもシンボリ
 ックでした。法然の厚修念仏がすでに「学問」の領城を脱出していたことを示して
 いるからです。

  そもそも仏教における「声」の世界は、一般の民衆たちとはかなり隔絶されたも
 のでした。このあたりのことについては、清水眞澄さんの『読教の世界』(吉川弘
 文館)などを読まれるとよくわかると思いますが、説経、唱導、講式、披講、問答、
 声明などは、一から十まで仏教の「プロ」がおこなうことだったのです。
  しかし法然は、そういう幾多の仏教の「声」をも編集して、最終的には「南無阿
 弥陀仏」という六欠字の名号に集約していった。とても簡単なようなことですが、
 私はこれはたいへんな「声の編集」であったと思います。みんなが、南無阿弥陀仏
 を口にして称えられるようになったということは、誰もが口ずさめる仏教ボーカル
 サウンドができたということで、それなら民粟たちはまるでヒット曲のさわりが歌
 えるような気分になったということなのです。こういうことも手伝って、専修念仏
 の輪はしだいに民殷たちの間に広まっていきました。

  都では法然の専修念仏の噂が飛び交うようになりました。のちに親鸞と名を改め
 る綽空が法然に帰依するのも、この時期です、しかし地方では、法然が説く念仏の
 教えにいまひとつ納得できない人物や疑問ををもった者たちも少なくはない。顕真
 もその一人でした。顕真はもともと比叡山で顕密両教を修めた僧都でしたが、仏法
 に自信がもてなくなったのか、京都洛北の大原の勝林院に引っ込んでしまいます。
 こういう引っ込み方を当時は「遁世」(とんぜ)といったのですが、遁世するとい
 うことは、すなわち「希って往生する」ことでもあるはずなのに、近ごろはいかに
 して往生できるのかもはっきりしません。道長の時代のように、常行三昧や観音堂
 や阿弥陀仏像を麗々しく安置してこれを観仏するだけでは、もはや心が穏やかにな
 らなかったようなのです。

  大原といえば、現住でも市井の塵をよばない静寂に包まれている地域ですが、平
 安後期では格別な隠棲の地と目されるようになっています。十二世紀にば、すでに
 寂念・寂超・寂然の三兄弟が遁世して、巷間で「大原三寂」などとよばれていたも
 のです。ちなみに、三寂のご人の寂超はもとの名を藤原為経といって、三〇歳をす
 ぎると穢土の現世にさっさと見切りをつけて遁世しています。その寂超の子は、ア
 ンドレ・マルローをして仰天させた、「似絵」で有名な藤原隆信です。知恵院にあ
 る法然の肖像画「披講の御影」を描いたのも、この隆信でした。ついでにいえば、
 寂超の妻の美福門院加賀は夫が家出まがいのことをしてしまりたものだから、しか
 たなく――いや、しかたなくかどうかはわかりませんが、藤原竣成と大恋愛をする。
 そこで生まれたのが、かの藤原定家です。

  それはともかく、顕真はこうした大原三寂らの生き方に憧れて遁世をしてみたの
 だっただろうと思います。ところが「山」を下りてみると、「都」からは法然が専
 修念仏を祢えているという噂が聞こえてきます。まだ遁世というものにどっぶりつ
 かっていない顕真は、法然という男に興味をもちました。そこで顕真は、大原辞林
 院の丈六堂に何人もの知識人を集めて、噂の法黙にその真意を尋ねることにしたの
 です。いわば今後の仏教のありかたをめぐるカンファレンスを主宰したのです。文
 治二年(1186)の秋のこと、後白河法皇が寂光院を訪れる、『平家物語』に有
 名な「大原御幸」から半年後です。



  このカンファレンスは法然の名を世に知らしめる決定的なターニングボイントに
 なりました。カンファレンスに招かれた人物には、延暦寺の永弁や智海や証真、三
 論宗の僧で光明山寺にいた明遍、笠置上人といわれた法相宗の貞慶、東大寺の勧進
 職をつとめた重源、嵯峨往生院の念仏房、大原来迎院の蓮契ら、当代きってのトッ
 プ・データベーターたちが揃っています。いずれもがここはひとつ、巷間をにぎわ
 す法然の話を聞こうじやないかという面々です。三○○人近いオーディエンスも集
 まったようです。

  浄土宗では、このカンファレンスのことを『大原談義』ともいいます。歴史学で
 はあまりとりあげられることかありませんが、日本宗教史上きわめて注目すべきタ
 ーニングポイントでした。法然は五四歳になっていました。

                                      乱想の凡夫として

  いったい、「大原問答」では、とのような議論か交わされたのでしょうか。私の
 想像ではありますが、法然の主張は、およそ次のようなことにまとめられるのでは
 ないかと思います。

  仏教の法門は、自力の修行による悟りを重視する「聖道門」と、阿弥陀の本願を
 信じる他力の「浄土門」とに人別できると思います、また、教法にはじっくり悟る
 「漸教」と速やかに悟る「頓教]とがあることも、よく知られています。あなたが
 たの主張するように、仏教修行の立揚からすれば、聖道門や漸教がすばらしいこと
 は言うまでもないでしょう。しかしながら、私のような愚かな「乱想の凡夫」や民
 衆たちが、その理論、その修行、その勤行に耐えて悟りをひらくのには、とうてい
 無理があるのです。私が聖道門を選んだら、さっさと成仏することも適わぬことだ
 ろうと思います。

  私はあえて「浄土門」を選びます。そして阿弥陀仏を選び、ひたすら念仏を称え
 ることを大事にしたい。そこでこの場におられる聡明なあなたたちには、このよう
 な「乱想の凡夫]が報土に生まれうることに思いを致してほしいのです。その報土
 とは、阿弥陀がかつて法蔵比丘だったころに誓った本願にもとづいているのだから、
 そこはそのまま極楽浄土であるはずです。
  そして、この浄土に行くためには、「いま、たただいま」というこの身のすべて
 を弥陀に託し、凡夫たちは念仏に専心するしかないのです。阿弥陀仏はそれこそを
 本願として、この世にわれわれを導かれたのではありますまいか。弥陀の本願にこ
 の身を託すことの、どこが間違いだと思われますか。私は凡夫の立場にたって、あ
 えて他力にこの身を託すことを選択するのです、みなさん、ぜひともそのように考
 えていただきたい。

  おおよそこんなメッセージたったらうと思います。称名念仏による往生が凡夫に
 とっても可能である理由は、法蔵菩薩が悟りをひらくにあたって誓願した四八願の
 うちの第十八願にもとづいているからだ、という主張です。といってもこれだけで
 はわかりにくいでしょうから、少々説明をしておきます。



  数ある経典のなかで阿弥陀仏の誕生とその特色を綴っているのは「無量寿教」と
 いうテキストです、そのなかで、阿弥陀仏はもともとは法蔵という名前の国土であ
 ったと期されています。

  法蔵は国王の時代にブッダに出会って出家すると、一切の生きとし生けるものを
 仏にしたいという根本的な願いをたてまます。その願いはじつに四八種にのぼった
 ので、これを「四八願」というのですが、その願い(本願)の大きさもあって、法
 蔵はたいへんな修行や苦行をすることにより、それでもついにすべての願いを実現 
 します。おかけで法蔵はその後は「阿弥陀仏」という仏になって、いまも「西方極
 楽浄土」で説法と救済の日々をおくっていらっしやる……、、
  これが法蔵が阿弥陀仏になったというストーリーですか、この法蔵がたてた四十
 八の願いのなかに、じつは「阿弥陀仏はわが名を称える者ならどんな者でも浄土に
 迎えて必ずや仏とする」という趣旨の第十八願があったのです。法然が注目したの
 はここでした。

  仏教では、過去あるいは以前にたてられた願いのことを「誓願」といいます。な
 かでも仏が菩薩として修行中の身にあったときにたてた誓願は、「仏の誓願」とい
 う。法蔵はまだ阿弥陀仏になる前に誓願をたてたのだから、それは法蔵菩薩がやが
 て技自分が仏になったら誓いますというアジェンダです。その未来形のアジェンダ
 が四十八願あったわけです。
  では、「弥陀の本願」つまり「阿弥陀仏の本願」とは何かというと、法蔵菩薩が
 阿弥陀仏になれたときにはたすべき実行プランのことなのです。それが四十八にも
 及ぶのですが、そこには恐怖を取りのぞくこと、生まれてきた者の平等性、衣食の
 自由な入手、美醜にとらわれない価値観など、じつにいろいろなことが約束されて
 います。そして、そのなかの第十八願が「阿弥陀仏というわが名を祢える者」なら、
 その者たちは浄土に導かれるだろうという約束なのです。阿弥陀仏というわが名を
 はその約束をはたすことを本願としてもっているということなのです。
 
  実際の『無量寿経』にどう書いているのか、引用しておきます。ちなみに無量寿
 も阿弥陀仏も同じ意味で、アミターユースあるいはアミターバというサンスクリッ
 トを片写した漢訳名です。


   たとい、われ仏となるを得んとき、十方の衆生、至心に真楽して、わが国に
  生まれんと欲して、乃至十念せん。もし生まれずんば、政党を取らじ。ただ五
  逆と正法を誹謗するものを除かん。


  衆生は、わたし(=阿弥陀仏)の住む国(極楽浄土)と願って念仏を称えれば、
 必ず往生することができるだろう。もしそうでなければ私は悟りをひらかなかった、
 と言っているのです。専修念仏の根拠はここに求められます。
  これでだいたいのことが見えてくるくるだろうと思いますが、法然はどんな凡夫
 でも「弥陀の本願」にもとづけば、自力の聖道門に入らずとも、他力の浄土門に入
 れるはずだということを 「大原問答」で説いたのです。聞いていた者たちはそん
 なことは初めて聞くような大胆な内容ではあったろうものの、誠実きわまりない説
 得力に驚いたにちがいありません。
  このカンソァレンスをとりしきった顕真は、じつはのちに天台座主にまでなる人
 物なのですが、その顕真ですら法然の話に深く聞き入ってしまったといいます、

  法然はこうして、当時の知的エリートのトップたちに認められました。第一関門
 の突破てした。おそらくは法然が自身がをまごうかたなき『乱想の凡夫』と泣置づ
 けたうえで、当時の碩学や知識人にストレートにぷつかっていったことが功を奏し
 たのだと思います。、
  叡山時代から「智慧第一の法然坊」と呼ばれ、その生涯において「たった一日だ
 け聖教を見なかった」というほどに読書家だった法然が自分のことを「乱想の凡夫」
 と位置づけたのです,これは現代的な思想の見方からすると、痛哭の自己限定とい
 うところになるでしょうが、法然にあってはそこを「他力」に託して、自己限定を
 一般他者に拡けてみせたのです,
    
  法然は謙ったのではないのです。嫌みを発したわけでもありません。もちろん時
 の仏教権力に追い込まれてぽったわけでもありません。幾重にも条件づけられた浄
 土への扉を他力に閉放するための、念仏こそが浄土のバスボートになりうることを
 説くための凡夫の設定だったのです。
  法然という人は、さんざん自分流のエディティングを重ねたうえで称名念仏の光
 を見たわけですが、それを自分の功績にしたいなどとは微塵も思っていません。念
 仏こそが弥陀の本願、弥陀の選択であるように、たまさか自分も選ばれたにすぎな
 いと考えていたのです。法然にはそういう気負いのなさがありましたし、いわんや
 栄達を望むような人ではありませんでした。

  法然が一心にさぐっていたのは、自力行によって悟りをひらくことができない人
 々に、「凡夫」と「他力」と「浄土」をつなげる方法を提供することだったのです。
 それもそのそのことが、阿弥陀の慈悲による贈りものであるように感じてもらえる
 ようにしたい。そんなように思っていたのだろうと想像します。

  元来、浄土に往生を遂げるとか悟りをひらくといったことは、一般の市井に生き
 る人々にはなかなか適わぬことでした。すでに説明したように、仏教経典は弟子た
 ちがブッダの討葉を編集して成なしたものです。サンスクリットやバーリ語で書か
 れています。これをシルクロードを渡ってきた訳経僧たちは、中国僧とともに漢訳
 していったわけですが、そのうち雑然と訳出されてきた仏典を体糸づけて解釈する
 必要が生じました。そのようにバラバラに漢訳してきた経典を一貫した解釈によっ
 て再編成することを「教相判釈」といいます。いろいろの判釈があったのですが、
 とりわけ天台智が説いた「五時八教」という判釈が主流になると、その見方が日
 本に入ってきて、最澄以下の叡山の学僧たちによって受けとめられ、そこで修行か
 ら成仏までのプロセスが細かに組みに立てられたのです。
 
  法然は一人の「乱想の凡犬}として、それほどまでに休糸づけられた修行を続け
 ることはできないと主張します。大台の教えは正しいかもしれないが、その体糸に
 もとづいて往生するためには自らを律する修行をずっと続けることになる。それな
 らば、父の時国のように一瞬にして死んでいくような悲劇を前にして、人々が仏性
 を感じることなんてできないではないか。仏教には、もっと思想的な瞬間や想念と
 しての瞬間にまにあうような方法がなくてはならないのではないか。法然はそうい
 うことを訴えたのです。そこには、つねに父の死が大きく影響していたと思います。

  法然の強みとなったのは、仏教を代表するような論客を前にして、私には「乱想
 の凡夫」としての境界性しか語ることができないという立場にたったことだと思い
 ます。こうなると、誰も聞きながすことはできません。
  こうして、大原問答は法然の私声を大きく高めることになりました。このとき、
 日本仏教史はまったく新たな転換を見たのです。


                               この項つづく

 

  詩人・ 墨彩画家・翻訳家の加島祥造が他界した。享年九十二  

                                     合唱


  

混沌ゆえ鮮明に

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       タオは天と地のできる前からある。
               その状態は
               あらゆるものの混ざり合った混沌だ。
               そこには
               ほんとうの孤独と静寂に
               満ちていて、すべてが
               混ざり合い変化し続ける。
               あらゆるところに行き渡り
               すべてのものを産むのだから
               大自然の母といっても良いかも知れぬ。

               こんな混沌は名づけようもないから、
               私は仮に”道・タオ"と呼ぶんだが、もし
               この働きの特色はなにかと、訊かれれば
               「おおいなるもの」と応えよう。
               それは大きなものだから
               遠くまで行く。
               遠くまで行くから
               帰ってくる。

               このタオの偉大さを
               受けついだ天は偉大なのだ。
               その大地にいる人間だって
               タオにつながる時は偉大なんだよ。
               だってそのひとは
               大地に従っていきるからだ。
               大地は天に従っているし
               天は道(タオ)に従い
               道(タオはそれ自体。自らの動きであり、それこそ
               最も大いなる自然といえるんだ
                                  

                                                                       加島祥造 『タオ――老子』第25章

 

 【混沌の2016年】 

    

安定性を脅かす政治的、地政学的動向のユーラシアグループの年次リストが話題となっ
ている。それは昨年度のリスク・トップ10の予測の的中率があまりにも高かったから
だ。今年はどうか?予測のナンバーワンに「大西洋同盟(パートナーシップ)の空洞化」
を挙げている。世界有数の外交政策の専門家の一人によると、大西洋同盟の空洞化は、
2016年は世界が直面する最大のリスクであり、前例のない世界的な不安定性に直面
するとする。ここでいう「「大西洋同盟(パートナーシップ)」は、欧米(コア:英米)
で、パックスアメリカーナの衰退をコアとした欧州共同体の分裂連鎖を意味する。具体
的事例として、米国の中東政策――アフガニスタン、イラク、リビア、マリ、シリア、
イエメンでの失敗、英国の急速な中国の融和政策、中国経済成長の失速懸念などである。

1)大西洋同盟の空洞化:過去70年間で最も弱体化→ロシアのウクライナ介入、シリ
 アの紛争
2)欧州共同体の弱体化:格差拡大、難民、テロ、草の根民主主義の政治的圧力増大
3)中国の台頭:政治経済に与える影響が唯一ゆえもたらされる政治経済・環境問題な
 ど不確実性
4)イスラム国と同調者:フィリピンからナイジェリアの信者や同調者集めることがで
 きる世界で最も強力なテロ組織でそのターゲットは、スンニ派イスラム教徒(イラク、
 レバノン、ヨルダン、エジプト)、フランス、ロシア、トルコ、サウジアラビア、米
 国、イスラエル、全欧州諸国
5)サウジアラビア:今年王室内の不和と不安定な経済成長、イランとの国交断絶以降
 の二国間紛争の拡大懸念
6)技術者の台頭:技術世界――シリコンバレー企業からのハッカーグループとハイテ
 ク慈善家など多数かつ多様で非国家主体の前例のない政治要求の影響
7)予測不可能なリーダー:ロシアのプーチン大統領、トルコのレジェップ・タイップ・
 エルドアン、サウジアラビアの副皇太子モハメッドビンサルマン、ウクライナのペト
 ロ・ポロシェンコの指導者の予測不可能な影響
8)ブラジル:ジルマ・ルセフ大統領の政治手腕の脆弱性
9)未成熟な選挙:新興市場は、14年から15年に国政選挙の歴史的転換期に当たっ
 たが経済成長の停滞とともに民衆の不満が高まる
10)トルコ:タイップエルドアン大統領の権力集中にともなう経済不振とイスラム国と
 シリア(米国とロシアの代理戦争状態)への関与の不確実性

以上、「リスクトップ10」の概要だが、北朝鮮の水爆実験成功?などは当然入ってい
ないが、ロシア、中国リスクは評価不足のであろう。 

 

 ● アベノミクスの失敗と改憲

翻って、日本はどうだろうか?親ポスト・ケイジアン、リフレ派、創憲派のわたし(た
ち)からみれば、山田厚史 の『「分配」を言い始めた首相の焦りに透けるアベノミクス
の失敗』(ダイヤモンド・オンライン)で経産省内閣とも言われる安倍政権は、財界や
強い産業の要望に沿った政策を採用する。法人税減税、労働者の非正規化、TPP推進
、原発再稼働、円安の推進。経産省が推進する大企業寄りの政策がてんこ盛りだと指摘
した上で、日本を代表する企業が儲ければ、国民経済が豊かになる、という構図は前世
紀で終わった。競争と市場原理だけでは貧富の差が拡大するのは世界で実証済みだ。成
長がすべての人を底上げする経済ではない。一人当たりのGDPで日本は世界ランキン
グで後退するばかりだが、394万円(15年)は、決して低い額ではない。皆で分け
合えばその半額でも十分な暮らしができるとして、アベノミクスが失敗だと結んでいる
が異論なく、「デフレ脱却できず失敗」だ。問題は、同じ『山田厚史の「世界かわら版」
』の前回の「財務省完敗で消費再増税に暗雲、国債暴落危機が始まる」(2015.12.24)
で、「安倍政権・官邸、恐るべしの政治。これが政治か。軽減税率でここまで妥協する
とは。これで完全に憲法改正のプロセスは詰んだ。来夏の参議院選挙で参院33分の2を
達成すればいよいよ憲法改正。目標達成のための妥協。凄すぎる」と前橋元徹大阪市長
のツイッターを引用し改憲批判を述べ、「昨年末の総選挙で安倍政権は、公約した増税
を延期した。その直後、米国の格付け機関ムーディースは日本国債を「格下げ」した。
再延期となれば、国債信用は更に低下するだろう。その時、市場で何が起こるのか」と
結んでいる。「改憲」と「積極的平和主義」との関係はこのブログで記載しているがら、
ここでは割愛するとして、「消費税増税再延期疑念」と「国際下落」は連動するから反
対とする考え方に不同意であることもブログ掲載してきているからわたし(たち)の立
ち位置は明確で、反財務省派である。

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これに関しは同じ、ダイヤモンドオンラインで「高橋洋一の俗論を撃つ!」の『「お札
を刷って国の借金帳消し」ははたして可能か』(2015.12.17)で明確に、インフレ目標
論――2013年度末の国のB/Sで見ると、資産は総計6533兆円。そのうち、現
預金19兆円、有価証券129兆円、貸付金138兆円、出資66兆円、計352兆円
が比較的換金可能な金融資産である。そのほかに、有形固定資産178兆円、運用寄託
金105兆円、その他18兆円。負債は1143兆円。その内訳は、公債856兆円、
政府短期証券102兆円、借入金28兆円、これらがいわゆる国の借金で計976兆円。
運用寄託金の見合い負債である公的年金預り金112兆円、その他445兆円。先進国
と比較して、日本政府のB/Sの特徴を言えば、政府資産が巨額なことだ。政府資産額
としては世界一である。政府資産の中身についても、比較的換金可能な金融資産の割合
がきわめて大きいのが特徴的だ。アバウトに言えば、しばしば政府の借金1千兆円とさ
れるが、これはグロスの数字であり、ネットの純債務は500兆円である。しかも、こ
れは政府の単体B/Sの話であり、日銀との連結B/Sで考えれば、純債務はさらに減
少する。直近の日銀の営業毎旬報告(上表)を見ると、資産として国債326兆円、負
債として日銀券94兆円、当座預金239兆円となっている。ここもアバウトに国債3
00兆円日銀券300兆円と見れば、政府と日銀の連結B/Sでの純債務は200兆円
になる――と述べ、弊害の大きい1千兆円の政府紙幣の1枚の印刷で借金を解消するよ
りインフレ目標(2~3%)の着実な達成の方が現実的※だと述べている。

※ シニョレッジ(通貨発行益)とはそれはシニョレッジを大きくすればするほど、イ
  ンフレになるということ。だから、デフレの時にはシニョレッジを増やせるが、イ
  ンフレの時には限界がある。その限界を決めるのがインフレ目標である。インフレ
  目標の範囲になるように、お札を刷ってシニョレッジを稼げという論理。

それではどうするのか?その解答もこのブログで掲載済みだ(成長戦略『双頭の狗鷲』)。

 

【植物を丸ごと透明化し観察する技術】

昨年10月28日に公表された、名古屋大学の研究グループの植物を解剖せずに、丸ご
と透明化して観察できる試薬が紹介されていた。内部の観察の際には蛍光色素で染めた
後、特殊な顕微鏡で見るが、植物の場合、葉緑体の色素クロロフィルが邪魔をして、葉
の表面しか見えなかったのを、「ClearSee(クリアシー)」という試薬で、マ
ウスの脳細胞の脂質除去技術を応用し、アルコールや界面活性剤など24種類の化合物
を組み合わせた。植物をホルマリン固定した後、この試薬に4日間浸すと、クロロフィ
ルが除去できるという技術で、ClearSee技術は植物を蛍光観察するための基本
的な技術となり、細胞レベルの現象と個体全体をつなぐシステムの解明など、世界中で
植物科学研究が加速していくことが期待されるというから、「新弥生時代」さらに進化
発展していくのだろう。これは新年早々の「メリットトップ10」の話かもしれない。

   doi:10.1242/dev.127613

【抗癌最終戦観戦記 Ⅴ】

● がん細胞だけを狙い撃ち、放射線治療が最終治験

これはちょっと物騒な装置システムだが、国立がん研究センター中央病院と総合南東北
病院(福島県)、大阪医科大(大阪府)の3病院が今月から、がん細胞だけを狙い撃ち
する放射線治療「ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)」の実用化に向けた最終段階の臨
床試験(治験)を始めるという話題。悪性脳腫瘍を再発した患者を対象に、生存率など
から治療効果を検証し、早ければ5年後に入院費などの一部保険がきく先進医療の認定
を目指す。BNCTは、がん細胞に取り込まれやすいホウ素薬剤を患者に点滴し、体へ
の影響が少ない中性子線を照射する。ホウ素は、中性子線を吸収して核分裂した際に放
射線を出し、がん細胞を内部からたたく。放射線の射程は細胞1個分ほどで、周囲の正
常な細胞を傷つけにくいとされる。

妙な気持ちになるのは、たとえば、福島原発事故で脳腫瘍の罹患者をこの装置システム
を治療するというケースも考えられるわけだから、再生医療もそうだが、何となく気持
ちが悪いがまあここは前向きに考えよう。

※ 関連特許

特開2015-217207  中性子捕捉療法装置及び核変換装置 住友重機械工業株式会社
特開2013-208257  中性子捕捉療法用コリメータ及び中性子捕捉療法装置 住友重機械工
         業株式会社 他 
特開2004-233168  中性子捕捉療法に用いる中性子遮蔽板、およびヒト以外の哺乳動物
         に対して行なう中性子捕捉療法、ならびに治療用中性子照射装置 独
                 立行政法人 科学技術振興機構

 ● 




またたくまに一日が過ぎた。何かを求めてやっているのだが、何も生み出せずに、無駄
な一日を過ごしたようで、自分が哀れで、悲しく思うことがある。またたくまに一日が
過ぎようとしている。長くて短い命だ。軽くてやりきれない一日が過ぎる。鮎川も、吉
本も、加島も見事な詩を、作品を残したというのに。自分はというと相も変わらず、求
め、比べ疲れ、一日が過すぎる。   

 

 

 


進化するドローン

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    すべての欲望を
       捨て去ることなどできない。
       また、そこまでする必要もない。

       ただ、あまりにも
       不必要なものに囲まれていると、
        自分とは何者なのかが
       見えにくくなってくる。

                   加島 祥造

 

【日本最古の「ため池」のまち:再生エネで化石燃料ゼロへ】

大阪府の南部に位置する大阪狭山市は、再生可能エネルギーと水素を活用する新たなま
ちづくりプロジェクトを開始した。産学連携組織である「グリーン水素シティ事業推進
研究会」が主体となり、再生可能エネルギーで製造した二酸化炭素フリーな水素の供給
インフラを整備するなど、化石燃料を使用しない「グリーン水素シティ」の実現を目指
すという(スマートジャパン 2016.01.06)。下図がその計画骨子の概説である。

(1)水素発電と電力貯蔵事業、(2)再生可能エネルギー事業、(3)市内全域を対
象としたエネルギーマネージメントシステムの構築およびWi-Fi事業、(4)水素自動車・
水素バス事業、(5)公共公益施設の省エネルギー改修事業などの5つモデル事業を中
心に展開していく。この事業の後背に、約140カ所、市面積全体の約1割を占めるほど
多くのため池がある。中でも最大の「狭山池」は現存する日本最古のダム式ため池で、
16年で築造から1400周年を迎え、これを機に水素を活用した発電と電力供給事業
を手掛ける「メルシーfor SAYAMA」を同市の百%出資で設立、同社は恩恵を受けてきた
「水」をキーワードに、「水素」と「ため池」を結び付け、「活用(地産地消)」「利
益(財源)」「自立」を目的にグリーン水素シティの実現を目指す。

 

 

  

【燃料電池ドローンが登場、水素が飛行時間を数時間レベル】

● 進化するドローン

英国Intelligent Energy(インテリジェントエナジー)は、燃料電池の開発や研究を進めるエネル
ギー技術企業だ。燃料電池自動車(FCV)や民生機器向けや分散型電源システム用のなどの燃
料電池について研究開発を進めている。同社グループでは、25年以上にも及ぶ研究開発により、
燃料電池についての多くのノウハウや特許を持ち、千以上の特許と四百以上上の特許ファミリ
を保有。これらの燃料電池のノウハウを生かして開発したのが今回の米国ラスベガスで開催さ
れる民生機器の展示会「CES2016」に試作機を出典する。参考:燃料電池搭載ドローン(下図)。 

 

今回の同社の開発した燃料電池搭載ドローンでは、燃料電池をメインのモーターの駆動
用に使うのではなく、航続距離を伸ばす「レンジエクステンダー」(航続距離延長装)
置の役割で搭載。現在のドローンは市場が急成長する一方で、電池の問題で航続距離が
短かったり、電池の充電時間が長すぎたりして、利用範囲の制限を受けている状況。同
社が開発したドローンではバッテリーと軽量の燃料電池スタックを組み合わせることで

大幅に航続時間を伸ばし充電時間を短縮することに成功したとしている。現状では20
分程度の航続時間を、数時間程度に伸ばすことに成功した他、1~2時間かかっていた
充電時間をわずか2分に短縮することができたという。これらによりドローンの非稼働
時間を大幅に削減することが可能になる。

同社ではこの10年間、ボーイング社の研究部門であるBoeing Phantom Worksと共同で、
商業ベースでの燃料電池飛行機を使った有人飛行の実現に向けた研究開発を進めてきた。
また、エアバスと共同で燃料電池を補助動力装置についても研究開発を進めてきた。
14カ月前には、燃料電池とバッテリーのハイブリッドシステムでドローンを飛ばす試
験飛行も行っている。テストは2つのパターンで行っており、1つは燃料電池のみの動
力で飛ばす形、もう1つは燃料電池と通常バッテリーを組み合わせたものだ。またカメラに
ついても安定した映像で途切れなく撮影できる。

【関連特許】  US 9174843B2  Valve having concentric fluid paths

 

図1 液体反応物を受信し水素ガスを出力するための同心のバルブアセンブリを有する
   水素発生器を含む燃料電池システムの概略図
図2 図2に示す弁アセンブリを有する水素発生器の斜視図
図3 図2の水素発生器の断面図

【要約】

バルブアセンブリは、同心の流体経路を備え、水素発生器と水素ガスと液体反応物を輸
送する水素発生器で使用できる。バルブアセンブリは、ハウジングと、第2の流体路、
第1流体経路に配置された第1弁部材、および第2流体経路内に配置された第2弁部材
を含む。また、第2の細長い部材を含む第1の流体が第1流体経路を通って流すことが
できるように、第1弁部材を開くために、第1バルブ部材と係合構成(つなぎ合わせ)
した第1の細長い部材、第2流体ポート、コネクタを含む第2の流体経路を通って流れ
る。さらに、第2の流体経路は、少なくとも第1の流体経路の一部を同心で囲む。

※ 参考特許

・US9,231,351  Smart plugs, smart sockets and smart adaptors 
・US9,056,768  Hydrogen generator and fuel cartridge 
・US9,029,040  Fuel cell stack and compression system therefor 
・US9,051,183 Hydrogen generator having reactant pellet with concentration gradient 
・US9,051,183  Hydrogen generator having reactant pellet with concentration gradient 
・US9,111,124  Key verification of replaceable fuel cartridges 
・US9,142,849  Pump assembly for a fuel cell system 
・US9,162,201  Hydrogen generator having liquid delivery member 
・US9,174,843  Valve having concentric fluid paths 

 

    

 

【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く  

 

  ※ シリーズとして掲載(途中も含め)した「編章節」はピンク色にしている。

   非儒 - 『墨子』   

● 偽善者、孔子


孔子はまた、魯国の司寇(司法長官)となったとき、魯の宗室のことはかえりみず、権
臣の季孫にばがり奉仕した。季孫が、魯の君主の宰相であったとき、国外逃亡を企てた
ことがある。それが露見して関守と争ったときには、孔子は力まかせに関所の門柱を引
き抜いて、季孫を逃がしてやったりしている。

 孔子はまた、陣と蔡との国境で進退きわまり、十日間あかざの汁だけで、穀物は一粒も


口にできなかったことがある。そのとき子路(孔子の弟子)が豚の肉を煮てすすめたと
ころ、かれは、どうして手傷 に入れたかききもしないで食った。また、子路が追剥を
動き、その金で酒を買ってすすめると、どうして手に入れたかききもしないで、飲んで
しまった。それなのに、その後、哀公に迎えられたときには、席順がまちがっていると
いって坐らず、食事を出されると、料理の仕方がわるいといって食べなかった。

 子路が進み出て、
「陣、蔡のときは、こんなことはおっしゃらなかったではありませんか」
 とたずねると、孔子は、
「こちらへこい。説明してやろう。あれはあれ、これはこれだ。あのときはどんなこと
をしても生命さえ保てばよかった。だがいまはちがう。少しは義らしいものをみせなけ
ればいけない」とこたえている。
 食物がなければ、どうやって手に入れたものであろうがおかまいなしに食うくせに、
たらふく食えるときには、人目をごまかして自分を飾ろうというのだ。世の中にはずい
ぶん憩い奴がいるが、これほど陰険な奴はいない。
 また、孔子は、その門弟だちとくつろいでいたときに、
 「舜は、天子として軒叟(舜の父)に会うと、子の自分が父を臣下にしているため、
聖入らしくもなく気おくれし、不安の色が顔にまで現われたものだ。子が父を臣下とす
る有様だったから、天下は危機に瀕した。
 また、周公示は仁者ではない。自分勝手に家族を棄てて東国に寄寓したものが、どう
して仁者であろうか」と放言したものだ。

孔子の言行は、その心ざまの現われである。弟子たちはみな、孔子をみならった。子貢
と墨跡は乱作を助けて衛国で乱を起こしたし、陽貨は斉で乱を起こした。魯の仏肸は中
牟の地で謀叛し、漆雛は処刑の憂き目にあっている。これほど門下から乱賊が出た例も
珍しい。 弟子や後輩は、みな師の言葉を学び、その行ないを模範にして、せいいっぱ
い努力するものだ。孔子の言行が以上のようなものであるからには、その流れを汲む現
在の儒者なるものは、信用しないほうが賢明である。

 


〈関所の門柱を引き抜く〉原文は決植(狛を決す)。この部分は脱文が多く、定説はな
い。『呂氏春秋』慎大幅には、「孔子の勁き、よく国門の関を挙げしも、力をもって聞
ゆるを肯んぜざりき」とあり、また『淮南子』道応訓には、「孔子の勁き、国門の関を
杓く」とある。おそらく、季孫が逃げる時に、城門がしまってしまい、逃げ出せなかっ
たので、孔子が城門をこじあけてやったのであろう。事実だとすると、孔子はよほどの
力持であったらしい。

〈予言と季路〉季路が叛乱を起こしたのは、魯の哀公十丑年のことで、孔子の死ぬ一年
前である。当時、かれは衛の大夫孔佃の家臣であった。衛の霊公は、太子の副順が気に
食わず、国外に追放してしまった。霊公の死後、剔順は国に戻ってきて、孔憚をおびや
かし、王位をうばいとった。そのとき、季路は剔順に反抗したため、斬り殺され、死体
はしおからにされたという。子貢が当時、季路といっしょにいたかどうか確かではない。

 



        

 孔某人做了魯國的司寇、放棄公家利益而去侍奉季孫氏。季孫氏為魯君之相而逃亡。
 季孫和邑人爭門關、孔某把國門托起,放季孫逃走。孔某被困在陳蔡之間,用藜葉做
 的羹中不見米粒。第十天、子路蒸了一只小豬、孔某不問肉的來源就吃了。又剥下別
 人的衣服去沽酒、孔某也不問酒的來源就喝。后來魯哀公迎接孔子、席擺得不正他不
 坐、肉割得不正他不吃。子路進來請示曰。為何與陳蔡時的相反呢。孔某說。來我告
 訴你、當時我和你急于求生、現在和你急于求義。在饑餓困逼時就不惜妄取以求生、
 飽食有余時就用虛偽的行為來粉飾自己。污邪詐偽之行、還有比這大的嗎。

 孔某和他的弟子閑坐、曰。舜見了瞽叟、蹙躇不安。這時天下真危險呀。周公旦不是
 仁義之人吧、否則為何舍棄他的家室而寄居在外呢。孔某的所行、都出于他的心術。
 他的朋輩和弟子都效法孔某。子貢、季路輔佐孔悝在衛國作亂。陽貨在齊作亂。佛肸
 以中牟反叛;漆雕開刑殺。殘暴沒有比這更大的了。凡是弟子對于老師、必定學習他
 的言語、效法他的行為、直到力量不足、智力不及才作罷。現在孔某的行為如此,那
 么一般儒士就可以懷疑了。



《解説》孔子の国、魯に生まれた墨子は、はじめ儒家に学んだ。しかもこれに叛旗をひ
るがえし、思想的な一大敵国を形成するに至ったのは、かれが庶民の出身だったという
ことと無縁ではない。儒家の支特別である。”君子”とは、まったく立場が異なるばか
りでなく、体質的にも反撥するものがあったにちがいない。しかも孔子が没して後の儒
家の末流は、形式のとりことなり、「非儒編」のことばをかりていえば、”とむらい屋”
になり下っていた。

墨子にとって、王侯覇者の権力に奉仕している儒家の徒は、まさに唾棄すべき存在であ
った。……かれらは、他人に寄生して飲み食いし、他人の畑をあてにして威張りかえっ
ているのだ、と。「君子は作らず。述ぶるのみ」という儒家のエリート意識jインテリ
の思い上りを、墨子は鋭く衝く。「われおもえらく、古の善きものはすなわちこれを述
べ、いまの善きものはすなわちこれを作るべしと。善のますます多からんことを欲する
なり」(耕柱編)。

わたしたちは、この墨子のことばに、いわゆる。先王之道〃にとらわれぬ、柔軟な庶民
の思考をみる。実践を理論の優位において、日常不断の運動の中から明日の倫理を築い
ていこうとする行動入墨子の面目躍如たるものがある。もっとも、「非儒編」は、後代
の墨徒が私説(私憤?)を大いにまじえて書いたものともいわれ、儒者に対するいささ
か非論理的な悪口がならべたててあって、かんじんの墨子の思想は影がうすくなってい
る感なきにしもあらずである。

尚、次回は「親士――人材尊重」。

 

 

 

エコーズ・イン・レイン

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      問題を持ち込まないこと。スイッチ・オフできる習慣を身につける
              こと。私にとってそれは本を読むことなの。

                                                               エンヤ

                                                                                       

                                                        17 May 1961- 

 

 

 

   Wait for the sun
   Watching the sky
   Black as a crow
   Night passes by
   Taking the stars
   So far away
   Everything flows
   Here comes another new day
   Ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah

   
   Into the wind
   I throw the night
   Silver and gold
   Turn into light
   I'm on the road
   I know the way
   Everything flows
   Here comes another new day

   ※ Chorus
   Alleluia, alle-alle alleluia
   Alleluia, alleluia
   Alleluia, alle-alle alleluia
   Alleluia, alleluia
   Ah, ah, ah, ah, ah, ah, ah

                                             ”  Echoes in Rain "                                                                                                                                                        Music & Word 
                                                                         Enya( compser ), Roma Ryan ( lyricist )

彼女がエンヤの新曲が話題で聴きたいと、急に車の中で話す。どんな曲?と応えると、
わからないという。それじゃ買ったどう?と問うと、そこまでしなくてもいいよと応え
る。そなな会話の2日後の今夜、ネット検索して確認。レンタルで可能かを確認。なん
ども、「オリノコ・フロウ」「オンリー・タイム」などの大ヒット曲で知られる、アイ
ルランド出身・世界最高峰の歌姫エンヤが、全世界待望の新作『ダーク・スカイ・アイ
ランド』が昨年11月20日に全世界同時リリースを決定。06年『雪と氷の旋律』以
来、7年ぶり7枚枚目となるオリジナル・アルバムだという。ユーチューブなど検索し
明日、サンミュージックで手に入れることにする。

ところで、上の「エコーズ・イン・レイン」は、行進曲リズムのオスティナート(執拗
反復)とピッチカート(擦弦)楽器の弦を指ではじいて音を出す技法)で軽快な曲に仕上
がっている。ベースは嬰ヘ短調とし、E5とB2ノートの2オクターブのエンヤのヴォ
ーカルで、自宅での長い感情の旅路を歌う。 

  

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 6  松岡 正剛 著   

 【目次】  

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

     専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山から町へ/乱想の凡夫として

     法然のパサージュ
     兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザー/トプリテラシーとオラ
   リティ

     「選択」の波紋
      南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメージ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死  

  第一部 法然の選択思想をよむ 

 ● 法然のパサージュ

                         兼実の「仰せ」

  すでに名前だけはあげておきましたが、大原の勝林院に集った憎の一人に重源が
 いました。重源の名は、治承四年(1180)の南部焼き打ちによって焼失した東
 大寺の再建のための勧進職に就いたことでよく知られています。ところが事実は、
 当初、その依頼は法然にあったと伝えられていまり。しかし、比叡山から下りてま
 もない法然はこれを断り、代わりに重源が任じられたのです。
   重源はプロデューサーとしての資質にとても長けていた人で、人仏殿の再建を宋
 出身の建築家・陳和卿に任せたりしています。「天竺様」という新しい建築様式が
 日本にもたらされたのは、重源による功績でした。よた、勧進のために六台の一輔
 車を作って、都の中央から伸びる街道を走らせたのですが、なんと重源みずからも
 それに乗ってい南無阿弥陀仏」を祢えていたといいます。重源は全体の構想を見抜
 く力に長けつつも奇抜な発想もできるというような、日本には稀有なタイプの人で
 した。

  その重源が、まだ再建プロジェクトが進行中の東大寺に法然を招いて、浄土三部
 経の講話をさせました。このとき法然は「私は善導和尚の書かれた書物を通して、
 善導の意志を継ぐことを決めたのであって、私には相承血脈の法もなければ、面授
 によって口訣された証拠もないのだ」と訪ったということになっています。
  こういうことを南都仏教の大センターである収入寺でしゃべったのは、またまた
 そうとう大胆なことでした。これは、「書物がわが師だ」と言っているようなもの
 ですし、あなたがたは善導の『観経疏』にをちゃんと読んでないんですねという挑
 戦にもなっています。とくに自分の信仰には相承血脈がないと公言したのは、大胆
 ききわまりないもので、のちに南都の僧だちからこの点について逆襲を受けること
 になります。

 

  重源とともに、いやそれ以ヒにつ山ぃをドりた法然を詰るうえで欠かすことので
 きない人物は、日記『玉葉』の著者で知られる九条兼実です。兼実は関白藤原忠通
 の三男で、鎌倉開府以降も摂政や関白を務めた権力者でしたが、建七年(1196)
 に失脚してしまいます。ちなみに『愚管抄』の天台座主慈円は兼実の弟です。
  その失脚前の兼実が、文治五年(}一八九)に五七歳の法然を私邸に招きました。
 黒衣無位の念仏僧をトップクラスの貴族が私邸に招いたのですから、これはたいへ
 ん異例なことで、宮中でも画期的なことでした。おそらく大原問答の評判を聞いた
 のだと思われます。

  しかも兼実は、このあと法然から複数回にわたって授戒を受けているのです。加
 えて、兼実の娘さんで後鳥羽天皇中宮の任子も受戒しました。これによって法然は
 宮中に参内することになるのですが、周囲では法然のような身分の低い僧侶が宮中
 に入るのはゆゆしきことだと非難する向きもあったようです。けれども兼実は平気
 の平左のようで、『玉葉』にそのことを記して、「受戒は決して軽はずみなことでは
 ないし、身分の高い名僧だからといって近代の僧は戒律のことをまったくわかって
 いない」とのべています。たいしたものです。 

  そのうち法然との縁を深めた兼実は、ぜひとも専修念仏の教えを著作にまとめて
 ほしいと要請します。法然も最初はいささか渋ったようですが、結局は引き受けた。
 そこで撰述されたのが『選択本願念仏集』です。つまり、この本は自主的に書かれ
 たものではなく、九条兼実の「仰せ」がなければ目の目を見なかったのです。この
 ようなかたちでの執筆は、栄西・目蓮・道九・親鸞などがそれぞれ自信のある著作
 をのこしていった動機とは一線を両しています。
  それに法然は、この本を自分で書いたわけではなかったのです。『法然上人行状
 絵図』などによると、法然が話したものを弟子の安楽房遵西や真観房感西らが執筆
 したとされています。むろん法然自身の口述が何日にもわたって続いたと思われま
 すが、それなら自分で書けばよいものを、それをしなかったというのは、じつのと
 ころは文章が苦手だったようなのです。これについては、のちに法然を痛烈に批判
 した華厳密教僧の明恵も指摘しています。

  もちろん生前の法然が書きものを何ひとつのこさなかった、というわけではあり
 ません。法然が交わしたいくつかの手紙(当時はこれを『消自タとょんだ)もあり
 ますし、法然が入滅の二日前にしたためた有名な「一枚起請文」もある。けれども、本とい
 うかたちで法然が執筆したと確認できるようなものは、一点も残されていないので
 す。これはどういうことなのでしょうか。文章が苦手たったとも書がヘタだったと
 も考えられますが、私は別な才能に艮けていたと想像しています。

  第一には、きっと類いまれな読書フェティッシュだったのです。少年時代からあ
 まりに読書が好きなため、本の中にこそアクチュアリティを感じとれるようになっ
 たのだと思います。私はこういう人物を何人も知っています。第二には、話すこと
 の天才だったのではないか。おしゃべりだというのではなくて、話すうちに集中力
 が高まり、話せば話すほどに構想が浮かんでくるのです。むろん、こういう人物も
 けっこういます。
  しかし第三には、ここからが大事なことですが、本で読んだことと話していくこ
 ととが、独特に重なりあい、その組み合わせのなかから新たな「読み替え」が生ま
 れてくることを知っていたのだと思うのです。ということは第四に、そのことを文
 章で綴るのがまどろっこしくて、むしろ次々に組み替えられていく新たな構想を、
 自身で観照することに夢中になれるということなのです。これはきわめてヒューリ
 スティック(仮説形成力)な異能性が高かったということでしょう。

  ということだとすると、法然は大半のことがアクマの中で編集できただけではな
 く、いくつかのキーコンセプトやキーフレーズによって、信仰的情報を組み立てな
 おしていたということなのです。そのことは、永観の「往生拾因』に善導の『観経
 疏』についての一心専念を発見すると、そこから善導のテキストに入ってこれを読
 み替え、さらに弥陀の四八願のうちの第十八願との逢着をもって、一気に全体を組
 み立てなおすということに、如実に見えてくることでした。

  ひるがえって、『選択本願念仏集』では、法然は口述という方法をとって弟子た
 ちに聞き書きをさせたわけですが、そこには、以上のような法然の思想編集力が躍
 如したのであって、よくよく『選択本順念仏集』を私たちが読めば、その思考の組
 み立ての跡が見えてくるはずなのです。少なくとも私には、そうした編集の飛躍と
 交合が、そこかしこにあらわれているように感じます。このことについては、また 
 あとで論じます。
  
  いずれにせよ、法然は兼実の願いを聞き入れました。それでも法然は『選択本願
 念仏集』の末尾部分で、「このたび思いがけず仰せをいただいたが、お断りするこ
 ともできず、未熟な私ではあるが念仏を説いた肝要な文を集め、それに解説を加え、
 念仏の大切さを説き明かした。思えば恥知らずもはなはだしい」とちょっと謙遜し
 ています。ここからも推測できるように、この撰述は法然と一門とによる乾坤一擲
 の共同編集となりました。法然、六六歳のときのことでした。

                        「選択」とは何か

  さて、あらためて強調しておきますが、『選択本願念仏集』は日本有数の編集的
 仏教諭とでもいうべき書物です。法然が恩着せがましく教義を説くというよりも、
 その「選択」と「編集」が、読む者を導いて「専修念仏」を照らし出すような構成
 をとっています。そのみごとな手法を見るために、そもそも『選択本願念仏集』に
 は何か書かれているのか、まずはその中身をざっと確認したいと思います。
  法然は、まず最初に中国の道棹が書いた『安楽集』にもとづいて、仏教を「聖道
 門」と「浄土門」とに分けています。そして、聖道門とは深遠難解な哲理による自
 力修行をもって悟りをめざすものですから、末法の世に往生することを重視するの
 ならば、浄土門に帰入すべきであると主張します。法然の議論の出発点がここにあ
 ったことは、すでに大原問答のところでのべたとおりです。

  道棹は七世紀初頭に曇鸞にインスパイアされて中国浄上教の門に入った傑僧で、
 『観無量寿経』を二〇〇回講じ、一日に七万遍の念仏を称えたといわれます。小豆
 で数をかぞえる「小豆念仏」も思いついた。ちなみに中国の浄土教は五世紀の慧遠
 が白蓮社という念仏結社をつくったことから本格化して、曇鸞、道棹、善導、慧目
 というふうに発展継承されました。
  ついで、善導が著した『観経疏』には大いに注目すべきだということを何度も強
 調します。このあたりから、だんだん引用も多くなってくる。そして、往生するた
 めに必要な行を「正行」と「雑行」とに分類し、称名念仏の重要性をあきらかにし
 ていきます。善導を引きながら「専ら往生経に依って行を行ずる者」を正行、「已
 外の自余の諸善」を雑行と位置づけるのですが、正行のなかでも、とりわけ弥陀の
 名号を称える念仏こそが「正定業」であるとします。この行に徹することで往生が
 約束されるのは、「かの仏の願に順ずるが故」である、つまり阿弥陀の本願なのだ
 という根拠でした。

  さらに続けます。称名念仏による往生は、阿弥陀仏のいらっしやる極楽浄土に往
 生したいという気持ちのもち方によっていて、それは「至誠心」「深心」「廻向発
 願心」の三心であらわすことができるのだから、念仏行に徹するものは、その心を
 もったうえでぃ恭敬修」「無余修」「無間修」「長時修」といった四修の法に臨む
 べきであると解説します。そしてクライマックスでは、阿弥陀仏がどのような存在
 であるかを存分に論じて、ついに「敬善」の可能性を説いていくのです。
  ざっといえば『選択本願念仏集』の流れはこのようになっているのですが、その
 流れはフラットではなく、法然は八万四千の法門からスタートして、往生の方法を
 荒縄をなうように専修念仏へと収斂させていくのです。まことにもってみごとな選
 択、卓抜な編集だと思います。

  ではここで、『選択本願念仏集』に、いったいなぜ「選択」という言葉が冠せら
 れているかという核心的な問題を考えてみようと思います。それは法然が気がつい
 た「選択の相互作用」とはどういうものだったのか、ということです。そもそも専
 修念仏が法然による革新的な選択だったのですが、その思想的根拠は「念仏こそが
 阿弥陀仏の選択本願である」というものでした。ここでははやくも「選択」が二重
 化あるいは三重化しているのです。

  まず法蔵が四八頭をたて、その第十八順において阿弥陀仏がその名を称える者を
 選択しています。ついでこの「弥陀の本願」を善導が『観無量寿経』の解釈で選択
 しなおし、そこにフォーカスされた散善義としての念仏を、さらに法然がもともと
 の「弥陀の本願」への照射をもって選択しているのです。これでもけっこうシンプ
 ルに説明したのですが、じつはこれらのプロセスのなかだけでも「選択」は相互に
 動きあっています。なかなかややこしい。ややこしいのではありますが、そこに法
 然の真骨頂があるので、そこに分け入りたいと思います。

  が、その前に法然のいう「選択」はどういう意昧なのか、それはどのような行為
 ととらえればいいのか、そこを知ってもらいます。『無量寿経釈』にはこうありま
 す。「選択とは、すなわちこれ取捨の義なり。いわく210億の諸仏の中において、
 人天の悪を捨て人天の善を取り、国土の醜を捨て国土の好を取るなり」。きわめて
 単純明快に定義づけられています。これを『選択本願念仏集』では次のように説明
 します。

   選択とは、すなわちこれ取捨の義なり。
   いわく210億の諸仏の中において、人大の悪を捨て人大の善を取り、国土の
  醜を捨て国土の好を取るなり。大阿弥陀経の選択の義かくのごとし。双巻経の意、
  また選択の義あり。いわく210億の諸仏の妙土の清浄の行を摂取す。と云うこ
  れなり。選択と摂取と、その言異なりといえども、その意これ同じ。しかれば不
  清浄の行を捨てて清浄の行を取るなり。
                          (『選択本願念仏集』)

  法然は『大阿弥陀経』や『双巻経』を引きあいに出しながら、みかけの言葉こそ
 ちがって見えるけれど「選択」と「摂取」は同じ意味だと説明しています。これが
 とりあえずの「選択」の意味です。ちなみに『大阿弥陀経』とは『無量寿経』の編
 集異訳のことで、『双巻経』はその大衆バージョンの『無量寿経』であると考えて
 ください。
  法然が引用したいずれの文献でも、ほとんど同じ定義がされています。ありてい
 にいえば、っ選択」とは「善」や「好」といった必要なものを選び取って、「悪」や
「醜」といった不要なものを捨てることです。
  しかしそんな程度のことが「選択」なら、あまりたいした意味ではないように思
 われます。私たちが常日ごろおこなっている「選択」と何ひとつ変わらない。そう
 計しがりたくなります。膨大な情報に取り囲まれている現代人にとって、何かを選
 び取って、それと並立する何かを捨てるなどという選択は、日常茶飯です。パソコ
 ンやケータイではそんな選択ばかりしています。

  では、ほんとうにそうなのか。われわれはつねに適切な選択をしてきているので
 しょうか。レストランで食事のメニューを選び、高校や大学や会社を選び、選挙で
 は候補者を選んでいるけれど、それはどの程度の選択なのでしょうか。われわれは
 そのつど何かを選び取っているようでいて、ひょっとすると根源的でクリティカル
 な「選択」をしていないのかもしれないのです。

  いや、選択していないことのほうがずっと多いともいうべきです。コンビニやス
 ーパーの商品、書店に温れる書籍たち、ケータイで消したり点けたりしている情報、
 数秒間に数百万も流れるツイッター情報……。われわれはこれらを総じて点検した
 ことなど、一度もないのです。のみならず沖縄の基地や原発設置を選択したわけで
 もないのです。そうだとすると、ほとんどの情報はすえおきのものであり、多くの
 社会用品はデッドストックなのかもしれません。

  では、このようなことを、いったいどのように考えればいいのでしょうか。法然
 はどうしたかというと、目の前で父を殺されたのを目撃して以来、生と死のあいだ
 にある出来事をどのように考えればいいかということを、仏教の教義のなかで選択
 したかったのでした。

  けれどもそれに向かってみると、生と死のあいだの出来事を徹底して考究したは
 ずの経典や解釈書はあまりに膨大であり、しかも読んでいくうちに法然にひらめい
 た直観や思索が、経文や解釈文のなかで変形させられてしまいます。もっとも大事
 なところをつかまえて、その支点や視軸によって全体を読もうとしても、いつも何
 かが歪んだり、逃げていってしまうのです。しかしながら法然は、そうした読書を
 通してなんとか自分の思考が結着していく編集方法を模索します。そして、それに
 は「選択すること」と「選択されること」の相互関係を発見することこそが必要だ
 ということに気がつくのです。

  これは選択作用を雲散霧消させないための「鍵と鍵穴」を思いだす作業に似てい
 ました。こうしてあるとき、聖道門ではなくて浄土門の鍵や、定善ではなくて散善
 の鍵が、阿弥陀の第Tハ願という鍵穴によって、ぴたりと選択的相互作用の関係を
 維持してくれるだろうことを発見したのです。

  法然の「選択」とは、さまざまな価値観をスクリーニングしながらエッセンシャ
 ルにしていく過程であり、ひとつひとつがよりクリティカルになっていく方法のこ
 となのです。こうして法然は何度も「選択的相互性」を重ねていくことで、また引
 き算をしていくことで専修念仏に絞っていったのでした。それをあえて横文字で説
 明するとすれば、コンデンセーションやダイジェストやコンプレッションであり、
 またペネトレーションやパティキュラリゼーションだということになるかもしれま
 せん。法然にはきっと「情報」の足し算と「本質」の引き算が同時にできる才能が
  あったのだと思います。

                                                            この項つづき

 【ジャジーな風に吹かれてⅦ:カウント・ベイシー 】

 

 

『ベイシー・イン・ロンドン』は、後者の最高傑作の一枚。ベイシーのピアノが最小
の音符を使ってバンドをフル・スイングさせ、名だたるメンバーが次々に快調にソロ
展開。ジョー・ウィリアムスのダイナミックなボーカルを交えて饗宴はクライマック
スヘ。そこから「 Corner Pocket 」を今夜の一曲に選ぶ。

 

 

 

有人ドローン出現

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    もし犬がしゃべることができれば、おそらくわれわれ人間は、人
         間同士つき合いにくいのと同じくらい、犬ともつき合いにくくな
             るであろう。

                                       チェコスアヴァキアの劇作家
                         カレル・チャペック  
 

       lf dogs could talk, pcrhaps wc'd find it just as hard to get 
         along with them l as we do with People.
  
                                     Karel Čapek

                          ※ 仮定法過去は現在の事実の反対の仮定である。just as hard
                             as ・・・ 「・・・とちょうどおなじぐらいむずかしい」。
           get along with・・・「・・・とつき合う」

                                                                                        

 

 

ーカルで、自宅での長い感情の旅路を歌う。 

  

 ● 折々の読書 『法然の編集力』 7 松岡 正剛 著   

 【目次】  

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

     専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法ノ専修念仏の確
   信/山から町へ/乱想の凡夫として

     法然のパサージュ
     兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザー/トプリテラシーとオラ
   リティ

     「選択」の波紋
      南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地ノ突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山∠宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメージ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死  

  第一部 法然の選択思想をよむ 

  ● 法然のブラウザー

  法然が『選択本願念仏集』のなかでおこなっているのは、一方を選び、他方を捨
 てるという「選択」ではありません。すでにのべたように、さまざまな価値を導き
 出すための仏教的な方法を少しずつ多重に選び取りながら重ね合わせてこれを絞り、
 その絞った視点をもって他の価値観を読み替え、そこに思い切った断章取義を加え
 ながらぐいぐいと前に進んでいくという「選択」なのです。

  それにしても多重に取捨選択するとはどういうことなのか。すこし話が逸れるよ
 うですが、パソコンの話を例に出してみます。
  今日のウェブ社会の隆盛は、一九七〇年代にパロアルトの研究所に所属したアラ
 ン・ケイが、マルチウィンドウの概念を具現化したパソコンを提唱したことに端を
 発しています。九〇年代にはWWWの技術が登場し、私たちはインターネット上の
 ウェブサイトを自在に閲覧できるようになりました。その際、私たちが用いるのは
 ウェブブラウザーです。古くはモザイクやネットスケープといったブラウザーを使
 って、眼前に次々と現れるウィンドウをどんどん消化していくのです。

  法然には、このマルチウィンドウ型の情報処理能力やウェブブラウザーに似た情
 報選択能力が、生きた状態ではたらいていたのではないかと思います。法然は一冊
 ずつの経典や解釈書を読んだのではなく、マルチウィンドウ的に読んだのです。ま
 た、みずからがブラウザーのようになって、数多の経典や注釈書を通過しながら情
 報スクリーニングして、そのブラウザー動向のヒストリーをレジストレーションで
 きたのです。

  パソコンでは、気になる情報にタグをつけて、これらを複合的にリンキング(リ
 ンクを張ること)することが可能です。場合によってはそのリンキングの順番を明
 示することもできるようになっている。法然にもそのようなタグ・リンキングの手
 法があったように思います。けれども、やたらにタグをつけたり、リンクを張った
 りはしなかった。もっとも重要なタグやリンクの線は、必ず束ねられて弥陀の第十
 八 願と共鳴しあえるようにしたはずです。

  一方、法然はこれらの動作をすべて信仰に結びつけるために、法然独自のカーソ
 ルをことごとくぷ心仏カーソル〃にしていったのです。いわば法然はこういうパソ
 コン的な多重選択術を開発できたのではないかと思うのです。私はそれを、あえて
 法然のブラウザーと呼びたいときがあります。

  ともかくも法然の選択は、「多重微妙選択」という言葉であらわすことができる
 ように思います。『選択本願念仏集』は、その構成の全体がいわば多重選択的な分
 岐構造になっていて、法然のブラウザーは、相互にたいへん酷似し、近接しあうも
 ののなかからスラロームするがごとく選択をすすめていくのです。あるいは、次々
 にあらわれる夥しい隣接情報や界面情報のあいだを高速で擦り抜けていくようにも
 なっているのです。ですからたいへん多くの情報を通過していきながらも、何かを
 デリートすることはないみです。それでいて革新的な部分の縮約が確実にすすんで
 いくのです。

  それでは、そういったコンピュータっぽいメタファーを借りながら、あらためて
 『選択本願念仏集』に使われている言葉を眺めてみたいと思います。今度は文中の
 用語に注意してみます。
  冒頭では、聖道門と浄土門とを比較して後者を「選択」していますが、法然は聖
 道門をまるきり否定するようなことはしていません。往生を重視するならば浄土門
 を選ぶといいと言っているのであって、県道門については「閣いて」という言葉を
 つかっています。法然のブラウザーは、あきらかに県道門を通過しているのですが、
 それは「閣」という情報処理の扱いを受けるのです。

  それは、正行と雑行の対比でも同じです。ここではブラウザーは正行を「選択」
 していますが、やはり雑行を排除することはせずに、投げ捨てるようにするのです。
 はなから手にもたないのではなく、いったんは手に取ったうえで選ぶことを避ける。
 ですから、ここでつかわれているのは「巣」という漢字です。

  さらに「正行」には、読誦・観察・礼拝・供養といったさまざまな方法があるの
 ですが、それらはあくまで「助業」として「傍ら」におき、とりわけ称名念仏を「
 正定業」としなさいと続けます。この「傍らにおくにというのがすこぶる法然らし
 いところです。正視はしないが脇目では見るというところです。法然のパサージュ
 とでもいうべきで、まことにユニークです。

  このように、法然のブラウザーを動かして文章を読んでいくと、ここに綴られる
 浄土に往生するプロセスそのものが、多重微妙選択状態になっていることが如実に
 なってくるのです。数ある教義を次々に擦り抜けて、つまりは大半のインタラクテ
 ィブなインターフェースを通過して、そのうえでそれらすべてを共鳴させうる称名
 念仏を選択するという方法です。これはやはりパサージュです。

  ですから『選択本願念仏集』には批判や否定の言葉がほとんど出てきません。と
 いうよりも、法然にとって捨てるものなどないのです。デリートがないのです。そ
 れなのに法然のブラウザーは界面を次々に擦り抜けていき、そのたびに「選択」が
 進んでいくという構造になっている。弁証法もなければ、否定の神学もない。とこ
 ろが気がつくと、専修念仏と阿弥陀仏だけがすべてを擬き、共振させ、共含有させ
 ていたということになっていくのです。

  法然はざっと八万四千の法門からこのような選択をしたといわれていますが、こ
 の数はウェブサイトの質量としてもちょっとしたものです。法然はコンビニやスー
 パーの商品を無視したのではないのです。そこに「生と死のあいだの出来事」のた
 めの選択を惜しみなく作動させていったのでした。

  かつて『選択本願念仏集』を読んでいたとき、私はとても懐かしいものが思い出
 されるような気がしたものでした。それは少年のころにとりくんだ鉱石ラジオや無
 線でした。チューニングがとても難しく、周辺の周波数に乗っていた情報をちょっ
 とずつとりこんでいくのが不思議だったのです。私が法然のブラウザーに感じるの
 は、この感覚にも近いのです。
  こういった感覚は、同じ鎌倉新仏教でも栄西・日蓮・道元・親鸞ではめったに味
 わえません。文章としての味や思想書としての深みは道元に及ぶものはなく、過激
 なラディカリズムでは日蓮が圧倒し、その含意の奥行きからすれば親鸞こそが上と
 いうべきなのですが、けれども、法然にはそれらすべての端緒を決定するための、
 全プロセスを踏査した相互参照性のようなものが高速度に動いているのです。ただ
 一人、法然だけが見せてくれる驚くべき編集力であり、驚くべきテキストです。

   ● リテラシーとオラリティ

   もうひとつ、私が注目しておきたいのは、『選択本願念仏集』が口述によって
  成立しているということです。
  すでに紹介しておいたように、法然が『選択本順念仏集』を自筆で書かなかった
 のは、文章が苦手だったからだとか、文字があまり上手くなかったからだといわれ
 ます。なるほど法然がのこした消息(手紙)などを見ると、たしかに達箪ではあり
 ません。しかし、とても昧わいのある字をしたためている。『選択本願念仏集』だ
 って書こうと思えば書けたはずです。にもかかわらず、あえて口述という方法を選
 択したのは、法然が’オラリティの可能性に賭けていたからです。

  私たちの言語文化は、もともと話し言葉のオラリティと書き言葉のリテラシーに
 よって成り立っています。前者は口語、後者は文語ともいわれます。しかし、その
 中間の領域もあるのです。オラル・リテラシーあるいはリテラル・オラリティとい
 うものです。
  法然は、自分か筆をもって文章を書くというリテラシーを省くことで『選択本願
 念仏集』を成立させました。しかし、読めばすぐわかるように、それは目語で書か
 れているのではありません。ちゃんとした文語的文体をもっている。とすると、法
 然は口述時にはオラル・リテラシーやリテラル・オラリティのあいだをすばやく往
 復していたということです。

  なぜ、このような方法をとったのか。おそらくはオラリティを先行させるという
 ことが、念仏を称えるということと方法的に一致することに気がついたためだと思
 います。というわけで、この本は法然によって書かれたものではなく、話されたも
 のですから、後世に『選択本願念仏集』を手にした人たちは、眼前のテキストから
 法然の声が聞こえてくるかのように感じることになりました。これもまた、専修念
 仏を発見した人物がよくよく考えて行き着いた方法なのだと思います。

  とはいえ、『選択本願念仏集』には、法然みずからが箪をとった箇所もありまし
 た。劈頭に掲げられている、次の部分です。

   選択本願念仏集

     南無阿弥陀仏   往生の業には念仏を先とする

  引用は書き下し文ですから、原文にしてたったの一二字です。ここだけが親筆で
 記されているのはなぜなのかということは、研究者たちによっていろいろ取り沙汰
 されてきたことです。
  しかし私の見方ははっきりしています。それは、法然の専修念仏にとってほんと
 うに必要だったのがこのフレーズだけだったからなのです。いうなれば、法然の編
 集力が善導以下をここまで縮約させたのです。それぞれ題号・六字名号・宗義をあ
 らわしています。ですから、これらがもっとも重要なタイトルやサブタイトルであ
 るということになります。しかし私としては、ちょっと変わった読み方をしたくな
 ります。

  先頭の「選択本願念仏集」は、もちろん書名です。タイトル(表題)です。しか
 しこれは、この本の統合的な文意構造そのものであって、同時に法然の信仰方程式
 でもあるのです。念仏は阿弥陀が選択なさった本願であるということが、そのまま
 あらわれているのです。
  その次の「南無阿弥陀仏」も、たんなる六字名号ではありません。これは著者名
 です。「自分も阿弥陀仏によって選択されたにすぎない」という思いがあった法然
 にとって、この本を口述させたのは六字名号である阿弥陀仏そのものだったという
 思いがあったはずです。

  そして「往生の業には念仏を先とす」とは、書籍のオビについたキャッチコピー
 のようですが、これはそれ以‐にのテーゼであり、発仏教思想史のコンデンスなの
 です。ブッダから法然がこれを撰述した1198年までの全思想を八文字に集結さ
 せたものなのです。「篇目を見て大意をとるなり」という読書法をした法然は、こ
 の八字にすべてを集約させる意図があったはずでした。
  言い忘れましたが、『選択本願念仏集』はとても薄い撰述書です。岩波文原版の
 本文はたったの190ページほど、しかも下段に脚註があるので三分の二ほどの文
 字組にすぎません。大部の仏教書が多いなかで、ほんとうに小さな一冊です。『枕
 草子』『花伝書』に近い薄さです。

  そんな薄い一冊であるのに、法然は不要なものを切り捨てるような「選択」をお
 こないませんでした。もちろん、たんなるセグメンテーションをしたわけでもあり
 ません。法然の立体的なブラウザーは、「多重微妙選択」という方法をもって、八
 万四千もの法門を駆け抜け、最後には称名念仏ひとつに集約させ、それをもって
 すべてを震わせたのでした。『選択本願念仏集』は、「法然の編集力」が遺憾なく
 発揮されたテキストだったのです。

 

    

 

 【中国の思想: 墨子Ⅴ】
 
  公輸――墨子と戦争技術者※
  尚賢――人の能力を正当に評価せよ
 兼愛――ひとを差別するな※
  非攻――非戦論※
 節葬――葬儀を簡略にせよ
 非楽――音楽の害悪
 非命――宿命論に反対する
 非儒――儒家批判
 親士――人材尊重
 所染――何に染まるか
 七患――君子の誤り七つ
 耕柱――弟子たちとの対話
 貴義――義を貴しとなす
 公孟――儒者との対話
 魯問――迷妄を解く  

 

   親士 - 『墨子』   

● 親士 ――人材尊重――

  強弓はひきしぼることがむずかしい。しかし強弓であってこそ矢が高い所にとど
 く。駿馬はのりこなすことがむずかしい。しかし、駿馬であってこそ、重荷に耐え
 て遠くまで駆けるのだ。

 「国に入りてその士を存せざるは、すなわち亡国なり。賢を見て急にせざるは、す
 なわち緩君なり」
 「偪臣は君を傷い、諮下は上を傷う。君必ず弗弗の臣あり、上必ず諸諸の下あり」
 「国宝を帰くるは、賢を献じて士を進ひるにしかず」
 「良弓は張り難し。然れどももって高きに及び、深きに入るべし。良馬は乗り難し。
 然れどももって重きを任せ遠きに致すべし」


● 失敗を成功に変えるカギ

  むかし晋の文公は、難を逃れて他国に亡命したが、のちに諸侯の盟主となった。
 斉の桓公も一度は母国を棄てたが、のちに諸侯に覇を称えた。越王勾践も呉王には
 ずかしめを受けたが、のちに中原諸国の賢君たちをおそれさせる存在となった。こ
 の三人の君主はいずれも自分の国で屈辱をこうむったが、のちに天下に功名をとど
 ろかした。
 
  むろんいちばんすぐれているのは、失敗のない人であるが、それに次ぐのは、失
 敗があってもその失敗を成功に変える人である。かれらが、失敗を成功に変えるこ
 とができたのは、人材をうまく用いたからである。

 〈晋の文公〉紀元前ハ世紀の人、春秋時代の覇者。名は重耳。晋の献公の子で、献
 公の愛妾朧姫の讒言にあい、暗殺者の手を逃れて独に出奔した。十七歳のとき、す
 でに趙衰・狐催・貿佗・先斡・魏武子ら五人の賢人を集めていたといわれる。
 〈斉の桓公〉 紀元前七世紀の人。春秋五和の筆頭である。兄の襄公が魯の桓公を
 殺し、その夫人(実の妹)と密通しだのをはじめ、むやみに人を殺し、女色に淫し
 たので、禍いをこうむることを恐れ、菖に出奔した。のちに管仲とならんで名宰相
 とうたわれた鯨飲牙が、亡命中桓公の補佐に当り、春秋五覇の筆頭にのしあがる下
 地をつくった。
 〈越王勾践〉 呉王夫差と会枯山で戦って敗れた越王勾践は、妻子を殺し、宝器を
 焼き、敵中に突入して果てようとしたが、臣下の伯恙と文和に止められて思い返し
 呉王に屈辱的な講和を申し入れて、ようやく許された。その後、国に帰った越王が、
 「会枯の恥を忘れたか」といって「臥薪嘗胆」した話は有名である。

  入国商不存其士則亡国矣。見賢面不急則緩君矣。非費無急、非士無与盧国。緩
  賢忘士、而能以其国存者、未曽有也。昔者文公出而走商正天下、桓公去国而覇
  諸侯、越王勾践遇呉王之醜、而上懾中国之賢君。三千之能達名成功於天下也、
  皆於其国、抑而人醜也。太上無敗、其次肺而有以成、此之謂用民。

 

  

【ジャジーな風に吹かれて Ⅷ: ロードスターで恋に落ちたら】

Jazz Vocal Version

 

 

午後3時になると、ひどいもので、横文字を縦に変換する作業の疲労がピークになり
オーバーヒート。休憩していると、明日は父親の年命日だと彼女が言うので平成10
年だったからえぇ~っつと、今年が28年だから18年か?時がたつものはやいもの
で、あれ間違いかな?とごたごた言っていると、蝋梅を観にでかけたいというので、
沙沙貴神社に行きたいと、昨年(2月4日;下写真)と同じ場所なので、石山寺にし
てみてはと逆提案。長い時間になるからいいよと部屋越しの返事に、エンヤの『ダー
ク・スカイ・アイランド』を聴ききながら、”あの素晴らしい愛をもう一度”を体験
しようと応じると、キモイという答えが返ってきた。それなら、初志貫徹で「恋に落
ちる」ことに。




● 有人ドローン出現

12インチのタッチスクリーンタブレットディスプレイで目的地を選択し「離陸」ボ
タンを押すだけで、ドローンの自動飛行システム非行開始する。メガフロートと上陸
目的地を結ぶシャトルドローンの構想はすでブログ掲載済みだが(『縄すてまじ』)、
中国のEhang社が世界家電展 CES で公開。 ただし一人乗り。安全性設計には自信があると
のことだが、安全性はさておき、中国人の対応は早い。これは素直に感心する。

   January 6, 2016

 

 

 

 

石山寺と瀬田川

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    寺は壺坂。笠置。法輪。霊山は、釈迦仏の御すみかなるが
                 あはれなるなり。石山。粉河。志賀

                                 清少納言  『枕草子』  

                                                                                    966-1025

 

 

    めぐりあいて 見しやそれとも わかぬまに雲がくれにし夜半の月かげ  

           さして行く 山の端もみな かき曇り 心の空に 消えし月影
 
           曇りなく 千歳にすめる 水の面(おも)に 宿れる月の 影ものどけし 

           西へ行く 月のたよりに たまづさの かきたえめやは 雲のかよひぢ       

                                                                                      紫式部 

 


 

予定通り蝋梅鑑賞。好天気で風もなく透き通って琵琶湖の対岸がみえる。「つれづれも
なぐさめむとて、二人で石山に詣でて」と和泉式部日記をもじって石山寺へ。折しも大
津は市長選挙戦が始まっている。東門前の瀬田川ではボートの練習が盛んに行われてい
る。

因みに石山寺は、滋賀県大津市にある東寺真言宗の寺。本尊は如意輪観音、開基は良辨。
当寺は京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三
十三所観音霊場第13番札所。また当寺は『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの
文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得た
とする伝承がある。「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られている。

また、紅葉の名所としても知られ、秋にはライトアップが行われ、15年に日本夜景遺
産に認定される。石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田
川の右岸にあり、本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩
盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選にも
選定)。

『石山寺縁起絵巻』には、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良辨が聖
徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのがはじまりで、聖武天皇は東大
寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金を施すために大量の黄金が必要で良弁に命じ、
黄金が得られるよう、吉野の金峰山に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と
信じられていた。

良辨の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、「金峯山の黄金は、弥勒菩薩がこの
世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである。近江国志賀郡の湖水の南に
観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」とのお告げにしたがい
石山の地を訪れた良辨は、比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太
子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建て程なく、陸奥国から黄金が産
出され、元号を天平勝宝と改める。如意輪観音像がどうしたことか岩山から離れなくな
って、やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創である。

 

● 蝋梅、少なっ ?! それでも見頃 

東門をくぐり入園参拝すると、梅苑は三つほどある。ところで、月見亭の下にあり、南
北に長い第一梅苑の梅林「薫の苑」は、国宝『薫の聖教』を著述した淳祐内供(菅原の
道真公の孫)ゆかりの地。藤牡丹・白滝などの梅が気高く咲きほこることで有名となる
。石山寺中興の祖であり、朝廷・貴族の信仰を集めた三代座主淳祐(890-953)は92
1年、醍醐天皇の命により師の観賢僧正が、高野山の弘法大師廟へ参入する際に随伴す
ることになり、入定した大師の膝に偶然触れた淳祐内供の手に、その芳香が移り、いつ
までも消えることなく、その手で書写された聖教にもその香気が移ったと伝承されてい
る。この淳祐筆の聖教が「薫聖教」と呼ばれ、石山寺でも座主以外は見ることが許され
なかった――平安女流作家たちは石山寺に参籠するほどにこの寺は、室の信頼が厚い上
学問の寺として名高かった――が、このほか、第二梅苑の「東風の苑」、第三梅苑があ
り、梅園は約3300平方メートル、40種約400本の梅が植えられ、蝋梅は、半透
明でロウのようなつやのある花が特徴で今年は例年より半月ほど早く満開となり、2月
上旬まで見頃が続くという見通しだが、香りが強く周辺に近づくだけでそれとわかる。
元々、中国中部原産の落葉低木で17世紀、江戸時代のはじめに中国から渡来。木の高
さは、2~4メートルの木。陰暦の12月(臘月:ろうげつ)頃(現在の1月頃)に咲
く梅に似た花であると云う説がある一方、花が蝋細工のような光沢と質感をもち、梅に
似た花を咲かせるからという説の2つがある。また、梅に似た香りと花の形、中国から
伝わったことなどから「おうないか(黄梅花)」「からうめ(唐梅)」「なんきんうめ
(南京梅)」とも呼ばれます。多くの呼び名、別名があるものです。また、英名は「wi-
nter sweet」と言う。

  紫式部ゆかりの花の寺

※ 梅の種類例

(1)原生系:白加賀・一重冬至・満月・竜眠 ・寒衣・二重冬至・花香実・月宮殿・
  見鷹玉垣・思いのまま・八重海堂・紅筆・八重紅筆 ・玉拳・白難波・月の桂・月
  影・緑
(2)豊後系:真鶴・揚羽の蝶・海棠梅・藤牡丹・白獅子・八重揚羽・呉服・
  武蔵野・一の谷・江南無所・三国一 
(3)紅梅系:紅千鶴・玉光・唐梅・鹿児島・緋の司・黒雲
(4)枝垂性:月影枝垂・大阪しだれ
(5)実成り・果梅:白加賀・長束

現場に到着してびっくり、蝋梅が余りにも少ない。一本だけが満開。それでも気を取り
直しデジカメする(近接撮影することを忘れて全景に近いフレームで撮り、結果は惨敗。
最近ぼけているのかと反省する(デジカメが悪くなっていることはその通りなのだが)。
紅梅は申し分ないのだが少々落胆した次第。約2時間ほど境内を散策し、帰りに名物の
「瀬田のしじみおこわ」を買う。

ところで、この瀬田蜆、漁獲量は衰退の一途をたどる(下表)。このため昭和59年(
1984)に、生協理事役の関係で参加した琵琶湖で「第1回世界湖沼会議」が開催
当時、絶滅の危機にあったセタシジミを取り戻そうと、4月23日を“シジミの日”と
定め、セタシジミ祭が始められている。第1回世界湖沼会議が開催された昭和50年代
は、琵琶湖の環境変化、シジミの乱獲など、様々な要因により、瀬田川では絶滅の危機
にあり、このシジミ祭は瀬田川、琵琶湖のシジミ復活・再生を目指し、瀬田川・琵琶湖
のシジミ再生機運を高め、環境保全を啓蒙を目的始められている。

 

セタシジミは琵琶湖湖岸で1960年までは大量に獲れたのだがこのシジミ、結構身体に良い。
まず、アラニンとグルタミンにはアルコールを代謝する酵素の活性を高める、メチオニ
ンが肝臓の働きを助けてくれ、タウリンが胆汁の排出を促、肝臓の解毒作用を活発にす
る。またビタミンB12は肝機能を高める。しじみ汁にすると味噌に含まれるコリンが
レシチンという物質になり、肝臓の中に入ったアルコールが脂肪になり蓄積されるのを
防ぐ働きもある。 さらに、しじみ汁と一緒に梅干を食べれば、梅干に含まれるピクリン
酸が肝臓の機能を高め、アルコールの体外排出を促進させてくれる。アサリよりも小さ
いがシジミのパワーを丸ごと摂取できるからお勧めだ。  

   瀬田川ラフティング

 

沙々貴神社と西洋七草

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   パンクこそ、非常に価値のある変化なんだ。古い殻を壊していくっていう
                 状況は面白い。それは、僕自身も常に心掛けてきたことだ。

                                              デヴィッド・ボウイ


                                        Rebel Rebel

                                                                                             David Robert Jones  8 Jan 1947 – 10 Jan 2016

 

 Wikipedia

● 西洋七草をつくちゃおう

石山寺のロウバイ(蝋梅)は満開でそれはそれで良いのだが沙沙貴神社のロウバイ(蝋
梅)の圧倒される残像が忘れられなくて翌日作業につまり、彼女を起こし、そばと鉄火
巻のランチをすませ鑑賞に出かけた。ここはその話は後述するとして、石山寺で七草粥
とその名前を尋ねると彼女があっさり正解してしまったことが頭に残っていた。ところ
で、高効率・高品質の太陽電池の調査作業で、たまたまネット上で、”7 Cancer Fighting
Culinary Spices and Herbs”というヘッドラインが目にとまり中断し、閲覧することに。
ヘッドラインを直訳すれば「抗ガン料理の7つの香草」ということになり、「ターメリ
ック」「唐辛子(チリペッパー)」「ガーリック」「ミント」「カモミール」「ローズ
マリー」「ショウガ(ジンジャ)」が紹介されている。

曰く、スパイスやハーブは長い間、消化不良、他の消化器系の医療目的のために使用さ
れてきた。科学はには、がんやその副作用との戦いに関して、特定のスパイスとハーブ
摂取する直接的な効能には不明だが、間接的なメリットは容易に認識できる。その効果
は、全く新しい味覚を開拓に必要な最小量で、軽度から強度の範囲で、その独特の風味
プロファイル。ときに味覚芽を刺激し、食欲を再活性化し料理にハーブやスパイスを追
加し、最適な体重を維持でき、ガン罹患の不安から解放する処方箋の提案というわけだ。 

1)ターメリック:ウコンエキスのサプリメントは、現在、大腸癌、前立腺癌、乳癌、
 皮膚癌を含むいくつかの癌を治療役割が研究されている。
2)唐辛子:神経因性疼痛、癌の手術後の痛みの治療に関して良好な結果を示している
 いる。また、カイエンの少量摂取で消化不良を低減することが確認されている。
3)ガーリック:研究成果では、最適なニンニク摂取量は、胃、結腸、食道、膵臓、お
 よび乳房の癌のリスクを減少させることを示唆しています。これは、ニンニクは、細
 菌感染症と癌を抑制する遺伝子の修復を促進し、解毒作用、免疫作用、高血圧抑制作
 用を助ける働きがある。
4)ペパーミント:消化不良、腹痛、下痢を緩和に、消化補助に使用。過敏性腸症候群
 と食中毒を抑制に役立つ。胃の筋肉を落ち着かせ、健胃させ消化を助ける。
5)カモミール:快眠作用、口内炎、筋肉の収縮、腸の平滑筋の弛緩に役立つ。
6)ローズマリー:抗酸化物質が含まれ、解毒、消化不良、鼓腸、食欲不振に役立つ。
7)生姜:風邪、便秘など民間療法で使用されている。抗吐き気薬、がん治療中の健胃
 薬として役立つ。


とは言え、西洋七草粥にするには、葉茎のどの部位を使って調理するのか、現時点では
皆目見当がつかない。仕方がない残件扱いだ。

   For Dummies

  如月に薫る蝋梅

● 沙沙貴神社の蝋梅と源氏

 Wikipedia

その日もお暖かく風もない穏やかな冬日となった。ケアーセンタ関係の観覧者や若いカ
ップルなど沢山の人たちがめいめい楽しんでいた。ところで、社頭整備事業〔総額第一
期・壱億円以上〕を計画中で写真のように社頭の修復工事中の参拝・鑑賞となった。
境内には大きな池があり立派な鯉が元気に泳いで、手をたたくと寄ってくる。

● 佐々木源氏発祥の地:沙沙責神社

佐々木氏は、宇多天皇(869~931)の皇子、敦実親王(892~966)の玄孫
である、源成頼が近江國・佐々木庄に下り、成頼の孫の、経方が佐々木姓を名乗ったこ
とに始まる。佐々木氏は、佐々木氏の氏神である沙沙貴神社が建つ近江ハ幡市安土町常
楽寺周辺から、佐々木氏の館があった小脇(現在の束近江市小脇町)辺りまで広範な候
補地があるが定かでない(ただ、蒲生郡内であったことは間違いないという)。佐々木
氏が近江に確固たる基盤を得るきっかけとなったのは源平の合戦。経方の孫の秀義(~
1184)は、平治の乱(平治元年1159)で源義朝にくみして敗れたため近江を追
われ、相模國(現在の神奈川県)まで逃れ、1180年、源頼朝が平氏打倒へ挙兵した
時、長男の定綱ら息子たちを引き連れて参戦し、目覚しい功績をあげる。

秀義自身はこの戦いで戦死するが、定綱は戦功により近江國惣追捕使(後の近江守護職
)に任じられ、守護職に就いた定綱は、頼朝の自筆と伝えられる「佐佐木大明神」の神
号額面を文治二年(1186)七月二十八日に物部清貞氏の調整で、表参道大鳥居に掲
額する(現在も古額を保存して、その同じ形式の写を表参道大鳥居に掲げてあるJ。兄
弟たちも多くの恩賞を与えられ、一族全体で述べ十七カ國の守護職を得ていた時期もあ
ったが、鎌倉幕府と後鳥羽h皇が争った承久の乱(1221)で一族の多くが上皇方に
付いて破れ守護職のほとんどを失う。

定綱の跡を継いだ信綱の息子の代に佐々木氏は四家に分かれ、長男重綱-大原氏、次男
高信-高鳴氏、四男氏信-京極氏、そして三男の泰綱に始まる六角が惣領家(本家)と
して近江守護職を継承する。鎌倉時代初めに活躍した佐々木定綱以来、織田信長(安土
城は、天正四年~・1576・僅か六ケ年によって追われるまでの約四百年間、守護と
して近江國を支配し続けた一族である。滋賀県を象徴する六角紋章を受け継ぐものに、
近江ハ幡市章一や、滋賀県立ハ幡商業高等学校章などがある。

  源氏とは Wikipedia

六角氏による支配は、戦国大名のように上から強力に統制するのではなく、在地勢力の
自立性の上に成立した穏やかなもので、この結果、近江には惣村や寺内町といった自治
を行う村や町が多く生まれた。六角氏がもたらした地域社会の自治の伝統は、佐佐木源
氏発祥の地の近江國、滋賀県には今も根強く生き続けているという。この神社では「近
江源氏祭」は佐佐木源氏一族の人たちが全国より参集しこれまでの感謝とこれからの平
和と繁栄をお祈りする。

「沙沙貴十二座の神事」は近江の守護を務めた佐佐木源氏一族が武家を中心に祭祀の集
団をつくり表四座・襄四座・若宮四座の沙沙貴十ニ座は四月・五月~十月の年三回祭礼
を斎行する。この祭礼は中世の武家の「苗」(姓名)を継承した馬乗り(各家の後継者・
の神事。特殊な神饌をお供えして饗応の酒席が設けられ子孫の繁栄をお祈りする。さら
に、この沙沙貴まつりでは、琵琶湖岸の殴で「大松明」を作製して水辺の町より沙沙貴
神社まで少彦名神さまをお迎えした勇壮な姿を継承。また、『延喜式』の古式に習い、「
夏越の大祓」琵琶湖岸で刈り取った茅で大きな輪を造り「茅の輪くぐりの神事」を水無
月(六月)に行い隻病息哭をお祈りする。

尚、素菱鳴尊(すさのうのみこと)が旅の途中で、蘇民将来にもてなされたお礼に「蘇
民将来の子孫と言えば疫病から逃れられる」と約束した故事にちなむ「蘇民将来子孫家
」の神符を授与している。

 

日本において皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の1つ、一般に有名な
清和源氏のほかにも多数の流派がある。姓の代表的なものの一つとして、平氏・藤原氏
・橘氏とともに「源平藤橘」(四姓)と総称される。嵯峨天皇から分かれた嵯峨源氏や
清和天皇からの清和源氏を含め、二十一の流派(二十一流)があるとされる。中でも家
格が最も高いのは村上源氏とされ、室町幕府の成立まで源氏長者を有した。また、平安
以降臣籍降下が頻発すると源・平の二姓ばかりになるが、最近の研究で「一世王、二世
王が源、三世以降が平」だった事が判明している。源姓(本姓が源氏)の家系はそれぞ
れ別の苗字を号し、現在「源」を今日的な意味の姓として名乗る例は多くなく、推定人
口は4千人程である。代表的な家紋である「笹竜胆」は日本最古の家紋である。

 

  竜胆

 

  

最新ナノ電子工学 2016

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     我々は途方もない変化の時代に生きている      オバマ米国大統領

   

 

  31 Dec .2015

【最新ナノ電子工学 2016】

●  ”Automist Smartscan ”ノズル噴射型消火システム

ロンドンのPlumis 社の自動ノズルミスト噴射消火システム。天井設置のスプリンクラー方式
より遙かに少ない水量で消化できる(毎分5.6リットル、スプリンクラー方式より約90%以上少
ない水量)。こういった設計思想は農業・医療・工場・運搬分野などにも応用できそうで、結構大
きな世界市場になるだろう。

 ● 今夜の一品

● HumanEyes社製三次元円盤型カメラ"Vuze"で360度撮影

『デジタル革命渦論』はまた1つ、カメラ・ビデオを変えることとなった。



  DOI: 10.1021/jacs.5b08227

● ペロブスカイト結晶構成する原子を視覚化

有機‐無機複合物質であるペロブスカイト材料は、次世代型太陽電池には欠かせない材
料。このペロブスカイト材料の特性を理解することは、太陽電池の耐用年数を延ばし、
品質を向上に欠かせない。沖縄科学技術大学院大学のヤビン・チー准教授らの研究グル
ープは、有機‐無機ペロブスカイト材料の原子分解能について世界に先駆けて調べ、そ
の成果を米国化学会誌(Journal of the American Chemical Society)に発表(8 Jan. 2016)。
この成果はから、メチルアンモニウム分子が回転すること、およびそれらの分子の回転
によって明らかに異なる特性を持つ2種類の表面構造を生み出すことを発見。また、回
転とは別に、このメチルアンモニウム分子は隣接する臭素イオンの位置に影響を及ぼし
その結果、原子構造にさらなる変化をもたらし。この構造により材料の電子的性質が決
定されることから、原子の幾何学的位置は太陽電池を理解するための不可欠な要素とな
る。

 Scanning Tunneling Microscope

さらに、走査型トンネル顕微鏡の画像により、分子およびイオン(欠落している原子)
の転位により引き起こされた局所的な欠陥もあきらかになると考えられている。これら
の欠陥により、伝導性などの電気特性が変容するなど、機器の性能に影響が及ぼされる
ともあり、ペロブスカイト材料の構造は温度感応性が高く、凍結した結晶を室温下で観
察では、必ずしも完全同一構造が観察されるわけでないが、原子レベルでのペロブスカ
イト結晶を包括説明には、実際的な結晶挙動の理解に役立つ。現時点での発見は、有機
‐無機結晶表面における分子とイオン間の相互作用を解明できるものと期待されている。

   

 

 

  

● 折々の読書 『法然の編集力』 8  松岡 正剛 著    

   第一部 法然の選択思想をよむ 

  「選択」の波紋

                          南都北嶺の逆襲

  さてところで、これはどの一冊ではあっても、この『選択本願念仏集』が世に出
 ると、各方面から徹底的な批判が浴びせられました。いずれも身のすくむほどの批
 判です。それも宗教界の大向こうからの弾劾のような批判でした。いいかえれば、
 法然が説く教えは、それほど革新的だったということです。法然自身も、易行によ
 る往生が可能だとする専修念仏が、危険思想と見なされうることを感じていた節が
 ありました。

  聖道門から離れていった法然の思想と行動を鍛初に批判したのは、当然のことな
 がら「山」としての延暦寺や「寺」としての興福寺でした。とりわけ問題となった
 のは法然その人というよりも、好き勝手な専修念仏論をふりまわす弟子たちだった
 ようです。
 元久元年(1204)、延暦寺の僧たちが集まって専修念仏の停止を計画し、天台
 座主の真性に訴えます。これが「元久の法難」の開始でした。かつて身を寄せた古
 巣からの批判を浴びることになった法然ですが、これに強く抗弁することばしてい
 ません。これまでにものべたように、決然という人は他の宗派宗旨を論難する気が
 まったくないのです。これはもう法然の編集的信念とでも呼びたいほど徹底してい
 ます。

  とはいえ、叡山の声に無視を決めこむわけにもいきません。法然は弟子たちを集
 めて自粛自戒を求め、弟子の法蓮房総信空に「七箇条制誠」を書かせました。これ
 はいま読んでもなかなか考えさせるもので、「智慧がないのに好んで論争するな」
 といったことが七箇条にわたって告げられています。「七箇条制誠」には190人
 もの弟子が著名していて、なかには綽空(のもの親鸞)の名を確認することもでき
 ます。
  また、法然が阿弥陀仏ばかりを選んで神仏諸尊を軽んじている(無視している)
 という非難も火の手にあがります。これまた法然は、比叡を守る神仏に誓約文(『
 送山門起請丈』)を送って対決を避けています。
  一方、興福寺のほうも黙ってはいなかった。元久二年(1205)、各宗の僧と
 結託して「八同心」の訴状をつくり、六点にわたって法然とその一門を批判したの
 です。八宗とは、奈良仏教の南部六宗(法相宗・倶舎宗・三論宗・成実宗・華厳宗・
 律宗)に平安仏教の天台宗と真言宗を加えたちのですから、新興勢力の法然浄土に
 対して危機感を覚えた仏教保守集団が大同団結した、といっていいかもしれません。
 結託して朝廷に訴えたのです。

  解脱房貞慶による起草といわれる九箇条は、批判点としてはよくできている印象
 を受けます。これを読むと法然思想の特色がかえって浮き出すところがあるので、
 現在『興福寺奏状』として伝わる九箇条を次に掲げておきます。


  ①新宗を立てる失II勝手に浄上京を々りのっているではないか。
  ②新像を図す失上芯仏者のあいだで阿弥陀仏図に光明を描きこんでいるでは
   ないか。
  ③釈尊を軽んじる失――釈尊が阿弥陀仏に名号を与えたのに、その釈尊につい
   てちやんと言及していないではないか。
  ④万善を妨げる失――『法華経』の読誦に敬意を払っていないではないか。
  ⑤霊神に背く失――宗廟大社を憚らずに、ちゃんと呻を拝んでいないのではな
   いか。
  ⑥浄土に暗き失――持戒や読誦によっても浄土に生まれうる可能性を摘んでし
  ⑦念仏を謝る失――観仏の重要性を無視しているのではないのか。
  ⑧釈衆を損じる失――賭博や女犯や肉食などの破戒を勧めているではないか。
  ⑨同士を乱す失――法然の言説では戒・定・慧の三学が廃れ、王法と仏法の衰
   退を招くではないか。 


  なかなか当を得た批判です。念のため、すこし説明を加えておきますと、②の「
 新像」とは「摂取不捨曼陀羅」といわれるもので、いまでは浄土宗や浄土真宗の仏
 壇のなかでおなじみになっている阿弥陀如来立像の図のことです。
 ⑧で女犯が攻撃対象になっているのは、法然が女人往生の可能性を認めたためでし 
 た。じつは、これもまた法然が「編集」してみせた、日本仏教史上の重大な転換点
 でした。

 

  中世以来、日本仏教は女性を臓されたものとして見ていました。それを「五障三
 従」という]語にあらわすことができるのですが、女性は梵天工・帝釈天・魔王・
 転輪聖王・仏の五つになることはできず、劫くは父、嫁しては夫、老いては子、こ
 の三つに従わなければならないとされたのです。しかし、仏になることができない
 となりますと、女性が成仏することは適わないということです。そこで考えられた
 のが、女性はまずもって男に生まれ変わる必要があるという咎え方です。これを『
 変成男子』といいました。このように、仏教には女性に対してきわめて差別的な側
 面があったのです。
 
  しかし法然は、そんなことは阿弥陀の本願に示されていない、と主張した。法然
 が説いた専修念仏の教えは、陰刻や職業はむろんのこと、件別も問わずに往生でき
 る道だったのです。この「女人往生¨の可能性については、親鸞も同じ態度を引き
 継ぎ、その思想を完成させました。ここでその中身に深く立ち入ることはしません
 が、女性蔑視を脱した入間的仏教観が、汪然の専修念仏に萌芽していたことは強調
 しておきたいと思います。

  そのほかの『興福寺奏状』にあげられている批判点についてはふれませんが、い
 ずれもかえって法然が「多重微妙選択」をしていたことを浮き彫りにします。法然
 の専修念仏はこれらをバウンダリー(境界)すれすれで擦り抜けているのです。も
 っと端的にいうのならば、選択本瀕とは、数多い仏教教説の境い目の真上に成立し
 ていたものだったのです。だから「山」も[寺」もお前はどっちにいるのかと揺さ
 ぶったのでした。

  それでも去然自身はどんな批判にもめげることがないのです。そろそろ法然教団
 としてのかっこうもつき、弟子も増えてきたので、本来ならば組織防衛のために反
 論や反撃に出ても良い時期だったのですが、そういうこともしなかった。ただし、
 廷は、「山」や「寺」からの要望となると、ある程度は聞き入れざるをえません。
 そういう時代なのです。結局、法然には朝廷から宣旨が出され、厳重注意をうけて
 しまいます。

  それだけではありません。こういうときにはいろいろと不首尾がおこるもの、弟
 子の法本房行空や安楽房遵西にちょっとした勇み足もあり、ついにはそこを突かれ
 て、安楽が六条河原で処刑されるという最悪の事態にまで発展してしまいます。
 弟子の不始末は、むろん法然にも及びます。建水二年(一二〇七)、法然を土佐に
 配流するという宣旨が下りました。これが「建永の法難」です。このとき法然は
 七五歳で、流罪にあたっては還俗させられ、なんと「藤井元彦」という俗名さえつ
 けられてしまいました。まことに屈辱的だったことでしょう。法然の専修念仏はつ
 いに停止されてしまいます。法然の強力な外適者であった九条兼実も、この前後に
 亡くなってしまいます。

  後鳥羽上皇が法然に帰洛を許すのは、やっと四年後のことでした。法然は建暦二
 年(1222)の11月にようやく入洛して、東山大谷に落ち着きます。弟子たち
 はこれでふたたび教団に力がみなぎるだろうと期待するのですが、大谷に入った
 翌々月の1月25目、一段と声を高くして四時間の念仏を称えた法然は、『観無量
 寿経』仏身観の一節をつぶやいて人滅します。八○歳でした。

                             浄上でつながる

  専修念仏批判は、法然の入滅後にもやむことかありませんでした。じつに多くの
 仏教者たちが、法然を論難しています。とりわけ有名なのが、公胤と明恵と日蓮に
 よる批判です。
  天台宗の公胤は『浄土決疑鈔』を著して、『興福寺奏状』における④と⑦に関連
 する箇所を批判します。『法華経じを転読しても極楽浄土に生まれるはずなのに、
 なぜ法然は大乗読誦を廃したのか、という批判です。

  承安三年(1173)に生まれた明恵は、みずからが見た夢を記録した『夢記』
 でも知られる華厳宗数個です。私は大フアンでした。ところが、その一方で明恵は
 厳格な戒律を守りぬく理想主義的な修行僧でもあったため、釈迦への回帰こそをモ
 ットーとしていましたから、どうにも曲がったことが許せないところがありました。
 明恵にとっては、阿弥陀の絶対他力を拒じてて心に念仏をするなどという法然の「
 易」を、そのまま看過することはできなかったのです。
  法然の死語になりますが明恵は『催邪輪』を著して専修念仏を避難します。主だ
 った論点は、法然は菩提心を忘れているのではないか、聖道門の僧たちを群賊に特
 えるようなことはしてはいけない、そういうことをするのは邪心があるからだとい
 うものです。

  これはこれで、まともなクリテfックだと思います。しかし、法然がそのように
 既存仏教の教義を批判してきたわけではないことは、これまで何度も確認してきた
 とおりです。この両者の対婉は、彼岸に生きようとする法然、現匪に生きようとす
 る明恵、といった対比に置き換えることができますが、両者の主張を比較検証した
 いのならば、町田宗鳳さんの「法然対明恵――鎌倉仏教の宗教対決』(講談社選書
 メチユ)を読むといいでしょう。
  一方、「法華経』に帰依した日蓮の場合は、なにも法然のみを批判したわけでは
 ありません。当時の浄土宗も禅宗も真言布教も律宗も、すべてを痛烈に非難したの
 です。それが「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」という、たいへんユニーク
 な弾劾キャッチフレーズにあらわれています。それにしても、これほど巧みな比喩
 はなかなか思いつきません。日蓮の独創が、天下のの宗派に向かって咆吼している
 という感じがします。

  念のため、その日蓮が法然のどこを問題にしたのかというと、大きいところでい
 えば二点です。まずは、もっと「法華経しを学習しなさい、国を教うのは念仏なん
 かではなくて『法華経』である、ということです。もうひとつは、浄土は穢土と地
 続きの娑婆から寂光土に移るプロセスそのものにあるのだから、ピカピカの阿弥陀
 さんが君臨する極楽浄土なんてものは幻想だというものでした。いささか意地悪に
 みれば、これもまたある程度は当たっているところがあります。

  しかし何度も言うようですが、法外はその上うなクリティック・リアルなところ
 にはいないのです。目本の匡救は古代以来、現世主流あるいは現伊利益王族にその
 特色を広げていきましたが、法然は鎌倉時代の発端にいながらも、そういうリアリ
 ズムの地平には立たなかったのです。法外にリアリズムがあったとすれば、それは
 当初からハイバーリアルなもので、いわけ政庁のリアリズムです。

  ですから、初期の法外の念仏集団も、心ずしもリアルな数回ではなかったと見る
 べきだと思います。法然の弟了たちは届犬を一人ひとりのネヅトワーカーとする
 上うな結衆、すなわち念仏聖や念仏衆によっているのであり、集団にとって何か紐
 帯だったのかといえば、そこにある阿弥陀一仏信仰だけなのです。法然の集団に「
 つながり」があるとすれば、それは彼岸の浄土においてこそアクチムアルにつなが
 っているのです。

  それゆえ念仏衆たちはたんに地域ごとに区分けされて、白河門徒、紫野門徒、嵯
 弥陀の「阿」の字がつけられることはありました。藤原定家は、その日記『明月記』
 のなかで「近年天下に空阿弥陀仏と称する者あり。件の僧、党類を結び、多くの檀
 越を集か。天下の貴賤争って結縁す」などと記しています。
  でも、こういう法然の選択感覚と紐帯感覚こそが、生前は重源・九条兼実・慈円・
 熊谷直実らの理解を坪び、証空・弁長・親鸞・長雨・湛空らをその門下に輩出させ
 たのです。のちのことになりますが、一遍の「踊念仏」が派生したのも、ここから
 でした。

                         多重な相互選択

  ただ一心に「南無阿弥陀仏」と弥えれば、往生が約束される――。
  私が本橋の冒頭で掲げたこの一文は、法然かたどり着いた教えをあらわすのに必
 要十分な∵又であると思います。しかしそれほどまでにシンプルに姥える教義が成
 立した背景には、混沌に満ちた末法の世があり、父の時国の死があり、膨大な読書
 経験があり、法然の編集力があったわけです。その編集力のことを、法然は「選択」
 という二百に代表させたのです。
 それについては、『選択本願念仏集じの第よハ砂において、三つの経典からのだい
 へん興味ぶかい「選択」が引かれています。よくよく私の説明文を読んでいただ
 くとわかるように、これらは『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』からの鏡像
 的な選抜になっているのです。

  『無量寿経』

  ①選択本願――法蔵比丘がかつて選択していた選択
  ②選択讃嘆――釈尊が念仏を讃じたという選択
  ③選択留教――その選択を削めておくという選択

  『観無量寿経』

  ①選択摂取――阿弥陀仏が衆生を選んでいるという選択
  ②選択化讃――その選んだ衆生を阿弥陀仏が選ぶという選択
  ③選択付属――それを後世にまで選択をのこすという選択

  『阿弥陀仏教』

  ①選択証誠――選択されたものが証明されるという選択
  ②選択我名――阿弥陀仏が「わたしを選択したのですね」と言っているという選択

 
  八つにわたる選択です。まことにもって複雑絶妙な選択の相互作用です。とくに
 阿弥陀仏をめぐっての「選択するもの」と「選択されるもの」の相互鏡像関係が絶
 妙です。阿弥陀仏が衆生を選び、その衆生が阿弥陀仏を選んでいるというその関係
 そのものが、未来的に選択されているわけですが、その阿弥陀仏をして「私を選択
 したのですね」と言わしめている無数の凡夫としての「南無阿弥陀仏」が、そこに
 またまた全対応しているという、多重相互選択作用なのです。

  この阿弥陀をめぐる多重相互選択作用をあれこれ感じていると、従来の法然研究
 に、法然の専修念仏は日本古来の多神多仏を排しているのはなぜか、阿弥陀一仏信
 仰にしたのはなぜかという指摘があるのですが、そういう問題の立て方が挟すぎる
 とも思えてきます。
  というのもこの問題は、多神多仏の目本に阿弥陀数ともいうべき一神教が生まれ
 たのはなぜなのかということになるのですが、法然の阿弥陀信仰は、宗教学にいう
 一神数的信仰ではなくて、そもそもがずっと多様で多重な相互選択的なものだった
 と思えるからでした。それは一神数的なるものを日本で宛生させたということを意
 味するのではないのです。
  私は法然に、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教に比肩するようか一神教性を見
 いだせないのです。法然は、複合的で複写的な選択インターフェースの多重性にお
 いて、何かの多様性をしきりに見ようとしてきたと考えたい。きっと、法然は「そ
 れ」を選択した人ではなく、「そこ」へ選択していくパサージュ(通路)を用意し
 た人だったのです。

                               親鸞と空也

  最後に、語りのこした二つのことに少々よれておきたいと思います。ひとつは法
 然のあとの親鸞のことですが、親鸞の「悪大正機説」はすでに法然に発していたと
 いうことです。

  もともと『選択本願念仏集』の第一言縦は、「極悪最下の人のために極善最上の
 法を説く」という内容になっています。そればかりか「三心料簡および御法語』に
 は、次のようにありました。「参入なおもて往生す、況や恋人をやの事。私にいう。
 弥陀本願は自力を以て生死を離るべくに方便あり、舌人のためにおこし給わず。極
 重悪人無他方便の輩を哀んでおこし給えり」と。
  これらを見ると、法然の仏教は早くか「悪人成仏」を唱えていたといえますし、
 私は親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」も、おそらく法然が発
 していたした言葉を親鸞が書きとめたか、憶えていたのだろうと思うのです。
  もうひとつは法然の前の空也のことです。空也は「市聖」とも「阿弥陀聖」とも
 呼ばれた日本最初の念仏ネットワーカ一です。それだけではなく、まだわからない
 ことがたくさんあるのですが、容行の実践、阿弥陀一仏仁仰の先駆、「南無阿弥陀
 仏」の唱導、他力の提唱など、法然のプレモデルとしての活働かさまざまに特色さ
 れるのです。空也は法然より230年も前の聖ですから、空也のことがもっとあき
 らかになってくれば、その後の源信から法然に及んだ念仏重視の浄土信仰の実態が
 見えてくるとも予想されるのです。

  いずれにしても、法然の前の空也のこと、法然の後の親鸞のこと、私もさらに追
 慕して「編集」しなければならないと思っています。

                                                この項つづく 

 

 

 

 

量子ドット太陽電池最新技術

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     仮想敵をつくって攻撃する、そして軍事力や経済力を高めていく。これが近大
           文明の本質ですからね。なので、もし文明のパラダイム・シフトがあるならば、
           まさに「悪人」を取り込むようなコミュニティをつくっていく必要がある。

                                      町田宗鳳 『法然の編集力』

                                                        




【地震予測は可能か】 

 

● 滋賀県での断層帯と地震被害想定リスト

  12時25分頃地震

正午に北海道震度5弱の地震があったばかりだ。いつも寝ているソファー横にはいつで
も靴が履けるようにそばに置いている。第一アクションのイメージトレーニングはでき
ている。が、実際となるとそれは検討もつかない。

 
【再エネ立国を目指す大分県:29%→50%】

地熱発電を中心に再生可能エネルギーの導入が進む大分県では新たに16年度から9年
間の拡大計画を実施する。最終年の24年度にはエネルギーの自給率を51%まで高め
る目標。発電規模が大きい太陽光のほか、地域の資源を生かした温泉熱発電やバイオマ
ス発電を大幅に伸ばす。

大分県は1月8日に「新エネルギー導入ビジョン」の素案を公表して県民から意見を募
集中だ。2月8日まで受け付けて、新年度が始まる4月からビジョンに基づく施策を実
施する。「おんせん県」にふさわしく、地熱をはじめ太陽光からバイオマスまで長期的
に導入量を拡大していく。

一方でエネルギーの消費量は9年間で8.4%削減する。主な施策は電気自動車や燃料電
池車などのクリーンエネルギー自動車を約3倍に増やすほか、地域・家庭・工場の省エネ
対策を推進していく。この目標を達成できると、エコエネルギーの拡大と合わせて自給
率は33%から51%へ上昇する。

特徴的には、9年計画で大幅に伸ばす予定の温泉熱発電では、県内の農業ハウスに導入
構想がある。県の実証事業で開発した「湯けむり発電システム」と地熱を利用した温度
制御システムを組み合わせて、ハウスで消費するエネルギーを自給自足する(下図)。
15年8月に県の農林水産研究指導センターの構内でモデルの農業ハウスが完成。この
モデルを各地域に展開する。また、バイオマス発電では東南アジアから輸入するパーム
ヤシ殻を燃料に利用した木質バイオマス発電所の建設プロジェクトが進んでいる。発電
能力は50MW(メガワット)で、2016年内に運転を開始する予定だ。このほかにも地域で
発生する家畜の排せつ物や下水の汚泥を利用したバイオガス発電の導入量を拡大する。

 

● 高性能・高品質な小型水力発電事業の世界展開

リッター水力発電(マイクロ水力発電装置)

神鋼電機は、1秒間に数リットル程度の水量で発電が可能という超小型水力発電機「リ
ッター水力発電装置」――0.5kWタイプと1kWタイプの2機種。どちらも大きさは540(W)×
450(D)×500(H)mmと小型で、毎秒2~10リットル、1kWタイプは同4~20リットル
の流量で発電が可能。実際の発電量は設置条件等により異なるが、前者は、流量6.5
リットル/秒、落差6mで2300W程度になる(最適な落差は10m程度)――を開発、昨年
度9月末から販売。

尚、本体価格は、前者は98万円程度(設置費用別)、後者は145万円程度(同)の試算
では、約11~15年前後で装置のコストは回収できるという(※コントローラ効率を
80%とし、24時間連続運転した場合。電気料金は21円/kWhで計算)。本体は30~
40年程度は利用可能で、交換が必要な部品は、水車のベアリング(寿命:約10年)、
バッテリ(同3年)がある。シンフォニア テクノロジー (旧神鋼電機)は、新興国無電
化地向けに販売するという。。

 トリシマ発電(小水力発電システム) 



【最新ナノ電子工学 2016】

● 米国特許にみる3つの量子ドット太陽電池最新技術

(1) US9018515 Solar cell with epitaxially grown quantum dot material;エピタキシャル成長
   れた量子ドット材料の太陽電池  シリウス・テクノロジー社

【要約】

バリア層を介在自己組織化量子ドット層の離間したグループを有する太陽電池。 このよ
うなグループ分けした太陽電池の結晶構造は、太陽電池のパフォーマンスメトリックに、
太陽電池の成長フロント品質の改善された制御を可能にする。
第一の態様では、基材の格子定数を有する基材を含む光起電太陽電池が提供されます。
基材上に形成された複数の半導体層。
複数の半導体層は、第一の半導体材料、第1の格子定数を有する第1の半導体材料の第一
層。半導体層は複数の、それぞれのスペーサ層の格子定数を有する第2の半導体材料の第
二層、第2の半導体スペーサ層の各々を含む。第一層および第二層は、少なくとも2つの
グループに配置される。少なくとも2つのグループは、少なくとも1つの半導体スペー
サ層のいずれかにより互いに分離される。
少なくとも1つのスペーサ層の厚さは、Tの複数の半導体層に対する目標厚み加重平均
格子定数値の関数である第一の態様の光起電太陽電池では、基材上に形成された中間半
導体層を含むことができ、複数の半導体層は、第1の半導体材料の格子定数は、aにより
表わせる。第2の半導体材料の格子定数は、a2で示すことができる。中間層は、厚さtINT
をもつ。
格子定数のintを有する半導体材料で作ることができます。各スペーサ層は、asで表され
るスペーサ層の格子定数と同一の半導体材料からなることができます。厚さ加重平均格
子定数(a)のように計算することができる。

 

・Photovoltaic Energy Conversion, 2003. Proceedings of 3rd World Conference on
・Development of a 1.0 eV (GaIn)(NAs) solar cell Baur, C. ; Fraunhofer Inst. for Solar Energy Syst.,
  Freiburg, Germany ;Bett, A.W. ;Dimroth, F. van Riesen, S.18-18 May 2003
・Manipulating the energy levels of semiconductor quantum dots S. Fafard, Z. R. Wasilewski, C.
  Ni. Allen, D. Picard, M. Spanner, J. P. McCaffrey, and P. G. Piva Phys. Rev. B 59, 15368 -Pu
  blished 15 June 1999
・S. Fafard, et al., "Lasing in Quantum Dot Ensembles with Sharp Adjustable Electronic Shells",
  Appl. Phys. Lett. 75, 986 (1999)

 ※ 試作データや実績データに関しては不詳。

doi:10.1038/nnano.2011.50

 
(2)US9082554 Biologically self-assembled nanotubes:生物学的に自己組織化ナノチューブ  

【要約】 

生物学的(ウィルスを使用)なテンプレートで、コンパクトなナノチューブを合成する一
般的な生物学的アプローチの方法。

1.光起電力デバイスを製造する方法であって、ナノチューブに結合親和性を有するウイ
ルスを含む組成物を提供。それによってウイルスナノチューブ複合体を形成し、ウイルス
にナノチューブを接触させる工程;それによってウイルスに沿ってナノチューブを分散さ
せ、所定のpHに組成物のpHを調節。それによってウイルスナノチューブ - ナノ粒子複合
体を形成し、ウイルスナノチューブ複合体に複数のナノ粒子を接触さる。これにより、ナ
ノチューブ - ナノ粒子複合体を形成し、ウイルスナノチューブ - ナノ粒子複合体からウ
イルスを除去する工程とナノチューブは、半導体性カーボンナノチューブを含み、光起電
装置、にナノチューブ - ナノ粒子複合体を組み込む。
2.ウイルスは、遺伝子操作されたM13のウイルスである。
3.複数のナノ粒子は、無機ナノ粒子を含む。
4.光起電力デバイスにナノチューブ - ナノ粒子複合体を組み込むことは、ナノチュー
ブ - ナノ粒子複合体と光アノードを形成することを含む。 5.光起電力素子は、色素増
感太陽電池。                               

 
※アカデミックな段階から実用化の中間に位置しているようで、商用段階に至るか不明っだが面
 白い。

(3)US909,290 Self-formation of high-density arrays of nanostructures;ナノ構造の高密度ア
  レイの自己形成

【要約】

ナノ構造体を形成するための方法は、可撓性基板の反対側に形成された2次元材料を有す
る結晶性半導体層にフレキシブル基板を接合を含む。 
 結晶性半導体層は、結晶半導体層の最初の亀裂を開始するために第一の方向に強調。
最初のクラックが結晶性半導体層を介して二次元材料を介して伝播。
結晶性半導体層の応力は、結晶性半導体層上の2次元材料を含む平行な構造解放され開放
する。単結晶半導体基板の提供しナノ構造を形成する方法は、基板上に二次元の材料の少
なくとも二つの単層を形成。エピタキシャル二次元材料上に結晶性半導体層を成長させ、
結晶性半導体層にフレキシブル基板を接合。二次元材料を分割し、フレキシブル基板に接
合された結晶性半導体層から基板を分離する。
 結晶性半導体層の最初の亀裂を開始するために第1の方向に結晶性半導体層を強調し、
この層を介して二次元材料を通る最初のクラックが伝播する。この層上に、二次元材料を
含む平行な構造を提供するために、結晶性半導体層への応力を解放し、半導体装置は、フ
レキシブル基板を含むフレキシブル基板に接合結晶性半導体層は、少なくとも一方向に沿
って平行構造を形成するために割れる。1~10単層の厚さを有する結晶半導体層上に形
成された二次元材料は、ナノ構造体形成のため亀裂分離(破砕)する。

 


※ 炭化ケイ素などの半導体基盤に規則的なクラックパターンを入れておき、厚みがナノ
  サイズのシート状半導体を貼り合わせ帯状加工物に加重を掛け(あるいは極低温-液
  体二酸化炭素や窒素などで急冷することで規則正しく破砕してナノサイズの量子ドッ
  ト半導体など生産するという原理特許で、クラックパターンの製法――ナノプリント
  法――やサイズについては例示されていない。

※ その他特許 

US8952242 Nanostructured quantum dots or dashes in photovoltaic devices and methods thereof US8957401 Semiconductor nanoparticle-based materials US8975205 Photocatalytic structures, methods of making photocatalytic structures, and methods of photocatalysis US8975509 Photovoltaic devices with multiple junctions separated by a graded recombination layer US8993998 Electro-optic device having nanowires interconnected into a network of nanowires US9018515 Solar cell with epitaxially grown quantum dot material US9030189 Quantum dot photo-field-effect transistor US9040816 Methods and apparatus for forming photovoltaic cells using electrospray US9082554 Biologically self-assembled nanotubes US9099663 Quantum dot solar cells with band alignment engineering US9128192 Apparatus systems and methods of sensing chemical bio-chemical and radiological agents using electrophoretic displays US9129751 Highly efficient dye-sensitized solar cells using microtextured electron collecting anode and nanoporous and interdigitated hole collecting cathode and method for making same US9153452 Systems and methods for chemical mechanical planarization with photo-current detection US9159590 Encapsulated nanoparticles US9165778 Systems and methods for chemical mechanical planarization with photoluminescence quenching US9185798 Device components with surface-embedded additives and related manufacturing methods US909290 Self-formation of high-density arrays of nanostructures US8927852 Photovoltaic device with an up-converting quantum dot layer and absorber

  

● 折々の読書 『法然の編集力』 9  松岡 正剛 著    

 【目次】  

   第一部 法然の選択思想をよむ

    忘れられた仏教者
   六字名号の伴/宗教は「編集」されてきた/法然に吹く風

     専修念仏への道
   父の遺言/浄土思想との出会い/末法を生きる/法然の読暦法/専修念仏の確
   信/山から町へ/乱想の凡夫として

     法然のパサージュ
     兼実の「仰せ/「選択」とは何か/法然のブラウザー/トプリテラシーとオラ
   リティ

     「選択」の波紋
      南都北嶺の逆襲/浄土でつながる……多重な相互選択/親鸞と空也


   第二部 絵伝と写真が語る法然ドラマ

    法然誕の地/突然の夜討ちノ時田の遺言/比叡山入山/宝ヶ池越しに比叡山
    を望む/18歳での遁世/浄土信仰の象徴/一向念仏則に帰す/吉水での説
    法/念仏宛洋の地/善導との夢中対面/大原問答/大原問答の地/九条兼実
    の帰依ノ朗婉の計画ご弟fの死罪/遊女教化/法然の臨終/法然の眠る場所


   第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

    大震災を経て/辺境から生まれる希望/仏教の土着化/日本仏教の系譜/仏
    教とイメージ/法然の引き算/仏教を再読/「悪人」とは誰か/仏教におけ
    る死  

 第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳

                                       大震災を経て

 松岡――2011年に法然を語るにあたって、まずは語り直さなければいけないこ
 とがたくさんありますね。3月11日、マグニチュード9・0もの大地震が発生し
 て、30メートルを超えるような大津波が東北の地に壊滅的な被害をもたらしまし
 た。そこへ福島第一原発におきた連続事故が追い打ちです。生と死というものが、
 たった10センチとか10リベクレルとかの連いで分かれてしまいました。そうい
 ったことを日本全体がかなり重たく感じたのではないかと思います。
  しかし、仏僧たちが東北の地に行って何かしているということは、寡聞にしてあ
 まり知りません。日本の仏教界がどんな行動をおこしているのか、何を考えている
 のか、そのあたりがよく見えないままに4か月がたちました。
  町田さんは、すでに今回の大賞災をふまえて『ニッポンの底力』(講談社+α新
 書)という本を上梓されていますね。仏教や法然に後からつなげるためにも、まず
 は今回の震災について町田さんが考えてらっしやることからお聞かせいただけます
 か。

 町田――私は、今回の震災は偶然におきたことではなく、歴史の必然性のなかでお
 きたことだと考えています。そして、法然さんの没後800年という大きい節目に
 このような未曽有の大災害がおきたということは、「日本人よ、物質文明の幻影か
 ら目覚めよ」という天からのメッセージではないかと思っています。これを機に日
 本本の仏教は脱皮しなければいけないし、日本の文化そのものも変わらなければな
 りません。

 松岡――国難ともいえるような、これだけの大災害ですからね。そこから何かのメ
 ッセージを感じる人も多いでしょう。

 町田――とくに今回の3・11は、地震と津波だけでなく福島第一原発の放射線流
 出事故というじつに深刻な事態を招きました。ここには文明史的な意味があるので
 はないでしょうか。つまり、地球資源を乱闘発して人間の思いのままに利川するよ
 うなライフスタイルはもう打ち止めにして、もっと地球そのものを生命と見るよう
 な文明への転換が求められているのではないかと。地球と人間、あるいは動植物を
 も一体として見るような文明が・必要だというメッセージをうけたように思えてな
 りません。

  そして私なりの観点に立てば、文明のパラダイム・シフトにも法然の思想がかか
 わってくるわけですが、まずは目本文化かもつ「型」についての話からさせてくだ
 さい。震災後の七月に出版した『ニッポンの底力』では、「文化の祖型」というの
 がキーワードになっています。それはどんな国にも必ずあるものなんですね。たと
 えばアメリカは、ピューリタニズムが「文化の祖型」になっていて、新大陸で宗数
 的なユートピアを作るんだという強い意志と行動力が文化を成している。しかしそ
 の一方では、かなり原理主義的な傾向の強いピューリタニズムを共有しない人間は
 どんどん疎外していきます。

  中国には、「文化の祖型」として覇権意識がある。漢の時代から玉門閥のような
 ものを設営して、西域に1センチーメートルでも領土を拡大しようとした本能が中
 国人のDNAに入っている。それはもう政治体制が変わろうが何しようが一貫した
 ものなんですね。そして、もうひとつの「文化の祖聖」が一元主義ですが、それは
 皇帝の専制から共産党一党独裁体制にまで時代を超えて貫かれています。

  ヨーロッパの「文化の祖型」にはカトリックがあります。全世界に福音を広げよ
 うという強い使命感が、世界の津々浦々にまで宣教師を派遣させました。けれども
 そこには一神教的な特徴があって、イエスの福音を信じない者は邪教徒だから抹殺
 してもよい、あるいは強引に改信を追ってもよい、と考えてしまった。それが結局
 は植民地主義につながっていくわけです。
  このようにどの文化を切り取っても、その祖型というものが必ず存在している。
 そこで日本の場合は何かというと、私は「追放と復活」ににちがいないと思います。

 松岡――黄泉の国から帰ってくる。すなわち。よみがえる」ですか。

 町田――そのとおりです。いちばんわかりやすい例はスサノオの神話でしょう。彼
 は高天原から英泉の国、根の国に「追放」されてしまう。しかしその後、出方の国
 に「復活」してきて、ヤマタノオロチを退治して大英雄になる。オオクニヌシノミ
 コトの系譜はそこから生まれてくるわけです。

  あるいは神武東征伝説。九州一帯を洽めた神式は、日本列島の中央をめざして、
 瀬戸内海経由で畿内や近畿に入ろうとしますが、難波に上陸しようとするところで
 ナガスネヒコに負けてしまいます。そこで「追放」される。逃げるように紀伊半島
 を敗走して新宮のあたりまで行って、今度は現在の熊野速玉大社があるところで上
 陸しようとします。しかし、ここでも土着の豪族たちに負けてしまうのですが、ヤ
 クガラスの導きでかろうじて援軍を得て上陸します。ヤタガラスというのは、私は
 山岳民族のことだと思っているのですが――。

 松岡――そうだと思います。おそらくは山川草木に対して鋭敏な人たちなんでしょ
 う。

 町田――その後、神武はナガスネヒコと第二戦をやって、やはり負けている。負け
 戦の天才みたいな人ですね。しかし、そのときたまたまり先に止まった鶏が金色の
 光を放つことによって――これは、新型金属兵器を使ったという意昧だと私は解釈
 しています――ナガスネヒコが目をくらました隙に打ち勝った。それで大和平野に
 出て、橿原宮で最初の朝廷をつくることになるわけです。

  このように、日本の神話にはつねに「追放と復活」というモチーフがある。そし
 て、「追放と復活」といったときには、必ずその折り返し点があります。スサノオ
 にとっての折り返し点は根の国です。「追放」された根の国から、出雲に「復活」
 してくる。かたや神武の場合は熊野ですね。そこで軍を立て直して大和に入ってい
 くわけですから、熊野の山が折り返し点になっている。


ここでは、第二部は省略し第三部の対談に移る。また、「対談の前に」も省いたたのは
対談に反映されているので省略する。著者曰く「変わり種」の経歴の持ち主・町田宗鳳
との対談の序の口から、面白い展開に入るが、町田ワールドを了解するため、最後まで
熟っくり読み進めることにする。

                                この項つづく

  ● 今夜の一品

これらのオーバーイヤーヘッドフォンは50ミリメートルダイナミックドライバ、充電
式電池、アクティブノイズキャンセリング、3.5ミリメートルオーディオ入力、ブルー
トゥース4.0 LE、 とWi-Fi接続を完備したハイエンド使用となっている。ORA-X は、
Android デバイスのため、ユーザーはGoogleのPlayストアからダウンロードしたアプリや
ゲームでアウトオブボックスの互換性を期待できるとか。いますぐ手に入れたい?それ
はない。しかしチャンスがあれば使ってみたい。

※ 双方向性のものを開発すると産業の様々なシーンのコントローラーとして大きな市
  場形成が見込まれる。そう、かってのソニーのウォークマンの高性能・高機能化で
  すね。

 


最新蓄電池安全工学

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   大きな疑似帝国をつくった遺産を日本株式会社のなかに入れ込もうとして、
               地域にひそんでいる人たちの登場を阻んでいた感じがあります。

                                                                  松岡正剛  『法然の編集力』

 

 

 January 13, 2016

【最新蓄電池安全工学】

●熱暴走ストッパーリチウムイオン二次電池の開発

スタンフォード大学の研究は、それが過熱する前に自動的に遮断し、それが冷えたら即座に再起
動し、リチウムイオン電池を開発。シンプルなアドオン既存のバッテリー技術には、ノートパソ
コンなどの電子機器のバッテリ火災を防ぐことができる。「キルスイッチ」、または、独自にリ
セットヒューズボックスの「トリップスイッチ」機能技術のが自動的に働く。スタンフォードの
バッテリーは、自動停止し、パフォーマンスを損なうことなく、加熱と冷却の繰り返しサイクル
をやり直すことができる世界初のデザインとなっている。

スパイク状ニッケルナノ粒子をグラフェンでコーティングした粒子は、電池用電極の一方に取り
付けた弾性ポリエチレンフィルムで包埋し、フィルム中のナノ粒子が互いに物理的に接触状態で
電流が流れる。バッテリーが70℃まで加熱されると、ポリエチレンフィルムが伸びとバルーン
の皮膚のよう状態変化が起き、バッテリーをシャットダウンさせる(下図委クリック)。その後
すぐにバッテリー温度が70℃を下回ると、フィルムが収縮し、粒子が、現在は再び流れ始める
気候である。

また、フィルム上にナノ粒子の数を任意にあえることで、またはポリマー材料の別の種類を選択
することで、必要に応じて温度閾値を上昇または低下できる。

 doi:10.1038/nenergy.2015.9

 ● 無指向性ソーラーパネルの登場

サウジアラビア科学技術のアブドラ国王大学(KAUST)と台湾の国立中央大学からの電気技術
者の研究グループは、シリコン太陽電池のためのコーティング材――溶融シリカ包装ガラスを
昨年12月に開発。ガラスコーティングは、小型、超薄ナノロッド及び材料に統合大きなハニ
カム状ナノウォールの階層構造を備えナノウォールの効率的な散乱能力と組み合わせたナノロ
ッドのサブ波長機能は、光の角度に応じて、任意の場所の間で5.2と27.7パーセントの強
化変換効率の実績を得ている。さらに、複数の角度で光閉じ込め能力に加え、ガラス表面のセ
ルフクリーニング機能をもつ――屋外の6週間後の98.8の変換効率の維持し、ほこりなどの
汚れを除去することを確認している。類似の特許出願も多数あり、後は、コストなどを含めた
試用評価の実績データ比較だけとなる。

 DOI: 10.1021/acsnano.5b05564

  

● 折々の読書 『法然の編集力』 10 松岡 正剛 著     

 

 第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳 

                                      辺境から生まれる希望 

 松岡―― 一方、能囚法師とか西行法師とか芭蕉たちは、白河の関を越えるたびに世界観を
 変えています。「陸奥」の入り口にも何か折り返し点に近いものがあります。能因や西行や
 芭蕉はそれをしないと「日本」はわからないと思ったんでしょう。あそこへ行って戻ってく
 れば何かが見えてくるという目本の歴史的な阻型をあらわしているように思います。『おく
 のほそ道』はそのサークル・アーキタイプだったのでしょうね。辺境の地に行って力を得る
 ということですね。

 町田――私は、日本の希望はつねにマージナル(周縁的)なところから生じると考えていま
 す。それが中央にやって来ては、主流となる。しかし、それが時間とともに固定した権力に
 なっていくと、また辺境に希望が生まれる。この繰り返しがあるのではないでしょうか。
 法然さんもすごくマージナルな人で、彼は美作(岡山県)の出身です。岡山といえば、いま
 でも不便なところがありますが、平安末期の美作などといったら辺境の地だったのではない
 でしょうか。そこの新興武士の嫡男として比叡山に来たわけですから、こんなのは本当にマ
 ージナルな人間ですよ。しかし、だからこそ彼はのちに革新的な思想を生み出すことができ
 た。親鸞さんも下級貴族の出ですね。つまり、画期的な思想を生み出す人は、自分という人
 間をメインストリームではなしに、マージナルな位置に置いていた人であると私は理解して
 いるんです。

 松岡――岡山というのは興味ぶかいところです。法然以降の歴史を見ても、宮本式蔵がやは
 り岡山ですね。柳田国男は県からすると兵庫生まれですが、備前の国に強い関心をもってい
 た。法然上人、宮本武蔵、柳田岡男を一挙に語るためにはいろいろ説明が必要ですけれども、
  やはり共通点を見ることはできるはずです。
  武蔵は刀が使えない社会に向かっていって、革新的な武道を作りあげた。その後は柳生時
 代ですから、将軍家の指南役にならざるをえない。そのために、日本で本当に相手を役さな
 い武道の型を生んでいく、その原型です。
  子ども時代の柳田は近くのお寺で地獄絵を見て、あんなに怖いものはないということで日
 本の闇の底辺というものを感じた。その一方で、遠野に行って佐々木喜善から土の奥から語
 られたような物語を聞き出して、農商務省の役人でありながら辺境の民俗学を徹底的につく
 っていく。法然という人の系譜は、こういう人たちのなかにもすこし感じます。

 町田――岡山というのは不思議な場所で、黒住教や金光教など新宗教の発祥の地でもあるし、
 臨済宗の栄西も岡山の出身です。いろんな精神的なリーダーが岡山から出ています。

 松岡――日本の民蕎運動は柳宗悦たちによって準備されますが、その理論のルーツは、岡山
 の金重一族という備前焼の名門にあります。富本憲吉やバーナード・リーチもそうですが、
 かれらは金重家で研究されていた釉薬や土などのアーカイブや技術を学んでめざめるんです
 ね。岡山という土地はマージナルであるとはいえ、やはり何かがひそんでいる。

 吉備真備

                       
 町田―― 一見したところ山国ですけれども、かつては吉備王国があった場所で、吉備真備
 や和気清麻呂のような文化人も出ています。帰化人もたくさんいたはずですし、文化度はか
 なり高かったと思います。

 松岡――吉備王朝はさっきの出雲王朝とつながっていたかもしれませんしね。

 町田――そのとおりです。私の持論は、かつての目本には各地に数箇所の朝廷(王国)があ
 って、それがだんだんと淘汰されて大和朝廷に統合されていった、というものです。日本の
 各地にはかなりハイレベルな文化が花咲いていたはずです。
  そこで私が期待しているのは、かつて明治維新のうねりが薩摩・長州・土佐の下級武士た
 ちからおきてきたように、現在の東京一極集中の中央集権国家のなかで、新しい政治や産業
 の動きがマージナルなところから出てくることです。

 松岡――日本にはマージナルな人間が活躍する伝統がずうっとありましたからね。そう考え
 ると、戦後の日本で辺境の人々があまり立ち上がってこなかったのは大きな謎です。ひとつ
 考えられるのは、戦前に満州帝国という大きなマルチ帝国に日本の関心が移ってしまったせ
 いかもしれませんが。その後の歴史を見ても、吉田茂、岸信介、佐藤栄作、小泉純一郎まで
 その系譜が引きずられてきたわけですから、何かを満州が呑みこんだのかもしれない。大き
 な疑似帝国をつくった遺産を日本株式会社のなかに入れ込もうとして、地域にひそんでいる
 人たちの登場を阻んでいた感じがあります。

 町田――おっしやるとおりで、こんな中史集権国家はかりそめですよ。東大に来て政府の中
 枢に入るような人や官僚になる人は、じつは地方出身の人が多いはずなんですが、彼らはメ
 カニズムとしての東京に呑みこまれてしまっている。霞ヶ関や永田町に入るとすべてが変わ
 ってしまうのでしょ。

  玉桂寺

 松岡――冒頭から法然が置いてけぼりのようになっていました。いま町田さんが言われた「
 辺境」というキーワードとからめながら、そろそろ法然さんのことを考えてみたいと思いま
 す。1989年、滋賀県の甲賀郡にある玉桂寺の阿弥陀像胎内から、源智の願文と、それに
 結縁した4万6000人の名簿が出てきました。源智というと、法然の側近中の側近ですね。
 その名簿のなかに、「エソ370人」と書かれた箇所がありました。その「エソ」というの
 が何を意味するのかはまだ確定されていませんが、研究者はだいたい東北の「蝦夷」のこと
 だろうと推測しています。

 源智がこの願文を書いて阿弥陀像の胎内に納めたのは、法然が亡くなってまもないころとい
 うことはわかっています。となると、法然‐に人が生きておられた時代に、蝦夷の東北の人
 たちのところまで浄上牧の信仰が広がっていたか、あるいは京都や近江まで蝦夷の人たちが
 来ていたということになる。ちなみに、ここでいう蝦実とは、アイヌという意味ではありま
 せん。当時の蝦夷というのは、ほとんど販北や陸奥住民のことです。
 いずれにせよ、法然の周辺に東北蝦夷の人たちが関ゲしていたとなると、これは画期的なこ
 とです。法然のまわりには外側から辺境の民が集まってきている印象を強くもちます。

 町田――それが事実ならすごいことです。というのも、奈良・平安の仏教では、救いのサー
 クルに入れたのはほんとうに選ばれた人たち、それこそ朝廷の公卿とか貴族だけだった。そ
 れを一気に崩してしまったところに法然さんの革命性がある。男でも女でも「10は10人
 ながら、百人は、百人ながら往生す」と言ってしまったわけですから。
  法然さんの存命中に、東北の地まで専修念仏の輪が広がっていたかどうかは判断がつきま
 せん。しかし、もし蝦夷といわれるような人たちにまで法然の教えが浸透していたのなら、
 これは画期的なことです。それまでの彼らは仏教にふれたこともなく、土着のアニミズム的
 な信仰をもっていたわけですからね。

 松岡――浄上教と辺境という点でいえば、越後に配流された親鸞は、常陸へとおりて東国一
 帯に布教していますね。親鸞が京都に戻るのはそれから数十年もたってからのことですから、
 それまでは北関東や東北あたりでも苦行していたと思われます。つまり、浄土宗や浄土真宗
 は辺境の民々やいろいろ蔑まれたような人々のなかにも、ものすごい勢いで入っていったの
 ではないでしょうか。

 町田――教えがそれほど単純なんです。仏典を読みなさいとか戒律を保ちなさいということ
 を条件にしていない「南無阿弥陀仏」という六字の々名号をたった一遍でも称えれば極楽へ
 行けますよ、という単純明快なものですから、それまで仏教の「ぷ」の字も知らなかった山
 岳民族でも「あれっ」と思ったのでしょうね。


                                   仏教の土着化

 松岡――それでは、そろそろ本格的に法然の話へと移りたいのですが、冒頭にあったお話に
 あった文明史の視点、あるいは「文化の祖型」という観点を転用しながら話をすすめましょ
 う。
   法然は、善導の浄土論から阿弥陀仏の第十八願のところを「選択」しました。ですから、
  阿弥陀一仏を信仰するという教えになっている。しかし、そこにはたいへん難しい間題がひ
 そんでいます。すなわち、日本宗教史のなかで浄土宗は一神教を立てたのかという議論です。
 日本の宗教や信仰観念は多神多仏で、神仏習合的なのですが、浄土宗の阿弥陀信仰は、ユダ
 ヤ教、カトリック、イスラム教などと同じようにづ即数的であると指摘する向きもある。こ
 の問題については第一部の論考ですこし論じたのですが、私は浄土宗が一神教を立てたとは
 考えません。とはいえ、なかなかややこしい議論であることに変わりはないと思います。町
 田さんは、法然の研究者という立場から、どういうように見られますか。

 町田――私はかつてハーバード大学の神学部にいたのですが、あの大学の神学者たちは浄土
 教、とくに親鸞が大好きなんですね。なぜかといえば、おっしやるようにかなり一神数的な
 性格をもっているからです。キリスト教と兄弟たくらいに思うのでしょう。私が学生のころ、
 親鸞にすごく興味をもって日本に行ったという教授が何人もいましたが、残念ながら法然さ
 んについての知識はあまりもちあわせていませんでした。英語による法然研究書がなかった
 ことが原因ですが。

 松岡――蓮如の時代には一向衆が政治的な力を発揮しましたね。一向一揆が頻繁におきると
 いうことは、かなりフアンダメンタリズム(原理主義)的な信仰形態でもあったということ
 になるわけですか。

 町田――ええ、浄土教の一神教的な要素が政冶化したのが一向一揆という現象です。東西を
 問わず、一神教には権力闘争に変容していく歴史的必然性があると思います。
  ところで私が法然さんのどこをいちばん買うかというと.、彼のイマジネーションなんで
 す。聖徳太子から彼に至るまでの六百年には、ひとつの仏教神話があった。八正道を守って
 三宝を篤く教えば救われるという神話が、ちやんとつくられていたのです。それはかなり原
 始仏典にもとづいた仏教のオーソドックスな教えです。

  ところが、12世紀末に法然が単身登場してきて、その神話を壊してしまった。戒律はい
 りません、三宝を敬う必要もありません、自分で声に出して,南無阿弥陀仏」と称えれば浄
 土に行けますよという教えです。言ってみれば、新しい神話をつくってしまった。神話をつ
 くる力とは、彼のイマジネーションによるところが大きいわけです。

  比叡山時代の法然は「智慧第一の法然坊」といわれていたくらい聡明な人間で、一切経は
 五回読んだと自分でも言っているくらい、とにかく膨大な知識をもっている。その膨大な知
 識にもとづきつつも、だんだんと狭めていって善導に収束していった。しかも、善導のなか
 で「摂取不捨」のところだけをぱっと引き出してくる。これは天才的な「誤解」であり「曲
 解」ですよ。それで日本の宗教を変えてしまったわけだから、払はすごいイマジネーション
 のもち主だと思っています。

 松岡――そう、そのとおりです。私はそれを「法然の編集力」だと見て、そのプロセスやエ
 ディティングの方法をいろいろ調べてみました。しかし、多仲冬仏という日本的な風土のな
 かであえて一神数的なファンダメンタルなものをつくりえたというのも、そのイマジネーシ
 ョンによるものなのでしょうか。

 町田――それは社会状況もあると思います。保元の乱やダ冶の乱あたりに、社会が本当に混
 乱した。それこそ都が現在の三陸海岸のような状況だった。その後も善和の大飢饉があるし、
 台風、大火、疫病と、次々に天災がやってきた。

 松岡――そして末法も始まっている。

 町田――そう。ほとんど理屈も通らないような吐会状況だったから、どうしても一神数的な
 表現をせざるをえなかったと思います。
  しかしだからこそ、私は法然が本当の意昧での仏教の日本化、土着化を成しえたと思って
 います。仏教以前の日本人にあったのは、水中他他界観あるいは山中他観です。死ぬと誰で
 も常世に行く。それは山のあなたかもしれないし海のあなたかもしれないけれど、いずれに
 せよ常世に行って帰ってくる。縄文時代の遺跡を発振すると、亡くなった人はみな浅く埋め
 られていて、胎児のように屈葬されています。つまり、常世に行ってすぐ帰ってくることを
 期待しているのです。そして、そこでは生前の倫理的資質をいっさい問題にしていない。そ
 いつが悪者だったか善人だったかを間わずに、人は死ぬと常世に行って帰ってくるという単
 純な往来です。
  法然さんは、この縄文時代以漱の他県政を仏数のなかに収り込んだという見方ができる。
 先祖返りです。仏教において「往生」や「成仏」は一般条件づけされましたが、その条件を
 取っ払ってしまったような面がある。

 松岡――それもなかなか興味深いですね。その後の南都六宗や中国仏教や密教によって「死」
 がいろいろと理論化されたけれども、縄文的な日本人の他界観がもう一度法然さんによって
 示された、と。浄土数のなかに、屈葬からそのまま常世に行けるような縄文的感覚を見いだすのは
 おもしろい。法然は善導から「散善」を選ぶことを学んでいますね。「定善」を捨てた。こ
 れはまさに屈葬的ですね。なにかうまくいっていない大にも浄土が近づくという、ある意味
 では底辺的で先祖返りの思想です。稲作的ではなく、縄文的なものがある。

 町田――狩猟棟梁長旅がもっていた他界観と同じですよね。私がいつも感心するのは、「人
 はとこで死ぬかわからん」という法然さんの言葉です。大通りで早馬にはねられて死ぬかも
 しれない。あるいは便所の中で死ぬかもしれない。昔でも脳や中とか脳梗塞はあったはずだ
 からそういう病気でとつぜん死ぬかもしれない。でも、そんなことは関係ないんだ、と言い
 切ってしまっている。すごいことですよ。

 松岡――念仏するときに口が臭くてもいいでしょうかと尋ねられて、そんなことはしようが
 ない、というようなことも何度か言ってますよ値。ニラを食べて念仏したらだめでしょうか
 と聞くと、いやそんなことはない、とも答える。私は法然が自分を含めた信仰の原点を「乱
 想の凡夫」として立ち上げたことはとても大きかったと思うのですが、これは散善の思想の
 根底ですね。

 町田――法然という人はすごいブラグマティストなんです。けっして理想主義者ではない。
 私からしたら道元さんがまさに理想主義者で、現実からち上っと癩離している。よほどの好
 き者でなければ、永平寺に入って何年も座禅を続けることはできないと思います。ところが
 法然さんは、一般の飢え阿しんでいる人でも実践できる仏教をある意味「発明」した。たし
 かにその種は善導にあったけれど、じつは善導の思想というのは中国ではそれほど広がらな
 かった。

 松岡――あまり読まれてもいなかった。それはどうしてだと思いますか。

 町田――中国が、強固な官僚制にもとづく階級社会だったからでしょうね。それと、日本み
 たいに黄泉の国に行って帰ってくるという、ある意味では単純な他界政がなかった。中国の
 死生観には儒教がかなり深くからんでいるから、ご先阻とか家族の阻害を篤く供養しないと
 良いところへは行けない、という考えがあるのです。

 松岡――水平的な他県政をもたない、とも言えますね。道教ですら仙界が他界ですよね。こ
 れもやはり水平ではない。

 町田――ええ。だから、浄土教が花開くための文化的土壌として日本は最適の場所だった。
 材料は善導が用意してくれたけれども、その教えをいいとこどりして日本の土に種をまいた
 のが法然なのです。

                                   この項つづく


   ● 今夜の一品

これまたスケールの大きいオフロードキャンピングカーである。さてどのように使うか?考える
だけでもわくわくする一品だ。

● 

スリーディープリンタの組み立ても残すところ2、3週間となったが、今回の部品組み立ての不
具合――ネジ穴のサイズが小さすぎて慎重に組み立ていったんは完成したかのようにみえたが―
―最後の最後で破損してしまった。すぐさまサポートセンターに電話すると、設計ミスで申し訳
ないが改良部品送るということだった。これで2回目だ。「信用が崩れるのは一瞬」だとはこれ
までの体験から肌身に刻まれているが、「仏の顔も三度まで」のアフターケアーであることも学
んできたことだが、数時間これでロスすることになる。わたしの時間単価は高いんだからねぇ~。
知っていて欲しいんだから?^^;。

 

繰り寄せた一糸

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    身体行動が乏しい現代の日本人は、新しい形を作る力(造形力)が落ちている。
        もちろん・・・その背景には知識だけではなく感性が必要です。われわれは「具象
        の民」として、すばらしいものを作りあげてきたわけですから、いま一度、身体感
        覚を取り戻して「復活」するのも不可能ではありません。

                                                                     町田宗鳳  『法然の編集力』

                                             

 

 

【怪盗探偵山猫がドラマ化】

昨日は沢山な出来事があった(巻末に記述)。気分的落ち込んでいたが、夜9時からはじまっ
た新テレビドラム番組を観ることで癒やされることに。それにしてもダーティーヒーロー役の
亀梨和也の演技の巧さに驚嘆。お目当ての広瀬すずを凌いでいる?。ところでこのドラマは作
家・神永学――74年山梨県生まれ。04年『心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている』でデビュ
ー。「心霊探偵八雲」シリーズが若者を中心圧倒的な支持を集め「怪盗探偵山猫」シリーズ「
天命探偵」シリーズ、『確率捜査官 御子柴岳人 密室のゲーム』『イノセントブルー 記憶
の旅人』『コンダクター』『殺生伝 疾風の少年』「革命のリベリオン」シリーズを創作する
――の『怪盗探偵 山猫』(上図)――角川文庫版は既刊3巻、15年11月には『小説 野性
時代』(角川書店)にて掲載――の日本テレビ系列にてテレビドラマ化という経緯である。作
者の神永はドラマ化のオファーを受けた際、原作よりも面白くすることを条件を出したという。

圧倒的なワクワク感は番組紹介記事通り奇想天外の全面展開。卑劣な手段で金儲けをする企業
から大量資金を盗み出し、同時に悪事を暴く、天才怪盗・山猫(亀梨和也)。彼は義賊か?悪
党か?第1回を見る限りわからない。世間の注目を集める彼はある晩、善人面の顔の裏で振り
込め詐欺を行う政治団体のオフィスからその悪事の証拠となるデータを盗み出そうとするが、
魔王と呼ばれる謎の天才女子高生ハッカー・真央(広瀬すす)に邪魔される。山猫は、魔王の
正体を知るために雑誌ライターの勝村(成宮寛貴)に接近して正体を割り出す。真央は、ハッ
キングで顧客情報を盗み、個人情報を扱う会社の社長を務める父親に渡していた。山猫は真央
の父親の会社の完璧なセキュリティシステムに守られた金庫から盗み出すことに成功するが、
実は、その成功の裏には次期東京都知事の座を狙う謎の男のシナリオ通りだった?というとこ
ろで第1回は降幕。次回(1月23日)は如何なる展開が待っているのか楽しみ。おっと、山
猫は無類の即席麺好き、過ぎては健康によくないぞ、和也!

 

【ダウンサイジングする発電:燃料電池】

『進化するドローン』(上図)で紹介した燃料電池の開発や研究を進める英国のエネルギー技
術企業「Intelligent Energy 社」が、さまざまな民生用電子機器に部品として組み込めるさまざ
まなタイプの燃料電池の試作機(下図。いずれも使用時間を従来電池に比べて大幅に伸ばすこ
とが可能。スマートフォンやタブレット、ノートPCやドローンなどに適用可能。既存の電池を
置きかえることなく新たに搭載することで、稼働時間を大きく伸ばせる。同社の民生部門では、
燃料電池は独立して機器に電力を供給する電力源にできる一方で既存のバッテリーを補完する
ような使い方もできると言う。スマートフォンなどで、既存のバッテリーに燃料電池を加える
ことで、1週間充電なしで使用し続けることができる。インターネットに接続した機器が20
年までに5千億個に達するとみられる中、モバイル機器の電源の問題は今後大きくなると見ら
れているが、エネルギー生産モバイル化を行いたいという。「発電のダインサイジング」は『
デジタル革命渦論』の必然でありそれが核融合とその利用技術の太陽光発電であり、燃料電池
という、高性能で、コンパクト(ダウンサイジング)で、デフレーションの特徴をもつ。10
年後は、米国のアップル社が自動車や燃料電池でトップを走っているかもしれない。これは面
白い。


 

アップル 英国の燃料電池会社Intelligent Energy (IE)と秘密裏に提携

  

 

  

● 折々の読書 『法然の編集力』 11 松岡 正剛 著      

 第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳 

                                                                                                                                              
                           日本仏教の系譜

 松岡――法然が登場してくる前にも、恵心僧都源信が『往生要集』のようなものを書いてい
 ますね。「二十五三昧会」をはじめて、わりとインスタントかつプラグマティックに比叡山
 を下りてきた者たち、慶滋保胤などの文人や貴族たちのサロンとなった。当時はまだ観仏の
 時代で、そこから専修念仏にまではいかなかったとはいえ、「さっさと往生しようじやない
 か」という機運そのものはおこっていた。

 町田――そのとおりです。私はつねに日本仏教を一体化して見ているから、決して法然だけ
 の手柄ではないと思っています。そもそも聖徳太子がそれまで神道しかないようなところに、
 天竺からやって来た宗教を受け入れて、『三経義疏』みたいな本格的注釈書を書いてくれた。
 それまでの神様といえば滝か山かかご神木ぐらいだったのに、人間の形をした仏像を受け入
 れてそれを礼拝したわけですから、当時からすれば相当に革命的だったはずです。

 松岡――ものすごいデコンストラクション(脱構築)だった。

 町田――蘇我と物部が戦争するくらいの大ごとだったのです。それを敢然と受け入れて思想
 体系をつくろうとしたわけですから、私は聖徳大子がそんなに穏やかな人だとは思えない。
 かなり過激な人だったはずでしょうから、彼はきっと毒殺されたにちがいありません。

 松岡――太子が実在の人物だったかどうかという議論はありますが、それはともかく、かな
 りラジカルな人だったと思います。きっとトランスジェンダーな要素もあって、男女感覚に
 も変わったものがあったかもしれない。山岸涼子の「目出処の天子」のようなマンガでは、
 聖徳太子はホモセクシャル仕立てに描かれています。



 町田――空海や最澄だって、私はすごく革命的な人だと思います。
  空海は大学を中退してから行方不明になっていた期間が七年もある。何をしていたのかと
 いえば、四国や紀伊半島の山林を走り回っていたわけです。そこで日本土着の山岳宗教を身
 につけて、そのうえで中国に行って密教を学んだ。日本土着の山岳信仰と外国の哲学思想、
 これを和洋折衷してしまったのです。そういう意味では彼も革命的ですね。
 そのライバルの最澄もすごい。当時、戒壇院は太宰府と東大寺と下野薬師寺にしか存在せず、                   
 上座仏教の小乗的な戒律を誓わないと、比丘や比比尼になれなかった。ところが彼は、それ
 はおかしい、大乗戒だけでいいと言い切った。もっとシンプルな戒律を約束すれば、誰でも
 坊さんになれるんだと主張し、仏教の「民主化」を要求したわけです。それに対して朝廷は、
 最澄が死ぬまで延暦寺に戒壇院をつくる許可をろさなかった。彼の要求はそれほど突飛なも
 のだったのです。

  この革新的な二人がいて、そういった流れのなかで三〇〇年たったところに法然が出てく
 るわけです。とりわけ法然と関連性があると私が思っているのは、空海の三密加持です。身
 密、口密、意密ですね。ボディと口と意識を使うというものです。法然さんは、三密のなか
 から身密と意密を切り捨てて、口を使うメソッドの口密――もちろん真言宗ではマントラ(
 真言)ですが――を取り出して、六字の名号でやろうと主張したのではないでしょうか。私
 は「法然の涙』(講談社)という小説のなかで、法然と空海を夢のなかで会わせていますが、
 それは彼らに思想的一貫性があると思っているからです。

  日本の仏教史は、おおよそ二〇〇年ごとに偉人を出すというのが、町田史観なのです。で
 すから、とくにこの人ひとりが偉いということはないんで。

 松岡――なるほど。空海の三密加持のメソッドから口密を取り出し、それを口称念仏や専修念
 仏につなげたという見方はすごくおもしろいですね。私からすれば、まさに「編集」にほかな
 りません。

 町田――法然は密教的な修行もやっています。彼は十三歳で比叡山に登って十八歳で黒谷に移
 るけれども、その間の五年間は、延暦かの教則本に従ってやらなければならない修行がたくさ
 んあった。そこで三密加持にふれているのはまちがいないと思います。そこで絶頂して、「悲
 しきかな悲しきかな、いかがせんいかがせん」という言葉が出てきた。こんなものを全部やれ
 と言われても無理だ、どれか一つ選択しなくては、と。まだ十代の法然にも身に遣るような危
 機感があったのではないでしょうか。

 松岡――とはいえ、よくぞそこまで抜けましたよね。空海から法然までのあいだに、空也L人
 や忠心僧都源信のような方がいらっしやったとはいえ、六字名号を声に出して称えるだけでよ
 い、というのはあまりに革新的です。法然は平等院(あるぃはE目脂立の経蔵で見つけた善導
 の『観経疏』を読み込むうちに、ここだというところに出遭ったといいますが、それは偶然で
 はなく、膨大な読書量とスクリーニングカによって導かれた必定だったように感じられます。

 町田――学問的にはそうとう読み込んだうえで見極めたはずですが、その一方で一点集中して
 戦う武士の血というのもあると私は思います。幼少の勢至丸は九歳のときには弓の名手といわ
 れていましたし、ターゲットを狙うということには犬性の感性をもっていたのではないでしょ
 うか。

 松岡――父親が目の前で殺されていったこともあって、負けまいという強い気概があるかもし
 れませんね。多くの法然ファンは、法然土入に寂然とした、ほわーんとしたキャラクター像を
 もっているけれど、そうではない。きわめて鋭い人物だった。
  とはいえ、法然の考え方というのはまわりからするとあまりにも突拍子のないものだったの
 で、いくら末法の世でも、念仏だけで簡単に浄土に行けるというのはおかしいんじやないか、
 と反論もされます。当然、興副寺や延暦寺が文句をつけてきましたね。法然という人は、こう
 いった批判になぜ耐えられたのでしょうか。

 町田――まず第一に、法然さんはエリートの甘えを直感していたのだと思います。お前たちは
 特殊な境遇に生きて、仏教の理想論、建て前を言える立場にあるけれども、庶民を見てみなさ
 い、いまやどうしようもない状態ではないか、と。
  それから、法然という人はいい意味ですごい自信家だった。彼には、学問的にやるだけのこ
 とはやった、読書量においてはだれにも負けない、という自負かありました。そういう知識の
 ヴオリュームにはかなりの自信があったはずで、だからこそ彼が発言することには、帝から庶
 民の遊女までが耳を傾けたのだと思います。
  もうひとつ、法然は定善観を通じた自信をもっていた。定善観とは、阿弥陀の姿や浄土の光
 景を目の当たりにしていくという意識集中的な念仏です。観法にもとづいて十三段階に分かれ
 たビジュアライゼーションです。幻脱体験であり、神秘体験ですね。それが確固たる自信につ
 ながっている。法然さんは、「他人には,この修行はやる必要がない」と言っているけれど、
 自分自身は死ぬまで続けている。そのたびに自分の内面的な自信を塗り替え、活性化していた
 と思います。

 松岡――法然や親鸞の登場を十六世紀の宗教改革になぞらえるとき、親鸞がルターであると行
 われてきたけれども、じつは法然こそがルターであり、親鸞はカルヴァンではないかとする向
 きがありますね。これは町田説でもある。旧カトリックが猛烈な攻撃をかけたときのルターの
 平然たる戦いぶりは、南都北嶺から繰り返し文句をつけられた法然の境遇に近いともいえます。
 興福寺にいたっては「九箇条の失」を掲げて法然教団を攻撃するわけですが、それでも法然は
 屈しない。それでいてちゃんとテキストにもとづいて信仰原理を組み立てたという点でも、法
 然とルターは近いものがある。この二人には、自身の思想の背景にテキストがあるという自信
 もあったはずですね。

 町田――法然がじつにすさまじい人生を脂んできたことも関係している。わずか九歳のときに
 目の前で父親が殺されて、寺を移るよぅにして比叡山に来る。彼の体験そのものが波瀾万丈だ
 し、そのなかで生き抜いて、懸命に学問と向きかい、修行を積んだ。当時の延暦寺といえば名
 門総合大学のよぅなものですから、門閥出身で秀才人間ばかりです。法然には、知識ばかりで
 語っているあなたたちとはちがうよ、という思いがあったはずです。

                                  仏教とイメージ

 松岡――ところで、私にはかねてより大きな疑問がありました。神秘やビジョンというものは、
 日本の仏教でどのように位置づけられているのか、ということです。それというのも、日本の
 仏教のなかには神秘体験を拡張した例が少ないように思えたからです。弘法大師や上人や一体
 さんや一部の禅僧にはそれに近い体験があったことは知られていますが、ユダヤ神秘主義やグ
 ノーシスやビングンのヒルデガルトのように、いわゆるビジョンを見て、ビジョンが宗教にな
 っていく例とはどこかちがいます。ですから、やはり日本仏教はテキスト主義か勤行主義のど
 ちらかだろうと思っていた。

  そんなイメージをもっていたものですから、ずいぷんあとになって『選択本願念仏集』を読
 んだときには驚きましたね。あんなにたくさんのテキストを読んだ法然が、そのなかの一箇所
 にばーっと光のようなものを感じて、浄土教を観仏から念仏にひっくり返してしまう。それ以
 来、私は、日本仏教における神秘やビジョンを考える際に、法然という人はその端緒にいたの
 ではないかと思っています。

 町田――それまでの仏教は神秘体験も含めた統合的な顕密仏教でしたが、鎌倉から顕教の時代
 に入ります。そうすると、浄土とか禅とか日蓮とか、選択型の仏数になってしまって、ビジョ
 ーンやイメージを切り捨てるわけです。たとえば、仏は臨済宗にいた人間ですけれども、座禅
 中に何か見たとしたらい「それは魔境たから、惑わされないように」と言われるます。座陣の
 足の組み方には吉祥坐と降魔坐というのがあって、密教では吉祥坐でイメージ加わきやすいよ
 うな姿勢で座りますが、臨済宗では降魔坐でイメージが出てこないような座り方をする。ビジ
 ョンやイメージはまったくもって不要なものです。現在の日本仏教は、浄土、禅、日蓮という
 系統が表に出ていますから、やはりイメージを重要硯する系譜にはないのです。

  ところで、仏が法然を勉強した理由は、この人だったら深層心理学も使えると思ったからで
 す。フロイトやユングもアメリカで勉強していたし、西田哲学もまがりなりにやってきた。そ                                    
 の前は鈴水天拙の『浄土系思想論』のようなものを読んでいたし、浅原才市とか妙好人のこと
 も興味があり、禅とはまったく異なる世界があることを知っていました。
  それから20年ほどたって研究をはじめるとき、法然さんにはユングもフロイトも所出も鈴
 木も入っていることに気がついた、しかも、常数のあらゆる要素――禅と念仏、仏教とキリス
 ト教、一神教と多神教――も法然さんにはあると考えた。この人ひとりを学んだら、世界のあ
 らゆる宗教のことを論じられると確信したのです。私の博士論文はまさにそういう議論をして
 いるのですが、これはいい選択だったといまでも思っています。

 松岡――いい選択というよりも典型的ですよ。町田さんは、法然のすごいところはイマジネー
 ションやインスピレーション、つまりは想像力にあるとこ言いますが、多くの研究者たちはな
 かなかそう見ない。

 町田――浄土宗の人もそういうことを言いたがらないでしょうね。しかし、私は宗教体験とい
 うのは最初にイメージがあると思っています。それが時間をかけて言語化してくる。すると単
 語が生まれてきて、それがもうすこし時間がたつと体系化して思想やイデオロギーが生まれる。
 出発はイメージなんです。法然の偉大さが語られるとき、たいていは専修念仏とかイデオロギ
 ーのレベルの話になってしまいますが、じつのところ私はそっちにはあまり関心がない。彼の
 イマジネーションを論じることには犬さな意義があると思いますよ。

 松岡――ところが日本の仏教学というのは、そのように日本人のイメージの起源や発達を語る
 ことがうまくできていない。とても残念なことです。

 町田――近代仏教学が、清沢満之あたりから始まっていることも関係しています。ひとことで
 言ってしまえば、かなり理屈臭いのです。

 松岡――しかし、なぜイメージから出発して専修念仏に絞りきれたのか、という疑問も生じま
 す。そもそも、十六観法や羯摩マンダラや阿宇観などのわずかなものを除くと、ほとんどの行
 法はビジュアライズされてないように見えます。口称の念仏もイメージに富んでいるとは思え
 ない。むしろボーカリゼーションの集約ですよね。
  ここの説明がもうひとつ必要なのではないでしょうか。むしろ観仏だったらイメージでしょ
 う。だけど、念仏というのは六字名‥号までいくわけだからマントラやダラニに近い。「声に
  の世界です。そういうように考えられるんじやないかという気がするのですが。

 町田――そのとおりだと思います。しかし念仏に新しい注釈を加えるとしたら、あれは身体行
 です。発声するということも身体行動のひとつですから。そして、イマジネーションは、身休
 感覚を磨かないことにはやってこない。左脳を使うだけでは不ト分で、社訓も使って全体のバ
 ランスを保だなければ、イマジンできない。

  

Charles Nainoa Thompson (born March 11, 1953 )


  かつてナイノア・トンブソンという人が、ホクレア号という航海カヌーに乗ってハワイから
 タヒチヘと渡りました。その際、レーダーやコンパスといったナビゲーターをいっさい使わな
 かった。彼らは一子相伝のようにして特殊な航海術を学ぶらしい。晴れているときには星座を
 見る。嵐で空か見えない場合には彼の動きを読む。つまり、空と彼を見て数千キロも先のタヒ
 チに至るわけです。ここでもビジュアライズする力、イマジンする力が必要になっている。
  法然さんは声の力に注目して、それを何万遍もリピートすることによってイマジネーション
 を促進した。現代においても、声の力でそういうことはできるだろうし、あるいは別の形で身
 体感覚を強めていくことが大事です。昔のお坊さんが偉かったといいますか、すごく思想性に
 富んでいたのは、彼らはとにかく良師を求めて諸国を行脚して歩いたということです。法然も
 山の中を歩き回っているし、叡山からドりて南都留学などもしている。昔の宗教家は本当によ
 く歩いた。歩くことは思想の深化につながります。宗数字にかぎらず昔の動なん人は、飯を炊
 くにも井戸から水を汲んだり、川に洗濯に行ったり、山に柴を取りに行ったりした。何事にも
 身体行動が伴ったから、そこに思想性というものが生まれてきた。

  身体行動が乏しい現代の日本人は、新しい形を作る力(造形力)が落ちている。もちろん
 一部の建築家などはそういう力が突出していたりするけれど、国民全体で見るとそれはあきら
 かだと思います。既存の形ではないものを作り出す力、それぱやはりイマジネーションによる
 もので、その背景には知識だけではなく感性が必要です。われわれは「具象の民」として、す
 ばらしいものを作りあげてきたわけですから、いま一度、身体感覚を取り戻して「復活」する
 のも不可能ではありません。

                                                       この項つづく 

     

        16年度新年会(案内) 

日時 2月13日(土)
開宴 18:00~20:00まで 
場所 彦根市内西今町『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石+放題酒代1・2千円)
送迎 送迎バス:現在時点 JR駅東口側前 17:45
   その他で送迎希望者があれば今月末までに幹事
   までご連絡下さい。
                     幹事敬白  

【繰り寄せた一糸】

初回忌開けで、昨年度は新年会を中止したがこれをリスタートさせることで、ホームページの
改訂作業をすませ、参加者の出欠の確認のために電話連絡し、運動の最長老になる谷口さん、
同じく、同町会の山田さん、元職場の先輩の佐々木さん、柳本さん、吉田さん、水都施工の辻
社長、長浜の中村さんなどと連絡確認作業に移るが、彦根市立図書館で岩本弘著の『定年・シ
ニア企業』、関根俊介著の『個人事業のを会社にするメリット・デメリットが全部わかる本』
を借りるためも兼ね出かけのはいいが、閲覧室で労組支部長であった小崎さん(似た人?)を
見かけ、貸し出し申請をすませ確認するために声をかけようと思っていたが、その人物は俯き
き加減で目を合わすことができず、声をかけることができす、また谷口さんと山田さんのご自
宅に急ぐ。ところが谷口さんは留守で山田さんところにいくと、ご本人は体調が思わしくない
ので欠席とのことだったが、谷口さんは二、三日前に市立病院に入院されていると聞かされ、
途中、会場の「水幸亭」に本予約をすませ、すぐさま、帰宅するなり、彼女とお見舞いに直行
する。

   

病院の病室に上がると折しも奥さんが帰宅するところで、事情を確認し、自宅近くまでお送り
し、帰宅すると、その旨を佐々木さんにはなすと、母が他界した9月の翌月に、小崎さんが病
死され、ご自宅までお悔やみに行ているのだ、わたしが見かけたのは、それは小崎さんが会い
に来たのだよと話す。それは本当か?会に参加しないかと誘うつもりだったのだがと応じ電話
を切ったが、夕食後とても信じられず、同じく書記長だった小原さん確認の電話を入れると、
それは本当だと言う。かれは五個荘町で町内会長を三年の任についているのだが、心臓手術を
受けたばかりだという(カテーテル療法で切開すことはない)。同僚の神鳥さんのエンディン
グノートは早めに書いておくことの忠告を思い出しそんなことを言い電話を切った。そこから
9時の『怪盗探偵山猫』 を観るまで落ち込んだという訳で、翌朝、お悔やみに以降としたが、
ホームナットワークのルータの誤作動でネットワックが遮断、その対応で時間ロスし(家には
彼女と息子たちと数台ある)、昼から、二人で出かけお悔やみに行くと、息子さんに応対して
いただいたが、やはり言うとおりであった。その足で再び図書館にも立ち寄ったが、その彼は
いなかった。それにしても不思議な出来事だった。これは、見ざる糸で結ばれているという、
日本的なあるいは仏教的な”唯心論”の証なのか、たんに妄想なのかと考え込んでしまった。
それにしても、これから意図的に外出する機械が増えるが、精神的にも精神的にも大丈夫だろ
うかと不安が尾を引くようである。

 

 

デジタル革命渦論 2016

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  みずからをうつけ者と称して、まわりからもそう思われた信長のような人
              物がりーダー シップをとったとき、はじめて型が破れるんですよね。もっ
              と身近な例でいうと、忌野清志郎です。

                                                                  松岡正剛  『法然の編集力』

 

【2016のデジタル関連電子機器の動向】

● 高精細監視カメラの偏在と功罪

アナグロからデジタルのシフトによりCCTV(閉回路テレビ:特定人物の映像をその対象に伝
送するテレビ、つまり、"監視カメラ"として急増Sているテレビカメラのことだが、14年の監
視カメラの世界市場規模はメーカー出荷台数ベースで、前年比110.9%の2,545万台でう
ちアナログカメラは1,867万台、IPカメラ(ネットワークカメラ)は678万台の見込であ
った。18年には監視カメラの世界市場規模は4,320万台で、このうち、アナログカメラは
1,720万台、IPカメラは2,600万台とアナログカメラの出荷台数を上回ると予測されて
いる。

アジア地域では、社会インフラ整備に係わる公共施設などにおける需要が堅調に推移し、タイな
どの東南アジア地域では、主に商業施設や店舗における監視カメラ導入が進んでいる。中国では
、公安需要が大きいと見られ、中東地域では各国の建設需要やテロ対策・監視システム需要の拡
大、中南米のブラジルやメキシコでは建設需要が期待できるほか、鉄道や道路などでの監視カメ
ラ需要の拡大も見込まれる。


北米や西欧では、店舗や商業施設での需要が中心であり、今後は高画素化による画像分析など、
より高度なシステムへの移行が考えられる。日本国内では、近年、特に食の安全に関わる「フー
ドディフェンス」需要が拡大しており、製造ラインに加え、フロア管理用のカメラ導入が進み工
場需要が拡大している。またコンビニエンスストアを含む小規模複数店舗における監視カメラ需
要が拡大している。

もっとも、英国のような「監視カメラ大国」では費用対効果が問題となっている地域――ロンド
ンの例では設置するのに推定、約16億円、その維持費が年間225万ポンド(約3億円)が費
やされる。一方っCTVは自動車事故提言に寄与したが、それ以外はほとんど効果がないという
情報もある。別の調査によれば、監視カメラにより、犯人が特定された路上犯罪は全体のわずか
3%にすぎず、暴力事件は監視カメラの存在により助長される?という調査研究もあるが現在英
国内務省は近年見直しを行っている。人権抑圧が大きい共同体ではその使用に対す警戒は根強い
ものの、様々な生産・消費場面の適用対象での逓増は不可抗であろう。 

 16th January 2016

米国のオバマ大統領は、21世紀の交通システム――安全な車両の自動化の開発と採用を加速す
るために10年間に亘り約450億円の投資する。これはカメラだけでなく、従来の電波・光・
レーザーなどにミリ波・マイクロ波センサを加えた”もの情報システム”の開発普及による温暖
化ガス削減に地球環境を防止と、人命尊重と安全安心のための・交通事故の逓減を含めている。

 

● 2016年ディスプレイはOLEDに変わる

コストが大幅に逓減され、有機発光ダイオード(OLED)は、デバイスの広い範囲で使用普及す
る。これらは、よりシャープ、より薄く、より明るいという特徴をもち、従来の液晶ディスプレ
イより省電力(省エネ)で、軽薄で、「ウォッシュアウト」という日光当たっても画像の視認性
を失わず広視野角を保つ。


● デジタル革命の光陰:ロボットの台頭で消える職、20年までに5百万人余剰

 ブルームバーグによると遺伝学や人工知能(AI)、ロボット工学などの研究と技術革新により
人類は20年までに差し引き5百万人分以上の職を失う可能性があると、世界経済フォーラム(
WEF)の調査結果を報じた。技術変革により先進・新興合わせて15の主要国・地域で20年ま
でに約7百人の職が失われる一方、2百万人分が創出されると試算している。これら15の国・
地域は全世界の労働人口の約65%に相当する約19億人の労働者を擁しており、リポートはそこで
の調査に基づいて作成された。

WEFは物理的、電子的、生物学的なそれぞれの分野の境界線(ボーダレス)があいまいになり
第4次産業革命に相当すると位置付け、年次総会のテーマにあがっている。イングランド銀行の
チーフエコノミストによると、自動化によって何百万という職がリスクにさらされると警告する。
同リポートは「技術変革が人材不足と大量失業、格差拡大をもたらすという最悪のシナリオを避け
るためには、今日の労働者たちの再訓練と技能向上が必須としている。管理などホワイトカラー
の仕事が失われる職の3分の2を占め、コンピューターと数学、建築、工学関連の仕事は増える
と予想する。



第4次産業の典型は「NHK」にあるとはわたし言葉だが、すでにわたし(たち)は定義を済ま
せているが、確かに政策を誤るとカオスを引き寄せるが、クールに乗り切れば、社会主義社会に
突入しているを実感できるだろうと考えているが、上図(クリック;"62 people own same as half
 the world”)のように「暴走格差社会」を食い止めることができず、混沌とした状況から抜け出せ
ずにいるかもしれない?

● 「乳牛」救うハイテク「ウエアラブル」

 グンゼは、酷暑によるストレスから乳牛を保護・冷却するウエアラブル(身に着ける)システム
の試作品「ウシブル」を開発した。冷感ウエアと最適注水システムを組み合わせた独自技術で、
京都府農林水産技術センター畜産センターと共同で実証実験を進め、早期の実用化を目指すと公
表。それによると、乳牛は夏の暑さでストレスを受けると生乳の生産量が減少するため、畜産農
家では大型扇風機による送風や散水などの対策が欠かせないが、近年の温暖化などの影響もあっ
て、強い効果が得られないにもかかわらず、電気代がかさみ農家の悩みになっていた。 

 グンゼが開発したウシブルは、人の衣類にも使われる放熱性能に優れた冷感素材の「ラディクー
ル」をベースにした。下着のように乳牛に着せ、細いパイプから少量の水を徐々に流すことで生
地を常に湿らせ、気化熱によって冷却させる仕組み。鍵になるのはウエアに組み込んだ導電性ニ
ット線材だエアが乾燥したり湿ったりすると、線材の電気抵抗が変化する。ボタン電池で作動す
る小型機器で通電させておき、抵抗の変化を見て「乾燥」を把握。そのタイミングに合わせて注
水を行えるようにしたことだが、この方法が切り札(バーゲンパワー)なるのか疑問だが、面白
い。 

  

● 折々の読書 『法然の編集力』 12 松岡 正剛 著      

 第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳 

                                                  法然の引き算

 松岡――造形力という詰でいえば、日本人の文化の底力のなかには、引き算する才能や、シ
 ンブリフアイする感性がありますね。たとえば、水を感じたいからこそ枯山水にして水を抜
 く。石のたくさんあるロックガーデンをいくつかに間引いて、スペースを小当く小さくして
 いく。龍安寺もそうですが、とても小さくしていきます。大徳寺の大仰院となるとかなり小
 さい。あんなところからさらに引き算をすることによって、小なるものがより大なるイマジ
 ネーションを浮かばせる。これはまさに引き算の文化によるものです。紹鴎や利休の茶室は
 広間から四畳半へ、三畳台目へ、さらには二畳台目まで縮約しました.。

 法然の時代は、このあとまさに大台も天台本気に切り替わって、「山川草木悉皆成仏」のよ
 うなものになっていく。そうすると天台座主になった慈円も、あるいは『徒然草』の兼好法
 師も、みんな引き算をしはじめる。法然は、そういう成句的な引き算の才能が群を抜いてい
 たんでしょうね。

 町田――そのとおりです。それまでの何千とある経徘もいらない、何百とある修行もいらな
 い。それは正統ではあるが効き目がない、効き目があるのは専修念仏だけだ、と言ってしま
 うわけですから。
 
 松岡――あとはそれこそ身ひとつ、身体だけがあればいい。これは「生きた枯山水」であっ
 て「生きた俳諧’ですよ。

 町田――俳句的な仏教。五七五にしてしまった。
 
 松岡――それはよくわかります。「選択本願念仏集にを何回も読んでみると、法然さんはた
 くさんのものを比較しながらスクリーニングをしている。ペネトレーションしている。だん
 だんと減らしていく撰述方法をとっているんですね。それについては第一部で論じることを
 試みたのですが、まあじつにみごとです。

 編集という行為もまさに同じですね。私の専門は「編集工学」というものですが、エディテ
 ィングというのも膨大な情報からどんどん減らしていってヘッドラインをひとつにすること
 が肝要です。たとえば、「菅首相やっと決断」とするか、「菅首相いよいよ決断」とするか、
 「菅首相ついに決断」とするか。どんどん減らしていって、残りわずかのところですべてを
 表現するのがエディティングです。テレビにせよ出版物にせよ、日本人は究極まで引き算と
 いう編集をしています。

 『選択本願念仏集』では、九条兼実の質問もあらたでしょうし、お弟子さんたちの「ご上人、
 ここはそれでよろしいんですか」といったようなコンフアメーション(確認)もあったはず
 です。とはいえ、文章をすすめるにしたがってどんどん減らしていくさまはまことにみごと
 です。しかも、減らす際には二分法で削るのではなく、いろいろな説を保留している。青信
 号と赤信号に分断しないで、檀色の点滅信号をのこしている。たとえば、法然さんは観仏が
  ガで念仏がポジであるとは言いません。よく読みこむと、観仏にこだわっていては駄目だか
 ら、こっちヘアウフヘーベン(止揚)しましょうねというような旨い方をずっとしている。
 デリートをしなのです。これには驚きます。法然という人には、編集的にインターフェース
 する才能があるのです。

                               仏教を再統合する

 町田――そのとおりだと思います。ところが、やはり法然さんの選択にも功罪があります。 
 すこし前に話があったように、奈良・平安の仏教は統合型仏教でいろんな要素があった。そ
 こには神秘主義もあったし、儀礼もあったし、学問もあったし、芸術もあったし、音楽もあ
 った。とても多様性に富んだ仏教だったわけです。インドから中央アジアを通ってくる間に
 ペルシャの文化まで吸収して、すごく際かに統合されていた。

 法然という人は、そこから天才的にひとつの方法を取り出してきた。選択したわけです。そ
 れを機に、選択型仏教が日本のメインストリームとなりました。念仏だけでいいですよ、お
 題目だけでいいですよ、座禅だけでいいです上、といったように、平民でもできるような単
 純化されたプラクティカルな仏教の方法論の提供につながった。当時、それはとてもよかっ
 たことですが、すでに八○○年が経過しました。そこで仏が期待するのは「揺り戻し」です。

 松岡――なるほど。もう一回インテグレートしなおすべきだと。

 町田――ええ。それは私がアメリカから帰ってきて真っ先にこ言ったことでもあります。法
 然や鎌倉新仏教の祖師方は、みんな叡山からドりました。山から町へ下りたことで、思想の
 革命がおきたのです。だけど、八〇〇年たったら今度は町から山へ帰るべきです。そうすれ
 ばエコロジカルな仏教も出てくるし、ホリスティックな仏教も出てくる。もっと地球史観に
 立った統合型宗教を日本から生み出していくべきだというのが私の持論です。

 松岡――それは私も賛成ですね。しかし、現在の仏教貝には難しいのではないでしょうか。

 町田――それをやるのが坊さんとはかぎりません。現代の坊さんはほとんど職業化していま
 すからね。

 松岡――ひょっとしたらアーティストや詩人かもしれませんね。

 町田――ええ、経営者かもしれません。ともかく実践している人でないと本物の思想は生ま
 れてこない。机上の空論ではいけません。
 冒頭で申し上げたように、法然さんの八○○年御遠忌と東目本大賞災が重なったということ
 は、そういうメッセージもあるように思えてならない。ここで選択型仏教から統合型仏教へ
 復活しろ、その第一歩を踏み出せ、と。お念仏したら、お題目したら、座禅をしたら教われ
 ますよ、というのはある意味であまりにも人間中心主義的です。そこで教われるのは人間だ
 けではないですか。選択型仏教では、人間以外の動物、植物、地球のことなど考えていませ
 ん。となると、どうしてもより密教的でコズミックなものの見方が必要とされる。

 松岡――それは私もしきりに感じていることで、別の分野でしょっちゅう言っているんです。
 たとえば茶の湯や日舞ですね。こういうものは私の仕事とやや近しいもので、家元たちが「
 お茶会に呼ばれるだけでなくて、松岡さんも何か関与してほしい」と言ってくれます。しか
 し現在の茶の湯や日舞――あいは武道などでもいいのですが――は、最高の引き算とシンプ
 リファイとソフィスティケーションをおこしていながらも、その型どおりにしかできなくな
 っている。「守・破・離」の「守」と「破」しかないんですね。したがって、茶の湯のなか
 で掛軸にキリコが掛けられるとか、日舞に篠笛一本だけが演奏するとか、そういうことがで
 きない。出入りが止まってしまっているんです。

 このあたりをこそそうとうラディカルに思い切らないと、自分たちがはまった世界からは抜
 けられないけれども、抜け出たとしても「それは邪道だ」とすぐに言われてしまう。そこを
 どうするかですね。

 町田――二つの可能性があると思います。ひとつは、アウトサイダーや素人がアヴァンギャ
 ルドな茶の湯を始めるという道。もうひとつは、型の中に閉じ込められていて十分にその型
 を知っている人間、これが型破りをおこすという道。私のことで言うと、二〇年も臨済宗の
 修行道場で本も読ませてくれないような環境に閉じ込められていた。そこから飛び出てきて、
 いまは好き放題言わせてもらっています。

 しかし、型破りの人間というのは、千人に一人くらいしか出ない。いや、一万人に一人かも
 しれません。型を吸収するだけでもずいぶん時間がかかるし、型につぶされてしまう人もい
 る。忍耐力がいるし、意志力もいる。型を十分に身につけるまでに諦める人が半分近くいる
 としたら、あとの半分は型にはまって抜けられなくなるでしょう。だけど、そこからたまに
 飛び出してくるやつ、これが本当の意味の型破りです。どんな業界であっても、画期的な仕
 事をするのはこういう人たちです。

 松岡――白隠や仙涯や散光などには、そういうところがありましたね。けれども、あれから
 またずいぷんとたっているから、それがまた型になってしまった。
 みずからをうつけ者と称して、まわりからもそう思われた信長のような人物がりーダーシッ
 プをとったとき、はじめて型が破れるんですよね。もっと身近な例でいうと、忌野清志郎で
 す。私は、彼は茶人や仏教者なんかを軽く超えていると思っていた。忌野清志郎はポップア
 ーティストでシンガーの変なやつでしたけれど、こういう人物こそが日本の禅であるとか茶
 人の姿であるということを誰かが言わなければいけない。さきほどつ「ホリスティックな仏
 教」と言われましたが、そこにホリスティックなものが現われていることを目利きする人物
 がいないことが大きな問題のように感じます。

                                   この項つづく

 

  ● 今夜の一冊

 

 

現代浄土信仰考

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   山を越え、野を越え、牛と私は村里の近くにきた。今まで雲に覆われた月も、そのまろ
               やかな姿を雲の間から見せ始めた。牛はおとなしくなり、私は牛の背の上で心も軽く、
               歌を歌ったのである。楽しきかな人生である。 

                                                                        「騎牛帰家」(『十牛図』) 

                                                                                  

 

 

  

● 折々の読書 『法然の編集力』 13 松岡 正剛 著      

 第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳  

                                                  「悪人」とは誰か

 松岡――さて、ここでふたたび法然さんに戻ってお話ししたいことがあります。まずは「悪」
 についてです。よく親鸞が悪大正概説を説いたといわれていますが、これはあきらかに法然の
 ほうが先に言っていることですね。それでは、いったい法然によって何が「悪」と見られるよ
 うになって、それを現代でどう継ぐべきなのか。まずはそのあたりから町田さんのお考えをお
 聞かせください。

 町田――勘違いされている方も多いようですが、悪人正機説における「悪人」というのは、何
 か倫理的に悪いことをした大という意味ではありません。自分の中の「悪」に気がついた大の
 ことを「恋人」というのです。

  信仰のなかに「恋」を取り入れることは、一神教にはないものです。たとえば、キリスト教
 信仰の中心にあるのは、父と于と聖霊を.休猷するハ泣.体説ですが、サタンという存在はこ
 の三位一体から疎外されているから、キリスト教には-悪にの居場所かおりません。
 ところが、ユングに言わせればそれは間違いで、同位.体こそが正しいとド張します。三角形
 ではなくダイヤモンド型ですね。この理解において、神は,完璧なる存在」ではなくて「完全
 なる存在」です。パーフェクションではなくコンブリージョン。そうすると悪は陣の一部とな
 るので、これを疎外してはいけない。

 松岡――ドストエフスキーなどは気がついていましたね。

 町田――そうそう。ユングは臨床セラビストとしてそのことに気がついた。人間の意識と無意
 識の分裂が精神不安定を呼ぶのだから、意識と無意識の統合が精神を安定させるし、そこで、
 はじめて全人性というものが出てくると指摘した。となると、ダイヤモンドのド半分の三角形
 のサタンの部分が無意識の領域なので、これを無現したり抑圧してはいけない。これは心理学
 的には臨床からあきらかなことだ、と。ところが、キリスト教はいまだにLヤ分の三角形が善
 であり光の世界だといっている。これに対してユングは、闇の世界も当然あるわけだから、こ
 れを信仰のなかに取り込むべきだと言ったわけです。

  私はここからヒントをもらって、法然や親鸞が言った「悪人」というのは、ダイヤモンド全
 体を白分のなかに見ている人のことだと解釈した。親鸞はみずからのことを「蛇蝸のごとくな
 り」と言ったけれども、彼は自分のなかに潜むサタンをちゃんと貼ている。そういう自分かい
 て、どうしようもないものと思い、業の深さを感じる。そこに気がつかないと、「悪」を抱え
 る自分でも救ってくださる阿弥陀さんがおられるという信仰の世界には入っていけないはずで
 す。この自覚ができる人のことを「悪人にとよぶのです。だから、みずからを善良な人間、親
 切な人間、嘘をつかない人間だとjっている人は、自分という人間を上半分の三角形のなかで
 皮相な自己理解をするしかできない人だと思います。




 松岡――その「悪」の理解は刺激的ですね。私も日本における「悪]は[過ぎたるもの」とい
 う意昧だったと見ています。トウー・マッチです。この時代の「悪」とか[悪人」は、憎々し
 いとか憎むという使い方くらいなのに、そのトウー・マッチな「悪」というカテゴリーを信仰
 のなかに入れてしまったというのは画期的です。

 町田――法然という人は「悪」というものを徹底的に見つめました。それはもちろん、自分の
 なかの「悪」だけではなかったでしょう。彼の生きた時代は、人間の「悪」が露骨に出ている
 時代だった。目の前で殺し合いをしている、路上で強姦もしている、そんな光景を毎日のよう
 に見ていたわけですから、このとてつもない光景が救われるためにはどうしたらいいのかと徹
 底的に考えることができた。

 その思索の末にたどり着いたのが悪人正機説ですから、これは一神教を信じる人たちにもぜひ
 聞いていただきたい。彼らは、信仰のなかに「悪」をもたない、いい換えれば、信仰をもつ者
 はみな善人だと考えている。そうすると、このすばらしい信仰を共有しないやつはサタンだか
 ら、原爆を落としてもいいとかミサイルをぶち込んでもいいという発想ないんです。

 松岡――「悪」が敵になってしまう。

 町田――仮怨敵をつくって攻撃する、そして軍事力や経済力を高めていく。これが近代文明の
 本質ですからね。なので、もし文明のパラダイム・シフトがあるならば、まさに「悪人」を取
 り込むようなコミュニティをつくっていく必要がある。

 松岡――おっしやるように、キリスト教において[悪」が下半分に隠されてしまっていて、き
 っちりと信仰のなかに組み込まれなかったのは大きな問題ですね。だからドストエフスキーや
 メルヴィルやトーマス・マンのような天文学も出てきたのですが、ところが、そこでもうひと
 つ問題になってくるのは、「悪」が行為として裁かれる対象になってしまっていることです。

 仏教では「悪人」であるかどうかは、カルマとしての「悪」をどう感じるかが問題になってい
 ます。誰にでもあるものが、いまは自分のところにやってきて宿ってしまった。そういう「悪
 」ですから、必ずしも行為としての「悪」、裁かれる[悪」であるとはかぎらないのです。悪
 人正機説という独自の思想が生まれた理由は、ここにあるような気がします。

 町田――そのとおりです。しかし、本来はキリスト教だってそういうものだったかもしれない。
 キリスト教には、群衆が姦淫を犯した女性を.石打ちの刑にしようしているところにイエスが
 やってきて、「このなかで罪のない人から彼女に石を役げなさい」という話がありますね。そ
 の言葉を間いた群衆がひとり去り、またひとり去り、ついにはだれも石を投げることができな
 かった。そしてイエスは黙って地面の砂に字を書いた、という話です。ここからもあきらかな
 ように、やはり、イエスという人は自分の罪に気がついていた。姦淫を犯した女性と同じだけ
 の罪と弱さを自分の中に見つめてきた。だからこそ彼女を裁けないのです。

 松岡――ところが、その後の歴史を見るとそうではないですね。政治的な都合で宗教会議と異
 異端裁判をやりすぎた。やはり法然が「善」と「悪」を同質的にとらえたことは、世界の宗教
 史上でもきわめて画期的なことでした。そもそも日本における「善知識」とか「善」というの
 はヨーロッパ的な「善」や「悪」とはちがってきますね。「善」と「ブッドネス」とば意味合
 いがちがってきますね。「善」と「グッドネス」では意味合いがちがう。さきほどのダイヤモ
 ンドでいえば、仏教における「善」は三角形ではなく、もうすこしネットワーク的な広がりを
 もっているように思います。

 町田――倫理的な「善」とはすこし異なります。「善知識」というのはサンスクリット語の直
 訳だったと思いますが、プラジョーナ(智慧)に目覚めた人という意味に近いでしょうか。

 松岡――法然は『一紙小消息』のなかで「罪人なお生まれる況や善人をや」と言っています。
 この「罪人」というのも、おそらく当時は「悪」と結びついていたのでしょうね。

 町田――自分のなかのカルマに気づいた人と、実際に非を犯した人。二重の意味があったと思
 もうひとつ、法然思想から現代に継ぎたいのは[死」についての思想です。法然は死近代に生
 きるわれわれは、生物学的な個体生命だけが命であると考えていますね。脳いますね。当時は
 人殺しや盗みが横行していた時代ですから、そういった非を犯した人も少なくなかった。しか
 し、罪人であっても本当に心底から恨悔して、つまり自分の「悪」に気づいて、「南無阿弥陀
 仏」とさえ称えれば、阿弥陀さんは捨てませんよ、と。そういうメッセージもあったはずです。

 浄土信仰の象徴 平等院



                                  仏教における死 

 松岡――もうひとつ、法然思想から現代に継ぎたいのは「死」ついての思想です。法然は死を
 いかに扱ったのか。あるいは、これから再統合される仏教のなかでどう扱えばいいのか。仏教
 における死、日本人と死はどうなっているのかを考えたい。 
  法然の時代には「類の死」を「個の死」によって乗り超えたり、いちいち「類の死」を問題
 にせずに、個の念仏から往生という死の対比がつくられた。そして、3・11という未曽有の
 大災害で、日本人はふたたび「類の死」と[個の死」を同時につきつけられた。やはり「悟り
 の仏教」に対して「救いの仏教」というものが必要とされるのでしょう。

 町田――近代に生きるわれわれは、生物学的な個体生命だけが命であると考えています。脳死
 の問題はその典聖で、かなりプラグマティックな生命の理解しかしていない。そうすると、先
 端医療が発達してきたら、長生きさせるために何をしてもいいということになってしまう。し
 かし、仏教はそうではありません。仏教はつねに永遠を見ているわけだから、人間の生死には
 関係ない。法然さんが本当にしつこく口癖のように使う言葉に「生死を離る」とうものがあり
 ます。人間が生きるとか死ぬとかはあまり問題ではない。さきほども言ったようにトイレで死
 んでもいい、人通りで死んでもいい、みんな永遠の命に還っていくのだ、という感覚をもって
 いた。 

  ギリシャ語のビオスとゾーエという言葉を使って説明すると、さらにわかりやすい。ビオス
 は個体生命です。お数珠でいえば一粒一粒がピオスで、つないでいる糸がゾーエです。近代で
 はこのビオスしか見なくなっているから、この粒が死んだら終わりだということになってしま
 う。けれどもゾーエを見てていたら、一粒が二十で死んでもいい、百歳で死んでもいい、なぜ
 ならみんなが同じところに還るのだから、と思えてくる。宇宙生命的な空間に戻っていくわけ
 です。仏教にはそういう安心感がある。これをもっと科学的に論じられたらいいと思いますね。 

 松岡――「メメント・モリ」のような言葉もありますが、西洋では死は敗北や敗走とされます
 ね。だから、死生観が生と死においてつながっていない。切れている。仏教のいいところは、
 生もつながっているし死もつながっているところです。弘法大師が「秘蔵宝鏡」に残した言葉
 に、「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わり
 に冥し」というものがあります。生と死は数珠のようにつながっている、と。ここが仏教の
 重要なところです。この死生観がまさに教いです。

 町田――私がよく言うことですが、西洋における理想的な人間は聖人です。道徳的にまった
 く傷がなく、独身で、神に近いような高いところで崇め奉られる人のことです。ところが、
 東洋の理想的人間像は[十牛図」に出てくるような痴聖人です。「やまいだれ」の付いた「
 痴]です。教養があるかどうか、修行したかどうかもわからない、それでいて安心立命の世
 界に生きているような普通のおじちゃん、おばちゃん。ここでもやはりゾーエ的な生命を直
 観している。



 松岡――手ぶらのすごさみたいなところがありますね。

 町田――そうです。この「痴」があるかないかは大きなちがいで、これもわれわれが強く発
 信していかなければいけない。
 私は「十牛図」の英語版をつねに持ち歩いていて、イスラム圈でもよく見せるんです。あな
 たたちは「アッラーは偉大なり」と言い続けて、ずっとコーランを読んでいる。だけど失礼
 ですが、アッラーというのは「十牛図」における牛ではないのですか、あなたたちは牛を追
 いかけているだけでしょう、と。しかし、牛は第六図までで消えてしまう。第七図の「忘牛
 存人」ではもう人間の主体性だけで、第八図の「人牛倶忘」になると、牛も人もいない「空
  」の世界になっている。第九図の「返本還源」では、梅の枝が描いてあるだけです。ここま
  できて宗教を論じてくれないと、説得力をもたない。うちの牛がいちばん大きくて、色艶が
 いいと言っているけれど、それは本来、第六図で消えてしようべきものです。

 

 松岡――それがきょうの結論かな。討談のい目頭では、日本の文化の阻個は「追放と復活」
 にあって、福島原発の事故がその折り返し点になるというた発言がありました。「十牛図」
 を見てみると、第六図で白黒を一回入れて、さらに先に行く。ここには見過ごすことのでき
 ない東洋的な共通点がある。ところが西欧というのは、このダイコトミー(二者択一)、そ
 の白黒のところで終わってしまうんですね。

 町田――おっしやるとおりです。俺はすばらしい牛を手に入れたというところで終わる。ま
 さにアメリカンドリームの世界です。ところが、本当の人生、本当の宗教が始まるのは、牛
 が消えてしまってからですよ。そして、それを語れるのが東洋であり仏教です。しかも、中
 国は当面、拝金主義から抜け出せないでいるから、過去からの精神遺産としての東洋の知恵
 を語れるのは日本だけだと思います。

 松岡――法然も激しい批判にさらされたうえに法難を受けますが、まるで平気でしたよね。
 普通だったらそこでギブアップと言いたくなるところを、それも受け入れなきやならないも
 のだと言ってのける。いわけ「十牛図」でいうところの七、ハ、九をやってしまうのでしょ
 うね。

 町田――そして最後は痴聖人になって死ぬ。そこもまた法然さんのすごいところです。

                                     あとがき

 この本は、私がNHKの特別番組「日本最大の国宝絵巻 法然上人絵伝」にナピゲーター役
 として出演した機縁から生まれた。番組制作中に3・11東日本人雲災がおこり、その後も
 福島第一原発の事故が激しく乱打されていた。この本はそうした異様な余波の中から立ち上
 がったのだが、そうであればこそ、私にとっても関係者にとっても、地震-津波-原発-被
 災-法然-喪失-念仏-死者-家族-阿弥陀仏―鎮魂-浄土-南無阿弥陀仏」は、事の当初
 から分かちがたくつながっていたのである。

 法然を考えることについては、私が「選択本願念仏集」を追い読みしているときから始まっ
 ていた。そこには驚くべき編集術が駆使されていた。レトリカルなのではない。多少アクロ
 バティックではあるが、信仰の根拠を求めるための構造的編集が徹してなされていた。専修
 念仏を正当化するための辻褄合わせの編集でもない。まるで「思想のミラーニューロン」を
 複合的に活用したかのような編集力なのだ。しかし、なぜ法然がそのような複合編集に長け
 たのかということをさぐるには、いろいろ当たってみなければならないことがあった。

  第一部ではその推理の一端を示しておいた。たいへんな読書家であった法然が、長きにわ
 たった浄土三部経の学習から抜け出して善導や水観の言葉に出会い、これらを合わせ鏡にし
 つつ「弥陀の本願」による六字名号の決定に及んでいったプロセスを編集部のインタヴュー
 に応じながらできるだけわかりやすく書いておいた。

  第二部はテレビ番組でもとりあげた土人絵伝のハイライトを、実写の風景をまじえて紙上
 で案内した。法然の意外な生涯がざっと追えるようにもなっている。第三部ではこの本が生
 まれた原点に立ち返るために、それには最もふさわしいと思えた町田宗鳳さんにお願いして、
 「3・11から法然へ」という逆旅を先導してもらうことにした。私は町田ファンなのだ。
 たいへん刺激的で示唆に富むものになったと思う。

  法然を知ることや、法然を媒介にして日本仏教やその背後のアジア仏教のさまざまな突起
 と深淵を覗きこむことは、現在の日本人が本気で立ち向かうべき大切な宿題になっている。
  その宿題を解くことは、いまや決して容易なものではないだろうが、こういうときこそ、
 法然の相互作用型の編集力が大いなるヒントになるにちがいない。
  この本も、むろんそういう「編集の産物」である。もともとの番祖プロデューサーだった
 河邑厚徳さん、そのときのディレクターの高橋才也さん、NHK出版の原田親さん、とりわ
 けこの本の「選択本願]作業を一手に引き受けてくれた粕谷昭人さんに感謝したい。


この『法然の編集力』は「松岡正剛の編集力」とし読み進めてきたが、第三部の町田宗鳳との対
談は圧倒される。すさまじい読書量と実践量だ。特に町田宗鳳の経歴から湧き出す言の葉の数々
に、そのパワー・思想的フィールドが加わることで重みと深みが逓増してい行くかのようである。
さて、末尾の松岡正剛の、現在の日本人が本気で立ち向かうべき大切な「宿題」にわたし(たち)
がどのように応えるのかという課題が残された。


                                      この項了

 

 

【最新ナノ電子工学 2016】

● 高効率ペロブスカイト型太陽電池製造コスト大幅逓減

スイスの大学 Ecole Polytechnique Federale de Lausanne(EPFL)の研究者は、変換効率20.2%と
高いペロブスカイト太陽電池をこれまでより大幅に低い製造コストで作製する技術を開発。ベー
スとなったのは、酸化チタンと色素などから成る従来の色素増感型太陽電池だ。ぺロブスカイト型では、
“色素”の代わりにペロブスカイト材料を用い、正孔輸送材料としてのヨウ素溶液の代わりに、
Spiro-OMeTAD などの特殊材料を用いたものが多い。実はこの正孔輸送材料が大きな課題だっ
た。ここで利用するぺロブスカイト材料は鉛と有機材料から構成、安価だった一方で、正孔輸送L
材料は1グラムあたりでおよそ4万円弱するなど非常に高価。今回、EPFLは既存より1/5と
比較的安価な材料「FDT;非対称フルオレン - チオフェン」を使用し、変換効率20.2%を実
現したという。後は堅牢性・寿命性・安定性・安全性が課題のみとなるはず。

  2,2'-(9,9-Dihexyl-9H-fluorene-2,7-diyl)dithiophene

 

Cheaper solar cells with 20.2% efficiency

※Saliba M, Orlandi S, Matsui T, Aghazada S, Cavazzini M, Correa-Baena J-P, Gao P, Scopelliti R, Mos-
coni E, Dahmen KH, De Angelis F, Abate A, Hagfeldt A, Pozzi G, Graetzel M, Nazeeruddin MK. A mol-
ecularly engineered hole-transporting material for efficient perovskite solar cells.Nature Energy 15017, 18
January 2016. DOI: 10.1038/NENERGY.2015.17

 

 

 

最新ナノ電子工学 2016 Ⅱ

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                           Well I'm running down the road trying to loosen my load,
                              got a world of trouble on my mind.

                              Lookin' for a lover who won't blow my cover,
                              she's so hard to find.        

                              Take it easy, take it easy.    

                                                                                             Eagles "Take it Easy"


         ※ blow one's cover ;  秘密の身分をばらす 

                               
                        心の重荷を解き放とうとこの道を飛ばす
             トラブルばっかり抱え込み

            俺の秘密をばらぬ恋人を探してる
            見つけるのは難しいけど

            気楽に行こう、気楽に



                                                                                       

  
        家族でカラオケを楽しんだ正月の夜、この曲を唄った。
             久しぶりのためよれよれの調子ぱずれを披露することになったイーグルの名曲。
             そのメンバーのギタリスト、グレン・フライが逝去、享年六十七。
                                                         
                                       合唱

                                                                                                                                                       

  

【最新ナノ電子工学 2016】

 

 doi:10.1038/nnano.2014.3.161

● 高感度グラフェンと量子ドットの光検出器

上図は、2年前の高感度光検出器の技法だが、五酸化二タンタルの誘電体をグラフェンで挟み込み電
圧印加すると従来の20~25倍の1A/Wの光感度を得ている。受光するとこのグラフェンの光遮
蔽効果(photogating effect)で感度大きすること、あるいは電子(正孔)の寿命を長くできる。

Jan 12, 2016

これに対し、上図特許は、可視・近赤外・短波長・赤外線用シリコン系、InGaAs系フォトダイオード
は高感度であるが、読み出しノイズにより制限され、その量子効率は1である(つまり、吸収された
光子当たり1キャリアに対応)。また、アバランシェフォトダイオードでは、キャリア増倍効果を介
し利得改善されてきたが、吸収された光子当たり百~千キャリアのオーダーにとどまる。一般的なイ
メージセンサの検出器の構造の技術課題は、動作バイアスが高いことである。高い電圧印加とリーク
電流の抑制、励起電子(正孔)寿命を延ばすことにある。さらに、これらのデバイスが原因のアバラ
ンシェフォトダイオードに必要な種々の成膜プロセスは、CMOS(相補型金属酸化膜半導体電界効果
トランジスタ)電子回路が一体モノリシックに集積できない。



図1はコロイド量子ドット(QD)とカーボン系層で構成しCMOSとして相互統合されたハイブリッド
光電子プラットフォームの断面構造図。炭素ベース層は、キャリア輸送チャネルとし使用され、量子
ドットは吸収材料として使用。図に示すように。フォトトランジスタに適用した場合、グラフェン層
2は、フォトトランジスタのゲートを形成するために、3のシリコン中間層を有するシリコン基板上
に堆積され、左右のVs、Vd は、FETトランジスタのソース電極、ドレイン電極として、デバイス金属
コンタクトを形成する。グラフェンは、その後 上塗りされたCQDs層1は、そのバンドギャップ量子
ドットの大きさや材質に応じて調整する(CdSe:400-650 nm、PbS:650-2000 nm、HgTe:1500 -4000 nm)。
グラフェンと層の界面では、組み込みこまれたPbS 量子ドットからホール(正孔)がグラフェンに転
送され、図2示すように、PbS 膜と内挿薄膜に空乏層を形成。入射光子により、量子ドット内に電子
正孔対を形成する。グラフェン層の量子ドットのバンドアライメントに、キャリアの単一の電子をソ
ースからドレインに印加電圧で、金属接点を介しグラフェン層に転写・搬送される。図3示すように
正孔はそのキャリア寿命を延ばし PbS層に閉じ込められた光生成電子がグラフェン層からソースンコ
ンタクトに到達すると、別の電子が電荷保存提供のためドレンコンタクトから注入される。

再結合の前に、単一の光子吸収電子キャリアは、デバイスに再循環し、グラフェン-QD層に形成され
たヘテロ接合は組換えを抑制、したがってキャリア数は、グラフェンチャネルの電子走行時間とキャ
リア寿命比で与えられる。グラフェンチャネルにり提供される非常に高いキャリア移動度と106のオー
ダーの光伝導利得は図4で観察している。グラフェンの高い移動度は、数ボルトのソース・ドレイン
で非常に低い所要印加電圧で直線的に利得調整できる。この現象は、(「photogating 効果;光遮蔽効果
」)は、入射光を光学的な制御ゲート機能として、QD層にキャリア生成するが、グラフェン層上にト
ップゲートを有することと等価である。

以上を整理すると、たとええば、(1)構造が簡単な電界トランジスタが、(2)低コストで、(3)
高感度な、(4)量子ドット種・サイズで波長選択可能、(5)よりコンパクトなイメージセンサが
つくれるだろうと考えられる。

※ 参考文献

Emin, S. et al.: "Colloidal quantum dot solar cells". Solar Energy, Mar. 12, 2011, vol. 85, Elsevier Ltd.,
pp. 1264-1282, ISSN 0038092X. cited by examiner .
Emin, S. et al., "Colloidal quantum dot solar cells", Solar Energy, 2011, vol. 85, pp. 1264-1282. cited by
applicant .
Konstantatos, G. et al., "Ultrasensitive solution-cast quantum dot photodetectors", Nature, 2006, vol. 442,
No. 13, pp. 180-183. cited by applicant .
Spanish Report on the State of the Art issued by the International Searching Authority (ISA/O.E.P.M.) on
Nov. 15, 2011 in connection with Spanish Application No. ES 201131345. cited by applicant .
Konstantatos, G., and Sargent, E., "Nanostructured materials for photon detection", Nature Nanotechnology,
vol. 5, No. 6, 2010, pp. 391-400. cited by applicant .
Singh, V., et al., "Graphene based materials: Past, present and future", Progress In Materials Scinece, vol.
56, No. 8, 2011, pp. 1178-1271. cited by applicant .
Yang, H.Y. et al., "Enhancement of the photocurrent in ultraviolet photodetecters fabricated utilizing hyb-
-rid polymer-ZnO quantum dot nanocomprosites due to an embedded graphene layer", Organic Electron-
ic, vol. 11, No. 7, 2010, pp. 1313-1317. cited by applicant .
PCT International Preliminary Report on Patentability issued Nov. 6, 2013 in connection with International
Application No. PCT/EP2012/064979 cited by applicant.
グラフェン:室温で高い感度を持つ光検出器 Graphene photodetectors with ultra-broadband and high responsivity at room temperature Natuer nanotec-
hnology vol9 P273 (2014) DOI: 10.1038/NNANO.2014.31

 Jan 5, 2016

● 多接合太陽電池最新技術

上図の新規太陽電池は、しばしば、垂直の多接合構造で製造され、互いに直列に接続された個々の太
陽電池を用いて、水平方向のアレイに配置。アレイの形状及び構造とそれが含むセルの数は、所望の
出力電圧と電流により部分的に決定される。このようMW Wanlessらが記載しているように変成太陽
電池構造を反転。格子不整合は高性能化に、Ⅲ-Ⅴ族太陽光発電コンバータは、次世代高効率太陽電
池開発に重要な概念が提示されている。下記参考文献に記載された構造は、材料と製造ステップの適
切な選択に関連する実際的な困難の数を提示。従来技術の材料と製造ステップは、反転変性多接合セ
ル構造を使用し商業的に実現可能なエネルギー効率の良い太陽電池を製造には不十分である。

反転変性多接合(IMM)ソーラーセルを製造する基本的な概念は、「逆」の順序で基板上に太陽電池
のサブセルを成長させる。開示は、段階的中間層が(In..xGa.1-X)..y Al..1-YAsから構成される有機金属
気相成長(MOCVD)法を用いた太陽電池の製造方法を提供し、xとyが計算し、段階的な中間層の組
成物の値で、それが組成片側の真ん中のサブセルと反対側の下部3分の1のサブセルを段階的に格子
整合するよう、MOCVD炉内で形成した層は、段階的中間層のバンドギャップがこの層の厚さ全体にわ
たり1.5eVで一定する。

ぺロブスカイト型や量子ドット型比較すると製造プロセスの煩雑さで見劣りしなくないが、前者の2
方式もそれぞれ短所をもち一概に現時点で優劣つけがたしというのが今夜の感想。しかしながら、こ
の3方式はいずれもナノサイズ加工で共通する。つまり「ダウンサイジングする発電」という側面で
いえば蓄電池セットでもっとも優れた発電システムであることに誰しも異論はないだろう。予定より
10日ほど遅延しているが、ここ数ヶ月はわたしにとっての最大の山場になる。


※ 参考文献

 

Aiken et al. "Consideration of High Bandgap Subcells for Advanced Multijunction Solar Cells," Confer-
ence Record of the 2006 IEEE 4.sup.th World Conference on Photovoltaic Energy Conversion. May 1,
2006, pp. 838-841. cited by applicant .
Cornfeld, et al., "Development of a Large Area Inverted Metamorphic Multi-junction (IMM) Highly Eff-
icient AM0 Solar Cell," 33.sup.rd IEEE Photovoltaic Specialists Conference, May 11-16, 2008, San Die-
go, CA, USA; 5 pgs. cited by applicant .
Stan et al., "High-efficiency quadruple junction solar cells using OMVPE with inverted metamorphic
device structures," Journal of Crystal Growth, 2010; 312:1370-1374. Elsevier, Amsterdam, Netherlands. c
ited by applicant .
Conference Proceedings of the 31.sup.st IEEE Photovoltaic Specialists Conference, Jan. 3-7, 2005, IEEE-
Press, 2005


  Jan 7, 2016

 ● 太陽光エネルギーを化学反応で「熱」として貯蔵

 マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームは、太陽光エネルギーを蓄積し、後で必要な時に熱
エネルギーとして放出できる新しい素材を開発。この透明高分子素材は、窓や衣服などさまざまな用
途で活用できるという。この原理は下図のように、この効果を実現するカギになったのが「2つの異
なる構成のどちらかの状態で安定する」という特性を持った分子。日光にさらされると光のエネルギ
ーが分子の形態を「充電」の構成に変形させる。その状態で長期間とどまることができる点が特徴。
一方、特定の温度や特定の刺激など限られた条件が与えられると、その分子は熱の放出を行って、元
の形状へと戻る。

 

太陽熱燃料(STF)のように、化学的な変換をベースにエネルギーを蓄積する材料の開発は、グロス
マンと彼のチームによる研究を含め、今までにさまざまな研究機関で行われてきた。しかし、これら
は液体溶液中で使用されるように設計され、固体用途においては非常に限られていた今回発見された
新しいアプローチは、固体材料ベースとし、安価な材料と幅広い製造技術に基づいた世界初のもので
ある。

新しい材料の製造は、2段階のプロセス、シンプルで拡張性の高い。このシステムの開発は、太陽熱
を蓄積し日没後に調理用の熱を放熱するソーラークッカーの開発を目的とした、蓄熱材料の薄膜化に
成功。ガラスや織物などに組み込むことなども可能。熱の有効量を貯蔵する能力を持つフィルムを、
より簡単に信頼性高く製造するため、研究チームでは材料としてアゾベンゼン(2つのベンゼン環が
アゾ基で結合した芳香族アゾ化合物)を使って研究を開始。まず光への反応により分子構成を変化さ
せる。アゾベンゼンは光による分子構成の変化がある他、熱の小さなパルスにより刺激を受けること
が分かっている。エネルギー密度やエネルギー量などの改善に、材料の改善などを進めた。

この新しい材料は透明性が高いため、自動車のフロントガラスの凍結防止などにも使用できる可能性
がある。フロントウィンドウは視認性が落ちるためにこうした電熱線の埋め込みは禁止されている場
合が多い。新しい素材を使えば、フロントガラスの凍結防止に使用できる。このような窓が自動車に
搭載されたとすると、自動車ではいつでも太陽光からのエネルギーをフロントガラスに蓄積しておく
ことができる。そして、何らかのスイッチを入れると、少量の熱を発して、空気を暖めることができ
、ガラスの氷を溶かすのに十分な熱を生み出すことができることをテストしている。ガラス面に近い
氷だけを溶かすことができれば、滑り落ちたり、ワイパー除去できる。研究チームではこの氷溶融フ
ロントガラスを実現に、フィルム特性の向上件としている。フィルムは現在は黄色がかった色合いで
、その透明性の向上について研究を進める。また、解放する熱も、周囲の温度より10度も高ければ氷
を溶かすことは可能だが、より早く氷を溶かすことができるように、20度の温度差を目指す。

 July 14, 2011

また、この技術は電気自動車(EV)に特に有用で。電気自動車は寒い環境では、電池の特性上の問
題や、加熱に多くのエネルギーを使用することから移動距離が30%低下するが、この新しい技術を
用いることでその消耗を抑えることができる。

 

 

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