告子(こくし)篇 / 孟子
※ 死ぬのぱいやだが:魚はわたしの好物だ。熊掌(熊のてのひら、
珍味中の珍味)もわたしの好物だ。しかしいちどきに両方を食べ
るわけにいかないなら、わたしは魚をあきらめて熊掌を選ぶ。生
命も惜しい。義も守りたい。だがそれが両立しないとき、わたし
は生命を捨てて義を守る。わたしだって生命は惜しい。しかし生
命以上に大切なものがある。だからその大切なものを捨ててまで
生きようとは思わない。わたしだって死ぬのはいやだ。しかし死
ぬこと以上にいやなものがある。だからそれを避けるためには死
を選ぶこともあるのだ。
もし人間に生命以上に大切なものがないとすれば、生命を守るた
めには手段を避はないだろう。死以上にいやなものがないとすれ
ば、死を避けるためにはなんでもするだろう。しかし、こうすれ
ば生命が助かるという場合にも、わざとそうしないことがある。
こうすれば死が避けられるという場合にも、そうしないことがあ
る。つまり生命以上に大切なものがあり、死以上にいやなものが
あるわけだ。
そう考えるのは、賢人だけではない。だれでも考えることなのだ。
ただ賢人はいつもそれを忘れないというだけである。一杯の飯、
一椀の汁、これがあれば飢え死にしないですむという場合でも、
罵声とともに与えられれば、卑しい人間でも受けとりはしない。
足蹴にされて与えられれば、乞食でも受けとるのをいさぎよしと
しない。ところが、万鍾(まんしょう:一鍾は六石四斗にあたる)
の禄ともなると、礼義にそむくかどうか考えもせずにとびつく。
いったい万鍾の禄が何をも仁らすというのか。立派な邸宅、妻や
妾の贅沢な暮らし、貧乏な知人への恩着せのための施し、そんな
ものではないか。まえには餓死を免れるためのものでさえ受けと
らなかったのに、今度は邸宅を立派にする、妻や妾に贅沢させる、
貧乏な知人に恩を着せる、そんなことのために万鍾を受けとろう
というのだ。これがどうしてもやらねばならぬことなのだろうか。
本心を失うとはまさにこのことだ。
【解説】小さな侮辱に堪えられない者が、大きな恥辱には不感症であるの
はなぜか。人はみな人間らしく生きたいと願い、豊かな生活に心
を魅惑されるからだ。しかし人間らしさとは、物質的な豊かさだ
けであろうか。孟子によれば、人間を禽獣と区別する最大のもの
は高貴な精神をもつことである。人はパンだけで生きるのではな
い。※熊掌:ゆうしょう
昨夜まで、光レクテナ技術原理とその課題に関して俯瞰してきたが、サーモタイリ技術を分類すると、
大きく4つに分けることができる。❶長波長光から短波長光へ変換可能なアップコンバージョン材料を
入射光側表面に複合化し、未活用の赤外線を可視光に変換させて光電変換効率を向上させる光電変換法、
❷熱型の一つである焦電型赤外線センサは、人感センサー等で普及、波長10μm付近の赤外線検出す
るがこれを応用したのが光電変換法である。❸ペリチェモジュールと同様で、通常複数個のp型熱電(半
導体)素子とn型熱電(半導体)素子とを交互に配置し、これらの熱電変換素子を金属などの導電性材
料を介して電気的に直列に接続する熱電変換法。❹そして、サウジアラビアのアブドゥラ科学技術大学
の研究グループは、金属|絶縁体|金属(MIN) 型ダイオード回路の金とチタン構成の蝶ネクタイ型ナ
ノスケールレクテナ(整流アンテナ)法の光電変換法の4つある。このうち、❸の方法は、構造が簡単
で、振動、騒音、摩耗などを生じる可動部がなく、取り扱いが安易かつ安定に特性を維持できることに
加え、熱源規模を選ばないなどの特長があるため、腕時計向けの携帯型電源などの規模の小さな熱源か
ら、大規模な各種製造プラントまで、各種の廃熱を電力として回収し有効利用する手段として注目され
ている。さらに、このシリーズのNo.138「サーモタイル事業篇:高出力フレキシブル熱電モジュール」で紹介
したように可撓性を備えた薄膜モジュールの開発もなされている。、
Jan. 27, 2018
このように、地球に注がれる太陽エネルギーは、全世界の消費電力の僅か1秒間(=人類のエネルギー
消費は太陽エネルギーの僅か1万分の1)に相当する膨大なエネルギーを太陽光発電=エネルギータイ
リング事業で効率よく変換する時代がやってこようとしている。
✪ すべての道は太陽に通ずる!
【ソーラータイル事業篇:ペロブスカイト型ソーラーの躍進】
約10数年に色素増感型太陽電池の事業開発に手染めて、レッツェル急需→宮坂教授らの研究をへてペ
ロブスカイト太陽電池として、ここに欧州を中心に、産業史上最速ペースで進歩、ユビキタスなグリー
ン太陽エネルギー変換モジュール主流に踊り出て注目を浴びている(上写真クリック参照)。安価で普
及すにには多くのハードルを克服される必要がある。 ペロブスカイト太陽電池モジュールの耐久性が
大幅に改善と生産拡大がペロブスカイトの2つがそれである。
● ペロブスカイトと太陽光発電
自然界に広く分布する層状結晶質鉱物の研究者は、長さまたは幅が0.5マイクロメートル(0.5×10 -6メ
ートルペロブスカイト型太陽電池を、さまざまな化学組成、物理的特性および性能一般的で安価な「湿
式化学」すなわち溶液中で安価につくる。ラボでの実験で、ペロブスカイト型太陽電池が生成するエネ
ルギー変換率は過去最高の連続記録を達成。ベルギー、ドイツ、オランダの研究機関、大学の研究ラボ
パートナーとの連携により、ペロブスカイト型太陽電池と過去最高の記録的なエネルギー変換効率のモ
ジュールが製造。2017年には、ロールツーロールペロブスカイト型太陽電池とモジュール製造の2つの
世界記録を達成する。最新では11月下旬に公表された。
Solliance社の研究者は、偶然にもより安定した耐久性のあるペロブスカイト型太陽電池およびモジュー
ルの耐久性の外延に成功――これにより光活性ペロブスカイトは、非常に低コストで効率的に、効率が
急上昇し、耐久性と安定性が高いことを実証。現状では、コストと安定性を維持しながら25~28%
の最大セル変換効率を達成を見込んでいる。
● あらゆる市場に対応可能
ペロブスカイソーラーV材料の商業化のロードマップは、研究室から大規模なアプリケーションにスケー
ルアップした有機薄膜ソーラーを真似ている。1平方センチメートル(2.54平方インチ)未満のセルか
ら商業規模にスケールアップするためには、セルをモジュールとアレイに相互接続させことでそれぞれ
のステップが複雑となりロスも発生する。その形状、大きさまたは形状が何であれ、事実上あらゆるタ
イプの材料の潜在的に多種多様な表面および構造物に巻き付けられ、接着または貼り付けられる。
※ Perovskite Solar Cells on the Rise, With Likely Commercialization in 2019 : Lux Research
Solliance社は、結晶シリコンソーラーセル/モジュールの上に積み重ねて高効率、多接合セル/モジュー
ルを形成できる半透明ペロブスカイトソーラーをガラス上に製造している。この結果、ほぼすべての太
陽エネルギーサイトで見られる結晶シリコンソーラーモジュール/パネル製造使用されている同じ生産
仕様となるため、結晶シリコンソーラーパネルとの一体化が容易となり、全体のエネルギー変換効率を
6%以上向上でき、太陽光発電コスト劇的な逓減を誘発させる予測する。さらに、同社は自動車や建設
業界社との共同研究で、不透明で半透明なペロブスカイト型ソーラーセル/モジュール開発を行ってお
り、建築用建材に組み込む――いわゆるBIPV(Building-Integrated Photovoltaics)自動車やトラックのボデ
ィ、建物や自動車の窓に使用されるガラスなどその対象となる。
● ロールツーロール製造
ペロブスカイト太陽電池およびモジュールの多様性は、おそらく彼らが取ることができる様々なフォー
ムファクタで最もよく実証されており、結晶シリコンセルとは対照的に、ペロブスカイト太陽電池モジ
ュールはピクセル化されていない。薄膜ペロブスカイトソーラーで特定領域を完全に埋めることができ、
または、より複雑な3次元表面をカバーする柔軟性を持たせ、半透明のペロブスカイトセル/モジュー
ルができる。より一般的に言えば、現在、あらゆる種類の材料に太陽光発電を組み込むか、薄膜ソーラー
セルを組み込むか、ペロブスカイトを組み込むかの選択肢が増えるだろうと担当者は語る。同社では、ペ
ロブスカイトセル/モジュールを大量生産手段ロールツーロールプロセスの革新的な取り組みを開発し
ている。
● 低温製造
ロールツーロール印刷装置を使用しはるかに低い温度でペロブスカイトセルを製造する同社の能力は、
商業向にも重要であり、この点に関する低温処理とは、温度を120~130℃(248°F)に制限することを
意味するが、これは、コバルト・インジウム・ガリウム・セレン半導体化合物(CIGS)で600℃(1112
°F)、テルル化カドミウム(CdTe)薄膜PVで800~900℃(1472-1652°F)の2つの高温生産プロセス
タイプであり、安定性と耐久性の側面からペロブスカイトセルの生産の特徴であり、セル/モジュール
のストレステストに完全にパスできるように段階的試験を構築する必要がある。IEC(International Elect-
rotechnical Commission:国際電気標準会議)および業界標準のストレステストは、太陽電池/モジュー
ルの最も弱い側面を特定し、強化するように設計されており、シミュレート動作条件範囲での試験、湿
度、温度、光の変化を考慮した個別/全体的な性能試験が含まれる。また、セル/モジュールのロール
ツーロール製造は、工業規模では十分に実証されていないが、薄膜の場合でも、商業規模でロールツー
ロール装置は、まだ、First SolarまたはSolar Frontierのメガワット規模の生産能力をもつ2社(CdTe /CI
GS薄膜太陽電池の)にはまだ浸透していないと語っているという。
※ @StanfordEng professors Michael McGehee and Reinhold Dauskardt awarded $1.59M to study perovskite solar
cells #SunShot pic.twitter.com/V1QuwFwXdw12:56 AM - Jul 21, 2017
※ 今年の初め、Dauskardt Groupは、ペロブスカイト型太陽電池およびモジュールの構造的完全性、したがって
耐久性および寿命を著しく向上させる500ミクロン(0.02インチ)幅のハニカム足場を開発したことを公表。 ペ
ロブスカイト太陽電池の革新的強化構造的枠組みを記載した研究論文は、ジャーナル「エネルギーと環境科
学」に掲載。
● 最低価格
関係者によると、ボトムライン(最低価格)の経済性は、コスト競争力のためには、ワットピークあた
り25ユーロ(3,320円)未満の生産コストで柔軟なペロブスカイトソーラーセル/モジュールを生産目
標として試算している。ペロブスカイトセル/モジュールがシリコンセルに到達する可能性がある。
● 無限の可能性?
エネルギー変換効率がさらに高いペロブスカイトソーラーモジュールを量産可能性が非常に高いと結論
付けているが、その安定性と耐久性を大幅に向上させることに伴う課題は少なくない。ペロブスカイト
と結晶シリコンとの統合は、ペロブスカイト型太陽エネルギーの実用化にとって最も確実な方法と考え
られている。タンデムセルの適用後の重要点の1つは、ペロブスカイトが、所与量エネルギーをタンデ
ムペロブスカイト・シリコンソーラーパネルを設置する必要があり、 最終的には、既存のシリコン太陽
電池製造装置販売社と提携するであろう。世界のシリコン太陽電池市場は年間成長率が約30%と成長
。推計によれば、2017年には80ギガワット以上の新しい太陽光発電が導入されており、ペロブスカイ
トPV技術は、シリコン太陽電池の経済性を変え、世界的に太陽光技術の普及を支えると見込まれている。
機密性の理由を挙げ、ペロブスカイトそっらーモジュールの正確なエネルギー変換効率または価格目標
は明らかにされていないが、タンデム構成の従来のシリコンセルと組み合わされた場合、ペロブスカイ
ト技術がシリコン太陽電池メーカーに、セル効率を少なくとも20%増加させ、効率限界を突破すると
見込む。
● タンデムペロブスカイトシリコン太陽電池
シリコン太陽電池メーカーは、広範な商用化を実現するため既存の生産ラインを改造し、ペロブスカイ
ト型太陽電池を組み込みタンデム型シリコンペロブスカイト型太陽電池の性能が大幅に向上。耐久性と
寿命の面で、20年以上を満足しなければならないが、オックスフォード太陽電池は標準ストレス試験
をに合格しており、ラボから量産スケールまでさらに発展させている。同社は、2019年に製品提供する
予定。
尚、欧州投資銀行(EIB)は、昨年12月、オックスフォード太陽電池のドイツ子会社を15百万ユーロ(1
,797万米ドル)融資を増額。 この資金でドイツのブランデンブルクにあるパイロットの生産ラインイン
フラに引き続き投資でき、タンデムペロブスカイトシリコン太陽電池技術を研究室から工業規模のプロ
セスに移行できる。
● 車両との統合への関心
トヨタとパナソニックは、3月にトヨタ自動車のプリウスハイブリッド電気自動車の太陽光発電屋根を
開発したと発表。自動車向けのHIT太陽光発電モジュールと呼ばれるこの180W容量の太陽光発電屋根は、
標準の12V鉛蓄電池と併せてEVドライブ列に電力を供給するために使用されるリチウムイオン電池を充電
する能力を備えた初のモデルとなっている。
● 神秘的なキメラを追いかける
これらは、ワイヤレスネットワークとデバイス、インターネットデバイスとネットワークのワイヤレス
センサ、さらには広範囲に言えば屋内看板、無線ネットワーク、家電製品が含まれる。 ペロブスカイト
は太陽電池ソリューションよりも、安価でローカライズされた電力が必要な市場分野の低消費電力アプ
リケーション向けに利点があるという事例を示すことができる。最終的には材料と製造のコスト、そし
て全体的なパフォーマンスの属性にまで貢献できると期待される。
この項了
【読書日誌:カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』No.4】
部屋がかなり明るくなってきた。二人の家は杓の外縁にある外を向く小さな窓が一つあるが、少
し高いところに付いていて、スツールのLにでも立たないと外をのぞけない いまは布で覆ってあ
るが、早朝の太陽の先がその布の隅を貫いて部屋に射し込み、眠るベアトリスの上を突 っ切って
いた。ふと見ると、その先に捉えられたかのように虫が一匹、妻の頭のすぐ上浮いていた。蜘蛛だ
とわかった。天井から透明な糸を垂らし、それにぶら下がっている。アクセルの見ているまえで、
蜘蛛は糸を伝い、ベアトリス目かけて下りはしめた。アクセルはそっと立ち上がり、小さな部屋を
横切って近づくと、眠る妻の上の空間を払うようにして、手に蜘蛛をつかまえた。そのまま、しば
らく妻を見下ろしていた。寝顔には、最近、起きているときほとんど見せたことのない安らぎがあ
って、見たとたん、胸いっばいに幸福感が湧き上がってきた。アクセルはそのことに驚き、同時に、
よし、これで心が決まった、とも思った。すぐに妻を起こし、それを伝えたかったが、さすがにそ
れはまずいか、と思いなおした。寝ているところを起こすのは自分本位な行為だし、それに、妻の
反応が好意的なものになるかどうか確信が持てなかった。
アクセルはしばらく躊躇したのち、部屋の隅のスツールに戻った。腰をおろしながら蜘蛛のこと
を思い出し、そっと手のひらを開いてやった。旅に出るという思いつきはどこから来たものだろう。
さっき外のベンチで夜明けを待っていたときも、それを考えていた。何かあって、ベアトリスと眠
のことを話し§うようになったのだったか………まず思い当たったのは、ある夜この部屋で交わし
たある会話だ。きっとあれがきっかけだったのだろう、とさっきまでは思っていた。だが、蜘蛛が
手のひらを這いまわり、端を乗り越えて土の床に移動するのを見ているいま、考えが変わった。二
人が最初に旅を話題にしたのは、里一いぼろをまとった見知らぬ女がこの村を通り過ぎていったあ
の日だ、と思った,
あれは灰色の朝だった。去年の十一月だったと思う……もうそんな昔になるのだろうか。アクセ
ルは、しだれ仰の並ぶ川沿いの道を歩いていた。畑から村に戻ろうとしていて、ずいぶん急ぎ足だ
ったのは、道具を忘れて取りに帰るところだったのか、監督に何かの指示を仰ぎに行くところだっ
たのか。突然、右手の濯本の向こうから大きな声があがり、立ち止まった。最初は鬼でも出たのか
と思い、そのへんに石ころか棒切れを探したが、すぐに、これは違うと思った。どれも女の声で、
それぞれに怒ったり興奮したりしていたが、鬼に襲われたときの恐怖や切迫感がなかった。それで
も様子だけは見ておこうと思い、杜松の生垣を突っ切って、転がるように向こう側の空き地に出た。
五人の女が寄り集まって立っていた。みな、さほど若いとは言えないが、まだ十分に子供を生め
る年齢だ。五人ともアクセルに背を向け、遠くにいる何かに向かって怒鳴り声をあげていた。近づ
くと、一人の女が気づいてぎくりとした。ほかの四人も振り向き、来だのがアクセルと知ると、見
下すような表情になった。
「あら、あら」と一人が言った。「これは偶然と言うのかしら、それ以上かしら。ご主人がお見
えになるなんて。ぜひあの方に分別を叩き込んでほしいものだわ」
「あなたの奥さんに注意しても、聞いてくれないんですよ」と最初にアクセルに気づいた女が言っ
た。一どこの馬の骨かわからないのに、食べ物をあげるって。あれはたぶん悪魔ですよ。それか、
姿を変えた妖精なのに」
「妻に危険が?お願いだ、奥さん方、事情を説明してください」
「いえね、見かけない女がいて、今朝中ずっとあたしたちの周りをうろついてたんですよ」と別の
女が言った。「長い髪を背中に垂らして、里一いぼろマントをまとった女。自分じゃサクソン人だ
って言ってたけど、あんなサクソン人、見たことない。あたしたちが土手で洗濯してたら、後ろか
らそっと忍び寄ってきましてね、こっちが先に気づいて追い払いましたけど、何度でも戻ってきて、
そのたびに悲しくてたまらないようなふりをしたり、食べ物をねだってみたり。たぶん、最初から
あなたの奥さんを狙って魔法をかけてたんだと思いますよ。だって、奥さん、最初からその悪魔の
ところへ行きたがって、あたしたちが二度も腕をつかんで引き止めたんですから。でも、結局、振
り切って行ってしまいました。転の木のところ、あそこに悪魔がすわって待ってるんです。あたし
たちが全力で引き止めたのに、あれはもう悪魔の力ですよ。奥さんは骨が緬いし、お年だし、あん
なすごい力で振り切るなんて不思議だもの」
「練の木……」
「たったいま行ったところです、ご主人。でも、あれは絶対に悪魔だわね。奥さんを追いかけてい
くつもりなら、毒アザミに注意ですよ。転んで、どこか切りでもしたら、絶対に治らないから」
アクセルは女たちの言葉にいらいらしたが、気取られないよう丁重に礼を言った。「ありがとう、
奥さん方。行って妻の様子を見てきます。では、失礼」
村人の言う一転の木」とは、誰もが知っている山査子の古木のことだ。村から歩いてすぐのとこ
ろの山腹に大きな出っ張りがあり、その縁にある岩から直接生えているように見える。出っ張りか
ら見える景色はなかなかのもので、晴れて風がない日なら時を過ごすのに絶好の場所だ。川辺まで
下っていく草地、蛇行する川、その向こうにある沼地が、そこに立つとよく見える。日曜日には子
供たちが集まり、古木の節くれだった根の周りで遊んでいる。瑞から飛び下りる大胆な子もいる。
まあ、飛び下りると言っても、その先は暖い坂になっていて、怪我の心配はない。草の生えた斜面
を樽のようにただ転がり落ちていくだけだ。だが、平日-それも朝-となると、大人も子供もそれ
ぞれの仕事で忙しく、一転、ここは人気のない場所となる。だから、いま霧をついて斜面を上がっ
ていくアクセルの目には、女二人の姿しか映らなかった。当然のことだ。二人は、ほとんど白い空
に映る影か何かに見えた。すわって岩にもたれている見知らぬ女はとても奇妙な服装をしていて、
さっきの女たちの許うとおりだな、とアクセルは思った。遠くから見るかぎり、着ているマントは
小さな布切れをいろいろと寄せ集め、縫い合わせただけのもののようだ。それが風にはためいて、
女を、まるでこれから飛び立とうとする大きな鳥のように見せていた。廣にベアトリスがいる。自
身は立ったままだが、上体を折り曲げて顔を相手に近づけている。いかにもほっそりして、弱々し
い危うさを感じさせる。
二人は何やら熱心に話し合っていた。だが、アクセルが下から近づいてくるのに気づき、話をや
めて、じっとアクセルを見た。ベアトリスが出っ張りの瑞まで来て、下に向かって呼びかけた。
「そこで止まって、あなた。わたしが下りていきますから、それ以上来ないで。来ると、この気の
毒なご婦人の気が休まらない。やっと腰をおろして、昨日のパンの残りを食べはじめたところだか
ら」
言われたとおり待っていると、やがて妻が長い野道をこちらへ下りてくるのが見えた。アクセル
のすぐ前まで来て、低い声で話しはじめた。おそらく、二人の話し声が風で旅の女のところまで運
ばれていくのを心配したのだろう。
カズオ・イシグロ著『忘れられた巨人』第1部/第1章
この項つづく