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Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
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からくれなゐに水くくるとは

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  ”危険な”思想家 孟子 

 民は政治に従わせるだけでよろしい、知らせる必要はない。原文は「民可使由之、不可侵知之」
 であるが、朱子はこの「使」を「能」と解して、民は政治に従わせることはできるが、知らせ
 ることはむずかしい、という孔子のなげきの言葉だと解している。そうでなければ「聖人之心」
 ではないというのだが、孔子を「聖人」に祭り上げようとする学者の多くはこの朱子の説に従
 っている。

 民を大切にするということは、孔子において、民のためにではない。それは治者のためにであ
 った。民は富国強兵の素材なのである。民の多いことが、国を富ませ強くすることの必要な条
 件だったのである。民を多くするにはどうすればよいか。「用を節して人を愛し、’民を侵う
 に時を以てす」ることである。また、治者が礼を好み義を好み信を好むことである。そうすれ
 ば「君子の徳は風」であり「小人の徳は草」であるから、風に草のなびくように「四方の民そ
 の子を襁保(きょうほし)して至る」、すなわち民は多くなる、というのである。
 孟子の民本思想も、同じく民は富国強兵の大切な素材であるという思想から出て、それを昇華
 させ、民こそが国家の主体であると説いたものである。

   思想の命運

 孟子は民本主義を主張した。誰のために、といえば、孔子が民を愛せよといった場合と同じく、
 天子諸侯のためにであって、人民のためにではない。すなわち、孟子の説くところは民本主義
 ではあるけれども、民権主義ではないのである。――将(は)た君子あり、将た野人あり。君
 子な ければ野人を治むるなく、野人なければ君子を養うなし。(滕文公篇)
 君子とは治者、野人とは野耕をする者、すなわち民である。ここでは明らかに「君子なければ
 野人を冶ひるなし」と言っている。孔子の場合の治者階級と被治者階級とかわるところはない。
 では、なにゆえに「民を貴しとなす」というのか。「野人なければ君子を養うなし」だからで
 ある。民本主義がもっぱら治者のためのものであることはここに明らかである。

 つまり孟子の民本主義には、体制変革の思想はないのである。治者階級と被治者階級という明
 確な区別の中で治者階級にむかって民のための政治をしなさいと説いているのが「民を貴しと
 なす」なのである。それが孟子のいう王道なのである。
 
 『史記』の列伝にいう――孟帽は鄭の人なり。業を子息の門人に受く道既に通じ、斉の宝王に
 游事す。宝玉、用いることあたわず。梁にゆく。梁の恵王、言うところを果さず、則も見て以
 為(おも)えらく、迂遠にして事情に闊しと。この時に当り、秦は商君(法家の商鞅)を用い
 て、国を富まし兵を強くし、楚・魏は呉起(兵家)を用いて、戦い勝って、敵を弱め、斉の威
 王・宜王は孫子・田忌(兵家)を用いて、諸侯東面して斉に朝す。天下まさに合従連衡に勉め、
 攻伐を以て賢となす。而も孟徊はすなわち唐虞(宛・舜)三代(夏・殷・周)の徳を述ぶ。是
 を以て如く所のもの合わず。退いて万章の徒と詩書を序し、仲尼 の意を述べて、孟子七篇を
 作る――覇道に対して王道を主張したが、孟子の理想が諸侯にいれられなかったことは、法治
 に対して徳治を主張した孔子の理想が諸侯にいれられなかったのと軌を一にする。理想は、か
 くあるべき現実であって、思想としては成り立っても、現実に適用されないのは当惑であろう。
 しかもなおそれを主張するところに思想がある。それが今日なお『孟子』のある所以に他なら
 ない。

   狂なる者と似而非君子

 『論語』に――子いわく、郷原(きょうげん)は徳の賊なり。(陽貨篇)という言葉ある。ま
 た――子いわく、中行を得てこれと与にせずんば、必ずや狂狷(きょうけん:いちずに理想に
 走り、自分の意思をまげないこと)か。狂なる者は 進取す。猾なる者は為さざる所あるなり。
 (子路篇)――子、陳に在りていわく、帰らんか、帰らんか。吾が党の小子は狂簡(きょうか
 ん:志は大きいが、行いがそれに伴わず疎略なこと)なり。斐然(ひぜん)として章を成すも、
 これ を裁する所以を知らず。(公冶長篇)とある。『孟子』の尽心篇には、この『論語』の
 「郷原」と「狂狷」あるいは「狂簡」とが、かなりくわしく解説されている。それは弟子の万
 章との問答という形で語られる。

 郷原とは、似而非君子のことである。彼らは自らは自分を君子であると思い、世間も彼らを君
 子と認めている。それだけに、非君子よりも一層、始末におえない。郷原は今日の言葉でいえ
 ば、官僚御用の知識人代表、あるいは保守的隠健派というところであろう。孔子の道をはばん
 だのは、このような郷原の存在であった。それは孟子の場合も同じであったろう。「退いて万
 章の徒と詩書を序し、仲尼(孔子)の意を述べて、孟子七篇を作」った所以である。孟子に祖
 述された孔子の「郷原と狂狷」は、儒学が官学となるとともに、そのまま埋められてしまうの
 である。後にこれを掘りおこしたのが王陽明である。玉陽明は、自分も南京でくらすようにな
 るまではなお郷原的なところがあった、しかし今や良知だけを信じて、狂に徹しようと言った。
 この狂が陽明学左派に受けつがれて、辛亥革命にまでつながっていったということもできよう。
 清末の譚嗣同(たんしどう)はその『仁学』で、御用儒家を郷原といい、専制君主が郷原を利
 用し郷原は専制 君主に媚びへつらって、二千年来彼らは人民を苦しめてきたのだと論断して
 いる。かくあるべき現実が現実になることはついにないであろう。  

          駒田信二 『私の諸子百家―その10:孟子』(「中国の思想」徳間書店)

孟子を通して読んだのはこの歳ではじめて。とき同じくして中国共産党がハードスターリン主義に
(社会帝国主義)に回帰するかのようにあり、孟子の"二重の全否定性"感じ取り、ここに駒田信二
の解説を掲載することでそれを裏付け肉付けフットラアイトを当ててる。孟子は今夜で終わり次回
は『孫子・呉子』へ移る。                    


 Source: Wikipedia


 

        千早ぶる神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとは

                         在原業平朝臣) 『古今集』



【雫一滴:からくれなゐに水くくるとは】

昨夜、テレビをみていると映画『ちはやぶる 上の句』が放映されていたので作業しながらみてい
たが、来週も映画『ちはやぶる 下の句』も放映するといので録画することにしたが、何と翌日の
17日(土)には映画『ちはやぶる 結び』が劇場上映されるとか。ところが、吉永小百合主演の
映画『北の桜守』も上映されるとかで、桜にするか、紅葉にするかで悩むこととなった。明日は東
日本大震災の7年目になるが、「高度消費資本主義社会」を楽しみつつも少し後ろめたさを引きず
る自分を体験する。



● 花粉症対策の新常識「じゃばら」 

インフル花粉症対策に効果がありそうな食材としてじゃばら果皮に含まれるスーパーフラボノイド
のナリルチンが良さそうというので、早速、ジャムヨーグルトを試してみようかと考え中。今年は
早々と鼻炎に悩まされている。困りますねこの不快感。



     No.167

【蓄電池篇:最新陽子蓄電池技術】  

 May. 9, 2018

● カーボン電極と水で発電する充電式プロトン(陽子)電池登場!

3月2日、メルボルンのRMIT大学の研究者グループは世界初の充電式プロトン電池を開発たこと
を公表。この発明の特徴は、リチウムの代わりに炭素と水で発電/充電できることにある。安価で
豊富な材料だけで再生エネルギーを電動移動体や家庭用蓄電池、あるいは中規模の電力網に提供で
きる画期的なもの。担当者はリチウムイオン電池は素晴らしいものだが、最終的には希少で高価な
資源に依存、水素発電も良いが適切な場所は限られ、コスト高。それにくらべプロトン電池は。炭
素系材料プロトンを貯蔵、電極材料は豊富で、水からプロトンをることができる。バッテリ自体は
二酸化炭素排出を発生させずエネルギー蓄電でき、5~10年以内に商用化できるだろうと語る。

 May. 8, 2018

❑関連論文:活性炭電極を用いたプロトン電池の技術的実現可能性
             Technical feasibility of a proton battery with an activated carbon electrode

❦ どこが違うのか

①炭素電極を有する「プロトン電池」は、技術的に実現可能である
②プロトン電池は、水素を分子状ではなく原子状に貯蔵
③貯蔵電極は、酸に浸した活性炭から作製
④実験用電池は、充電モードでほぼ1wt%の水素を貯蔵
⑤放電モードでは、0.8wt%の水素が放出され、高い可逆性を示す

【要約】

カーボンベースの電極を用いた小規模な「プロトン電池」の技術的実現可能性が初めて実証された。
陽子電池は、地球温暖化ゼロの温室効果ガス排出に伴って発生する電気エネルギー貯蔵の膨大な需
要に対応の多くの潜在的な1つの再生可能エネルギー源である。本質的には、プロトン電池は、外
部シリンダー内の分子状水素ではなく、原子形態で水素を貯蔵できる一体型固体電極を有する可逆
PEM燃料電池(固体高分子形燃料電)である。したがって、両方のシステムタイプの利点を組み合
わせた、水素燃料電池とバッテリベースのシステムとの間のハイブリッドである。原則として、プ
ロトン電池は、リチウムイオン電池に匹敵する充放電効率をもつ。実験結果では、フェノール樹脂
および10重量%PTFEバインダから製造された多孔質の活性炭電極を有する小さなプロトン電池(
活性領域5.5cm 2)が、電気分解(電荷)モードでほぼ1重量%の水素を貯蔵することができ、燃料
電池(給電)モードでは0.8wt%の放電で放出する。重要な設計の革新は、可逆的電池のナフィオ
ン膜との間でプロトン(ヒドロニウムとして)を伝導し、多孔質電極内に少量の液体酸を使用する。
活性炭電極の充電中の水素ガス発生は、約18Vの電圧に達するまで非常に低い。今後の展望とし
て、充放電中の電流密度の増加、複数回のサイクル試験、およびヒドロニウムと炭素表面との反応
への理解深耕。

キーワード:プロトン電池/電気化学的水素貯蔵/活性炭/電気エネルギー貯蔵

doi.org/10.1016/j.ijhydene.2018.01.153 

   Feb. 28, 2018

 【エネルギータイリング事業篇:最新摩擦帯電発電技術】

● 従来の100倍以上の発電量 靴のインソールで0.6 mW/ステップ

2月28日、谷弘詞関西大学教授らのグループが、従来の百倍以上の発電量を有する摩擦発電機を
開発――ビーコン信号の発信による位置情報やスマートフォンなどのバッテリー充電も可能――た
った1歩でLED10個以上が点灯、靴のインソールで0.6mW/ステップの発電量――しところを公表。

❦ どこが違うのか

①ゴム、フィルムをベースにした柔軟で軽量な摩擦発電機を開発し靴のインソールに組み込み評価
②摩擦発電機のサイズは50×50×6mm、重量15gで、インソールの踵部と指の付け根部分に組み込む
③0.6mW/ステップの発電量で、10個以上のLED点灯やワイヤレス回路の駆動が可能

谷教授らのグループは、ゴム、帯電フィルム、電極からできた柔軟で軽量な摩擦発電機の開発に取
り組んできましたが、このたびゴム表面の粗さを工夫することで発電量を従来品より百倍以上向上
させることに成功。そこで、靴のインソールに組み込み発電量を評価したところ1歩の着地で0.6m
W(瞬間的には10mW)の発電が可能なことを確認。この発電量で、10個以上のLED の点灯やワイ
ヤレス回路の駆動が可能であり、環境発電デバイスとしてさまざまな所への応用が期待できる。人
の歩行や車、機械の振動などで発電する環境発電は、IoT社会におけるセンサ用電源として注目さ
れているとのこと。同グループは、摩擦で発生する静電気から発電する摩擦発電機の開発に数年前
から取り組む。開発当初は、歩行時の発電量が0.003mW/ステップと微弱でしたが、帯電フィルム
を保持するゴムの表面粗さを工夫することで、発電量が0.6mW/ステップへ飛躍的に向上することを
確認する。

この摩擦発電機は構造がシンプルでゴムがベースであるため、柔軟かつ低コストであり、さまざま
な応用が考えられます。例えば、靴に組み込めば歩くたびに発電しワイヤレス回路によってビーコ
ン信号を発信し位置を知らせることや、さらに発電量を上げることで蓄電回路と組み合わせてスマ
ートフォンなどのバッテリー充電も可能となる。今後は、更なる構造の改良によって0.1W/ステッ
プの発電を目指す。

 

     

❦ なぜ、かまぼこ屋がエネルギーのことを考えたのか ❦ No.16      

    ● 対談3 新しい現実をつくる  

   『3・11以降は、この国のありようを変えるチャンス』     

                              河野太郎 衆議院議員・現外務大臣  

 

自民党所属。1963年神奈川県生まれ。慶臆義塾大学経済学部中退。アメリカ・ジョージタウ
ン大学卒業。アメリカ滞在中、ワシントンで政治活動にもかかわり、アメリカの大統領選挙に立
候補したアラン・クランストン上院議員の遺財本部の財務部門でボランティアをしたり、リチャ
ード・シェルビー下院議員の下でインタjンを務めた。帰国後、富士ゼロックスに入社。2年間
のシンガポール勤務などを経て、日本端子に入社。1996年に衆議院選挙で初当選。核燃料サ
イクルには明確に反対しており「原子力は経済採算性は合わない≒原子炉の新設はしないという
ことを政治主導で決めるべき」と語っている。著書に『私が自民党を立て直す』(洋泉社新書/
2010)『原発と日本はこうなる南に向かうべきか、そこに住み続けるべきか』(講談社/2
011)『「超日本」宣言わが政権構想』(講談社/2012)、共著に『「原子カムラ」を超
てポスト福島のエネルギー政策』(NHKブックス/2011)などがある。

  原発をとめても仕事はなくならない

 河野 廃炉にするのに30年ぐらいかかりますから、この間は、当然、仕事があります。だから、
 炭鉱を閉めたときに石炭六法をつくって何十年か支援したように原子力なんとか法という法律
 をつくって支援をしたり、廃炉技術を開発すれば、廃炉そのものが地域に雇用を生み出します。
 鈴木 そこのところをはっきりと言ってやれば、原発が立地する地域の人たちのうち100人
 が100人、原発が必要だと思っているわけではないでしょうから、もっと廃炉を前面に立て
 て議論を展開すれば理解の仕方、され方が一変するのでばないでしょう

 河野 そうです、そうです。私が六ケ所村に行ったときも、賛成・反対いろいろとあるなかで、
 「ようやくまとめて決まったのにやめるのか」という不満がありました。ぼくが言ったのは「
 国策でコミットしてくれた地域を犠牲にすることはありません。しかし、国策は変わる可能性
 があります。国策が変わるかどうかは一つの村がとめることはできないはずです。でも、国策
 が変わったとしても、国策にコミットしてくれた地域にした約束は必ず守ります」ということ
 でした。理解してもらえれば、「そうか、わかった」と言ってもらえるんです。だから、再稼
 働すればお金が出るけれども、再稼働しなかったらお金が出ないみたいな伝達をしちゃあダメ
 だというべきです。再稼働するかどうかは国が判断することですから、そこはちゃんとしない
 といけない。

 鈴木 ちょっと荒っぽいかもしれませんが、20年、30年、続くんであれば、その間に、次は何
 で食っていくのか、しっかり考えていくには十分な時間があります。そこのところを政治がき
 ちっと判断すれば……。
 河野 それなのに脅かしてきてしまった。原発ができれば金がくるぞっていうアメと、とめた
 ら食えなくなるぞというムチ、それでコミットしてくれというのだから乱暴極まりない。
 鈴木 それから、さっきいった2つ目の国家安全保障上の問題ですが・・・・・・。
 河野 たとえば、それは中国が原発をつくりました、何かあったときに日本から行くといって
 原発に入れるかといったら、事故の処理であっても入れないと思うんですよ。日本がほんとう
 に廃炉の技術を開発すれば、440基ある原発のどこかが廃炉の時期を迎える。そのときに日
 本の技術でちゃんとアドバイスできれば大きなチャンスが生まれてくる。ちゃんとした技術を
 持っていたってロシアと中国がおいそれと圧力容器の中を見てくれなんていうわけないから、
 むしろ、大事なのは自分のところで何か起きたときにきちっと手当てができる、廃炉にするの
 にノウハウがあるということだと思います。

 鈴木 原発は動いている時の危険性だけでなく、現実に使わないと決めれば廃炉の問題に直面
 するわけですから、まったく無視してしまうわけにはいかないですね。むしろ、避けては通れ
 ない重要なテーマだと思います。
 河野 そうですね。まったくその通りです。
 鈴木 だからといって、廃炉の土俵に政治が乗ってくるかというとなかなか難しいところがあ
 ると思いますが、やはり政治が仕事としてきちっと位置づけをして、われわれ国民に投げかけ
 る仕組みをつくれば、世界に先駆けて再生可能エネルギーを担っていく動機づけになると思い
 ますね。安心・安全で自然を大事にして、それでいて経済がまわっていく、そういう地域がた
 くさん連なっているというかたちに持っていけたら、世界に誇れるモデルになると思います。
 そこでまた日本的なノウハウを駆使してチャンスが生まれます。
 河野 それができるんだったら、べつに利権の取り合いをしなくてもいいしね。

 鈴木 ましてや、これからは地球環境を守らなければならない時代です。資源が限られている
 ということもわかっているわけです。そういうなかで日本という国が世界に先駆けて持続可能
 なエネルギー政策で経済をまわしていく。その仕組みというか、知恵を生み出すことが求めら
 れるし、世界から尊敬される国になるチャンスだという気がします。
 河野 そういう意味の尊敬を勝ち取るというのはすごく大事で、これまでの日本はそういうと
 ころにあまり知恵を絞ってこなかったから。経済一本槍でもいけません。

 鈴木 世界から尊敬されるようになれば、日本という国は世界の中でなくてはならない国にな
 れると思います。めぐりめぐっていくと安全保障の問題もクリアできるのではないでしょうか。
 向こうも鉄砲を持っているからこっちも鉄砲を持たないといけない、そういう「カウボーイ的
 安保」はそろそろ卒業したいですね。河野 カウボーイ的安保だと、どうしても大きな鉄砲を
 持っていれば勝つという話になっちゃうからね。

 鈴木 そういう意味でも「3∴息をきっかけに問題を提起して、日本をよい方向に変えていく
 チヤンスですよね。
 河野 チヤンスにしなきやいけない。
 鈴木 次の時代の国のあるべき方向を、若い世代の人たちが考えられるような意味のある情報
 も提供していきたいですね。そうしていかないといけないなと思わされるようなことを、この
 間、若い人たちに言われたんです。ここのところ経済はきびしい、ここがふんばりどころだ、
 頑張ってくれ、必ずよくなるから、おじさんたちによくそう言われるんですけれど、よくなっ
 た経済がぼくたちにはイメージできない、そう言われたんです。結局、いまの大学生はバブル
 景気を知りませんし、景気のよいときを経験していないわけです。なおかつ彼らが言うのは、
 「いま、世の中がこんなふうになっちゃってるのは、おじさんたちが頑張ってきた結果でしょ。
 だから、同じことやれと言われたって返事のしようがありませんよ」ということなんです。

 河野 頑張ったらこうなるんなら、頑張らないほうがいいじゃねえかというわけね。
 鈴木 いまの若い人たちはけっしてやる気がないわけでもないし、いい加減なわけでもないし、
 私など学生のころは女の子とクルマぐらいしか興味なかったのに(笑)、いまの若い世代は環
 境問題や社会貢献などに関心が高い。世の中の役に立ちたいという願望は待っています。それ
 をどう後押しするか、そういうことも私たちは考えていかないといけないと思います。

 河野 より考えている世代ですよね。
 鈴木 きびしい時代だからこそ考えていると思うし、だから、頑張ろうと思えるような価値観
 というか、そういうものをつくっていきたいですね。
 河野 変わろうとするのを抑えてしまうのではなくて、変わったら、後押しして支えてあげる。
 鈴木 エネルギーのことが、若い人たちにもチャンスになるように、世代と世代をつなげてい
 く仕組みも考えたいですね。
                                2012年6月11日
                             平塚市の河野太郎事務所にて

                                    この項つづく

  ● 今夜の一曲

アリス『誰もいない』1973年 作詞/作曲 谷村新司

   忘れ去られたベンチの上に

   真赤な夕陽がのびてくる

   黄色く変わったポプラの枝を

   ただ秋風がなでてゆく

   愛の言葉を交わした人も

   うとうと昼寝をしていた人も

   誰もいない誰もいない

   忘れ去られたベンチの上に

   読み棄てられた新聞紙

   ただ何となく読む気もせすに

   見上げた空のいわし雲

   誰かを待っているようで

   流れてゆくのも悲しそう

   誰もいない誰もいない・・・
 

  

 


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