Quantcast
Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2435

風ある日なり山さくら花

$
0
0

      
                                     

8 九 変

表があれば浦がある。陽があれば陰がある。その変化と発展の法則を見きわめることが勝利
への第一歩であろ。

完全包囲はするな

攻撃にさいし、避けるべき9つの原則がある。

1、高地に陣どった敵を正面攻撃してはならぬ
2、丘を背にした敵を正面攻撃してはならぬ
3、わざと逃げる敵を深追いしてはならぬ
4、精鋭な敵をまともに攻めてはならぬ
5、おとりの敵兵にとびついてはならぬ
6、帰心にかられている敵をかりにおしとどめてはならぬ
7.敵を包囲するには、どこかに逃げ口をあけておくべきで、決して完全包囲してはならぬ
8、窮地におちいった敵にうかうか近づいてはならぬ
9、本国から隔絶した敵地に長くとどまっていてはならぬ

勝利を全うするためには、5つの法則がある。

1、道には通ってならぬ危険な道もある
2、敵とみたら何でも攻撃すればよいというものではない。攻めては大局的に不利をまねく
こともある。
3、敵城を攻めるのにも同様である。
4、土地を争うにも同様、争って意昧のないところがあるのだ。
5、君命は従うべきものだが、場合によっては反対した方がよいこともある。

さて、九変――攻撃の九原則に精通している将こそが、本当に用兵の法を理解しているもの
である。これに精通していなければ、いくら地形がわかっていても地の利は得られない。ま
た、これに通じていなければ勝利の五法則を知っていても、将としての任務を果たすことは
できないのである。

「囲師は周するなかれ」「相手を徹底的に追いつめてはいけない」ということは、処世の
知恵としても活用されている。現代中国ではこの考え方を階級闘争に適用することの危険性
が説かれ、「水に落ちた犬は撃て」という魯迅のことばがよく引用されるが、現実の戦術で
は、状況によって柔軟なやり方をとっている。

  ケエゾヤマザクラ

【樹木トレッキング 26:オオヤマザクラ】

山越えて空わたりゆく遠鳴の風ある日なり山さくら花   若山牧水

Mountain cherry trees blossom with a windy day of the faraway sky over the mountains.

 

水の音に似て啼く鳥よ山ざくら松にまじれる深山みやまの昼を 

なにとなきさびしさ覚え山ざくら花ちるかげに日を仰ぎ見る 

山越えて空わたりゆく遠鳴の風ある日なりやまざくら花 

朝地震あさなゐす空はかすかに嵐して一山いちざん白きやまざくらばな 

行きつくせば浪青やかにうねりゐぬ山ざくらなど咲きそめし町 

朝の室むろ夢のちぎれの落ち散れるさまにちり入いる山ざくらかな 

阿蘇の街道みち大津の宿しゆくに別れつる役者の髪の山ざくら花 

母恋しかかるゆふべのふるさとの櫻咲くらむ山の姿よ 

父母ちちははよ神にも似たるこしかたに思ひ出ありや山ざくら花 

春は来ぬ老いにし父の御みひとみに白ううつらむ山ざくら花

大山桜(学名:Cerasus sargentii (Rehder) H.Ohba)は、樺太、北海道、本州北中部、挑戦など
に分布する落葉高木。北海道に多いのでエゾヤマザクラの名もあり,また花が淡紅色を帯び
るのでベニヤマザクラともいう。葉はだ円形または原状だ円形,下面はやや帯白色で紐毛,
ヤマザクラよりやや大きく,基部はときに浅い心形をなすものもある。葉下面、葉柄、花梗
などに毛のあるものをケエゾヤマザクラ(forma pubescens OHWI)という。サクラの属名は日
本では長くPrunus、和名ではスモモ属とする分類が主流だったが、昨今の研究ではCerasus(サ
クラ属)とするものがある。日本では前者、分けてもサクラ亜属(subg. Cerasus)とするものが
多かったが、近年は後者が増えている。しかしCerasusとすることで決着した訳ではない。海
外では、現在もPrunusに分類するのが主流である。花弁の色:淡紅色~紅紫色、形:一重咲
花の大きさ:中輪~大輪、樹形:広卵状。花は直径3~4.5cm。色は淡紅色だが、ソメイヨシ
ノ等の白い種と比べるとしっかりと色がつく。本州中部ではカスミザクラより標高の高いと
ろに分布するが、分布の下部においてカスミザクラと混在する。また、カスミザクラと交雑
していることも多く、区別のつきにくい個体も多い。

 

オオヤマザクラは7~15m程度の高さに育つ落葉樹。20m程度まで育つこともある。また根元
近くから枝を生やし、枝の範囲も1~15m程度にまで成長する。葉は長めの卵形で、葉は鋸
状になっている。大きさは8~15cm程度に広くなり、互生している。若いものは赤い色をし
ているが、夏には暗い緑色に変化する。秋になると葉は紅葉し、赤、黄色、橙色と様々に色
を変える。葉には毛が少ないか、なく、葉の裏面が緑色で光沢を帯びないことでカスミザク
ラと区別できる。夏になると黒紫色の実をならす[6]。実は小さなえんどう豆程度の大きさ
だがなりやすい。鳥が良く食するが、人間にとっては小さく目立たないため食用にはされて
いない。東アジアに分布し北海道、本州、四国、南千島、樺太、朝鮮半島などで野生のもの
が見られる。日本において、九州での分布は知られていなかったが、宮崎県の白岩山で変種
が確認され、キリタチヤマザクラ(霧立山桜)と命名された。

 

    
高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』   

第4章 プラザ合意は、日本を貶める罠だったのか?

第1節 レーガノミクスが生んだ「双子の赤字」でプラザ合意が行われた?

前章でも見てきましたが、ニクソン・ショックによって、1973年2月から変動相場制に
移行したといいつつ、日本は裏で「ダーティ・フロート」を行っていて、実質的には固定相
場制が続いていました。そして、日本国内で発生した様々なインフレも、そのことが大きな
引き金となっていました,しかし1985年9月22日に、いよいよプラザ合意が行われま
す。この日、ニューヨークのプラザホテルで、G5(先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議)
が行われ、為替レート安定化に関する合意がなされたのです。


これにより、流れは劇的な「円高」に向かいます。プラザ合意の前は、ほぼIドル=235
円前後で推移をしていましたが、プラザ合意から一年後にはIドル=150円前後となった
のです。なぜ、プラザ合意が必要だったか。一般には次のように説明されます。まず、この
段階に至るまでの円ドルレートの推移ですが、1973年2月の変勤相場制導人直後に1ド
ル=260円台まで「円高」となったのち、1973年秋の石油ショックを機に再び1ドル
=300円近くまで「円安」となりますが、1978年にはIドル=180円まで「円高」
が連んでいました。ところが、1980年代に入ると、再び「円安」となります。通常、そ
の理由として説明されるのがアメリカ国内で行われていた「レーガノミクス」です。

レーガン政権(1981年1月~1989九年1月)が誕生する前の1970〇年代のアメリ
カは、景気低迷で失業率が高く、インフレ率の高い状態でした。また、生産性が上がらず、
1970年代後半の生産性上昇率はゼロに近くになっていました。この状況を変えようとし
たレーガン政権は「レーガノミクス」と呼ばれる経済政策を打ち出します。これは、金融引
き締めを行ってインフレを抑制しつつ、減税、規制緩和、福祉関連予算を中心とした歳出削
減と軍事費の増大という歳出拡大によって、経済を活性化させながら失業率を低下させよう
とした政策でした。ことに、ここでインフレ抑制のために行われた金融引き締めは非常に厳
しいもので、アメリカは高金利となります。アメリカが高金利になると、世界中のマネーが
アメリカに集中することになります。

そうすると、必然的にドルは高くなります。ドル高になればアメリカ国内の輸出産業は不利
となり、輸出が減少します。一方、減税で需要が刺激されていますから輸入が増え、貿易赤
字が増大していくことになります。国際収支は大幅な赤字となりました。さらに、金融引き
締めを行う一方で景気を支え、失業率を改善するために軍事費などの財政支出を増大させま
したから、財政赤字も拡大しました。世にいう「双子の赤字(貿易赤字と財政赤字)」です。
1985年にはアメリカは世界最大の債務国となり、ドルの信認が低下。ここでドル暴落
の危機を恐れた先進各国は、協調的なドル安を図ることで合意した。それがプラザ合意であ
り、ことにアメリカの貿易赤字の中でも対日赤字が大きかったので、円高ドル安にすること
が求められたのだ、というのが普通になされる説明です。

第2節 プラザ合意までは為替介入していたことを裏づける「円高容認」発言

以上、説明してきたような「通説」だけを見ていると、あたかも、もっぱらアメリカのせい
で、日本は円高を呑まされたように思えてきます。プラザ合意は日本を認める罠だったとま
でいう人もいます。しかし、そんなことばかり考えていると、実態を大きく見誤ることにな
ります。実は、プラザ合意のときに、「円高容認」という言葉が使われました。これは、考
えてみれば不思議な言葉です。変動相場制で本当に市場に為替相場を任せていたのだとした
ら、「容認」というのはおかしな言葉です。政府が容認しようがしまいが、為替は自由に変
動します。

株式市場で株価が変動したときに「容認」という言葉を政府は使いません。株価は市場が決
めるものだからです。ずっと日本政府は「ダーティ・フロート」で介入し続けてきたのです
が、1973年の変場制移行以後は、建前上は政府は為替相場に介入していないことになっ
ています。それで、プラザ合意のときに「裏のダーティな介入をやめます」とはいえず、「
円高容認」という言葉を使ったのです,その点を理解しないと、プラザ合意の意味がわから
なくなります。

「プラザ合意以降、アメリカの圧力を受けて政府が介入して円高誘導するようになったから
日本企業は苦しむようになり、長期不況に陥った」と思っている人はたくさんいますが、そ
れは正しい見方ではありません。企業はプラザ合意までは、政府の裏の介入でゲタを履かせ
てもらっていたけれども、プラザ合意以降は実力で勝負しなければならなくなったというの
が真相です。プラザ合意以降に介入が始まったのではなく、プラザ合意以降は「介入をやめ
た」のです。政府が為替介入して円安誘導するのをやめて、プラザ合意以降は市場にそのま
ま委ねる形となりました。

為替介入がなくなると、為替の動きは、よりシンプルになります。たとえば、金融緩和で円
を大量に増やせば、相対的に円の価値が安くなって「円安」になります。逆に、各国が金融
緩和をさかんに進めているのに日本が緩和しなければ、円の価値が相対的に上がって「円高
」になります。ちなみに「失われた二十年」は、まさに日本が必要以上に金融引き締めを続
けたので 「円高」で苦しんだ時期と重なります。ことにりIマン・ショック以後、欧米が
そのショックを和らげるために大きく金融緩和に踏み込んだのに、日本銀行がそれを無視し
たことは致命的でした。いわば「マイナスのゲタ」を履いたようなものです。

前に、「変動相場制では金融政策が効くので重要である」と述べました。プラザ合意以降の
二、三年後からその時代です。ところが、「重要な役割」を与えらだ金融政策であるにもか
かわらず、後の第5章で述べるように、バブルのときに資産価格と一般物価を勘違いして不
必要な金融引き締めをするという、ミスを犯してしまいます。そして、日銀官僚の無謬性を
保つために、その後もミスをし続けました。これは、日本経済にとって悲劇でした。
 市場に委ねられた世界で、当たり前のことを当たり前にしないと、そういう結果を招来し
てしまうのです。本来ならば、リーマン・ショックの悪形響から最も進かったはずの日本経
済が、塗炭の苦しみに叩き落とされてしまいました。そのことは、第6章で見ていくことに
しましょう。

第3節 「レーガノミクスは反ケインズ政策」は大きなウソ 

レーガン政権が推し迷めた「レーガノミクス」も、多くの人から誤解されています。
レーガン政権は「小さな政府」を標榜して、歳出削減を目指していましたので反ケインズ的
な政策と見られがちですが、実際には典型的なケインズ政策でした。先ほど述べたように、
レーガノミクスとは、1970年代のアメリカの景気低迷・高失業率・高インフレ・低生産
性という状況を変えるためのものでした,厳しい金融引き締めを行うことでインフレを抑制
しつつ、減税と財政支出(軍事費など)の拡大によって経済を活性化させ、失業率を低下さ
せようとしたのです。

これによってアメリカは高金利となりますが、この高金利について「レーガン政権が推し進
めた個人減税が貯蓄を増やすのではなく、消費に回ってしまったため、資金不足に陥ってし
まい、アメリカはさらに世界から資金を集めなければならなくなったために高金利を設定し
たのだ」と説明する論者もいます。そういえなくもありませんが、それは後づけの見方であ
り、実態としてはインフレ対策という側面のほうが強いでしょう。それに、レーガノミクス
における個人減税は、はなから貯蓄を増やすというよりも、需要の拡大を期待するものだっ
たと考えたほうが妥当です,

「レーガノミクスは供給面からの改革だ」と主張する経済学者もいます。減税と規制緩和に
よって民間投資が活性化され、生産性を向上させる供給面の改革だという論理です。しかし、
実際にはレーガノミクスは需要面に影響を与えただけの政策でした。経済理論的にいえば、
政策で供給サイドに影響を与えることはかなり難しいのです。政府は短期的には需要サイド
にしか影響を及ぼすことができません。スタグフレーションの説明のところで述べたように
、供給は突発的な出来事によって急変することはありますが、通常はゆるやかに長期的に変
化するものです。政策で供給サイドを変えようとしてもかなり時間がかかります。

レーガノミクスを詳細に見ていきますと、個人減税は需要をつくり出すための政策でした。
企業向けの設備投資減税もしましたが、こちらも基本的には需要を喚起するものです,政府
支出に間しては、福祉関連予算を削った代わりに軍事費を増大させています。軍隊に予算を
つけるのは、日本でいえば公共事業と同じです。軍事予算を増やせば、軍人を雇うことがで
きて失業対策にもなります。レーガノミクスのうち減税も軍事費の拡大も、ケインズの「総
需要管理政策」そのものです。総需要管理政策においては、どこにお金をつけるかは関係あ
りません。軍事だろうと福祉だろうと中身の配分は関係なく、総枠でどのくらい増やしたか
がポイントです,結局のところ、レーガノミクスは総需要管理政策をやったということであ
り、典型的なケインズ政策でした。

レーガノミクスによって財政赤字が増えましたが、ケインズ政策を行ったわけですから当然
の成り行きです。赤字をつくって有効需要を増やしたのです。レーガノミクスに間しては「
規制緩和」もよく取り上げられます。規制緩和はそれなりに効果があるものですが、効果が
現れるまでには時間がかかります。中長期的には意味かおりますが、短期的な目前の景気と
はあまり関係かおりません,

第4節 レーガノミクスの金融面はミステリアスなところがある

レーガノミクスの金融政策に関しては、ミステリアスな面があります。1970年代のアメ
リカは必ずしもマネーをたくさん刷っていたわけではないのに、インフレになっていました
その原因はベトナム戦争(1960年12月~1975年4月)だとする説明もありますが、
この時代のインフレについては、私もすっきりとした説明はできません。
マネーが出回っていなくても、みんなが「インフレになる」と思っているとインフレになる
ことはあります。マネーの問題というより先読みの問題です。「これからアメリカはたくさ
んの物をつくれなくなるのではないか」と考える人が増えると、インフレ気味になってきま
す。それに、積極的な財政政策なので、需給ギャップ(潜在GDPと現実GDPの乖離)が
小さくなってインフレになったという側面もあるでしょう。

レーガン政権はインフレを抑えるために金融の引き締めをして、それによってインフレはす
ぐに収まっていきました,対処方法としては間違っていなかっただろうと思います。今から
振り返ってみると、インフレを抑えるためにしゃがりきになって、少し引き締めすぎてしま
った面はあったかもしれません。ただ、金融を引き締めた代わりに財政を吹かしましたので、
うまく乗り切ることができました。もし、金融引き締めをして財政を増やさなければ、経済
が失速状態になっていた可能性があります。

マネーを増やしすぎないようにしながら、財政を吹かして総需要をつくったのがレーガノミ
クスです。特別な経済政策ではなく、オーソドックスなケインズ政策です。レーガノミクス
自体は悪い政策ではありませんでしたが、「レーガノミクスは反ケインズ政策である」とい
う前口上はデタラメです。立案者が意図していたストーリーとはまったく違ったものになっ
ています。
レーガノミクスがうまくいったとすれば、それはケインズ政策だったから、つまり、有効需
要に着目した政策だからうまくいったのです。「レーガノミクスは供給サイドの改革だ」と
か「減税で経済が成長する」という理屈づけは間違いです。間違った論理でレーガノミクス
を正当化する人がいるために、レーガノミクスはあまり信用されていないのだろうと思いま
す。

第5節 減税論者が主張する「ラッファー・カーブ」はデタラメの論理

1980年の米大統領選挙の共和党予備選挙では、ロナルド・レーガン候補≒ジョージ・H・
W・ブッシュ候補が指名争いをしました。予備選挙中にブッシュ候補はレーガン候補の政策
に対して、「ブードゥー経済学(呪術経済学、まじない経済学)」といって批判をしました。
最終的には、2人が手を組んで当選し、レーガン大統領、ブッシュ副大統領となりましたの
で、ブッシュ副大統領がレーガノミクスを批判することはなくなりました。しかし、レーガ
ノミクスを支えた理屈はまさしく「ブードゥー」です。レーガノミクス信奉者や減税論者が
根拠として使う「ラッフアー・カーブ」の理屈は、デタラメとしかいいようかおりません。
図4に示しだのが「ラッフアー・カーブ」です。横軸が税率、縦軸が税収です。

 
税率がゼロ%なら税収はゼロ、税率が100%になると経済活動がなくなりますから、税収
はゼロです。税率が中間くらいのところが税収が一番高くなります。ここまでの理屈は間追
っていません。しかし、ここからウソの理屈が始まります。レーガノミクス信奉者は、図の
カーブのうち、Aの位置よりも、Bの位置のほうが税収が高くなるから、減税が必要だと主
張します。「今は税率が高くて税収が低い。だから減税をすべきである。そうすれば税収も
上がる」というのです。
どこがウソかというと、現在Aの位置にいるとは限らないからです。Cの位置にいるのだと
したら、税率を下げれば税収は下がります。また、カーブの形が正しいかどうかもわかりま
せん,図5に示した形のカーブになっているかもしれません。図5のカーブであれば、現在
Aの位置にいて、減税をしてBの位置になれば税収は下がります。

そもそも、税収は税率との関係だけで決まるものではありません。税率よりも、経済成長率
のほうが大きな影響を及ぼします。経済が成長していれば税収は上がり、経済が低迷すると
税収は下がります。最大の要因を考慮せずに、税率だけで因果関係をつくりあげてしまって
いるところが、デタラメのロジックなのです。税収の9割ぐらいは経済成長率で決まること
は、実証されています。数式で書くと、すっきりします。

R(税収)、t(税率)、g(経済成長率)とすると、「ラッフアー・カーブ」の関数は、

R=f(t)

です,しかし、本当の関数は、

R=f(t,g)

です,このうちg(経済成長率)が9割くらいのウエートを占めています。t(税率)の影
響は大きくないのです,ただし、税率と経済成長率は独立した変数ではなく、税率が経済成
長に影響を及ぼすことかあります。一般的には、増税すると経済成長率が低下する可能性が
高くなります,では、減税すれば経済成長率は高まるのでしょうか。必ずしも、そういえな
いところが難しい点です。減税すると経済が伸びるときもありますし、伸びないときもあり
ます。

レーガノミクス信奉者は、「減税すると税収が伸びる」との主張に加えて、「減税すると経
済が伸びる」と主張します。そこが怪しげな点です。減税によって経済が伸びるか、伸びな
いかは、経済環境次第でしょう。さらにいえば、私は税金には重きを置いていません。マク
ロ経済政策によって経済成長させることを主張しているだけです。経済成長すれば、経済活
動が活発になる分、付随的に税収が増えますから、税収のことなど事前に考慮する必要はな
いのです。

                                   この項つづく

 ● 今夜の一曲

Rock and Roll All Nite

「ロックンロール・オールナイト」 (Rock and Roll All Nite) は、アメリカ合衆国のロックバ
ンド、キッスの楽曲。1975年3月19日にリリースされた彼らの3枚目のスタジオ・アルバム『地
獄への接吻 (Dressed To Kill)』の収録曲。後にシングル・カットされ大ヒットした。そのキャ
リアを通じてキッスの象徴ともいえる代表的ナンバーであり、その後のほとんどのコンサート
でエンディングナンバーとして演奏されるようになった。

You show us everything you've got
You keep on dancing
and the room gets hot
You drrive us wild,
We'll drive you crayzy

You say
you wanna go for a spin
The panrty just begin,
we'll let you in
You drive us wild
we'll drive you crazy

You keep on shouting
you keep on shouting

l wanna rock and roll all night
and party every crady


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2435

Trending Articles