まず「地形」から説きおこしてはいるか、この篇名に、さしたる意味はない。後半は、敗北
の原因、将の責任と役割にふれている。
敗北への道
敗北に至る道は六つある。「走」「弛」「陥」「崩」「乱」「北」がそれである。およそ、
この六つは情勢や環境による不可抗力のものではなく、あきらかに将たる者の責任である。
「走」――敵味方の兵力は同程度なのに、味方の一の力で敵の十の力と戦闘しなければなら
なくなった場合。
「弛」――部下が強くて幹部が弱い場合。
「陥」――幹部が強くて部下が弱い場合。
「崩」――将たる者が副将の能力を認めないため、副将が不平をいだいて兪今に従わず、自
分勝手に戦うような状態。
「乱」――将が気が弱くて厳しさを欠き、指導方針も不明確で部下は動揺し、戦闘配置もで
たらめな場合。
「北」――将が敵の力を正当に評価できないため、少数の味方で多数の敵とぶつかり、弱い
兵力で強力な敵と戦い、しかも自軍には中心となるべき精鋭もいない場合。
およそ、以上の六つは敗北の道であって、こういうことにならぬように努力するのが将たる
者の重要な任務である。おろそかにしてはならない。
【十二首束歌 Ⅰ】
若き日の水面にありし水の影のゆらゆらとあはれいまにゆらめく
鴨じもの波の随(まにまに虫)に遊びつつ北に飛ぶ日を数みてゐるらし
おろかなるもののあやふさ仄々と梅に花咲き鳥は遊べども
春をよぶ雨とはいへど降りみ降らずみ海に霹靂の音を響かす
茶の花に来る虫の名は知らねども営々たりその金色の蜾蠃腰
山口の梅の花白く咲きにけり杏の花もはや遠からず
雨ののち流れに朱の見ゆるあり山の椿の花咲きをれば
岩陰にちぢまりて翁(をち)はみづからの白骨を火にくべてゐるらし
「マチョーテモバサーコンデ」と婆さんが上の畠から叫(おら)んでくれる
怖ぢ怯れ啼くやこの大身をよぢり宸たばしる街路にむきて
明け暗れの外の面に人の声をきき再びねむり夢にてもきく
戦争は静かに思へ死者生者山野に放りかへりみざるを
『春寒一日また一日』 小見山 輝(龍)(「歌壇」2018年5月号)
※鴨じも:浮寝をすれば蜷(みな)の腸(わた)か黒き髪に露そ置きにける」〈万・三六四九〉
※仄々:ほのぼの
※霹靂:へきれき➲霹靂すること閃電光の如くなるを/太平記
※蜾蠃腰:すがるごし➲じがばちの古名。腹部がくびれていることから女性の細腰に喩える。
昭和5年岡山県笠岡市生まれ。昭和26年「篭」入会。服部忠志に師事。昭和28年、加藤
克巳の「近代」に参加。平成7年「篭」代表。現代歌人協会会員。日本歌人クラブ参与。岡
山県歌人会会長。平成24年岡山県文化賞受賞(『小見山輝歌集 現代短歌文庫』より )
No.194
【ソーラータイル事業篇:ZEH3階建 4.4kWの太陽光パネル搭載】
4月13日、ミサワホームは、ZEH(ネット・ゼロ・エミッション住宅)対応可能な都市型
3階建て住宅を、4月28日から北海道・沖縄を除く全国で販売することを公表。南面と北
面で異なる傾斜の屋根を組み合わせた「異種勾配屋根」を採用することで太陽光パネルの設
置面積を大きく確保した(商品名は、「CENTURY Primore 3(センチュリープリモアスリー)
」。これは、同社独自の木質パネル接着工法において、厚さ120mmの木質パネルを用いて接
合部を強化した「センチュリーモノコック」構法を採用した。最大5.4m幅の大開口や高天井
を確保しながらも、住宅の断熱性能を示すUA値は4地域以南のZEH耐熱基準を上回る 0.5以下
を達成。異種勾配屋根は、主に北面での傾斜制限や日影規制に対応しながらも、南面は緩や
かな傾斜とすることでNearlyZEH基準の3.2kWを上回る3.9kWの太陽光パネルを設置可能にした
(プロトモデル43坪の場合)。なお、ZEH基準の4.4キロワットは棟移動で達成可能。
この他、4地域以南で同社初の発泡系床断熱材、従来品と比べて断熱性能を高めた玄関ドア、
基礎断熱と防蟻対策で床下部を点検しやすくしたフリーアクセスフロアによる1階床のスキッ
プダウン設計などを採用した。参考価格は6243万円(税込み)。販売目標はセンチュリーモ
ノコック全体で2019年度1000棟。
【特徴】
● 新しい「MISAWA Interior Style」と新造作システム
多様化するニーズに対応するため、6カテゴリー 14 スタイルの多彩なインテリアスタイ
ルを「MISAWA Interior Style」として展開、造作システムも一新。「CENTURY primore3」
では、富裕層を意識した「ALL LUXURY」と「With Elegance」スタイルとして、上品さ
や優雅さをイメージ、なめらかな曲線の廻縁やケーシングを採用し、その他のスタイルにお
いても内部建具やドア金物のバリエーションも充実させ、顧客のこだわりインテリアを実現。
● 規アイテムの採用で統一感と重厚感のある美しいファサード
都市型住宅のファサードは、サイズや素材の異なる窓やバルコニー、玄関ドアなど雑然とな
りがち。新規開発した目板は、サッシやバルコニーに沿って配置することで、統一感が出て、
それらがまとまったひとつの要素として感じられるため、外観に落ち着きがうまれる。また、
従来品に比べ厚みを増した庇や、上質感あふれる外装材などのオリジナルアイテムを採用で、
間口の狭い都市型住宅においても重厚感のある美しいファサードを形成できる。
● 新構法採用で耐震性が1.3倍に!!「センチュリープリモア」
UA値0.50以下 耐震等級3を確保
新構法の「センチュリーモノコック」の特徴は、大開口などの開放的な設計を実現しながら、ZEH基準
を大きく上回る断熱性能を達成。従来の90mm厚の壁パネルが120mmへと増厚。さらに木質パネ
ル同士の接合部を強化し、構造体と基礎の接合部を独自形状のアンカーボルトで増強した高
耐力仕様を標準採用。耐震性能は通常仕様の約1.3倍に向上。耐震等級は最高等級「3」。
新構法の「センチュリーモノコック」の採用で、大幅に耐震性や耐力性が向上した仕様。ま
た、高耐力の LVL 材の梁を組み合わせることで、躯体構造の強度アップとスリム化を図り、
より開放的な間取りを採用できる。約3メートルの天井や約5.4メートル幅の大開口が可能。
加えて、オリジナルの高断熱なアルミ樹脂複合サッシ「AZサッシ」(アルゴンガス入りLow‐E
複層ガラス)または樹脂サッシ(トリプルガラス)を標準採用。どちらもU値1・90W/㎡・K以下
の優れた断熱性能を発揮。
● 異種勾配屋根
1棟の建物で急勾配と緩勾配の異なる傾斜の屋根を組み合わせる「異種勾配屋根」を開発し
ました。これにより、主に北面で斜線制限や日影規制に対応しながら、南面は緩やかな傾斜
とすることができるため、太陽光発電パネルの搭載に効果的な屋根面積を大きく確保でき、
ZEHに対応しやすい。また、強固なモノコック構造のため、急勾配屋根の直下の空間も小屋組
や陸梁を入れることなく、広々とした居住空間として確保できます。吹き抜けや小屋「蔵」
など、多彩な空間活用が可能な点が魅力。
● 1 階床スキップダウン設計
基礎断熱と防蟻対策を施し、床下部の点検がしやすくなるフリーアクセスフロアを採用する
ことで、新たに1 階床のスキップダウン設計が可能になりました。これにより、天井高が約
300mm アップします(イメージ①)。また、1 階をスキップダウンした分、各階の階高を
調整でき、建物全体の空間構成にさらにバリエーションがうむ(イメージ②)。都心部では
採光を確保するため2 階以上にリビングなど家族が集まる空間を設けることが多くなるが、
スキップダウンを活用することで、さらに使い勝手がよく、変化のある豊かな空間が確保で
きる。
従来の「センチュリー」シリーズよりも断熱性能が27%も向上。新採用の「センチュリーモ
ノコック」と、玄関土間断熱「サーモ DOMA フロア」や、ミサワホーム独自の高断熱サッシ
「AZ サッシ」を組み合わせることで、断熱性能を表す熱損失係数UA値を0.50以下とを実現。
標準的なZEH 断熱基準であるUA値0.60を大きく上回ります。また、ZEH仕様を強化すること 、
最も ZEH 断熱基準が厳しい北海道地域(1、2 地域)のUA値0.40もクリア可能となっていま
す。さらにトップライト・シーリングファン・エアコンを自動制御する「涼風制御システム
」や、室外に設置したルーバーに水を流して涼風を取り込む「クールルーバー」や、換気塔
による屋根裏の排熱など、ミサワホームで独自の技術でZEH能力を向上させている。
● ヒートショック対策や健康面に配慮した機能も充実!
「センチュリー・プリモア」では新たに「蓄熱床」も採用。潜熱蓄熱材を組み込んだ床材で
昼間の日射や暖房時の熱を蓄え、夜間にゆっくりと放熱する。冬期、20℃以上でエアコンを
使用し、就寝時にエアコンを切った場合、通常の床材を使用した住宅であれば朝には16℃
程度に室温が下がっている。断熱性能に優れる「センチュリー・プリモア」ではLDKに「蓄
熱床」を採用することで、朝でも18℃程度を維持。
さらに、室内空気質の改善にも取り組んだ。壁や天井にホルムアルデヒドやアセトアルデヒ
ドなどを吸着・分解する機能を持つ高機能石膏ボードを採用。その上に通気性のクロスを貼
ることで、化学物質の室内濃度が厚生労働省指針値の3分の1以下になることを実証。
さらに、今年4月に発売したIoTを活用したライフサービス「LinkGates(リンクゲイツ)」も
提供る。住宅内の情報家電・電子機器類をネットワークでつなぎインターネット回線を使い
データをやりとりできるホームゲートウェイと、温湿度センサーやコントローラーを組み合
わせたもの。生活データを蓄積・分析し、省エネ・安全・安心・快適な生活をワンストップ
で提供。エネルギーの見える化や最適制御だけでなく、室内温度・湿度を測定し、熱中症の
危険を知らせる熱中症アラートや、外出先からエアコンや電動シャッターなどを遠隔操作す
ることも可能。日々の健康な暮らしを支援。
高橋洋一 著 『戦後経済史は嘘ばかり』
第6章 不純な「日銀法改正」と痛恨の「失われた20年」
第7節 「小泉・竹中路線」は、最初は完敗の連続だった
竹中氏は、政府に入ったものの惨敗続きでした。日銀にはまったく相手にしてもらえません
でしたし、やろうとしたことはすべて潰されていきました。竹中経財相が経済財政諮問会議
で最初にやろうとしたのは法人税減税です。これには財務省(中央省庁再編で2001年1
月に大蔵省から財務省に名称変更)が激怒して猛反対し、この案はすぐに潰されました。
竹中氏は一橋大卒で日本開発銀行出身です。東大卒ばかりの財務省キャリアは学歴で人を見
る悪い斟がありますので、あたかも櫓下の人間がいきなり大臣になったかのような反感を持
っていました。竹中氏はかつて大蔵省に出向していたことかあり、そのときも彼のことを小
馬鹿にしていたキャリア官僚がいました。
実は、私が竹中氏と最初に知り合ったのは、そのころでした。竹中氏が大蔵省の財政金融研
究室(当時)に開発銀行から課長補佐として出向してきて、私はその下の係長職でした。竹
中氏はハーバード大学に留学して学んできたことをたくさん聞かせてくれて、面白い話が多
かったので、そのころから親しくなりました。経財相になった竹中氏は財務省から嫌われて
いましたので、省内に味方が必要だと考えたのかもしれません。私に声をかけてくれました。
そのころ私は左遷されて暇にしていました。プリンストン大学への留学期間を延長したため
飛ばされたのです。
1998年に留学して一年で帰る予定でしたが、当時、プリンストン大学には、のちにFR
B議長になったベン・バーナンキ教授や、2008年のノーベル経済学貧受貧者のポール・
クルーグマン教授もいたので、向こうでの勉強が面白くて期間を延ばしてもらうように頼み
ました。すると国際電話がかかってきて、「お前のポストはもう用意してある」といわれま
す。私はどうしても勉強したかったので、それを断ったら、「何でこんないいポストを断る
んだ。飛ばすぞ」と怒られました。私は結局、三年間留学しましたが、帰国してみると予定
通り飛ばされたわけです。
左遷されて国土交通省に出向して、仕事もないので暇にしていました。そんなときに経財相
の竹中氏に声をかけてもらって密かに手伝っていたのですが、すぐにバレてしまいました。
すると竹中氏は「塩じい」の愛称で親しまれていた財務相の塩川正十郎氏に掛け合って、政
府の各種検討会委員に私を加えました。現役の役人が入る場ではないのですが、強引に竹中
氏に入れられました。
最初は小泉純一郎首相肝煎りの政策金融改革の検討会委員を務めました。財務省は 「我々
の味方として高橋が入った」と思ったかもしれませんが、私は財務省の意向とは遣うことを
しました。小泉首相は郵政改革とともに政策金融改革を進めたかったのですが、橋本龍太郎
元首相が出てきて「指一本触れさせない」といわれて、結局、政策金融改革は完全に潰され
ました,
このときの小泉首相の怒りは非常に大きく、のちに郵政改革が片付いたときに、再度、政策
金融改革をする際にはものすごい剣幕でした。そのときに政策金融はいくつも廃止されまし
た。「常勝小泉・竹中」のイメージかおるかもしれませんが、最初は敗戦続きでした。法人
税減税で完敗、政策金融でも完敗でした。
第8節 いかにして竹中氏は無敵状態になったのか
しかし、ここからが竹中氏のすごいところでした。コテンパンに負けた理由を分析して、ど
うやったらうまくいくかを考えて、やり方を変えたのです。試行錯誤の末、諮問会議に待合
室というものをつくり、竹中氏の意向を理解している。人だけを集めました,私も加わって
いましたが、待合室でペーパーを書いて諮問会議の議員に根回しをしていきました。諮問会
議の議員は11人で、そのうち4人が民間議員でした,この4人の民間議員を先に説得する
ようにしました。
竹中氏が小泉首相を味方につけると、合計6人になり過半数を押さえられます。民間議員4
人には私かペーパーを書いて先にレクチャーして合意を得ました。こうして諮問会議で賛同
してもらえるようにしたのです。竹中氏は、土日で時問がとれたときには閣僚の主要メンバ
ーを集めて会合を問いていました。私はそこに参加したことは数回しかありませんが、官房
長官はよく出席していたようです。そのほか自民党幹事長もときどき出席していました。こ
の会合をコンピュータのCPU(中央演算装置)をもじってというか、もともとあった名称
でCPU (コミュニケーション・アンド・ポリシー・ユニット)と呼んでいました,そこ
には当時、官房副長官だった安倍音三氏や、経度相などを務めた中川昭一氏も出ていて、よ
く意見交換と情報共有をしていました。
こうして頻繁に情報共有しているので、竹中氏が諮問会議をりIドするスタイルができてい
きました,ここまでできる人は政治家の中でもなかなかいないと思います。
そのスタイルができあがると、ものすごく政策実現の確率が高くなっていきました。諮問会
議のペーパーは潰されなくなり、ほとんど通るようになりました。やりたいことが通る打率
が高くなると、竹中氏の下にみんな集まってきます。 マスコミヘのブリーフィング(事情
説明)も上手でした。諮問会議が終わると、マスコミはすぐに内容を聞きたいのでブリーフ
ィングを求めます。竹中氏は、会議を運営しながら要点を書き留めて、きちんと説明してい
ました。会議後にすぐ公表するにはかなりの事務処理能力が求められます。竹中氏にはそれ
ができましたが、以降の経財相はそこまでのブリーフィングはできませんでした。
こうして、諮問会議をとりまとめ、マスコミにもきちんと公表しましたので、状況は大きく
変わっていきました。最初は全敗でしたが、途中からは何でも運る状況になりました。徐々
に、スーパーマリオブラザーズというゲームで、マリオが無敵になれるスターをとって、ど
んどんと敵をなぎ倒していくような状態になりました。
小泉政権の政策としては郵政民営化と道路公回改革を進めましたが、道路公回のほうは、道
路関係四公団民営化推進委員会の委員を務めた作家の猪瀬直樹氏のキャラクターで乗り切っ
たようなものです,一度は橋本元首相に潰された政策金融改革にも取り組みました。政策金
融は公務員が天下り先を確保するために必要としているのであって、産業界には必要のない
ものでした。本来、政府のすべきことは、弱い企業への融資です。民間は儲からない相手先
や拒保のとれない相手先には融資しませんので、政府が融資するしかおりません。政策金融
の役割は民間が貸さない弱者に対する貸出しです。そういう意味では、国民金融公庫と日本
輸出大銀行以外は不要ですから、政府系金融機関は統合・廃止されました。
第9節 日銀総裁人事以外に、政府が金融政策に関与する方法はなかった
竹中氏が諮問会議を取り仕切るようになって以降、最も重要だったことの1つは、2003
年3月の日銀総裁交代時に誰を選任するかということでした。前述したように、日銀は「独
立性」を楯にとってデフレ克服のための金融緩和をしませんでした。総裁交代の機会を逃す
と政府が金融政策に影響を及ぼすチャンスはなくなりますので、人選はとても重要でした。
日銀出身の福井俊彦氏が候補者でしたが、デフレ脱却をする意志かおるかどうかが焦点でし
た。
この時点で、金融政策の重要性がわかっていたのは、悲しいかな、竹中氏と自民党の中川秀
直氏らのごく一部だけでした。そのほかの自民党議員には、説明してもまったく理解しても
らえませんでした。小泉首相の意向を受けて、中川氏が福井氏に「デフレ脱却をやりますか
」と尋ねて約束をしてもらいました。福井氏は小泉首相のいる前でデフレ脱却を約束したと
間いています,それを確認したうえで、小泉首相は福井氏を日銀総裁にしています。
世間では福井氏は前任者の路線を踏襲すると見られていたようですが、福井氏は日銀総故に
就任すると、約束を守ってすぐに量的緩和をしました。量的緩和を続けたため、小泉政権時
代には一時デフレを脱却できそうになりました。量的緩和によって、為替レートは平均で1
ドル=120円くらいの円安を保っていました。
量的緩和をやった価値はあったのですが、徹底的にやらなかったのが残念な点です。
福井氏は、徐々に日銀内部の論理に取り込まれていったのか、2006年3月に量的緩和を
解除してしまいます。その年の九月には小泉首相が退任予定でしたから、日銀側は小泉首相
にはもう力がないと考えたのかもしれません。
このときに量的緩和解除に反対したのは、閣内では総務相だった竹中氏だけでした。閣僚を
含めて多くの人が解除しても大丈夫だといっていました。
私はもちろん量的緩和解除に反対でした。まだデフレを脱却していませんでしたので、時期
尚早と考えていました。「もし解除をすると半年後には経済状態はこのようになる」と予測
を出しました。
竹中氏も「今、量的緩和解除をすると半年から一年先には景気は落ちます」と主張しました,
ですが、こうした意見は相手にされませんでした,日銀は量的緩和解除に踏み切り、結果は、
デフレを再び深刻化させるものとなりました,経済は予想通り低迷し始めました。
このときのいきさつを1人だけ冷静に見ていた人がいます。それが現首相の安倍音三氏です。
安倍氏は当時、官房長官でしたが、竹中氏や私のいうことを聞いていました。
ただし、「本当にそうなのかなあ」としか思わなかったそうです。
しかし、9ヵ月ほど経つとデフレに逆戻りし始めました。安倍氏は第一次安倍政権(200
6年9月~2007年8月)を退陣してから、量的緩和解除の失敗に気づいたとおっしやっ
ていましたが、その後、リフレのことを勉強されたようです。「暇だったから」と国会でも
発言されていました。退陣後とはいえ、きちんと勉強された姿勢は立派だと思います。 安
倍氏は20回1年の自民党総裁選に再び出馬しました。事前の報道では、安倍氏は、石破茂
氏、石原仲晃氏に次いで3位につけていました,偶然が重なって安倍氏が総故に選出されま
したが、この総裁選で、デフレ対策としての金融政策と消費増税への懸念を明確に主張して
いたのは安倍氏だけです。
もし安倍氏が当選せず、日銀総故に黒田東彦氏が選ばれていなかったら、いまだに金融緩和
が行われていなかったかもしれません。
この項つづく
【今夜のクエスチョン:銀ナノインクの不思議を解き明かす】
4月17日、 東京大学らの研究グループは、超微細回路を簡便・高速・大面積に印刷できる
スーパーナップ法について、技術の鍵となる、銀ナノ粒子の吸着性とインクの安定性が両立
する不思議なメカニズムを解明しとことを公表。この成果は、❶銀ナノ粒子の吸着性とイン
クの安定性が両立するメカニズムと、❷銀ナノ粒子表面を保護するため、わずかに含まれる
脂肪酸が巧みに機能していたことを新たに発見。❸新たな高機能ナノインク開発と高度印刷
技術への展開を拓けた。
塗布や印刷によりフレキシブルな電子機器を製造するプリンテッドエレクトロニクス技術は
大規模・複雑化した従来のデバイス製造技術を格段に簡易化できる革新技術として期待さ
れている。スーパーナップ法は、線幅1マイクロメートル以下の銀配線を簡易に印刷できる
画期的な印刷技術として、現在、これにもとづく透明で曲げられるタッチパネルセンサの量
産化が進められている。スーパーナップ法では、インク中に含まれた特殊な銀ナノ粒子が、
基材表面に選択的に吸着する新たな仕組みが技術の鍵となっているが、高活性な銀ナノ粒子
を大量に含んだインクが、印刷に至る過程で安定なままたもたれる理由がわからなかった。
今回、インク中で銀ナノ粒子が凝集するメカニズムを詳しく検討した結果、銀ナノ粒子表面
を保護するため、わずかに含まれている脂肪酸(注2)の分子鎖の挙動が、銀ナノ粒子の吸
着性とインクの安定性を両立させるため、巧みに機能していることを解明する。
Title:Unique coexistence of dispersion stability and nanoparticle chemisorption in alkyl
amine/alkylacid encapsulated silver nanocolloids