『呉子』
春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。武経七書の一つ。『孫子』と併称される兵法書。前四世紀
楚の宰相であった呉子の言を集録したものという。
序 章
魯の上将軍であった呉子は、中傷によって失脚し、やがて新興旧説を訪れた。『呉子』の言はここか
ら始まる。
呉起、文候に見ゆ――「主君、なんぞ言と心と違える」
呉起は、儒特の衣冠をつけ、戦術論をひっさげて、魏の文俣に面会した。文侯は、「わたしは、戦争
のことなどまっぴらだ」
呉超はいった。
「わたくしは、外に現われた事象によって内部にひそむ真実を推測し、過去によって、未来を洞察し
止す。あなたは、なんで心にもないことをおっしゃるのか。侯よ。戦争はいやだとおっしゃるあなた
が、いま職人たちに伺を作らせておられますか? 職人だちはせっせと獣の皮をはいで衣をつくり、
これに朱章江をぬり重ね、赤や青の絵具でいろどり、猛獣の絵を副いているではありませんか。こん
なものを着ても、冬は暖かくないし、夏は涼しくありますまい。
また、長いのは二丈四尺、短いのでも一丈二尺もある戟(先が三つ又になった矛)をつくり、さらに
大きさが家ほどもあり、実用いってんばりの軍をつくっています。見た目に美しくないし、狩に便う
には大きすぎて不便です。……いったい、そのようなものを、あなたはどこでどう便うおつもりか?
もちろん戦争に備えてのことでありましょう。それならば、装備だけでなく、これを有効適切に使い
こなす人材がなければなんにもなりません。たとえていえば、ひなを抱いている牝鶏が野良猫につっ
かかり、子持ちの大が虎に歯向かうようなものです。闘志だけでは殺されてしまうのです。
むかし、諸侯のひとりであった示指氏は、文徳だけを重んじて武備を撤廃したため、その国は滅びま
した。また、有旭氏の場合はその逆に、軍勢だけをたのみにして蛮勇をふるったため、君主の地位を
失いました。明君は、こうした教訓を学びとり、内にたいしては文節、外に向かっては武備をととの
えるのです。敵が攻めて来だのに、進んで戦おうとしないのは、正義とはいえません。敵のために殺
された人民の屍に涙をそそぐだけでは、仁とはいえません」
呉起のことばに感じいった文侯はみずから席を設け、夫人が酒をすすめて款待した。そして祖先の廟
に報告し、かれを大将に登用した。
果して、呉起は西何の地を守って奮戦した。主な会戦七十六回、そのうち六十四戦は完勝し、あとは
すべて引きわけ、つまりまったく無敗であった。魏が四方千里にわたって領土を拡張できたのは、す
べて呉起の功績である。
〈魏の文侠〉もと晋の国の卿(有力貴族)。同じ晋の卿だった趙氏・韓氏とともに晋をほろぼしてこ
れを三分し、魏を建国した。紀元前396年、在位50年で没した。
〈獣の皮をはいで・・・〉 戦闘用の皮ごろもをさす。
〈西河〉 現在の陜西省にあった町。黄河の西岸にあって強図案と接し、魏の国防第一線。
★『呉子』は、魏の武侠に対して、呉起が説いたことばを記録した形になっており、冒頭のこの一
節は、典子と武侠の父文侠の出会いを述べたもの。「平和主義」の看板をかけ、実は領土拡張をねら
う文侠の本心に、典子は必死の肉薄をこころみる。この進言のコツは実に微妙である。➲ 『韓非子
』説雄篇。「見をもって隠を占い、往をもって来を察す」現象から本質をみぬき、実績から明日を予
測するという意味の成句。
【下の句トレッキング:われらに薄きたましひの鞘】
今月号の『歌壇』の歌人坂井修一の歌評「蘇る短歌――大好きなうた、ちょっと苦手なうた」(第二
回「たましい見ゆ」で、下の三首を読みくらべ、第一首のラピスラズリ(瑠璃)は。深い青色の宝石
だ。夜中に瑠璃を磨くうち、ふと思う。こんなふうに人の体を磨き削ってゆくと何か見えるのだろう
か。やがては魂まで見えるものか。澄み果てるような冴え冴えとした気分の中で、そんなことまで信
じてみたくなる。この歌、二句の途中で切って思いを飛躍させ、四句の終わり近くの読点で切って、
今度は現実に揺り戻しているが、様式美においても、主題においても、山中の歌は構成で優っている
が山中の「われらに薄きたましひの鞘」は何度舌の上でころがしても、ほれぼれするほど美しい詩句
であり川野のそれを圧倒していると評し、返す刀で、第三首の水原の時計の歌には、山中ほどの鋭さ
はないが、心の奥底をさまよっている間に出会った命のしずくのようなものが、ぽとり、と音を立て
ているような山中ー水原に繋がる「たましひ」だと評した後、
Lapis‐1azuli みがけりからだ削ぎゆけばたましひ見ゆ、と信じたき夜半 川野芽生 『ラピスラズリ』
いづくより生れ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘 山中智恵子『紡錘』
針と針すれちがふとき幽かなるためらひありて時計のたましひ 水原紫苑 『びあんか』
川野芽生、睦月都、小佐野弾。これらいちばん新しい新人賞作家たちを思うとき、私は、これまでに
なかった期待と不安が湧き起こるのを感じると吐露している。
殺害をもう怖れずに済むとウなるかないふ昧爽のマリン・スノ 川野芽生 『ラピスラズリ』
パーティーにわれらはわらふ誰とゐても貿易風のやうに笑へる 睦月 都 『十七月の娘たち』
どれほどの量の酸素に包まれて眠るふたりか 無垢な日本で 小佐野弾 『無垢な日本で』
そして二十一世紀の世界には、かつてなかった種類の理不尽が満ちている。これらの作品には、そん
な理不尽を受け容れきった若者たちの澄明な眼があり、その内側には「世界など何ほどのものでもな
い」という強靭な拒否の気持ちが育まれているようだ。塚本邦雄、山中智恵子、河野裕子、水原紫苑
、米川千嘉子、大滝和子。もっと若い光森裕樹や野口あや子。こうした先達の作風を学びながら、彼
らとは違う、アナーキーでニヒルで、どこか甘やかな言葉たち。今、この恐ろしい世界で静かに息を
しながら、彼らは本物の言葉を手にしようと、痛々しくも大胆な歩みを始めたようだ、と。このよう
に結んでいる。寸暇を惜しみ久しぶりに繊細な詩歌評を目し、眼精疲労で惚けていた頭と心が洗われ
るようだった。
坂井修一[サカイシュウイチ] :1958年愛媛県松山市生。1978年創刊間もない「かりん」
入会と同時に作歌開始。同年、情報理工学を専攻することを決め、以後2足の靴を履き続けている。
歌集『ラビュリントスの日々』(現代歌人協会賞)、『ジャックの種子』(寺山修司短歌賞)、『牧
神』(茨城県歌人協会賞)、『アメリカ』(若山牧水賞)、『望楼の春』(迢空賞)。評論集『斎藤
茂吉から塚本邦雄へ』(日本歌人クラブ評論賞)。その他、「かりん」編集委員。現代歌人協会理事。
日本文藝家協会、日本歌人クラブ会員。東京大学情報理工学駅研究科長・教授。工学博士
【最新高品位電池技術篇:カーボンナノチューブ内にリチウムイオンを埋め込む】
Apr. 26, 2018.
Title:Electrochemical Performance of Lithium Ion Battery Anode Using Phosphorus Encapsulated into Nanoporous
Carbon Nanotubes
5月8日、豊橋技術科学大学の研究グループは、カーボンナノチューブ内にリチウムイオン電池電極
材料を詰め込むことに成功したことを公表。
赤リンをリチウムイオン電池(LIB)電極材料に用いた場合、現行のLIB電極に使用されているグラ
ファイトに比べて約7倍の充放電容量を示す可能性があるため、赤リンは高容量LIB電極材料として
注目されている。グラファイトの場合、6個の炭素原子が1個のリチウムイオンを吸蔵、赤リンの場
合、1個のリン原子が3個のリチウムイオンを吸蔵できる。このリチウムイオン吸蔵量の差から、赤
リンを用いたLIBは高容量化を達成できると考えられるが、赤リンはその分、リチウムイオンの吸蔵・
放出による体積変化が大きく、繰り返し充放電反応を生じると赤リン粒子の亀裂・剥離・脱落が起こ
る。その結果、充放電反応に寄与する赤リン粒子の量が減少、電池容量の急激な低下が問題となる。
また充放電反応時に電極では電子のやり取りも生じるが、赤リンが電気を流しにくい性質(絶縁体)で
あるため、エネルギーロスが大きい。
そこで、上図1左のように、赤リン粒子の亀裂や剥離に伴う粒子脱落を抑止するために、カーボンナ
ノチューブ(CNT)の中空孔に赤リンを詰め込んだ構造を持つ材料を合成しました。電気を流しやすい
CNTは、赤リン粒子の電気的弱点を補う働きも担う。電池として充放電させる際に、リチウムイオン
の移動を円滑にし、赤リンの電気化学反応性を向上させるために、上図1/右のように予めCNTの側
壁にナノサイズ(<5nm)の孔を形成しても、上図1/左の分析画像からCNTの中空孔に赤リンが安定
に存在することを確認。
Apr. 26, 2018.
Title:Electrochemical Performance of Lithium Ion Battery Anode Using Phosphorus Encapsulated into Nanoporous
Carbon Nanotubes
この材料をLIB電極に適用することで、50回の充放電試験においても、上図2/左の通り、約850
mAh/gの可逆容量が得られ、グラファイトの2倍以上の容量を示しました。また図2(右)に示す通り、
10回の充放電試験以降、充放電効率(クーロン効率)は99%以上の高い値を示し、充放電反応の可
逆性が高いことがわかりった。しかし、充放電を繰り返し行うと、充放電容量が徐々に低下していき
ました。この原因として、❶赤リン粒子が劣化していることや、❷副反応に電荷が消費されているこ
とが考えられる。が、側壁に孔を開けていないCNTに赤リンを埋め込んだ電極よりも、赤リンの電気
化学反応性が向上し、格段に充放電性能が向上していることが判明する。❸また前述図1/左と同様
に、充放電後にも赤リン粒子がCNTの中空孔に存在している様子が観察され、赤リンの構造安定化を
達成。このようにこの研究では高容量LIBB電極材料として、CNTの中空孔に赤リンを埋め込んだ構造
を提案しているが、実用時に充放電反応を長期間繰り返す場合には、更なる電極構造の改質を必要と
する。今後もこのような高容量LIBB電極材料の研究を引き続き進めていく方針である。これは、面白
い!
※「タンスの中から電池の中へ―大環状有機分子から全固体リチウムイオン電池の大容量負電極が誕
生―」、東北大学 原子分子材料科学高等研究機構,科学技術振興機構、2016.05.14(下図参考)
Accepted:Apr. 16 l 2018、doi:10.1038/s41598-018-25193-2、
Title:Anisotropic diamond etching through thermochemical reaction between Ni and diamond in high-temperature water vapour
【最新パワーデバイス製造技術篇:熱化学反応型異方性ダイヤモンドエッチング法】
5月1日、金沢大学の研究グループは、究極のパワーデバイス材料であるダイヤモンドの高速・異方
性エッチング技術開発したことを公表。
エネルギー(電力)の利用の更なる高効率化が求められており、その鍵は電力制御を担っているパワ
ーデバイスが握っている。現在主流であるシリコンパワーデバイスは高度発展してきたものの限界に
近付きつつあり、更なる高性能化は極めて困難と見られ、シリコンカーバイド窒化ガリウム、酸化ガ
リウム、ダイヤモンドなどのワイドバンドギャップ半導体に注目されている。中でもイヤモンドは半
導体材料の最大絶縁破壊電界、キャリア移動度に加え、物質中最大の熱伝導率は魅力的であり、❶高
耐圧化・❷低損失化・❸高速化・❹小型化を実現する上で大変有利に働くため、ダイヤモンドは究極
のパワーデバイス材料として有望であるものの、最高水準の硬度と化学的安定性を有するダイヤモン
ドを加工=エッチングし、デバイス構造の作製は難しい。現在のダイヤモンドデバイス構造の作製は
プラズマプロセスが用いられているが、エッチングが低速である上に、ダイヤモンドのエッチング面
近傍にプラズマ起因のダメージが生じ、デバイス性能を劣化させる。ダイヤモンドを高速エッチング
できる非プラズマプロセスの開発が望まれていたが、ニッケルへの炭素の固溶反応に着目、ダイヤモ
ンドエッチングプロセス開発に取り組んできた。
この研究では、高温水蒸気雰囲気下におけるニッケルへの継続的な炭素固溶反応を用いることにより
世界最速の異方性ダイヤモンドエッチンングプロセスを実現しました(上図1参照)。高温水蒸気雰
囲気を用いることで、ニッケル表面が酸化し、ニッケル中の固溶炭素はその酸化ニッケルとの酸化還
元反応により、二酸化炭素および一酸化炭素として排出されます。これによりニッケル中の炭素の不
飽和状態が維持され、高速かつ継続的なダイヤモンドのエッチングが可能です(上図2参照)。さら
に、高温水蒸気は酸素とは異なり、ダイヤモンドを直接エッチングする作用がないため、ダイヤモン
ドのニッケルと接触する部分のみを選択的にエッチングを実現させ。また、プラズマを用いないため
デバイス性能を劣化させるプラズマダメージは生じなかった。この技術は、デバイス構造の作製だけ
でなく、ダイヤモンドの平坦化や切断などの加工プロセスへの応用もできると考えている。
世界はわれわれの畑だ。 ヘンリー・ジョン・ハインツ(1844~1919)
第2章 「中国産」のトマトペースト
フランス、ヴオクリューズ県カマレーシュル=エーグ
スーパーマーケットの保存食品コーナーで、トマトペースト、ケチャップ、カットトマト缶、トマト
ソースなどを老若男女さまざまな客が真剣な表情で選んでいる。彼らのほとんどは、こうしたトマト
加工品に使われている原材料はこのスーパーの生鮮食品コーナーや市場で売られているトマトと同じ
だと思っているはずだ。いや、何人かは、「缶詰に使われているのは大量生産されているトマトだ」
と言うかもしれない。だがほぼ全員が、添え木をされた緑の茎になっている赤くて丸い実をイメージ
しているにちがいない。
「いずれにしても、トマトはトマトじやないか」と言う人もいるだろう。
「もちろん、いろいろな品種のトマトがあるし、出来のいいのも悪いのもある。でもトマトはトマト
さ。強いて言えば、畑や菜園で露地栽培されたものと、温室栽培されたもの、土ではなく特殊な土台
に桂えられたものなどの違いがあるくらいさ」
スーパーマーケットの客や、ピザ店でマルゲリータを焼いている職人にかたっぱしから尋ねたところ
、ほとんどがトマト加工品に使われているトマトの正体を知らなかった。この取材をする前のわたし
とまったく同じだ。それも当然だろう。こうした製品のパッケージデザインやテレビCMには、必ず
赤くて丸いトマトが使われているのだから。わたしたちの脳にはこのイメージが完全に刷りこまれて
いる。世界中でトマト加工品に使われているパッケージの数は、年間こI〇億に上るというのだから
[4]。
加工トマト業界は、人々がトマトに抱くイメージをうまく利用しているのだ。加工用トマトを実際に
見たことがある人はいるだろうか?加工用トマトと生食用トマトは、リンゴとナシほどに違う。別の
目的のために、別の環境で作られた、別の果実と考えるべきだ。加工用トマトは、加工に適した特徴
を持つよう、遺伝子工学研究者によって人工的に生みだされたものだ。濃縮されてドラム缶に詰めら
れ、遠くの国に届けられるまで地球を何周も回ることすらある。その流通ルートは網の目のように世
界中に広がっている。あらゆる国で輸送され、店頭に並べられ、消費される。
こうした加工用トマトは、生食用のように丸くはなく細長い形をしている。水分量が少なく、重くて
実が詰まっている。皮は分厚く、生でかじると固くて、食感がコリコリしている。収穫後にトラック
で長距離輸送されたり、加工用機械のなかで跳ね回ったりしてもつぶれないよう、丈夫に作られてい
るのだ。そして傷みにくい。
農学者は、加工用トマトのことを冗談交じりで「戦闘用トマト」と呼ぶ。トラックの荷台のなかで、
何百キロものトマトの山の下敷きになっても、びくともしないほど頑丈だからだ。長年の研究開発の
成果でそういうトマトが生まれた。だからくれぐれも、どんなに頭にくることがあっても、芸術家や
政治家の顔に加工用トマトを投げつけてはいけない。石をぶつけるのと同じで、おそらく相今は即死
してしまうだろうから。
スーパーの生鮮食品コーナーで売られているトマトは水分をたっぷり含んでおり、トマトの重さはほ
ぼ水の重さと言ってもいい。だが加工用トマトは水分をほとんど含んでおらず、ジューシーさにはほ
ど遠い。工場で濃縮トマトを作るのにもっとも重要な工程は、水分を蒸発させることなので、はじめ
から水が少ないほうがやりやすいのだ。
だから生食用トマトは、露地栽培だろうが温室栽培だろうが、濃縮トマトにはまったく向いていない。
確かに前匹に紀には、作りすぎた生食用トマトを無駄にしないように加工に回したこともあった。だ
が、現在ではそういうケースは非常に稀である。
工場でトマトを濃縮トマトに加工するには、機械に適した品種のトマトを開発することと、トマトに
白わせた機械を開発することの両方が必要だった。厳選された加工用トマトを使って最新機械で作ら
れた濃縮トマトは、一般家庭では決して真似のできないクオリティになる。濃縮トマトを作るには、
トマトを高温で粉砕し、水分を蒸発させ、濃縮させる。ただしその過程でトマトが焼けたり、焦げた
り、傷んだり、糖分かカラメル状になったり、茶色に変色したりしないよう、常に温度を摂氏100度
以下に保たなければならない。こうすることで新鮮さが維持されるのだ。少なくとも、高品質の濃縮
トマトを作るには、これがもっとも優れた方法だろう。
石油の精製次第でさまざまなタイプのガソリンができるように、トマトの場合も、加工方法によって
さまざまな製品ができる。濃度、色合い、粘度、果肉入りかどうかなど、同じトマトを使ってもいろ
いろだ。基本的な加工方法は、19世紀にこの産業が生まれたときとほとんど変わらない。だが、生
産の規模とスピードは劇的に進化した。そして、市場が大きく発展してグローバル化し、今では世界
中の誰もがトマト加工品をロにできるようになっている。加工用トマトの苗は低本性だ。エネルギー
となる太陽光は無料でいくらでも手に入るので、
栽培に適した気候で広い畑に植えればすくすくと育ち、暑い盛りならいつでも収穫できる。カリフォ
ルニアでは春から収穫できる場合もあり、プロヴァンス地方では秋まで収穫が可能だ。
いまや、トマトはわたしたちの食生活に欠かせないものになった。ジャンクフードから地中海式ダイ
エットまで、食文化を問わずあらゆる料理に使われ、病気や肥満によって食事制限されることもない。
20世紀の歴史学者、フェルナンyブローデルは、小麦、コメ、トウモロコシという三つの穀物に注
目し、それらを栽培して食することがその土地(ヨーロッパ、アジア、アメリカ)の文明に大きな影
響を与えたと述べた。だがいまや、これら三つの穀物は、たったひとつの「トマトの文明一に取って
代わられている。トマトは、植物学者にとっては「果物」、農務省の役人にとっては「野菜」に分類
される。そして商人にとってはフドラム缶」だ。トマト加工品が流通したおかげで、世界中の誰もが
トマトを口にできるようになり、食品業界の商人にとってトマトは金のなる木になった。
ケチャッブ、トマトピューレ、バーベキューソースやメキシカンソース、レトルト食品、冷凍食品、
缶詰などのトマト加工品は、世界中どこでも手に入る。コメやクスクスと混ぜることで滋養のある料
埋か作られたり、パエリヤ、マフエ(セネガルのソース)、チョルバ(東ヨーロッパや中央アジアの
スープ)といった世界の伝統料理にも重宝される。北アフリカ、オーストラリア、イラン、ガーナ、
イギリス、日本、トルコ、アルゼンチン、ヨルダン……どこの国でも、トマトソースやケチャップを
料理にかけたりつけたりして食べている。航空機の機内には必ずトマトジュースが用意されている。
わたしは今回の取材で、貧しい国々の市場ではトマトペーストがスプーン売りされていることを知っ
た。スブーンー杯で数ユーロセントだ。この資本主義社会において、トマト加工品はもっとも手に入
れやすい製品なのだ。一日一一五ドルでの生活を余儀なくされる、最貧困の人たちでも買うことがで
きる。世界中でこれほど出回っている製品はほかにないだろう。国際追白食糧農業機関(FAO)に
よると、現在、トマトは世界一じ○カ国で栽培されており、この五〇年間で消費量が一気に増加した。
1961年、ジャガイモの年間生産量は2億7100万トンで、トマトはその約10分の1の280
0万トンだった。ところが2013年になると、ジャガイモは2.5倍増の3億7600万トンにと
どまったのに対し、トマトは1億6400万トンと6倍に増えている。そして、2016年のトマト
加工品の年間生産量は3800万トンだ。これはトマトの全生産量の4分の1に相当する。トマト加
工品のテレビCMやロゴデザインに見られる、素朴でほのぼのとしたイメージとは 裏腹に、世界の
実業家たちはトマトをめぐって苛烈な争いを繰り広げている。
世界加エトマト評議会(WPTC)によると、この業界の年間売上高は100億ドルに上るという。
加工トマト業界は非常に挟い。ほんの一握りの人たちが、匹に界のトマト消費量の四分の一の生産を
独占している。ほとんどがイタリア人、中国人、アメリカ人だ。加エトマト産業はイタリアのパルマ
で誕生し、そこからアメリカヘ広がった。今でもパルマは最大既点のひとつだが、現在の二大生産地
はアメリカと中国だ。トマト加工品を売買する商社や食品機械メーカーも、この業界で大きな役割を
果たしている。
ごく一部の人間が市場を独占するケースについては、すでに世界中ですいぶん報道されたり書かれた
りしてきた。とりわけ石油、ウラン、ダイヤモンド、武器、レアメタルといった市場については、さ
まざまなジャーナリストが取材を行なっている。ありとあらゆる一次産品の裏事情が、取材者たちの
鋭く執拗な追求の的となってきた。穀物や肉類といった食品も例外ではない。
だが、トマトはどうだろう?あのほのぼのとしたイメージのトマトに対して、いったい誰が厳しいま
なざしを向けるというのか?そう、「トマト」と間くだけで、誰もが自然に笑みを浮かべてしまう。
それはどうしようもないことだ。わたしがこの取材を始めたばかりのころ、誰かにこの本の企画につ
いて話すたび、「え、トマトのことを書くの?と笑われたものだ。だが、こうした他人のリアクショ
ンはブレーキになるどころか、むしろ闘志に火をつけた。これまで誰もトマトに不信や疑惑の目を向
けてこなかったのは、人々の先入観のせいだとわかったからだ。
トマト加工品がどうしてこれほど普及したか、世界の消費者は知らないだろう。もしかしたら、トマ
トの原種は南米で生まれたことくらいは知っているかもしれない。だが、加エトマト産業が19世紀
のイタリアで始まったことは知らない人が多いのではないか。ハインツがアメリカで本格的にトマト
のグローバル化を推し連めたのは、それからずいぶん後のことだ。
わたしはローマに移り住み、イタリア語を勉強しはしめた。そのほうが取材をするのに便利だと思っ
たからだ。そして、イタリアの有名トマト加エメーカー本社、南イタリアのカンパニア州にある加工
工場などを訪ねて、縦横に飛びまわった。いや、イタリア国内だけではない、この業界について調べ
るため、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカを、何万キロメートルも移勤した。あちこちのト
マト畑を歩き、たくさんの工場を訪れた。業界のトップ経営者のほか、無名の労働者、破産したトマ
ト生産者、移民キャンプで暮らす日雇い収穫労働者たちの話を間いた。
わたしたちが大いに慣れ親しんだ、世界中どこにでもある商品、いつもそこにあるのが当たり前に思
われる商品について、その知られざる歴史を調べ、いかにしてこれほどまでに普及したかを明らかに
し、その生産とグローバル社会との関連性を目`いだすのは、興味深いことではないだろうか? 一
見なんでもないことに思われるその歴史が、じつは想定外の重みを持っているかもしれない。それに
よって、医界の産業史や近年のグローバリゼーションに対するこれまでの考えかたが、少しは変わる
かもしれない。
アメリカの大企業の歴史は、単なる会社や人物の‥刀クセスストーリーにとどまらない。国家が
どのように進化したかを教えてくれる。アメリカならではの世界観の影響を受け、技術革新に後
押しされ、インフラの発展に支えられて、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて活躍した伝説的
起業家たちは、アメリカという国家、そしてこの国の運命を築きあげてきた。そのうちのいくつ
かの企業は長く活動をつづけ、国際的に規模を広げ、今世紀に影響を与えている。H・J・ハイ
ンツ・カン八二-はそのひとつである。
ヘンリー・キッシンジャー[5]
第2章がここで終わり、次回は「第3章 伝説化されたアメリカの加エトマト産業」にと移る。
この項つづく
[4]Sauce: Tomato News
[5]Henry Kissinger, préface à Eleanor For Diestang, In Good Company : 125 Years at the Heinz Table, New
Tork, Warner Books, 1994
● 今夜の一曲
ペトゥラ・クラーク (Petula Clark、1932年11月15日 - )は、イングランド・サリー州エプソム出身の
歌手、女優。ペトラ・クラーク、ペチュラ・クラーク、ペトゥーラ・クラークとも表記される。イギ
リスを代表するシンガーの一人であり、特に1960年代が全盛期であった。イギリスのみならずフラン
スにも進出を果たし、特に1964年の「恋のダウンタウン」で世界的ヒットを飛ばした。また『フィニ
アンの虹』ではハリウッド映画にも進出を果たしている。今夜は、疲れたこともあり、また、身の回
りの人たちの別れもあり哀愁とともに、ビートルズの「恋を抱きしめよう」カバーを聴きながら在り
し日の回想に浸ることとしょう。