iPS細胞を使った新たな研究結果が発表された。国立成育医療研究センターの研究チームは、目と脳を
つなぐ繊維状の視神経細胞を世界で初めてiPS細胞から作製したと発表。これにより、目の様々な病気
の画期的な治療法が生まれるかもしれない。国立成育医療研究センターの東範行医師らのチームが取り組ん
だのは、目と脳を結ぶ視神経の作製。視神経細胞は細胞体と繊維状の神経線維からなり、この神経線維が目
の網膜から脳に伸びて信号を伝える。視神経細胞の作製は難しいとされてきましたが、東医師らは様々な
培養条件を試し、長さ1~2センチの繊維状の細胞を作製することに成功。米国のグループはiPS細胞
を200日かけて丁寧に培養して、全体を網膜にすることに成功。その細胞体は本当にわずかしかできて
いなくて、なおかつ神経線維をほとんどのばしていない。視神経の病気はたくさんあり。どこに起こるか
と言うと、ほとんどはこの細胞体ではなくて、長い長い神経線維に起こる。今回の発見で疾患のメカニズ
ムの解明となり、分子生物学的に検討することができ、今後は、例えば遺伝性疾患のある患者の細胞から
視神経細胞を作製して研究したり、作製した視神経細胞をわざと傷つけて修復方法を探したりすることで
根本的な治療法が見つけることができるかもしれない。また、将来的には患者の視神経を作製し移植する
ことも可能になるかもしれないと、国立成育医療研究センタの東範行医師が語っている。
尚、日本では緑内障の推定患者数が400万人に上るなど、目の病気に苦しむ患者は多いといわれる。
次に、東京大学の清水敏之教授らのグループは、体内に侵入してきた微生物のDNA配列を感知する仕組
みを解明。これにより自然免疫応答を引き起こすToll様受容体9(TLR9)と呼ばれるタンパク質
の立体構造を明らかにした。TLR9は重要な創薬の標的であり、DNA配列を認識する機構の解明によ
りこれを調節する抗ウイルス薬、アレルギー薬、ワクチンなどの開発につながると期待される。
微生物由来のDNA配列が結合していないTLR9、微生物由来のDNA配列が結合しているTLR9、
TLR9の機能を阻害するDNA配列が結合しているTLR9の3種の立体構造を明らかにし、TLR9
と微生物由来のDNA配列は2対2の比率で結合して2量体の活性化型を形成する(下図1上)。このD
NA配列はTLR9のN末端側にある溝に結合することにより認識されていることが分かった一方で、T
LR9とTLR9の機能を阻害するDNA配列は1対1の比率で結合し、2量体になることがなかった。
また、このDNA配列はTLR9の馬蹄型構造の内側にコンパクトなループのような形で結合(図1下)。
得られたタンパク質を結晶化し、最終的に、DNA配列が結合していないTLR9、CpGモチーフを有
するDNA配列が結合したTLR9、TLR9の機能を阻害するDNA配列(アンタゴニストDNA配列
)が結合したTLR9、の3つの状態の結晶構造を明らかにした。
このように、目の治療と体内に侵入した微生物のDNA配列を感知する仕組みの解明と医学と薬学の逓進
には目を見張るものがあるが、STAP論文不正の小保方晴子氏の2百回以上成功――わたしの実験経験
なら、最初の成功から多くて20~30回程度の成功で確証するものだが――発言には正直言って虚言癖
ではないかと思ったぐらいだが、論文などを詳細に看ていないので2つの成功例の信頼性について口を挟
めないので静観するほかない ^^;。
● 両島浄化センタのメタン発酵ガスの燃料電池発電
長野県松本市の両島浄化センターでは、年間約110万m3のバイオガス(メタン等)の発生している。この
事業は、このバイオガスを有効活用するため、燃料電池を利用した発電設備を導入し、売電により維持管
理費の低減を図るもので、燃料電池発電設備は、下水汚泥より発生するバイオガスから水素を取り出し、
空気中の酸素と化学的に反応させることで電力を取り出す。発電効率が高く、メンテナンスが容易、化学
反応を利用して発電するため、騒音・振動がほとんどなく、排ガスの発生がないなどの特徴がある。本設
備は、電気事業者による再生可能エネルギーに関する特別措置法に基づき再生可能エネルギー発電設備の
認定を受けて2月より稼働。電力発電量は、約168万kWh/年で、一般家庭の約490世帯分の年間電力使用量
に相当する。
下水道からのメタンガスを利用するため、厳密にいうと、バイオマスや太陽光発電といった「カーボンニ
ュートラル」を担保できるかどうかはどうかわからない。つまり、由来不詳がついて回るからだ。輸入し
たものなら、資源乱獲などによる由来不詳のバイオマスであれば、原則として、発電排気ガス中の二酸化
炭素を除外・固定しなければならないといった課題が残件するからだ。例えば、下水処理対象物が国内の
経済圏が50平方キロメートル以内のもので由来確認は容易だろうが、中国産食品汚染のように輸入カー
ボンについては由来遡及が困難となる。「ガスで発電!」とのうたい文句の宣伝がいかにも温暖化ガスを
排出させないイメージをつくろうとも根っこのところが問題として残る。
My funny valentine
Sweet comic valentine
You make me smile with my heart
Your looks are laughable
Unphotographable
Yet you're my favorite work of art
Is your Figure less than Greek?
Is your mouth a little weak?
When you open it to speak
Are you smart?
But don't change your hair for me
Not if you care for me
Stay little valentine stay
Each day is Valentines day
Is your figure less than Greek
Is your mouth a little weak
When you open it to Speak
Are you smart
But don't change your hair for me
Not if you care for me
Stay little valentine stay
Each day is valentines day
"My funny Valentine”
Songwriters: BRADLEY, ROBERT/NEHRA, MICHAEL/NEHRA,
ANDREW/FOWLKES, JEFF / DIAZ, TIM
私の愉快な恋人/ヴァレンタイン
やさしくて可笑しな恋人/ヴァレンタイン
あなたは私を/心から笑顔にしてくれる...
「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」(My Funny Valentine )は、1937年にリチャード・ロジャースとロ
レンツ・ハートにより作詞・作曲され、ミュージカル『ベイブス・イン・アームス』で発表されたショー・
チューン。代表的なジャズ・スタンダードの楽曲でもある。ヴォーカル・トラックとしてもカバーされて
いるが、マイルス・デイヴィス等によりインスト・トラックとしてもカバーされている。世に出る切っ掛
けは、ある日セントラル・パークを散歩中、子供たちが自分たちで勝手ルールを決めて遊ぶ姿を見ていた
ロジャースとハートは「この子たちに突然、大人と同じ責任を与えられて生きていかなければならなくな
ったとしたら、どうなるんだろうかという会話から生まれる。この話題を元に練り上げ"Babes in Arms"と
いうミュージカルを仕立て開演される。低予算で有名スター不在の舞台ではあったが、公演回数は289回と
中程度のヒットとなる。後に有名となったニコラスブラザーズが歌と踊りを、ヴァン・ジョンソンはコーラ
スメンバーとして出演している。「バレンタイン・ディ」のチョコを期待して軽いノリで聴いてみた。
● 般若心経 (三蔵法師玄奘訳/故花山勝友氏)を学ぶ Ⅰ
真言宗では、読誦・観誦の対象としている。日用経典(日課等通常行事用の経典)であり儀典でも用いる
(空海の般若心経秘鍵を参照)。繰り返し読誦する場合は、一回目は、冒頭の「仏説」から読み始めるが
22回目以降の読誦では「仏説」を読まず、「摩訶」から読む慣わしとなっている。開祖空海が般若心経
を重視したことで、注釈・解釈を著す僧侶・仏教学者が多く、昭和では高神覚昇『般若心経講義』(角川
文庫で再刊)、平成の現在では宮坂宥洪『真釈般若心経』、加藤精一『空海「般若心経秘鍵」』(各角川
ソフィア文庫)松長有慶『空海 般若心経の秘密を読み解く』(春秋社)などの著作が版を重ねている。
高神の解釈書は、戦前にNHKラジオ放送で行われ、経典解釈として非常に評価が高く多数重版し、異なる
宗派の僧侶や仏教学者からも評価されている。また、浄土宗も、根本経典は浄土真宗と同様に『浄土三部
経』だが、祈願の時と食作法(食事の時の作法)にのみ唱えるという。両親が他界したので、「般若心経」
を学ぶことにした。今夜は、その第1日目となる。
かんじざいぼさつ/観自在菩薩 観音菩薩が、
ぎょうじんはんにゃはらみったじ/行深般若波羅蜜多時 深遠な知恵を完成するための実践をされている時
しょうけんごうんかいくう/照見五蘊皆空 人間の心身を構成している五つの要素が いず
れも本質的なものではないと見極めて、
どいっさいくやく/度一切苦厄 すべての苦しみを取り除かれたのである。
しゃりし/舎利子 そして舎利子に向かい、次のように述べた。
しきふいくう/色不異空 形あるものは実体がないことと同じことであり
くうふいしき/空不異色 実体がないからこそ一時的な形あるものとして
存在するものである。
しきそくぜくう/色即是空 したがって、形あるものはそのままで実体なき
ものであり、
くうそくぜしき/空即是色 実体がないことがそのまま形あるものとなって
いるのだ。
じゅそうぎょうしき/受想行識 残りの、心の四つの働きの場合も、
やくぶにょぜ/亦復如是 まったく同じことなのである。
しゃりし/舎利子 舎利子よ、
ぜしょほうくうそう/是諸法空想 この世の中のあらゆる存在や現象には、実体が
ない、という性質があるから、
ふしょうふめつ/不生不滅 もともと、生じたということもなく、滅したと
いうこともなく、
ふくふじょう/不垢不浄 よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく
ふぞうふげん/不増不減 増えることもなく、減ることもないのである。)
ぜこくうちゅうむしき/是故空中無色 したがって、実体がないということの中には、
形あるものはなく、
むじゅそうぎょうしき/無受想行識 感覚も念想も意志も知識もないし、
むげんにびぜつしんに/無限耳鼻舌身意 眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官も
ないし、
むしきしょうこうみそくほう/無色声香味触法 形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそ
れぞれの器官に対する対象もないし、
むげんかいないしむいしきかい/無限界乃至無意識界 それらを受けとめる、眼識から意識までのあら
ゆる分野もないのである。
むむみょう/無無明 さらに、悟りに対する無知もないし、
やくむむみょうじん/亦無無明尽 無知がなくなることもない、
ないしむろうし/乃至無老死 ということからはじまって、ついには老と死も
なく
やくむろうしじん/亦無老死尽 老と死がなくなることもないことになる。
むくしゅうめつどう/無苦集滅道 苦しみも、その原因も、それをなくすことも、
そしてその方法もない。
むちやくむとく/無知亦無得 知ることもなければ、得ることもない。
いむしょとくこ/以無所得故 かくて、得ることもないのだから、
ぼだいさった/菩提薩垂 悟りを求めている者は、
えはんにゃはらみった/依般若波羅蜜多 知恵の完成に住する。
こしんむけいげ/故心無圭礙 かくて心には何のさまたげもなく、
むけいげこむうくふ/無圭礙故無有恐怖 さまたげがないから恐れがなく、
おんりいっさいてんどうむそう/遠離一切転倒夢想 あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、
くきょうねはん/究境涅槃 永遠にしずかな境地に安住しているのである。)
さんぜしょぶつ/三世諸仏 過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたも
のたち”は)
えはんにゃはらみつたこ/依般若波羅蜜多故 知恵を完成することによっているので、
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい/得阿耨多羅三藐三菩提
この上なき悟りを得るのである。
こち/故知 したがって次のように知るがよい。
はんにゃはらみった/般若波羅蜜多 知恵の完成こそが
ぜだいじんしゅ/是大神呪 偉大な真言であり、
ぜだいみょうしゅ/是大明呪 悟りのための真言であり、
ぜむじょうしゅ/是無上呪 この上なき真言であり、
ぜむとうどうしゅ/是無等等呪 比較するものがない真言なのである。
のうじょいっさいく/能除一切苦 これこそが、あらゆる苦しみを除き、
しんじつふこ/真実不虚 真実そのものであって虚妄ではないのである、と。
こせつはんにゃはらみつたしゅ/故説般若波羅蜜多呪 そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。)
そくせつしゅわつ/即説呪曰 すなわち次のような真言である。
ぎゃていぎゃていはらぎゃて/羯帝羯帝波羅羯帝 往き往きて、彼岸に往き、
はらそうぎゃてい/波羅僧羯帝 完全に彼岸に到達した者こそ、
ぼうじ/菩提 悟りそのものである。
そわか/僧莎訶 めでたし。
はんにゃしんぎょう/般若心経 知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説
ける経典。
● 永続敗戦論と長髄彦考
今日は建国記念日。大津で講演会(白井聡「永続敗戦論」)があるというので車を走らせ聴講する。さて、
建国の祖・神武天皇らが、東に美しい土地があるという、青い山が四周にあり、その地には天から饒速日
命が下っているという。そこは六合の中なれば、大業を広げて、天下を治めるにふさわしい土地であろう。
よって、この地を都とすべきだと宣言し、諸皇子はみなこれに賛成し東征を試みるが、わたしの出生地の
生駒山(富雄)の長髄彦――登美夜毘売(トミヤヒメ)、あるいは三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)ともいう
自らの妹を、天の磐舟で、斑鳩の峰白庭山に降臨した饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の妻とし、仕える
ようになる。中世、戦国の武将山形の織田家(後に織田信長を輩出)や仙台の伊達家が長髄彦の子孫であ
ると言われている――に迎撃され、迂回し再び交戦しこれを平らげる。このとき、金色の鳶が飛んできて、
神武天皇の弓弭に止まり、長髄彦の軍は眼が眩み、戦うことができなくなったと『日本書記』に記される
が、『永続敗戦論』と『日本書紀』が今夜ここで劇的にクロスすることとなった。実に面白い。わけがわ
からない?これは改めて説明する必要がありそうだ ^^;。