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山猫の慟哭

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         春の岬旅のをはりの鴎どり / 浮きつつ遠くなりにけるかも

    
                                            三好達治 「春の岬」

 

 

● 謎が深まるセレス準惑星で点滅する2つの光 

 

太陽系で最も小さい準惑星「セレス(Ceres)」の表面に出現した正体不明の2つの明るい点を
捉えた米航空宇宙局(NASA)の無人探査機「ドーン(Dawn)」の画像。19日にセレスから約4万
6千キロ離れた位置から撮影されたものだという。正式な説明はないが、クレーターに凍結した
氷よる反射光ではないかとも推測されている(上2つの写真をクリック)。


 

● 『吉本隆明の経済学』論 Ⅹ

   吉本思想に存在する、独自の「経済学」とは何か。
 資本主義の先を透視する!  

 吉本隆明の思考には、独自の「経済学」の体系が存在する。それはマルクスともケインズと
 も異なる、類例のない経済学である。本書は、これまでまとったかたちで取り出されなかっ
 たその思考の宇宙を、ひとつの「絵」として完成させる試みである。経済における詩的構造
 とは何か。資本主義の現在と未来をどう見通すか。吉本隆明の残していった、豊饒な思想の
 核心に迫る。


 はじめに
 第1部 吉本隆明の経済学
 第1章 言語論と経済学
 第2章 原生的疎外と経済
 第3章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」
 第4章 労働価値論から贈与価値論へ
 第5章 生産と消費
 第6章 都市経済論
 第7章 贈与価値論
 第8章 超資本主義 
 第2部 経済の詩的構造
 あとがき 

 

 

 第2部 経済の詩的構造

  1 詩と経済学

  ずいぶん以前のことになるが、三好達治の詩に夢中だったことがあって、その頃誰かの書いたエ
 ッセイの中に、三好達治は毎晩寝る前に、『資本論』の一節を読むことを日課にしていたと
 書いてあったのを読んで、意外に思ったことがある。ボードレールの翻訳者でもあるこの詩
 人とまだ読んだこともなかったけれど、難しい経済学の本であるということだけは知ってい
 たその書物との間に、いったいどんなつながりがあるのか、そもそも詩と経済学の間にどん
 な関係があるのか、その頃の私には、皆目見当がつかなかった。
 
  しかしその後『資本論』を実際に読んでみて、三好達治がその本から何を学ぼうとしてい
 たのかが、うっすらと理解できるような気がした。マルクスは資本主義という巨大で複雑な
 生命体を相手にして、まずその生所体の細胞にあたるものの分析解剖から始めている。資本
 主義は巨大な商品の集積によってなりたっているが、商品が交換されなければ価値の増殖と
 いうことも起こらず、そうなるとそもそも資本主義も成立しえない。したがって資本主義の
 細胞は交換行為ということになる。

  交換は具体的な物を介しておこなわれる。しかしその交換される物の背後で、「異なる物
 を等価な価値を持つとみなす」という抽象的な思考が動いているのでなければ、商品交換は
 おこらない。物質と非物質的な思考の矛盾にみちた出会いが、交換というものを生み出して
 いる。三好達治はこの仕組みの中に、詩の場合ときわめてよく似た過程を見出していたので
 はないだろうか。

  詩は言語の意味と音の響きとの結合でできている。日常言語の場合では、意味のほうが前
 面に出てくるが、言語の機能や有用性を背後に退かせていく詩では、音の響きの面が前面に
 出て来る音の響きは物質的な振動である。詩においては、物質的な響きや色彩やイメージ群
 の運動と、意味を伝えるための抽象的な思考とが、たがいにせめぎあい結びつきあう中から
 響きと意味の特別な結合体がつくりだされる。そういう詩の発生の仕組みと、マルクスが『
 資本論』で取り出してみせた資本主義の細胞である交換が発生してくる仕組みとは、じつに
 多くの共通性をもっている。

  三好達治にとって、『資本論』という本は、言語の奥に潜む詩的構造を解明する上で、こ
 の上ない霊感を与えてくれる書物であった。詩の実作者として知りたいと思っていた言語の
 秘密がその経済学の本の中には書かれている、と直感したのであろう。彼は毎晩その本を勉
 強した。私はそういう三好達治を詩人としてたいへんに偉いと思った。しかしそののち吉本
 隆明というもう一人の詩人の仕事を知るに及んで、さらに何歩もその先を歩もうとしていた
 人がいることを知った。



  吉本隆明は言語の奥に潜む詩的構造を探るだけでは満足せず、経済というものの奥に潜む
 詩的構造まで明らかにしようとした。そういう探求を通じて、彼は人間の心の仕組みの奥に、
 「詩的構造」としか名づけようのない活動かおこなわれていることをあきらかにしようとし
 たのだと私は考えている。この根源的な「詩的構造」から、いっさいの心的現象は立ち現れ
 る。その活動が言語の機構をくぐり抜けてくるときには、そこに詩が生まれて来る。交換の
 機構を通り抜けてくるときには、価値増殖が起こる。この価値増殖の現象が、資本主義の基
 礎細胞となる。
 
  したがって、人間の心の探求においてもっとも確実な方法は、この根源的な「詩的構造」
 を出発点にすることである、と吉本隆明は考えていた。この考えを言語論に持ち込めば、言
 語のコミュニケーション機能を出発点にするのではなく、言語の詩的ないし芸術的機能を出
 発点にすえる「言語芸術論」というものが、もっとも重要な言語の学問にならなくてはなら
 ないだろう。そういう考えに立って、『言語にとって美とはなにか』(勁草書房、1965
 年/角川文庫、1982年)をはじめとする、彼の言語をめぐる多くの思考は生まれた。

  こういう考えを経済学の領域で実行したらどうなるかを考えて、吉本隆明は多くの試行を
 くり返した。この『吉本隆明の経済学』という本は、そういう彼が残していった思考群に柔
 らかい秩序をほどこすことによって、彼の考えた「詩的構造を持つ経済学」というものに、
 ひとまず全体の見通しを与えてみようとしたものである。その本に付けられたこの解説の文
 章で、私は吉本隆明が考えた経済現象の奥に潜む詩的構造がどのようなものであったかを、
 私の思考の流儀によって、あきらかにしてみようと思う。こういう試みはいままでなされた
 ことがない。しかしこの試みはとても重要な意義をもっていると私は思う。

 それは、吉本隆明がとったようなやり方を通じてでなければ、資本主義の本質にもたどり着
 くことはできないし、現在それかたどりつつある変容の意味を理解することもできない、と
 私も考えているからである。吉本隆明は最後まで「自分は第一義的に詩人である」と明言し
 ていた。その言葉の意味がこの探求によってあきらかになるだろう。




  2 言語にとって増殖とは何か

  動物記号学のおかけで、イルカや鯨やさまざまな鳥たちがおこなっているコミュニケーシ
 ョンについて、多くの知識がもたらされるようになった。動物たちもそれぞれの様式のゲン
 ゴ(コミュニケーション・ツール)を使用していることが、そうした研究でわかるようにな
 った。植物や粘菌やウィルスなども、ユニークな様式でコミュニケーションをおこなってい
 る。生命はどんなものも、それぞれの様式のゲンゴを持っているのである。

  しかしそれらのゲンゴは、いまの人間(ホモサピエンス)が用いている言語とは、決定的
 な違いを持っている。人間以外の生命体のゲンゴでは、記号表現と記号内容との結びつきが
 自由ではない。あらかじめ遺伝子によって決定されたコードにしたがって、生存に必要な情
 報の伝達がおこなわれている。ところが人間の言語では、この記号表現と記号内容との結び
 つきに、かなりな自由度が与えられている。その自由度を用いて、人間はなんと無限の種類
 の「文」を、言語によって自由に生み出すことができるのだ。



   吉本隆明は人間の言語の持つこの特性を、「指示表出」と「自己表出」という二つの軸に
  よって理解しようとした。指示表出は外界に向けられた意識が、そこに見出される対象物を
 名指しする働きをする.犬を見て「イヌ」というような場合である。このとき記号表現と記
 号内容は緊密に結びついている。しかし話者がその犬をかわいいと感じ、「かわいいイヌ」
 と言うときには、それとは決定的に違う事態が起こる。意識は自己の内面に潜り込みをおこ
 ない、そこで出会った感情をひろって、もう一度記号表現の層に浮かび上がって来る。その
 とき指示表出の軸にある「イヌ」には、自己表出の軸から出てきた「かわいい」が結合して、
 人間味のある自由な言い方が生まれる。そのことが意味の増殖をもたらすのである。

  人間の言語は、指示表出と自己表出という二つの軸の結合としてつくられている。その結
 合の様式はさまざまで、指示表出の軸に強く傾くと、いわゆる客観的表現に近づくし、自己
 表出の軸に強く偏ると、主観的な表現と呼ばれる言い方が生まれる。吉本隆明はそのことを
 右のような図で表そうとした。
  この図はふつうの平面としてではなく、複素平面のようなものとして読む必要がある。つ
 まり二つの軸は同じ資格で交差しあっているのではなく、指示表出は現実世界に向かう「リ
 アル(実)軸」であるのにたいして、自己表出は潜在的な内面世界に向かっていく「ヴァー
 チヤル(虚)軸」をあらわしている。吉本隆明はこの図によってじっさいには、人間のおこ
 なうすべての言語による表現は、数学で言う複素数のように実軸と虚軸の交わりとして実現
 されており、そのことが人間の言語に自由を与えていると言おうとしているのだと思う。

  指示表出と自己表出という二つの質的に異なる軸の交差としてできていることによって、
 人間の言語は他の生物が用いているゲンゴに比較すると、格段に自由な表現能力を手に入れ
 ている。しかしそのことによって、人間は言語を用いて自分の心の中にあることを表現しよ
 うとするたびに、表現されない心の潜在空間からの影響を受けることになる。これをフロイ
 トのように言うならば、表現された言語の裏側には無意識という潜在空間がいっしょに張り
 付いている、ということになる。人間は自由であることの代償に、無意識というものを手放
 せなくなったとも言える。

  吉本隆明の言語論が、フロイトやユングに近いことを語るようになるのは、こういう理論
 上のつながりから来ている。

  詩はこのような人間の言語のいちばんおおもとの構造に立っておこなわれる表現である。
 潜在(ヴァーチヤル)空間が現実(リアル)の世界に転じる、その特異点のような場所で、
 言語による表現をおこなうのである。詩が鋭い点のような表現をつくりだすのは、そこがま
 だ現実世界の諸価値に組み込まれきっていない場所だからであり、そこでは現実世界への否
 定性が活発な活動をおこなっている。そのことを吉本隆明はつぎのように表現している。

  マルテでン・ハイデッガーは『ヘルダーリンと詩の本質』一(斎藤信治訳、理想出版部、
 1938年)のなかでつぎのようにいう。 

   人間の現存在はその根底に於て「詩人的」である。ところで詩とは我々の理解するとこ
  ろによれば神々並に事物の本質において建設的に名を賦与することである。詩人として往
  むとは神々の現在のうちに立ち事物の本質の近みによって迫られることである。現存在が
   の根底に於て「詩人的」であるとは、それは同時に現存在が建設せられたもの(根拠づけられたも
   の)として何らのいさおしではなく賜物であるの詣である。

                              (マルティン・ハイデッガー『ヘルダーリンと詩の本質』)





  現存在が詩人的であるとは、いさおしではなく賜物だ、という言葉は詩は歴史を担う根拠
 だという言葉はわたしの気に入る。これを、やさしく翻訳すれば、現存する社会に、詩人と
 して、いいかえれば言うべきほんとのことをもって生きるということは、本質的にいえば
 個々の詩人の恣意ではなく、人間の社会における存在の仕方の本質に由来するものだ、とい
 うことになる。これを、わたしのかんがえにひきよせて云いかえれば、わたしたちが現実の
 社会で、口を出せば全世界が凍ってしまうだろうほんとのことを持つ根拠は、人間の歴史と
 ともに根ぶかい理由をもつものだ、ということに帰する。
 
                   (吉本隆明 『詩とはなにか』思潮杜、2006年)
 



  ここには人間(現存在)の本質がその詩的構造にあることが、余すところなく表現されつ
 くしている。詩的構造は人間の本質をなすものでありながら、日常の中では隠蔽されてしま
 う。詩的構造が「ほんとのこと」に触れているからである。しかしそのことを「口に出せば
 全世界が凍ってしまう」。人間の本質をなす詩的構造が、現実にたいする否定性として作用
 するからである。

  人間の言語は木質においては現実軸と潜在軸が垂直に交わり合う、複素数のような構造を
 持っている。しかしそのことはコミュニケーション機能を前面に立てる日常言語や散文では、
 表にあらわれてこない。詩がそれを表に出して表現する。言語の詩的構造の研究こそが、人
 間しか持たないこの言語の本性をあきらかにするはずなのである。こういう視点から、吉本
 隆明は言語学の土台をひっくり返そうとした。彼の言う言語芸術論こそが、真実の言語の学
 に近づくための道を開く。コミュニケーション機能を超える詩的構造を自らの立ち位置とす
 る、来るべき言語の学である。


    ※

  『言語にとって美とはなにか』で吉本隆明が言語の中から取り出してみせた指示表出性と
 自己表出性というIらの軸は、潜在空間から現実世界へ向かおうとする言語の現象性の本質
 に関わるものだった。私は潜在空間から現実世界へと向かうこの垂直的な過程全体を、ハイ
 デッガーにならって意味の「生起」と呼ぶことにする。この生起をつうじて、潜在空間のう
 ちから立ちあがってきた「意味の胚」はまだ孤立した状態にあって、おたがいの間につなが
 りがない。この生起してきたばかりの孤立した点のような意味の胚を、詩的構造のもう一つ
 の重要な働きである「喩」が組織するのである。
 
  意味の胚として生起したばかりの孤立点を組織する能力を喩は持っている。喩はだかいに
 似ている事物を「同じもの」としてまとめる能力である。この能力を獲得するために、人間
 の脳は特別なニューロン・ネットワークの形式を発達させてきた。ニューロンに発生した興
 奮がニューロンのつなぎ目であるシナプスを通過するたびに特定のパターンに縮減され、互
 いに似たパターンをもったもの同士が「同じもの」として分類されていくようになる。この
 過程がニューロン・ネットワークで反復されているうちに、しだいに安定した連結をつくり
 だすようになる。

  これによって、連うもの同士の間に、喩としての連結が形成されるようになる。連結によ
 って新しい意味が発生するようになる。このとき意味の増殖が起こる。喩は生起したばかり
 の意味の胚を、じゅうぶんに分化した組織を持つ意味の体系として組織していく能力として、
 現世人類の脳に生まれたユニークな能力である。脳のニューロン・ネットワークが喩的能力
 を持つために、いまの人間の脳の爆発的進化は起こったとも言える。

  このようなニューロン組織をもった人間の脳=心は、増殖性を一つの重要な本質とするこ
 ととなる。潜在空間から意味の胚を立ち上げる生起の過程によって発生した意味世界は、さ
 らに喩の能力を借りて増殖と成長をとげていくことができるからである。生起と喩という二
 つの過程によってつくられる「意味をもっか人間世界」は、生まれたときからすでに増殖性
 を本質としていてその本質は現在もまったく変わっていない。
  生起と喩の二つの過程は、図2にしめすような回路をつうじて、意味増殖をおこなう。

  人間の脳は喩的能力を備えたニューロン・ネットワークに進化をとげることによって、想
 像界という他の生物が持だない心的秩序をもつようになった。それによって人間は、他の生
  物とは違う仕組みで、現実界を認知するようになった。
 図のAとBを、現実界では分離されている二つの事物としよう。現実界で分離されている諸
 事物を結びつけるのは「因果性」である。この因果性を表現するのが、象徴界の記号連鎖で
 ある。

 ところが生起の過程がっくりあげている想像界では、AとBはともに潜在空間Xではつなが
 りあっていて、そのために喩のメカニズムはAとBを「同じもの」と見なしたのである。人
 間が想像界をとおして見た世界は現実界そのものではない。そこには歪みがある。その歪み
 を他の人間の認識との共同性によってより現実界に近い像に「焼き戻す」ために、共同的な
 言語の場である象徴界が人間にはなくてはならないものとなる。




  こうして想像界ではAとBとXがつくりなす「三位一体」の構造が、たえず心の動きに影
 響を与えることになる。事物aについての認識には、潜在空間Xの力が及ぼされ、それはい
 ねば地下の通底路を通じて、喩が「同じもの」と認めた事物Bの認識にも入り込んでいく。
 さらにはBの認識がAについての認識にも還流してくる。こうして、Aについての認識は喩
 のメカニズムを介して膨らんでいき、増殖していくようになる。このときの意味の増殖を可
 能にしているのは、潜在空間からもたらされる(贈与される)力にほかならない。


                                       第二部 経済の詩的構造 中沢新一


今夜から第二部にはいる。ここでは吉本がたぐいまれなる読書家であり、世界に不二な思想家で
あることがわかるとともに、彼の眼精疲労の重篤さが如何ばかりだったかと推測もできる。さて、
ここでもっと、早く読み進めなければと気が走るわたしがいるが、もう片方で「熟っくりと読み
たまえ」と囁くわたしもいる。

                                                      (この項続く)  

 




● 縄すてまじ! Ⅲ

沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事は26日の県議会で、6月23日の沖縄全戦没者追悼
式で読み上げる平和宣言に、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対し、政府
に県外移設を要求していく方針を盛り込む意向を表明した。例年、首相が参列する追悼式の場で
沖縄の民意を示す狙いがあるとみられるが、政府・与党内からは見直しを求める声が上がってい
るという(「沖縄知事、平和宣言に「辺野古反対」明記へ」産経新聞 2015.02.27 )。さらに翁
長氏は平和宣言について、社民党県議の代表質問に「辺野古の新基地建設に反対し、普天間の県
外移設を盛り込む方向で検討するとともに、平和を希求する県民の思いを県内外に発信していき
たい」と明言。さらに「過酷な地上戦が行われた沖縄の経験に基づき、戦争体験を継承し、恒久
平和の実現に取り組む」とも答弁したが、これに対し、政府・与党内では「普天間の早期返還」
と「県外移設」という現状では両立し得ない主張をする翁長氏への不信感が根強いが、今回の発
言はそれに拍車をかけた格好。政府高官は26日、記者団に、首相が予定どおり追悼式に出席す
るとの見通しを示した上で、「沖縄県の式典なんだから勝手にすればいい」と突き放したこと、
さらに、自民党の稲田朋美政調会長は26日の記者会見で、翁長氏の発言に関し「普天間飛行場
の移設問題は沖縄県にとり重大な問題であると同時に、わが国の安全保障にもかかわる問題だ」
と指摘。その上で平和宣言について「そういったさまざまな観点から検討、行動してほしい」と
再考を求めたとも伝えている。

このニュースに接し、「琉球征伐」「琉球処分(薩摩藩による併合)」「沖縄返還運動」に加え、
なぜか「成田空港反対闘争」のことを思い出していた。

※ 翁長知事、6・23平和宣言に「辺野古反対」明記へ 沖縄タイムス 2015.02.26 


● 余りにも命が軽い 2015年問題

川崎市の多摩川河川敷で同区の中学1年の刺殺体が見つかった事件で、神奈川県警川崎署捜査本
部は27日朝、上村さんの顔見知りの少年3人が事件に関与した疑いが強まったとして、殺人容
疑で逮捕状を請求し、リーダーとみられる少年(18)を逮捕した。残る2人についても同日内に逮捕す
る見通し。事件は発生から1週間を経て大きく動き出したと報じた(毎日新聞 2015.02.27 11:43)。
これを切っかけに事件の背景が明確になっていくことになろうが、わたしは、ミレミアムベイビ
ー(新世紀ベイビー)が成人していく過程で、これまでと異なった事件や社会現象が問題化して
いくだろうと想定しているがそのひとつの事例となるか注視している。



  ● 今夜の二曲


   避けられてるかもしれない予感
   それとなくそれとな<感じてた
   愛されてるかもしれない期待  
   かろうじてかろうじてつないだ
   話かおる、と
   照れたように言いかけたあなた
   逃げる私
   聞けよ、イヤよ、聞けよ、知ってるわ

   ひと晩じゅう泣いて泣いて泣いて
   気がついたの
   ともだちなんかじゃないという想い
   ひと晩じゅう泣いて泣いて泣いて
   わかったのに
   あまえも早<だれかをさがせよと
   からかわないで、エラそうに


                               『慟哭』

                             唄 工藤  静香           
                                          作詞 中島みゆき
                                          作曲 後藤 次利


「慟哭」は、工藤静香通算18枚目のシングル。1993年02月03日発売。発売元はポニーキャニオン。
フジテレビ系月曜9時枠ドラマ『あの日に帰りたい』(1993年01月11日~03月22日放送)の主題
歌。現時点で工藤最大の売上を記録している。工藤静香は中島みゆきの「やまねこ」と出会い、
シンクロナイズし成長してきたことが彼女自身の口からも語られている(NHK SONGS「工
藤静香~わたしに翼をくれた中島みゆきの歌~」)。バブルが弾け世の中がデフレの淵に真っ逆
さまに落ちようとしているなかで、皮肉にも好景気の絶頂に上り詰めた八面六臂期で、憂い顔の
彼女の歌に惹かれ曲を聴いていた。






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