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Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
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世界は非戦を!世界に平和を!

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彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救ったと伝
えられる"招き猫"と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。(戦国時代の
軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編のこと)の兜(かぶ
と)を合体させて生まれたキャラクタ。

 

 

 

 

● 今夜の寸評: 優勝は?!タイガース vs バッッファローズ
世界は非戦を! 世界に平和を!
Non-war to all the world!  Peace to the world!


自在行動概論 ③
パレスチナ問題とその歴史 「環境リスク本位制時代」を公言している私に
は、「パレスチナ問題」は、「人類消滅」を加速させる「世界大戦」の説明
要因の1つであることを踏まえ、その歴史をお温習いしておこう。 そもそ
の古称は「フル」、「カナン」というパレスチナ周辺はペリシテ人の土地で
パレスチナという言葉はペリシテという言葉がなまったものと考えられてい
る。 紀元前13世紀頃にペリシテ人によるペリシテ文明が栄えたが、ペリシ
テ人のその後は全く分かっていない。

その後は紀元前10世紀ごろにイスラエル人によるイスラエル王国がエルサレ
ムを中心都市として繁栄した。 やがて三大陸の結節点に位置するその軍事
上地政学上の重要性からイスラエル王国は相次いで周辺大国の侵略を受け滅
亡し、西暦135年にバル・コクバの乱を鎮圧したローマ皇帝ハドリアヌスは、
それまでのユダヤ属州の名を廃し、属州シリア・パレスチナ (en:Syria Palae-
stina) と改名する。7世紀にはイスラム帝国が侵入してきた、シリアを支配す
る勢力とエジプトを支配する勢力の間の対立戦争の舞台となった。11世紀に
はヨーロッパから十字軍が攻め込んできた結果としてエルサレム王国が建国
されるが、12世紀末にはアイユーブ朝のサラーフッディーンに奪還され、パ
レスチナの大半は王朝の支配下に入った。16世紀になると、マムルーク朝を
滅ぼしたオスマン帝国がパレスチナの地の支配者となる。

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■ 人類の起源 出アフリカ

人類の起源
最大の転機は1987年、細胞内小器官ミトコンドリアのDNA解析がもたらした。
ミトコンドリアの遺伝子は母親からだけ受け継がれる。世界各地の人々のミ
トコンドリアに蓄積した突然変異をもとに、枝分かれの時期を推定し、さか
のぼっていくと、12万~20万年前ごろアフリカにいたであろう女性にたどり
着いた。数年の激論の末、この分析は認められ、現生人類の起源はアフリカ
で、十数万年前以降に世界各地に広がっていったという「単一起源説」が常
識になった。それまで、各地の原人や旧人が一部で交雑しながら地域ごとに
特色ある現生人類に進化してきたという「多地域進化説」が優勢だったから、
大逆転である。そうなると、アフリカを出た現生人類がいつ、どのように移
動していったのかが大きな問題になる。遺跡や石器などの考古学資料を、現
生人類の旅路のなかに位置づけ直す作業が始まる。

ゲノム(全遺伝情報)を超高速で解読する技術が広まり、古人骨に残る微量の
DNAからも読めるようになる。ミトコンドリアDNAと同じように、蓄積された
突然変異を手がかりに、ほかの集団との血縁的なつながりも推定できるよう
になる。主に考古学的資料に基づき、アフリカから西アジアに出てきた現生
人類は、約5万年前から、

①ヒマラヤ山脈の南を抜けて東南アジアからオーストラリア大陸へ
②ヒマラヤ山脈の北を回ってシベリアへ
③ユーラシア大陸西部へ、
と大きく三つのルートで進出していったことがわかる。

科学的な根拠が分厚くなり、その旅路が一直線の順風満帆なものではなく、
気候変動のほか、寒冷地や高地、熱帯雨林、海などの難所に阻まれて、あち
こちで足踏みや後退もしてきたことが見えてきた。例えば、シベリアから当
時、陸続きになっていた北米大陸に進出するまでには3万年近く(およそ1000
世代)の歳月を待たなければならなかった。 現生人類の前に「出アフリカ」
を果たしていた旧人との関係も、大きく見直された。地中海東部沿岸では、
寒冷化で北方から退いてきた旧人のネアンデルタール人と長く共存していた
ことがわかり、さらに、ネアンデルタール人のDNAは、今世紀になってロシ
ア・南シベリアの洞窟で古人骨が見つかった別の旧人デニソワ人のDNAとと
もに、現代人に無視できない割合で受け継がれていることもわかり、現生人
類は、その長い移動のなかで、やみくもに前進していたのではなく、相当長
い時間と場所を旧人と共有し、交雑もしていたと。現生人類と旧人たちを「
別種」とするのはおかしいのではないか。そんな見方も強まっている。
via アフリカを出た人類、どう全世界に広がったのか ホモ・サピエンスの
旅路が見えてきた:朝日新聞GLOBE+
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