彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救ったと伝えら
れる招き猫と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え。(戦国時代の軍団編成の一
種で、あらゆる武具を朱りにした部隊編のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれた
キャラクタ。
伊吹蕎麦は、滋賀県と岐阜県にまたがる琵琶湖の北東にそびえる伊吹山(標高1
377m)の周辺の伊吹町(現在:米原市)で育つ。近辺はは石灰質の土壌で、石
灰質の痩せ地では米作よりも蕎麦、サツマイモ、大根といった作物にむいて
いて、 耕作条件と収穫時期の近い秋の新蕎麦と ねずみ大根が合わせて食べ
られていた。
彦根に美味いもの在り。
毎月二十六日は『つる亀庵の日』
【健康だより①】
乳酸菌の整腸効果と腸内菌叢
1.年齢とともに老化
赤ちゃんの腸内は、母乳やミルクに含まれる乳糖をエサにして善玉菌の代表
であるビフィズス菌優性の状態になるが、離乳してさまざまな食事をとるこ
ろから、そのバランスは大人に近いものになっていく。ビフィズス菌自体も
、乳児型から大人型に変わり、成年期を過ぎて老年期にさしかかったころか
らビフィズス菌が減少、ウェルシュ菌などの腐敗菌や大腸菌、乳酸桿菌が増
えていく。これは、年を重ねると胃酸の働きが低下したり、腸の機能が衰え、
食物が腸内に長くとどまり、悪玉菌が増殖しやすい環境となることが一因だ
といわれている。
ストレスで変わるバランス
腸内菌叢のバランスの変化は、年齢だけが問題ではありません。ストレスや
病気も勢力分布を変える原因になっている。ストレスというと、普段の生活
では心配事や精神疲労、など精神的なものを意味することが多いようだが、
暑さ、寒さや肉体疲労、栄養失調など、体に負担をかけるものはすべてスト
レス。とくに、大きな精神的ストレスを受けると、ビフィズス菌が急減して、
腸内菌叢が老人型になり、元に戻るには1週間ぐらいかかることが多いよう
だ。もちろん、病気や手術、抗生物質の服用なども大きく影響し。このよう
に、腸内菌叢はさまざまなことが原因となり、しばしば勢力分布が変わって
いるといわれている。
胃腸不調1週間前から、牛乳と明治プロビオヨーグルトR-1を適時・適宜
飲料している(+安眠効果も期待)。
【滋賀の詩歌散歩①】
比良三上雪さしわたせ鷺の橋 芭蕉
「古池や蛙飛び込む水の音」と詠んだのは松尾芭蕉、じつは、その風景は滋
にあると言れる。日本の原風景を思わせ、どこか郷愁を誘う。芭蕉をとりこ
にした滋賀の風景には、いったい何が秘められているのか。近江の風景のな
かの歴史----たとえば壬申の乱では最後に、大海人皇子が大津市にある「瀬
田の唐橋」で戦っている。たとえば近江八幡の田んぼのとこ歩くと、信長が
夕涼みに安土城から出てきて、同じように歩いてた。日本史に書いてある話
だけでも山ほどあるといわれるのも納得できる。
また、上の句のように、比良三上雪さしわたせ鷺の橋」。これは近江の風景
詠んでます。広重の絵と今の街並みの写真、この二つを合成すると、芭蕉の
見てた景色はこういっものではなかったかと推測され、その二つの山の前に、
んぼがある。二月頃になると、この田んぼにコサギ、チュウサギ、ダイサギ、
なんかが渡ってくる。雪のある比良山と、雪のない三上山、そして雪白いシ
ラサギという構図ができあがって、あっちの白を持ってきてこっちに持って
こいという構図ができたと言われる。
蕉の胃袋をつかんだ近江の味実際、芭蕉の句のなかで、近江を書いたものはどれくらいあるんでしょうか。篠原先生:近江を舞台に、90数首書いてることは間違いない。芭蕉はよく京
都へ行ったけど、京都が嫌いだともいわれている。京都には和歌の文化が強
いから、俳句・俳諧という新しい文化がダメった。それと、すきな蕎麦がま
ずかったことや、こんにゃくとかキノコとか、そういうのも好きだったみた
でそういわせたのだろうか。
蕎麦も見てけなりがらせよ野良の萩 芭蕉
芭蕉が見たものと同じ風景が、今でも見える。それを実感したいなら、芭蕉
が数ヶ月住んでいたことのある国分山の幻住庵へ行くことを推奨している。
「幻住庵」は松尾芭蕉が江戸時代の元禄3年に約4ヶ月間暮らした滋賀県大津
市にある草庵である。
※「五七五はメッセージ。時代を越えて記憶とつながる芭蕉が見た風景」シ
ガコト
近江を愛し、近江に眠る松尾芭蕉は、生涯に981句を詠んだ。そのうち近江で詠
102句すべてを解説し、句碑62基を写真と地図をまじえて紹介。大津・湖南・甲賀・
彦根・長浜など各地の文学散歩へといざなう。おくのほそ道を隈なく探索した著者
が、滋賀に残る芭蕉の句碑61基を地図を附して案内する。
目次1 松尾芭蕉とは(松尾芭蕉;芭蕉の年譜 ほか)
2 芭蕉の愛した近江(貞享二年(一六八五)句1~5―句碑八基
貞享五年(一六八八)句6~14―句碑五基 ほか)
3 芭蕉の関連地訪問(堅田付近;大津付近 ほか)
4 近江の門人たち(堅田の門人;大津の門人 ほか)
5 近江関連俳文(幻住庵記;洒落堂記 ほか)
6 その他(明智句碑 西教寺 句106;寿貞尼について)
著者等紹介いかいゆり子[イカイユリコ]
近江文学研究家として、レイカディア大学米原校で講師を務めるかたわら、
守山・石部の「古典に親しむ会」で「平家物語」「おくのほそ道」を、草津
公民館では「平家物語」の講座を担当する(本データはこの書籍が刊行され
た当時に掲載されていたものです)
※松尾芭蕉:松尾 芭蕉(1644年- 1694年11月28日)は、江戸時代前期の俳諧師。伊賀国
阿拝郡(現在の三重県伊賀市)出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。
名は忠右衛門、のち宗房。俳号としては初め宗房(そうぼう)を称し、次い
で桃青、芭蕉と改めた。北村季吟門下。芭蕉は、和歌の余興の言捨ての滑稽
から始まり、滑稽や諧謔を主としていた俳諧を、蕉風と呼ばれる芸術性の極
めて高い句風として確立し、後世では俳聖[7]として世界的にも知られる、
日本史上最高の俳諧師の一人である。ただし芭蕉自身は発句(俳句)より俳
諧(連句)を好んだ。元禄2年3月27日(1689年5月16日)に弟子の河合曾良
を伴い江戸を発ち、東北から北陸を経て美濃国の大垣までを巡った旅を記
紀行文『おくのほそ道』が特に有名。
紫式部が『源氏物語』を石山寺(滋賀県大津市)で書いたという伝説は、人々
の間に定着しているが、「石山寺で執筆した」という記録は存在しない。本書
では、平安時代に生きた紫式部が見たであろう景色を眺め、その旅路を追体験
することにより、『源氏物語』に描かれる当時の様子や、歴史と文化を探って
みた。そして長い年月をかけて編み上げられた伝説へと辿り着く。旅した紫式
部が見たであろう近江の風景を推測し、石山縁起絵巻から窺える当時の石山詣
なども紹介。紫式部が物語の着想をどこで得たのか、どういう順番で執筆した
かはわからない。そして「石山寺で執筆した」という記録は一つたりとも存在
しない。では、どうして石山寺に、紫式部が『源氏物語』を執筆したという
「源氏の間」があるのか。そもそも紫式部は、近江といかなる関係にあったの
か。これについて紹介するのが本書の目的。
めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲隠れにし夜半の月かな
【著者概歴】京樂 真帆子(キヨウラク マホコ);滋賀県立大学人間学部教授。兵庫
県生まれ。1986年京都大学文学部国史学科卒業、1989年奈良女子大学大
学院文学研究科修士課程修了、1992年京都大学文学研究科史学博士課程
満期退学、1995年「平安京都市社会史の研究」で文学博士の学位を取得。1996年茨城大学助教授、2001年滋賀県立大学人間文化学部助教授、2007
年准教授、2009年より教授。平安京の都市文化を研究する。
俳句・俳諧の芭蕉につづき、今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公
として注目を集めている紫式部。「源氏物語」の作者であり、平安時代の京
で活躍した女性だが、実は、琵琶湖の周りにもゆかりのある場所が点在する。
特に、つながりが深く伝わる大津市では紫式部をキーワードにした新たな魅
力発信事業に熱を込めて取り組んでいる。1000年前の紫式部の足跡をたどり、
未来へ続く新たな湖国を知る機会でもあり、前回とりあげた式部も「近江史」
との関係で記載していく。
式部は、970年代頃に生まれ、1020~30年代頃に亡くなったとされる。藤原
道長ら貴族が権勢を奮い、京できらびやかな貴族の文化が花開いていた平安
時代中期の人物。父は下級貴族の藤原為時。文化人として知られ、時の花山
天皇の下で官職に就き、次の一条天皇の時代、為時は大国の越前国国司とな
り、娘時代の紫式部を連れて数年過ごした。紫式部も父同様、文芸に優れた
人物らしく、後に道長にその才能を見出され、道長の娘で天皇の妻・中宮と
なった彰子の家庭教師として宮中に務めた。作家としての紫式部は、長編小
説「源氏物語」をはじめ、宮中の様子を記した「紫式部日記」などの作品を
残している。「紫式部日記」は当時の宮中の暮らしぶりを現代に伝える貴重
な歴史資料でもある。via 2024.3.2 滋賀報知新聞※今回からシリーズとして適時掲載していく。
● 光触媒を用いた実用的な還元的環化反応
2月27日、北海道大学の研究グループは,光触媒とコバルト触媒を組み合わせ,
アルキンとアルデヒドをもつ原料を還元的環化させることに成功。
【概要】環状アルコールは多くの医薬品の構造にも含まれる重要な骨格で,アルキナー
ルの還元的環化反応はこの分子骨格を効率よく合成する方法の一つ。しかし,
従来から知られているニッケル触媒を用いた反応では,触媒反応として進行
過剰量のアルキル亜鉛化合物やアルキルホウ素化合物の添加を必要とし,これ
らの試薬から発生する廃棄物が問題だった。また,これらの触媒や添加剤は,
酸素や湿気を取り除いた環境下で取り扱う必要があるうえに,合成可能な環状
アルコールの種類も限られており,改善の余地を残していた。これらの背景の
もとこの研究では,光エネルギーとコバルト触媒を用いた簡便でクリーンな代
替法の開発を目指した。
4CzIPN(光触媒),CoCl2-L(コバルト触媒),トリエチルアミン,水の存在下
でアルキナールに可視光(440nm)を照射して反応条件を精査した。最適な条件
を見出した後,様々なアルキナールに対して本反応を適用した。重水素化実験,
電気化学測定,蛍光分光法による滴定実験で反応メカニズムを推定した。研究グループは,反応条件の検討の結果,まず目的の5員環アルコールを得る条
件を見出した。この最適反応条件を用いることで,多様な環構造をもつ6員環,
7員環アルコールの合成にも成功した。この反応の添加剤は,必要最低限のトリエチルアミンと共溶媒の水のみであり,ニッケルを用いた従来法と比べて廃棄物を大幅に削減できた。またこの水を添加した条件は,アセタール化合物を反応系内でアルデヒドに変
できるため,アルキナールを合成・単離することなく目的の環状アルコールが
合成できる。
アルキナールはアルデヒド部分が酸素に弱く長期保存が困難であるため,より
安定なアセタールを原料にできる点も優れている。さらに反応収率を落とすこ
となく,コバルト触媒の量を当初の10分の1まで低減できた。【展望】
現時点ではLEDの光を利用しているが,太陽光を利用する光触媒や発電技術の
発展とともに,将来的にさらにクリーンな合成技術へと発展することが期待さ
れる。
● 今日の寸評: