「古賀の乱ってなんだ "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で、触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
部が実名で証言。発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』
目 次
序 章 福島原発事故の裏で
第1章 暗転した官僚人生
第2章 公務員制度改革の大逆流
第3章 霞が関の過ちを知った出張
第4章 役人たちが暴走する仕組み
第5章 民主党政権が躓いた場所
第6章 政治主導を実現する三つの組織
第7章 役人―その困った生態
第8章 官僚の政策が壊す日本
終 章 起死回生の策
第5章 民主党政権が蹟いた場所
誕生直後の絶好機を逃した鳩山政権
脱官僚の最大の好機は、民主党政権が誕生した直後だった。「鉄は熱いうちに打て」のた
とえのごとく、あのとき大胆な改革を実施していれば、成功した可能性が高い。霞が関を改
革する一つのポイントは役人の評価基準にある。分かりやすくいえば、何をやったら偉くな
れるか。
いまは、役所のために予算を増やしたり、規制を作って天下りポストを多くした者が評価
される。「あそこまで省益を大らせるとは、あいつはワルだなあ」は、官庁では褒め言葉で
ある。そういう「ワル」にはマイナス評価しかつかないよう変えなければならない。
この手法についていうと、それはさしてむずかしいことではない。総理や大臣が「公益法
人への天下りポストも予算も半減しろ」と命令し、「これを真面目にやった者は昇進させる。
しかし、できなかった者は能力がないと判断して干す」という。
干すといわれれば、役人はけっこう真面目に取り組むものだ。
ただし、これをやるためには一つ要件かおる。それは、政権がしばらく続く、そして大臣
も交代しない、という前提である。来年どうせ政権や大臣が変わると思えば、大臣のいうこ
とは聞かない。下手に指示に従い、次に来た大臣の方針が変わって梯子を外されれば、次官
や官房長は役所の利益に反する行動を取ったとして、マイナス評価をつける可能性が高いか
らだ。
鳩山政権が誕生した頃は支持率も高く、この政権がずっと続くとみな考えていた。しかも、
脱官僚を掲げて登場した政権だけに、役人は相当思い切ったことをやられると覚悟していた。
あのとき、全次官に天下り先リストの一覧表を出させ、半減を指示し、具体的な計画表を1.
2月までに出すよう命じ、「できなかったら、成績不良とみなす」と告げ、次のように迫る。
「私にあなたたちの命を預けてください。一生懸命やってくれたら、私はみなさんを守る。
しかし、できなかったら役所を去ってもらうしかない。そういう意味で辞表を出してくださ
い。国民のためにやるという覚悟を示してください」各人に目標も書かせ、期限をつけて評
価する。なかには抵抗する次官もいるだろう。あるいは全員が談合してボイコットしようと
するかもしれない。半減は無理だからI割にしてくれと泣きを入れてくる次官もいるに違い
ない。
しかし、目標を達成できなかった者は、話し合いのうえ、ばっさりと切る。ここまで大胆
にやれば、残って大事に扱われる者はむしろ、政権に恩義を感じる。
役人はクビにできないというが、そうでもない。明確な目標を設定して、それができなか
ったからクビだとちやんとした話をすれば、それに逆らう官僚はほとんどいないのではない
か。次官・局長ともなれば巨額の退職金が入る。そこで抵抗してみても、世の中から糾弾さ
れる。そんな根性のある役人はいないだろう。
あのとき、総理と大臣が一枚岩になって、抜き打ちでこれをやれば、成功する確率はかな
り高かったのではなかろうか。
ところが、鳩山政権がやったことは真逆だった。政権交代前、農水省の次官は、民主党の
マニフェストに書かれていた農業政策を公然と批判していた。政権誕生後、お互いに政策論
争をしたのならまだしも、農水の次官が掌を返して「誠心誠意やります」というと、赤松広
隆農水相は即座に、「ぜひ、一緒にやってくれ」と応じた。これでは完全に役人のご機嫌取
りである。多くの国民はたいへん失望したであろう。
赤松大臣だけでなく、長妻昭厚労相を除く大方の閣僚が、役人に擦り寄った。みなリスク
を取れなかった。官僚に離反されてサボタージュされ、足元をすくわれると、大臣をクビに
なるという恐怖に勝てなかったのだろう。
初めて大臣に就任した方ばかりなので、その気持ちは分かるが、閣内が一致団結して意見
を統一し、互いに支えながら脱官僚の方針を貫いていただきたかった。それができていれば、
公務員制度改革も政治主導も一気に進展していたはずだ。民主党政権は絶好の機会を逃して
しまった……。
役人とマスコミに追い落とされた長妻大臣
そんななか、民主党政権の閣僚のなかで唯一、野党時代の方針を貫こうとしたのは、先述
した長妻昭氏である。
消えた年金問題を舌鋒鋭く突いた「ミスター年金」の長妻氏は、民主党政権誕生の殼大の
立て役者となり、功労を認められて鳩山政権の厚生労働大臣に抜擢された。良妻氏の閣僚時
代の話は著書『招かれざる大臣』に詳しいが、私は回書を読んで、ああ、なるほどと思った。
以下は従来から述べている私の推測に過ぎないが、長妻大臣の話と極めてうまく平仄が合っ
ているので、おそらくかなり当たっていると考えていいのではないか。
長妻氏は仙谷氏に比べれば年金問題以外は素人に近く、もともと厚労族だった仙谷氏が指
導をしていた。仙谷氏は、厚労人臣になりたいと希望していたといわれるぐらいで、その分
野には明るい。だが長妻氏も、年金以外の分野でも、勉強しているうちにだんだん自分の考
えを持つようになり、仙谷氏の意見に従わないことも多くなった。
その間、仙谷氏は、権力を次々と掌握していき、「陰の総理」といわれる存在になった。閣
僚はみな仙谷氏に逆らわないなかで、自分の手下と思っていた長妻氏だけは、いうべきこと
はいう。仙谷氏にとって長妻氏は徐々に煙たい存在になっていった。
一方、厚労省の役人も、他の閣僚と違って役所に擦り寄らず、政治主導を貫こうとする長
妻氏に手を焼いていた。
象徴的な例が、先述した「退職管理基本方針」を受けて、役人が天下りの代わりに現役の
まま出向できる団体を追加しようとしたときの対応である。
ずらっと並んだ出向先として追加しようとしている団体はこれまでの天下り先。このリス
トを見て、長妻氏は、これはおかしい、理由が分からない、と一人だけ頑としてこれを認め
なかった。
各省の出向先追加リスト(96ページ参照)が回ってきたとき、私は目を疑った。厚労省だ
け真っ白で何も書いていない。長妻大臣は凄いことをやったな、これはひと波乱ある、と思
った。果たして、後に長妻氏は事実上の更迭の憂き目に遭う……。
出向先追加リスト容認の閣議決定がされたのは、夏の定例人事の少し前だった。前述した
「退職管理基本方針」の閣議決定を受けて出すのだから、厚労省の役人は当然、自分たちも
追加リストを出せると思う。追加の出向先をあてこんで、人事を内定していた。ところが、
長妻氏がこれをストップした。そのため、厚労省だけ人事が混乱したはずだ。
厚労省の役人からすれば、自分たちだけが被害を受けているという意識になる。長妻さん
の対応は理不尽だと。いじわるされていると憤りもする。他の役所は予定通りリスト追加が
認められているのだからなおさらだ。これは、厚労省の役人が悪いのではなく、同じことが
起これば他の省庁の役人誰でも抱く感情だ。
かといって長妻氏が悪いわけではない。もともとの民主党の方針を変えた菅氏に非がある。
我が身可愛さで、官僚に妥協した閣僚全員も悪い。
就任以来、方針を曲げず、原則を押し通そうとする長妻氏と厚労省の役人の意思疎通は、
それまでもうまくいっていなかった。そこに、長妻氏の追加リスト拒否である。溜まってい
た厚労省の役人の不満のマグマが一気に噴出し、官邸にSOSを出しただけでなく、マスコ
ミを通じて反撃に出た。
曰く、「職員に対する指示がサディスティックで、パワハラまがいのいじめもあり、職員
には不信感が募っている」「政治主導の意味をはき違えている。
たとえばある報道は、長妻氏は冷酷な性格で、「警護官を雨のなか、家の前に一晩中立た
せていた」と書いた。大臣の自宅の前には、就任中、警護用のポリスボックスが仮設される。
警護官にとって、立って見張りをするそのこと自体が仕事だ。しかも、二時間で交代する決
まりになっているという。なのに、あたかも長妻氏が指示したかのように、「雨のなか、一
晩中立たせていた」と書く。警護官を家族に挨拶させなかったといった、どうでもいいこと
さえ、悪口の材料にされた。
「私が頼んで、警護官を派遣してもらっていたわけでもないのに、それを家の前にずっと立
たせていたと書くんですよ」と、長妻氏はマスコミの理不尽さを嘆いていた。
根も葉もない誹諧中傷も報じられたという。大手新聞の報道によると、次のような出来事が
あったことになっている。
大臣室で官僚から説明を受けているとき、長妻氏の資料が床に落ちた。役人が拾うのを躊躇
していると、長妻氏が「君、拾えよ」と局長に命令した。局長が渋々拾うと、長妻氏が「こ
れが、いまの僕と君の関係だ」といったとされていた。
長妻氏は、「そんなこというわけないでしょ。常識で考えてくださいよ」と、苦りきってい
たという。いま挙げたのは、長妻氏に対する悪口記事のほんの一例で、大臣就任中は、連日
のように誹諧中傷記事が各メディアに掲載されて(※「させていた常套手段」誰が?・・・
と筆者が と追加しておこう)いた。
普通、大臣に関する批判が出れば、マスコミは大臣に取材し、裏を取る。それもやらずに一
方的に、記事をでっちあげて叩く。厚労省の役人と記者クラブがタッグを組んで、良妻追い
落としに動いたのは、明らかだろう。
財務省主計局が記者に送った中傷メール
マスコミによれば、良妻氏は大臣に就任後、成果らしい成果を出さなかったとされる。メ
ディアは「ミスター年金」をもじって「ミスター無能」「ミスター検討中」と郵楡した。ご
本人はごく一部しか明らかにしていないが、全省的な激しいサボタージュに遭ったと推測さ
れる。
大臣はただでさえ、忙しい。特に長妻氏の場合、全部自分で処理しようとしたため、寝る
時間もなく、細かなことに気を造う暇がなかったはずだ。こんな場合、普通は、大臣秘書官
がフォローするべきで、細かなことは秘書官や事務方の責任が問われる。しかし、厚労省で
はそうならなかった。
逆に、「あんなことも気づかない。こんなこともしない。冷たいだけじゃなく無能だ」と、
みなで言い回ったようだ。こんな状況では、長妻氏がいくら仕事をやりたくてもできない。
結局、長妻氏は「職員からすこぶる評判が悪い」「内開府の意見募集に悪評が山のように届
いている」という理由から、菅改造内閣発足をもって退任した。いわば更迭だ。
これまでの慣例では、閣僚経験者で、しかも政権交代の最大の功労者である長妻氏を無役
にするなどとはあり得ない。一時期、首担桶佐官にするという観測記事が出回ったが、最終
的に長妻氏が与えられた次のポストは、民主党の筆頭副幹事長だった。これは異例の降格人
事である。
実は、長妻氏追い落としには、さらに裏の話がある。大臣就任期間に、「長妻は、こんなひ
どいことをやっている」として、長妻氏の仕打ちを列挙したメールが出回った。私は持って
いないが、多くの記者が手にしていた。彼らはそれをどこから人手したか・・・財務省の主計局
からである。
厚労省が出所であれば、内輪もめだということになり、厚労省の役人も悪者になりかねな
い。財務省がやんわりと「なんだかひどいらしいですなあ」とやれば、真実味も増すし、記
者も飛びつきやすいという巧妙な作戦である。
財務省が絶対に認めない改革とは
財務省にとっても、長妻氏は邪魔者だった。長妻氏は野党時代、社会保険庁の日本年金機
構への移行を凍結し、社会保険庁を国税庁と統合させて「歳入庁」を設置すべきだと主張し
ていた。大臣になった後、年金機構の民間出向者が内定済みという理由で、これは実現しな
かったが、将来的には歳入庁設置の意向を示していた。※
財務省が絶対に受け入れられない改革、それは国税庁の完全切り離しである。
一時期、消えた年金問題に関連して歳入庁構想が浮上した。年金も国税も国民からおカネ
を徴収する点では同じ機能なので、社会保険庁と国税庁を統合し、歳入庁を新設して、国民
から徴収する機能を一元管理しようという構想だ。こういう仕組みにすれば、無駄な人件費
が削減できるだけでなく、徴収率も上がるし、データの管理もしっかりし、間違いも起こり
にくい。極めて妥当な案だった。
ところが、いつの間にか、歳入庁構想は俎上に載せられなくなり、立ち消えになった。財
務省が反発したか、あるいは、民主党がそれを恐れたからだといわれている。
なぜ、財務省はたかだか下部機関に過ぎない国税庁にこだわるのか。財務省のスーパーパ
ワーの隠れた源泉が国税庁の査察権であるからだ。実は国税庁は、検察庁に勝るとも劣らな
い強力なツールなのである(※米映画『アンタッチャブル』参鑑)。
普通に生活していて、刑事事件の被告になることはまずない。刑事事件を起こさない限り、
警察も検察も手を出せない。厚労省の元局長、村本厚子氏のように無理やり罪を被せて逮捕
すると、どんなことになるか。大きな社会問題になり、いま検察は大変な苦境に立だされて
いる。
ところが、ただ一つ、比較的容易に刑事事件の落とし穴に嵌まりやすいのが脱税である。
これを担当するのが他ならぬ国税庁だ。サラリーマンの場合、税金は会社が天引きして納め
るので、脱税容疑に問われることはほとんどないが、自営業者や企業経営者は、うっかりす
ると脱税に引っかかる。
たとえ、脱税する気は毛頭なくても、経理上のミスはいくらでも起こり得る。とくに経理
に専門スタッフを割く余裕のない自営業や中小企業では、国税庁がとことん調べれば、脱税
とされても仕方がないミスは必ず見つけられる。
国税庁はその気になれば、普通に暮らしている人を脱税で摘発し、刑事被告人として告訴
できるのだ。あるいはそこまで行かなくても、国税庁の査察が入るということになれば、相
当な恐怖感を抱かせることができるのだ。
ましてやカネの流れが不透明な政治家は国税庁が怖い。だから国税庁を管轄する財務省に
は刃向かえない。
国税庁は、マスコミを牽制するためのツールとしても大いに威力を発揮する。霞が聞に対
して批判的なフリーのジャーナリストを黙らすのは、その気になれば簡単だ。国税庁が査察
に入れば、いくらでも埃は出てくる。
経理がしっかりしている大手出版社や大手新聞社などのメディアを押さえ込むのも、さほ
どむずかしくないという。国税庁は定期的にマスコミにも調査に入っている。たとえそのと
きに立件できなくても、すべての資料を閲覧できることが大きい。
経理の資料を見れば、重役や編集者、記者がどこどこで某政治家、某役人と食事をしたと
いった情報が人手できる。国税庁は、入手したこれらの情報のうち役に立ちそうなものは整
理して保管するという。
――財務省にとって、この懐刀が、いざというときにものをいうのだ。たとえ摘発しなく
ても、霞が関に楯つくマスコミや政治家には、やんわり「これ以上うるさいと、こちらも本
気でやりますよ」と相手が受け取るような形で、それとなくにおわせるだけで十分だろう。
無論、財務省は国税庁を脅しの道具に使っているなどとは絶対認めないだろうが、査察や
調査と霞が関批判の記事の間には、ある種の因果関係が存在すると感じているマスコミ人は
多いはずである。
私自身こんなことを書くことについて、友人のマスコミ関係者から、「古賀さん、国税の
ことは書かないほうがいいよ」と忠告を受けた。ここでの表現がオブラートに包んだような
ものになっているとしたら、やはり私も国税の恐怖に勝てなかったということかもしれない。
しかし、もう一人の友人はこういった。「古賀さん、ここまで霞が関を敵に回したら、い
まさら手遅れだよ」……。
かように財務省にとって国税庁ほど使い勝手のいい機関はない。だから何かあっても手放
そうとはしないのだ。
公務員制度改革なくして増税なし
私は、仮に、仙谷氏が権力を握った時点で、民主党という風船が高く上がり続けていたら、
かなりおもしろいことになったのではないか、と思っている。脱官僚を実現する環境は、鳩
山政権のときよりも好転していると感じたからだ。
古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』
実名(組織・故人の)が入ってくると、これは「事実は小説より奇なり」であり、これを巡り、
民主主義の成熟度が問われることになる。「バッタボックスに立たなければ、ゲームは始まらな
い、バッタボックスに入らなければゲームは終わらない」ということだ。面白い。
※「国税庁は財務省の「権力の源泉」だ。これが歳入庁となり財務省から分離・独立することは
絶対認められないというのが財務省の立場である。現に、橋本政権時代、橋本首相が国税庁の
分離を提案したことがあったが、大蔵省幹部や大蔵省出身の総理秘書官のあわてぶりは尋常で
はなかった。秘書官などは「総理、そんなことを本当にやっていいと思ってるんですか!」と
血相を変えて喰ってかかっていた。この時は、歴代自民党税制調査会長を大蔵省がすべて迅速
かつ周到に根回しして、瞬時に葬り去ったものである(「シリーズ/財務省の増税マインドコ
ントロールを暴く!・・・②「歳入庁構想、自民・財務省の連合軍に見事に葬り去られる」」
江田けんじ公式ホームページ 2012.07.09)。
この項つづく
プロコフィエフ: バレエ音楽「ロメオとジュリエット」第2組曲
憎くはないのに憎まれ口を
、
きいて悔やんだ日もあった
愛し合うのは早いのね コバルト
色の波も散る 波勝岬は純情岬
一人になったら悔しいけれど、
涙ほろりとこぼしてた
愛し合うのは早いのね 南の伊豆の
春の夢 波勝岬は青春岬
青春時代はかえってこない、
みんな大事にしましょうよ
愛し合うのは早いのね かもめの
歌も潮鳴りも 波勝岬は思い出岬
『愛しあうには早すぎて』
歌 本間千代子
作 詞 丘灯 至夫
作 曲 山路 進一
「あたかもグループ交際を推奨しているような」歌詞の舟木一夫「君たちがいて僕がいた」
と本間千代子「愛し合うには早すぎて」は「一種のハーモニーをかなでるような仕掛けとな
っていた」。また、舟木一夫「高校三年生」の「ぼくらフォーク・ダンスの手をとれば、甘
く匂うよ黒髪が」という「男女の接近の限界線の提示」と「愛し合うのは、早いのね」(本
間の歌の三番ともに共通する歌詞)とは「共鳴しあってもいた」。
藤井淑禎 著『純愛の精神史―昭和三十年代の
青春を読む―』(新潮社(新潮選書)、1994)
同上著者によると、波勝岬は、昭和三〇年代半ばくらいまで、船でしか行けず、陸路で辿り着く
のは困難な場所だった。バス路線から離れており、最寄りのバス停からもまともな道はなかった。
と語るほど、この歌ができた1963.4年は、「波勝岬」が「人跡未踏の地」「処女性=純潔
のメタファー」たりえた、高度経済成長への乖離を意味していたのだろう。個人的には、日活の
青春映画シリーズのヒロインをめぐり小百合か、千代子かで競い合った青い特でもあったが、声
美人で後者のファンであったが、団塊の世代に、異性愛の早い、遅いを意識させたシンボリック
な映画音楽として深く記憶にとどめる。