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Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
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沸騰大変動時代(四十六)

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彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招き雷雨から救っ
たと伝えられる招き猫と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦
国時代の軍団編成の一種、あらゆる武具を朱りにした部隊編のこと)
と兜(かぶと)を合体させて生まれたキラクタ「ひこにゃん」。 

【わたしの経済論⑥:為替と円安】

めずらしくあさイチのレシピがめにとまる。これには伏く潜があり、
ダルビッシュ投手のよく考えられた食事レシピに主食に蕎と鶏胸肉が
セットとしてあり、これに、トマト、小松菜などの野菜を加え、肉油
控えめで簡単・SDGSで志向レシピの「トマト水餃子」「トマトと
いかのセ-ト風」「丸ごとトマト素麺
」の三品。尚、餃子の皮を蕎粉
で代替すれば申し分なしだ。

【季語と短歌:源氏物語から学ぶ①】

   かぎりとて別るる 道の悲しきに いかまほしきは命 なりけり
                      桐壺更衣

  桐壺帝の寵愛を一身に集め、弘徽殿の女御らの嫉妬を買って
  しまう。死の直前、悲しみに取り乱す帝への返歌として詠め 
  る歌、




※ 源氏物語中で最初に出てくる和歌。病がいよいよ進んだ桐壺更
 衣が、帝の「限りあらむ道にも、後れ先だたじ」と、契らせ給ひ
 けるを、さりとも、うち捨ててはえ行きやらじ」(「決められて
 いる死出の道にさえわたしたちはいっしょにと」、お約束なされ
 たではないか。いくらなんでも、このわたしを残してはゆけます
 まいね)との問いに返した一首である。帝は病の重い更衣をなか
 なかその実家に帰すことをしなかった。当時は宮廷で人が死ぬこ
 とは、場を穢すことになりタブーとされていたようである。そん
 な中、自らタブーに肉薄するように、死の病にある更衣を手元か
 ら離すことができない帝の苦しみはふかい。思いが余っているの
 か、帝の問は散文の形でなされる。そんな帝に更衣は歌で答える。
 「いまは、それが定めとしてゆかなければならない死出の旅が悲
 しく思われるにつけて、私の行きたいのは生きる道の方でござい
 ます」。「いかまほしき」の「いく」は「行く」と「生く」の掛
 け言葉である。今、まさに自分は死出の道を「行こう」としてい
 るが、「生き」たいのは、つくづく自分の命であるよと、歌の形
 式を踏まえるという慎ましさのなかにも、しかし「生きたい」と
 いう更衣の心の叫びが詠まれているのだとも評されてもいる。    
                        


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