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高野豆腐パウダー開創

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  大いなる不義を犯して、人の国を攻めば非とされず名誉とし、
           正義とす。それが不義なることを知らず    

                                            墨子

 

● 高野山開創1200年とスーパーフード

高野山は弘法大師により密教の道場が開かれてから1200年目を迎えた。この記念年に高野山では、
4月2日から5月21日までの50日の間、弘法大師が残した大いなる遺産へ感謝を込めて絢爛
壮麗な大法会が執り行われる。ところで、大門が高野山全体の総門であるのに対して、中門は、
浄域である伽藍を結界する重要な門。天保14(1843)年の大火により消失し、礎石のみを残して
いましたが、高野山開創1200年記念大法会に併せて壇上伽藍の中門が再建するというが、今
夜は高野山でも高野豆腐、これを粉末にしたスーパーフードの話。

つまり、高野豆腐は、豆腐の水分を抜いて熟成させながら凍らせたもの。高野豆腐には骨密度を
正常に近い状態に保つことができる「イソフラボン」があり、大豆食品の中では、最も多くたん
ぱく質(アミノ酸)を含んでいる食品――生豆腐の栄養素が詰まった高野豆腐の50%がたんぱ
く質で、生豆腐の7倍、その他、カルシウムは5倍、鉄分は7倍、脂質が8倍――そんなことは
誰もが知っている話。

ところが、昨年からこの高野豆腐をすり下ろした粉大豆が、チョットしたブームになっているのである。 個
人的にはニンニクに含まれる「γ-グルタミル-S-アリルシステイン」を吸収するチアミン(ビタミ
ンB1)にきな粉とニンニク(蒜)の牛乳の同時摂取する個人的な臨床テスト?を行っているが
(『安倍川蒜ミルク』2013.09.11)、現在は、ダイエット食品として話題となっているが、それ
以上にそのスーパーフードの使用方法あるいはそれを使った実用レシピがテレビなどで取り上げ
られるようになっているようだ。それはイタリア料理のポレンタ風でもあるが、高野豆腐のもつ
スポンジ特性を生かし、パンケーキ、ハンバーグに使用される。また、穀物パウダーや魚肉類の
すり身やミンチだけでなく同じベジタブルパウダーとの組み合わせでカラーフルな加工食材にも
応用されて行きそうだ。

 

 

   

 【日本の政治史論 Ⅸ:政体と中枢】   

「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で、触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。  

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』 

   目 次 

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策  

 第7章 役人―その困った生態 

                           大蔵省の橋本内閣倒閣運動

  通産大臣の任期中には、独禁法の改正はかなわなかったか、翌年、総理に就任した橋本氏
 は、1997年、改正法案を国会に提出し、成立させた。
  総理を辞めた後、日歯連献金疑惑もあって、橋本氏の評価は下がってしまったようだが、
 構造改革という。言葉を前面に出したのも橋本総理だったし、小泉時代に有名になった経済
 財政諮問会議の創設を決めたのも橋本氏だ。橋本氏は霞が関の抵抗を押し切り、省庁再編も
 断行した。信念のある立派な政治家だった。宰相の器とは橋本氏のような政治家が持つもの
 なのだろうと思っている。

  ただ、橋本氏ができなかった行革もあった。歳入庁構想だ。橋本内閣は、消費税増税で失
 敗したといわれているが、霞が関では、大蔵省から国税庁を引っ剥がして歳入庁を作ろうと
 したため、敵に回った大蔵省に倒されたと見る向きも多かった。
  当時、大蔵省は、山一燈券などの証券会社を廃業に追い込んだ。あれは大蔵省の橋本内閣
 倒閣運動だったという人もいる。
  民主党も以前は歳入庁構想を高らかに唱えていたので、真っ先に手をつけるかと思ったが、  
 いつの間にか後退して、いつやるのかまったく分からなくなってしまった。やはり、財務省
 が怖かったのだろう。

                         反対派を翻意させたポスト格上

  話を戻せば、橋本通産大臣の「積極的に検討」という国会答弁は、案の定、反対派に火を
 つけた。当時は自社さきがけ政権で、総理は社民党の村山富市氏だ。われわれは与党杜民党
 の商工部会に呼ばれるのだが、肢らが反対派の急先鋒となって、「独禁法九条の改悪は絶対
 阻止するぞ」「はんたあ~い」とシュプレヒコールを上げる。こんな光景は学園紛争の頃に
 見て以来だ。
  表ではこうした激しい対立が続いていたが、実は裏では少しずつ公取の懐柔策が進んでい
 た。
  もともと検討を開始したときから、公取や独禁法学会と、ずっと同じ議論を続けていた。
 「世界中、どこでもやっているのに、日本だけに悪いことかどうして起きるんですか。仮に
 起きたとしても、取り締まればいいじやないですか。日本には独占禁止法という法律がある。
 財閥ができても分割できる。系列化でがんじがらめにする企業か出てきたら、公取か潰せば
 いい」

  理詰めで相手の主張を潰していくと、最後には「日本の公取はそんなに強くない」と反論
 してきた。ならば、話は簡単だ。公取を強くすればいい。「強くできるのか」というので、
 しめたと思った。
  実は前々から、アメリカからも公取を強化せよとの要求か来ていた。私は以前、産業構造
 課で日米構造協議を担当していたので、彼らの要求は熟知していた。そこで、これをうまく
 利用しようと考えた。

  強くするというと普通、増員を考えるが、私の案はポストの格上げによる組織強化だった。
 公取の事務局を事務総局にする。経済部と取引部を統合して経済取引局に、審査部を審査局
 に格上げする。
  単なる名称の変更に過ぎないように見えるかもしれないが、役人にとってはこれが非常に
 大きい。なぜなら、上のポストが増えるからだ。普通の役所では事務方のトップは事務次官
 その下にいくつかの局長ポストがあり、その下に次長あるいは部長、審議官などというポス
 トがある。上から順に給料も下かっていく。

  公取の事務局長は他省庁では局長に当たる。つまり、一番上のポストが次官級ではないの
 だ。事務総局にすると、そのトップ事務総長は次官級に、部が局になれば、部長は局長へと
 格上げになる。次官級ポストはゼロから一になり、局長級は一から二に増えるのだ。
  経済社会情勢が大きく変わったわけでもないのに、組織全体を格上げするなどという話は
 まず普通、あり得ない。当たり前だ、仕事の内容が変わるわけでもないのに、単純に幹部の
 給料を上げるというのに等しいからだ。しかし、公取の強化は、日米の懸案事項の1つなの
 で、産業政策局長から橋本大臣に上げ、行革本部に根回しすれば、できないことはないので
 はないかというのが私の判断だった。
 
  それに、私は、もともと通産省が公取を目の敵にしていじめることには反対だった。公取
 がもっと強くなってくれなければ、日本の市場は良くならない。そう信じていた。通産省の
 普通の官僚は公取強化には絶対反対という人が多かったが、そんなことは無視しようと思っ
 た。
  ただ、ポストの格上げだけではやはり、不真面目だ。そこで、人員も大幅に増やすという
 ことを進旨することにした。そして、こうした動きは表の研究会の検討中から静かに進めて
 いた。
  公取の職員はプロパーなので、次官ポストができるというだけで大喜びするはずだ。公取
 の懐柔策としてはこれ以上のものはない、という私の予想は的確だった。
  思った通り、公取は一も二もなく乗ってきた。ただ、公取としては、あれだけ反対してい
 たので、すぐに持ち株会社解禁OKと掌は返しにくい。村山総理の社会党が支援してくれて
 いるのだからなおさらだった。内々に合意が成立したものの、法案をいきなり出すわけには
 いかない。いったん棚上げにして、先に組織強化をやるという、やや危ない橋を渡った。

  弱ったのは、たまたま通産省と公取の両方の定員を査定していた行政管理庁の担当官だっ
 た、ポストを新設する場合、スクラップ・アンド・ビルドか原則になっているからだ。
  他の役所で次官級ポストの削減はあり得ないし、局長級ポストにしても減らすのは無理で
 ある。それなのに、公取の次官級ポストや局長ポストを増やせというのだ。事務的にはほと
 んど説明がつかない。非常に真面目な性格の担当者は途方に暮れ、いつ会っても樵悴しきっ
 た顔だった。

  私は「何もしなくてもいいんじゃないですか。私のほうから、政治決着で上から落とすよ
 うに根回ししますから」と助け舟を出した。実際、政治決着で片がつくと、担当者かいった。
 「それにしても、公取ってひどいですね。何もしなくてこんなに焼け太りして……」
 確かに公敵は図々しかった。途中、こちらの足元を見て局長級ポストを三つにしてもらえな
 いか、といってくる始末である。もちろん、そんな強欲な要求は受け入れられなかったが。
  担当者は続けた。

 「実際に動いた古賀さんのところに何の見返りもないのはおかしいですよね。産業組織政策
 室を課に格上げしましょう」

  役所では、室は課よりも格が下である。室長は管理職としては駆け出し、課長になって一
 人前の管理職と認められる。私にとってはどちらでも良かったが、せっかくの好意だから課
 にしてもらうことにした。
  かくして組織改変の法案は成立し、7月1日に施行され、公取のポストが格上げになると
 同時に、産業組織政策室は、産業組織課となり、私は初代課長となった。しかし、その3日
 後定例の人事異動で私は日本を離れることになったのだが・・・・・。

  一方、独禁法改正の法案作りも、通産省と公取によって裏で密かに進められた。まだ持ち
 株会社解禁の方針は出されていない段階だったため、公取の人たちは「こんなことをやって
 いると世間に知れたら、われわれは死刑だ」と恐れていたので、何かあっても表沙汰にはで
 きない。

  そこで、目立たないようにと、少し離れた特許庁の会議室を借りて、草案作りの議論を始
 めた。特許庁は特別会計を持っているので潤沢に予算かおり、ビルも立派だし、使える部屋
 もいっぱいあった。
  こうして法案は極秘裏に練られ、私が日本を離れた後、翌年の国会で可決されたのだった。
  この独禁法改正が、いまのところ私の官僚人生で、もっとも大きな仕事である。


                       霞が関と戦うときの二つの必須要件

  産業組織政策室長だったときには、規制緩和にも取り組んだ。
  当時、村山内閣のもとに行政改革委員会規制緩和小委員会というものがあった。その後、
 橋本内閣で行政改革推進本部規制緩和委員会となるが、その後この規制改革の世界では10
 年以上の長きにわたってオリックスの宮内義彦社長が政府の審議会をリードされてきた。わ
 れわれは、その流れを作るための動きを、裏で経団連と連携しながら進めていた。

  当時はまだ規制改革は緒に就いたばかりで、いまでは信じられないような規制かたくさん
 残っていた。酒・たばこ・医薬品の販売、トラックや内航海運など、かなり厳しい参入規制
 が行われていたし、大店法の古い規制も残っていた。安全規制に名を借りた競争制限も数々
 あった。ガソリンスタンドのセルフ給油の禁止などもその一例である。


さて、政治とは何かとの問いかけに、司馬遼太郎は小説『花神』(※花咲爺さん)で主人公の大
村益次郎に「嫉妬」と言わせている。これはニーチェの「ルサンチマン」とも相補するが、心に
抱くことはこれも自然なことで言葉それ自体を否定するもではなく、共同体の未来目標の摺り合
わせに転化すれば良いことだ(そこが難しいのも承知しているが)。吉本隆明はこれに対し「過
剰過程」というふうに応えている。「独禁法改正」が共同体の「仕合わせ」の利にかなうなら推
進すればよいことで、悪ければ見直せば良いことだと考える。「規制」も「緩和」も先験的、あ
るいは反遡及的に考えることは慎みたいと考えている。


                                                      この項つづく 

   ● イタリアン・アウトドア・クッキング Ⅱ

出展:室井克義著「イタリアン・アウトドア・クッキング-プロの技に遊ぶ」(柴田書店、1996)
 

【ホウレン草入りフェットチーネ、スモークサーモンソース】

材料(4人分): ホウレン草入りフェトチーネ 320グラム、スモークサーモン 80グラム、バター
大さじ3、トマトソース 250グラム、生クリーム 500ミリリットル

作り方:①フライパンにバターを入れ、みじん切りにしたスモークサーモンを入れてサッと炒める
(A)、②トマトソースを入れ、サーモンの味をなじませる(B)。③生クリームを加えて、塩、コシ
ョウで味をととのえてから(C)、茹でで上がったパスタをあえる。

中華鍋:アウトドア用品を一式揃えれば出費も馬鹿にならない。とりあえず、鍋類は家庭で使って
いるもので十分だし、耐久性だって毎日使っているんだから申し分ない。特に、中華鍋は使い方が
無限でおすすめ。今回は速燻法で使っているが、その他にパスタをこねるボールや、食器洗いの桶
にもなる。マキや炭を入れれば直火禁止の場所でのコンロに早変わりする。歴史が物語っている鍋
はやはりすごいと賞賛する。

プロの技:スモークサーモンは色が変わる程度に炒めるだけでいい。あまり火を通しすぎないこと。

 

   ● 今夜の一曲

'Jet―Maybe I´m Amazed' 
Paul McCartney’s 10 Greatest Songs After The Beatles March 6, 2013 12:00 AM

   Jet, Jet
   Jet I can almost remember their funny faces
   That time you told them you were going to marrying soon
   And Jet I thought the only lonely place was the moon

   Jet Jet Jet

   Jet was your father as bold as the sergeant major   
   How come he told you that you were hardly old enough yet
   And Jet I thought the major was a lady suffragette

   Jet Jet Jet

   Ah Mater want Jet to always love me
   Ah Mater want Jet to always love me
   Ah Mater, much later

   Jet......

「ジェット」は、1974年にリリース。『バンド・オン・ザ・ラン』の2曲目に収録。またベストア
ルバムでは『ウイングス・グレイテスト・ヒッツ』『オール・ザ・ベスト』『夢の翼〜ヒッツ&ヒ
ストリー〜』に収録。シングルカットは。『アルバム発表から年の明けた2月15日に、ウイングス
のシングルでは7枚目にあたる。「

「ジェット」とは、2010年11月の『バンド・オン・ザ・ラン』再発売に合わせて同年イギリスで放
送されたテレビ番組にて、ポールが飼っていたポニーの名であるとポールが語っている。なお、ポ
ールはビートルズ時代にも当時の飼犬マーサをタイトルにした「マーサ・マイ・ディア」を作曲。
録音中、テープの磁気体が剥がれ、シンバルの音が少々弱く、さらに、テープの救出コピーによる
全体の音が固くなっているとか。1973年8から9月、ラゴスでの『バンド・オン・ザ・ラン』制作
後にレコーディングされたが、英国で7位。ビルボード誌では、1974年3月30日に週間ランキング
最高位の第7位を獲得。キャッシュボックス誌では、3月23日付け最高位第5位を獲得。日本では
1974年の年間洋楽チャート1位を記録する。

 


 

 

ころんた――サカタのタネが約10年間の歳月をかけて開発したという――ミニメロンの苗が届く。

 

 


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