平和は剣によってのみ守られる / アドルフ・ヒトラー
● 現在の錬金術 蓄熱セラミックス
東京大学の大越慎一教授らの研究グループが、永続的に熱エネルギーを保存できるセラミックス
“蓄熱セラミックス(heat storage ceramics)”という新概念の物質を発見したと11日に公表。こ
の物質は、チタン原子と酸素原子のみで構成されたストライプ型-ラムダ-五酸化三チタンいう物
質で、230 kJ L−1の熱エネルギーを吸収・放出する。これは水の融解熱の約70%に相当の大きな
熱量。また、保存した熱エネルギーを、60 MPa (メガパスカル)という弱い圧力を加えることで
取り出すことができ、熱を加えるという方法に加えて、電流を流したり、光を照射したりという
方法でもエネルギーを蓄熱することができ、多彩な方法で熱エネルギーの保存・放出を繰り返し
できる物質。ストライプ型-ラムダ-五酸化三チタンは単なる酸化チタンであり、環境にやさしく、
埋蔵量も豊富で資源的にも恵まれた材料というからして大発見!ノーベル賞ものだ!
尚、この蓄熱セラミックスは、欧州などで進められている太陽熱発電システムや、工場での廃熱
エネルギーを有効に再生利用できる新素材として期待されるほか、感圧シート、繰り返し使用可
能なポケットカイロ、感圧伝導度センサー、電流駆動型の抵抗変化型メモリー(ReRAM)、光記録
メモリーなどの先端電子デバイスとしての新部材としての可能性も秘めているというから、二度
びっくり。このストライプ型-ラムダ-五酸化三チタンは、固体材料であるため取り扱いが容易。
熱伝導率がちょうど耐熱用レンガやコンクリートと同程度であることから、永続的に熱を蓄える
ことができる青色のレンガのようなものだという。また、顔料や塗料として用いられているTiO2
を還元雰囲気下で焼くだけで得られる単なる酸化チタンであるため、環境にやさしく資源的にも
恵まれた材料で、コストもたいへん経済的だという。それにしても、日本刀に使われている酸化
チタンとは不思議だ。
※ストライプ型-ラムダ-五酸化三チタン(stripe-type λ-Ti3O5、上図ではラムダ-五酸化三チタ
ンと表記)で発見された新概念“蓄熱セラミックス”。(a)加熱により230 kJ L−1の熱エネルギ
ーを蓄え、弱い圧力(60 MPa)で放出する。その他に、(b)電流を流す、(c)光を照射するという
多彩な方法でエネルギーを蓄熱することができる。
※ストライプ型-ラムダ-五酸化三チタンの圧力印加によるベータ-五酸化三チタンへの転移と、加
熱によるラムダ-五酸化三チタンへの回復。(a)一軸加圧実験の様子。(b)相分率の圧力依存性と
(c)温度依存性。圧力60 MPaで急激にラムダ-五酸化三チタンからベータ-五酸化三チタンへ相転
移する。また、加熱すると200ºC以上でベータ-五酸化三チタンからラムダ-五酸化三チタンへと
戻る。
【日本の政治史論 Ⅷ:政体と中枢】
「古賀の乱ってなんだ "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で、触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
部が実名で証言。発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』
目 次
序 章 福島原発事故の裏で
第1章 暗転した官僚人生
第2章 公務員制度改革の大逆流
第3章 霞が関の過ちを知った出張
第4章 役人たちが暴走する仕組み
第5章 民主党政権が躓いた場所
第6章 政治主導を実現する三つの組織
第7章 役人―その困った生態
第8章 官僚の政策が壊す日本
終 章 起死回生の策
第7章 役人―その困った生態
独禁法改正を恐れる学者たち
とはいえ、大蔵省や法務省の説得よりも、やはりたいへんなのは、左派の圧力をどう撥ね
除けるかだ。どこか応援してくれるところかなければ、実現は不可能である。
誰でも真っ先に思いつくのは経済界だ。経団連で政争政策を紅当していた阿部泰久氏(現・
経団連経済基盤本部長)に話しに行くとでぜひ、やってくれと乗り気である。当時、経団連
のなかに、競争政策委a会という組織かあり、委員長だった旭化成の弓倉礼一社長と話する
と、「通産省か本気で取り組むのなら、こちらも特別な部会を作って後押しをする」といっ
ていただいた。
経団連が部会を作るのだから、こちらもと考え、帰って上司の産業政策局長に許可を求め
ろと、「いいんじやないの」というので研究会設立の準備を始めた、ただ局長には、そのと
きは競争政策をやりますというくらいにとどめ、具体的な話はしていなかった。
ところが、名だたる学者を訪ねていくと、みなけんもほろろ。聞く耳も持たないという様
子で、話を始めるや否や追い返された。
有名な学者は左翼がかった人が多く、独禁法九条は堅持すべきという考えに凝り固まって
いるうえに、公正取引委員会を応援している学者か大手だった。一時、公正取引委員会は極
めて閉鎖的で、情報をなかなか公表しない。だから、公取と仲良くしていろいろな情報を教
えてもらわないと、学者は研究対象がなくなり、お手上げになってしまうのだ。だから、彼
らは持ちつ持たれつの関係を築いていた.いわば、競争政策の世界での談合だ。
ただ、私は公取に敵意は持っていなかった。むしろもっと強くなって欲しいと思っていた。
当時、公取は虐待されており、しっかりした規制をしようとすると政治的な横やりか入りて、
泣き寝人りせざるを得ない。それで、「吠えない番犬」などと揶揄されていた。その中心と
なって、この弱い公取をいじめているのか通産省だと目されていた。
古くは富士製鐵とハ幡製鐵の合併による新日本製鐵の誕生。巨大な製鉄会社を合併させて、
超巨大な会社にする。この合併により独占に近い状態か生まれるし、その結果、価格が上か
る可能性も十分ある。さらに、戦後の財閥解体、巨大企業の解体に逆行する政策だとして、
公取は阻止に動いたが、政界、経済界の圧力に屈した。
そんなとんでもない政策の旗を振る通産省に協力などできるはずかないという学者ばかり
だった。いま一つ学者がためらった理由としては、日米構造協議以降に高まっていた系列批
判が挙 げられる。
アメリカは主として日本の自動車産業を攻撃するため、テーマに系列を選んだ。アメリカ
の自動車は、日本車より性能がいいはずなのに日本で売れないのは、日本では系列の販売店
でしか販売か許されていないからだ、系列化をやめろ。あるいは、アメリカの部品メーカー
は優秀なのに、トヨタや日産の系列に入らなければ部品は買ってもらえない。日本の系列化
は自由競争を阻害している。これがアメリカの主張だった。
純粋持ち株会社などを認めれば、ますます系列化が進む。そんな時流に反する話には乗れ
ないというわけである。
比較的、柔軟に対応してくれるのでは、と思われる学者に当たっても、通産省に足を運ぶ
のも憚られるという感じで、商法の学者でさえ、大御所には断られた。
それでもなんとか参加してくれる学者を探し出した。座長を引き受けてくださったのは、
成蹊大法学部教授の松下満雄先生である。松下先生は、独禁法では極めて開明的な学者で、
世界の独禁法にも詳しい。欧米の独禁法学会では知らない人はいない方で、前々から日本の
独禁法の問題点を指摘されていた。
松下先生は、通商法でも活躍されており、後にWTO(World Trade organizatjon=世界貿
貿易機関)の最高機関である上級委員会の委員にまで出世し、その分野では大御所におなり
になったか、当時は、なぜか日本の独禁法学会では異端児扱いだった。
アメリカのスタンフオード大学教授の青木昌彦先生も参加してくださった、青木先生は一
時期、もっともノーベル経済学賞に近い学者といわれ、現在はスタンフオード大学の名誉教
授である。日本に帰国していた青木先生に会いに行くと、「ぜひ、やりなさい」と快く参加
を引き受けていただいた。
商法では、東京大学の江頭憲治郎先生にも参加していただいた。これからの商法学会を背
負ってjリつといわれる先生の参加で、会もだんだんと格好がついてきた。あと数名、中堅、
若手の学者に参加していただいた。なかには、反対の世論が高まると、途中で「編されもや
ったなあ.学会で肩身が狭くて困ったなあ」などと言い出す先生もいたのだが、とにかく研
究会の陣容は整った。
経団連さえ二の足を踏んだテーマ
なんとか研究会の目処が立ったので、経団連に報告に出かけた。すると経団連からは思い
もかけぬ話が・・・・・・。
「うちはちょっと・・・・・・時期尚早だという結論になりまして、部会のなち上げは見合わせ
ることになりました」経団連では阿部氏が部会設なに尽力されたが、どうも部会長の引き受
け手がいなかったようだ。世間の批判か怖くなったのか。「えっ」と絶句すると、阿部氏は
「古賀さん、部会は無理でも経団連は誠心誠意応援しますから」という。誠心誠意といわれ
ても、梯子を外されたのか、という思いが頭をよぎる。かといって、すでに先生方には依頼
しているので後には引けず、「誠心誠意応援する」という言葉を信じて研究会の検討を見切
り発車した。
後に分かるのだか、経団連の弓倉氏や阿部氏は、その言葉通り、最後までわれわれを支援
してくれた。
その後の検討の過程では、いわゆるノンキヤリの職員が目を見張る活躍をしてくれた。た
とえば、ある職員か国会図書館でGHQ時代のわら半紙のガリ版刷りの資料を発掘してきて
研究会の教材にした。その資料には、独禁法の草案が作られた頃の議論が逐一記されており、
手に取るようにGHQと日本側のやり取りが伝わってきた。日本側はGHQの要求にかなり
強く抵抗していたのだ。
独禁法の草案を作った委員の一人に当時通産大臣だった橋本能太郎氏の父、橋本龍伍氏が
いた。大蔵官僚だった橋本能伍氏は、吉田茂氏に勧められて政界人りしたが、占領下では内
閣参事官として経済安定本部にいた。このとき独禁法起草作業に携わったとされる。その橋
本氏が「GHQの主張はおかしい」という趣旨の発言をしていた。子息、龍太郎氏か通産大
臣のときに、このような資料が見つかったのは、何かの因縁だろう。研究会は難産だったも
のの、スタッフのがんばりもあって理論武装はかなり堅固なものができ、最終的なまとめの
段階まで来た。しかし、政治的には非常にセンシティプな話なので、結論の方向性を最後ま
で示さないまま、水面下で進めている研究会である。全面解禁を打ち出すことが洩れては、
と 神経を使った。
だが、外部のメンバーもいるので、いつかマスコミに流れる。もし、何もマスコミに話さ
ず記事にされて反対に回られたら、厄介なことになるので、事前に記者たちには事情を説明
し、解説しておいた。「簡単に書いてもらっては困る」と釘を剌して。
ところが、1995年2月12日、毎日新聞の記者が、「持ち株会社全面解禁・・・・・・通産
省の研究会、報告書で提案」と書いてしまった。この記者が悪いのではなく、私の油断が原
因だった。
この記者が応援部隊の一人として通産省にやってきて、挨拶に訪れたときにこの話が出た。
このとき、ストッブしてある話は伝わっているものだと早合点して、書かないという条件を
明示しないで話してしまったのだ。
毎日が記事にしたため、大騒ぎになった。他の新聞社も後追いで記事にしたが、毎日に抜
かれてしまったためか、批判的なニュアンスで書かれていた。さらにしばらくすると、どこ
も社説で「財閥を復活させるつもりか」「系列の不透明な取引をまた強化する気か」といっ
た論調で、明確に反対の意を表明し始めた。
3月になると、とうとう参議院の予算委員会で社会党か取りトげるという騒ぎにまで発展
した。大臣にも詳しい説明はしていないし、公取とも何の調整もしていない。さすがにこれ
はまずいことになったと困った。
このまま大臣が国会に出て行くと、公取から攻撃される。通産省が退却宣言してけりをつ
けるという方法もあるにはあるが、それではいままでやってきたことがすべて水の泡になっ
てしまう。かといって、やるというと、公取と通産省の意見が真っ向から対立し、予算委員
会は閣内不一致で紛糾することは必至だ。審議ストップして大臣の責任問題に発展しかない。
厄介な事態になったので、上司の産業政策局長に相談すると、「任せる」と一言。局長が
無責任なわけではない。彼は後に事務次官になった大物で、これぞ武士というタイプだった。
昼間はテレビで時代劇を見ていることか多い。大枠の指示だけ出しておき、部下が相談に来
ると、なんでも「ああ分かった」と応じる。部下に自由にやらせておき、任せられなくなっ
たら自分が出て行って決着させるというのが彼の流儀だった。普段は細かいことばかりいう
のに、いざという時は腰砕けになったり、責任逃れに終始したりする幹部も多いが、それと
はまったく逆のタイプだ。
政治主導の見本は「機能」
その夜、人臣の答弁を作成した。大臣になんといわせたらいいか-。海外ではどの国も純
粋持ち株会社を容認している。会社経営の自由度を高めるためにも、純粋持ち株会社の導入
が必要だと理由を述べ、駁後にこう表現することにした。
「少なくとも早急に検討に着手すべきだ」
解禁しろなどというのは少し行き過ぎだ。少なくとも国会ではまだ議論さえしていない。
いきなり解禁とは何事だ、と反対派の反発を食らい、入り口で止まってしまう。役所言葉で
いえば「積極的に」といいたいが、それではたいへんな騒ぎになる。しかし、「慎重に』と
するのは変なので、このような表現にした。
これぐらい後ろに下がっておけば、「検討に着手」だから、検討して結論を出さなくても
よい、と読ませるわけだ。もちろん結論を出すことも含まれる。反対派も真つ向から非難で
きないだろうし、ギリギリ前には出て行く感じは残されている。
問題は、橋本大臣に納得してもらえるかどうか-。大臣にはたくさん質問か入っているの
で、大臣室での説明は、2、3分ほどしかない。順番に呼び込まれて、払の番になり、入室
して恐る恐る説明した。
その間、橋本大臣は答弁書に目を落としている。私の説明が終わると、大臣か顔を上げて
いった。
「分かった。これは人事だな」
悠られることを覚悟していた私は、「だけどなあ、今後は気をつけろ」、あるいは「だけ
ど、なぜ、こんなことを俺に黙ってやるんだ」と続くはずの叱咤の言葉を待った。だか、橋
本大臣は無言。江田憲司秘書官(現・みんなの党幹事長)が、「次」と私の後ろの人を呼ん
だ。
橋本大臣が本当に理解してくれたのかは分からなかったが、ともかく怒られずに済んだ。
退室した私は胸を撫で下ろした。
予算委員会では時間か押して、われわれの件に関する杜民党の議員の質問時間は短くなっ
たが、橋本大臣と公取委員長が答弁に立った。案の定、委員長は解禁論をボロクソに批判し
た。「相互持ち合いあるいは系列、企業集団の存在が海外からのわか国市場への参入あるい
は投資の障壁になる・・・・・・今日においても株式所有による事業支配力の過度の集中を防止す
る必要かある・・・・・・。手段であり、企業の系列化、集団の形成強化の核となるおそれのある
持ち株会社を解禁することは・・・・・・。持ち株会社の禁止規定は堅持すべきものである・・・・・・」
むずかしい言葉を並べ立てるのほいかにも公取の答弁だが、要するに、これだけ日本の系列
化が世界から批判を浴びているときに、そんなことをやると世界に恥を防すことになる、独
禁法九条は断固守りぬく、という意味。歯牙にもかけないとはこのことだ。
一方、橋本大臣は、「公正取引委員会からも系列とか様々な御意見に基づいての御批判が
ありますけれども、私は積極的な検討はさせていただきたいものと思っております」と答弁
した。
・・・・・・私は「少なくとも早急に検討に着手すべきだ」と柔らかく書いた。しかし、「積極
的」と大臣はいった。大臣のいい間違いではないかと思った。霞が関言葉で「積極的に」は、
基本的に「やる」という意味だからだ。
ついでに永田町の政治家言葉と霞が関の役人言葉に関して況しておくと-。水引町ぢ葉の
特徴は、「しっかりと」といったあまり意味のない表現で、ニュアンスを出す。菅直人氏が
得意とした言葉だ。一方、霞が関言葉は、どんな些細な表現にも意図か込められている。「
霞が関文学」では「○×等」と「等」を入れた場合、後で拡大解釈するための布石だし、「
前向きに」は『やる」、「慎重に」は、「やらない」という意味だ。
大臣の場合、答弁は官僚が書くのだから、基本的に霞が関言葉である。橋本大臣は普通の
大臣と追って、そういう厳密な言葉づかいを理解できる人である。「積極的に」はやるとい
う意思表示だと解釈して良かった。
大蔵省の橋本内閣倒閣運動
公取がやらないといっているのに、通産大臣はやるという。このまま進めば、委員会がス
トップする恐れがあった。大臣がいい間違えた場合、官僚や秘書官がすぐに訂正するようい
いに行く。
ところが、予算委員会では、われわれ官僚か座っている席は大臣席から遠く、秘書官の席
も少し離れていたためか、結局、その場で大臣の意向は確認できなかった。
そのときは、これはまずいことになったと思ったが、後で分かったところでは、いい間違
いでもなんでもなかった。橋本大臣は、本当にこれはやったほうがいいと考えており、確信
犯的にわざと答弁を変えたのだった。これだけ大きな問題に対して、短時間に咄嵯の判断を
下すとは思えない。前々から橋本大臣がこの件について問題意識を持っていたのだろう。
もう一つ見逃せないのは、当時、橋本大臣には江田憲司氏か秘書官としてついていたこと
だ。彼は、競争政策にも詳しかったので、私は答弁にやや詳細なメモをつけておいた。江田
氏は私のことを信頼してくれていたので、橋本大臣に、これは大事な話だと解説してくれた
ようだ。信頼する側近からの進言も得て、橋本大臣は、自信を持って前向きな答弁かできた
のだと思う。
私は、このときの橋本大臣こそ、政治主導の見本だと思っている。政策に関する緻密な検
討は役人が担当する。その結果を、最終的に閣僚がリスクを取って政治判断する。その際、
絶対的に信頼できるスタッフを持っている。これが政治主導である。
役人が勝手にやったと、責任をすべて役人に転嫁するような政治家では、到底、政治主導は
実現しない。これは2010年秋に起こった尖閣諸島中国船衝突事件でも見られたが、民主
党が政治主導を確立できなかった原因は、ここにもある。
一方、橋本氏の場合、役人のわれわれでさえむずかしいのではと思っていた政策を、自分
の判断でやるといったのだ。まさに政治主導の見本だった。
わたし(たち)の眼からすれば、永田町と霞が関内のコップの中の嵐としか映らぬ「政体」が、
ここではその後の政局→政治経済に影響し、勤労庶民の暮らしに大きな影響を与えることを、
著者の実体験で語られることとなる。それは何のために、誰のためになされるのかと・・・・・。
この項つづく
'Venus and Mars / Rock Show'
Paul McCartney’s 10 Greatest Songs After The Beatles March 6, 2013 12:00 AM
ヴィーナス・アンド・マース/ロック・ショーは、1975年にポール・マッカートニー&ウイングス
が発表及び同曲を収録したシングル。ヴィーナス・アンド・マースに収録されている2曲の短縮
版。曲はポール一人によるギター弾き語りの「ヴィーナス・アンド・マース」に始まり、派手な
展開を見せる「ロック・ショー」へとメドレーで続いている。「ロック・ショー」の歌詞の中には
ジミー・ペイジも登場する。イギリスでは、ヒット・チャートにランキングされなかったが、ア
メリカ、ビルボード誌では、1975年12月13日付けで最高位12位を獲得。キャッシュボックス誌で
は12月6日、13日の2週間、最高位16位を獲得する。