われわれは訓練と装備は供与できるが、戦う意志は提供できない。
カーター米国防長官
「古賀の乱ってなんだ "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
部が実名で証言。発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』
目 次
序 章 福島原発事故の裏で
第1章 暗転した官僚人生
第2章 公務員制度改革の大逆流
第3章 霞が関の過ちを知った出張
第4章 役人たちが暴走する仕組み
第5章 民主党政権が躓いた場所
第6章 政治主導を実現する三つの組織
第7章 役人―その困った生態
第8章 官僚の政策が壊す日本
終 章 起死回生の策
序 章 福島原発事故の裏で
賞賛される日本人、批判される日本政府
2011年3月11日に発生した東日本大震災――。
その後、テレビに映し出される想像を絶する被害、刻々と送られる津波の映像。寒さに震
える10万単位の被災者かいる。そして、福島第一原発では名もない勇者たちが命がけで作
業を続けている。
自分にも何かできないか………お金ではない、いまは物だ、という報道を聞いて、知り合
いのボランティアグループに救援物資を送る。それでも、何もできないという無力感にとり
つかれる。
他方で、ここは大丈夫なのだろうか、放射能汚染はどこまで広かるのだろう――こんな心
配をする自分がいる。そんなことを考えることで、原発の近くで必死に災害復旧のために戦
っている方々に中し訳ないという後ろめたさが心を覆う。何をしても手につかない。そうこ
う思いを巡らせているあいだも、刻々とニュースが飛び込んでくる。
被災地から離れた場所にいる方々の多くは、そんな状況だったのではないか。
3万人近い死者・行方不明者-これだけの惨事のなか唯一の光明は、われわれ日本人が世
界中から賞賛される素晴らしい民であるという事実に改めて気づくことができたことであろ
身を犠牲にして人々を津波から守ろうとした勇者たち、そして忍耐強く秩序を守り、自力で
立ち上がろうとする人々、苦しいなかでも思いやりと助け合いの心を行動で示す被災者たち
………世界のメディアが賞賛し、世界中に共感と支援の輪か広がった。涙が出るほど嬉しい
ことだった。
他方、地震後の日本政府の対応には世界中から非難の声が集中した。日本政府を賞賛する
論評は、残念なから、私は見たことがない。原発事故対応を含め、日本のメディアか政府批
判を抑えるなか、海外の論調は総じて厳しかった。
私かもっとも驚いたのは、震災が起きるやいなや、信じられないことに、これを増税のた
めの千載一遇のチャンスととらえる一群の人たちが即座に動き姶めたことだ。震災対応より
もはるかにスピーディな反応。驚くというより悲しかった。
一方、震災直後の週末を挟んだ3月15日、「無」計画停電実施発表の混乱か続くなか、
関東各地の税務署には長蛇の列ができていた。政府の心ない連中が自らの利権維持に汲々と
しつつ国民に負担増を求めようとしているのに、地震でも、停電でも、真面目に納税しよう
という市民の涙ぐましい姿だ。私は、この国の民はなんと素晴らしい人たちなのだろうと思
うと同時に、行政府の一員として本当に中し訳ない気持ちになった。
絶対に安心と聞かされてきた原発-どんな地震でも大丈夫だと、われわれは思い込まされ
てきた。反論したいと思ったことは何度もある。しかし、それだけの根拠となるデータを持
ち合わせていなかった。
4基で、いや、六基といっていいだろう、同時に生じた大事故。眼前の事実はすべての迷
信をいとも簡単に覆した。
それでも、政府は当初、「事故」ではなく「事象」といい続けた。「爆発」が起きても、
「大きな音が聞こえた」「白煙が上がるのが目撃された」「しかし何か起きたのかは分から
ない」という東京電力に対して、「情報が遅い」といって総理か怒ったという話が流れた。
永田町と霞が関の悪いところが集中的に出てしまっている、そう感じた。
しかし、私は当初、こういう事態は経験のないことだから、いくつかの不手際が起きても
やむを得ないと思った。失敗をあげつらうより、いま何をすべきかに集中すべきだと思った
のだ。心を一つにして国難に立ち向かうべきだと。
そして、マスコミも批判を抑え、国民に冷静な対応を呼びかけ続けた。国民が一致協力し
てがんぱろうというキャンペーンを展開した。
「想定外の地震」「想定外の津波」「想定外の原発事故」………すべてが「想定外」の一言
で許される、そんな空気が支配した。
みんな必死で戦っている。自分のためだけではない、みんなのために戦っている。国民は
そう信じた。
しかし、そうしたなか、最初の数日で、私の心のなかにどうしようもない違和感か募って
いった。
官房副長官「懇談メモ」驚愕の内容
「節電啓発等担当大臣に蓮前大臣」「災害ボランティア担当総理補佐官に辻元清美議員」
「菅総理が現地を視察」、そして「菅総理の会見」……しかし、そのいずれも危機対応のた
めの具体的な措置ではなく、政権浮揚のためのパフォーマンスではないか。私にはもっとも
大事な初動の数時間、政府の危機感が伝わってこなかった。こうした一連の行動を見て、安
心感か高まったという国民はいただろうか。
むしろ、この震災を「政権浮揚」の最大の機会と考えているのではないかとさえ感じた人
々も多かったのではないか。地震の直前まで外国人献金問題で追及を受けていた菅政権。そ
こに未曾有の大震災。緊迫した政局にとりあえずタオルが投げ込まれた、という感覚を持つ
のは不謹慎ではあるが、政治家であればある意味自然だったかもしれない。
しかし、マスコミから回ってきた官房副長官の一人の懇談メモを見て私は驚いた。「これ
は間違いなく歴史のてヘージになるよ」と高揚した発言。開いた口か塞がらないとはこのこ
とだ。
現場や東電、原子力安全・保安院、そして官邸で起きていることが目の前に浮かぶ。おそ
らく、この最初の数時間で、来電や官僚の官邸に対する不信感は瞬く間に頂点に達したであ
ろう。そうなれば、官邸もまた彼らに不信感を持つ。負のスパイラルだ。
これほどの危機にありながら、以後おそらくすべての連携がうまくいかなくなる。そして、
対応が後手後手に回るだろうという確信か芽生えた。
危機管理の要諦はいくつかある。アメリカの人気テレビドラマの「24」をご覧になった方
は多いだろう。常に危機管理の話なのだが、それは日本でも同じはずだ。事が起きたらまず
何をするか―一2011年3月の原発事故に当てはめると、次のようになるだろう。
まず、現場に総理直結のスタッフが真っ先に飛ぶ。最高の能力と体力と度胸も兼ね備えた、
総理が無条件で信頼できる者でなければならない。総理との関係は分からないが、イメー
ジだけでいえば、民主党では、たとえば馬淵澄夫氏のようなタイプだろう。
実際にはその代わりに総理自らが原発に飛んだ,しかし、もちろん現地に政府の基地を設
置したわけではない。もし、そのときに爆発などが起きていたらと思うと、ぞっとする。
次に官邸との直接の通信手段確保のため基地局を設け、テレビ回線で常時会議が現地との
あいだでできるようにする。こうすれば現地の情報がリアルタイムで官邸に届く。このとき
は東電にはそのシステムがあったが、官邸にはなかった。しかも、官邸は驚くことに、当初、
来電の情報を経度省原子力安全・保安院を通して収集していたという……。
東電は民間企業とはいえ、お役所体質と隠蔽体質ではおそらく役所以上であることは累次
の原発不祥事を追及してきた民主党の政治家が知らないはずがない。情報は、社内を出るま
でに何重ものスクリーニングを経なければならず、しかも、一番重要な、すなわち悪い情報
ほど出てきにくいシステムになっているはずだ。
経産省でも、入ってきた情報はまず、幹部に上げなければならない。それから官邸に届く。
菅総理が、情報が遅いと怒鳴ったという報道があったり、官房長官も情報伝達が迅速にいか
ないことに苦言を呈する場面があったが、これは本来あってはならないことである。
国民のあいだに、「この人たちは何か起きているのかよく分かつていないのだ」「東電は
情報を隠しているのか」という疑心暗鬼が広がり、ただでさえ不安に駆られている国民を、
さらに、心配させてしまうからだ。アメリカの大統領なら、万全の情報収集態勢を敷いた
うえで、「みなさん安心してください。われわれはすべての情報をリアルタイムで把握して
います。必要な情報は直ちにみなさんにお伝えします」といったであろう。
次に大事なことは、関係者間の情報の共有と共通認識に基づいた対応策の決定である。ア
メリカのテレビドラマ「24」でよく目にする場面。テレピ画面の前で、閣僚や軍の幹部が一
堂に会し、スタッフが情報を、画像で示されたデータを駆使しながら詳細に報告。対応策の
オプションについて議論し、方針を大統領が決断する。
こうすれば、情報と認識が幹部や主要スタッフのあいだで共有されるので、その後の行動
に不整合が生じず、迅速な対応が可能となる。
報道された総理動静を見ていると、時折会議は開かれるか、それもセレモニー的。具体的
な対応策について議論したり決定したりしているというより、パフォーマンス的な色彩が強
く感じられた。むしろ、個別に各省幹部や専門家が呼び込まれ、その都度、総理から指示が
なされていたようだ。
これでは、一糸乱れぬ迅速な対応は期待できない。
その後の原発事故対応を見ても、さまざまな問題点が浮かび上がる。
総理が現地に飛んだことは、初動対応で極めて負荷が高くなっていた官邸スタッフにさら
なる負荷をかけた。総理の意図がどうであったにせよ、対応の準備ができていない段階でい
きなり総理が現地に入るとなれば、そのときの官邸スタッフは、あらゆる準備をしなければ
ならない。相当な労力がそこに割かれることになる。その間、当然ながら他の業務の処理速
度は遅くなる。
原発に関する情報が思うように入らなかったからといって、総理が現地に行く必要がある
か。答えはNOだ。トップ自らが現地に乗り込み政治主導をアピールしようとしたという説
もあるが、そうだとすると、政治主導のはき違えもはなはだしい。
その後、総理は既存の原子力安全・保安院や原子力安全委員会への不信感から、同窓の東
京工業大学卒の専門家の助言を得ることにした。しかし、これは政治主導ではなく、個人と
しての「政治家」主導に過ぎない。もちろんさまざまな意見を聞くのは良いか、国家の組織
を動かせない総理か果たして国難に対処できるのか。この答えも、もちろんNOだ。
民主党の政治家のなかには、政治主導を官僚排除と同義だと考えている人たちが多いよう
だ。政務三役のなかには、自ら電卓をたたくパフォーマンスを見せた人もいるくらいである。
天下太平の世の中ならそれでも良いのかもしれないが――。
「ベント」の真実
3月末から4月にかけて一時「ベント」をめぐる官邸と東電の争いがあった。争いといっ
ても表向きではなく、おたがいマスコミに対してそれぞれの主張を宣伝し合うというかたち
で展開された。
詳しい事情は不明だが、報道によれば、福島第心匹発一号機の圧力容器内の圧力が上昇し、
容器の破損が懸念された。そうした深刻な事態を防ぐため、容器内の水蒸気を外部に逃がす
ベントという作業を行うことになった。官邸では当初、3月11日深夜に、その方向性が事
実上決まっていたのだが、実施されたのは翌12日午前10時過ぎ。
3月下旬になって、この遅れは、総理の現地視察の準備に追われたため、あるいは、総理
が現地にいるあいだは放射性物質を放出できなかったため、などという憶測かなされ、官房
長官の会見でも質問された。当初はあまり真面目に取り合わなかった官房長官だったか、マ
スコミからの批判は日に日に強まった。すると一転、ベントを総理が指示していたにもかか
わらず、東電がそれを遅らせたのだという解説か官邸筋から流され、テレビ朝日の「報道ス
テーション」に出演した寺田学・前総理補佐官もそう説明した。
しかし、もし総理がどうしてもベントか必要だと判断したのなら、ただ東電に法律(原子
炉等規制法)に基づいた命令を発すれば良かった。
ベントによって何をするかといえば、放射性物質を外部に出すのだ。どれくらいの濃度か
も分からない。軽々にやって、事故が小規模で終わったとしたら、後で「なぜベントしたの
か」と怒られるかもしれない。世論だけでなく、政府だって掌を返して束電を批判するかも
しれない。普通はそう思うだろう。だからこそ、「政府が責任を取るから心配しないで開け
なさい」というメッセージを送る「命令」が用意されているのだ。
それをなぜすぐに使わなかったのか。命令できることを知らなかったのか。官僚か知らな
いはずはない。総理にそれを上げなかったのか。だとすればサボタージュだということにな
るし、総理の信頼するスタッフが無能だったということになる。知っていたが、東電の判断
でやれといったのかもしれない。だとすれば責任逃れである。
政治主導とは、本来、官僚排除ではない。政治と官僚のどちらが主導するかという話であ
る。官僚主導など本来はあってはならない。政治が主導し、官僚はそれをサポートし、それ
に従って政策を実施する。当たり前のことができていなかったようだ。
そして、リーダーの一番大事な資格-それは、リスクを取って判断し結果責任を負う、と
いうことだ。総理にその覚悟かなかったのか、あるいは官僚が自分たちの責任を逃れるため
に東電に判断を押しつけようとしたのか・・・・・・。
東電の序列は総理よりも上なのか
ところで、正式な命令かなかったとしても、時の総理か指示したのなら、普通は黙って従
いそうな気もするが、なぜそうならないのか。
もちろん、東電がお役所体質であり、形式を整えないと動けない、そして自分でリスクを
取れない、そんな組織だったという面もあると思う。しかしそれよりも、来電は、時の総理
の指示を相当軽く考えていたのではないか-これが私の見方だ。
私は過去に電気事業関係のポストに就いた経験のある同僚から、「東電は自分たちが日本
で一番偉いと思い込んでいる」という話を何回か聞いたことがある。その理由は後にも書く
が、主に、東電が経済界では断トツの力を持つ日本最大の調達企業であること、他の電力会
社とともに自民党の有力な政治家をほぼその影響下に置いていること、全国電力関連産業労
働組合総連合(電力総連)という組合を動かせば民主党もいうことを聞くという自信を持っ
ていること(電力総連会長から連合会長を務めた笹森清氏は菅政権の内閣特別顧問)、巨額
の広告料でテレビ局や新聞などに対する支配を確立していること、学界に対しても直接間接
の研究支援などで絶大な影響力を持っていること、などによるものである。
簡単にいえば、誰も東電には逆らえないのである。
テレピ局の報道も、福島原発の事故が発生した当初は、市電を批判する論調ではなかった。
経営幹部の影響下にある軟弱なブロデューサーは、市電批判につながる内容になると、直
ちに批判色をなくすよう現場に強力な命令を下したという。
ところが、おもしろいことに、河野太郎衆議院議員がプログなどで市電とテレピ局の癒着
を糾弾すると、視聴者からの批判が相次ぎ、癒着批判を恐れたテレビ局が、急に掌を返した
ように市電批判を始めたのである、しかし、その背景には、当初はまだ東電の力は侮れない
と思っていたテレピ局も、4月に入ると、その経営が今後苦しくなるという見通しを持ち始
め、スポンサーとしての価値がないと判断したという面もある。
いずれにしても、少なくとも事故発生当初は大惨事になるとも思わず、過去の自分たちの
力を信じて、「総理といえども相手にせず」と考えていたとしてもまったく不思議ではない。
それは、事故後に「血圧が高くなった」などという理由で一週間も入院してみせた社長の態
度に如実に表れているのではないか。
だからこそ、官邸は、一刻も早く伝家の宝刀である法律に基づく命令を出す必要があった
のである。
天下りを送る経産省よりも強い東電
「まえがき」にも書いたが、2011年1月、世間の耳目を集めた話題として、前年の夏ま
で資源エネルギー庁長官を務めていた経産官僚が東電に天下ったという事実がある。
この事実は、経産省がその電力事業に対する規制権限を背景にして天下りを押しつけたと
いうように見える。しかし、天下りの多くの場合がそうなのだか、通常、天下りは双方にと
ってメリットがある。つまり東電側は、規制に関して経産省がさまざまな便宜をはかってく
れると期待している、こう考えるのが普通だ。
だから、持ちつ持たれつ、といいたいところだが、少し事情は違う。通常の時期はそうし
た平和な状態か続くのだが、こと電力の規制緩和というような大きな問題になると、両者は
時に衝突することもある。過去何回か、電力の規制緩和が推進された時期がある。そしてそ
のたびに、両者の間に主導権争いがあり、政治家や学者、マスコミを巻き込んだ大戦争か起
きた。そして、必ずといっていいほど毎回、経産省内の守旧派が力を増し、改革派がパージ
されるという歴史が繰り返されてきた。
当初はいつも改革派がリードする。マスコミもこれを支援する。しかし、大詰めを迎える
といつも、なぜか審議会では優勢だった改革派の多くが妥協案に乗り、最後までがんばれる
委員はほとんどいなくなる。
電力業界には競争がない。ここに競争を導入して電カコストを下げることは、消費者にと
っても産業界にとっても望ましい。
自由化の議論のもっとも先鋭的なものが、後に書く通り、発電会社と送電会社を分離する
発で送電分離。このテーマについて本気で推進しようとした官僚か何人かいた。あるいは核
燃料サイクルに反対しようとした若手官僚もいた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、
多くは経産省を去った。後述するが、私も十数年前、発送電分離をパリのOECDで唱えた
ことがあるが、危うく日本に召喚されてクピになるところだった。その理由とは何だったの
か――。
そして逆に、東電とうまく癒着できた官僚は出世コースに残ることが多かった。東電なら
ば、政治家への影響力を行使してさまざまなかたちで経度省の人事に介入したり、政策運営
に介入したりすることも可能だといわれている。
こうした巨大な力を見せつけられてきた経度官僚が、本気で東電と戦うのは命懸けだ。つ
まり、政治家も官僚も来電には勝てない。そう来電が過信していたからこそ、福島原発事故
で初勤の蹟きが生じたのかもしれない。
「日本中枢の崩壊」の縮図
東電の問題を今後どう解決するのか-私は一つの私案をまとめて経産省の官房長や資源エ
ネルギー庁の担当課長などにそれを伝えた。そして、それを経済誌『エコノミスト』に寄稿
しようとした。しかし、それは官房から止められた。
「そんな売名行為は認められない」というのだ……思いもよらない批判に対して、なるほ
どそういう見方があるのだなと驚くと同時に、締め切り間際だつたということもあり、調整
の時間もなかったので、そのときは引き下がった。
しかし、経産省内部の密室で議論するよりも、早い段階でさまざまな論点を国民の前に出し、
それをもとに議論をしてもらうことは有益だと思った。私は電力関係を担当しているわけで
はなく、まったく所管外だから、それが経度省の立場だと誤解されることもないだろう。個
人の意見として、一国民の意見として提言することは悪いことではないし、むしろ社会に貢
献することになると思う。
「売名行為」だというのは、その人がそういう願望を持っているからそう見えてしまうんだ
よ、気にすることないよ」と、ある財界人はいってくれた。そのとき賞詞長に送った資料は
巻末に補論として添付した。
さて、ここまで、福島原発事故の最初の一日のごく一部の出来事を振り返りながら、いく
つかの問題に触れた。日本の政治行政にはさまざまな問題があると痛感し、不安を感じた読
者も多かったのではなかろうか。
ちょっと思い出してみただけでも、次のように多くの論点が出てくる。
まず、総理のリーダシップの問題と政治t導の在り方。民主党に政治主導かできないのは
なぜか。リーダーシップ発揮のための条件は何か-。第一章で述べる国家戦略スタッフのよ
うな自前の強力なスタッフが必要なのである。これがあれば大分ちがった展開になったので
はないか。
リーダーシップとして重要な要素、それは、危急時にこそリスクを取って判断し、責任を
取る姿勢だ。そして、その姿勢を官僚をはじめとする他のプレイヤーが信じられるかどうか、
これか問題になる。
日本の政治家や官僚の組織力の問題もある。緊急時に、日本の美徳「チームワーク」だけ
で乗り切れるのか。がんばっている証しが徹夜徹夜の勤務という評価軸では、かえって時間
を浪費して決断できないという罠に陥る。
そして、モノ作りや技術カヘの偏重と過信もある。日本の原子力発電は絶対に安全だとい
っていたが、それがいかに空虚なものだったか。アメリカのいう通りに原子炉を冷却し、窒
素を注入するなど、まったく主体性は見えなかった。それ以外でも、日本の膜技術は世界一
といっていたが、放射能除去技術でフランス企業に教えを請う。ロボット技術は世界一と自
慢していたか、結局なかなか使えない………
官僚の情報隠蔽体質が所管業界にまで蔓延している事実も挙げなければならない。安全規
制が、国民のための安全規制ではなく、官僚自らの安全を守る規制になっていることもそう
だ。
2011年4月30日に内閣官房参与を辞任した東京大学教授の小佐古敏荘氏は、放射性
物質の健康への影響や放射線防護策の専門家として、福島県内の小学校や幼稚園などでの被
曝限度を年間20ミリシーベルトと設定したことを、「とても許すことかできない」と批判
した。約8万4千人の放射線業務従事者のなかでも20ミリシーベルトもの大量の被曝をす
る者は、平常時では極めて少ない、というのだ。これなども、政府や文部科学省の官僚が責
任を問われないようにあらかじめ上限を引き上げておこうとしたのだとすれば、国民はなん
のために税金を払っているのかわからない。
福島原発の嘔故処理を見て、優秀なはずの官僚がいかにそうではないか明白になった。い
や、無能にさえ見えた。専門性のない官僚が、もっとも専門性が要求される分野で規制を実
施している恐ろしさ。安全神話に安住し、自らの無謬性を信じて疑わない官僚の愚かさ。想
定外を連呼していたか、すべて過去に指摘を受けていた。ただ、それに耳を貸さなかっただ
け「想定外症候群」と呼べる。
原子力村という閉鎖空間にどっぷりつかってガラパゴス化した産官学連合体も恐ろしい。
しかし、これらの問題は、決して今日に始まったことではない。何十年間という歳月をか
けて築かれた日本の構造問題そのものである。未曾有の危機だから、それが極めて分かりや
すいかたちで、国民の日の前に晒されたに過ぎない。「日本中枢の崩壊」の一つの縮図が、
この危機に際して現れた、そういって良いだろう。
政体では巨大な企業団体組織の自己増殖をどのように制御するかの具体例がここでは語られてい
る。労働組合という相互扶助・同伴運動の最前線で関わっていた経験から言うと、個人的には立
派な人格者建ちも組織の渦中に埋没、あるいは結果として反動していく様を目撃してきたが、こ
れに抗う原則の「弱者のサイドに同伴・支援・組織化」を、厳しい現実の中、面倒で、辛くとも
堅持してきた。さて、次回は第1章に移ろう。面倒でも辛くても挟持してきた。
この項つづく
カーター米国防長官は24日放送のCNNテレビのインタビューで、過激派組織「イスラム国」に
イラク中西部アンバル州の州都ラマディを制圧されたことに関し「イラク軍が戦う意志を見せな
かった」と述べ、イラク政府軍の士気の低下が過激派組織の伸長を許したと批判したという(上
図)。長官は「イラク軍は数の面で敵をはるかに上回っていたが、戦わずして撤退した。過激派
組織と戦うイラク軍の意志に問題がある」と指摘。「われわれは訓練と装備は供与できるが、戦
う意志は提供できない」と述べ、軍の士気を立て直すようイラク側に求めたという。
しかし、イラク軍の厭戦感を叱咤するなどというこは、気持ちとしてわかるが、お門違いだと考
える。ここまでこじらせてきたのは、欧米、旧ソ連(現ロシア)・中国、イスラエルあるいは中
東関係諸国でありイラク兵達こそ憐れな被害者ではないか。蓋し、戦闘を端緒を切るのは容易だ
が、終結・撤退・収拾が困難であることは自明のこと。厭戦を叱咤する愚とは、この様なことを
さすのであろう。
「高橋洋一の俗論を撃つ」(2015.05.21 ダイヤモンドオンライン)で「集団自衛権を行使しない
のは国際的には非常識だ」を掲載していたので目を通したが、残念ながらこれこそが「俗論」と
いう感想に至る。例えば、中国が国際法を破り南沙諸島でフィリピンとベトナムと交戦状態に陥
った場合、国連で非難決議動議が常任理事国会議で中国側の拒否権で採択(ロシアは棄権ないし
は中国側に同調するかもしれな)→国連加盟国の多数から、直ちに、ソフトパワーの行使(人・
モノ・カネに交流停止ないしは封鎖)の同意を獲得し→同調諸国行使→中国は反発あるいは戦況
拡大→被害2国から軍事的支援要請→賛同国(米国・旧英連邦諸国・東南アジア諸国)が支援・
参戦→日本は軍事物資支援限定で国内意見を統一し、非派兵(=自衛隊派遣)条件支援→中国が
戦況拡大した場合、再度常任理事国会議で除名勧告を動議→臨時加盟国総会開催で中国の除名勧
告動議の上、2/3以上の賛同取り付ける→中国抜きで(自動的そのようになるだろう)国連軍
の派遣を動議→国連軍編成派兵(ここでは日本国内で派兵(範囲の規定化の上)動議し上態度決
定)→国連軍に自衛隊を加入編成し参戦・・・・・・というイメージがわたし(たち)が想定する集団
自衛権行使の――現実の中国はこのシナリオは決して選択しないし、するとしてもその前にロシ
アと同盟関係を結び、フィリピンやベトナムを宥めるようなあらゆる対抗措置を練ってくる――
イメージ(シナリオ)である。これは1991年に想起した考えを元にイメージものである。
この項つづく