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Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
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独立自尊時代

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   発明は恋愛と同じです。苦しいと思えば苦しい。
               楽しいと思えばこれほど楽しいことはありません。
                                
                            本田 宗一郎

 

● バルーン振動式風力発電システム

「羽根のない風力発電登場」(『一本足打法の風力発電機』2015.05.24)で空気の流れによる渦
(ヴォーテックス)の力で上のほうが大きく揺れる。内部の下に組み込まれた反発する2枚の磁
石により、揺れにより生じる上下の動きで電力を発生させる。通常の発電機と同様に、電磁誘導
の作用で機械エネルギーを電気エネルギーへ変換する風力発電機の話題を取り上げが、風船(バ
ルーンの形状は微風でも激しく揺動するもの)を上げて、水平方向の揺動を上下運動に変換し振
動発電すればと考えてみた。

   US9033665B2 Propulsion device using fluid flow

これをイメージしたのが下図である。この新規技術の鍵部位は アンカーから立ち上がる繋留ワ
イヤと支柱との接触リングである。繋留ワイヤはバルーン用ガス(水素、ヘリウムなど)供給用
チューブ兼用で可撓性と伸縮性と気密性の富んだプラスチックチューブを使用し、チューブとバ
ルーンの接合部は特殊な弁と圧力センサを装備配置し圧力が降下すればガスを注入できる機構を
もつ。また、バルーンと繋留支柱のレベルは動機させる必要があるために支柱も伸縮できる特殊
なロック構造を持たせてあるが、バルーンの回収時はロック解除できるような行動になっている。
さて、接触リングには特殊な潤滑グリスを施し摩耗を防止しバルーンの揺動を上下運動に変換し
アンカー部にある電磁式発電器で電気エネルギー変換するものである。 このシステムの特徴は、
最適風力を得るためのレベル選択の自在性にある。


なお、発電器の一例として下図のブラーザー鉱業の新規提案を参考に掲載する。図1の下部のス
プリング(発条機構)と軽量で強靭でガス機密性をもつ繋留ワイヤが接続されている。また、こ
の図では巻き取り機構は掲載していないが、これにういては別途考案し、時宜をえて掲載する。
さらに、試作段階で、バルーンの長時間の機密性保持時間を保証するデータが提出されれば、ガ
ス注入機構とこれと関係する機構を排除し、量産試作に移し確認実証の上、実用量産入る。

 
まぁ~、これが成功すれば、「再生可能エネルギー百パーセント時代」は、この極東はジャパン
グから始まるから、当に「 ごくとうごくらく」(極東極楽)ということになり、めでたしめで
たしである。



   

【日本の政治史論 17:政体と中枢】 

 「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE"」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。  

   福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)  

                            古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』    

    目 次    

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策     

  第1章 暗転した官僚人生 

                                                                             官房長官の恫喝に至る物語

 「ざっきの古賀さんの上司として、一言先はどのお話に私から話をさせていただきます」
 「 私は、小野議員の今回の、今回の、古賀さんをこういうところに、現時点での彼の職務、
 彼の行っている行政と関係のないこういう場に呼び出す、こういうやり方ははなはだ彼の将
 来を傷つけると思います……優秀な人であるだけに大変残念に思います」

  2010年10月15日の参議院予算委員会、仙谷由人官房長官のしわがれた声が議場に
 響いた。と、その瞬間、「何をいっているんだ。(参考人の)出席は委員会が決めたことだ
 !」「恫喝だ!」という怒声が飛び交い、議場は騒然となった。
  その後、繰り返しテレビで放映されることとなったこの場・『私は、驚き、困惑して事態
 を見守っているしかなかった。

  この日の朝、私は出張先の四国から急速、呼び戻された。午後の予算委員会の小野次郎議
 員の質疑に出席を求められたからだ。どうして、このような事態にかち至ったのか。実は長
 い物語がある・・・・・・。



  それは、当時の自民党衆議院議員・渡辺喜美氏(元・みんなの党代表)が2006年12
 月に行政改革・規制改革担当人臣となったときに遡る。 
  後でも詳しく触れるが、私は、改革を目指す政策を推進していたため、守旧派の経済産業
 省幹部に疎まれ、その年の7月に中小企業基盤整備機構という独立行政法人に飛ばされてい
 た。しかも、それまでのストレスかたたったのか、同じ月に人腸がんの手術をして、抗がん
 剤を飲みながら闘病を続けていた。

  そのような状況にあった仏のもとに、渡辺人臣から、「ぜひ会いたい」という電話が入っ
 た。人臣室を訪れると、「今度大臣に就任したので、補佐官として自分を助けて欲しい」と
 いう要請だった。
  私はそれ以前から渡辺大臣とは親しくさせていただいていた。尋常でない馬力を持ち、信
 念と実行力のある、最近では珍しい政治家だと思っていたので、思い切った改革に身を投じ
 るには絶好の機会だと思った。ゆえに、本来であれば二つ返事で馳せ参じたであろう。
  しかし、私のそのときの状況は、それを許すほど甘いものではなかった。手術後に腸閉塞
 を患うなど経過が思わしくなく、体力は極限にまで落ち込んでいた。抗がん剤の副作用で、
 電車通勤するだけでも全精力を使い果たしてしまうと感じる毎日であった。

 「手伝いたいのはやまやまだ、しかも、これから急速に体力が回復するかもしれない」――
 その場で様々な考えが頭のなかを駆け巡る。しかし、自分かやりたいという熱意だけで引き
 受けるのは無責任だ。もし、途中で私が倒れれば、まったく経緯を知らない代役を’リてて
 官僚と戦わなければならなくなる。しかもそのリスクはかなり高い。そんな状態でこの大役
 を引き受けろわけにもいかず、このときは涙を呑んで断った。
 
  しかし、後にそれが大正解だったことか分かる。私は翌年3月、また腸閉塞で倒れ、虎の
 門病院に担ぎ込まれたからだ。ちょうど渡辺大臣のチームが国家公務無法改正案をまとめて、
 まさに官僚と大戦争を行っている最中である。苦しさにあえぎながらも、『やっぱり受けな
 くて良かったな」と、自分の判断の正しさに妙に感心していたのを思い出す。

  ただ私は、渡辺大臣のオファーを断るときに、「私よりももっと役に立つ男がいますとい
 って、代わりにある若手官僚を渡辺大臣に紹介していた。それが、後に渡辺大臣の補佐官に
 就任し、自民党の参議院幹事長だった片山虎之助参議院議員や、財務官僚で官邸を事実上牛
 耳っていた坂篤郎官房副長官補と大立ち回りを演じて勇名を馳せた原英史氏(現・政策工房
 社長)である。

  彼が経産省の取引信用課長時代、厚氏は隣の消費経済課の課長補佐。一緒に法律改正など
 をした仲だった。しかし、私と彼はそれほど親しい間柄ではなかった。ともに法律改止を行
 う課長と課長補佐なら普通、補佐のほうから調整のため、いろいろと話を持つてきたり、国
 会回りをするときには課長に気配りしたりするので、当然、ある程度親しくなっていく。し
 かし、原氏は、他の補佐とはまったく違って、必要なこと以外は一切話さない。「ずいぶん
 クールな奴だ」と思っていた。しかし、仕事は飛びきりできるのである。

  実は、こういう素質が重要なのだ。つまり、仕事はできるが、上に変におもねることはな
 く、筋の通らないことを頼まれたら平気で断る、そんな人間。芯がしっかりしているのに加
 えて、できる男にありがちな出世願望もない。彼の能力とともに、この独特の強さは、渡辺
 喜美氏に通じるものがあると感じた。
  おもしろいことに、渡辺大臣と原氏にはもう一つ似たところがあった-即断即決だ。
  私が原氏に電話で事情を説明し、「渡辺大臣の補佐官になる気があるか」と聞いたとき、
 もちろん即答は期待していなかった。しかし、彼は一つ返事で「ああ、やりますよ」と即答
 したのだ。一瞬たりとも考える様了はなかった。私は大いに心配になって、「これをやると
 霞か関すべてを敵に回すことになるかもしれない。嫌だったら遠慮なく断っていいんだよ」
 といったか、「いや、大丈夫です」と何の迷いもないかのようだ。

  私は、「こんなに簡単に決めていいのか、もっと考えたほうがいいのに」「自分が声をか
 けたがために、彼はとんでもなく困難な人生に身を投じることになるのではないか」と、少
 し後悔したか、彼の微塵の迷いもない声を開いて、すぐに渡辺大臣に彼を紹介することにし
 た。
  渡辺大臣に原氏を紹介したのは内開府の大臣室であった。渡辺大臣は、私が紹介したとい
 うだけで完全に堅氏を信頼している。10分程度雑談しただけで、「よろしく頼む」と採用
 を決めた。そして、すぐに経産省に電話し、彼を一本釣りしたのだ。’よくもこんなに簡単
 に、自分にとって一番重要な人事を決めるものだ」と、そのとき払は心底驚いた。このよう
 に、渡辺大臣も即断即決の人なのだ。


                             官房長室への呼び出し

  しかし、一つ誤算かあった。私か原氏と.緒に大臣室に入ったという情報は、その日のう
 ちに内閣官房、経産省や財務省に流れていた。このため、後になって私が原氏を渡辺人臣に
 紹介したことか明らかになり、その後原氏が活躍すればするほど、私の霞が関での評判は悪
 くなっていったのだ。
  私は原氏一人にこの大役を押しつけるのは中し訳ないと思い、原氏をサポートする若手を
 一人つけるべきだとも思った。それが、金指壽(ひさし)氏だ。私の部下として働いたこと
 もあり、どこに出しても恥ずかしくない超一級の能力を持つ若干。彼も「ぜひやりたい」と
 いうことで、原氏をサポートすることになった。

  しかし、ここでおさまらないのが経産省の幹部である――。
  省内の職員の人事は大臣官房の仕事だ。たとえ管理職の人事であっても、大臣の意向など
 ほとんど関係ない。すべて參務力がお膳立てして、大臣はそれを追認するだけ。ところが、
 あろうことか、自分の大臣でない、しかも自分たちが「改M7‐派の跳ねっ返りだ」と馬鹿
 にしていた。
  渡辺氏が、大臣になったその勢いで、よその役所の役人、すなわち自分たらの部下を勝手
 に連れていく-とんでもないことだ。
  しかも当時、厚氏と金指氏はともに中小企業庁に属し、法律改正などの重要な職務につい
 いた.それを二人まとめて一本釣りされたのだ。通常は、一本釣りなどしないで、経度省の
 官房長などに打診をして、もし難色を示されれば、「じやあ他の人を推薦してくれよ」とい
 う手順を踏む。嫌だというのに無理やり連れていけば、その後、経度省との関係は悪くなる
 から、普通の大臣は諦めるのだ。現に、その後、私を使いたいといってきたある政治家は、
 経度省に打診して断られたら、あっさり諦めて、他の職員を登用した。

  しかし渡辺大臣は、そもそも経産省に打診する前に、本人たちと会って採用を内定してし
 まったのである。役所から見れば言語道断のやり方。ただ悲しいかな官僚は、他省庁の大臣
 とはいえ、本気になられると表以って・刃向かうわけにはいかない。あるいは、経度省はそ
 の程度の力しかないと見ても良いだろう、

  官僚にとってもっとも重要な権限である人事権を政治家には鯛されておもしろいはずがな
 い。その矛先は私に向かった。
  ある日、私は経産省の官場長室に呼ばれた。「渡辺大臣とは仲がいいのか」「渡辺大臣室
 に行かなかったか」「原君を紹介しなかったか」など、そんなことを遠回しにねちねちと聞
 いてくる。本当は私が二人を紹介したと確信しているのに、証拠がないからはっきりそうと
 はいわない。払は適当にはぐらかしながら、最後はこういった。
 
 「でも、官房長、良かったですね。行政改革とか公務員制度改革とか、これからの政府の最
 重要課題ですよ。その担当大臣に経産省の職員を使ってもらえるんだから、本当に名誉なこ
 とですよ,そうでしょ?‘
  私は心底そう思っていたのだが、相手からすれば、実はこれは最大級の嫌からせである。
 なぜなら、建て前上は、私のいうことは正し≒官房長としてはこれを否定したいが、もし否
 定してそれが外に伝われば、「改革を妨害する」といって叩かれる。他方、「その通りだ」
 といってしまったのでは人事権を放棄したことになるし、私の行為を事実ト追認してしまう
 ことになり、官房長としての浩券にかかわる。完全にディレンマに陥るのだ。
  結局、官房長は、黙ったまま苦虫を噛み潰したような傾をしていた。


                           安倍総理退任の襄で官僚は

  さて本題に戻ろう。公務員制度改革の流れは、実は安倍音二内閣から始まっている。ただ、
 2006年に政権に就いた安倍総理は当初、公務員制度改革にはさほど熱心ではないと見ら
 れていた。著書の『美しい国へ』のなかで公務員制度改革に言及した部分はなかった。
  そもそも自民党政権は、公務員制度改革に積極的だったわけではない。改革の権化のよう
 にいわれる小泉純一郎総理でさえ、天下りをはじめとする公務員制度改革には遂に手をつけ
 ることはなかった。それほどの難題になぜ安倍晋三総理が取り組んだのか――。

  ここから先は、私の推測だが、安倍総理は「戦後レジームからの脱却」を掲げて教育改革
 など様々な分野で野心的な施策を打ち出そうとしていた。しかし、戦後レジームからの脱却
 というほどの大改革を実行しようとしたとき、最大の障害になるのが、まさに戦後レジーム
 の中核である官僚システムであるということに気づいたのだろう。

  大きな改革を行えば、必ず現行のシステムに寄生した既得権グループが被害を受ける。業
 界も族議員も、そしてそれと一体となった官僚も被害者になる。さらに、既得権グループが
 本気で抵抗してくるときに、抵抗のための理論的支柱を提供し、世論対策や国会対策等すべ
 ての面で高度な戦略を立て、事実上の司令部となるのが霞が関の官僚システムである、とい
 うことに改めて気づいたのではないか。大きな改防を成し遂げるには、なによりも抵抗勢力
 の中心的存在である官僚システムを変えなければ、紡局、改革は絵に描いた餅に終わる。

  そして、もう一つ、安倍政権の「美しい国、日本」として掲げられた製作アジェンダか必
 ずしも国民の心に響かず、逆に民主党の「消えた年金」攻撃などによって支持率が下がるな
 か実は公務員制度改革が国民に受ける数少ない政策テーマだということか明らかになってき
 たことがある。それを如実に示したのが、渡辺喜美行政改革相当大臣の公務員制度改革への
 猪突猛進ぶりと、その姿勢に対する国民の高い支持だった。

  渡辺大臣か「過激」といわれる(実際には過激でも何でもなくごく当たり前の改竹案だっ
 たのだが)国京公務員法の改正案を手に官僚と真っ向から対峙し、また、官僚に依存しきっ
 た自民党の長老たちの抵抗と戦う姿を、マスコミは時間と紙面を割いて大きく報道し続け、
 それに国民は大声援を送った。安倍総理はその勢いを見て意を強くし、最後は腹をくくって
 大改革に賭けたのだろう。
 
  安倍総理といえば退任時の痛々しい姿ばかりを記憶する力が多いかもしれないが、最後に
 成し遂げた国家公務貝法改正は、公務員による天ドりの斡旋を禁止するという、霞が関から
 見ればとんでもない禁じ手を実現したもの。当然、これに対する霞か関の反発は尋常ではな
 く、それが官僚のサボタージュを呼び、政権崩壊の一因となったといわれている。


    


                         前代未聞、安倍総理の離れ業

  さて、渡辺チーム発足時に話を戻そう。自民党の多数派である守旧派と官僚が結びついた
 政官連合に対して、渡辺大臣は原、金指というわずか三人人の精鋭部隊で立ち向かうことに
 なる。
  そのときの改革の内容は、大きく分けて二つ。省庁による天下り斡旋禁止、そして年功序
 列を廃して能力実績主義を導入することだ。両方とも現在の官僚システムの本丸に杭を打ち
 込む極めて重要な改革である。

  当然のことながら、これに対する官僚の抵抗には凄まじいものがあった。そのエピソード
 には事欠かない。詳細は原英史氏の著書『官僚のレトリック』に譲ることにして、ここでは
 一つだけ紹介しよう、

  一言で天下り禁止といっても、禁止するなら禁止すべきなんらかの行為を特定しなければ
 いけない。民間企業に行くことすべてを禁止するのは明らかに行き過ぎだろう。そこで、ヘ
 ッドハンティングなど自分の実力で転職することは良いか、省庁がその権限や予算を背景と
 して天下りを押しつけるのが問題で、こうした天下りの斡旋だけを禁止すれば良いのではな
 いか、という議論が出てくる。

  他方、そもそも省庁が斡旋するとなぜ、企業や団体がそれを受け入れるのか。やはり裏に
 は必ず権限や予算を背景とした無言の圧力を感じるからではないか、という考え方がある。
 そうだとすれば、省庁が斡旋することはすべて禁止したほうが良い、という考え力に至る。
  つまり、禁止するのは省庁による天下りの「斡旋」すべてなのか、そうではなくて、予算
 や権限を背景としたことが分かる「押しつけ的な斡旋」に限るのか、という争いだ。

  単純に考えれば悪い斡旋だけを禁止すればいいのだから、「押しつけ的な斡旋」だけ禁止
 すればいいように見えるか、そうしてしまうと、実は禁止の効果はほとんどゼロになってし
 まう。なぜなら、そもそも押しつけているかどうかを証明するのが極めてむずかしい。受け
 入れ企業は無言の圧力を感じているから押しつけられました」とは口か裂けてもいえない。
  役所の側は、「企業がぜひに、というので、その要請に応えただけです」という。そうな
 れば押しつけはなかったということになってしまう。現に、官僚たちは、役所が押しつけ的
 な斡旋をしたことなど一度もないという立場を一貫して取ってきた。

  途中何度も落とし穴に嵌まりそうになりながらも、原・金指チームの頭脳とかんばりに支
 えられた渡辺大臣は、最後まで「斡旋」すべてを禁止する方針を貫いた。
  途中、各省の事務次官かスクラムを組んで抵抗する塔而もあった。これに対し安倍総理は、
 次官会議の議論を無視するという当時としては前代未聞の離れ業で応じた。最後はこうした
 尋常ならぬ総理のリーダーシップで、この画期的な国家公務員法の改正案を成立させるので
 ある。




  私はこの動きを裏から見ていた。当初は、原チームが本当に官僚連合軍と戦えるのか不安
 に思ったりもした。現に金指氏は、最初のうち私に頻繁に連絡を寄越し、その苦境を伝えて
 きた。私はそんな肢を勇気づけ、また、ときにはアドバイスもした。

  こんなことがあった。

  省庁による天下りの斡旋を禁止する場合、それに違反したときにどういう罰を与えるか。
 刑事罰にすれば捜査当局の強制的な捜査でな件できる。しかし、単なる懲威処分にとどまる
 なら、懲威権を持つ人事当局か調査することにしかならない。天下りの斡旋をするのは人事
 局だから、それが問遊になったとき、人事当局がその人事当局を調査することになり、これ
 では泥棒が泥棒に「泥棒したか」と聞いているようなものである。従って、刑事罰の対象に
 すべきだと私は考えた。

  原チームもそれを目指して動いていたが、法務省も警察ももちろん協力的ではない。そこ
 で私は、東京地検の特捜部に籍を置く友人の検事に相談した。どのような条文にすれば実際
 に使えるか、現場の意見を求めたのだ。その結果を金指氏に伝えた。しかし、天下り斡旋を
 禁止するだけでも官僚から見れば天地がひっくりかえるような暴挙だ。それを刑事罰にする
 のは当時としてはハードルが高すぎた。結局、刑事罰にすることはできなかった。この点は
 原氏も残念がっていた。

  

  2009年秋、日本郵政の社長に元大蔵次官の斎藤次郎氏が、副社長にも先述の元財務官
 僚、坂篤郎氏が就任した。これは閣僚が行ったことだから「省庁職員」による天下りの斡旋
 ではないと民主党は強弁したか、実はそのときもう一つ疑念を呼ぶ「渡り」人事が行われて
 いた。日本郵政の副社長に就任した坂氏が就いていた日本損害保険協会の副会長ポストに元
 国税庁長官(財務官僚)が就任したのだ。これは閣僚による人事ではない。現職の官僚か絡
 んでいるのではないかと国会でも問題になった。

  その後半年近くたってから、民主党は「調査の結果、省庁による斡旋はなかった」と答弁
 した。どのように調べたかと聞かれて、金融庁の課長が担保協会に問い合わせたという。ま
 さに心配していたことが起きたのだ。役人が調べてしらを切る。それ以上は実効性のある調
 査はできない。

  さらに、2011年の正月の紙面を賑わせた、資源エネルギー庁長官が退任4ヵ月後に所
 管の東京電力に天下りした事件でも、やはり枝野幸男官房長官は、「経済産業省の秘淑[課
 長が東京電力に聞いたところ、役人による斡旋はなく、本人に企業が直接要請したというこ
 となので、天下りの斡旋はなかった」と、胸を張った。これまた泥棒に調査をさせてしまっ
 たのだ。
  少し脱線してしまったか、原チームは、1、2ヵ月もすると完全に独り立つし、私への連
 絡も次第に頻度が低くなっていった、大変な成長ぶりだ。私はこのとき思った。
  若い人たちの能力とはそういうものだ。ミッションと権限を与えれば、能力のある者は年
 齢に関係なく大きな力を発揮する。しがらみがない分、年長者よりも大胆な改革に邁進でき
 るのだ。やはり、若手を抜擢する仕組みを作らなければいけない。


最後の、三行の部分は、わたしの小さな経験のエッセンと全く符合するものであり、未来を見つ
めるものにとっては至極、当たり前の、自然な帰結なのだが、永田町や霞が関界では、これを
"革命"(再生・再会う・復活)と 言うらしい。

                                    この項つづく 

 ● 今夜の一品

独立時計師アカデミー

政局は一気に  "独立自尊" を問われることになる。これは、ニホン・コクミンへの、「武断国
家主義へのノスタルジア」以外への問いかけであることを肝に銘じよう。^^; !

 

           

 

 

 

 

 


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