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「まる」から「天」

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    日本の政治家は核廃絶を鮮明にすべきだ。 / 吉本隆明

                                                   

 


● ころんた日記: 開花 

「ころんだ」の1本が開花した(2015.06.14 6:45)。朝7時からの交配の季節が我が家にやって
くる。

 

 

 ● DIY日誌: シロアリ駆除準備

昨年は、我が庵の屋根の雨漏り工事を行ったが(『極楽蜻蛉が翔ぶ。』2015.08.22)、曲がりな
りにも――異常気象・大規模気候変動で今以上の風雨に持ちこたえられないことはわかっってい
るのだが――雨漏りは収まっている。今年は、DIYシロアリ駆除に撃って出る手はずを彼女と
鳩首し決定する-2015.06.17)。昨年もそうだが、今年も経験なく、予備知識のみで敢行―とい
っても前の仕事も常に「素人同然」からはじめているため、妙な自信だけあるのだが、カネを掛
けずどれほどの効果が上がるのか甚だ、クエスチョン・マークだ。

尚、使用駆除剤は2種類。


 

 

 実に、日本国憲法とは、一瞬の奇蹟であった。それは無邪気なまでに理想社会の具現を目指
 したアメリカ人と、敗戦からようやく立ち上がり二度と戦争を起こすまいと固く決意した日
 本人との、奇蹟の合作というべきものだったのだ。しかし今、日本国憲法、特に九条は次第
 にその輝きを奪われつつあるように見える。この奇蹟をいかにして遺すべきか、いかにして
 次世代に伝えていくべきか。お笑い芸人の意地にかけて、芸の中でそれを表現しようとする
 太田と、その方法論を歴史から引き出そうとする中沢の、稀に見る熱い対論。宮沢賢治を手
 がかりに交わされた二人の議論の行き着く先は……。



● 「憲法九条」を世界遺産に
 
中国、ロシアの領土拡張の動きにあわせて現政権が憲法改正の動きを強め、国会内外で激しい
与野党の論争と駆け引きが連日展開されている。と、いうことで、茂木健一郎著の『吉本隆明
―全てを引き受ける」という思想』から憲法改正問題の吉本の考えを読み返す。


  いま、情況論とおっしやいましたが、ぼくは歴史的現在に対する考察かいちばん重要で
 はないかと考えています。つまり歴史を考察して、こういうふうにきたからこうなってい
 るんだという意味合いで、情況と適合する歴史的な過程を十分に考えるべきだ、というの
 がぼくの基本的な考え方です。
  たしかに、情況論なんてどうでもいいじやないかという考え方は一方にあります,文学
 畑の人にはとくに多いわけですが、自分の専門のことをやっていれば情況なんてどうでも
 いいじやないかというわけです。反対に、これは日本のマルクス主義者や進歩派の人にと
 くに顕著ですか、専門か何であれ、情況に目をつふってボヤツとしていてはダメだぞとい
 う考え方がある。

  そうしたふたつの流れに対して、ぼくのまっさらな情況論といいますか、いまはどうい
 うご時世なんだということをいえば-まず、日本の進歩的な人たちは出場所がないほど
 退い詰められている、進歩的な人たちの考え方とかやっていることは全部ダメだというこ
 とになります。
  そういう情況利断のもとに、五年後にくるかもしれない憲法改正問題を考えてみると、
 ひとつは、憲法の前文は全部取っちやえと思っています。なぜ「取っちやえ」というかと
 いえぱ、あれはやっぱりナショナリズムだからです。どうせ憲法を改正するなら、世界的
 な意味合いというか国際的な意味合いをもつ前文に直すべきなのに、そういうふうに直さ
 ないなら取っちやえ、という意味です。

  ぼくは、もっぱら日本のことを考えるからナショナリズムになるわけではないと考えて
 います。日本列島にいる人間が日本国のことを考えるのは当たり前だし、日本国の国籍を
 もつ人なら日本のことを考えるのは当たり前だ。問題は、日本のことを考えるとき、その
 考え方か閉じられているか、聞かれているかにあると思っています。
  たとえぱ外国文学の専門家がいますが、その人たちはあまり日本国のことを考えていな
 い。フランス文学ならフランス文学の最新の情況はよく知っているけれども、日本の情況
  については何も知らない。歴史も知らない。これは失格じゃないかと思います。一方、
 「新しい歴史教科書をつくる会」のような会に属している人は日本のことを考えていると
 思いますが、しかし考えが開かれていないから、中国の「愛国無罪」のようなナシ″ナリ
 ズムになってしまう、だから、日本のことを主体にして考えながらも、それがちゃんと世
 界に通用するようなかたちになっていないといけないよ、というのがぽくの情況論の基本
 にあります。

  もうひとつは、前にもいいましたが、人開かおサルさんと分かれたときからの歴史をふ
 っ通しにわかってないとダメだという思いがあります。憲法をどうするか、安倍政権なら
 どうなのか、そういう問題についてもほんとうは人間がおサルさんと分かれたところから
 の歴史をふっ通しでわかりていないと正確なことはいえない。もっともそれはぼくの願望
 といえば願望であって、いまそこまではできていません。でも、できるだけ歴史をさかの
 ぼるようにしようじゃないかという思いはあります。
  こんなふうにいまは、日本のことを考えなからも、考え方か聞かれていること、また可
 能なかぎり歴史をさかのぼって知ること、このふたつをテーマにしています。

  さてそこで、いまおっしゃった憲法改正の問題をどう考えるべきかというと、ぼくは本
 のタイトルを拝見しただけですが、「憲法九条を『世界遺産』にしろ」というのはとても
 いいと思います。いかにも中沢さんらしいやり方です。現在の日本でもある程度受け入れ
 やすい言い方で、そこのところを真っ直ぐに「改憲を許すな」などといってしまうと、ち
 ょっと危ない。いまの日本では、憲法は改正すぺきだと考えている人のほうが多いように
 思いますから、直球で「改憲を許すな」といっていると、国民投票をしたとき改憲報に負 
 けてしまうと思います。ところが、「憲法九条を『世界遺産』にしろ」という言い方をし
 ていけば、ふつうの一般社会の人もわりあいによく理解できますから、ぼくは中沢さんた
 ちのような言い方のほうがいいと思います。

  非戦というのは、いうまでもなく戦争をしないということですから、何か国際的な紛争
 が起っても武力には訴えない。そうした非戦を貫くことは、中沢さんのいうとおり重要な
 ことだと思います。あとはそれを極端に押し進めると反戦になりますが、九条の問題に関
 しては非戦と反戦しかない。細かいことをいえば、ほかにもいろいろあるでしょうが、ひ
 と言でいってしまえば、非戦と反戦をふつける以外にない。
  どうやってふつけるか、それはどうでもいいと思います。文章を書こうが、大っぴらに
 非戦をいおうが、何でもいい。三人なら三人集まったら、仲間内でグチるのではなく、大
 っぴらに「おれは戦争に反対だ」とか、「おれはもう非戦だ」といえばいい。ただし、い
 かにも進歩政党がやりそうな、デモをしながら大きい声を張り上げて反戦を叫ふのはもう
 ダメだと思います。そんなのはただ景気のいいことを叫んでいるだけで意味がないからで
 す。

  いまは確実にそういう情況になっています。

 もちろん、「そんなことはおれには関係ないよ。おれの専門はフランス文学だ」という
 なら、それはそれでいいと思います。そういう人には、「おまえ、勉強しろ』といえばい
 いんです。中途半端なことをいうくらいなら、自分の専門の勉強をしてもらったほうかよ
 っぽどいい。
  たとえば、東大総長だった蓮賞重彦君はフローベールの研究者ですから、「だったらサ
 ルトルよりもいいフローペール論を書けよ、それ以外のことはしなくていいから」といヮ
 たほうがいいと思います。サルトルは『家の馬鹿息子」(人文書院)という浩一なフロー
 ベール論を書いていますが、フローベール学者なら中途半端ないい加減なことはいわない
 で、サルトル以上のフローベール論を書けばいい。それか非職につながるんだということ
 です。ぼくはそう考えています。
  
  戦前の左翼は、二、三人が内々で集まったときや喫茶店でお茶を飲んでいるとき、盛ん
 に反戦的な言辞を弄して、「面白くないな、戦争は一なんてグチっていたことがあります。
 しかし、そんなグチは無効だということはわかりきっているわけで、そんなことをぐだぐ
 だいうくらいなら勉強したほうがよほどいい。それが情況論の本質です。

  戦前と違って、いまは何をいっても咎める人はいません。言論は自由だからだれからも
 咎められない。ところが日本人は、戦前の特高(社会運動の取締りを行った特別高等警
 寮)の例があるせいか、大っぴらにいうのを遁避してしまうような傾向があります。何か
 を思りても口でいうのを遠慮する、そうした遠慮が日本人から離れない。国際場裏で日
 本人は、積極的に非戦や反戦を主張したことがありませんけれど、それも遠慮しているか
 らです。しかし少なくとも政治家だったら必ず非戦や反戦を国際的に主張しなければいけ
 ない。国連の会合があったら、そこへ出かけて行って、「非戦の憲法は数百万人の日本人
 の戦争死によってあがなわれた貴重な戦利品である」というぐらいの演説はしなくてはい
 けない。保守派だろうと進歩派だろうと、そんなことには構わず演脱すべきなのに一度も
 堂々と演説したことかないというのが現実です。

  ぼくは、一般社会の人にとっていちぱん切実なのは、日本の政治家が国際舞台で核廃絶
 を訴えることだと思っています。光ほどもいったように、アメリカは1万発、ロシアは1
 万6千発……という具合に、地球上に核が拡散していて、この現状はもう狂気の沙汰とい
 うしかないからです。
  だいたい、核拡散防止条約というのがインチキなんです。米ロの両核大国か大量の核兵
 器を捨てないでもっている。うかつに廃棄したら、もっと多くつくった国にやられるんじ
 やないかと思っているから捨てられない。ロシアとアメリカがそう思っているから、ほか
 の国だって、米ロのいうことを聞くわけかない。それどころか、次々に後退いしています。

 国民か飢えている北朝鮮まで後追いしようとしているし、いずれ日本も後退いしようとす
 るかもしれません。げんに中川昭一という自民党の政治家は「核武装論議が必要だ」とい
 っていたわけで、共産党が後追いしようと言い出すかもしれないし、保守党かそう言い出
 すかもしれない。日本も核兵器をもとうじやないかと言い出すのがどちらか、それはわか
 りませんが、ここがいちばん怖いところです。これが現状ですから、情況はますます悪く
 なる一方だというのがぼくの判断です。
 
  そうだとすれば、日本国の政治家がなすべきことは、核兵器は上のほうから捨てるよう
 にしようじやないかと、世界的に闡明(せんめい)することです。日本国はせっかくいい
 憲法をもっているのだから、きっぱりとそう闡明すれぱいいのに、ここでも遠慮していま
 す。なぜ遠慮しているか、といりても意味はありません。世界中、アメリカだってロシア
 だって日本に遠慮してくれなんていっていないからです。

  ぼくらは戦争に負けて社会的な大転換が起ったとき、一種の難民体験をしています。食
 糧もないしお金もないから、近隣の農村(ぼくの場合は千葉県でした)へ行って家財道具
 を売り払い、芋と取り讐えたりして、やっと食べていた。そんな経験がありますから、い
 ざとなったら国なんて責任はとってくれないということは痛いほど知っています。指導者
 なんか、いざとなったらいなくなってしまうことくらい目に見えている。そういう体験を
 していますから、何ごとであれ遠慮する必要はないと思っています。
  もっとも、戦争中のことを考えると、自分なりにいろいろ考えて戦争について判断して
 いると思っていましたけれども、いま考えると、ちょっと抜かりがあったなという思いは
 残ります。もう少し利ロなことかできたのではないかというか、やっぱり、全体の雰囲気
 に包まれてそこに同化されてしまったことが最大の抜かりです。

                   -中略- 

  ただし、そういったからといって、ぼくは当時の軍部の「この戦争はアジア解放の戦い
 だ」というスローガンに翰されて戦争に協力させられたというつもりはありません。そこ
 が、ぼくが進歩的な人たちと決定的に違う点だと思います。
  じっさいぽくは、インド以東における欧米列強の植民地を独立させたのは日本だと思っ
 ています。ぼくらが「アジア各国を独立させた」といわないと、欧米列強の国々から「お
 れたちは勝手に植民地を返してやったんだ」といわれてしまう。でも、それはそうじやな
 いんですね。やっぱり日本軍かビルマ(現・ミャンマー)やインドの国境まで押しかけて
 いって、そりゃあ悪いこともしたでしょうが、米英軍や中国の国民党軍と戦ったから欧米
 列強の植民地はなくなったんです。そう思わないとぼくらは立つ瀬がないから、ぼくはそ
 う思っています。   

 だいたい、アジアの解放は中国がやるべきことでした。ところが当時の中国は伺もしない
 どころか、ヨーロツパ諸国を受け入れて植民地を貨してやっていた。こんな面白くない国
 はないから、それじゃ、おれらが代わりにやってやろうじゃないか、ということで日本か
 立ち上がうた。ぼくをふくめた当時の若者の考えはそうでした。

  靖国神社の参拝をめぐる問題についても、ぼくの考えは進歩派の人たちと違います。あ
 まりにもテレビや新聞か騒ぐものだから、小泉首相(当時)の靖国参拝の弁を注意しなが
 ら聞いていたら、「内閣総理大臣・小泉純一郎個人としてお参りした」といっていました。
 それなら、ひとりの評論家・吉本隆明が参拝したのと同じことだから、まったく問題にな
 らない。本来、戦没者の慰霊など、他国がとやかくいう問題ではないのだから、中国や韓
 国がどういおうと、[関係ないよ」といえばそれで済む話なんです。また、そういったか
 らといって、前回の戦争をまるまる居直って肯定することにもなりません。

  ところか日本の進歩的な政党は、「中国や韓国か文句をいっているのだから、それをま
 げて参拝するのは許されない」などという。そんなのはいい加減なインテリの台詞にすぎ
 ないんであって、彼らかいかにいい加減かということは、アメリカや中国、ロシアからは
 じまって北朝鮮に至るまで、世界にはいま軍国主義がどんどん広まっているのに、それに
 対してはいっさい反対しないことからもわかります。そりやあないぜというべきです。

                「第4章 自己意識を社会化するとはどういうことか」
 

 

   

【日本の政治史論 35: 政体と中枢】    

「古賀の乱ってなんだ  "I am not ABE  "」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。       

  福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
 生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
 部が実名で証言。発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
  進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
  いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
 送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
 ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
 施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
 閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
 済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
 院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)

                           古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』  

    目 次     

  序 章 福島原発事故の裏で
  第1章 暗転した官僚人生
  第2章 公務員制度改革の大逆流
  第3章 霞が関の過ちを知った出張
  第4章 役人たちが暴走する仕組み
  第5章 民主党政権が躓いた場所
  第6章 政治主導を実現する三つの組織
  第7章 役人―その困った生態
  第8章 官僚の政策が壊す日本
  終 章 起死回生の策
  補 論   

 

   Sisyphos
 

  終章 起死回生の策

                   富裕層を対象とした高級病院があれば

  今後、大きく伸びる可能性を秘めている産業は、農業、医療、介護、観光ではないかと思
 っている。
  特に医療は、現時点でまだ産激化されていないので、やり方次第では急成長する可能性が
 ある。しかし現状では、日本の医療は産業として、大きく立ち遅れている。
  医療を受けるために海外に滞在する旅行は「医療観光」と呼ばれている。この医療観光の
 ビザを日本か出し始めたのはつい最近で、韓国やアジア諸国にも大きく水をあけられている。
  日本に医療観光にやってきた外国人は2年間で2000人余り、剣してタイには年間で1
 40万人、お隣り韓国には年間に6万人だ。

  日本の医療技術が韓国に比べて劣っているわけではない。産業として確立していないのが
 原因だ。韓国の仁川空港には医療観光専用のカウンターが設けられている。手術を受ける病
 院に行けば、日本語もちやんと伝わる。日本の病院に入院したのと変わらない。英語、フラ
 ンス語、ロシア語が分かるスタッフもいる。食事もスタッフの応対もホテル並み。
  さらに日本では5年待ち、6年待ちの手術でも、韓国の病院ならすぐに予約が収れる。最
 近は日本人の患者でも韓国に医療観光に行く人が増えている。

  もっとも、海外の客を呼ぶ工夫も大事だが、その前に日本人の富裕層向けのサービスが充
 実した病院が欲しい。
  お金持ちの高齢者であっても、いまは病院に行くと何時間も待たされる。サービスの悪い
 医療しか受けられない。富裕層向けの病院がないので、もっと払ってもいいから、サービス
 のいい病院に行きたいと思っている金持ちでも、一律のサービスしか受けられない。
  そこで料金は高いがサービスは充実している快適な病院を作る。待ち時間もほとんどない。
  たとえ待たされても、併設されたラウンジでお茶やコーヒーを飲みながら、専門知識のあ
 る担当看護師、カウンセラーの相談を受けられる。少々高くても、そういう病院に行きたい
 と思う高齢名は多いはずである。

  こういう政策をいうと必ず、医療に格差をつけるのか、人の命もカネ次第か、と食ってか
 かる人がいる。しかし、おカネがない人でも、いまと同じように最低限の医療が受けられる
 のであれば、誰も損はしないはずだ。
  腕のいい医者は全部給料のいい病院に行って、貧乏な人はやぶ医者にかかるしかなくなる
 のでは、と思う人もいるかもしれない。だが、いまでも実は医療に格差はある。たとえば、
 有名病院の一流の先生には誰でも診てもらえるわけではない.手術をしてもらおうと思えば、
 コネとカネを使う必要があるのだ。裏でおカネのやり取りがあるより、病院全体のサービス
 を向上させて、高い料金を取ったほうがはるかに健全だ。

  介護施設にしても、高級な施設もあれば、安い施設もある。介護施設が良くて、病院が悪
 いという理屈は良く分からない。世の中には格差がいやでも存在する。三ツ星レストランで
 毎日のように食事をしている大金持ちもいれば、一度もそんな高級料理を食べたことのない
 人もいる。これは仕方がない。サービスが一段上の病院があり、がんばって働いたら、医療
 はちょつといいところで受けられるというのであれば、日本人のがんぱりも違ってくる。

  格差を容認すれば、あまり裕福でない人にもメリットはある。高度医療では、1回受けれ
 ば10万円以上治療費かかかる検査や治療がある。なぜ、こんな高い価格設定なのかといえ
 ば、検査機械か高いうえに、はじめから利用者か多く見込めないこともあって、1回当たり
 の検査料が高くついているのだ。病院のほうでも割高の設定をせざるを得ない。そうなると
 機械も大量には売れないから、なかなか値段も上がらないという悪循環になる。

  現状では、一部だけ保険の利かない高度医療を受けた場合、本来保険が適用される医療に
 まで保険が利かなくなるため、高度医療を受けにくいという問題もある。そうなるとやはり
 単価は高くなり、いつまでも高額のまま。貧乏人に手が届く治療にはならないということに
 なる。
  であれば、混合診療禁止の制度はやめて、おカネのある人は保険外の高い診療でも受けや
 すくする。金持ちがどんどん利用するようになって、機械も薬も普及すれば、大量生産か可
 能になって、高価な治原費もいまよりずっと下がるがる。
  こうして、おカネがあまりない人でも手が届くようになるかもしれない。保険診療にして
 も国費の負担が少なくて済む。

  医療機器の単価か下がれば、有力な輸出品になる可能性も出てくる。日本では医療産業の
 需要はどんどん増える。これだけの高齢者を抱える先進国はない。だとすれば、医療・介護
 産業が発展しないのはおかしい。政策の問題だとしかいえない。
  いま世界中で医療産業の国際化が進んでいる。国境を越えた病院のM&Aが盛んだ。しか
 し、日本はこの動きから完全に取り残されている。

  2011年4月7日、三井物産がマレーシアのアジア最大手病院持ち株会社、インテグレ
 イテッド・ヘルスケア・ホールディングスに出資するという記事か新聞紙上を賑わした。日
 本の企業か、今後の有望産業分・野で国際的な活動をすることは本当にうれしいことだ。し
 かし、同じようなことは日本国内ではできない。
 なぜなら日本では、医療には株式会社は参入できないとされているからだ。今後FTAやT
 PPなどでこの点が問題にされる可能性もある.

  医療は金儲けではない、貧乏な人にもあまねくサービスが提供されなければならない、と
 いう。それでは電気や電話はどうか。日本人の主食の米はどうか。入の尊厳という点からい
 えば、葬式はどうか。どんな貧しい人にも提供しなければならない商品・サービスだ。だか
 ら金儲けの対象にしてはいけないということにはならない。
  より多くの企業が参入することによってより良いサービス、商品が提供される。医療も基
 本的には同じだ。日本の医療に大資本が参入して、世界の病院と合従連衡しなから、より良
 いサービスを提供し、かつ病院の経済基盤もより強固で安心なものとする。海外からもたく
 さんの患者を集めて利益を上げ、税金を納めてもらって、それか社会保障に回る。そういう
 好循環を目指すべきだ。  


この節ではまわりくどい言い方がされている。高度な医療を受けたい外国人の需要があれば、そ
のプラットフォームを作れば良いだけだ。勤労国民の中で高度な医療を受けたい人がいれば、事
前審査の上受ければ良いだけだ。潜在的な需要があるのにそれに応えられないのなら調査し是正
すれば良いだけだ。そのためのヒト・モノが足らないとなれば、これは潜在的なインフレ要因と
なるが、その短期的対策として、不足するモノは輸入し、医者は海外協力してもられば良い。長
期的には、医療関係従事者の教育養成をプログラミングし是正すればよい。カネがないというな
ら、政府か貨幣を発行すれば、潜在的供給力が顕在的需要にマッチングすれば、経済は良循環す
る。その逆だと、インフレ模様となる。顕在需要者百人に対し99人の勤労国民に適切な医療を
供給できればよいことで、なにも、富裕者1人に振り回されることはなく、仕事と所得は、後者
より99倍増えることになる。それが成熟した福祉国家の医療事業の精神だろう。些細な競争原
理に目を奪われて、"木を見て、森を見ない"仕儀となっているように見える。


                     観光は未来のリーディング産業

  観光業も高い将来性を秘めている産業だ。日本には石油や鉱石といった資源はないが、観
 光資源を見れば、世界に負けないものかある。まず、四季の彩りのある美しい自然、伝統的
 な寺社仏閣、豊富な山海の幸と巧みな調理技術、世界の人々が欲しがる電化製品、アニメや
 ゲームなどの新しい日本文化。そしてなによりも、日本人の真面目で親切で礼儀正しい国民
 性・・・・。控えめで奥ゆかしく、自己主張も苦手な草食系の典型ともいえる日本人は、海
 外のギスギスした社会では頭角を現すのはむずかしいか、本来、外国人から見ても愛すべき
 民族だ。明治維新後、文明開化をするため、イギリスから技師や学者を多く招聘したか、彼
 らは、日本の風景の美しさときめ細やかな人情に感動し、本国に帰って日本の素賄らしさを
 ロコミで広げた。

  その結果、イギリスでは日本観光ブームが起きた。当時、日本にもっとも多く訪れた外国
 人はイギリス人である。
  遠く離れたイギリスからも観光に来たいと思うほど、海外の人々にとって日本と日本人は
 魅力的だ。われわれは自分たちの国民性にもっと、誇りを持っても良い。
  しかし、戦後、日本人は、自分たちの良さをほとんど見せていない。世界の日本に対する
 イメージはソニーの電器製品やトヨタの車だった。さもなくば、団体でパリやローマに押し
 かけ、高級ブランド店に群がり、ブランド品を買い漁る姿……。

                                

                                                     この項つづく 

 

   ● 「まる」から「天」

 

半兵衛酵母は。長年の酒造りの歴史の中、宝酒造の酒蔵で育まれた酵母で、酒どころ伏見竹中町
は安土桃山時代に、軍師「竹中半兵衛」の一族の屋敷があったことに由来し、松竹梅の蔵付き酵
母は、この名軍師の名付けられた。また、HAP4遺伝子を発現する組換えベクターで形質転換
した酵母を用いた有機酸高含有酒類や食品の有機酸例のリンゴ酸やコハク酸に好ましい酵母:
Saccharomyces cerevisiae K701/pAUR 123-HAP4(FERM P-18933)の遺伝子組換え多酸性酵母を用
いることで、従来の酒類、食品に比べ、酸味が強く、その有機酸組成で嗜好的に好ましいリンゴ
酸や、あるいはコハク酸含有量を増加させた酒類や食品が製造できる。

※ 松竹梅 天 パック 900ミリリットルL 1本 670円
※ 特開2004-113004 有機酸高含有酒類及び食品の製造方法 独立行政法人酒類総合研究所 他

おかしな話なのだが、アルコールを切らしてしまい、台所にあった料理酒――いつもなら、白鶴
酒造の「まる」なのだが、なぜか宝酒造――の「松竹梅 てん」があったので飲んでみる。コク
と後味のよいキレが気に入り彼女に聞くと、本当?!これが一番安かったのよ、との返事。今夜
は、それだけれの話だけど、ビールも清酒も安くて美味い時代に入っている。

 


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