覆水盆に返らず。 / 捨遺記
● 稲わらのバイオ燃料化 一歩前進
バイオ燃料生産原料の成分を初めて解明しました神戸大学と理化学研究所は、稲わらから取り出
したバイオ化成品や。今後は、デンプンを多く含む稲の栽培に応用することができるほか、バイオ化成品
やバイオ燃料生産の低コスト化、効率化が期待されます。この研究成果は、アメリカの科学雑誌
「PLOS ONE」に6月18日掲載。
今回の成果は、稲や麦をはじめとする再生可能資源(バイオマス)からバイオエタノール等の化成
品や燃料を生成するためには、希硫酸で不要な成分を除去する「前処理」、そこで得られた糖の
微生物による「発酵」のプロセスが必要。研究チームは、日本で最も廃棄性バイオマスとして期
待される稲わらに着目。神戸大学農学研究科で整備している13種類の稲わらを使用し、工学研究
科が推進するバイオリファイナリー研究による技術を利用した「前処理」前後の47種類の構成
物質の変化を理化学研究所の核磁気共鳴(NMR)技術により解析。さらに、「前処理」後に得られ
た糖や酸の濃度を分析し、47種類の構成物質と濃度との相関を見出しました。その結果、「前
処理」後の固体中にはセルロースが、液体中にはグルコースが含まれており、グルコース量がデ
ンプンに左右されることがわかったとのこと。
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「古賀の乱ってなんだ "I am not ABE "」(『進撃のヘーリオス Ⅱ』2015.04.04)で 触発され
るように、積んでおいた本を取り出し読みはじめた。そして、この国の政体を考えみよう。その
結果、どのようになろうとも未来志向できる手がかりを明らかにしたという動機から掲載してい
きたい。まずは第5章から読み進める。
福島のメルトダウンは必然だった…政府閉鎖すら起こる2013年の悪夢とは!?家族の
生命を守るため、全日本人必読の書。「日本の裏支配者が誰か教えよう」。経産省の現役幹
部が実名で証言。発電会社と送電会社を分離する発送電分離。このテーマについて本気で推
進しようとした官僚が何人かいた。あるいは核燃料サイクルに反対しようとした若手官僚も
いた。しかし、ことごとく厚い壁に跳ね返され、多くは経産省を去った。私も十数年前、発
送電分離をパリのOECDで唱えたことがあるが、危うく日本に召喚されてクビになるとこ
ろだった。その理由とは何だったのか――。(「序章」より)。改革が遅れ、経済成長を促す
施策や産業政策が滞れば、税収の不足から、政府を動かす資金すらなくなる。そう、「政府
閉鎖」すら起こりかねないのだ。いや、そうした危機感を煽って大増税が実施され、日本経
済は奈落の底へと落ちていくだろう。タイムリミットは、ねじれ国会を解消するための参議
院議員選挙がある2013年、私はそう踏んでいる。(「まえがき」より)
古賀 茂明 著『日本中枢の崩壊』
目 次
序 章 福島原発事故の裏で
第1章 暗転した官僚人生
第2章 公務員制度改革の大逆流
第3章 霞が関の過ちを知った出張
第4章 役人たちが暴走する仕組み
第5章 民主党政権が躓いた場所
第6章 政治主導を実現する三つの組織
第7章 役人―その困った生態
第8章 官僚の政策が壊す日本
終 章 起死回生の策
補 論
終章 起死回生の策
日本を変えるのは総理のリーダーシップだけ
これまで私が挙げた政策を政府にやってもらおうと思ったら、国民のみなさんも日本人特有
の金持ちを妬む気持ちを捨てなければならない。日本人は櫛並び思想が強いためか、努力して
いい暮らしをつかみ取った人に対しても、あいつだけ豪勢な生活をしやがって、きっと裏で悪
いことをしているに違いないなどと妬む人か少なからずいる。
金融テクノロジーを駆使して大儲けしている人かいると、汗水たらさず力冬を稼ぎやがって、
ITで成功した起業家が六木木ヒルズに住んでいると聞くと、若いうちから贅沢するなんてろく
なもんじやない。こんなふうに嫉妬し、足を引っ張る。
東日本犬震災ではユニクロの柳井正氏が10億円、楽天の三木谷浩史氏も10億円、そして
ソフトバンクの孫正義氏が百億円という巨額の義援金を寄付した。しかし、既存の大富豪とい
われる人たちが、そうした巨額寄付をしたという話を聞かない。若手のベンチャー経営者者の
なかには、現地に入って支援活動を行った人もいると聞く。
「売名行為」などという人もいるが、そう批判する人たちは、自分ではいったい何をしたと
いうのか。たくさん椋いでたくさん使う。それだけでも十分、所得税や消費税で貢献している。
さらに個人で社会貢献をしてもらえれば、これほどすばらしいことはない。
もう金持ちを妬んだり敵視したりするのを止めて、日本経済を引っ張ってくれる新たな産業
の損い手たちにI切足かせをはめず、自由に活躍してもらおうではないか。妬みの文化では、
国民全員がジリ貧の方向に行くしかなくなる。
そうならないための鍵はリーダーの意思表示が握っている。リーダーが何をいうかによって
国民のメンタリティは大きく左右されるからだ。
これからの政治に一番重要なのはリーダーシップだとよくいわれる。私も総理のリーダーシ
ップこそがこの国を変えると思っている。
菅総理は[最小不幸社会」といった。「最小」と「不幸」。ネガティブな言葉を重ねたメッ
セージが若者にどう響いたか。「元気を出してがんばろう」とはならない。「なんとか不幸に
なるのを避けよう」「安全な道を選ぼう」となるだろう。「『できる人は損する』という感じ
かな」とある若者は私につぶやいた。
オバマ大統領が「Yes」と「Can」という肖定の言葉を重ねて「Yes We Can」といったとき、
若者は「よし、挑戦しよう」と呼応したのではないか。
リーダーシップと一ロにいっても、様々な要素があるが、とくに今後、国のトップに求めら
れるのは、国民を説得する力だ。
説得力の背景には、理屈でははかれないものがある。それは一種のカリスマ性だったり、あ
るいは、その人間が獣し出す雰囲気や信頼感といったものが質素なのだろう。それがあって、
国民はこの総理の話を真剣に聞いてみよう、この人がいうのだからいい、と思う。
そのためには、まず、いっていることは終始一貫していなければだめだ。ただ理屈か通って
いるだけでも人は説得できない。民主党にはその陽その腸でもっともらしい話をする人はたく
さんいた。特に弁護士出身の人たちに多い。しかし、よく聞いていると、その賜しのぎの理屈
が多かった。理屈か得意なだけではだめだ。ぶれない、一貫性かある、これらか重要だ。
第二に公平であるという信頼感。組合だとか、郵便局だとか、農協だとかで医師会だとか、
あるいは電力業界といった特定のグループに肩入れし、あるいは遠慮するということが国民に
伝わった段階で、もうだめだ。
三つ目に大事なのは、地位にこだわらないということ。私心がないということ。身を投げ出
してやっていることが伝われば良し。逆に地位に恋々としているとなれば、国民は聞く耳を持
たなくなる。
2011年1月の内閣改造。菅総理はサプラィズ人事で経済財致政策担当人にに与謝野馨氏
を任命した。菅総理は、税制や社会保障のような複雑な問題は苦手だと思ったのだろうか。国
民に納得してもらうには与謝野氏の登用が最適だと判断したのだろう。しかし、そのこと自体
が総理への信頼を傷つけた。
与謝野氏は、「国会議員のなかでは」蕩か切れて理論的だといわれる。おカネにも清潔な政
治家としてイメージは良い。しかし、私は与謝野氏が、国民を説得できるという感じを持てな
い。
与謝野氏は確かに公平そうだ。特定の利益グループのために動くようには見えない.しかし、
まず、プレまくっている。自民党の幹部で、選挙では選挙区で負けたが、自民党候補として比
例区で復活。それなのに、自民党を離党、たちあがれ日本を作った,民主党を倒すと叫んで鳩
山総理を平成の脱税王と批判した。ところが、あっさりと、たちあがれ日本を脱退してよりに
よって倒す相手だったはずの民主党政権の人臣になり、国会では統.会派を組んだ。
これだけで国民は、この人のいうことは絶対に信じてはいけないと思うだろう。一部のマス
コミか持ち上げたりしたが、彼らがいかに愚かで国民から遊離しているかの証左といえよう。
本来は、身を捨てて国のためにというのであれば、議員辞職して、若い人臣を裏で支えると
いうのが一番美しかつただろう。ところが、与謝野さんは議員バッジにこだわった。「私のモ
チベーション維持」のために議員でいたいといった。国民はあきれ果てた。「あんたのモチベ
ーションのために議員バッジがあるんじやないよ」「誰もやってくれなんていってない。モチ
ペーションがiがったら辞めればいいだけだ」という声が上がった。
対照的なのは小泉元総理だった。ときには「人生いろいろ」などと相手を茶化す乱暴な答弁
をしたが、なぜか、国民は納得していた。それは、彼には私心がなく、特定のグループの利権
に与せず、そして決してプレなかったからだ。少なくとも国民にはそう見えた。余力を残して
退陣した妾に、やはり、地位にはこだわっていなかつたんだと国民は拍手を送った。何をした
かについては議論があるか、少なくとも、小泉氏の言葉で国民は説得されていたことは確かだ。
大連立は是か非か
なぜ、これからの日本のトップに国民を説得する力が必要なのかというと、いまからやらな
ければならない政策は、国民にとっては非常に緻しいことが多いからだ。
特に「平成の開国」を実現し、財政再建のために聖域なき歳出カットを行わなければならな
い。いままで補助金や規制などで守られていた特定のグループにとっては血を流す厳しい改革
か待ったなしだ。一般の人も政府に頼ろうという考えでは生きていけない時代になる。それか
ら逃げてはこの国は立ち直れない。いま日本が置かれた状況を、国民に理解、納得してもらう
必要があるのだ。
大震災後の新たな日本創造のためには、いままでの社会の在り方を根本から見直し、国民が
一丸となってがんばらねばならない。そのためには、国を引っ張る政治家かまず、正直に現状
を国民に訴えることが大事だ。そういう観点からは、民主党の事業仕分けはかなり疑問だ。
2010年秋の事業仕分けで特別会計にメスを入れた民圭党は、『隠れ借金を見つけた」と声
を張り上げていたが、特別会計のなかに借金があるのは、霞が関や永田町では周知の事実だっ
た。それを事架仕分けにかこつけて、いまになってやっと見つけたかのようにマスコミに発表。
まったく勉強していないマスコミはこれを仰々しく報道する。少し多情に詳しい人はみな、
財務省にそそのかされて消費税を上げるための布石を打ったのだなと見透かした。
姑息な手段を使わず、総理が堂々と、いまの財政はこれほどひどい状況になっていると、国
民に正面から訴えて欲しかった。そして国民に選択肢を示し、自らの決断を問う。
たとえば、「現在の厳しい財政状況下で歳出を維持し、増税だけで財政再建しようとすれば、
すぐさま10パーセントの消費税増税をしても将来足りなくなります」と正直に打ち明け「し
かし、それでは経済はポロポロになるので、私はいままでの手厚い産業保護政策を見直したい
と考えている。日本が生き残り、日本・国民がもっとも幸せになる道はこちらだと、私は信じ
ている」と考えを明らかにする。
そのうえで、「しかし、それをやれば、こういう人たちは痛みを感じる。でも、みなさん考
えてみてください。いまもっとかわいそうな人たちがたくさんいます。私たちはそういう人た
ちに手を差し伸べたいが、財源がなくてできない。ぜひ、国民のみなさんに協力していただき
たい。そして、この国を開いて、みんなで椋いで、なんとか税収を孔・げましょう。どうして
も足りないところは増税をお願いします」と、是非を問うのだ。
東日本大震災の後、もう一つ悪いパターンが見えてきた。震災対応を理由とした大連立構想
だ。連立にあたっては艮体的政策の議論をまずしなければならないのに、菅総理は政局を優先
し、中身のない迪茫を打診した。自民党も公共零業の配分に関与しようと、守旧派の長若たち
が前のめりになった。
しかし、国民はこれが政治家だけの都合による茶番であることを早々に見抜いていた。国民
に難しい状況を説明し説得しようにも、政府は自信かないから安易なばら撒きをエサに連立を
打診した。自分たちだけで大増税の責任を負いたくないから、協力してもらおうという民主党
の魂胆は見え見えだった。
かつて小泉氏は、国民の嫌がることも堂々といったので、国民はみな信頼し、リーダーシッ
プを発揮できた。しかし、多くの政治家はこれができない。下手に厳しい現状を包み隠さず話
すと、支持率が下がり、選挙に負けて政権が倒れると恐れ、リスクを取れないからだ。クピに
なってもいい、これをやらなければこの国はだめになる、という信念と覚悟かあって、初めて
救国の策を実行できるのだ。
そろそろまとめることにしよう。著者の「変革したい情念」は痛いように分かる。わかるが、わた
したちの「世界の全て引き受ける」というヘーゲル的思想をヒントに、ポスト・パックスアメリカ
ーナを踏まえ未来を見つめる視座とは、断念ながら部分的にも原理的にも異なる。「現在的デフレ」
やその「脱却方法」の1つをとっても差異はのこる。それでも良き心にそって未来をみつめること
ができれば、おのずと「連帯」できるものと信じたい。以下、残すところ今夜で「補論」のみとな
る。ともあれ、この著書に書かれてた日本の「政体と中枢」の批評作業を通して、世界に開かれた
社会に最も近い位置にあることを再認識する、裏返せばそれはまた、日本が「世界の希望」である
ことを再確認する作業でもある。
この項つづく
線路沿いの角部屋 狭いベランダ
窓からは電車の音 冷たい風
夢を追いかけたどりついた場所
都会とは思えないぼど静かな夜
親を離れ島を離れ友と別れ
さみしさと不安で胸がはりさけそうで
何もない部屋枕を強く抱きしめる
思いうかぶ故郷
ビルの隙間から見える小さな夜空は
あの満天の星空ときっとつながっている
そう信じて明日を待とう
忙し日々に追いかけられ人ごみにもまれ
夢を見失いいいわけばかり考える
何を求め何のためにここへ来たのだろう
手にしたものは缶コーヒーの温もりだけ
自分との戦いならいつまで続くのだろう・・・・・・
『故郷』
作詞/作曲 村山 辰浩
カサリンチュは、鹿児島県奄美市笠利町出身・在住の2人組音楽ユニット。中学・高校の同級生
だった二人は、同じバンドを組んでいた。高校卒業後、専門学校進学を機に上京。それぞれ東京
での生活を経て島に帰郷。友人の結婚式で二人で歌ったことがきっかけとなり、2005年ユニット
結成。ユニット名は「笠利の人」を意味する。インディーズでミニアルバムを2枚リリース後、
2010年にミニアルバム「感謝」でメジャーデビュー。メジャーデビュー後も奄美大島に在住し、
それぞれ仕事をしながら音楽活動を続けていたが、タツヒロが音楽活動に専念するため、2013年
3月末で製糖工場を退職したことが、2013年7月の「わん、脱いじゃいます!」重大発表しちゃ
います!とツアーの中で発表された。