工期に余裕は一切ない。一度でも天変地異起きれば、
(新国立建設は)間に合わなくなる可能性がある。
大手ゼネコン幹部
東京大学は10日、乳幼児に発症が多い「食物アレルギー」に有効なアレルギー反応を抑える物質を発
見した発表。体内でアレルギーを引き起こす細胞の中には「プロスタグランジンD2」という物質が存在す
るが、これまでその能力についてはわかっていなかったが、プロスタグランジンD2がアレルギーを抑制
する力を持つことが初めてわかったという。同研究グループでは、この研究が食物アレルギーの治療に
つながり、子供たちが助かるようにしたいという。
この研究の成果が、小児アレルギー発症のの抑制に結実すればハッピーなのだが困惑してしまった。
下図/左の説明では、マスト細胞は骨髄幹細胞に起源を発し、分化ののち,未成熟な前駆細胞と
して血管外組織に定着し,線維芽細胞のSCFに応答して増殖→SCFの刺激によりマスト細胞から分
泌されたⅢ型分泌性ホスホリパーゼA2(PLA2G3)は,線維芽細胞のL型プロスタグランジンD2合
成酵素(L-PGDS)と連関してプロスタグランジンD2(PGD2)を産生し→このプロスタグランジン
D2がマスト細胞のDP1を活性化して,マスト細胞の最終の成熟を促進→成熟したマスト細胞は免
疫グロブリンE-抗原の刺激により活性化してヒスタミンなどの生理活性物質を産生し,アレルギ
ー応答をひき起こす。と説明されているのに、今回の報告では、その逆の抑制に機能する
秋葉原通り魔事件が、"ワーキングプアー" に 象徴される、過剰競争と自己責任の原理がもたら
す格差拡大社会の歪みとして発生したように、まもなく、日本の高齢者の9割が下流化する。本
書でいう下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」で
ある。そして今、日本に「下流老人」が大量に生まれている。この存在が、日本に与えるインパ
クトは計り知れないと指摘したように、神奈川県小田原市を走行中の東海道新幹線で焼身自殺し
た事件――71歳の林崎春生容疑者による「下流老人の反デフレテロ」ではないかとブログ掲載
(極東極楽 2015.07.02 )。『下流老人』の著者である藤田孝典は、「東京都杉並区の生活保護
基準は、144,430円(生活扶助費74,630円+住宅扶助費69,800円 【特別基準に
おける家賃上限】)である。資産の状況やその他の要素も検討しなければならないが、報道が事
実だとすれば、年金支給額だけでは暮らしが成り立たないことが明白だといえる。要するに、生
活保護を福祉課で申請すれば、支給決定がされて、足りない生活保護費と各種減免が受けられた
可能性がある。月額2万円程度、生活費が足りない(家賃や医療費などの支出の内訳にもよる)。
生活に不安を抱えどうしたらいいか途方に暮れる男性の姿が思い浮かぶ」と語っている(YAHOO
!ニュース「新幹線火災事件と高齢者の貧困問題ー再発防止策は 「貧困対策」ではないか!?」
2015.07.02)を受け、『下流老人』の感想を掲載していく。
目 次
はじめに
第1章 下流老人とは何か
第2章 下流老人の現実
第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン
第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
第5章 制度疲労と無策が生む下流老人―個人に依存する政府
第6章 自分でできる自己防衛策―どうすれば安らかな老後を迎えられるのか
第7章 一億総老後崩壊を防ぐために
おわりに
第2章 下流老人の現実
生活困窮者の現状
最初に、わたしの問題意識を少し述べておきたい。
下流老人の問題を、皆さんに知ってもらわなければならないと思ったきっかけは、わたし
自身の活動にある。わたしはこれまで12年間、生活困窮者と言われる人々に向き合う相談支
援の現場で働いてきた。今はNPO法人「ほっとプラス」という団体を立ち上げ年間約3百
人の生活困窮者の相談を受けている。
相談に来られる方のうち約半数が、「貧困」を抱える65歳以上の高齢者だ。相談内容は、
「アパートの家賃が払えない」「病気があるが病院にかかれない」など多岐にわたる。他に
も介護保険料未納、健康保険料未納の方や、何日も食事をとれていないという方も相談にく
る。無年金の方たちばかりではない。年金をもらいつつも、支給額が少なすぎて、それだけ
では暮らせない人たちからの相談も多いのだ。
異口同音に「想定外」
そして相談に来られた方々は、異口同作目にこうつぶやく。
「自分がこんな状態になるなんて思いもしなかった」と。
静かに、うつむきがちに語る彼らの言葉は重い。
要するに、老後の貧困は想定外の事態だというのだ。だからこそ、対応や対策が後になっ
てしまい、より困難な状況を生み出してしまうことになる。
しかし、わたしは下流老人に至るのは想定外だとは思わない。なぜなら多くの相談者に向
き合うと、本人がどれだけ努力しても、下流に陥る。
理由があると実感しているからだ。詳しくは後述するが、下流老人は社会が生み出すもので
あり、あらかじめ生まれることが決まっているものなのだ,それにもかかわらず、多くの人
々は「自分は大丈夫だろう」という根拠のない自信をなぜか抱く。この意識と現実との乖離
は相当に危険であり、だからこそこの問題を他人事にしてはならない。
では、ここからは現実の声として、下流老人の生活実態の一例を紹介しよう。
●ケース1〈飲食店などで働くも、野草で飢えをしのぐ加藤さん(仮名)〉
加藤さん(76)は、新潟県出身の男性だ。現在は一人暮らしで、埼玉県内の家賃3万5千
円のアパートで生活している。結婚したことはなく、生涯独身である。
なぜ結婚しなかったのか尋ねてみると「人付き合いが得意なほうじゃないし、顔が整って
いるほうでもないからね」と冗談交じりに話してくれた。新潟に親族はいるものの、すでに
疎遠になっており、親しい関係ではないという。
「親が生きているころは親戚関係とも交流があったけど、今は誰とも連絡とってないよ」と
寂しそうに話すのが印象的だった。
加藤さんは、県内の公立高校を卒業して以降、自衛隊や飲食店、介護職など仕事を転々と
してきた。
「自衛隊は上司にいじめられて辞めた。体力がないと務まらないし、訓練は過酷だったな。
何度も疲労で吐いたよ。今であればパワハラっていうのかな? でも当時はそれが当たり前
だったからね」
その後は県内の飲食店に正社員として雇われ、料理人として再出発したという。
とくに中華料理屋は長かったそうだ。今でもわたしが家庭訪問するたびに、「野菜炒めつ
くったから食ってけよ。美味いぞ!」と嬉しそうに食事をつくってくれる。加藤さんの口癖
は「どんなに美味い料理でも一人で食べるより.二人で食べたほうがさらに美味い」であり、
一緒に食事をさせてもらうこともある。こだわりの隠し味があるそうだが、今もその内容は
教えてくれない。この料理人の仕事は長く続いた。
※「パワハラ」(職域)、「アカハラ」(研究)、「いじめ」(学校)はデフレ不況の進行とと
もに常態化する。その形態は様々であり、その解決方法も様々であり、事実をオープンにするこ
とが最良の解決策なのだが、複雑な立ち位置やその時の精神状態で、泣き寝入りするか、キレて
暴発する、自殺する、離職するなど社会的弱者は闇から闇に葬られ、最後にたどり着のが、ここ
で言う、”下流老人”というわけだが、改めて、記憶を呼び覚まされ身が引き締まる。
正社員の仕事を辞め、親の介護
ところが、40代にさしかかるとき、重大な転機が訪れる,一番働き盛りのこの頃に、両
親が相次いで病気に倒れ、介護が必要な状態になってしまったのだ。
当時、加藤さんと両親は、県内で別々に暮らしていた。父親は定置網漁の漁師をして働き
ながら、膠原病がある母親を助けて暮らしていたそうだ。そんな折、肝臓がんが父親に見つ
かり、約1年程度の命であることが告げられたという。
父親は当時、まだ64歳の若さ。
「酒が好きで付き合いで、若い頃から漁協の連中と飲んでいたからな。それにしても死ぬと
きは人は間単に死ぬものだと実感したよ」
加藤さんは、父親の看病のため、正社員の仕事を辞め、母親の面倒も合わせて見るように
なった,母親も、父親の死の間際からさらに体調が悪くなり、ほぼ寝たきりの状態になった
そうだ。それから母親に付き添い、約10年、母親が亡くなるまで介護を続けてきた。
「一人息子で、両親に迷惑や世話をかけてきたから、晩年は一緒に過ごしてあげたかった」
という言葉に、加藤さんの優しさがうかがえる。
「若い頃は不良でさ、仲間とケyカしては警察に呼ばれて、両親に叱られたよ。それでも見
捨てずに育ててくれたから、二人への恩を返したいと思ったんだ」
両親の死後、50代半ばとなった加藤さんは、新潟の実家を引き払い仕事を求めて首都圏に
来た。
「新潟を出るのは寂しかったけど仕方ないよ。50代半ばになると当時の新潟では仕事がな
くてね。始めのうちは県内で就職しようとハローワークに通ったけど、そんな給料じゃ暮ら
せないという仕事しかなかった。実家を売った金も多くなかったし、結構あせっていたよね」
その後は、東京都内や神奈川県、埼玉県などで、介護の仕事を中心に働いた。そして65歳
で仕事をやめた後は埼玉県で生活をしてきた。
「夜勤とか入れれば介護の仕事は他の仕事と比べて給料がよかったんだよね。当時は介護保
険ができるかどうかというとき(介護保険制度は2000年に施行)で、人手が足りないか
ら来てくれってことになってさ。ヘルパーの資格はないけど自分の両親に近い利用者の人と
過ごせて楽しかったよ)と当時を振り返る。もしかしたら加藤さんは、高齢者施設に入所し
ていた利用者の姿に亡き両親を投影していたのかもしれない。
「こんなに年金が少ないとは思わなかった」
年金をかけていない時期もあったため、仕事をやめた後の月収は、厚生年金がわずかに9
万円ほどであった。両親の介護離職による年金加入年数の少なさ、低賃金などから、支給さ
れる年金は少なかった。これについて加藤さんは、「驚いたよ。まさかと思っていたけど、
こんなに年金が少ないとは思わなかった。どうやって暮らせばいいんだろうね。でも友人や
知り合いに聞いたら、同じくらいの年金しかもらってないヤツ結構いるんだよね。
みんな貯金を切り崩したり、働いたり、息子に頼って暮らしたりしてるよ。俺にはそうい
う身内いないからな」と言う。
始めのころは、そんな加藤さんにも貯蓄があったそうだ。
「500万円ほどあったから、最初は何とか暮らしていけたんだ。でもその後に糖尿病が
見つかったり、介護の仕事をしていたときに患った腰痛で動けないときもあってね。医療費
がかかるようになってからは、貯蓄もみるみる減っていったよ。俺も元気なうちは働くつも
りでいたんだけど、もう身体はいうこときかないよね」と、半ば達観したように語る。
加藤さんはこれらの困難に見舞われ、貯蓄を使い果たし、ついに生活困窮に至った。わた
したちのNPOへ相談に現れた当時、加藤さんが語ってくれた生活の惨状は今でも忘れるこ
とができない。 「月収9万円では、食費や医療費や家賃で精一杯なんだ。年金支給日前に
なると、本当に生活は苦しかった。だって9万円からアパートの家賃5万円(当時)を払う
んだよ。もうそれで手元に残る金は4万円。月4万円じやあ埼玉では暮らせないよな」
「それは苦しい。どうやって暮らしていたんですか?」と尋ねると、ポツリと、
「野草」一言。
「野草?」と不思議そうにわたしが首を傾げると、
「そう。野草。野蒜って知っているか。見た目がエシヤレットとかラッキョウに似た小さな
野草。一時期はそれを主食にしていてさ。それを食べて暮らすんだよ。よもぎとかふきのと
う、つくしなんかも採っていたな。野草には救われた。それがなかったら餓死していたかも
しれないと思うときもあるよ,季節によっては野草が採れない時期もあって、恥ずかしかっ
たけど部内まで歩いてホームレス専用の炊き出しの列に並んだこともあった」と言う。
あまりの空腹に、道端の草を食べて飢えをしのぐ。これは遠い国の話でも、昔の日本の話
でもない。現在の日本の首都圏で実際に起きたことなのだ。
その後、わたしは生活費や医療費の不足について加藤さんと相談し、生活保護の申請を行
うこととした。
現在、加藤さんは月額9万円の厚生年金に加えて、足りない分の約4万円は生活保護を受
けている。医療費も生活保護から支給してもらい、治療も順調である。家賃滞納していたア
パートから転居し、低家賃の住宅も薩保した,相談に来られたときは、身長180センチ弱
なのに、体重は50キロほどしかなく、ガリガリの痩せ型であったが、生活保護受給から5
年経った現在は、体重66キロまで回復している。
加藤さんは明るい性格だから、野草生活を乗り越えられたかもしれない。しかし、貯蓄が
底をつき、ホームレス生活に追い込まれる人、窃盗をして刑務所へ収監される人、自殺を考
えてしまう人が出てきても不思議ではないだろう,実際に加藤さんですら「もうあと数か月、
助けを求めることが遅かったら死んでいたと思う。餓死していたね。だって栄養、カロリー
ってあるでしょ。あれの標準に毎日の食事が全然足りないんだから。全然だよ。そりやあ痩
せるし死んじやうよね」と諸る。
また生活保護制度についても「俺は年金受けていたからね,年金受けていても、生活保護
がもらえるなんて知らなかった」と話す。
加藤さんに限らず、下流老人の多くは正確な情報が伝わっていないし、孤立して助けを求
めることが困難な場合が多い。最後に加藤さんに率直な質問をぶつけてみた。
「下流老人って言葉があるんですけど、加藤さんは下流ですか」
すると、即座にこう答えた.
「下流に決まっているだろう、そんなの。中流だったり、上流のわけがない.胆の中は俺み
たいな老人ばっかりだよ」
三代目JSBがテレビ出演。即興で踊りの振り付けを披露しているのをみて、強烈な印象がやって
きた。やはり、若いというのは良いね。『Summer Madness (feat. Afrojack)』はご機嫌にしてくれる。