五輪は賛成だが、あの国立競技場を今、作っていくのは大反対。おかしい。
橋下徹大阪市長
【 再エネ百パーセント時代: 時代は太陽道を渡る Ⅱ 】
● お酢でエタノールをつくる
二酸化炭素の排出を抑える燃料として注目されている「エタノール」を、酢に含まれる成分に光
を当てて作り出す技術を、大阪市立大学などのグループが開発。大阪市立大学人工光合成研究セ
ンターの天尾豊所長と自動車メーカー「マツダ」などの研究グループ。二酸化炭素の排出を抑え
ることができるエタノールはガソリンに代わる燃料として注目されている、実用化が進められて
いる「バイオエタノール」は、作る段階で二酸化炭素が発生するなどの課題があるが、酢に含ま
れる「酢酸」という成分に、酢酸触媒と特殊な酵素を混ぜた上で太陽光を当てると、エタノール
ができることを、3年前考案している。この方法では、(1)光を2時間半、当てると酢酸のお
よそ5%が、(2)7時間、当てるとおよそ10%がエタノールに変化したという。また、エタ
ノールを作る段階で二酸化炭素は発生しないという(下図/上をダブルクリック)。
反応容器に、NADPH(3.3mM)、クロリン-e6(67μM)、メチルビオローゲン(1.3
mM)、アルデヒド脱水素酵素(0.67unit),アルコール脱水素酵素(0.67unit)、酢
酸ナトリウム(33.3mM)及びピロリン酸ナトリウム緩衝液(50mM)を入れて混合→反
応溶液を得る(全体積3mL)→ 反応容器を液体窒素で冷却して反応溶液を凍結し、減圧状態
で反応溶液部分を温めて融解→反応溶液中の溶解ガスを放出→反応容器内に窒素ガスを導入し、
30℃の恒温槽内でハロゲンランプ(200W)を光源として、反応溶液に対して光照射し、一
定時間ごとに反応溶液を採取→ガスクロマトグラフ(FID)によりエタノールを定量。
上図2にエタノール濃度の経時変化を示す。光照射開始から120分を経過した頃からエタノー
ル生成量が急激に増大――光照射時間の経過とともにアルデヒドが生成していき、このアルデヒ
ドの濃度がある程度高くなってからエタノールの生成が急激に進む機構が考えられる→光照射開
始から150分経過後のエタノール濃度は1.05mMで、酢酸からエタノーへの変換効率は、
3.2%である。酢酸ナトリウムを添加せずに同様の条件及び方法で光照射を行なったところ、
エタノールの生成は認められなかったことで、上図1の反応システムを確立させる。
このように、可視光照射によって、NADPHからクロリン-e6亜鉛錯体を通じてメチルビオロ
ーゲンに電子を与え、この電子を保持したメチルビオローゲンをアルデヒド脱水素酵素及びアル
コール脱水素酵素の基質として、酢酸系化合物からアルデヒドを経由してエタノールを生成する。
ところが、同研究グループは先月、ギ酸脱水素酵素を使って二酸化炭素をギ酸作るためには補酵
素と呼ばれる分子が必要だが。今回メチルビオローゲンと呼ばれる単純な化学構造を持つ人工補
酵素を用い、ギ酸脱水素酵素により二酸化炭素からギ酸を作ったところ、天然の補酵素を用いた
場合よりも約20倍以上向上させることに成功する今回の成果は今後の二酸化炭素を有機分子に
変換する人工光合成系実現のための触媒設計・開発を進化させることにも成功している(上図/
上をダブルクリック)。
以上の成果報告に目を通して仰天する。バイオマスエネルギーもここまできたかと。つまり、こ
の2つの成果をつなぎ合わせるとつぎのことが可能となる。火力発電からの二酸化炭素を回収→
回収二酸化炭素をメチルビオローゲンなどの人工補酵素とギ酸脱水素酵素を触媒でギ酸を生成→
この生成物に光合成色素誘導体+メチルビオローゲン+ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド
リン酸(NADPH)などを加え、酢酸生成できれば、『史上最強C2チェーン事業』が誕生す
る。そうすると、内燃機関は次の世紀まで生き残ることができる。また、『C2→Cnチェーン事
業』も開発されるから、人工繊維、人工プラスチック、医薬品、人工パルプなど有機合成出来な
いものがないという世界に突入するということになるだろう。これは実に面白い。マツダの株は
いまが買いだろう。
秋葉原通り魔事件が、"ワーキングプアー" に 象徴される、過剰競争と自己責任の原理がもたら
す格差拡大社会の歪みとして発生したように、まもなく、日本の高齢者の9割が下流化する。本
書でいう下流老人とは、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、およびその恐れがある高齢者」で
ある。そして今、日本に「下流老人」が大量に生まれている。この存在が、日本に与えるインパ
クトは計り知れないと指摘したように、神奈川県小田原市を走行中の東海道新幹線で焼身自殺し
た事件――71歳の林崎春生容疑者による「下流老人の反デフレテロ」ではないかとブログ掲載
(極東極楽 2015.07.02 )。『下流老人』の著者である藤田孝典は、「東京都杉並区の生活保護
基準は、144,430円(生活扶助費74,630円+住宅扶助費69,800円 【特別基準に
おける家賃上限】)である。資産の状況やその他の要素も検討しなければならないが、報道が事
実だとすれば、年金支給額だけでは暮らしが成り立たないことが明白だといえる。要するに、生
活保護を福祉課で申請すれば、支給決定がされて、足りない生活保護費と各種減免が受けられた
可能性がある。月額2万円程度、生活費が足りない(家賃や医療費などの支出の内訳にもよる)。
生活に不安を抱えどうしたらいいか途方に暮れる男性の姿が思い浮かぶ」と語っている(YAHOO
!ニュース「新幹線火災事件と高齢者の貧困問題ー再発防止策は 「貧困対策」ではないか!?」
2015.07.02)を受け、『下流老人』の感想を掲載していく。
目 次
はじめに
第1章 下流老人とは何か
第2章 下流老人の現実
第3章 誰もがなり得る下流老人―「普通」から「下流」への典型パターン
第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
第5章 制度疲労と無策が生む下流老人―個人に依存する政府
第6章 自分でできる自己防衛策―どうすれば安らかな老後を迎えられるのか
第7章 一億総老後崩壊を防ぐために
おわりに
第2章 下流老人の現実
●ケース2〈うつ病の娘を支える永田さん(仮名)夫妻〉
永田さん(77)は、妻(74)と、長女(48)の三人暮らしの男性である。夫妻は二人とも、
生まれも育ちも埼玉県で、幼い頃からの知り合いだ。その縁もあって20代のときに結婚した。
「高度経済成長もあって、金型工の職人として町工場に勤めてきた。給料は低かったけれど、
マイホームも持てたし、娘も生まれて幸せだったね」と当時を振り返る。
それから永田さんは、定年まで、県内にある小さな町工場で一生懸命に勤めてきたそうだ。
「わたしはそこそこ腕がよくて、埼玉県知事から表彰されたし、高度経済成長を裏側で支え
てきたと思う。今はブラスチック製品で溢れてるけど、昔は金属の加工技術がなければ、建
築も何も進まなかったんだから」と、永田さんは自身の働きを評価している。
当時は、大手企業からの下請けや孫請けの仕事が多く、給料は少なかったそうだ,それで
もみんなで助け合えばお金がないことはそれほど苦にはならなかったという。ただ、一番の
問題は別にあった。
「長女が中学校のときのいじめが原因で、不登校になってしまってね。そのあと、一生懸命
に生活や勉強をサポートして、短大を卒業させたけど、今もうつ病と闘っている。うつ病は
想定外だったよ……」
結局、長女は短大卒業後から今まで30年近く病気で一度も働けず、夫妻がずっと養育費や
生活費を出してきたという。
現在、永田さんは住み慣れた埼玉県内の一戸建てを売却して、民間賃貸アパートに住んで
いる。家賃は9万円ほどだ。そこに三人で暮らしている.、
大きな悩みは、長女の今後のことと、三人の生活費のことだという,
「長女は働けないから、これまで生活の面倒を見てあげてきたけれど、今後も同じようにで
きるかどうか。そんな余力はないと思うのだけれど……と、永田さんは不安を隠さない。
「年金だけが生活の命綱」
自分たちの生活費に加え、娘の看病にお金がかかる。だから、二人の老後は非常に厳しい。
現役時代の給料が低かったこともあり、厚生年金はニ人で月額17万円である。
「年金だけが生活の命綱なんだ。なのに年金は上がらないし下がる一方だろう。そこに働け
ない娘もいる。17万円ではとても暮らせないよ。夫婦二人が健康なうちは何とかなるけど、
どちらかが病気になったらおしまい。なんだかんだ支出があって、貯金もできないような暮
らしだし」
夫妻には、今の生活を続けるだけの十分な貯蓄はなかった。永田さんは、「長女には一刻
も早く自立してほしい。いつまでも面倒を見ていくのは難しいかもしれない」と本音をもら
す。しかし、現状ではうつ病が治る見込みは薄いそうだ。
「長女は調子がいいときであれば、わたしや妻と話をするけれど、体調が悪いと部屋から一
歩も外に出ない。そのうえ、日常的な身の回りのことさえできない時期もあるから、身なり
も汚くなってしまう」
その日暮らしのギリギリの生活に、先の見えない娘の看病。このような状態が続けば、自
然と親子ゲンカも絶えなくなる。
「どうしても早く病気を治して自立してほしいから、「頑張って働いてみたらどうだ?」と
言ってしまうこともある,そうすると「こんな人間をどこで雇ってくれるのよI」と反論さ
れて、ケンカになってしまってね。もう我々では限界で……」
住宅を手放しアパートに移り住んだのは、貯蓄が底をつき、長女の医療費を含めた援助が
阪田″に達したためだ。
「住み慣れた家を手放したくなかった。でも、生活費のためには仕方がない。当面はそのお
金で暮らしていくしかないけれど、それもいつまでもつかわからない。不安で仕方がない」
と話す。
現役時代の永田さんには、老後の資金を蓄える余裕がなかったことがうかがえるし、長女
の支援にほとんどの老後資金を費やしてきたことがわかる。
「正直、長女なんていなければよかったと思ったときも何度もある。こいつがいなければこ
んなに苦労することなんてなかったかもしれない。
でも、中学時代にいじめにあったことを隠してきて辛かったのだと思う。わたしの仕事が
忙しい時期で、十分に悩みを聞いて、相談にのってあげられなかったから。今なら、「無理
して学校なんて行かなくていい」って話してやれるけど、当時は「学校に行きたくないなん
て怠け者だ!」と叱責したそうなんだ,わたしは覚えていないんだけど、長女が繰り返しそ
んなことを話すからね」
永田さんの懺悔に、わたしは返す言葉に詰まった。
自分は順風満帆でも、自分以外の「想定外」で
現在、永田さんの長女は、毎週欠かさず 精神科病院に通っているが、なかなか病気は良
くならないそうだ。永田さんは「病気の悪化の原因をつくったのはわたしだから、できる限
りは長女の面倒を見ていこうと思う。だけど、わたしが亡くなった後やこれから貯金が底を
ついたときには助けてほしいと思って……」と、相談に訪れた理由を語ってくれた。さらに、
「長女にはわたしたちが亡くなった後は、役所に相談に行って生活保護の手続きをするよう
に繰り返し伝えています。長女のことが心配で今のままでは死んでも死に切れませんよ」と、
言葉を続ける。
三人暮らしで月額年金17万円程度では、決して豊かな生活は送れないだろう。現在、生
活費は平均して月額26万円ほどかかっており、とくに長女の医療費や通院費の負担が重い
という。二人暮らしなら何とかなるかもしれないが、長女の分があると毎月赤字だ……。
永田さんのケースは、病気や事故といった家族の生活課題がいくつか重なると、年金だけ
では生活ができなくなってしまうことがわかる事例だ.。
ブラック企業、引きこもり、うつ病など、若者をめぐる問題が増え続ける昨今。永田さん
夫妻のように、家族の病気や事故などが生活困窮の原因になっている相談も多い。自分たち
はこれまで順風満帆にきたつもりでも、あるとき想定外のトラブルにつまずいてしまう。
永田さん夫妻が現状を改善するにはどうすればいいか、その道筋はいまだ見えてこない。
●ケース3〈事務職員をしてきた山口さん(仮名)>
山口さん(69)は、神奈川県出身の男性だ。大学入学と同時に、東京部に転居した。「大
学に入学したのはいいけれど、当時は学生運動が盛んで、大学の授業なんてほとんどないの」と
笑いながら当時を振り返る。
「大学にいても学費がかかるばかりだから、バカらしくなってしまって。だから大学を中退し
て働き始めたんだよ」
大学中退後は、神奈川県内にある建設会社の事務所などで、40年間事務職員として働い
てきたという。
「当時で片ったら年収も低いわけではなく、若い頃は300万くらいあったし、普通の暮ら
しができていたんだよね。退職間際の年収は500万程度で、ボーナスもあった,何でこん
な風な生活になっちやったかわからない」と語る。
わたしたちのNPOへ生活相談に来られたとき、山ロさんはすでに家を失っており、ネッ
トカフェで暮らしている状態だった。
「3000万円なんてあっという間に消えちやった」
山口さんに家族はいない。
「生涯独身で子どももいないんだよ。だから一戸建てなんて必要ないから買わなかった。営
業とかいろいろあって買うか悩んだ時期もあったけどね。結局ずっと民間賃貸アパートに一
人暮らし」だそうだ。やがて、体調を崩すことが増えたため、62歳のときに早期退職をして、
退職金も受け取った。
「そのときの退職金は、だいたい1500万円あったから老後の暮らしも安泰だと思ったね。
そこそこ貯金もしていたから、合わせれば3000万円近くはあったかなあ」と振り返る。
3000万円近くあった現金はどこに消えてしまったのだろうか。
「3000万円なんてあっという問に消えちやったよ。俺、天涯孤独でしょ。一人だから誰
にも面倒を見てもらうことができない,だから、せめて墓くらい自分で用意しておこうと思
ったわけ。営業に来た会社に墓石や墓地の永代利用料を生きているうちに払っておこうと思
って900万円くらい払ったんだよね」
現在もその墓地には山ロさんのスペースが用意されており、墓石の写真を嬉しそうに見せ
てくれた。
ところが、山目さんも退職後に大きな病気に見舞われた,心筋梗塞を2度起こし、長期の
入院と療養生活を余儀なくされたそうだ。
「病院の医療費が高くてね。心臓の手術は難しいらしくて、診察代や薬代も高かった。入院
したときも個室だったから、退院のときにすごい金を取られたよ。それも1年の問に2回倒
れたもんだから大変」と話す。
残りの貯蓄は、その医療費と生活費にすべて消えたそうだ,しかし、62歳からのたった7
年間で、3000万円もの現金がなくなるものだろうか.
わたしが「高額療養費助成制度は利用しなかったんですか?」と質問すると、
「そういう制度があるってことを知らなかった」と言う。
それから生活が破綻するまでは、あっという問だった,
さらに山口さんは、年金に加入していなかった。
「会社が厚生年金に加入していなかったので、年金を支払ってこなかったんだよね。給料が
そこそこあったんだし加入しておけばよかったと思うけど、今さら後悔しても遅いよな」と
語る。
本来、法人には厚生年金に加入する義務があるが、中小零細には加入していない企業も多
い。とはいえ山ロさんが国民年金も厚生年金も未加入のままだったのは、貯蓄があれば何と
かなると思ったからかもしれない。退職金もあるからとの油断もあったのだろう。しかし、
その期待は見乍に裏切られた。
山口さんは現在、治療を受けながら生活保護で暮らしている。高額な医療費は、とても山
口さんの年金額だけではまかないきれないからだ,
「健康だった自分がまさか立て続けに病気になるとは思ってもいなかった」「ましてや生活
保護申請をする事態になるなんて想像していなかった」と繰り返し話している。
●ケース4〈地方銀行に勤めていた藤原さん(仮名)>
藤原さん(67)は、地方の大学を卒業した後、銀行員として埼玉県内で61歳まで働いた。
その問に結婚もして、娘も一人育ててきた,今は娘も大きくなり、結婚して家を出ている。
一見、何の不自由もなさそうに見えるが、じつは藤原さんには認知症の症状があり、アパ
ートを追い出され、埼玉県内の公園で生活しているところを親族からの相談で発見された。
わたしが公園で声をかけると、
「ありがとう、ありがとう。困っていたんだよ。家に帰れなくなってしまってね」と痩せた
身体から声を絞るように話してくれた。
藤原さんが変調をきたしはじめたのは、50代半ばからである。
親族によれば、「得意であったはずのお金を数える業務などが、うまくできなくなってき
たそうで、仕事上のストレスを家族にぶつけてケンカが絶えなくなった」と言う。
その頃から、感情の起伏も激しくなり、見かねた娘は家出同然で出て行き、そのまま結婚し
たそうである。
そのような状態から、銀行でも退職を促されるかたちで、早期退職をした。藤原さんにそ
のことを尋ねてみると、「会社で嫌がらせをしてくる上司がいて嫌になって辞めたの]と話
す。親族と藤原さんの捉え方には違いがあるようだ。
そして退職後は、せっかくの退職金を湯水のごとく飲食代に使うという行動に走り、夫婦
関係はいよいよ破綻を迎える。それについて藤原さんは、「仕嘔をしていたときから付き合
いのある飲み屋やスナックに行かないといけなかったから仕方がない」と話している。
銀行員、大企業の社員も、例外ではない
その後、藤原さんは妻との離婚協議を進め、資産や年金は、半々に分配されることになっ
た。60代にして月額12万円の厚生年金で一人暮らしである。
銀行員で、現役時の給料が高かったとしても、年金の半分を分配してしまえば、決して多
い金額ではないことがわかる。
この約12万円という金額は、埼玉県内の生活保護基準を若干下回る水準であり、生活保
護申請を行えば、受給が可能なレベルのものだった,
そして一人暮らしになったことで、さらに年金や老後の資金を散財してしまい、ついにア
パートの家賃滞納などもはじまった。「お金はいくらあっても足りなくて,いろいろなとこ
ろから督促がくるでしょ。覚えていないこともあるけど、払わなきや仕方がないからね」と
困ったように、藤原さんは公園のベンチに腰掛けながら話す。
3か月分の家賃を滞納したところで、「これ以上の家賃滞納は迷惑だし我慢できないから出
て行ってくれ」と、大家から退去を言い渡された。その後数か月間、藤原さんは埼玉県内の
公園で路上生活をすることになる。
滞納した家賃は、長女が立て替えて支払い、アパート退去費用も100万円ほど捻出した
そうだ。しかし、長女の家族も生活に余裕がなく、これ以ヒは父親の面倒を昆ることができ
ない。そのため「父親が野宿生活をしている公園へ行って支援してほしい」という連絡をい
ただいた。
わたしが藤原さんとはじめて面会したのは、夏の暑い日だった。身なりはボロボロで、意
思の疎通も難しく、会話が成立しないこともあった。面会した心丿初から認知症の症状を疑
いながら聞き取りを行ったがやはりその通りだった。
その後、NPOが運営するシェアハウスで保護し、藤原さんの介護保険の申請や病院への
同行、借金の整理や金銭管理などを行ってきた。藤原さんは、シェアハウスに入居した日に
「こういうNPOがあるのなら、公園で生活する必要はなかった。仏様のお導きだね」と嬉
しそうに語っていた。藤原さんには信じている宗教があり、お布施や寄付なども積極的に行
っていたそうだ。宗教団体は藤原さんの状態を知っているかどうかわからないが、定期的に
寄付を求めていたようだ,
認知症が重くなる以前から、おそらく藤原さんには若年性認知症の傾向があった,職場や
家族との関係性が悪化したのも、それが原因ではないかと思われる,藤原さんを診断した主
治医の精神科医からも、同様の指摘を受ける場面があった。
そして、藤原さんがド流化した最も大きな要因は、自分も周囲の人々も認知症に気づかず、
生活を続けてしまっていたことにある。それに熟年離婚が重なり、年金を妻と折半したこと
が追いうちをかけた。
たとえ現役時代の収入が多くても、たちどころに生活が立ちゆかない水準まで、落ちてし
まうことを理解できる事例である。
一般に高給取りとされる銀行員であっても、いくつかの問題を契機に下流化してしまうの
だ。絶対に大丈夫と言える人は、日本社会において、どれほどいるだろうか。
下流老人をめぐるいくつかの資料から
ここまでは下流流老人の実例を示してきた。これらは間違っても「誰か知らない人」だけ
の問題ではない。以ド、その根拠を各鮭統計データからも示していきたい。
厚生労働省の「平成25年国民生活基礎調査の概況」によると、全世帯の1年間の平均所
得金額が537万2000円なのに対し、高齢者世帯は、309万1000円である。その差
は、約230万円と大きい。そして同資料によると、高齢者世帯のじつに90・1%は、全
世帯の平均所得金額を下回る。
要するに、高齢者になると所得が現役の頃よりも激減するのだ,
「そりやあ、年をとったら働けないし、収入が低くなるのは当たり前だよ」あるいは「高齢
者になったら、そんなに消費するものもないし、現役時代ほど収入は必要ないだろう」と思
われるかもしれない。
しかし問題は、収入の下げ幅に対して、支出は思ったほど減らないということだ。
そればかりか、"思定外"の事態により、多額の支出が発生するリスクを多く抱えてい、先
ほどの事例からもわかるように、医療費や介護費など、高齢期には想定していない出費が伴
う。食費や子どもの教育費などは減るが、別項目の支出が増えることを理解しなければなら
ない。
また、前出の資料はあくまで平均値なので、実際には多くの高齢者世帯は、約310万円な
どという収入を得ていない。中央値は250万円だ。にもかかわらず、さらに支給額を引き下
げるための年金制度改革が進められようとしている。今後はなおさらのこと、高齢期に至る
までに貯蓄などの準備をしておかないと、誰でも老後が崩壊するリスクがあると言える。
働いて稼いでる額は、全収入のせいぜい2割
さらに、「所得の鮭類別の状況」を見ると、高齢者世帯における一世帯あたりの平均所得
の内訳は「公的年金・恩給」が68・5%、「稼働所得」が18・0%となっている。
つまり、高齢期に働いて得られる収入は、全収入の2割に満たないということだ,
ここから現在の高齢者の生活が、いかに年金に依存しているかがわかる。特殊なケースを
除き、高齢者が十分な収入を得られる仕事や雇用は多くないし、高齢者の雇用を促進すれば、
若者の労働市場が奪われる弊害だって出てくるはずだ。
「年金で足りない分は、働いてなんとかする」と考えている方は、相当な覚悟をしておく
必要があるだろう。
また、同じ調査によれば、貯蓄、借入金の状況は、高齢者世帯では、「貯蓄あり」が77・
9%、「貯蓄なし」が16・8%となっている。
さらに「貯蓄なし」を含めた100万円未満の世帯は24%であり、200万円未満の世
帯まで入れると30・3%と極めて多い。貯蓄が200万円未満だと、生活上、大きな支出に
見舞われた際には家計が維持できない水準である。また、貯蓄がある高齢者とない高齢者に
二分されているのも特徴であり、端的に貯蓄額だけ見ても大きな「匯代内格差{があること
がわかる。
一方、借入余の有無に関しては、「借入金あり」が8・6%、「借入金なし」が77・3
%である。借入金の平均額は99万2000円だが、今後も借入金がある高齢者がどれだけ増
えるのか、あるいは借入金額が増えていかないか注視していく必要がある。
また、貯蓄の増減に関しては、高齢者世帯の43・9%が「貯蓄が減った」と答えている。
その理由としては「日常の生活費への支出」が73・2%と最多である。当たり前だが、日常
的な収入が低ければ、これまで蓄積した資金を取り崩して生活するしかなく、決して浪費や
散財しているわけではない様子が見て取れるだろう。
そして生活意識について聞いてみると、生活が「やや苦しい」(31・I%)と「大変苦
しい」(23・2%)と答えている高齢者世帯は、合計で54・3%にまで及ぶ。
このように、高齢者の貧困は進行し続けているし、すでに多くの人々が下流老人になり始
めているのだ。
支援しても減らない下流老人
わたしはソーシャルワーカーとして、12年間活動してきたが、生活困窮の相談者は一向に
減らない。そればかりか近年は顕著に増えている。一般的に考えて、支援活動が広がり、あ
る程度の生活改善が行えたら、困窮者は減っていくはずである。そして、いつの日か困窮者
がいなくなれば、わたしのような支援者は必要なくなるはずだと思っていた。しかし、活動
しても活動しても、新しい困窮者が湯水のように溢れてきている。
たとえば、湖でボートに乗っているとする。そのボートの底に穴が開いていて、浸水して
きたら、皆さんはどうするだろうか。水をポートの外にかき出して、沈まないようにしよう
と試みるかもしれない。あるいは、これ以上浸水しないように、手や付近にあるもので、穴
を塞ぐよう試みるかもしれない,いずれにしても「あ~、浸水してきているな!」と、ただ
ただボーっと見ていることはないはずである,
わたしはこれまでの活動は、水をかき出している状況であったと思っている。次々に訪れ
る相談者からの依頼を受けて、その場その場で最善の方策を考えて、支援活動を展開してい
く。しかし、そもそも水をかき出してもボートには穴が開いているのだ。どれだけ支援して
も次々に浸水してくる。
この穴をどうしたら塞げるのか考えなくてはならない,そうしないと、やがてボートは沈
んでしまうだろう。つまり、下流老人の問題は、対処療法ではなく、社会問題として根本か
ら対策を立てなければ、手遅れになるということだ。
わたしたちは生活相談を受け、支援を行うことを「ミクロ実践」と呼んでいる。このミク
ロ実践だけでは、社会問題化した下流老人の現象には対応しきれない。マクロ実践を展開し、
制度や政策、人々の意識や考えを変えない限り、下流老人の問題はなくならないのだ。
その対策を講じるために、まずは下流老人の現実をしっかりと見つめてほしいと思う。
この項つづく
● 夏だ!鱧落としの季節
たまには、下流老人も、駅前の寿司割烹『銀水』の鱧落としをパッといただくことに。