Quantcast
Channel: 極東極楽 ごくとうごくらく
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2431

武力行使という過剰

$
0
0

 

 

 

    戦争は、外交の失敗以外の何物でもない。 /  ピーター・ドラッカー

         " Never think that war, no matter how necessary, nor how justified, is not a crime."



 

● 牛乳でアルツハイマー症状の緩和ができるって本当 ?!

森永乳業は、乳たんぱく質から抽出し、血圧を下げたり記憶力を高める効果が期待できる機
能性食材「ブレインペプチド」を7日からサプリメント企業や飲料、洋菓子メーカーなどに
販売する。健康志向や機能性表示食品市場の成長に応じ、業務向け食品素材の拡販を図る。
業務用機能性食品を、洋菓子店などに生クリームやバターを供給していた業務用食品事業部
を統合し食品素材事業部を新設し、ビフィズス菌やラクトフェリンなどの機能性食材を、売
上金額の大きい洋菓子店関係に販売する。

つまり、森永乳業は粉ミルクやヨーグルトで培った多くの知財を利用し、介護食品事業のク
リニコ(東京都目黒区)の知財も業務向け食材の拡販に活用する。また、投入するブレイン
ペプチドは、血圧降下作用やアルツハイマー症状緩和作用を確認し、特許成分「トリペプチ
ドMKP」を配合したアミノ酸化合物で、ペプチド特有の雑味や苦味を抑え、耐熱性や耐酸
性にも優れ、さまざまな食品への加工が可能である。

 

ACE阻害剤

牛乳加工食品技術の専門店が薬剤品開発領域に踏み出すことは自然な流れ。ところで、 アン
ジオテンシン変換酵素(ACE)は、レニンによる切断によりアンジオテンシノーゲンから
生じるアンジオテンシンIに働き、C末端の2個のアミノ酸を遊離させて、アンジオテンシ
ンⅡに変換する酵素。アンジオテンシン変換酵素は強い昇圧作用を有するアンジオテンシン
Ⅱを生成させるとともに、降圧作用を有するブラジキニンを不活性化する作用をもつ(上図)。

一方、アンジオテンシン変換酵素阻害作用をもつペプチドが、天然物中に、カゼイン、ゼラ
チン等の動物性蛋白質、コムギ、コメ、トウモロコシ等の植物性蛋白質、または、イワシ等
の魚類蛋白質等の酵素分解物から発見されている。例えば、天然物中に見出されるペプチド
の、テプロタイド(ノナペプチド,SQ20881)等や、ストレプトミセス属の放線菌の
代謝産物IS83(特開昭58-177920号公報)がある。さらに、酵素分解物には、
カゼインをトリプシンで分解し得たペプチド類(特開昭58-109425号、同59-4
4323号、同59-44324号、同61-36226号、同61-36227号)、カ
ゼインをサーモライシンで分解し得たペプチド類(特開平6-277090号、同6-27
7091号、同6-279491号、同7-101982号、同7-101985号)、カ
ゼイン等を乳酸菌あるいは、プロテイナーゼとペプチダーゼの組み合わせで分解し得たペプ
チド類(特開平6-197786号、同6-40944号、特開2001-136995号)
等があり、これらは、血圧降下作用をもつ特定保健用食品である。




但し、前記のペプチド類の中で、特開平7-101982号のペプチド――2個以上のアミ
ノ酸がアミノ基とカルボキシル基の間で脱水し、結合してペプチド結合を形成物質の総称.
結合アミノ酸の数によって,ジペプチド(アミノ酸2個)、トリペプチド(アミノ酸3個)、
オリゴペプチド(アミノ酸数個から10数個),ポリペプチド(アミノ酸多数)などと区別
される。タンパク質はポリペプチドに属する――が、比較的単純な構造を有している。最も
アンジオテンシン変換酵素阻害活性が高いものの、食品中の機能には、アンジオテンシン変
換酵素阻害活性は不十分。そこで、カゼインを特定の酵素で加水分解し、加水分解物中の高
いアンジオテンシン変換酵素阻害活性を有する新規なペプチドが存在し、同ペプチドがMe
t-Lys-Proで表される配列をもつペプチドを発見する(下図クリック)。

かくして、森永乳業という会社は、東レ、富士フイルムなどがそうであるように、異業種(
ここでは食品)→製薬へと変貌を遂げているのである。これは、欧米的な自然のストリーム
である。

WO 2013125622 A1

※ 再表2013/047128 ペプチドおよびアンジオテンシン変換酵素阻害剤 森永乳業株式会社



● 長浜バイオ大学金賞受賞:「香蔵庫」(KOZOKO)って ???

長浜バイオ大学の学生チームが9月、合成生物学の世界大会で金メダルを獲得し、2日、記
者会見を開いた。長浜バイオ大学の学生チームは、先月、アメリカ・ボストンで開かれた世
界最大級の合成生物学の大会アイジェムに出場。アイジェムは、遺伝子組み換え技術を駆使
し独自の生物を作り、その技術を競うもので、今年は世界各国から259チームが参加して
いた。

 

「iGEM Nagahama」は、ワサビの様に抗菌作用のあるバラの香りで、電気冷蔵庫の代わりに
食品を保存することができる魔法の箱、遺伝子組換え生物を活用した「香蔵庫」を開発し世
界大会に臨む。この「香蔵庫」は、電気を使わないことからエコ社会の実現に貢献するとと
もに、電気が通っていない地域でも食品の保存を可能にする画期的な発想だ。今回の金メダ
ルは長浜バイオ大学と東京工業大学、銀メダルには北海道大学、東京学生連合(東京大学、
早稲田大学など)、神奈川工科大学、岐阜大学、そして銅メダルには東京農工大学がそれぞ
れ獲得する。そういえば、NHKスペシャル「新アレルギー治療 鍵を握る免疫細胞」(20
15.04.05)で紹介された坂口志文阪大教授は長浜出身で、ことしのノーベル医学生理賞候補
にもなっているから(下図クリック)、バイオ科学産業の先進都市として脚光を浴びる可能
性が出てきたのでは?! 

 

 





【ガリバー病原発電システム:太陽光発電が増えた九州に新たな課題】

● 夏の19時台に電力が厳しくなる

今年の夏も九州地方の電力は問題なく供給することができたが、原発が運転していない状況
でもピーク時の需給率は90%以下に収まったが、太陽光発電の増加によって新たな課題が
明らかになった。昼間の電力は十分に足りても、夜間の19時台に需給率が95%を超える
日が発生したという(「太陽光発電が増えた九州に新たな課題、夏の19時台に電力が厳しく
なる 」スマート・ジャパン 2015.10.02)。

九州電力は8月14日に「川内原子力発電所」の1号機を再稼働させて、8月31日からは
最大出力の89万キロワットで電力の供給を開始。それに伴って9月上旬から火力発電所の
補修作業に入り、9月下旬には合計で2百万キロワットを超える規模の火力発電設備が運転
を停止していた。ところが晴天が続いて最高気温が30℃を上回り、想定外に需要が増え、
供給力の余裕を十分に確保できなくなってしまったのが原因。この背景に、原子力発電は一
定の出力で運転を続けることが前提になって、需要に応じて出力を調整できないシステムで
あると指摘した上、今後さらに原子力が増えていくと、需給バランスの調整はいっそうむず
かしくなり、特性の違う複数の電源を最適に組み合わせる技術の開発が不可欠だとむすんで
いる。



しかし、コスト高で機敏に動けず、プロトニウムの核ゴミ処理の玉突き状態の巨人病の原発
にはスマートグリッド時代には似合わない。記事が指摘するするほど、最適電源制御システ
ムの設計は難しくはないだろう、あとは、キャッシュフローの担保だが、ここは政策推進の
気合い次第とわたし(たち)は考えるが如何に。^^;



 

 

【武力行使という過剰】

● ロシアの皇帝プーチンはさらに空爆強化

ロシア国防省によると、軍参謀本部高官は3日、シリアでの空爆について、「継続するだけ
でなく、一層強化する」と語った。また、同高官は、米国に対し、反体制派を支援する要員
を撤収させ、ロシアの作戦地域で米軍機の飛行を停止するよう、国防当局間協議で求めたこ
とを明らかにした。一方、9月30日~10月3日に行った空爆については「空軍機が、計
60回以上発進し、(過激派組織)『イスラム国』の50以上の施設を破壊した」とと主張・
同組織の戦闘員約6百人が撤退し、欧州への逃亡を図っていると述べたが、米政府などは、
ロシアのシリア空爆はアサド政権支援が目的で、反体制派が標的になっていると判断。米紙
ワシントン・ポストによると、反体制派は空爆に対抗するため、地対空ミサイルの供与を米
国に要請した。 
 

戦後70年を振り返えり、大国の軍事的紛争が根本的な解決をみないことをつぶさに目にし
てきた。プーチン大統領は、第一次世界大戦前のツァリー(帝政ロシア)再来の悪夢をみる
せつけるかのようだ。ここに、"遅れてきた赤色帝国主義"の中国 が軍事介入(?)してき
たなら、この世界はどのようなことになるのか?!  怒りを通り越し、もう笑うしかないだ
ろうが、戦後民主主義の真価がと問われる。ここは是が非でもこれを踏みとどめ 、"反動の
嵐"を押し返す以外に道はない。                                                         
                                         


● 折々の読書 『職業としての小説家』14


  小説家になるためには、どんな訓練なり習慣が必要だと思いますか? 若い人たちを
 相手に質疑応答みたいなことをしていると、そういう質問をよく受けます。それは世界
 中どこでもだいたい同じみたいです。それだけ「小説家になりたい」「自己表現をした
 い」と考えている人が数多くいるということなんだと思うんですが、これはとても答え
 るのがむずかしい質問です。少なくとも僕は「ううむ」と腕組みしてしまいます。
  というのは、自分がいったいどうやって小説家になったか、それさえよく把握できて
 いないからです。若い頃から「ゆくゆくは小説家になろう」と心を決め、そのための特
 別な勉強をしたり、訓練を受けたり、習作を積み重ねだりして、段階を踏んで小説家に
 なったわけではありません。

  これまでの僕の人生における多くのものごとの展開がそうであったように、「あれこ
 れやっているうちに、なんだか勢いと成り行きでこうなってしまった」というところが
 あります。運に助けられた部分もけっこうあります。振り返ってみればそらおそろしい
 話ですが、でも実際にそうなんだから仕方ありません。 

  それでも、若い人たちから[小説家になるためにどんな訓練なり習慣が必要だと思う
 か?」と真剣な面持ちで質問されると、「いや、そんなことちょっとわかりませんね。
 すべては勢いと成り行きみたいなものですし、運も大きいですから。考えたら、おっか
 ない話ですよね」みたいにあっさり片づけてしまうわけにもいきません。そんなことを
 言われても、向こうだって困るでしょう。場がしらけちゃうかもしれない。だから僕と
 してもいちおう真剣に正面から「さて、どういうものかな」と考えてみます。

  それで僕は思うのですが、小説家になろうという人にとって重要なのは、とりあえず
 本をたくさん読むことでしょう。実にありきたりな答えで中し訳ないのですが、これは
 やはり小説を書くための何より大事な、欠かせない訓練になると思います。小説を書く
 ためには、小説というのがどういう成り立ちのものなのか、それを基本から体感として
 理解しなくてはなりません。「オムレツを作るためにはまず卵を割らなくてはならない」
 というのと同じくらい当たり前のことですね。

  とくに年若い時期には、一冊でも多くの本を手に取る必要があります。優れた小説も、
 それほど優れていない小説も、あるいはろくでもない小説だって(ぜんぜん)かまいま
 せん、とにかくどしどし片端から読んでいくこと。少しでも多くの物語に身体を通過さ
 せていくこと。たくさんの優れた文章に出会うこと。ときには優れていない文章に出会
 うこと。それがいちばん大事な作業になります。小説家にとっての、なくてはならない
 基礎体力になります。目が丈夫で、暇があり余っているうちにそれをしっかりすませて
 おく。実際に文章を書くというのもおそらく大事なことなのでしょうが、順位からすれ
 ばそれはもっとあとになってからでじゅうぶん間に合うんじゃないかという気がします。

  その次に――おそらく実際に手を動かして文章を書くより先に――来るのは、自分が
 目にする事物や事象を、とにかく子細に観察する習慣をつけることじゃないでしょうか。
 まわりにいる人々や、周囲で起こるいろんなものごとを何はともあれ丁寧に、注意深く
 観察する。そしてそれについてあれこれ考えをめぐらせる。しかし「考えをめぐらせる」
 といっても、ものごとの是非や価値について早急に判断を下す必要はありません。結論
 みたいなものはできるだけ留保し、先送りするように心がけます。大事なのは明瞭な結
 論を出すことではなく、そのものごとのありようを素材=マテリアルとして、なるたけ
 現状に近い形で頭にありありと留めておくことです。

  よくまわりの人々やものごとをささっとコソパクトに分析し、「あれはこうだよ」
 「これはああだよ」「あいつはこういうやつなんだよ」みたいに明確な結論を短時間の
 うちに出す人がいますが、こういう人は(僕の意見では、ということですが)あまり小
 説家には向いていません。どちらかといえば評論家やジャーナリストに向いています。
 あるいは(ある種の)学者に向いています。
  小説家に向いているのは、たとえ「あれはこうだよ」みたいな結論が頭の中で出たと
 しても、あるいはつい出そうになっても、「いやいや、ちょっと持て。ひょっとしてそ
 れはこっちの勝手な思い込みかもしれない」と、立ち止まって考え直すような人です。
 「そんなに簡単にはものごとは決められないんじゃないか。先になって新しい要素がひ
 ょこっと出てきたら、話が180度ひっくり返ってしまうかもしれないぞ」とか。

  僕はどうやらそちらのタイプみたいです。もちろん頭の回転がそんなに速くないとい
 うこともありますが(かなりある)、その時点で早急に結論を出したものの、あとにな
 ってみると、そこで出てきた結論が正しくなかった(あるいは不正確であった、不十分
 であった)ことが判明したという苦い経験を、これまでに幾度となく繰り返してきたか
 らです。それでずいぶん恥じ入ったり、冷や汗をかいたり、無駄な回り道をしたりした
 ものです。そのせいで「すぐにはものごとの結論を出さないようにしよう」「できるだ
 け時間をかけて考えよう」という習慣が、僕の中に徐徐に形作られていったような気が
 します。これは生来の性向というよりは、むしろ後天的に経験的に、痛い目にあいなが
 ら身についたものみたいです。

  そんなわけで僕の場合、何かが持ち上がっても、それについてすぐに何かしら結論を
 出すという方には顛が働きません。それよりはむしろ自分が目撃した光景を、出会った
 人々を、あるいぱ経験した事象を、あくまでひとつの「事例」として、言うなればサン
 プルとして、できるだけありのままの形で記憶に留めておこうと努めます。そうすれば
 それについて後日、もっと気持ちが落ち着いたときに、時間の余裕があるときに、いろ
 んな方向から眺めて注意深く検証し、必要に応じて結論を引き出すこともできるからで
 す。

  しかし僕の経験から中し上げますと、結論を出す必要に迫られるものごとというのは、
 僕らが考えているよりずっと少ないみたいです。僕らは――短期的なものであるにせよ、
 長期的なものであるにせよ――結論というものを本当はそれほど必要としていないんじ
 ゃないかという気がするくらいです。だから新聞記事を読んだり、テレビのニュースを
 見たりするたびに僕としては、「おいおい、そんなにとんとんと結論ばかり出して、い
 ったいどうするんだ?」と首をひねってしまいます。

  だいたいにおいて今の世の中は、あまりにも早急に「白か黒か」という判断を求めす
 ぎているのではないでしょうか? もちろん何もかもを「また今度、そのうちに」と先
 送りにするわけにはいかないとは思います。とりあえず判断を下さなくてはならないも
 のごともいくつかはあるでしょう。極端な例をあげれば、「戦争が起こるか起こらない
 か」「原発を明日から動かすか動かさないか」みたいなことであれば、僕らは何はとも
 あれ早急に立場をはっきりさせなくてはなりません。そうしないとえらいことになって
 しまいかねない。しかしそういう切羽詰まったことはそれほど頻繁にはないはずです。

  情報収集から結論提出までの時間がどんどん短縮され、誰もがニュース・コメンテー
 ターか評論家みたいになってしまったら、世の中はぎすぎすした、ゆとりのないものに
 なってしまいます。あるいはとても危ういものになってしまいます。よくアンケートな
 んかで「どちらともいえない」という項目がありますが、僕としてはむしろ「今のとこ
 ろどちらともいえない」という項目があるといいなと、いつも思ってしまいます。

  まあ世の中は世の中として、とにかく小説家を志す人のやるべきは、素早く結論を取
 り出すことではなく、マテリアルをできるだけありのままに受け入れ、蓄積することで
 あると僕は考えます。そういう原材料をたくさん貯め込める「余地」を自分の中にこし
 らえておくことです。とはいえ「できるだけありのままに」といっても、そこにあるす
 べてをそっくりそのまま記憶することは現実的に不可能です。僕らの記憶の容量には限
 度があります。ですからそこには最小限のプロセス=情報処理みたいなものが必要にな
 ってきます。

  多くの場合、僕が進んで記憶に留めるのは、ある事実の(ある人物の、ある事象の)
 興味深いいくつかの細部です。全体をそっくりそのまま記憶するのはむずかしいから(
 というか、記憶したところでたぶんすぐに忘れてしまうから)、そこにある個別の具体
 的なディテールをいくつか抜き出し、それを思い出しやすいかたちで頭に保管しておく
 ように心がけます。それが僕の言うところの「最小限のプロセス」です。

  それはどのような細部か? 「あれっ」と思うような、具体的に興味深い細部です。
 できればうまく説明かつかないことの方がいい。理屈と合わなかったり、筋が徴妙に食
 い違っていたり、何かしら首を傾げたくなったり、ミステリアスだったりしたら言うこ
 とはありません。そういうもを採集し、簡単なラベル(日付、場所、状況)みたいなも
 のを貼り付けて、頭の中に保管しておきます。言うなれば、そこにある個人的なキャビ
 ネットの抽斗にしまっておくわけです。もちろんそういう専用のノートを作って、そこ
 に書き留めておいてもいいんですが、僕はどちらかといえばただ頭に留める方を好みま
 す。ノートをいつも持ち歩くのも面倒ですし、いったん文字にしてしまうと、それで安
 心してそのまま忘れてしまうということがよくあるからです。頭の中にいろんなことを
 そのまま放り込んでおくと、消えるべきものは消え、残るべきものは残ります。

  僕はそういう記憶の自然淘汰みたいなものを好むわけです。

  僕の好きな話があります。詩人のポール・ヴァレリーが、アルベルト・アインシュタ
 インにインタビューしたとき、彼は「着想を記録するノートを持ち歩いておられますか
 ?」と質問しました。アインシュタインは穏やかではあるけれど、心底驚いた顔をしま
 した。そして「ああ、その必要はありません。着想を得ることはめったにないですから」
 と答えました。
  たしかに、そう言われてみれば、僕にも「今ここにノートがあればな」と思うような
 ことって、これまでほとんどなかったですね。それに本当に大事なことって、一度頭に
 入れてしまったらそんなに簡単には忘れないものです。
  
                                      「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
                              村上春樹 『職業としての小説家』 

     
                                 この項つづく

 

 

 


     I, I'm so in love with you
     Whatever you want to do
     Is all right with me
     'Cause you make me feel so brand new
     And I want to spend my life with you

     Since, since we've been together
     Loving you forever
     Is what I need
     Let me be the one you come running to
     I'll never be untrue

     Let's, let's stay together
     Lovin' you whether, whether
     Times are good or bad, happy or sad

     Whether times are good or bad, happy or sad

     Why, why some people break up
     Then turn around and make up
     I just can't see
     You'd never do that to me (would you, baby)
     Staying around you is all I see
     (Here's what I want us to do)

                                       ”Let's Stay Together”

                                        Music&Word    AL Green,
                                                                                                              W.Mitched,
                                                                                                             I.A.Jackson

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2431

Trending Articles