天才は間違いを犯さない。 天才にとって過ちは発見への入り口なのだ。
ジェイムズ・ジョイス
● ノーベル医学生理学賞 聖にして天才
エバーメクチン(avermectin)の創薬者の木村智北里大学名誉教授がノーベル賞医学生理学受賞がト
ップニュースになる。そのエバーメクチンとは、放線菌の1種 Streptomyces avermitilis が産生する
マクロライド抗生物質の一つで、フィラリアなどの線虫の発育を阻止するまれな抗寄生虫性抗生物
質である。A1(a,b),A2(a,b),B1(a,b),B2(a,b)の8種の誘導体があり、フィラリアによっておこる風土病
として知られているオンコセルカ症には、とくにジヒドロ誘導体が有効で実用化されているが、化
学構造式であらわすと下図のようになる。
もう少し付け加えると、木村教授の提案で、73年に北里研究所抗生物質研究グループと米国メル
ク社の研究所 MSDR(Merck Sharp &Dohme Research Laboratories)とで、微生物代謝産物を対象にした
探索研究の共同研究プロジェクトが開始。この過程で79年にW.Campbell――今回木村教授と同様
にノーベル賞を受賞――により開発されたN.dubiusを感染させたマウを用いたスクリーニング系を用
いて、教授らが分離した放線菌 Streptomyces avvermectinius が生産する抗寄生虫薬エバーメクチン
を発見する。
また、上図でしめされた、イベルメクチン(ivermectin)は、マクロライド類に属する腸管糞線虫症
の駆虫薬の1つ。また疥癬、毛包虫症の治療薬でもある。商品名はストロメクトールなど。放線菌
が生成するアベルメクチンの化学誘導体。大村智により発見された。線虫のシナプス前神経終末で、
γ-アミノ酪酸(GABA)の遊離促進させ、節後神経シナプスの刺激を遮断する薬効がある。吸虫や
条虫では末梢神経伝達物質としてGABAを利用せず無効で、イヌでは犬糸状虫症の予防に使用され
る。犬糸状虫のミクロフィラリアが血中に存在しているイヌにイベルメクチンを投与すると、ミク
ロフィラリアが一度に死滅し発熱やショックを引き起こす場合がある。したがって、イベルメクチ
ンを予防薬として使用する際は犬糸状虫の感染の有無を検査する必要がある。同効薬として、ミル
ベマイシン、ミルベマイシンオキシム、マデュラマイシンが在る。
昨夜から、テレビ、ネットで記事が満載になっているが、同教授は受賞の記者会見で、「やったこ
とはだいたい失敗してきた。でも、びっくりするくらいうまくいくときがある。それを味わうと何
回失敗しても怖くない」と話していたが、アイルランドの詩人で小説家のジェイムズ・ジョイス「
天才は間違いを犯さない。 天才にとって過ちは発見への入り口なのだ」という名言を思い浮かべた
が、意地悪で陰険な天才もいるが、彼は聖にして天才である。
ノーベル賞受賞でかすんでしまったがTPPが大筋合意している。欧州連合(EU)を超える世界最
大の単一自由貿易圏を標榜する環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉が合意に達した。米アト
ランタで5日(現地時間)に開かれたTPP参加12カ国による閣僚会合は6日間に及ぶ交渉を終え、合
意を公式に宣言した。09年に米国の参加で本格化したTPP交渉は7年間の難産の末、交渉が一
段落した。TPPは世界1、3位の経済大国である米国と日本が主導し、12カ国が参加する過去
最大規模の多国間自由貿易協定(FTA)。また、中国の政治的、経済的影響力の高まりに対抗する米
日の合作という側面もある。オバマ米大統領は同日、「TPPは21世紀にに必須の域内同盟、パ
ートナー国家との戦略的関係を強化させることになる。中国のような国に世界経済の秩序を主導さ
せることはできない」と述べている。
日本貿易会/JFTC
TPPに対する考えはこのブログでも掲載してきた。いかにも、「大きく構えてパクる」という戦略
思考がすきな米国だが、アイデアはニュージランドからパクリ、戦前のABCD包囲網よろしく、中
国のような国に世界経済の秩序主導を封じるという好戦的な戦略。「TPP合コン論」をぶったのは
高橋洋一教授だが、合コンは個人実費負担が前提だが、これは各国の勤労国民の金、これは思慮が足
りない。 とは言え合意形成したなら、関係者が責任をもって行動するよう監督していく必要がある。
京セラ株式会社は、1本のヘッドでCMYK4色の同時印刷が可能で、解像度150ドット/インチ(
4色で600ドット/インチ)、印刷速度76.2メートル/分を実現したと発表(2015.10.1)。
商業印刷では、昨今、印刷物の「小ロット化」「短納期化」「在庫削減」「可変印刷」など多様な
ニーズに対応できるデジタル印刷への需要が高まり、ファッション業界では、ファストファッショ
ンの流行が広がり、短納期で少量の商品を印刷する技術・機器が急速に求められている。
今なお、商業印刷において主流であるアナログ印刷方式は、デザイン原稿ごとに複数枚の版が必要
とし、セッティングに手間と時間を要することや、在庫管理や保管スペースなども必要となり、大
きなコストが発生します。一方、インクジェット方式をはじめとするデジタル印刷は、デザインデ
ータを即座に必要量だけ印刷でき、版の管理が不要で、生産性向上とコスト削減だけでなく、版洗
浄用の廃液も発生しないため、環境負荷の低減にも寄与できる。
このインクジェットプリントヘッドの特徴は、(1)1本のヘッドで4色同時印刷ができ、印刷機
の小型化・軽量化できる。勿論、1本のヘッドで品質の高い4色同時印刷が可能で、搭載ヘッド数
が削減でき、各種配線やインク配管などの部品点数も削減がきる。(2)ヘッドの有効印刷幅を世
界最大レベルの112ミリメートと幅広の印刷が必要な場合でもヘッドの使用本数が少なく設計で
きる。機器設計の容易さと、印刷機の組み立て工程や部品の交換時に、ミクロン単位でのヘッドの
位置合わせやインク吐出、配線、インク配管などさまざまな調整の負荷低減できる。(3)インク
流路構造の設計技術や圧電アクチュエーターの駆動制御技術を用い、解像度150ドット/インチ
で、4色同時印刷のヘッドとして、76.2メートル/分の高速印刷を実現。
ところで、インクジェットプリンタは、電子写真方式の記録装置に比べ小型で安価、定着プロセス
がなく(プロセスレス)、省エネでき広く用いられている。インクジェットプリンタは、ノズルヘ
ッドに設けられた複数のノズルからインク滴を吐出し、紙等の記録媒体上に画像形成する。この装
置のインクには、溶剤として主に有機溶剤を使用する油性インクと、溶剤として主に水を使用する
水性インクがあが、昨今の環境配慮の時代にあって有機溶剤を含まない水性インクの開発が盛んに
進められている。ここで、水性インクは噴射後の洗浄が水溶液で、環境配慮でしかも、噴射ヘッド、
キャップユニット、キャップケースやインク排出や洗浄が容易になり、処理スピードを多少犠牲に
しても可能な場合、トレードオフし、複数の噴射ヘットをシングルヘッドで代替できる。
しかし、水性インクを使用する場合、紙の印刷面に水が浸透して繊維が膨潤するため、印刷面の膨
張が非印刷面の膨張より大きくなり、印刷面の伸びと非印刷面の伸びとに差が生じやすく、印刷面
と非印刷面との間に応力差が生じやすい。この応力差に起因し、印刷面が凸状に反るカール(=コ
ックリング)現象を発生するが、カール抑制対策に、(1)カール方向とは逆向きに曲がるクセを
付ける方法(=デカール法)があるが、水性インクを用いた場合カールを十分に矯正することがで
きないので、下記のように改良している。
インクジェットプリンタ1は、印刷媒体の搬送機構320とヘッド部310と液体付与部400と
を備え、搬送機構320は、第1面及び第2面をもつ印刷録媒体を搬送。ヘッド部310は記録媒
体の第1面にインクを吐出し、液体付与部400は、記録媒体の第2面に液体を付与し、搬送機構
320はヘッド部310と対向する第1搬送部320Aと、第2搬送部320Bとを有し、液体付
与部400は、第1搬送部320Aと第2搬送部320Bとの間に配置構成することで、水性イン
クを用いて印刷する際体に発生するカール抑制できるインクジェットプリンタを提案する(下図)。
● 折々の読書 『職業としての小説家』15
いずれにせよ、小説を書くときに重宝するのは、そういう具体的細部の豊富なコレクションで
す。僕の経験から言って、スマートでコソパクトな判断や、ロジカルな結論づけみたいなものは、
小説を書く人間にとってそんなに役には立ちません。むしろ足を引っ張り、物語の自然な流れを
阻害することが少なくありません。ところが脳内キャビネ″トに保管しておいた様々な未整理の
ディテールを、必要に応じて小説の中にそのまま組み入れていくと、そこにある物語が自分でも
驚くくらいナチごフルに、生き生きしてきます。
たとえばどんなことか?
そうだな、今急にうまい例が思い浮かばないんですが、たとえば、そうだな……あなたの知っ
ている人に、真剣に腹を立てるとなぜかくしゃみが出てくる人がいるとします。いったんそうや
ってくしゃみが出始めると、なかなか止まらない。僕の知り合いにはそんな人はいませんが、仮
にあなたの知り合いにいたとします。そういう人を目にしたとき、「なぜだろう? なぜ真剣に
腹を立てるとくしゃみが出るんだろう」と生理学的に、あるいは心理学的に分析推測し、仮説を
立てるのももちろんひとつのアプローチではあるのでしょうが、僕はあまりそういう風にはもの
ごとを考えません。僕の頭の働きはだいたいにおいて「へえ、ふうん、そういう人がいるんだ」
というあたりで終わってしまいます。「どうしてかはわからないけれど、そういうことも世の中
にはあるんだ」と。そしてそのまま「ひとかたまり」にぽんと記憶してしまう。そういういわば
脈絡のない記憶が、僕の頭の抽斗の中にずいぶんたくさん蒐集されています。
ジェームズ・ジョィスは「イマジネーションとは記憶のことだ」と実に簡潔に言い切っていま
す。そしてそのとおりだろうと僕も思います。ジェームズ・ジョィスは実に正しい。イマジネー
ションというのはまさに、脈絡を欠いた断片的な記憶のコンビネーションのことなのです。ある
いは語義的に矛盾した表現に聞こえるかもしれませんが、「有効に組み合わされた脈絡のない記
憶」は、それ自体の直観を持ち、予見性を持つようになります。そしてそれこそが正しい物語の
動力となるべきものです。
とにかく我々の――というか少なくとも僕の――頭の中にはそういう大きなキャビネットが備
え付けられています。そのひとつひとつの抽斗の中には様々な記憶が情報として詰まっています。
大きな抽斗もあれば、小さな抽斗もあります。中には隠しポケットのついた抽斗もあります。僕
は小説を書きながら、必要に応じてこれと思う抽斗を開け、中にあるマテリアルを取り出し、モ
れを物語の一部として使用します。キャビネ″トにはとにかく厖大な数の抽斗がついているので
すが、小説を書くことに意識が集中してくると、どのあたりのどの抽斗に何か入っているかとい
うイメージが頭にさっと自動的に浮かんできて、瞬時に無意識的にそのありかを探し当てられる
ようになります。普段は忘れていたような記憶が自然にするすると蘇ってきます。頭がそういう
融通無碍な状態になってくると、モれはずいぶん気持ちが良いものです。言い換えれば、イマジ
ネーションが僕の意思から離れ、立体的に自在な動きを見せ始めるわけです。言うまでもないこ
とですが、小説家である僕にとって、その脳内キャビネットに収められた情報は、何ものにも代
えがたい豊かな資産となります。
スティーブン・ソダーバーグが監督した『KAFKA/迷宮の悪夢』(一九九一)という映画
の中で、ジェレミー・アイアンズ演ずるフラソツ・カフカが、厖大な数の抽斗のついたキャビネ
ットが並ぶ不気味な城(もちろんあの「城」がモデルです)に潜入するシーンがありましたが、
それを見て「ああ、これは僕の脳内の構造と、光景的にちょっと通じているかもな」とふと思っ
たことを覚えています。なかなか興味深い映画だったので、もし何かで見る機会があったら、そ
のシーンを目に留めてください。僕の頭の中はそれほど不気味ではありませんが、基本的な成り
立ちは似ているかもしれません。
僕は作家として、小説ばかりでなくエッセイみたいなものも書きますが、小説を書いている時
期には小説以外のものは、よほどのことがなければ書かないと決めています。というのはエッセ
イみたいなものを書いていると、必要に応じてついどこかの抽斗を開けて、その中にある記憶情
報をネタとして使ってしまったりするからです。すると小説を書くときにそれを使いたいと思っ
ても、既によそで使われてしまっているという事態が生じます。たとえば、「ああ、そういえば、
真剣に腹を立てるとくしゃみが止まらなくなる人のことは、週刊誌の連載エッセイでこのあいだ
書いちゃったな」みたいなことが起こります。もちろんエ″セイと小説とで同じネタを二度使っ
たって、べつにかまわないわけなんですか、そういうバごアィングみたいなことがあると、小説
が不思議に痩せてくるみたいです。だから小説を書く時期には、とにかくあらゆるキャビネット
を小説専用のものとして確保しておいた方『がいい。いつ何か必要になるかもわからないんだか
ら、できるだけけちけち出し惜しみする。これが長年にわたって小説を書いてきた経験から、僕
が身につけた知恵のひとつです。
小説を書く時期か一段落すると、一度も開くことのなかった抽斗、使いみちのなかったマテリ
アルがけっこうたくさん出てきますから、そういうもの(言うれば余剰物資ですね)を使って
まとめてエッセイを書いたりします。でも僕にとってはエ″セイというのは、あえて言うならビ
ール会社が出している缶入りウーロン茶みたいなもので、いねば副業です。本当においしそうな
ネタは次の小説=正業のためにとっておくようにします。そういうネタか貯まってくれば、「あ
あ、小説を書きたいな」という気持ちも自然に湧いてくるみたいです。だからできるだけ大事に
しておかなくてはならない。
また映画の話になりますか、スティーブン・スピルバーグの作った『E.T.』の中でE.T.
が物置のがらくたをひっかき集めて、それで即席の通信装置を作ってしまうシーンがあります。
覚えていますか? 雨傘だとか電気スタンドだとか食器だとかレコード・プレーヤーだとか、ず
っと昔見たきりなので詳しいことは忘れたけど、ありあわせの家庭用品を適当に組み合わせて、
ささっとこしらえてしまう。即席とはいっても、何千光年も離れたり星と連絡をとれる本格的な
通信機です、映画館であのシーンを見ていて僕は感心してしまったんですか、優れた小説という
のはきっとああいう風にしてできるんでしょうね。材料そのものの質はそれほど大事ではない。
何よりそこになくてはならないのは「マジック]なのです。日常的な素朴なマテリアルしかなく
ても、簡甲で平易な言葉しか使わなくても、もしそこにマジ″クがあれば、僕らはそういうもの
から驚くばかりに洗練された装置を作りLげることができるのです。
しかしいずれにせよ僕らには、それぞれの自前の「物置」か必.要です。いくらマジックを使う
といっても、何もないところから実体を作り出すことはできません。E.T.がひょっこりやっ
てきて、「悪いんだけど、れの物置の中のものをいくつか使わせてくれないかな」と言ったとき
に「いいとも。なんでも好きに使ってくれ」とさっと扉を開けて見せられるような、「がらくた」
の在庫を常備しておく必要があります。
最初に小説を書こうとしたとき、いったいどんなことを書けばいいのか、まったく考えが浮か
びませんでした。僕は親の世代のように戦争を体験していないし、ひとつ上の世代の人たちのよ
うに戦後の混乱や飢えも経験していないし、とくに革命も体験していないし(革命もどきの体験
ならありますか、それはとくに語りたいようなしろものではありませんでした)、熾烈な虐待や
差別にあった覚えもありません。比較的穏やかな郊外住宅地の、普通の勤め人の家庭で育ち、と
くに不満も不足もなく、とくに幸福というのでもないにしても、とくに不幸というのでもなく(
ということはおそらく相対的に幸福であったのでしょうが)、これといって特徴のない平凡な少
年時代を送りました。学校の成績もそれほどぱっとはしなかったけど、とりたてて悪くもなかっ
た。
まわりを見回してみても、「これだけはどうしても書いておかなくてはならない!」というも
のが見当たりません。何かを書きたいという表現意欲はなくはないのですが、これを書きたいと
いう実のある材料がないのです。そんなわけで、僕は二十九歳を迎えるまで、自分が小説を書く
ことになるなんて考えもしませんでした。書くべきマテリアルもなければ、マテリアルのないと
ころから何かを立ち上げるほどの才能もありません。僕にとって小説というのは、ただ読むだけ
のものだと思っていました。だから小説はずいぶんたくさん読みましたか、自分が小説を書くこ
とになるなんて、とても想像できなかった。
僕は思うんですが、こういう状況って、今の若い世代の人たちにとってもだいたい同じような
ものなんじゃないでしょうか。というか、僕らが若かったときよりも更に「驚くべきこと」が少
なくなっているかもしれません。じゃあ、そういうときどうすればいいのか?
これはもう「E.T.方式」でいくしかないと、僕は思うんです。裏の物置を開けて、そこに
とりあえずあるものをもうひとつぱっとしないがらくた同然のものしか見当たらないにせよ
とにかくひっかき集めて、あとはがんばって、からとマジックを働かせるしかありません。
それ以外に僕らが他の惑星と連絡を取り合うための手だてはないのです。とにかくありあわせの
もので、かんばれるだけがんばってみるしかない。でももしあなたにそれができたなら、あなた
は大きな可能性を手にしたことになります。それは、あなたにはマジックが使えるのだという素
晴らしい乍実です(そう、あなたに小説が潟けるというのは、あなたが他の惑星に住む人々と連
絡を取り合えるということなのです。実に?)。
僕が最初の小説『風の歌を聴け』を書こうとしたとき、「これはもう、何も書くことがないと
いうことを書くしかないんじやないか」と痛感しました。というか、「何も書くことかない」と
いうことを遂に武器にして、そういうところから小説を潜き進めていくしかないだろうと。そう
しないことには、先行する匪代の作家たちに対抗する手段はありません。とにかくありあわせの
もので、物語を作っていこうじやないかということです,
そのためには、新しい言葉と文体が必要になります。これまでの作家が使ってこなかったよう
なヴィークル=言葉と文体をこしらえなくてはなりません。戦争とか革命とか飢えとか、そうい
う咀い問題を扱わない(扱えない)となると、必然的により軽いマテリアルを扱うことになりま
すし、そのためには軽ほではあっても俊敏で機動力のあるヴィークルがどうしても必要になりま
す。
僕は何度か試行錯誤した末に(この試行錯誤については第二回に書きました)、ようやく何と
か使用に耐えうる日本語の文体をこしらえることに成功しました。まだ不完全な問に合わせだし、
あちこちでぽろは出ているけど、これはまあ生まれて初めて書いた小説だから、仕方ありません。
欠点はあとで――もしあとがあればということですか――少しずつなおしていけばいい。
ここで僕が心がけたのは、まず「説明しない」ということでした。それよりはいろんな断片的
なエピソードやイメージや光景や言葉を、小説という容れ物の中にどんどん放り込んで、それを
立体的に組み合わせていく。そしてその組み合わせは世間のロジック文芸的イディオムとは関わ
りのない場所でおこなわれなくてはならない。それか基木的なスキームでした。
そういう作業を進めるにあたっては音楽が何より役に立ちました。ちょうど″音楽を演奏する
ような要領で、僕は文章を作っていきました。主にジャズが役に立ちました,ご存じのように、
ジャズにとっていちばん大事なのはリズムです。的確でソリッドなリズムを終始キープしなくて
はなりません。そうしないことにはリスナーはついてきてくれません。その次にコード(和音)
があります。ハーモニーと言い換えてもいいかもしれません。綺麗な和音、濁った和音、派生的
な和音、基礎音を省いた和音。バド・パウエルの和音、セロニアス・モンクの和音、ビル・エヴ
ァンズの和音、ハービー・パンコックの和音。いろんな和音があります。みんな同じ88鍵のピ
アノを使って演奏しているのに、人によってこんなにも和和音の響きが違ってくるのかとびっく
りするくらいです。そしてその事実は、僕らにひとつの重要な示唆を教えてくれます。限られた
マテリアルで物語を作らなくてはならなかったとしても、それでもまだそこには無限のあるいは
無限に近い――可能性が存在しているということです。「鍵盤が88しかないんだから、ピアノ
ではもう新しいことなんてできないよ」ということにはなりません。
それから最後にフリー・インプロピゼーションかやってきます。自由な即興演奏です。すなわ
ちジャズという音楽の根幹をなすものです。しっかりとしたリズムとコード(あるいは和声的構
造)の上に、自由に音を紡いでいく。
僕は楽器を演奏でぎません。少なくとも人に聞かせられるほどにはできません。でも音楽を演
奏したいという気持ちだけは強くあります。だったら音楽を演奏するように文章を肖けばいいん
だというのが、僕の最初の考えでした。そしてその気持ちは今でもまだそのまま続いています。
こうしてキーボードを叩きながら、僕はいつもそこに正しいリズムを求め、相応しい響きと音色
を探っています。それは僕の文章にとって、変わることのない人事な要素になっています。
まったりとした空間で漂っていた、あるいは平凡な緊張感のない日常で惰眠を貪ることへの青年特有
の過剰な焦燥感もなく平和ぼけしていたという感想に、半身共感もするが、そんなに"かったるい"も
のでもなかったぞ。と、肩すかしをくらった思いが後を引くが、次回は第五回から第六回の「時間を
味方につける――長編小説を書くこと」にうつる。
「第五回 さて、何を書けばいいのか?」
村上春樹 『職業としての小説家』
この項つづく
オランダのヘルダーラント州では、「WEpods」と呼ばれるドライバーレスカーが運行開始した。