6人の大阪府議でスタートし、5年でここまで来た。
同じ加速度なら、5年後には衆院で過半数まで行ける。
橋本 徹 おおさか維新の会代表
● 教養だけでは
公孟子が墨子にいった。
「むかし、聖王の時代には、聖人が天子となり、次にすぐれた人を大臣にすえました。
ところで、孔子は詩書に明るく、礼楽に通じ、あらゆることをわきまえています。もし孔子が聖王
の時代に生まれていれば、当然天子に迎えられたのではないでしょうか」
「あなたは智者の意味をご存知でないらしい。天を尊ぶこと、鬼神につかえること、人を愛すること、
節約を心掛けること、この四つの条件をそなえた人を智者というのだ。
いま、あなたは、詩書とか礼楽とか博識とかを数え上げて、孔子は天子になれるといったが、それ
は、他人の財産を勘定して、よろこんでいるようなものだ」
※ 教養主義の弊害
ここでは、画一主義、形式主義につづいて、教養主義が槍玉にあがっている。単なるもの知りは、真の「
智者」とはいえない。教養の根底に横たわる確固とした哲学が必要なのだ、と墨子は説く。
【次郎柿と直虎】
文化ブラザで物産会があるというの出かけていた彼女が、期待するほどの盛り上がり欠けたと言いながら、
浜松市産の次郎柿(治郎柿)を買ってきたがのだが、その包装紙にこんなのが入っていたとB5サイズの
一枚の紙切れを見せる。そこには、井伊家の危機を救ったおんな城主伊直虎の生涯の紹介と家系図が印刷
されていた。さて何から話そうか?まず、柿の味のことだが、大変美味しかったということになるのだが、
わたしの舌は敏感なので、ごく微量の渋味は逃すことはなかった。郷里の西吉野の富有柿の上品さと比べ
たらこれは勝負ありだが、そんな贅沢なことは言えるはずもなく彼女に「美味しかった」と感想を伝える。
つぎに、女武将あるいは女領主の話。戦国時代は結構いたとみえて、(1)甲斐姫(かいひめ)――戦国時
代から江戸時代初頭。豊臣秀吉の側室で、当時彼女がいた城は、父・成田氏長が小田原城にはわずか3百
の兵と城下の民2領民で攻め手の石田三成の東国方面軍約3万・上杉景勝勢、前田利家勢が押し寄せるも
甲斐姫は自ら兵を指揮、堤防を決壊させ石田軍に多数被害を与えている。(2)大祝鶴姫(おおほうりつる
ひめ)――伊予国大山祇神社(愛媛県大三島)の大宮司・大祝安用(おおほうりやすもち)の娘。大祝軍
を実質的に指揮していた鶴姫の兄、安房が度重なる戦の中で戦死。その後、周防の河野氏に敵対していた
当時16歳の大祝鶴姫が陣代として出陣。天文3年(1534)。鶴姫はこのとき大内氏の武将・小原隆
言を討ち取り大内軍を撃退。(3)阿南の方(大乗院)――伊達政宗の伯母で、二階堂盛義の未亡人。盛義
が亡くなった後、当主となった二階堂行親が夭折したため、阿南の方が当主の座を継ぐ。(4)義姫(よし
ひめ)――伊達輝宗の正室。奥羽の鬼姫とも呼ばれ、激しい気性と体格から「男勝り」と思われていた。
(5)田鶴姫――今川氏譜代の引馬(浜松)城主飯尾連竜の妻。今川義元が桶狭間で織田信長に敗れた後
落城間際に夫連竜の鎧直垂をまとい顔には朱塗りの面頬を付け、得意の強弓を放ち立ち向かうも、敗れる。
(6)妙林尼(みょうりんに)――吉岡妙林とも呼ばれる。史料がほとんど残らず、鶴崎城主だった夫が戦
死したために出家。(7)立花ぎん千代(たちばな ぎんちよ)――大友氏の有力家臣であった立花道雪の一
人娘として生まれる。道雪は娘に家督を継がせるため、通常の男性当主の相続と同じ手続きをし、主家で
ある大友家の許しを得て、立花家の当主となる。戦国時代には珍しい。(8)そして、井伊直虎(いいなお
とら)――戦国時代の女性領主。国人井伊氏の当主を務め、「女地頭」と呼れている。父・井伊家二十二代
井伊直盛、母・新野左馬助親矩妹(祐椿尼・松岳院)
井伊直虎(次郎法師)は、井伊家代二十二代当主・直盛の一人娘。直盛には男子がなく、早くより従兄弟の
井伊直親を許婚として家督を継がせる予定であった。ところが一五四四(天文十三年)直親の父・直満が今
川義元に殺され、自身も命を狙われたため直親は信州市田(長野県高森町)松原寺に身を隠した。直虎は悲
観し、龍潭寺で出家し次郎法師を名乗る。一五五五年(弘治元年)、直親は井伊谷に戻り、直盛の養子とな
り奥山朝利の娘と結婚。一五六〇年(永禄三年)、桶狭間の戦いで直虎の父・直盛戦死。井伊家の家臣多数
死亡し大きな損失を被る。一五六一年(永禄四年)、二月井伊直政誕生。家督を継いだ二十三代直親、岡崎
の松平元康(家康)と反今川で内通する。一五六二年(永禄五年)、直親が掛川城下で今川の手で謀殺され
ると井伊家は存続の危機に。翌年、二十代直平死去。翌々年、城代家老中野信濃守曳馬城攻めで戦死。井
伊の名を継ぐ男子は、四歳の遺児虎松言十四代直政)ただ一人となる。
一五六五年(永禄八年)龍潭寺南渓和尚の計らいで次郎法師は後見人として井伊直虎と名乗り、女領主とな
り井伊家を支えた。井伊谷徳政令の難題に対し優れた政治手腕を発揮した。直虎は歴代当主に記名はないが、
受難の井伊家を支え見事にお家を再興した。直虎は後世に語り継がれるおんな城主である。鳳来寺に身を隠
していた直政を一五七五年(天正三年)浜松城主家康公に仕えさせ、出世を見届けた直虎は、一五八二年(
天正十年)激動の人生に幕をとじる。墓は龍潭寺境内、直親の隣に眠る。
つまり、静岡、井伊谷つながりというわけっだが、2017年のNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」
で、女優の柴咲コウが、戦国時代の女性領主「井伊直虎」――「ガリレオ」「信長協奏曲」など数々の人
気ドラマに出演、「仁ーJINー」「天皇の料理番」「ごちそうさん」などを手がけた森下佳子脚本――とあ
って話題をよんでいるというのを知るが、彼女はそのことを既に知っていたが、商品のPRにこれを挿入
させてたということが、やっと理解できた。ドラマの筋書きは不詳だが、出家して尼になっていた次郎法
師(直虎)を、虎松が成人するまでの間「中継ぎ」として、井伊家の当主に据え、名前を男のような「直
虎」と改め、井伊家の当主として政治的な才能を発揮――今川家と離反、徳川家康につく決断を下す。そ
の後、家康と井伊家当主嫡子の虎松(後の直政)と家康との面会を仲介し、本多忠勝、榊原康政、酒井忠
次とともに、家康の功臣――徳川四天王の「井伊直政」の教育と中継ぎ役を果たす。
※ 参考文献:静岡県文化財団「湖の雄 井伊氏~浜名湖北から近江へ、井伊一族の実像~」
● 最新バイオタギング・ロギング工学:アメリカウナギ
アメリカウナギ(学名:Anguilla rostrata)は、成長すると生涯のほとんどを、内陸の川や、河口域で過ご
すことはよく知られている。成魚が捕れるのは、決まってこうした水域。一方、小さな透明の稚魚は外海
でしか見つからず、成魚は産卵する時に外海へ出ていくことも分かっているが、成魚が川から生まれ故郷
産卵場まで大海原を移動する様子はこれまで確認されていなかった。今回、カナダの研究チームが、衛星
タグを取り付けたメスのウナギ成魚がカナダ東海岸ノバスコシア州から北大西洋のサルガッソー海の北端
に至る2千4百キロを回遊する様子の追跡に成功、その結果が10月277日付「Nature Communications」
誌に掲載される。アメリカウナギは、過去数十年間で急速に数が減少し、今では国際自然保護連合(IUCN)
の絶滅危惧種に指定されている。
doi:10.1038/ncomms9705
長年の努力の末、同研究チームはノバスコシア州沿岸からサルガッソー海の北端へ到達したメスのウナギ
28号」のデータを取得することに成功。タグによれば、28号は1日49キロの距離を泳いでいたと判明し。
また、水深記録を見ると、日が出ている時には海の奥深くへ潜っていたことも分かった。天敵を回避する
ためか、時には700メートル以上潜ることもあった。産卵場へ移動中のウナギをこれまで誰も目撃して
いなかったのは、こうして深く潜っていたためとも考えられる。45日間海を泳いだ後、28号のタグは外
れ、GPSの位置情報、水深、水温、塩分濃度、その他のデータを人工衛星へ送信。タグは長ければ5カ
月間は外れないよう装着。このため、28号のタグが外れたのは予定よりも早く、捕食者に襲われた可能性
も考えられる。産卵場の中心へたどり着く前にタグが外れたものの、研究がここまで成功したことを、ア
メリカウナギの専門家は高く評価。これまでも同じような試みはあったが、いずれもタグがもっと早い時
期に消失したり、死亡率が高かったりして成果は上がっていなかったためだ。