パンクこそ、非常に価値のある変化なんだ。古い殻を壊していくっていう
状況は面白い。それは、僕自身も常に心掛けてきたことだ。
デヴィッド・ボウイ
Rebel Rebel
David Robert Jones 8 Jan 1947 – 10 Jan 2016
● 西洋七草をつくちゃおう
石山寺のロウバイ(蝋梅)は満開でそれはそれで良いのだが沙沙貴神社のロウバイ(蝋
梅)の圧倒される残像が忘れられなくて翌日作業につまり、彼女を起こし、そばと鉄火
巻のランチをすませ鑑賞に出かけた。ここはその話は後述するとして、石山寺で七草粥
とその名前を尋ねると彼女があっさり正解してしまったことが頭に残っていた。ところ
で、高効率・高品質の太陽電池の調査作業で、たまたまネット上で、”7 Cancer Fighting
Culinary Spices and Herbs”というヘッドラインが目にとまり中断し、閲覧することに。
ヘッドラインを直訳すれば「抗ガン料理の7つの香草」ということになり、「ターメリ
ック」「唐辛子(チリペッパー)」「ガーリック」「ミント」「カモミール」「ローズ
マリー」「ショウガ(ジンジャ)」が紹介されている。
曰く、スパイスやハーブは長い間、消化不良、他の消化器系の医療目的のために使用さ
れてきた。科学はには、がんやその副作用との戦いに関して、特定のスパイスとハーブ
摂取する直接的な効能には不明だが、間接的なメリットは容易に認識できる。その効果
は、全く新しい味覚を開拓に必要な最小量で、軽度から強度の範囲で、その独特の風味
プロファイル。ときに味覚芽を刺激し、食欲を再活性化し料理にハーブやスパイスを追
加し、最適な体重を維持でき、ガン罹患の不安から解放する処方箋の提案というわけだ。
1)ターメリック:ウコンエキスのサプリメントは、現在、大腸癌、前立腺癌、乳癌、
皮膚癌を含むいくつかの癌を治療役割が研究されている。
2)唐辛子:神経因性疼痛、癌の手術後の痛みの治療に関して良好な結果を示している
いる。また、カイエンの少量摂取で消化不良を低減することが確認されている。
3)ガーリック:研究成果では、最適なニンニク摂取量は、胃、結腸、食道、膵臓、お
よび乳房の癌のリスクを減少させることを示唆しています。これは、ニンニクは、細
菌感染症と癌を抑制する遺伝子の修復を促進し、解毒作用、免疫作用、高血圧抑制作
用を助ける働きがある。
4)ペパーミント:消化不良、腹痛、下痢を緩和に、消化補助に使用。過敏性腸症候群
と食中毒を抑制に役立つ。胃の筋肉を落ち着かせ、健胃させ消化を助ける。
5)カモミール:快眠作用、口内炎、筋肉の収縮、腸の平滑筋の弛緩に役立つ。
6)ローズマリー:抗酸化物質が含まれ、解毒、消化不良、鼓腸、食欲不振に役立つ。
7)生姜:風邪、便秘など民間療法で使用されている。抗吐き気薬、がん治療中の健胃
薬として役立つ。
とは言え、西洋七草粥にするには、葉茎のどの部位を使って調理するのか、現時点では
皆目見当がつかない。仕方がない残件扱いだ。
● 沙沙貴神社の蝋梅と源氏
その日もお暖かく風もない穏やかな冬日となった。ケアーセンタ関係の観覧者や若いカ
ップルなど沢山の人たちがめいめい楽しんでいた。ところで、社頭整備事業〔総額第一
期・壱億円以上〕を計画中で写真のように社頭の修復工事中の参拝・鑑賞となった。
境内には大きな池があり立派な鯉が元気に泳いで、手をたたくと寄ってくる。
● 佐々木源氏発祥の地:沙沙責神社
佐々木氏は、宇多天皇(869~931)の皇子、敦実親王(892~966)の玄孫
である、源成頼が近江國・佐々木庄に下り、成頼の孫の、経方が佐々木姓を名乗ったこ
とに始まる。佐々木氏は、佐々木氏の氏神である沙沙貴神社が建つ近江ハ幡市安土町常
楽寺周辺から、佐々木氏の館があった小脇(現在の束近江市小脇町)辺りまで広範な候
補地があるが定かでない(ただ、蒲生郡内であったことは間違いないという)。佐々木
氏が近江に確固たる基盤を得るきっかけとなったのは源平の合戦。経方の孫の秀義(~
1184)は、平治の乱(平治元年1159)で源義朝にくみして敗れたため近江を追
われ、相模國(現在の神奈川県)まで逃れ、1180年、源頼朝が平氏打倒へ挙兵した
時、長男の定綱ら息子たちを引き連れて参戦し、目覚しい功績をあげる。
秀義自身はこの戦いで戦死するが、定綱は戦功により近江國惣追捕使(後の近江守護職
)に任じられ、守護職に就いた定綱は、頼朝の自筆と伝えられる「佐佐木大明神」の神
号額面を文治二年(1186)七月二十八日に物部清貞氏の調整で、表参道大鳥居に掲
額する(現在も古額を保存して、その同じ形式の写を表参道大鳥居に掲げてあるJ。兄
弟たちも多くの恩賞を与えられ、一族全体で述べ十七カ國の守護職を得ていた時期もあ
ったが、鎌倉幕府と後鳥羽h皇が争った承久の乱(1221)で一族の多くが上皇方に
付いて破れ守護職のほとんどを失う。
定綱の跡を継いだ信綱の息子の代に佐々木氏は四家に分かれ、長男重綱-大原氏、次男
高信-高鳴氏、四男氏信-京極氏、そして三男の泰綱に始まる六角が惣領家(本家)と
して近江守護職を継承する。鎌倉時代初めに活躍した佐々木定綱以来、織田信長(安土
城は、天正四年~・1576・僅か六ケ年によって追われるまでの約四百年間、守護と
して近江國を支配し続けた一族である。滋賀県を象徴する六角紋章を受け継ぐものに、
近江ハ幡市章一や、滋賀県立ハ幡商業高等学校章などがある。
六角氏による支配は、戦国大名のように上から強力に統制するのではなく、在地勢力の
自立性の上に成立した穏やかなもので、この結果、近江には惣村や寺内町といった自治
を行う村や町が多く生まれた。六角氏がもたらした地域社会の自治の伝統は、佐佐木源
氏発祥の地の近江國、滋賀県には今も根強く生き続けているという。この神社では「近
江源氏祭」は佐佐木源氏一族の人たちが全国より参集しこれまでの感謝とこれからの平
和と繁栄をお祈りする。
「沙沙貴十二座の神事」は近江の守護を務めた佐佐木源氏一族が武家を中心に祭祀の集
団をつくり表四座・襄四座・若宮四座の沙沙貴十ニ座は四月・五月~十月の年三回祭礼
を斎行する。この祭礼は中世の武家の「苗」(姓名)を継承した馬乗り(各家の後継者・
の神事。特殊な神饌をお供えして饗応の酒席が設けられ子孫の繁栄をお祈りする。さら
に、この沙沙貴まつりでは、琵琶湖岸の殴で「大松明」を作製して水辺の町より沙沙貴
神社まで少彦名神さまをお迎えした勇壮な姿を継承。また、『延喜式』の古式に習い、「
夏越の大祓」琵琶湖岸で刈り取った茅で大きな輪を造り「茅の輪くぐりの神事」を水無
月(六月)に行い隻病息哭をお祈りする。
尚、素菱鳴尊(すさのうのみこと)が旅の途中で、蘇民将来にもてなされたお礼に「蘇
民将来の子孫と言えば疫病から逃れられる」と約束した故事にちなむ「蘇民将来子孫家
」の神符を授与している。
日本において皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の1つ、一般に有名な
清和源氏のほかにも多数の流派がある。姓の代表的なものの一つとして、平氏・藤原氏
・橘氏とともに「源平藤橘」(四姓)と総称される。嵯峨天皇から分かれた嵯峨源氏や
清和天皇からの清和源氏を含め、二十一の流派(二十一流)があるとされる。中でも家
格が最も高いのは村上源氏とされ、室町幕府の成立まで源氏長者を有した。また、平安
以降臣籍降下が頻発すると源・平の二姓ばかりになるが、最近の研究で「一世王、二世
王が源、三世以降が平」だった事が判明している。源姓(本姓が源氏)の家系はそれぞ
れ別の苗字を号し、現在「源」を今日的な意味の姓として名乗る例は多くなく、推定人
口は4千人程である。代表的な家紋である「笹竜胆」は日本最古の家紋である。