身体行動が乏しい現代の日本人は、新しい形を作る力(造形力)が落ちている。
もちろん・・・その背景には知識だけではなく感性が必要です。われわれは「具象
の民」として、すばらしいものを作りあげてきたわけですから、いま一度、身体感
覚を取り戻して「復活」するのも不可能ではありません。
町田宗鳳 『法然の編集力』
【怪盗探偵山猫がドラマ化】
昨日は沢山な出来事があった(巻末に記述)。気分的落ち込んでいたが、夜9時からはじまっ
た新テレビドラム番組を観ることで癒やされることに。それにしてもダーティーヒーロー役の
亀梨和也の演技の巧さに驚嘆。お目当ての広瀬すずを凌いでいる?。ところでこのドラマは作
家・神永学――74年山梨県生まれ。04年『心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている』でデビュ
ー。「心霊探偵八雲」シリーズが若者を中心圧倒的な支持を集め「怪盗探偵山猫」シリーズ「
天命探偵」シリーズ、『確率捜査官 御子柴岳人 密室のゲーム』『イノセントブルー 記憶
の旅人』『コンダクター』『殺生伝 疾風の少年』「革命のリベリオン」シリーズを創作する
――の『怪盗探偵 山猫』(上図)――角川文庫版は既刊3巻、15年11月には『小説 野性
時代』(角川書店)にて掲載――の日本テレビ系列にてテレビドラマ化という経緯である。作
者の神永はドラマ化のオファーを受けた際、原作よりも面白くすることを条件を出したという。
圧倒的なワクワク感は番組紹介記事通り奇想天外の全面展開。卑劣な手段で金儲けをする企業
から大量資金を盗み出し、同時に悪事を暴く、天才怪盗・山猫(亀梨和也)。彼は義賊か?悪
党か?第1回を見る限りわからない。世間の注目を集める彼はある晩、善人面の顔の裏で振り
込め詐欺を行う政治団体のオフィスからその悪事の証拠となるデータを盗み出そうとするが、
魔王と呼ばれる謎の天才女子高生ハッカー・真央(広瀬すす)に邪魔される。山猫は、魔王の
正体を知るために雑誌ライターの勝村(成宮寛貴)に接近して正体を割り出す。真央は、ハッ
キングで顧客情報を盗み、個人情報を扱う会社の社長を務める父親に渡していた。山猫は真央
の父親の会社の完璧なセキュリティシステムに守られた金庫から盗み出すことに成功するが、
実は、その成功の裏には次期東京都知事の座を狙う謎の男のシナリオ通りだった?というとこ
ろで第1回は降幕。次回(1月23日)は如何なる展開が待っているのか楽しみ。おっと、山
猫は無類の即席麺好き、過ぎては健康によくないぞ、和也!
【ダウンサイジングする発電:燃料電池】
『進化するドローン』(上図)で紹介した燃料電池の開発や研究を進める英国のエネルギー技
術企業「Intelligent Energy 社」が、さまざまな民生用電子機器に部品として組み込めるさまざ
まなタイプの燃料電池の試作機(下図。いずれも使用時間を従来電池に比べて大幅に伸ばすこ
とが可能。スマートフォンやタブレット、ノートPCやドローンなどに適用可能。既存の電池を
置きかえることなく新たに搭載することで、稼働時間を大きく伸ばせる。同社の民生部門では、
燃料電池は独立して機器に電力を供給する電力源にできる一方で既存のバッテリーを補完する
ような使い方もできると言う。スマートフォンなどで、既存のバッテリーに燃料電池を加える
ことで、1週間充電なしで使用し続けることができる。インターネットに接続した機器が20
年までに5千億個に達するとみられる中、モバイル機器の電源の問題は今後大きくなると見ら
れているが、エネルギー生産モバイル化を行いたいという。「発電のダインサイジング」は『
デジタル革命渦論』の必然でありそれが核融合とその利用技術の太陽光発電であり、燃料電池
という、高性能で、コンパクト(ダウンサイジング)で、デフレーションの特徴をもつ。10
年後は、米国のアップル社が自動車や燃料電池でトップを走っているかもしれない。これは面
白い。
アップル 英国の燃料電池会社Intelligent Energy (IE)と秘密裏に提携
● 折々の読書 『法然の編集力』 11 松岡 正剛 著
第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳
日本仏教の系譜
松岡――法然が登場してくる前にも、恵心僧都源信が『往生要集』のようなものを書いてい
ますね。「二十五三昧会」をはじめて、わりとインスタントかつプラグマティックに比叡山
を下りてきた者たち、慶滋保胤などの文人や貴族たちのサロンとなった。当時はまだ観仏の
時代で、そこから専修念仏にまではいかなかったとはいえ、「さっさと往生しようじやない
か」という機運そのものはおこっていた。
町田――そのとおりです。私はつねに日本仏教を一体化して見ているから、決して法然だけ
の手柄ではないと思っています。そもそも聖徳太子がそれまで神道しかないようなところに、
天竺からやって来た宗教を受け入れて、『三経義疏』みたいな本格的注釈書を書いてくれた。
それまでの神様といえば滝か山かかご神木ぐらいだったのに、人間の形をした仏像を受け入
れてそれを礼拝したわけですから、当時からすれば相当に革命的だったはずです。
松岡――ものすごいデコンストラクション(脱構築)だった。
町田――蘇我と物部が戦争するくらいの大ごとだったのです。それを敢然と受け入れて思想
体系をつくろうとしたわけですから、私は聖徳大子がそんなに穏やかな人だとは思えない。
かなり過激な人だったはずでしょうから、彼はきっと毒殺されたにちがいありません。
松岡――太子が実在の人物だったかどうかという議論はありますが、それはともかく、かな
りラジカルな人だったと思います。きっとトランスジェンダーな要素もあって、男女感覚に
も変わったものがあったかもしれない。山岸涼子の「目出処の天子」のようなマンガでは、
聖徳太子はホモセクシャル仕立てに描かれています。
町田――空海や最澄だって、私はすごく革命的な人だと思います。
空海は大学を中退してから行方不明になっていた期間が七年もある。何をしていたのかと
いえば、四国や紀伊半島の山林を走り回っていたわけです。そこで日本土着の山岳宗教を身
につけて、そのうえで中国に行って密教を学んだ。日本土着の山岳信仰と外国の哲学思想、
これを和洋折衷してしまったのです。そういう意味では彼も革命的ですね。
そのライバルの最澄もすごい。当時、戒壇院は太宰府と東大寺と下野薬師寺にしか存在せず、
上座仏教の小乗的な戒律を誓わないと、比丘や比比尼になれなかった。ところが彼は、それ
はおかしい、大乗戒だけでいいと言い切った。もっとシンプルな戒律を約束すれば、誰でも
坊さんになれるんだと主張し、仏教の「民主化」を要求したわけです。それに対して朝廷は、
最澄が死ぬまで延暦寺に戒壇院をつくる許可をろさなかった。彼の要求はそれほど突飛なも
のだったのです。
この革新的な二人がいて、そういった流れのなかで三〇〇年たったところに法然が出てく
るわけです。とりわけ法然と関連性があると私が思っているのは、空海の三密加持です。身
密、口密、意密ですね。ボディと口と意識を使うというものです。法然さんは、三密のなか
から身密と意密を切り捨てて、口を使うメソッドの口密――もちろん真言宗ではマントラ(
真言)ですが――を取り出して、六字の名号でやろうと主張したのではないでしょうか。私
は「法然の涙』(講談社)という小説のなかで、法然と空海を夢のなかで会わせていますが、
それは彼らに思想的一貫性があると思っているからです。
日本の仏教史は、おおよそ二〇〇年ごとに偉人を出すというのが、町田史観なのです。で
すから、とくにこの人ひとりが偉いということはないんで。
松岡――なるほど。空海の三密加持のメソッドから口密を取り出し、それを口称念仏や専修念
仏につなげたという見方はすごくおもしろいですね。私からすれば、まさに「編集」にほかな
りません。
町田――法然は密教的な修行もやっています。彼は十三歳で比叡山に登って十八歳で黒谷に移
るけれども、その間の五年間は、延暦かの教則本に従ってやらなければならない修行がたくさ
んあった。そこで三密加持にふれているのはまちがいないと思います。そこで絶頂して、「悲
しきかな悲しきかな、いかがせんいかがせん」という言葉が出てきた。こんなものを全部やれ
と言われても無理だ、どれか一つ選択しなくては、と。まだ十代の法然にも身に遣るような危
機感があったのではないでしょうか。
松岡――とはいえ、よくぞそこまで抜けましたよね。空海から法然までのあいだに、空也L人
や忠心僧都源信のような方がいらっしやったとはいえ、六字名号を声に出して称えるだけでよ
い、というのはあまりに革新的です。法然は平等院(あるぃはE目脂立の経蔵で見つけた善導
の『観経疏』を読み込むうちに、ここだというところに出遭ったといいますが、それは偶然で
はなく、膨大な読書量とスクリーニングカによって導かれた必定だったように感じられます。
町田――学問的にはそうとう読み込んだうえで見極めたはずですが、その一方で一点集中して
戦う武士の血というのもあると私は思います。幼少の勢至丸は九歳のときには弓の名手といわ
れていましたし、ターゲットを狙うということには犬性の感性をもっていたのではないでしょ
うか。
松岡――父親が目の前で殺されていったこともあって、負けまいという強い気概があるかもし
れませんね。多くの法然ファンは、法然土入に寂然とした、ほわーんとしたキャラクター像を
もっているけれど、そうではない。きわめて鋭い人物だった。
とはいえ、法然の考え方というのはまわりからするとあまりにも突拍子のないものだったの
で、いくら末法の世でも、念仏だけで簡単に浄土に行けるというのはおかしいんじやないか、
と反論もされます。当然、興副寺や延暦寺が文句をつけてきましたね。法然という人は、こう
いった批判になぜ耐えられたのでしょうか。
町田――まず第一に、法然さんはエリートの甘えを直感していたのだと思います。お前たちは
特殊な境遇に生きて、仏教の理想論、建て前を言える立場にあるけれども、庶民を見てみなさ
い、いまやどうしようもない状態ではないか、と。
それから、法然という人はいい意味ですごい自信家だった。彼には、学問的にやるだけのこ
とはやった、読書量においてはだれにも負けない、という自負かありました。そういう知識の
ヴオリュームにはかなりの自信があったはずで、だからこそ彼が発言することには、帝から庶
民の遊女までが耳を傾けたのだと思います。
もうひとつ、法然は定善観を通じた自信をもっていた。定善観とは、阿弥陀の姿や浄土の光
景を目の当たりにしていくという意識集中的な念仏です。観法にもとづいて十三段階に分かれ
たビジュアライゼーションです。幻脱体験であり、神秘体験ですね。それが確固たる自信につ
ながっている。法然さんは、「他人には,この修行はやる必要がない」と言っているけれど、
自分自身は死ぬまで続けている。そのたびに自分の内面的な自信を塗り替え、活性化していた
と思います。
松岡――法然や親鸞の登場を十六世紀の宗教改革になぞらえるとき、親鸞がルターであると行
われてきたけれども、じつは法然こそがルターであり、親鸞はカルヴァンではないかとする向
きがありますね。これは町田説でもある。旧カトリックが猛烈な攻撃をかけたときのルターの
平然たる戦いぶりは、南都北嶺から繰り返し文句をつけられた法然の境遇に近いともいえます。
興福寺にいたっては「九箇条の失」を掲げて法然教団を攻撃するわけですが、それでも法然は
屈しない。それでいてちゃんとテキストにもとづいて信仰原理を組み立てたという点でも、法
然とルターは近いものがある。この二人には、自身の思想の背景にテキストがあるという自信
もあったはずですね。
町田――法然がじつにすさまじい人生を脂んできたことも関係している。わずか九歳のときに
目の前で父親が殺されて、寺を移るよぅにして比叡山に来る。彼の体験そのものが波瀾万丈だ
し、そのなかで生き抜いて、懸命に学問と向きかい、修行を積んだ。当時の延暦寺といえば名
門総合大学のよぅなものですから、門閥出身で秀才人間ばかりです。法然には、知識ばかりで
語っているあなたたちとはちがうよ、という思いがあったはずです。
仏教とイメージ
松岡――ところで、私にはかねてより大きな疑問がありました。神秘やビジョンというものは、
日本の仏教でどのように位置づけられているのか、ということです。それというのも、日本の
仏教のなかには神秘体験を拡張した例が少ないように思えたからです。弘法大師や上人や一体
さんや一部の禅僧にはそれに近い体験があったことは知られていますが、ユダヤ神秘主義やグ
ノーシスやビングンのヒルデガルトのように、いわゆるビジョンを見て、ビジョンが宗教にな
っていく例とはどこかちがいます。ですから、やはり日本仏教はテキスト主義か勤行主義のど
ちらかだろうと思っていた。
そんなイメージをもっていたものですから、ずいぷんあとになって『選択本願念仏集』を読
んだときには驚きましたね。あんなにたくさんのテキストを読んだ法然が、そのなかの一箇所
にばーっと光のようなものを感じて、浄土教を観仏から念仏にひっくり返してしまう。それ以
来、私は、日本仏教における神秘やビジョンを考える際に、法然という人はその端緒にいたの
ではないかと思っています。
町田――それまでの仏教は神秘体験も含めた統合的な顕密仏教でしたが、鎌倉から顕教の時代
に入ります。そうすると、浄土とか禅とか日蓮とか、選択型の仏数になってしまって、ビジョ
ーンやイメージを切り捨てるわけです。たとえば、仏は臨済宗にいた人間ですけれども、座禅
中に何か見たとしたらい「それは魔境たから、惑わされないように」と言われるます。座陣の
足の組み方には吉祥坐と降魔坐というのがあって、密教では吉祥坐でイメージ加わきやすいよ
うな姿勢で座りますが、臨済宗では降魔坐でイメージが出てこないような座り方をする。ビジ
ョンやイメージはまったくもって不要なものです。現在の日本仏教は、浄土、禅、日蓮という
系統が表に出ていますから、やはりイメージを重要硯する系譜にはないのです。
ところで、仏が法然を勉強した理由は、この人だったら深層心理学も使えると思ったからで
す。フロイトやユングもアメリカで勉強していたし、西田哲学もまがりなりにやってきた。そ
の前は鈴水天拙の『浄土系思想論』のようなものを読んでいたし、浅原才市とか妙好人のこと
も興味があり、禅とはまったく異なる世界があることを知っていました。
それから20年ほどたって研究をはじめるとき、法然さんにはユングもフロイトも所出も鈴
木も入っていることに気がついた、しかも、常数のあらゆる要素――禅と念仏、仏教とキリス
ト教、一神教と多神教――も法然さんにはあると考えた。この人ひとりを学んだら、世界のあ
らゆる宗教のことを論じられると確信したのです。私の博士論文はまさにそういう議論をして
いるのですが、これはいい選択だったといまでも思っています。
松岡――いい選択というよりも典型的ですよ。町田さんは、法然のすごいところはイマジネー
ションやインスピレーション、つまりは想像力にあるとこ言いますが、多くの研究者たちはな
かなかそう見ない。
町田――浄土宗の人もそういうことを言いたがらないでしょうね。しかし、私は宗教体験とい
うのは最初にイメージがあると思っています。それが時間をかけて言語化してくる。すると単
語が生まれてきて、それがもうすこし時間がたつと体系化して思想やイデオロギーが生まれる。
出発はイメージなんです。法然の偉大さが語られるとき、たいていは専修念仏とかイデオロギ
ーのレベルの話になってしまいますが、じつのところ私はそっちにはあまり関心がない。彼の
イマジネーションを論じることには犬さな意義があると思いますよ。
松岡――ところが日本の仏教学というのは、そのように日本人のイメージの起源や発達を語る
ことがうまくできていない。とても残念なことです。
町田――近代仏教学が、清沢満之あたりから始まっていることも関係しています。ひとことで
言ってしまえば、かなり理屈臭いのです。
松岡――しかし、なぜイメージから出発して専修念仏に絞りきれたのか、という疑問も生じま
す。そもそも、十六観法や羯摩マンダラや阿宇観などのわずかなものを除くと、ほとんどの行
法はビジュアライズされてないように見えます。口称の念仏もイメージに富んでいるとは思え
ない。むしろボーカリゼーションの集約ですよね。
ここの説明がもうひとつ必要なのではないでしょうか。むしろ観仏だったらイメージでしょ
う。だけど、念仏というのは六字名‥号までいくわけだからマントラやダラニに近い。「声に
の世界です。そういうように考えられるんじやないかという気がするのですが。
町田――そのとおりだと思います。しかし念仏に新しい注釈を加えるとしたら、あれは身体行
です。発声するということも身体行動のひとつですから。そして、イマジネーションは、身休
感覚を磨かないことにはやってこない。左脳を使うだけでは不ト分で、社訓も使って全体のバ
ランスを保だなければ、イマジンできない。
Charles Nainoa Thompson (born March 11, 1953 )
かつてナイノア・トンブソンという人が、ホクレア号という航海カヌーに乗ってハワイから
タヒチヘと渡りました。その際、レーダーやコンパスといったナビゲーターをいっさい使わな
かった。彼らは一子相伝のようにして特殊な航海術を学ぶらしい。晴れているときには星座を
見る。嵐で空か見えない場合には彼の動きを読む。つまり、空と彼を見て数千キロも先のタヒ
チに至るわけです。ここでもビジュアライズする力、イマジンする力が必要になっている。
法然さんは声の力に注目して、それを何万遍もリピートすることによってイマジネーション
を促進した。現代においても、声の力でそういうことはできるだろうし、あるいは別の形で身
体感覚を強めていくことが大事です。昔のお坊さんが偉かったといいますか、すごく思想性に
富んでいたのは、彼らはとにかく良師を求めて諸国を行脚して歩いたということです。法然も
山の中を歩き回っているし、叡山からドりて南都留学などもしている。昔の宗教家は本当によ
く歩いた。歩くことは思想の深化につながります。宗数字にかぎらず昔の動なん人は、飯を炊
くにも井戸から水を汲んだり、川に洗濯に行ったり、山に柴を取りに行ったりした。何事にも
身体行動が伴ったから、そこに思想性というものが生まれてきた。
身体行動が乏しい現代の日本人は、新しい形を作る力(造形力)が落ちている。もちろん
一部の建築家などはそういう力が突出していたりするけれど、国民全体で見るとそれはあきら
かだと思います。既存の形ではないものを作り出す力、それぱやはりイマジネーションによる
もので、その背景には知識だけではなく感性が必要です。われわれは「具象の民」として、す
ばらしいものを作りあげてきたわけですから、いま一度、身体感覚を取り戻して「復活」する
のも不可能ではありません。
この項つづく
16年度新年会(案内)
日時 2月13日(土)
開宴 18:00~20:00まで
場所 彦根市内西今町『水幸亭』050-5871-1454
会費 寿司懐石+放題酒代1・2千円)
送迎 送迎バス:現在時点 JR駅東口側前 17:45
その他で送迎希望者があれば今月末までに幹事
までご連絡下さい。
幹事敬白
【繰り寄せた一糸】
初回忌開けで、昨年度は新年会を中止したがこれをリスタートさせることで、ホームページの
改訂作業をすませ、参加者の出欠の確認のために電話連絡し、運動の最長老になる谷口さん、
同じく、同町会の山田さん、元職場の先輩の佐々木さん、柳本さん、吉田さん、水都施工の辻
社長、長浜の中村さんなどと連絡確認作業に移るが、彦根市立図書館で岩本弘著の『定年・シ
ニア企業』、関根俊介著の『個人事業のを会社にするメリット・デメリットが全部わかる本』
を借りるためも兼ね出かけのはいいが、閲覧室で労組支部長であった小崎さん(似た人?)を
見かけ、貸し出し申請をすませ確認するために声をかけようと思っていたが、その人物は俯き
き加減で目を合わすことができず、声をかけることができす、また谷口さんと山田さんのご自
宅に急ぐ。ところが谷口さんは留守で山田さんところにいくと、ご本人は体調が思わしくない
ので欠席とのことだったが、谷口さんは二、三日前に市立病院に入院されていると聞かされ、
途中、会場の「水幸亭」に本予約をすませ、すぐさま、帰宅するなり、彼女とお見舞いに直行
する。
病院の病室に上がると折しも奥さんが帰宅するところで、事情を確認し、自宅近くまでお送り
し、帰宅すると、その旨を佐々木さんにはなすと、母が他界した9月の翌月に、小崎さんが病
死され、ご自宅までお悔やみに行ているのだ、わたしが見かけたのは、それは小崎さんが会い
に来たのだよと話す。それは本当か?会に参加しないかと誘うつもりだったのだがと応じ電話
を切ったが、夕食後とても信じられず、同じく書記長だった小原さん確認の電話を入れると、
それは本当だと言う。かれは五個荘町で町内会長を三年の任についているのだが、心臓手術を
受けたばかりだという(カテーテル療法で切開すことはない)。同僚の神鳥さんのエンディン
グノートは早めに書いておくことの忠告を思い出しそんなことを言い電話を切った。そこから
9時の『怪盗探偵山猫』 を観るまで落ち込んだという訳で、翌朝、お悔やみに以降としたが、
ホームナットワークのルータの誤作動でネットワックが遮断、その対応で時間ロスし(家には
彼女と息子たちと数台ある)、昼から、二人で出かけお悔やみに行くと、息子さんに応対して
いただいたが、やはり言うとおりであった。その足で再び図書館にも立ち寄ったが、その彼は
いなかった。それにしても不思議な出来事だった。これは、見ざる糸で結ばれているという、
日本的なあるいは仏教的な”唯心論”の証なのか、たんに妄想なのかと考え込んでしまった。
それにしても、これから意図的に外出する機械が増えるが、精神的にも精神的にも大丈夫だろ
うかと不安が尾を引くようである。