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デジタル革命渦論 2016

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  みずからをうつけ者と称して、まわりからもそう思われた信長のような人
              物がりーダー シップをとったとき、はじめて型が破れるんですよね。もっ
              と身近な例でいうと、忌野清志郎です。

                                                                  松岡正剛  『法然の編集力』

 

【2016のデジタル関連電子機器の動向】

● 高精細監視カメラの偏在と功罪

アナグロからデジタルのシフトによりCCTV(閉回路テレビ:特定人物の映像をその対象に伝
送するテレビ、つまり、"監視カメラ"として急増Sているテレビカメラのことだが、14年の監
視カメラの世界市場規模はメーカー出荷台数ベースで、前年比110.9%の2,545万台でう
ちアナログカメラは1,867万台、IPカメラ(ネットワークカメラ)は678万台の見込であ
った。18年には監視カメラの世界市場規模は4,320万台で、このうち、アナログカメラは
1,720万台、IPカメラは2,600万台とアナログカメラの出荷台数を上回ると予測されて
いる。

アジア地域では、社会インフラ整備に係わる公共施設などにおける需要が堅調に推移し、タイな
どの東南アジア地域では、主に商業施設や店舗における監視カメラ導入が進んでいる。中国では
、公安需要が大きいと見られ、中東地域では各国の建設需要やテロ対策・監視システム需要の拡
大、中南米のブラジルやメキシコでは建設需要が期待できるほか、鉄道や道路などでの監視カメ
ラ需要の拡大も見込まれる。


北米や西欧では、店舗や商業施設での需要が中心であり、今後は高画素化による画像分析など、
より高度なシステムへの移行が考えられる。日本国内では、近年、特に食の安全に関わる「フー
ドディフェンス」需要が拡大しており、製造ラインに加え、フロア管理用のカメラ導入が進み工
場需要が拡大している。またコンビニエンスストアを含む小規模複数店舗における監視カメラ需
要が拡大している。

もっとも、英国のような「監視カメラ大国」では費用対効果が問題となっている地域――ロンド
ンの例では設置するのに推定、約16億円、その維持費が年間225万ポンド(約3億円)が費
やされる。一方っCTVは自動車事故提言に寄与したが、それ以外はほとんど効果がないという
情報もある。別の調査によれば、監視カメラにより、犯人が特定された路上犯罪は全体のわずか
3%にすぎず、暴力事件は監視カメラの存在により助長される?という調査研究もあるが現在英
国内務省は近年見直しを行っている。人権抑圧が大きい共同体ではその使用に対す警戒は根強い
ものの、様々な生産・消費場面の適用対象での逓増は不可抗であろう。 

 16th January 2016

米国のオバマ大統領は、21世紀の交通システム――安全な車両の自動化の開発と採用を加速す
るために10年間に亘り約450億円の投資する。これはカメラだけでなく、従来の電波・光・
レーザーなどにミリ波・マイクロ波センサを加えた”もの情報システム”の開発普及による温暖
化ガス削減に地球環境を防止と、人命尊重と安全安心のための・交通事故の逓減を含めている。

 

● 2016年ディスプレイはOLEDに変わる

コストが大幅に逓減され、有機発光ダイオード(OLED)は、デバイスの広い範囲で使用普及す
る。これらは、よりシャープ、より薄く、より明るいという特徴をもち、従来の液晶ディスプレ
イより省電力(省エネ)で、軽薄で、「ウォッシュアウト」という日光当たっても画像の視認性
を失わず広視野角を保つ。


● デジタル革命の光陰:ロボットの台頭で消える職、20年までに5百万人余剰

 ブルームバーグによると遺伝学や人工知能(AI)、ロボット工学などの研究と技術革新により
人類は20年までに差し引き5百万人分以上の職を失う可能性があると、世界経済フォーラム(
WEF)の調査結果を報じた。技術変革により先進・新興合わせて15の主要国・地域で20年ま
でに約7百人の職が失われる一方、2百万人分が創出されると試算している。これら15の国・
地域は全世界の労働人口の約65%に相当する約19億人の労働者を擁しており、リポートはそこで
の調査に基づいて作成された。

WEFは物理的、電子的、生物学的なそれぞれの分野の境界線(ボーダレス)があいまいになり
第4次産業革命に相当すると位置付け、年次総会のテーマにあがっている。イングランド銀行の
チーフエコノミストによると、自動化によって何百万という職がリスクにさらされると警告する。
同リポートは「技術変革が人材不足と大量失業、格差拡大をもたらすという最悪のシナリオを避け
るためには、今日の労働者たちの再訓練と技能向上が必須としている。管理などホワイトカラー
の仕事が失われる職の3分の2を占め、コンピューターと数学、建築、工学関連の仕事は増える
と予想する。



第4次産業の典型は「NHK」にあるとはわたし言葉だが、すでにわたし(たち)は定義を済ま
せているが、確かに政策を誤るとカオスを引き寄せるが、クールに乗り切れば、社会主義社会に
突入しているを実感できるだろうと考えているが、上図(クリック;"62 people own same as half
 the world”)のように「暴走格差社会」を食い止めることができず、混沌とした状況から抜け出せ
ずにいるかもしれない?

● 「乳牛」救うハイテク「ウエアラブル」

 グンゼは、酷暑によるストレスから乳牛を保護・冷却するウエアラブル(身に着ける)システム
の試作品「ウシブル」を開発した。冷感ウエアと最適注水システムを組み合わせた独自技術で、
京都府農林水産技術センター畜産センターと共同で実証実験を進め、早期の実用化を目指すと公
表。それによると、乳牛は夏の暑さでストレスを受けると生乳の生産量が減少するため、畜産農
家では大型扇風機による送風や散水などの対策が欠かせないが、近年の温暖化などの影響もあっ
て、強い効果が得られないにもかかわらず、電気代がかさみ農家の悩みになっていた。 

 グンゼが開発したウシブルは、人の衣類にも使われる放熱性能に優れた冷感素材の「ラディクー
ル」をベースにした。下着のように乳牛に着せ、細いパイプから少量の水を徐々に流すことで生
地を常に湿らせ、気化熱によって冷却させる仕組み。鍵になるのはウエアに組み込んだ導電性ニ
ット線材だエアが乾燥したり湿ったりすると、線材の電気抵抗が変化する。ボタン電池で作動す
る小型機器で通電させておき、抵抗の変化を見て「乾燥」を把握。そのタイミングに合わせて注
水を行えるようにしたことだが、この方法が切り札(バーゲンパワー)なるのか疑問だが、面白
い。 

  

● 折々の読書 『法然の編集力』 12 松岡 正剛 著      

 第三部 特別対談 松岡正則×町田宗鳳 

                                                  法然の引き算

 松岡――造形力という詰でいえば、日本人の文化の底力のなかには、引き算する才能や、シ
 ンブリフアイする感性がありますね。たとえば、水を感じたいからこそ枯山水にして水を抜
 く。石のたくさんあるロックガーデンをいくつかに間引いて、スペースを小当く小さくして
 いく。龍安寺もそうですが、とても小さくしていきます。大徳寺の大仰院となるとかなり小
 さい。あんなところからさらに引き算をすることによって、小なるものがより大なるイマジ
 ネーションを浮かばせる。これはまさに引き算の文化によるものです。紹鴎や利休の茶室は
 広間から四畳半へ、三畳台目へ、さらには二畳台目まで縮約しました.。

 法然の時代は、このあとまさに大台も天台本気に切り替わって、「山川草木悉皆成仏」のよ
 うなものになっていく。そうすると天台座主になった慈円も、あるいは『徒然草』の兼好法
 師も、みんな引き算をしはじめる。法然は、そういう成句的な引き算の才能が群を抜いてい
 たんでしょうね。

 町田――そのとおりです。それまでの何千とある経徘もいらない、何百とある修行もいらな
 い。それは正統ではあるが効き目がない、効き目があるのは専修念仏だけだ、と言ってしま
 うわけですから。
 
 松岡――あとはそれこそ身ひとつ、身体だけがあればいい。これは「生きた枯山水」であっ
 て「生きた俳諧’ですよ。

 町田――俳句的な仏教。五七五にしてしまった。
 
 松岡――それはよくわかります。「選択本願念仏集にを何回も読んでみると、法然さんはた
 くさんのものを比較しながらスクリーニングをしている。ペネトレーションしている。だん
 だんと減らしていく撰述方法をとっているんですね。それについては第一部で論じることを
 試みたのですが、まあじつにみごとです。

 編集という行為もまさに同じですね。私の専門は「編集工学」というものですが、エディテ
 ィングというのも膨大な情報からどんどん減らしていってヘッドラインをひとつにすること
 が肝要です。たとえば、「菅首相やっと決断」とするか、「菅首相いよいよ決断」とするか、
 「菅首相ついに決断」とするか。どんどん減らしていって、残りわずかのところですべてを
 表現するのがエディティングです。テレビにせよ出版物にせよ、日本人は究極まで引き算と
 いう編集をしています。

 『選択本願念仏集』では、九条兼実の質問もあらたでしょうし、お弟子さんたちの「ご上人、
 ここはそれでよろしいんですか」といったようなコンフアメーション(確認)もあったはず
 です。とはいえ、文章をすすめるにしたがってどんどん減らしていくさまはまことにみごと
 です。しかも、減らす際には二分法で削るのではなく、いろいろな説を保留している。青信
 号と赤信号に分断しないで、檀色の点滅信号をのこしている。たとえば、法然さんは観仏が
  ガで念仏がポジであるとは言いません。よく読みこむと、観仏にこだわっていては駄目だか
 ら、こっちヘアウフヘーベン(止揚)しましょうねというような旨い方をずっとしている。
 デリートをしなのです。これには驚きます。法然という人には、編集的にインターフェース
 する才能があるのです。

                               仏教を再統合する

 町田――そのとおりだと思います。ところが、やはり法然さんの選択にも功罪があります。 
 すこし前に話があったように、奈良・平安の仏教は統合型仏教でいろんな要素があった。そ
 こには神秘主義もあったし、儀礼もあったし、学問もあったし、芸術もあったし、音楽もあ
 った。とても多様性に富んだ仏教だったわけです。インドから中央アジアを通ってくる間に
 ペルシャの文化まで吸収して、すごく際かに統合されていた。

 法然という人は、そこから天才的にひとつの方法を取り出してきた。選択したわけです。そ
 れを機に、選択型仏教が日本のメインストリームとなりました。念仏だけでいいですよ、お
 題目だけでいいですよ、座禅だけでいいです上、といったように、平民でもできるような単
 純化されたプラクティカルな仏教の方法論の提供につながった。当時、それはとてもよかっ
 たことですが、すでに八○○年が経過しました。そこで仏が期待するのは「揺り戻し」です。

 松岡――なるほど。もう一回インテグレートしなおすべきだと。

 町田――ええ。それは私がアメリカから帰ってきて真っ先にこ言ったことでもあります。法
 然や鎌倉新仏教の祖師方は、みんな叡山からドりました。山から町へ下りたことで、思想の
 革命がおきたのです。だけど、八〇〇年たったら今度は町から山へ帰るべきです。そうすれ
 ばエコロジカルな仏教も出てくるし、ホリスティックな仏教も出てくる。もっと地球史観に
 立った統合型宗教を日本から生み出していくべきだというのが私の持論です。

 松岡――それは私も賛成ですね。しかし、現在の仏教貝には難しいのではないでしょうか。

 町田――それをやるのが坊さんとはかぎりません。現代の坊さんはほとんど職業化していま
 すからね。

 松岡――ひょっとしたらアーティストや詩人かもしれませんね。

 町田――ええ、経営者かもしれません。ともかく実践している人でないと本物の思想は生ま
 れてこない。机上の空論ではいけません。
 冒頭で申し上げたように、法然さんの八○○年御遠忌と東目本大賞災が重なったということ
 は、そういうメッセージもあるように思えてならない。ここで選択型仏教から統合型仏教へ
 復活しろ、その第一歩を踏み出せ、と。お念仏したら、お題目したら、座禅をしたら教われ
 ますよ、というのはある意味であまりにも人間中心主義的です。そこで教われるのは人間だ
 けではないですか。選択型仏教では、人間以外の動物、植物、地球のことなど考えていませ
 ん。となると、どうしてもより密教的でコズミックなものの見方が必要とされる。

 松岡――それは私もしきりに感じていることで、別の分野でしょっちゅう言っているんです。
 たとえば茶の湯や日舞ですね。こういうものは私の仕事とやや近しいもので、家元たちが「
 お茶会に呼ばれるだけでなくて、松岡さんも何か関与してほしい」と言ってくれます。しか
 し現在の茶の湯や日舞――あいは武道などでもいいのですが――は、最高の引き算とシンプ
 リファイとソフィスティケーションをおこしていながらも、その型どおりにしかできなくな
 っている。「守・破・離」の「守」と「破」しかないんですね。したがって、茶の湯のなか
 で掛軸にキリコが掛けられるとか、日舞に篠笛一本だけが演奏するとか、そういうことがで
 きない。出入りが止まってしまっているんです。

 このあたりをこそそうとうラディカルに思い切らないと、自分たちがはまった世界からは抜
 けられないけれども、抜け出たとしても「それは邪道だ」とすぐに言われてしまう。そこを
 どうするかですね。

 町田――二つの可能性があると思います。ひとつは、アウトサイダーや素人がアヴァンギャ
 ルドな茶の湯を始めるという道。もうひとつは、型の中に閉じ込められていて十分にその型
 を知っている人間、これが型破りをおこすという道。私のことで言うと、二〇年も臨済宗の
 修行道場で本も読ませてくれないような環境に閉じ込められていた。そこから飛び出てきて、
 いまは好き放題言わせてもらっています。

 しかし、型破りの人間というのは、千人に一人くらいしか出ない。いや、一万人に一人かも
 しれません。型を吸収するだけでもずいぶん時間がかかるし、型につぶされてしまう人もい
 る。忍耐力がいるし、意志力もいる。型を十分に身につけるまでに諦める人が半分近くいる
 としたら、あとの半分は型にはまって抜けられなくなるでしょう。だけど、そこからたまに
 飛び出してくるやつ、これが本当の意味の型破りです。どんな業界であっても、画期的な仕
 事をするのはこういう人たちです。

 松岡――白隠や仙涯や散光などには、そういうところがありましたね。けれども、あれから
 またずいぷんとたっているから、それがまた型になってしまった。
 みずからをうつけ者と称して、まわりからもそう思われた信長のような人物がりーダーシッ
 プをとったとき、はじめて型が破れるんですよね。もっと身近な例でいうと、忌野清志郎で
 す。私は、彼は茶人や仏教者なんかを軽く超えていると思っていた。忌野清志郎はポップア
 ーティストでシンガーの変なやつでしたけれど、こういう人物こそが日本の禅であるとか茶
 人の姿であるということを誰かが言わなければいけない。さきほどつ「ホリスティックな仏
 教」と言われましたが、そこにホリスティックなものが現われていることを目利きする人物
 がいないことが大きな問題のように感じます。

                                   この項つづく

 

  ● 今夜の一冊

 

 


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