ある人間が必要とするものを探し求めて世界中を
旅して回り、家に帰ってきたら、何とそこにある。
ジョージー・ムーア
A man travels the world over in search of what he needs
and returns home to find it.
George Moor; The Book Kerith
※ さあ、それは一体何だろう、案外家庭の幸福というものかもしれぬ。
in search of・・・ 「・・・を求めて」what he needs の what は 先行詞を
含む関係代名詞、「彼が必要とするもの」
returns home to find it の to は結果を表す不定詞句。「家にかえっ
てきてそれを発見する」 he returns home and finds it という。
【現状比5倍のエネルギー密度特性の蓄電池開発】
産業総合技術研究所らの研究グループは、全固体電解質の中でもリチウムイオン電池伝導率
が高い硫化物ガラス構造とイオン伝導との相関性について原子/電子レベルで解明に成功す
る(2016.02.22)。これらの解析結果から、ガラス骨格構造の分極効果を最大限に高め、リ
チウムキャリアのイオン濃度増で従来より5倍以上高いイオン伝導率実現できるものとして
期待される。
今回の成果は、「高いイオン伝導率を示し、材料の組成や構造の乱れ具合によってリチウム
イオン伝導率が異なるリン導入硫化物(Li2S-P2S5系)の原子配列(構造)とその電子状態を
詳細に解析し、骨格構造(PSx)ユニットの分極性がキャリア(電荷担体)であるリチウムイ
オン濃度に強く影響を与える」ことを発見したことである。具体的には、と言っても馴染み
のないものいはさっぱりわからないが、、「ラマン分光」「高エネルギーX線回折」「中性
子線回折」「第一原理理論計算・逆モンテカルロ計算」などのシミュレーション技術の組み
合わせて実現する。(1)まず、同解析技術を駆使し、リチウムイオンの濃度を変化させた
3種類の硫化物ガラス電解質材料の骨格構造を可視化する、(2)次に、その結果から、リ
チウムイオン濃度が増加するにつれて、特定の骨格構造(PS4ユニット)が増加することを
突き止める(上図クリック↑)。
● 折々の読書 『China 2049』15
秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」
マイケル・ピルズベリー 著
野中香方子 訳
ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、米国の対中政策の中心的な立場にいた著者マイ
ケル・ピルズベリーが、自分も今まで中国の巧みな情報戦略に騙されつづけてきたと認めた
うえで、中国の知られざる秘密戦略「100年マラソン( The Hundred-Year Marathon )」の全貌
を描いたもの。日本に関する言及も随所にあり、これからの数十年先の世界情勢、日中関係
そして、ビジネスや日常生活を見通すうえで、職種や年齢を問わず興味をそそる内容となっ
ている。
序 章 希望的観測
第1章 中国の夢
第2章 争う国々
第3章 アプローチしたのは中国
第4章 ミスター・ホワイトとミズ・グリーン
第5章 アメリカという巨大な悪魔
第6章 中国のメッセージポリス
第7章 殺手鍋(シャショウジィエン)
第8章 資本主義者の欺瞞
第9章 2049年の中国の世界秩序
第10章 威嚇射撃
第11章 戦国としてのアメリカ
謝 辞
解 説 ピルズベリー博士の警告を日本はどう受け止めるべきか
森本敏(拓殖大学特任教授・元防衛大臣)
第3章 アプローチしたのは中国
東の呉と組み、北の魏と戦う-『三国志演義』(配元前200年)
毛主席への覚え書き(1969)より引用
だが、中国のほうは、アメリカに対する疑念を持ちつづけていた。「上海コミュニケ
(首脳会談の終わりに調印された共同声明)は、アジアにおけるソ連の拡張を防ぐため
の同盟が暗黙のうちに形成されつつあることを示唆している」というキッシンジヤーの
見解に中国側は同意しなかった(注37)。コミュニケは次のように明言していた。
「双方(アメリカと中国)はいずれもアジア太平洋地域における覇権を求めるべき
ではなく、また、他のいかなる国あるいは国家集団によるそのような覇権樹立の試
みにも反対する。そして、双方はいずれも、第三国に代わって交渉するつもりはな
く、また、第三国についての八口意や了解を、相互に取り決めるつもりもない」
中国との同盟を求めるのであれば、アメリカはさらに多くを提供する必要がある、と
いうのが中国側のメッセージのようだった。そういうわけで、1973年2月、二クソ
ン政権の次なる秘密のプレゼントが北京で贈られた。それには明確な安全保障も含ま
れ、願わくばソ連を抑止し、少なくともソ連の関心をひくことのできる米中の協力体制
を見つけることを前提としていた。中国に対してキッシンジャーは、ニクソンは「(第
三国による)中国への攻撃がアメリカの国民的関心事となるほど、深い関係を中国と結
ぶこと一を望んでいると語った(困測)。アメリカは、韓国や旧西ドイツに軍隊を配備
した際にも、「不測の事態にアメリカは「国民的関心』を寄せており、軍隊はそれを察
知するためのトリップワイヤーだ」と述べている,キッシンジャーは中国の北側国境へ
の米軍配備を約束したわけではなかったが、ソ連を驚かせる何かが必要だった。ソ連の
関心をひく派手なジェスチャー、それこそが1969年に毛の将軍たちがニクソンに求
めたものだった。
キッシンジャーはこの戦略のための予定表まで提供した。彼は中国から国連に派遣さ
れた外交官の黄華に語った。
「中国にとって「最大の危機』は1974年から76年までとなる,その問にソ連は、緊
張緩和と軍備縮小、軍事力の推移、防御的核兵器の開発を通して西側諸国との『和解』
を完了するだろう」キッシンジャーはそれまでにトリップワイヤーを配置しておきたか
ったのだ。次なる秘密のプレゼント(ニクソンと毛との最初の会談以来、四つ目で、キ
ッシンジャーの初の訪中以来、六つ目となる)は、アメリカがソ連と交わす合意をすべ
て中国とも交わすことを約束するものだった。1973年6月のニクソンとソ連のリー
ダー、レオニード・ブレジネフとの首脳会談への準備期間中に、キッシンジャーは「ソ
連のために準備したすべてを、中国のためにも準備する]と念を押した(注39)。実際、
アメリカはソ連向けよりもよい取引を中国に提供する準備さえしていた。キッシンジャ
ーは語った。
「わたしたちは、ソ連のためには準備しなかったことを、中華人民共和国のために準備
する用意がある(注40]
このころ、ニクソンは次のような声明を中国に送った。
「中国が関与する対立に関して、アメリカとソ連が、(核戦争防止という)合意のもと
ともに行動することは決してない(注41)」
同時に、英国を経由することでアメリカの法律や規制を回避して、中国に技術提供す
ることを決めた(注42)。
七つ目のプレゼントは最も扱いが難しく、その後30年にわたって極秘とされ、CIA
にも明かされなかった。それは、1973年10月に中国と内々に交わした曖昧な約束を
実行して中国を強化するか、それとも、口約束のままにしておくかという議論(わたし
もその場にいた)から出たものだった。アメジカは中国との問に「安全に関するより確
かな約束」を交わすこともできたが、外交上の関係を正常化するにとどめることもでき
た(注43)。いずれの主張にも確かな論拠があった。
当時、わたしはランド研究所で中国の専門家として働いており、同僚でキッシンジャ
ーの側近を務めるリチャード・ムアスティーンを通じて極秘裏に中国の指導者とキッシ
ンジャーとの対話にアクセスできた。ランド研究所にわたしを雇い入れたのは、アンデ
ィ・マーシャルとフレッド・イクレだったが、ほどなくイクレは、軍備管理軍縮庁の長
官に任命されて研究所を離れた。1973年、わたしはイクレの招きに応じて数回ほど
彼の執務室を訪れ、中国について自らの分析を論じ、中国との内密の協働について、キ
ッシンジャーヘの提案をまとめた。
この項つづく
注29.会話の覚え書き,February 23, 1972,9:35 a.m.,12:34 p.m,
Nixon PresidentiaI Materials Project. National Sccurity Council Files,HAK Office Filcs, Bo-
x 92. Dr.Kissingcr’s Meetings in thc PRC During thc PrcsidcntiaI visit Fcbruary 1972, Page
20, in XVilliam Burr, ed.,Nixonls Trip to China: Rccords now Completely Dcclassincd,In-
cluding Kissinger Intclligcncc Briefing and Assuranccs on Taiwan, The National Sccurity
Archive, Deccmbcr 11,2003,Document 4,以下のサイトで入手可能,
http://www2.gw11.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB106/.
注30. 会話の覚え書き。February 22, 1972,2:10 p.m.-6:10 p.m.,
Location of original: NationaI Archives,Nixon Presidential Materials Project,White Ho-
usc Special Files, President's office Files,box 87, Mcnloranda for the President Beginning
February 20,1972,page 10, in William Burr, ed.,Nixon's Trip to China:Rccords now Co-
mplctcly Dcclassincd,lncluding Kissingcr Intelligencc Briefing and Assurances onTaiwan,
Thc National Security Archive, December 11, 2003, Document 1. 以下のサイトで入手可
能。http://wlnv2.gwu.edu~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB106/;Memorandum of Convcrsation,
February 23, 1972,9:35 a.m.-12:34 p.m,Nixon Prcsidential Matcrials Project,National
Security Council Files, HAK Office Files, Box 92, Dr.Kissingcr's Meetings in thc PRC
During thc PrcsidcntiaI visit February 1972, Pagc 20,in William Burr, ed.,Nixon’s Trip to
China: Records now Completely Declassified, Including Kissinger Intelligence Bricnng and
Assuranccs on Taiwan,The National Sccurity Archivc,December 11, 2003,Document 4,
以下のサイトで人手可能。http://www2.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB106/.
注31. エヴェリン・ゴー教授によると、ワシントン駐在のソ連大使、アナトリー・ドブルイニンは3月、
キ ッシンジャーに、ソビエト当局は、中国からの情報に基づいて、キッシンジャーが中国に「ソ
連のミサイル基地だけでなく、中国国境でのソ連軍の「転置」の完全な概要」を教えたと結論
づけたと語った。Goh,Conversation, the US Rapprochement with China, 174-75. キッシンジャ
ーはそれを否定した。次を参照。Memorandum of Conversation, March 9, 1972,Box 193,
NationaI Security Files, Nixon PresidentiaI Materials Project,page 3, Nixon Presidential L-
ibraly を参照。
注32. 中ソ対立についての西側の優れた回顧として、次を参照。Harold P.Ford,“Thc CIA and
Double Dcmonology: Calling the Sino-Soviet Split,”Studies in Interlligence(Winter 1998-
99):57-61,以下のサイトで人入可能。
https://www.cia.gov/library/center-for-the-study-of-intelligence/kcnt-csi/vol42no5/Pdf/v42i5a05p.pdf.
注33. 例えば、次を参照。Zhou-Ye Jianying-Kissinger Memcon, June 20,1972,15-16,June 21
1972,3,in Box 851, National Security Filcs,Nixon Prcsidcntial Materials; and Howe to Kis-
singcr, “China Trip,” Junc 24, 1972,Box 97, National Sccurity Filcs, Nixon PresidentiaI
Materials, 両方とも、以下のサイトで入手可能。the Nixon Prcsidcntial Librarv and citcd in
Evclyn Goh, “Nixon,Kissingcr,and thc ‘Sovict Card’ in thc U.S.0pcning to China,1971-1
974.¨ Diplomatic History 29, iss.3 (June 2005):475-502,485,footnote 43.
注34. Mao,Kissinger Memcon, February 17, 1973,in William Burr,Kissinger Memcon, February
17, 1973, in Willianm Burr, Kissinger Transcripts: The Top Secret Talks With Beijing And M-
oscow (Collingdale,PA: Diane Publishing, 1999),88-89,以下のサイトで入手可能。the N-
ixon PresidentiaI Library and cited in Goh, “Nixon,Kissingcr,and the 'lSoviet Card,'” 475-
502, 485,footnote 44.
注35. Xiong Xianghui,“The Prelude to thc Openingof Sino-American Relations,” Zhonggong
Dangshi Ziliao (CCP Hfsrory Marerials) , no. 42(June 1992):81,as excerpted in Burr,“New
Documcntary Reveals Secrct U.S.,Chincsc Diplomacy Behind Nixon’s Trip.”
注36. Kissingcr to Nixon,“My Trip to China.”March 2. 1973,Box 6,Presidential Personal Files,
Nixon Presidential Materials, 2-3,以下のサイトで入手可能。the Nixon Presidential Library
and cited in Goh,“Nixon,Kissingcr,and thc‘Sovict Card,’”475-502.
注37. Kissinger,Diplomacy, 72.
注38. 会話の覚え書き,参加者はキッシンジャー、ウィンストン・ロード、黄華と Shih Yen-hua (通
訳)。Friday,August 4, 1972,
注39. 5:15-6:45 p.m・, New York City, in “Foreign Relations, 1969,1976,volume E-13,Docum-
ents on China, 1969-1972,”released by the Office of the Historian of the U.S.Department of
State, 以下のサイトで人手可能,http://2001-2009.state.gov/r/pa/ho/frus/nixon/e13/72605.htm.
注40. Kissingcr to PRCLO Charge Han Xu, Memcon,May 15,1973,Box 238, Lord Files, 7.
注41. Kissingcr to Huang Zhcn, Mcmcon,May 29, 1973,Box 328,Lord Files.
注42. Kissinger to Huang Zhen, Memcon,July 6, 1973,Box 328,Lord Files・ July 19, 1973,Bo-
x 328, Lord Files
注43. Winston Lord to Hcnry Kissingcr, National Archivcs, RG 59,Policy Planning Staff(S/P),
Directorls Files(Winston Lord) 1969,77,Entry 5027, Box 370, Secretary Kissinger’s Vi-
sit to Peking,0ctober 1973, S/PC,Mr.Lord,vol.I.,NationaI Archives,College Park, MD.
記 億
バスケットに詰まった苺のへたを
むしりながら――今年の春初めての
苺――今夜こいつをどうやって食べようかと
思いめぐらす。今夜ひとりで
(テスはいない)ゆっくり楽しもう。
それではっと思いだした。テスと話をした
ときに、伝言を伝えるのを、すっかり
忘れちゃったことを。名前を思い出せない誰かが
電話をかけてきて、スーザン・パウエルの
おばあさんが突然亡くなったと言った。
僕は苗のへたをむしりつづけた。
でもそれから、また僕は思いだした。
店から車で帰ってくる途中のこと、
ローラースケートをはいた
小さな女の子が、
大きな、いかにも人なつっこそうな大に
ひっぱられるようにして道を歩いていた。
僕が手を振ると、彼女も
手を振りかえした。そしてきつい声で
何かを言った。道ばたの草の匂いをしつこく
くんくん嗅ぎ続けている犬に向かって。
外はもう暗くなりかけている。
苛は冷えている。
ちょっとあとでそれを食べているとき、
また順に浮かぶことだろう――順不同で
――テスのこと、少女のこと、犬のこと、
ローラースケート、記憶、死、エトセトラ。
Memory
● 甘い苺と菠薐草
鄙びた城郭田園都市だけれど、自然環境に恵まれている。煮詰まったら湖岸を車を走らせれ
ば、滋賀のパワースポットはやはり琵琶湖とそれをとりまく山々なんだ!と再認識し、スト
レスが解消れる(疲れ具合もあり程度ものだが)。また、近所や友達から季節折々に収穫さ
れた野菜や果実をもらい頂くことは普通のことだ。この間もいちごやホウレン草、小松菜、
日野大根を頂く。小さいいちごなんだけれどすごく甘くておいしいのに感心する。よくよく
考えれば幸せなんだと、こころ豊かになるひとときがある。